四

 抱き合い、キスをする。指で襞を愛撫する。声が上がりはじめたので、仰向けにして脚を広げ、アクメにいき着かないように微妙に調整しながら舌を使ったり、膣に指を入れたりする。
「愛してます。大好き……」
 達する寸前になったので、跨らせる。
「うんとイッて」
「はい」
 尻を抱えて存分に上下させる。アクメの声が近づく。
「ううう、もうへんになりそうです、あああ、イク、イク、イク!」
 私の胸板に両手を突き、尻を上下に振る。中途にしてあったクリトリスをこする。
「イ、イック! あああ、気持ちいい! 好き好き好き、イク、イクイクイク、イク! ああ、あうっ、いい、気持ちいい、好き、好き、大好き、愛してます、はうう、イク、イクウ! すごく大きくなりました、イカないで、イカないで、あうう、イクウ!」
 勝手に離れ、四つん這いになって尻を向けて激しく痙攣する。私は痙攣する尻をつかんでどうにか挿入する。
「ああん、神無月さん、あ、あ、大きい、うれしい、いっしょに、あああ、イッイックウウウ!」
 腹をつかんで突き上げながら射精する。ネネは懸命に尻を突き出して密着させようとする。
「ヒー! イイイックウ!」
 反り返って前にのめりながら離れ、仰向けになる。律動をするためにもう一度入りこむ私を受け止め、腹の下でかぎりなく痙攣する。乳房を握り締める。最後の律動をした。跳ね上がる豊満なからだに密着するのはかなり難しかったが、そのからだを逃さないように抱き締めながら、ネネの膣の蠕動に感覚を集中した。
 深い充足感に満たされ三十分ほど眠りこんだ。
 目覚めると頭が爽快に晴れ上がり、睡眠不足が解消されている。ネネも私の横でうつ伏せになって眠っていた。大きな尻が艶めかしい。手を差し出してさすった。ネネが目覚めた。
「……ありがとうございました。愛してます。死ぬほど」
 そう言って、唇を求めた。腰が抜けたようになっているので、これ以上するのは無理だとネネは訴える。二回の予定が一回になった。学校が休日になったような気がした。安堵を顔に出さないようにする。
 二人で冷蔵庫のキリンオレンジを飲んで引き揚げた。
 道に出て眼鏡をかける。〈仕事〉をし終えたような爽快感の底に、いつものしつこい罪悪感がくすぶっている。人の喜ぶことをしているのに、自分は心から喜べないという引け目。人の喜ぶことをしているのに、後ろ指を差されるかろしれないという引け目。それなのに性懲りもなく繰り返してしまうと引け目。この引け目を覚えさせない女の数はかぎられる。傘を二つ並べ、真昼の歓楽街を歩く。風俗店、飲み屋、飲食店、喫茶店。けばけばしくて魅力のない街だ。
「お尻の奥がジーンと気持ちいいです。ありがとうございました」
「きょうはこれからどうするの」
「銀ブラします。雨の銀座。スクラップブックとか、服も見てみたいし。あしたは神無月さんの試合がスタンドから観られます。うれしい」
 迷路のような道を歩く。ネネが私を見上げて笑う。
「どうしたの?」
「立教のお友だちなんて。小説家の片鱗を見ました」
「いい嘘はきちんとつかないと」
「わかってます。タクシーなんか乗ったら収拾がつかなくなってました。私にも嘘をついてくれていいんですよ。神無月さんのつく嘘に悪い嘘なんかありません。かならず人のことを気遣ってつく嘘ですから」
 迷路を抜けて東武線西口に出る。東武百貨店口から駅構内に入る。ようやく山手線の南口改札にたどり着く。
「じゃ、ここで。ぼくはタクシーで帰る」
「はい。あした、球場で」
「試合前に給湯室を訪ねるよ」
「都合しだいにしてください。逢わなくても離れている気がしませんから。さよなら」
 握手し、手を振って別れる。
 二時半。たっぷり時間がある。まだ心にかかっている女が一人いる。かすかに残っている性欲と精力への挑戦だ。
 東武東上線口に向かう。上板橋までの切符を買って改札を通る。ステンレスの車体の中央を赤い帯が横断するなつかしい電車。普通に乗る。ガランとした車内。走り出す。窓のすぐ外に住宅が迫り、くらくらする。首都高をくぐる。北池袋、下板橋、ふたたび首都高をくぐる。大山の踏切、中板橋、石神井川の短い鉄橋を渡る。常盤台、一度も降りたことのない駅を過ぎる。
 上板橋到着。南口の階段を降りて、傘を差し、左に折れ、園のある小路へ入る。園、おでん屋お多幸、河野家への細道。大松の庭にたどり着き、傘を畳み、玄関戸を引く。
「こんにちは!」
「はーい!」
 エプロンをした胸に一歳ぐらいの赤ん坊を抱えた肥った女が出てくる。ハッと息を飲んで私を見つめ、それから、
「神無月さまですね! お噂はかねがね。私、こちらに住みこみのお手伝いとしてお世話になっている石原と申します」
 彼女に抱かれた赤ん坊は眠っていた。ラッキー! 挑戦などしなくてすんだ。ドタドタと廊下に音がして、
「キャー、キョウちゃん! いらっしゃい!」
「試合が中止になったから一日空いた。遅くならないうちに帰る。立教大学院合格おめでとうを言いにきた」
「楽勝よ」
「新学期は九月からだったね」
「そう。今月のついたちからもう始まってるの。二年間は勉強がたいへん」
「きょうは?」
「水曜と土曜だけは午前だけの講義。日曜日はお休み」
 サッちゃんは私の手を引いて式台へ上げる。
「とつぜんくるから驚いちゃった。この子、お手伝いをしてくれてる石原ユキネちゃん」
「うん、いま聞いた」
 赤ん坊を抱きながら、石原はあらためて深く頭を下げる。
「その子、あなたのお子さんですか?」
「はい、サトシと言います。いま奥で寝かしてきます」 
 石原は奥の住込み部屋へパタパタ去った。
「ユキネちゃんの子に決まってるじゃないの。私の子のはずないでしょ」
「たしかに」
 廊下の鴨居から鴨居に斜めに綱を渡してオムツが干してある。
「雨の日はたいへんなのよ。ああうれしい! とにかく腰を落ち着けて。石原さん、コーヒーお願いね」
「はーい」
 廊下の奥から声が返ってくる。居間のテーブルに落ち着く。
「彼女、よく見るとかわいらしい顔をしてるのよ。体形で損してるわね。六十九キロですって。別れた旦那さんも、そのからだどうにかならんのかって怒鳴りつけて出ていったそうだから」
「気の毒に。ぼくは救いの主にはならないよ」
「もちろんよ。私だってそんなのイヤ」
「お手伝いの募集でもかけたの」
「そう。ずっと勉強が忙しくて外食ばかりだったし、一人暮らしが少しさみしい気もしたしね。子供抱えて気の毒な身の上だったから、面接していっぺんでここに置いてあげようって気になっちゃった」
 サッちゃんは、講義科目よ、と言って、パンフレットを示した。
 言語教育研究基礎論、通訳翻訳研究基礎論、コミュニケーション研究基礎論、異文化コミュニケーション研究基礎論、調査研究方法論、言語コミュニケーション理論、言語教育研究特殊講義、言語教育理論といった、学習内容を推し量れない科目が並んでいた。
「区別も推測もつかない名前ばかりだね。結局これは……」
「プロの通訳や翻訳者を養成するプログラムということね。いままでは中国語専門だったから、もっと総合的に力をつけられる勉強をするということよ。特に英語の力をつけてもらえるのがうれしいわ。就職率は修了者の四十三パーセント。東京で就職するか名古屋で就職するかは状況次第。二年後は五十一歳だし、採ってくれる会社があるかもわからないから。気持ちはぜったい名古屋だけど」
 コーヒーがはいりましたと声がかかったのでキッチンへいく。石原はいそいそと砂糖やミルクの用意をしている。
「キョウちゃんはブラックよ。私も」
「はい」
 砂糖とミルクをさげる。一口すすった。
「うまい。じょうずないれ方だ」
「ありがとうございます。奥さんの直伝です。豆はマンデリンです」
「やさしくて深い味だ」
 巨大な胸から目を逸らす。大きすぎる。
「まだ園にはいってるの?」
「ときどきね。石原さんがサトシくんを抱いてお供してくれることもあるわ」
「ご主人とはその後どうなったの」
「離婚後は、いっさい連絡なし。子供たちが何カ月かにいっぺん訪ねてくるわ。このごろはイッチョ前にサトシくんに玩具を買ってきたりするのよ」
「うちの人なんか、養育費も送ってよこしません。祖父母にはねだれませんし、河野さんに仕事をいただけなかったら、親子で路頭に迷うところでした」
「いつまでもいてちょうだいね。あなたにもサトシくんにも不自由させないわよ」
「ありがとうございます。精いっぱい勤めさせていただきます」
 石原がサッちゃんを見てうれしそうに笑った。笑い返すサッちゃんの顔がとてもやさしい。
「相変わらずサッちゃんは、ほんのりした、いい笑顔をするね。周りの時間そのものがやさしくなる」
「そう? 遅ればせながら、優勝おめでとうございます」
「ありがとう」
 サッちゃんは立ってきて、ようやく私にキスをした。私はスカートの上から彼女の陰阜を握った。石原が目を丸くしている。
「これ、キョウちゃんの挨拶なのよ。こっちのほうも忘れてないから安心しろって言ってくれてるの。やさしいのよ」
「……どうぞ奥さん、遠慮なく」
「ただの挨拶かそうじゃないかはすぐわかるわ。野球が落ち着いてから、ゆっくり抱いてもらう」
「この八月にカンナが生まれたんだけど、最初、斜視じゃないかって心配したよ」
 石原は気を取り直したように親しげに笑い、
「生まれたころは視力が○・一以下ですから、動くものを目で追いかける力がないんです」
「きょうは夕ごはん食べたら帰るんでしょう?」
「うん、あした試合があるからね。きょうじゅうには帰らないと」
「どこまで?」
「赤坂見附」
「じゃ、石原さん、ゆっくり玉子丼作りましょうよ。キョウちゃんの好物なの」
「はい。その前に、ちょっとお乳あげてきます。寝ついてたらだいじょうぶなんですけど」
 石原は奥の部屋へいった。サッちゃんもついていく。私もついていった。木柵で覆われたベビーベッドの中で一歳の男の子がキョトンと目を開いて寝転がっていた。思わず吹き出した。
「笑えるほどかわいいなあ。まるでお人形さんだ。きっとぼくにもこんな時期があったんだろうな」
「いまもそうよ。三十歳ぐらいまでお人形、それからはギリシャの石像」
 私は先にキッチンに戻り、テーブルにあったスポーツ新聞を引き寄せてめくった。神無月の筋肉のすばらしさ、という記事が広げてあった。中日ドラゴンズ池藤チーフトレーナー談となっている。

 神無月選手は極上の筋肉を持っています。左右の筋力が対称なんです。対称だと全身のバランスがよくなり、ケガをしにくくなります。太腿の内側と後ろ側の筋力は、具体的な数値は出せませんが、日本球界ナンバーワンでしょう。彼がみずからに課している練習メニューは、ランニングと、試合日の数本のダッシュ、腹筋、背筋、腕立て伏せ、マシンによる胸筋、上腕筋、肩関節の鍛錬、一升瓶を使っての手首の鍛錬といったところです。腕立てにはかならず片手腕立てを混ぜています。ストレッチや開脚前屈はほとんどしません。腱やスジを痛める危険性があるからです。すべてが理に適っているので、見ていて嘆息するばかりです。トレーナーが力を貸せない、いわばトレーナー泣かせの選手ですね。


         五

 二人が戻ってきて台所に立った。石原の背中に声をかける。
「石原さんは何歳?」
「二十八です。昭和十六年、巳年の生まれです」
「曲がりなりにも戦争経験者か。旦那さんは?」
「中板橋の中学校の同級生です。二人とも中学を出て東京で働きながら、ときどき連絡を取り合ってるうちに……」
「いまどうしてるの」
「まったくわかりません」
「つまり、離婚したってことだね」
「はい……私……みっともないですから」
「何言ってるの、ぜんぜんみっともなくないわよ。毎日いっしょにお風呂に入ってるからわかるわ」
 石原はシンクに向かって顔を伏せた。
「こっち向いてみて」
 石原はうつむきながらこちらに向き直った。サッちゃんの言うとおり、赤ん坊のサトシと同様、ぷっくりと愛らしい顔をしている。太すぎない脚を見ると、脛(すね)の形がよく、足が小さい。
「きれいな人だね。世の中には、石原さんより肥ってる女なんてザラにいるよ。七十キロ、八十キロ―腹もたるんで、へんに皮膚がボコボコしてる。石原さんくらいじゃデブと言えない」
 石原はうれしそうに頬を紅潮させて、もう一度シンクを向いた。
「同窓会でも出て見たらどう。その男、ビックリすると思うよ」
「そんなもの出ません。サトシと奥さんのお世話で毎日忙しいですし、忙しく生きるのが楽しいですから。それに、もう男はこりごりです」
「そうなるわよねえ。私もキョウちゃん以外の男はこりごり。同窓会なんか三十代から出なくなっちゃったわ。家事と子育てと翻訳の仕事で目いっぱいになって……楽しくはなかったけど。最近も誘いのハガキはいつも〈欠席〉に○」
「翻訳はいまもやってるの?」
「ほとんど注文がこなくなった。ポツン、ポツン、二カ月にいっぺんくらい。水泳教室にはちゃんとかよってる。福田さんも菊田さんといっしょにつづけてるみたい。不動産鑑定士のほうも一生懸命やってるようだし。年増同士がんばらないと」
「みんな努力家だね。感心する」
「ぜんぶキョウちゃんが方向づけしてくれたことよ」
「ところで、野球観てくれてる?」
 話を野球に移した。
「テレビでね。野球場はいかない。ごめんなさいね。あまり出歩くの好きじゃないの。新聞は毎日切り抜いてるわ。切抜きの知識は頭に詰まってる。東大一年生から一年半、十七冊以上になった。最近のは、シーズン最短優勝記録、何千年も破られないというホームランと打率と打点の記録、そのほか数え切れず。日本シリーズも最短優勝してね」
「がんばる」
「プロ野球はキョウちゃんにとって、いい棲み家になったわね。初めて落ち着いたんじゃない?」
「プロ野球というより、中日ドラゴンズにね」
「そうね、東大というより東大野球部だったものね」
「ドラゴンズは、飯場に匹敵するほどいい集団だ。みんなすばらしい人間ばかりで、長くいられる感じがする」
「ほんとによかった。落ち着き場所を探すのが難しい人だから」
 なつかしい玉子丼のにおいがしてきた。
「ああ、いいにおいだ。食欲が湧く」
「おいしい糠漬けもあるわ。ナス、カブ、ミョウガ」
「キャベツと油揚げの味噌汁を作りました。けっこうおいしいんですよ」
 三人でいただきますをし、ほかほかの玉子丼を掻きこむ。甘じょっぱさが絶妙だ。
「ああ、うまい!」
 味噌汁。
「うまい!」
 糠漬け。
「絶品!」
「そんなに褒められると恥ずかしくなるじゃない」
「ほんとにうまい。心尽くしの料理だ」
「玉子丼なんて、ねえ」
「そうですよ」
「シンプルなものほど料理の腕の差が出る」
 アヤの天ぷら、ネネと月亭で食った飛騨牛のすき焼き、玉子丼、とにかくきょうは食うものすべてがうまかった。文字どおり慈雨の一日。あらゆる意味で満腹になった。
 ふとテーブルの隅の新聞に目がいき、
「新聞切り抜くの、面倒だろう」
「一日の最高の楽しみ」
「私は神無月さん以外のドラゴンズ関係の記事を切り抜いてます。一冊と少し。ほとんど神無月さんの記事ばかりなので、ドラゴンズだけのものを探すのがたいへんです」
「ビールかけをテレビで中継してたけど、キョウちゃんの後ろに近づく人はたくさんいるのに、ビールをかけるのをやめてやさしい顔で去っていくの。感動したわ。労わられ、愛されてるんだって。江藤選手と二、三人の人たちがかけたわね。キョウちゃん、うれしそうで、涙が出ちゃった」
「私も泣きました。男同士が愛し合うって、ほんとにすてきです」
「日本シリーズは、勝ったら市内パレードをやるよ」
「東大のパレード、思い出すわ。あのころの人たちは?」
「ファンクラブを作ってくれてるから、いまだに付き合いがある。白川という男はぼくの写真集を出して、その印税でクラブの運営費の一部にしてる。鈴下監督は定期的に特殊眼鏡を送ってきてくれるし、中日球場の優勝行進には、バトンのクラブがきてくれた」
「それも観ました。キョウちゃんは日本の顔になっちゃったのね。……私たちみたいな〈隠れ〉はよっぽど気をつけないと、キョウちゃんを追いかける人に嗅ぎつけられちゃう。せっかく落ち着いた場所からキョウちゃんを追放されたくないわ」
「嗅ぎつけられたら嗅ぎつけられたでしょうがない。尻の穴を嗅がれて、くさいから向こうへいけと言われたみたいでやるせないけど、追放されることはいつもシュミレーションしてるから何のショックもない。じゃ、そろそろいくね。ごちそうさま」
 赤ん坊を抱いた石原に寄り添うようにしてサッちゃんが玄関に立った。サッちゃんと小鳥のキスをして門を出る。彼女たちは名残惜しそうに通りの辻までついてきた。
「―キョウちゃん、心から愛してるわ。私のことは何も心配しないで、野球に打ちこんでね」
「うん、またぶらりとくる」
「神無月さん、お会いできてほんとうにうれしかったです。生きていく自信がつきました」
「よかったね。サッちゃんと仲良く、楽しく暮らしてね。子育てがんばって」
「ときどきお逢いできることを神さまにお祈りしています」
「祈らなくても、ときどきくるから。さよなら」
「さようなら」
 二人の立っている辻を振り向いて手を振った。
 小降りになっていたので傘を差さなかった。七時半。どうやって帰ろうかと思った。電車の乗り換えは面倒そうなので、上板橋駅の階段を上り、高架を渡って向こう口のロータリーからタクシーに乗った。眼鏡をかける。
「赤坂のホテルニューオータニへ。時間、どくらいかかります?」
「国道254号から目白通りへ抜け、外堀通りを走って、四十分ぐらいですかね。二千円かからないですよ」
 若い運転手に二千円先払いした。
「学生さん?」
「はい」
「どこの大学?」
「名古屋大学です。高校時代の友人のところへ遊びにきたんです」
 運転手がバックミラー越しに私を見つめた。
「名古屋のほうじゃ、学生運動なんか激しくないの? カクマルとかミンセイとか」
「目立ちませんね。こっそりとやってるようですけど。ぼくは徒党を組んで騒ぐことには関心ないので、彼らに近づきません」
 霧雨の貼りつく窓の外を見やる。背の低いビル街を走る。街並にもネオンにも味わいがない。きのうからきょうにかけて、出会いも三度、別れも三度。一日単位で小規模な人生を繰り返した。
「国道254号線は、別名川越街道とも言いましてね、江戸時代からある道です。むかしは江戸城から川越城まででしたが、いまは北池袋から川越までです。上板橋はむかしの宿駅のひとつです」
「はあ」
 まったく同じ景色。そらは鼠色。
「このあたりは大山ですね。左手は熊野神社で有名な熊野町です。おもかる石があります」
 どこかで聞いたことがある。津々浦々の神社にある石のようだ。ビルの背が少しずつ高くなっていく。
「春日通りに入りました。大塚ですね。この右手の建物、お茶女です」
「はあ」
「隣に付属幼稚園があるんですが、日本初の幼稚園です」
 花崗岩の門柱の上に、ランタン様の青銅色の照明器具が載っている。門の向こうに銀杏並木。
 跡見学園、竹早高校などと運転手が指差すが、はあ、はあと応えるだけで、何の興味も湧かない。伝通院前という交差点を右折。
「ここで254号とお別れ。左の建物が文京区立第三中学校。グランドが文京区の中学校でいちばん広いんですよ」
「はあ」
「いま走ってる坂は安藤坂。伝通院前から神田川に下る坂です。紀伊藩の家老安藤飛騨守の上屋敷があったんで、そう呼ばれるようになりました。ついこないだまでは都電も走ってたんですよ。もともと急坂だったのを、都電を走らせるために削ってなだらかにしたそうです。永井荷風の本に書いてあります。樋口一葉の萩の舎(や)があったのもこのあたりです」
 ちんぷんかんぷん。高層ビルがポツポツそびえはじめる。
「白鳥橋を渡ります。下を流れるのは神田川です。ここで大きく流れを変えるので、この一帯を大曲(おおまがり)と呼んでます」
「はあ」
 下北むつ市の大曲もそういう意味の土地名だったはずだ。じっちゃの話では、大湊線のレールがむつ市からほぼ直角に大湊方面に曲がるからだということだった。
 左折。高層ビルの密度が濃くなり、都心の風景になる。工事中の高速道路の刺股(さすまた)形した橋脚が彼方まで連なっている。
「目白通りに入りました」
「はあ」
 刺股の連なりに沿って走る。
「はい、あれが飯田橋駅ね。明治の初め、飯田町に接して外堀に架けられた橋だから飯田橋。ここから外堀通りに入ります。もうニューオータニは近いですよ。神楽坂下。その右の細い坂が神楽坂」
 いつだったか一度歩いたことがあった。色川武大の小説に、終戦後のこの坂の様子がくどいほど書かれていた。
「ここいらの建物が、ずうっと東京理科大。はい、ここで外堀終わり。ようやく四谷まできましたよ。そこ、四谷駅ね。あと二、三分で着きます」
 石の群れに緑が混じり、見慣れた景色になった。弁慶橋までいかずに左折。
「はい、左が上智大学文学部、ソフィアユニバーシティ。だからこの通りはソフィア通りと言います。このでっかい建物は、有名な紀尾井ホール。あちらに見えますはホテルニューオータニでございます。料金千八百八十円でございます。残金はお返しします」
 スロープ下の車寄せに入り停車する。
「観光案内おもしろかったです。お釣りはとっておいてください」
 おもしろくなかった。何一つ憶えていない。
「親切な人ですね。うるさかったでしょう。私、ふだんこんなにしゃべる人間じゃないんです。緊張してしゃべらずにはいられませんでした。安全運転を心がけましたよ。あんなさびしい駅で、天下の神無月選手を拾ったんですからね。神無月郷、二十歳、大ファンです。すぐわかりました。百八十二センチ、八十二キロ。もう少し大きく見えますね。プロに入って少し大きくなったようですね。いやあ、名古屋大学とは畏れ入りました。どこまでも謙虚な人なんですね。手帳にサインをください、では失礼になります。握手してください」
 私は笑いながら握手した。
「実際、いま身長体重はどのくらいなんですか」
「百八十三センチ、八十三キロです」
「やっぱり入団半年で大きくなりましたね。あしたの大洋戦、出場しますか?」
「二打席ぐらいは出ると思います」
「がんばってください。いつも応援してます。一家でドラゴンズファンなんです」
「ありがとうございます」
 ドアを出て、霧雨に傘を差した。タクシーはゆっくりと引き返していった。


         六

「お帰りなさいませ、神無月さま。ルームサービスのご用はございますか」
「いや、いいです」
 八時十五分を少し回っている。傘を預け、鍵を受け取り、人けのないロビーのソファに腰を下ろす。灯りの淡い、だだっ広い空間だ。腹が渋ってきた。部屋に戻ってトイレに入る。ブブブと音を立てて激しい下痢をした。
 妾の半生涯を開く。家に出入りしていた自由民権の論客たちに刺激を受け、来遊した岸田俊子の演説に感銘し、家族へのもろもろの反逆、自由党員たちとの遊会等不品行の果てに、故郷を捨てて大阪に出る。船中でたまたま知り合った男の仲介で板垣退助に会うことになる。国権主義に心酔。板垣の賛助を得て、東京の有志家を紹介され、女学校に入学する。いっとき勉学に励んだが、政治運動の情熱止まず、途中で放棄。韓国でテロを起こすべく、爆発物を持って海を渡ろうとしたところを逮捕される。これを大阪事件と言うらしい。民権運動家で妻子持ちの重井と恋に落ち、子供ができ、うまくすかされて、捨てられる。彼女自身男女関係にだらしない女だったのだろう。その後人間的にすばらしい男(これも疑わしい)福田友作と巡り合って(かなりいいかげんな経緯で)結婚し、二児を儲ける。常に精神的な興奮状態にあった女だったのだろうと推測する。
 そもそも福田英子にとって、一身を捧げようと決意するほどの自由民権思想とは何なのか。大阪事件にどのようにして関わることになったのか。なぜ福田夫妻は懲りずに韓国に渡ろうとしたのか。ことごとく重要なことが書かれていない。英子の実家に渡韓を妨害されて断念、友作は舅姑問題に悩まされて(男が?)心身に異常をきたし、病死。人が精神の病でそんな簡単に死ぬものか。何が何やらわからない。肝心なところのボカシがあったあとのストリーはわかりやすい。英子は悲嘆に暮れ、三人の子供を抱えて経済的に困窮する。しかし子供たちのために闘わねばと立ち上がり、日本女子恒産会を設立(この経緯がわからない)した時点で、半生涯の記述を終える。百ページもない本を読み終えた。
 結論、現代版枕草子。
 十時を過ぎて、物さびしい気分のまま、ロビー階のバーカプリにいく。ここは十一時半までやっている。適当に客がテーブルに散らばり、見慣れた背中が二つカウンターに並んで飲んでいた。
「江藤さん、小川さん!」
 小川が、
「おう、金太郎さん! 酒飲んでだいじょうぶか」
「少しビールでも飲んで寝ようかと思って。生ビールの中ジョッキください。それから、牛ヒレとエビの焼きビーフン、三人前」
「承知しました」
「ワシらにか。これは正規の食事でなかけん、自腹になるぞ」
「はい。おごります」
「サンキュー!」
「何飲んでるんですか?」
 小川が、
「シーバスリーガルのオンザロック。強いよ。アルコール度四十パーセント。金太郎さんは飲んじゃだめ」
「一日おらんかったな」
「吉祥寺に泊まってきました」
「港の女か」
「はい」
「あしたは最後までレギュラーで締めるそうやぞ」
「はい、ケッパリます」
「俺、先発。五回までで上がって、楽させてもらう」
「大洋の先発は?」
「森中やろ。中継ぎは池田か平松。勝てそうやったら平松を出してくるな。王が三十六号やけん、ワシも少し水を空けとかんば」
「五十七本と三十六本。もうじゅうぶん空いてますよ。ここで江藤さんが打ち止めにしても王さんは追いつけないです。それより、あと五本で六十二本ですよ。マリスを抜きます」
 小川が、
「慎ちゃんはもう安全圏だよ。こっちは切羽詰まってる。高橋一三が十八勝だからな。あと五勝はしないと危ない。あした二十一勝して、と」
 ビールの中ジョッキが出てくる。半分ぐらい一気に飲む。
「達ちゃんが三十八本。王に競り勝ちたいやろうな。水原さんもわかっとうやろう」
 私は、
「キャッチャーで三十本て、野村以来ですね」
「おう、ほんものやな。来年から百十試合以上出るようになれば、五十本は打つ。ワシは達ちゃんに抜かれん記録を作っておかんば」
「俺は最多記録なんか狙わないよ。三十勝以上のピッチャーはエンジンがちがう。稲尾の四十二勝なんてのは化け物だ。とてもじゃないが、目標にならない」
「むかしは中三日がふつうで、三連投四連投もあったけんな。時代がちがうやろう」
「そうやってみんなパンクしていったんだよなあ」
 焼きビーフンが出てくる。箸でつつき合う。うまい。
「みんなもう寝ちゃったんですか」
「外に出とる。アルコールか女やろうもん。マッサージを呼ぶやつもおる。味気なか」
「こんな高級ホテルにもその類の女がいるんですか」
 小川が、
「業務提携してるマッサージ師を呼ぶんだけど、ほとんど男か、六十過ぎの婆さんだね。しかし、どんな上品そうなホテルにも抜け道はあって、気を利かせて若い女を呼んでくれることもある。野球選手にはぬるいんだよ。年間の上客だからね」
「六十歳は興味あります」
「慈善家の血が騒ぐとや?」
「もっと体積の小さい血です」
「俺たちには理解できない血だ。尊敬するよ。心からね」
「ムスコがくすぐったがってます」
 笑いが弾ける。
「あしたは全打席出られるということですね」
「ほうやのう……たぶん」
「打ちまくります」
「ワシも打つばい。レギュラーの責任ば果たさんと。ばってん、平松は厄介たいね。あのシュートはどうしても詰まる。ミートのうまかバッターほど三塁ゴロになる」
「江藤さんは、瞬間的にオープンスタンスに構えて、何度か平松からホームランを打ってますよ」
「いや、一本ぎりたい。情けなか」
「仕事に対する責任感というやつは、ふつうだれだって心の隅に持ってるけど、およそ金太郎さんには似つかわしくないんだな。金太郎さんはそんな堅ッ苦しい気持ちじゃなく、ただ野球が好きだという情熱だけで立派な仕事ができる。まあ球界唯一の人物だ。その情熱に近づこうとしても、なかなかな―」
「近づけん。あとにつづくだけたい。つづく気持ちがあっても、結果を残すのは猛烈な努力が要るっちゃん」
「慎ちゃんも天性の情熱家だよ。責任も努力も意識しないで十一年やってきたろう。たった十一年のあいだに、二年連続で首位打者を獲り、六度ベストナインに選ばれてる。それが責任感と努力の賜物かい? 俺だってそうだ。五年前にひょいと三十歳でドラゴンズに雇われて、去年までに七十三勝を挙げ、最多勝利、沢村賞、ベストナイン。今年も二十勝だ。結局、投げることやバッターとの駆け引きが好きで野球をしてきた。それでいいってことを確認させてくれたのが金太郎さんだ。責任なんかない。ただ打ちまくり、投げまくればいいんだ。責任とか努力なんて話はインタビューのときにすりゃいいさ。素朴にいこうぜ。ドラゴンズがキャプテンを置かないのは、首脳がそれをわかってるからだと思うな。努力じゃなく、鍛錬。それは金太郎さんを見習おう。金太郎さんや俺たちみたいな選手がたくさんいるチームが強いんだよ。そういう選手が一人減り、二人減りしていくときがドラゴンズの黄昏だ」
「……ほうやな。ワシも家族に対する責任なんてこと考えて、商売に手を出してしまったけんな。商売なんて縮こまったことはワシに向かん。ひっくり返ってあたりまえたい。野球もほうやな。責任なんてことに縮こまっとったら、ちゃんと野球ができんようになる。健ちゃんの言うとおりたい。な、金太郎さん」
「はい。責任とか努力より先に認識すべきことがあります。野球をするように生れついた運命です。プロ野球チームのレギュラーでいるということは、その人の才能に与えられたサダメでしょう。人は運命を選べません。責任や努力は拒否できますが、運命は拒否できない。運命がぼくたちに人生を押しつけるからです。才能が衰えるまで、あるいは体力の衰えが才能を発揮させなくするまで、つまり、野球選手としての死を宣告されるまで、ほかの人生を選択できないんです。そういう人生を無視しない決意をするために、責任とか努力とかいう言葉を使って自分を励ますことには反対しません。でも、江藤さんや小川さんのような天才には、過剰な努力や励ましは必要ありません。必要なのは、死を宣告されるまで野球選手として生きるという選択だけです」
 江藤が私の肩をギュッと抱いた。小川がギュッと握手をした。
「サダメに従って勝ったり負けたりしよう。勝ち負けは人生の本質じゃないんだな。サダメの付属物だな」
 カウンターでグラスを拭いていたバーテンが、
「人生の本質は、運命に従うということですよね。そして、どんな職業であれ、運命というのは才能のことなんですね」
「はい、だれでも大なり小なり才能を持ってます。それを早く見つけて、運命の列車に乗れば、あとは遠近に関わらず終着駅まで連れてってもらえます。チームメイトは運命の列車の同伴者です。運命の走路を断ち切らずに列車を走らせつづけるには同伴者の協力が欠かせませんが、協力し合う気にになるためには一人ひとりの情熱とおたがいの愛情が必要です。終着駅に着いたとき、それが再生のエネルギーに変わります」
 小川が笑いながらバーテンに、
「人が思いもつかない考えを、ここまで簡単に説明できる人間はいないよ」
「はい、天才は野球だけじゃないようですね」
 江藤が、
「金太郎さんは天才と呼ばれるのを嫌うけん、こういう人間やとだけ言っとくわ。ビーフンうまかねえ、名人たい」
「ありがとうございます。お替わりいきますか」
「おお、お替わり作ってや」
「神無月さんは」
「酒はもういいです。ここはポリネシアン料理を出すみたいですけど、燻煙ステーキというのがそれですか」
「はい。薪窯焚きの炉で焼いたステーキで、燻煙の香りがほんのりついて独特の仕上がりです」
「それの一人前を三人前ください。それとサラダ三人前」
「かしこまりました」
 江藤に、
「宇野ヘッドコーチに阪神タイガースの藤本について聞きそびれたので、知ってることを教えてください」
「そこまで興味あるちゅうことは、子供のころの思い出が深いちゅうことね?」
「深いわけじゃなくて、足が小さいことを羨ましく感じたことが頭にこびりついてるんです。ぼくバカの大足ですから、いつも劣等感を持ってました。あの当時、足が小さいと言われたのは、プロ野球界で藤本一人だったと思います。思い出せるのは、彼の足が小さいせいで、豪快なスイングをするとよく下半身を故障する、と野球雑誌に書いてあったことです。足が大きいほうがいいのかと胸を撫でろした憶えがあります。テレビで何度か彼のフルスイングを観ました。たしかに豪快でしたが、下半身を痛めるようには見えませんでした。あとは島倉千代子の旦那さんだったということですね。まあ、そんなところが思い出のカケラです。拾い集めたくなります」
 江藤が、
「藤本勝巳はおととし引退したばい。昭和三十年くらいやったかな、藤本がタイガースに入団したのは。ワシより三、四年先輩や。ワシがドラゴンズに入団した二年目の三十五年に、藤本は森徹や長嶋を抑えてホームラン王と打点王を獲った。二十二本、七十六打点。かわいらしいもんやろ。藤本が島倉千代子と結婚した三十七年は、阪神が十五年ぶりに優勝した年やった。ワシはほとんどキャッチャーで出場しとったから、彼の腕っぷしの強いバッティングば何度も目の前で見た。ガッチリ体型、筋骨隆々。天才やない。それどころか不器用な男という印象やった」
 小川が、
「俺も、昭和四十年から三年ぐらい対戦した。彼が遠くへ飛ばそうとしてバランスを崩してたころだね。ホームランを一桁ぐらいしか打てなくなってた」
「そういやフォームがギクシャクしとったな。努力家がフォーム崩すと元に戻らん。故障しやすうなるしな。とうとう一塁の定位置を遠井に奪われてしまもうたとばい。遠井はミートがうまかったけんな」
「藤本は練習の虫という評判だった。素振りは、シーズン中は一日五百本、オフは千本。球場にいく前は早起きして、甲子園浜までランニングを欠かさないときた。さっきの話じゃないけど、だれもが認める努力家だったんだな。背番号5、百七十五センチくらいで、八十キロ近くあったんじゃないか」
「足が小さいゆうのは有名で、あのガタイで二十四センチしかなかったんやなかったかな。ふくら脛や太腿をよう痛めとった。で、ダイエットした。これが裏目に出て、打球が飛ばんようになった。馬力がなくなったとたい」
「気にしなきゃよかったのになあ。そのアンバランスで長年やってきて、大きな故障がなかったんだから。水原さんの東映との日本シリーズじゃ大活躍して、三割打ってホームラン二本。それなのにその年にダイエット」




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