十

 ホルモンがドサッと運ばれてくる。則博と私のほかの五人もめしを注文する。シマチョウ。牛の大腸。硬い。菱川が、
「テッチャンか。噛むほどに旨味が増す。うん、くさみがない」
 キムチとテクダンスープがうまい。めしが進む。ときどきビールをチビリ。ころころした形のマルチョウ。牛の小腸。甘くて脂っぽいが、何のくさみもなく、適当に硬くてうまい。菱川が、
「それコプチャンとも言います」
 江藤が、
「ヒシ、おまえ、焼肉食いつけとるんか」
「入団してからです。堀越のファンによく近所の焼肉屋に連れてってもらいました。いまは自分でいきます」
 とにかくキムチがうまい。チシャバという葉っぱが出てくる。肉を巻いて食うもののようだ。遠慮する。肉はそのまま食う。ハラミ。赤身だ。柔らかくてクセがなく、食いやすい。歯応えもある。菱川が、牛の横隔膜です、と言う。
「ビール、五本! クッパとオイキムチ七人前。それを食ったら帰るぞ!」
「オス!」
 ビールを瓶二本くらい快適に飲めるようになっている。うれしい。学生客の一人が、
「やあ、プロ野球選手はよく食うなあ。さすが」
 また奥のテーブルのドラゴンズファンの一人が、
「来月、後楽園の巨人戦が三試合あるんですよ。かならず応援にいきます」
 江藤が、
「ありがとうございます! あんたら巨人ファンにいじめられんようにせいよ。この店の人たちごて品のよか人間ばかりでなかけん。のう、金太郎さん。殺されかけたんやけん」
 太田が、
「彼らの発想パターンは、巨人だけが正義、巨人以外は悪、アンチ巨人は敵、です。中日から巨人へいった浜野は、もろにそのたぐいの暴言を水原監督に吐いて訣別しました」
 土屋が、
「浜野さんの話なんか、まだヤワいと思います。このあいだ球場の廊下で何気なく長谷川コーチと足木マネージャーの立ち話を耳に挟んだんですが、中日新聞に舞いこんだ投書のことを言ってました。―あろうことか弱小貧乏ドラゴンズが優勝してたいへん憤っている、日本人なら巨人の優勝および日本一を一日でも早く見たいと思うのが当然だ、非国民しか住んでいない名古屋はもう一度伊勢湾台風に襲われて更地にされるべきだ……」
「ひでえなあ!」
 客たちがどよめいた。私は笑いながら、
「彼らの楯は言論の自由、要するに悪口雑言の自由です。自分たちの言うことは悪口雑言ではないと彼らは本気で思ってますから、何を言い返しても空しいでしょう。笑っているか、さびしく泣いているにかぎります」
 巨人ファンの一人が、
「泣いたらだめですよ! 世界一の男が! 川上監督だって頭を下げたじゃないですか。そんなことを言うのは脳味噌の腐ってる一部のファンだけです」
 菱川が眉間に筋を立てて、
「つまり、彼らにとっては権力だけが正義、権力に歯向かう者は容赦なく粛清、ということだろう。かつてのドイツの独裁者とまったく同じ発想しか基本的にはできないということだよ。これが意外と伝染力のある考え方で、プロ野球選手たちには例外もいるけど、上層部はまちがいなくそうだな。ドラゴンズ以外は」
 店主が、
「がっかりしないで戦ってください。見る人は見てますから」
 江藤が、
「ありがとうございました。じゃ、引き揚ぐるぞ。きょうはごちそうさまでした」
 店内に、
「中日ドラゴンズ、バンザイ!」
 の声が上がった。愛してる! と叫ぶ卓もある。三万円近い金を払って店を出た江藤に、みんなでごっつォさんを言った。
「みんなきょうはすぐ寝れや。いやな話はすぐ忘れてな。川上監督がなしてクビにならんか、しかとわかっただけでも儲けもんたい。スッキリしたやろう。国民がバックについとるちゅうことばい。ワシら野球馬鹿にバックは要らん。友、家族、恋人がいればよか」
「オース!」
 ふたたび二台のタクシーに乗りこんだ。
         †
 九月十九日金曜日。九時起床。きょうも八時間以上寝た。いくらでも寝られる。曇。二十四・七度。クール半ばの中休みの日。ほぼひと月のあいだに五チームと対戦し終わればワンクール終了となるが、開幕が四月の一週目から始まらないせいで、一年間常に変則的な日程編成になる。ひと月が半月になったり、ひと月半になったり、結局クールなどあってなきがごとし。だから選手のだれもクールのことなど意識したことがない。クール期間中の中休みだけが、からだを伸ばす憩いの日々となる。
 シャワーを浴びる。湯殿が冷えびえとしている。焼肉のにおいを洗い流すために髪を洗う。
 十六階の中宴会場でバイキングをすませる。隣にいた中が笑いかけ、
「愛宕神社にいってみないか」
「いきましょう。で、何ですか、そこは」
「港区の名所。徳川家康創建。三十メートルくらいの愛宕山にある。男坂、女坂で有名だ」
「円地文子の女坂ですね。読んだことありませんけど」
「あれは象徴的な題名で、愛宕神社とは関係ないんだ」
「そうですか。帰りに買って読みます」
「金太郎さんはものを書きだしたから、いろいろ勉強したいんだね」
「はい。いろいろな作家の文章を見ておきたいです」
 ワシもいく、俺もいくで、江藤と小野と菱川、太田、星野までくることになった。小野が、
「私と利ちゃんは神頼みの必要があるしね」
 玄関に出る。薄曇。すっかり秋の気配だ。タクシー二台に分乗していく。日枝(ひえ)神社を過ぎる。運転手が、
「外堀通りです」
 あたかも官庁街とおぼしき街並を通って、
「桜田通りです」
 何通りであれ、さっぱりわからないのでどうでもいい。めまぐるしく右折左折を繰り返して十分、愛宕神社に到着。目の前に緑の樹木に縁取られた石段がそびえている。大灯籠を左右に据えた背の低い木造の鳥居の前に、東京名跡愛宕神社出世の石段、という大看板が立っている。中が、
「この石段が男坂。八十六段。四十五度の傾斜、段幅二十センチ。踊り場がないから、一度登りはじめたら登り切るしかない」
 私は、
「右の少し細めの階段が女坂ですね」
「そう。さ、登ろう。火伏せの神さまだけど、いいか、炎症を抑えてくれるわけだから」
 みんなでゆっくり登っていく。五、六人の老若と行き交う。挨拶する。ジャージ姿の男の群れを不気味がる人もいる。
「なぜ出世の石段と言うんですか」
「三代将軍家光が、ここから南へ一キロぐらいのところにある芝の増上寺に参詣した帰りに、愛宕山の満開の梅を見て、だれかあれを馬で取ってこいと命じたんだね。そのとたんに馬でパカパカ登りはじめたのが、四国丸亀藩家臣曲垣(まがき)平九郎」
「おお、曲垣平九郎、聞いたことあるばい」
「山上の梅を手折り、ふたたび馬で降りて、家光公に献上した。泰平の世に馬術の稽古怠りなきことまことにあっぱれである、と家光に褒められ、日本一の馬術の名人としてその名を全国に轟かせた。大出世」
「中さん、一度きたことがあるんですね」
「ない。ロビーのパンフレット」
 ドヤッとみんなで笑う。何ということもなく登り切り、一の鳥居。右手に三角点。二十五・七メートル。天然の山として二十三区で一番の高さという表示がある。上から見下ろしてみると、いかに急な石段かがわかった。当時は丸太を埋めこんで段状にしたものだったろう。この勾配を馬で登った平九郎、恐るべし。階段のふもとを見渡す。白っぽいオフィス街だ。緑の多い境内に向かう。鳥居をくぐるとき、小野と中に釣られて全員で一礼する。小野が、
「真ん中を進むのは避けてね。神さまの通り道だから。神無月くんはいいよ」
 また和やかな笑い。すぐ左手に手水舎。軽く一礼。小野が、
「手と口を清める。柄杓で水を掬って左手に、それから左手に持ち替えて右手にかける。また右手で掬って左掌に水を溜め、口に含んで漱(すす)ぐ。手で隠して水を吐き出す。口をつけた左手に水をかける。柄杓をもとに戻す。神さまの前に身を清めるための作法だよ。神無月くんはいいからね」
 江藤がカッカッカと笑う。丹塗りの門をくぐると、突き当りに小振りな社殿。左手に手折りの梅の木が残っている。両脇に絵馬などもぶら下がっている。みんなで賽銭を落とす。中と小野が前列に立つ。見よう見まねで深い辞儀を二回。拍手(かしわで)を二回。祈る。一日でも長く、彼らと、彼女たちと、すごせますように。命への嫌悪感が消えて、感謝の念だけに満たされますように。深い辞儀を一回。
 弁財天社、太郎坊社、稲荷社には寄らず、弁財天横の美しい池へ。鯉が泳いでいる。緑が深く、秋の花もきれいだ。桜田烈士集合場所。桜田門外の変のときに水戸藩士の集まった場所のようだ。石碑が建てられている。中が、
「明治元年に勝海舟が西郷隆盛を誘い、この山上で江戸市中を見回しながら会談し、江戸無血開城を決めた。これもパンフレット。当時はどんな景色だったのかなあ」
 女坂を降りて戻る。中が、
「大リーグの四球団が懲りずに、金太郎さんの獲得を申し出たそうだ。東地区のヤンキースとオリオールズ、西地区のジャイアンツとドジャース。小山オーナーに入札申請を求めたけど頑として撥ねつけられた。入札など問題外、国宝はぜったい売らない、の最後通告だ。最後最後と言って、これで三度目になる。さすがにもう来年までは獲得交渉は持ち上がらないと思うよ」
「安心です」
「それだけ?」
「はい。友だち付き合いは狭いほうがいいですから。外国人にまで拡げるつもりはありません」
 みんなひとしきり柔らかく笑う。
 愛宕神社前の交差点から、ゆくてに見えるトンネルに向かって歩く。上が愛宕山のようだ。百メートルほどのトンネルを抜けると桜田通り。タクシーでも拾うかと言い合いながらぶらぶら歩いていると、干物専門炭火焼杉田という食い物屋があった。十時開店とある。太田が、
「焼魚だけ食っていきませんか」
 星野が、
「食いたいです!」
 即決で、ぞろぞろ入る。十時を回ったばかりなので、客は三、四人しかいない。厨房に男が三人、息の合った動きをしている。小上がりの二つのテーブルを占領する。壁に二十種類以上の品書きが貼ってある。江藤が、
「最近、炭火焼ゆうもんが流行ってきおったな」
「備長炭と書いてありますよ」
 小野が、
「ガスがあまり出ない、火持ちのいい炭だね。焼物にはもってこいだ」
 ポチポチ客が入ってくる。エプロンをした中年の女店員が三、四人いる。中の一人が注文をとりにきた。
「いらっしゃいませ。十一時半を回ると行列ができるほど混みますので、いいときにいらっしゃいました。おや、こちらさん……あ! 優勝したドラゴンズ」
 中が、
「静かにお願いします。魚ちょっとつまんだら帰りますから」
「あ、すみません。だめですねェ、素人は。有名人を見るとはしゃいじゃって。ご注文をいただきます」
 江藤が、
「まず、瓶ビール四本。グラス七つ。と、それからワシは、ギンダラの西京焼き」
 小野は、
「サーモンハラス干し」
 中、
「サンマの開き」
 私、
「鯖の天日干し」
 菱川、
「鯵の開きとライス」
 太田、
「トロホッケの味噌漬け」
 星野は、
「アコウ鯛の開き」
「はい、承知しました。少々お待ちくださいませ」
 ビールで乾杯。
「みんな何ば祈ったと? ワシは何も祈らんかった。ありがとう、だけや」
 小野が、
「シリーズで一試合でも投げられますように」
 中は、
「水抜きしなくてもいいようになりますように。無理だな」
 太田が、
「早く固定レギュラーになれますように」
 菱川が、
「俺もでっかい願いごとしちゃったんだけど、言っていいのかな」
 私は、
「いいんですよ。得体の知れない神さまには以心伝心といかないんですから、人間に口伝えがいちばんいいです」
 菱川は照れくさそうに笑い、
「―来年四十本打ちたい」
「五十本いきますよ」
「神無月さんはすぐそれだ」
「冗談でなく。……ぼくは、この幸せが長くつづきますようにと祈りました」
 星野は、
「故障しませんように」
 ピッチャーの願いは切実だ。


         十一

 品物が並び、食いはじめると、みんな無言になった。私も黙った。こんなにうまい焼魚を食ったことがなかった。雅子も敵わない。
「なんじゃァこれは! うまかなあ。皮パリパリもうまか。おばさん、色紙あるね」
「あります!」
「持ってきて。厨房は挨拶にこんでええよ。長なるけん」
 江藤は女の持ってきた色紙の真ん中に、

 うまか! 

 と書いた。小さく(江藤・ギンダラ)と添えた。残りの六人が、日本人に生まれてよかった(菱川・アジの開き)、とか、日本一(太田・トロホッケ)、とか、東京湾の粋ここにあり(中・サンマの開き)、とか、これぞサーモンハラス(小野)などと、思い思い、放射状にサインした。私は、まことにごちそうでした(神無月・サバの天日干し)、と書いた。
「ありがとうございます。お味噌汁、サービスでどうぞ。いまお持ちします」
 これまた絶品の味だった。みんな最後の一滴まですすった。江藤がまとめて勘定を払い、上機嫌で通りへ出る。
「利ちゃんのおかげで、赤坂にいい店ば見つけられたばい」
「遠征先でガツガツ練習する必要はないし、休みの日はノンビリしないと。監督なんかお手本見せて、きのうの晩から家に帰っちゃってるよ」
 タクシーをつづけて二台停め、
「有名な本屋で一人降ろしてください」
 私が言うと、江藤が、
「みんなでいくばい。ワシらを暇にすな」
 全員でいくことになった。中老の運転手が、
「一ツ木通りの金松(きんしょう)堂ですね。小さい本屋ですよ」
「大きい本屋はないですか。ニューオータニに近いところで」
「地下鉄半蔵門駅の出口にある山下書店かな。大きいです。ニューオータニから一キロほどです」
「そこ、お願いします。歩いて帰れる」
 助手席に乗りこむ。後部に江藤、星野、中。後続車にからだの大きい小野、太田、菱川が乗った。
「……おお! ドラゴンズさんですよね」
「はい。休日なので、散歩です。愛宕神社にいってきました」
「愛宕山から本屋さんへ散歩の足を伸ばすなんて、シャレてますね」
 江藤が、
「みんな無骨者やけん、たまには勉強せんとな」
 中が、
「チームメイトに物書きがいるから、刺激を受けないわけにはいかないよ」
「神無月選手は中日新聞に小説を書いてらっしゃるんでしたね。本になったら、読まさせていただきます」
 星野が、
「俺、もうスクラップブック作りました。迫力というか、こう、胸にグッとくるんですよね。すごい―」
「ワシャ、金太郎さんの歌も、小説も、泣けて仕方ないわ。このごろは、ホームランば打つ背中を見ても泣ける」
 運転手はチラと私を見て、
「……神秘的です。圧力みたいなものがあります」
「あんた、まともな神経しちょる」
 山下書店に着く。千円払う。律儀に八百四十円のツリを寄こす。しみじみとした気持ちで受け取った。
「中日ドラゴンズ、小っちゃなころからずっと応援してます。がんばってください」
「ありがとっす」
「ありがとうございます」
 六階建てビルの一階の角地をほとんど使っている大きな本屋だった。後続車も到着する。私たちが入っていくと店内がざわついた。店員も客も恐れをなして寄ってこない。レジの女店員に、
「円地文子の女坂ください」
「はい! 少々お待ちください」
 角川小説新書と新潮文庫を持ってきた。文庫のほうを選ぶ。
「カバーはしなくていいです」
 六人も棚を物色しながら回りだした。星野はなつかしそうに別冊少年サンデーを手にしたが、最終的にガロを、江藤は小説推理、小野はカーグラフィック、太田は週刊テレビガイド、菱川は平凡パンチ、中は歴史読本を買った。店を出てビルの谷間を歩く。中が、
「本を買って帰るときの気分というのは、何とも言えずわくわくするね。この紙袋を持ってる感触がね」
 太田が、
「そうですね、テレビガイドでもそんな感じです」
 殺風景なビルの谷間を歩く。パブやスナックがポツポツあるきり。
「この道、ランニングにもってこいですね」
「ワシもいまそう思っとった。清水谷公園よりよかよ。鏑木さんは、もうドラゴンズにランニングの何たるかを教える必要はなくなったて言うとった。二つのジリツて。みずから立つ心、みずからを律する心、それを養うのがランニングやそうや。がんらい技術を教えるものやないとな。来年からトレーナーの勉強を始めるげな」
「またオールスターでバッティングピッチャーをやってもらわないと。すばらしいコントロールですから」
 清水谷公園に出る。紀尾井坂。昇り切ると、ホテルニューオータニ。十一時二十分。駐車場を巡って、タクシー乗り場のある正面玄関へ。ロビーで解散。みんな浮きうきと部屋へ戻っていく。
 昼の会食をオミットし、机に向かう。妾の半生涯の裏切られたような読後感が気になっているが、屈することなく女坂を開く。映画館の幕が開くときの心踊り。
 話は明治に入ったあたりのようだ。白川行友という四十五歳の男は、栃木県で県令補佐の大書記官(現在でいう副県知事)をしている。維新の成功者だ。豪放で色好み。物語の背景は、家庭内に正妻と、妾として女中を何人か置くことに違和感を持たれない〈旦那さま・家父長〉専制の時代。ひとつ家に祖父母から孫まで何世代も共生し、書生や住みこみの女中がいて〈旦那さま〉を中心に人間関係が構成されている。絶対的な力関係で組織される〈家〉という具体物。それは家父長制というイデオロギーの象徴でもある。
 正妻の名は倫(とも)。三十三歳。女盛りだ。行友は倫に東京で新しい妾を探してくるように命じる。倫は九歳の娘といっしょに上京する。じゅうぶんショッキングな書き出しだ。私はすぐさま、倫を開明的な女に置き換えればカズちゃんだと見抜いた。開明的でなかった場合のカズちゃんの苦悩を探りたいという気持ちで読む。
 もし倫が、すべての感覚を専有したいほど行友に執着し、常に感覚の喜びを与えていると信じているするなら(暗愚だけれどもそれも愛情にほかならない)、愛する者に感覚の喜びを与える自分以外の相手を探しにいくというのは、異様な行動に思える。愛する者の感覚は独占したいはずだからだ。しかし、カズちゃんたちのことを考えて、独占したがらない女もたしかにいると思い直す。カズちゃんたちにしても、自分と同じほどの快楽を男が感じる生きものだとしたら、ほかの女をあてがう気にならないかもしれない。男がそういう生きものでないことを彼女たちは知っている。いつかカズちゃんは、男の快楽なんて女に比べればちっぽけなものだと言った。彼女たちはその一点で安心しているということになる。倫がカズちゃんたちと同じ考えの持ち主だとすると、倫の行動はそれほどショッキングなものとは思えない。だがこの小説の趣はちがう。倫はじめすべての女を暗愚なものに描いている。
 さて、倫はツテを頼って、さまざまな娘を物色した結果、須賀という名の十五歳の少女を〈買って〉くる。親も承知なので、買うという表現になる。温情主義的家父長制(パターナリズム)のもとでの人身売買は、貧者の救済という名目がまかり通っていた時代のふつうの慣習だった。須賀は、のちのち騒ぎを起こしそうもないおずおずとしたたたずまいなので、そこを倫は気に入った。
 行友に、世間倫理に照らしてわずかな悖(はい)徳の意識はあるにちがいないけれども、彼自身の感情にいささかも乱れはない。大奥を相手にする将軍気取りで振舞っていただろうと思われる。行友は着々と女を増やしていく。女に多少でもそういう男女関係に鬱屈があるかぎり、生臭い行為が重なれば、家の中は憂鬱な諦念の絆で結ばれた女の園になる。嫉妬し合うことも、いがみ合うこともない、傷ましい連帯感。彼女たちは、愛することのできない行友からの解放を求めている。肉体的な快楽を感じるだけでは不足なのだ。
 疑問が湧いた。彼女たちは行友から解放されてどこへいきたいのだろう。〈正式な結婚生活〉を提供する男のもとへか。それは、愛のない不毛な快楽からの解放ではなく、形式の整っていない快楽から、形式の整った不毛な快楽への〈移動〉にすぎない。不毛から愛の充実への解放ではない。実際、由美という女中の、不毛から不毛への移動が描かれる。私はさびしく笑った。夜七時半読了。
 うなぎのルームサービスをとる。食いながら考える。かつて女は〈正式な形〉の中へ肉体を囚われることを解放と見なした。現代の女は? 〈正式な形〉の中で男を世話する拘束から逃れ、フリーセックスを堪能できる立場を得ることを解放と見なす。どちらの女も肉体を手離さない。女は肉体と形式にすがったり反発したりする生きものだからだ。たぶんそれが理由で、〈女の一生〉的な物語が古今書き継がれてきた。男は形式の枷を非情なものとして、あるいは反発的に描くことはあっても、肉体の悲哀は書かない。肉体にすがったり反発したりする生きものではないからだ。カズちゃんの言うとおり、快楽の滋味に乏しい生きものだからだろう。その反動で、愛を描く。女流の小説で、身を搾るほどの献身的な愛の物語にいき当たったことはない。
 カズちゃんや睦子たちは、形式も破天荒も忌むことなく、ただ愛する男を慕い、まるで封建時代の女のように潔く操を立て、フリーセックスを拒否する。彼女たちはどこからやってきたのだろう。彼女たちは、過去現在未来の典型から逸れた、まったく別の生きものにちがいない。
 近い将来みずから命を絶とう、いややめようという気持ちを繰り返しながら、私は生きている。例外的に貴い彼女たちを捨てて死ぬことにどんな意義があるのか、最終的な結論が出る日まで脳味噌を搾って考えなければならない。命を嫌悪し、命に倦じてしまったという怠け者の理屈を一身の正義として貫くことの是非を、七転八倒して考えなければならない。そして、怠惰な理屈と報恩の信念の堂々巡りの中で狂い死にする人生を選ばなければならない。
 八時。昨夜整理したダンボール箱をフロントに出し、十六階の会食場へいく。食事時間は七時から九時まで。というより、配膳が九時までというだけで、それ以降は配膳された残り物を十時くらいまで自由に飲み食いしていてよい。そのあたりに従業員が片づけにくる。みんなビールを飲んだり、箸を動かしたりしている。生き延びられる空間。安らぐ。おとといの焼肉屋組は、江藤を除いて姿がない。だれかの部屋に集まって、日本シリーズの展望などを肴に気勢を上げたり、自分たちの技術を反省し合ってしみじみとコーヒーを飲んだりしているのかもしれない。小川が、
「三階のジムにいってきたよ。一日でも筋肉の鍛錬を怠けると落ち着かないんだ」
 高木が、
「俺も三階でマッサージ受けてきた。池藤チーフよりも押し揉みが弱いけど、丁寧だったな」
「ねえちゃんか」
「熊みたいな男よ」
 平和な話が心を浮き立たせる。太田が、
「あしたから試合開始が六時に早まるそうですよ」
 一枝が、
「秋だもんなあ。日の暮れも、冷えこみも早い。年寄りには応えるぜ。チャンチャンと点を入れて、早めに交代させてもらおう」
 江藤が、
「修ちゃんもそろそろ三十やな。同期はだれね」
「明大でいっしょだった阪神の辻佳紀、河合楽器でいっしょだった巨人のメリーちゃん、ドラゴンズだと、健太郎さん、達ちゃん、陽ちゃん。同期と言ってもなあ、同い年は辻だけで、健太郎さん以外の三人は年下だ。やっぱりベテランになっちゃったんだね」
 伊藤竜彦が、
「俺も今年二十九だよ。慎ちゃんと同期だから、十一年目。大ベテランだ。ずっと控えの人生だったな。内野も外野もこなしてきた便利屋さんだ。権藤さんと交代で三塁を守ったこともある。十一年でホームラン三十本、二割前後。一割台の年も半分近くある。能あるベテランじゃない。どんなチームも、俺みたいな中途半端な選手をたっぷり抱えてる。そういうやつらで回していかなきゃならないチームは弱い。来年、千試合出場がかかってるんで、それを達成させてもらったら、トレードか引退だな」
 さびしいことを言っている。同期の江藤は聞こえないふりをしている。前菜、握り鮨六貫、シューマイ六個、海老と野菜の天ぷら、ステーキとライス。腹いっぱい食い、部屋に戻る。いつもながら、肉を食えるようになっている自分に驚く。義務感から努力して始めたことだったけれど、いつのまにか習い性となった。
 山口に電話を入れる。明るい声でおトキさんが出て、すぐ山口に代わった。
「よう、神無月、獅子奮迅の一年だったな。おめでとう。受賞パーティは高輪だろう。会いにいくよ」
「ありがとう。生き延びられたおかげだ。感謝してる」
「くだらん。おまえの生命力の賜物だ。五百野、絶佳なり。二足のワラジに何の疑問もない。あとは足跡を残すだけだな」
「褒めすぎだ。いよいよあした出発だね。おまえもついにここまできたな。大きな足跡を残してくれ」
「精いっぱいやる。入賞すれば、記念レコードが出るからな。それがデビューだ」
「かならずそうなるよ。食い物と水に気をつけて、よく寝て、しっかり戦ってくれ」
「おお、おトキさんが名古屋に骨休めに帰るからよろしくな」
「心配するな。いつもねんごろにな」
「承知のすけ。おまえは自重しろよ」
「自重する。じゃ、がんばってこい。吉報を待ってる」
「……神無月」
「なんだ」
「おまえがいなくなったら、俺の人生もなくなるからな」
「わかってるよ。痛いほどわかってる。じゃあな」
「じゃ」
 テレビを点け、九時からのニュースを観る。赤坂東急ホテル開業のニュースをやっている。うとうとした。
 束の間の夢を見る。山口がとんでもなく広いホールでギターを弾いている。静寂の中に哀調を帯びた旋律がきらめく川の水のように流れていく。私は暗い森を流れていた川を思い浮かべながら涙を流している。この男と兄弟のように歩んできた。―ふと隣の席を見ると、康男が反り返って椅子に腰を下ろし、涙を流している。話しかける。
「三人兄弟だね」
「……ミナシゴのな。……どんだけ苦しくても、乞食だけはせんぞ。助け合って生きていくんや」
 乞食の意味がわかって、私も落涙した。


         十二

 九月二十日土曜日。八時起床。秋晴。カーテンを開けると上空にイワシ雲が固まっている。二十二・二度。軟便、シャワー、歯磨き。清水谷公園を五周。もう一度シャワー。
 ロビー階のカフェラウンジ・サツキで朝食。二千円。球団のツケとは言え、高い。店内は六割から七割の一般客で埋まっている。セルフサービスなので受け皿に取っていく。ステーキの切り身三切れ、目玉焼き一つ、ライスどんぶり盛り、赤ダシの味噌汁、キンピラゴボウ、鮭一切れ、サラダ一皿。盆を持って二度往復した。
 フロントでなだ万弁当注文。部屋に戻って三種の神器三十回ずつ。片手腕立て十回ずつ。ウォーミングアップ完了。
 テレビを点けると、TBSでポーラテレビ小説『パンとあこがれ』という連続もののドラマをやっていた。一時四十分からの二十分番組。内容は文字どおりパン屋の話。戦時中を背景にしているスカン設定。ふつうはこの種の番組はすぐ消すのだが、知っている役者の顔をしばらくなつかしんだ。津島恵子、新藤恵美、河原崎長一郎、イーデス・ハンソンまで出ていた。河原崎はインド人役で、カレーパンの創始者を演じていた。新宿の中村屋をモデルにしているようだ。アンパンの元祖は木村屋で、クリームパンの元祖は中村屋というのはけっこう有名な話だけれども、カレーパンの元祖は中村屋ではなく、門前仲町から隅田川沿いに三キロばかり北へいった深川にある名花堂という菓子舗だと、あのマーくんの母親に仄聞したことがある。鮨を食いながらだった。マーくん……ちゃんと野球部に入って、立派なサウスポーになったろうか。彼の家も菓子舗だった。あの一家はいまどうしているだろう。
         †
 明治神宮球場、対アトムズ二十五回戦。ひさしぶりに宇賀神一行の姿を駐車場で見かける。目礼を交わし合う。彼らが少しきびしい顔つきをしているのは、ここはあのファンレターが発信された東京だということと、十月七日からの巨人三連戦を除けばこの二日間が東京での最終戦になるので、油断なく凌ぎ切りたいということなのだろう。杞憂だ。ファンが私に接触できる残り少ないチャンスだとしても、球場の外周りには警官が大勢散らばっているし、松葉会の連中もつかず離れず目を光らせている。
 ロッカールームに入る。大学時代には気づかなかったが、狭くて汚いロッカールームだ。ベンチの後ろにやや広い部屋があり、控え選手たちはそこに荷物を置いている。その部屋の片側の端は通路で、ドアなどない段差の上に男の小便器が三つ並んでいる。不潔な感じだ。三塁側の外に二階建ての建物があって、そこをロッカールームに使ってもいいことになっているが、だれも使わない。いちばん狭いロッカールームと言えば広島市民球場だ。レギュラーがやっと入れるくらいの狭さで、控え選手たちは裏の多目的の部屋に長卓と椅子を置いて使っている。千原や江藤省三は通路に椅子を持ってきて着替えていた。奥に女便所があるので、ときどき球場係員のオバサンたちと目が合ってしまうのが恥ずかしいと言っていた。
 神宮球場のグランド。これも学生時代には気づかなかったが、都心にある球場の中ではいちばん洗練されている。黒土が美しい。内野の送球の白球が映える。甲子園の土は赤味があるので、ここまでくっきりしない。
 六大学野球秋季リーグは九月十三日の土曜日に始まっている。その日から学生野球球の試合時にも球場広告を取り外さなくなった。外野フェンスと危険防止金網のあいだにパネルを差しこむ方式になっている。
 いつも気になっていたことなので、徳武に訊いてみた。
「きょうのように大学野球の試合日程がプロ野球と重なる場合は、試合時間はどうなるんですか」
「併用日と称して、大学側が開始時間を早めたり延長戦をやらずに引き分けにしたりするんだよ。それでも調整がつかないときは、プロ側が練習時間を削る。きょうはちょっと削られるね。ところで、この球場の所有者を知ってる?」
「アトムズ球団」
「ふつうはそうだろうけど、明治神宮だ」
 一枝に釣られて、ベンチの男たちが薀蓄を語りはじめる。中が、
「大正十五年の開場式には、いまの天皇の摂政宮殿下が臨席して、始球式には明治神宮の宮司(くうじ)が立ち会ったんだ」
 傍らに立っていた水原監督が、
「初の試合は、東京対横浜の中等学校代表試合と、六大学選抜紅白試合だった」
 戦前の東京六大学野球黄金期に慶應の中心選手として活躍した宇野ヘッドコーチが、
「太平洋戦争のせいで、昭和二十年の五月に神宮球場のスタンドはほとんど焼えた。スコアボードと照明塔は残ったけどね。終戦すぐの九月にはこの空地を進駐軍が接収して利用した。スコアボードのコンクリートに〈ステイトサイド・パーク〉と書いてあったのを憶えてるよ。ステイトサイドって何だい?」
「本国の、という意味です。日本のものじゃないぞということでしょう」
「なるほど。その後急遽スタンドの改装がなって、十月に東京六大学OB紅白試合、十一月にオール早慶戦が行なわれた。この試合が白熱して素晴しかった。観衆四万五千、延長十一回、六対三で慶應が勝った。この試合にみんなが熱狂したおかげで、戦後の虚脱状態に陥っていた日本国民が奮い立ったんだ。二十一年には東京六大学連盟が復活した」
 水原監督が、
「そのころ宇野くんは慶大の監督をしてたでしょう」
「はい。それから藤倉電線にいって、巨人に入団しました」
「一時肩を壊して退団して、山田五十鈴のお褥役か」
「付き人と呼んでください」
 やはり慶應出身の太田コーチが、
「そのおかげで肩が治っちゃって、もう一度巨人に入り直して中軸打者。そんなやつ二人といないぜ」
「太田くんはそのころ、春季リーグ二連覇しただろう。エース兼五番バッターで」
「うん、二十一年、二十二年ね」
 さりげなくすごい話をしている。
 三時十五分からかなり遅れてアトムズのバッティング練習開始。五十分間。十八日に日本通算百号を打ったばかりのロバーツのバッティングが目につく。四時五分からドラゴンズのバッティング練習開始。五時から三十分、両チーム守備練習。ロッカールームで豪華ななだ万弁当。
 観衆一万一千人。ほぼ三分の一の入り。ほとんどが芝の外野席に集まっている。消化試合の外野スタンドは無料開放されているからだ。そよ風。スコアボードの旗は揺れていない。中日のブルペンになんと板東が出た! 小川が、
「板ちゃん、どっから現れたんだ? だいじょうぶかな。ほとんど練習してないだろ」
 一枝が、
「解説者の仕事をしばらくお休みして出張してきたか。水原監督、これを板ちゃんの引退試合にしてやるつもりだろう。勝ってやりたいけど、松岡が相手じゃなァ。ま、二連敗だけは避けようぜ」
 どうしても板東に勝たせてやりたいと思った。
 スターティングメンバー発表。中日はいつもどおりの打順。先発は板東。アトムズは一番から、センター大塚徹、ショート東条文博、ライトロバーツ、ファーストチャンス、レフト高山忠克、キャッチャー加藤俊夫、サード城戸則文、セカンド中野孝征、ピッチャー松岡弘。球審筒井、塁審一塁丸山、二塁福井、三塁山本、線審ライト寺本、レフト富澤。
 六時、中バッターボックスへ。左手の指のない筒井の右手のプレイのコール。
 松岡の初球、真ん中快速球、ストライク、速い! 二球目、バントするのも難しそうな縦に割れるカーブ、ストライク。ンショ! という気合の声がベンチに聞こえてくる。三球目外角高目に切れ曲がるシュート、空振り。すべてのボールが冴えて手がつけられない。
 ドラゴンズは一回から八回まで打者二十七人、無安打、フォアボール三。フォアボールはすべて私に与えられたもの。内角はいっさい投げず、踏みこんでもスレスレ当たらない外角球を投げられた。ランナーに出るつど盗塁を成功させたが、すべて残塁。十八日の大洋戦を合わせて六連続フォアボールになった。打たせてもらえない。
 一方、板東は絶不調。と言うより、カタナシ。ストレートも変化球も走らず、コースも甘く、二回ツーアウトから八番の中野にレフト前へ打たれたあと、松岡にツーランホームランを(献上)し、三回フォアボールのロバーツを置いてチャンスにライトへツーランを打たれ、四回には城戸にセンター前へ適時打を打たれて、計五点を失った。
 チェンジになり、私たちがベンチに引き揚げて腰を下ろしたあとも、板東はマウンドで四方に手を振っていた。やがて一塁ブルペンからやってくる松岡と入れ替わりにマウンドを降り、三塁スタンドに帽子を上げながら味方ベンチに向かって歩いてきた。もともと吊り上がっている両目が涙で濡れて少し下がっていた。
「板ちゃん、ナイスピッチング!」
 そう叫んで三塁スタンドから応援団長らしき小さな男がグランドに飛び降り、板東に花束を差し出した。きょうが引退試合になるとフロントから情報を仕入れて用意したのだろう。板東はちょっとお辞儀をして受け取った。男が話しかけるたびに、板東はうなずき涙を拭った。それからひとしきり私たちの抱擁と握手がつづいた。わけても江藤はいつまでも板東のからだを離さなかった。
 六回からあとを継いだ水谷則博が零点に抑えて八回裏まで投げ切った。
 九回表。水谷則博の代打伊熊、ライト前へ今シーズン初ヒット。一番中、レフト線へ三塁打。伊熊還って一点。高木フォアボール。江藤、センター犠牲フライ。中還って二点。私、たまたま真ん中低目にきたストレートを掬って、ライト上段へ百四十号ツーラン。四点。木俣三振。菱川三振。四対五でゲームセット。九回完投四失点の松岡は七勝目。板東は初黒星を喫した。一勝一敗。これがプロ最後の年の成績になるだろう。
 インタビューなし。ベンチの奥でずっと試合を見守っていた板東は、敗戦を確認するとゆっくりロッカールームへ去った。そして、バスに乗らずに、江藤たちベテラン組に連れられタクシーで都心のどこかへ飲みに出かけた。
 ベテラン組の中では伊藤竜彦だけが会食に出た。会食のあとロビーでコーヒーをすすりながら、彼から静かに思い出話を聴いた。一編の小説だった。
「昭和三十四年は鹿児島の湯之元キャンプだった。当時のキャンプインは、選手全員が揃っての移動じゃなく、キャンプ地に向かう列車にそれぞれの地元から乗りこむことになってた。その年中日は若返りを図り、新人を十二人も入れた。高校生は、甲子園四羽ガラスと言われた板東英二、河村保彦、俺を含む九人、大学生は立教四連覇の頭脳と言われたキャッチャーの片岡宏雄、社会人は大昭和製紙のスラッガー横山昌弘と慎ちゃん。十二球団随一の大型補強と言われた。……板ちゃんは四国から宇高連絡線でやってきて、岡山駅のホームでポツンと列車を待ってた。一月三十一日の深夜の吹きさらしのホームでだ。肩を大事にしなくちゃいけないピッチャーが、待合室で待たずにね。あとで聞いたところだと、置いていかれるんじゃないかという恐怖で、乗車位置を離れられなかったそうだ。満州から命からがら引き揚げてきた経験からだと言ってた。……食い物もなく、歩くのも遅い子供たちは、置き去りにされたり、中国人に売られたりしたらしい。そういう危ない局面になるつど板ちゃんは、手を離したらたいへんなことになると思って力のかぎり泣き叫びながら、母親のモンペをつかんだということだった」
 連れてってけろ! 昔日の自分の姿が浮かんで、思わず落涙しそうになった。どうにかこらえ、コーヒーをすすった。
「内地に戻ってから逃避行は無蓋車だったから、各駅のホーム待機のときに大小便をしに降りるわけ。男は立ちションですむけど、女は貨車の下で隠れてするから、警笛も鳴らさないでとつぜん発車する車輌に轢かれて死んだ人もいたそうだ。あるとき板ちゃんも小便をしに貨車から降りて、お構いなしに発車されて死にもの狂いで追いかけた。栄養失調で骨と皮になった六歳児がだよ。まさに生死をかけた追走だね。母親が彼の腕をつかまなかったら、いまの板ちゃんはなかったね。置いていかれるんじゃないかという恐怖は、それからのものだよ」
 私はついに落涙した。
「よくあんな明るい人に……」
「なったもんだってことだろ。彼も俺もむかしは暗いやつだったよ。俺たちが明るくなったのは、慎ちゃんの力が大きいかもしれないな。そして、今年、神無月くんのおかげで徹底的に明るくなった。……高千穂……憶えてるよ。東京から西鹿児島まで三十時間かけて走る長距離列車の名前。杉下監督以下、東京や名古屋に住んでるコーチや選手はすでに客車にいた。俺は名古屋組。大御所たちは高卒新人なんか眼中になくて、岡山から板ちゃんが乗りこんできても、酒やトランプに夢中で声さえかけてやらない。挨拶をしても無視する。広島、山口と過ぎて、そして九州。途中からポツポツ新人が乗りこんできても、だれも自己紹介をするわけでもなく、気まずく六人掛けの席で向かい合って座ってるだけ。そこへ熊本から慎ちゃんが乗ってきた。童顔で、トレンチコートはおってさ。彼だけが名乗った」
「なんて言ったんですか」
「俺、江藤慎一、よろしく頼む―。やっぱりだれも応えなかった。慎ちゃんは二十二歳。童顔だけど立派な成人だ。俺たちは十八、九。席に着いてからも、年下の俺たちにあれこれと話しかけてくれるんだ。どっからきたんだ? ポジションは? ワシはキャッチャーでな、なんていろいろね。すごく印象深くて、板ちゃんが言うには、彼の名前しか記憶に残らなかったって。慎ちゃんの明るさは天性のものだね。板ちゃんの契約金は長嶋と並ぶ史上最高の二千万、それなのにぜんぶオヤジに巻き上げられて、ポケットに三万円。慎ちゃんは契約金五百万、そのほとんどぜんぶを親兄弟に送ってしまった。ポケットにはやっぱり数万円しかなかったんじゃないかな。バット一本で家族全員を養う覚悟をしてたようだからね。二人、似た者だよ」
「その江藤さんに板東さんは影響を受けたんですね」
「影響を受けさせてくれるような人じゃなかった。まねなんかできない。一人飛び抜けた身体能力の持ち主だったからね。当時のドラゴンズの練習メニューはハードで有名で、ただ一人慎ちゃんだけがやり抜いた。サバイバル長距離を一人だけ走り切った。湯之元のグランド脇にはトロッコがあって、その線路に足を差し入れて腹筋をやるという練習をさせられた。下はコンクリートなので尻が着地すると、すれて血が滲む。手抜きをしない慎ちゃんは、とうとう大きな腫れ物をこしらえてしまった。それが膿んじゃったので、トレーナーだった足木さんは、練習を休んで医者の治療を受けるように、と進言したけど、慎ちゃんはだいじょうぶと言って受け入れない。鋏で穴を開けて膿を搾り出し、絆創膏を貼って練習にいってしまった。そしてほんとうにそのまま治しちゃった」
 いつのまにか江藤の話になっている。七

 切り身のステーキとサラダが出てきた。
「これはうまか!」
「ありがとうございます」
 サラダもうまい。あっという間に三人平らげた。
「社会人野球までは、食い物で贅沢したことなかったけんな。プロに入って初めて食いもののうまさを知った」
「うまいまずいは措(お)いといて、子供のころから三度三度食ってたろう。金太郎さんは、中三の冬までほとんど朝めしと昼めし食わなかったと何かの記事で読んだ。母親の怠けのせいでね」
「そうとばかりも言えないんです。自分も面倒くさかったからというのもあります。たまにカズちゃんが握り飯やパンを持たせてくれたことがあります。中三の冬からは祖母が弁当を作ってくれるようになりました。感謝はしても、慣れてないのでよく残しました。高一から、からだを作らなくちゃいけないという義務感が湧いてきて、よく食うようになりました。それでも昼めしを食った記憶はほとんどありませんね」
「そんな食生活で、よく立派なからだができ上がったもんたい。やっぱり人間やなかろうもん」
 二人はウイスキーを飲む。私は水を飲む。小川が、
「藤本勝巳か。―結婚当時から藤本のほうの家族がお千代さんをいじめてたようだな。どういじめたのか知らないけどね。ほかにも、芸能界の事情もあったんだろうが、子供は産めないという理由で三人も堕してる。藤本は気に食わなかったようだ。引退してからはミナミで飲み屋を経営して倒産。お千代さんが六千万の借金を肩代わり。去年、お千代さんから八千万の慰謝料をもらって離婚した」
「迷惑かけた男のほうが?」
「おおよ。八千万なんてもんやなか。結婚当初からもっともっと金もらっとる。藤本は金食い虫ばい。お千代さんが藤本を手もとから離さんと猫っかわいがりしたせいやと言われとるばってん、たいがい逆やろう。お千代さんを付け回して金を無心しとるちゅう話のほうぎり聞こえてきたけんな。野球ばやめて腑抜けになってしまいよったとたい。金だけやなか。この二年、やつにはいい話がなか。野球と関係ない話ばっかしばい。人間性ば疑うようなあくどか話がほとんどやけん、金太郎さんに聞かせられん」
「もう聞かせたろう」
 小川が笑う。江藤の目つきは藤本を罵倒するのでなく、叱るそれだった。
「宇野ヘッドの話はそっちへ傾くやろうから、聞き流しといたほうがよかばい」
「無骨で寡黙な人に見えましたが」
 小川が、
「うん、むかしはたしかにそういう男だった。お千代さんのことも、結婚までだれも知らなかったそうだからね。しかし凡人には、金銭欲と性欲はなかなか免疫ができないものだよ」
「ぼくも性欲には免疫がありません。色魔みたいなものです。ワクチンが必要ですね」
「いや、五十、六十の女を抱けるということは、性欲がないということと同じだよ。ふつうでない性欲のなさだ。博愛慈愛に近い、何かもっと、こう、高次元の禁欲だね。免疫がありすぎるんじゃないの。藤本はもてないタイプだから、お千代さんが惚れっぽい女でなければ夢を見られなかったろう。芸能人との結婚が夢だと悟れば、それ相応のありがたみも出るだろうが、夢を現実だと取りちがえてしまうとやばい。そうなると〈無骨〉な頭には金と女しかなくなる」
「野球がうまくいかんことも拍車をかけたんやろう。芸能人と結婚するんやったら、ワシや小野さんのように小粒な女にせんば、負んぶに抱っこになってしもうとたい。小林旭もうまくいかんかったやろう」
 具体的に話が見えてこないので、
「金ばかりでない話というのは、浮気とか、暴力とか」
 小川が、
「……まあ、そんなところだろうけどが、藤本はお千代さんヒトスジの無骨者だ。中絶を止めるために暴力をふるったことはあったかもしれないな。お千代さんが芸能人の体面から、あと先考えずに中絶するのを嫌ったんだろう。避妊はしない。妊娠はする。色好みの女の特徴だよ。俺はお千代さんの好色が招いた破綻だと踏んでる。だから藤本の商売に素直に金も出したと思うんだ。慰謝料請求にもね」
「ふうん、健ちゃんの見方にも一理あるばい。島倉千代子が目医者と浮気したのは有名やけんな。藤本の浮気の話はいっちょ聞かん」
 私は、
「どちらも天然だったんですね。判断はつきかねますけど、藤本さんも島倉さんも、金と情欲。これからも二人は他人に翻弄されつづけるでしょうね」
 バーテンが興醒めしたような視線で、
「神無月さんは、老女趣味ですか」
 江藤が苛立った目をバーテンに向けた。
「趣味はありません。若かろうと年寄りだろうと、愛情を感じなければインポになります」
「いくばい。金太郎さんの心持ちば訊くなんちゅうことは、俺たちに許されることやなか」
「申しわけありません。失礼しました」
 小川が、
「神仏に質問する人なんていないでしょう? 俺たちは、金太郎さんに話しかけてご託宣を聞くだけなんだ。みんな徹底してるよ。ま、気にしないで。金太郎さんは何も考えてないから」
「や、ほんとうにすみませんでした」
 金を払って出た。小川と江藤に礼を言われる。
「ごちそうさん」
「ごっつぁん」
 くすぐったい。廊下に出て、江藤は首を振り振り、
「老女趣味にはまいったばい。慈悲の心というものがわかっとらん」
「とにかく人間でないよ。俺たちは慈悲だけでは婆さんを相手にできん」
「ほうやのう。じゃ、あした四時半からバッティング練習ぞ。四時十五分にはロッカールームに入るばい」
「バスは三時十五分出発ですね」
「おお」
「お休みなさい」
「お休み」
 ロビーで別れた。玄関に出て、雨の具合を見る。ほとんど上がっている。
         †
 九月十八日木曜日。十時起床。きょうもよく寝た。枇杷酒でうがい。アルコールを入れた翌日なのに、ひさしぶりにふつうの排便、シャワー、歯磨き、洗髪。鼻下とあごに少し髭剃りをあてる。備え付けの綿棒で耳カスを取り、先週北村席で切ったばかりだが、すがすがしい気分になりたくて、持参した爪切りで手と足の爪を切る。切り飛ばした爪を拾い集めてゴミ箱に捨てる。生きている。命に対する感謝と嫌悪感が同時に湧く。どちらも十六歳の暗い森から助け出されるまでは湧かなかったものだ。あのころは感謝も嫌悪もなく、痺れたような倦怠だけがあった。森を出て以来、命に対する感謝と嫌悪の両方に取りつかれ、一方を捨てることができない。
 ジャージに身を整え、清水谷公園へ。快晴。二十二・七度。微風。一周したころ、江藤が追ってきてランニングに加わった。一周して、小池で休憩。
「きょうの試合終わったら、焼肉いくばい。タクシーで十分もかからん」
「はい。どういう店ですか」
「去年開店した四谷の『名門』ちゅう焼肉屋たい。うまかぞ。ワシのおごりばい。オトナたちは夜遊びに出るけん、コドモの菱川、太田、星野、則博、紘に召集かけとく」
「はい」
 サツキでみんなと会食。ポタージュスープ、野菜サラダ、ハヤシライスのランチセットを食い、もう一度清水谷公園へいって、素振り、三種の神器。
         †
 順延を挟んだ最終戦のせいか、びっしり満員。場内がひどくざわついている。消化試合―というのに、三、四十人もいる報道記者、カメラマンの群れ。ライトスタンドで横断幕が揺れている。

 
まだまだ見たい神無月選手のホームラン 

 もっと出場させろという願いにちがいない。きょうはフル出場だ。
 川崎球場。王貞治が、初めて一本足打法を披露した球場だ。昭和三十七年、七月一日、ピッチャー稲川、一本足の第一打席ライト前ヒット、第二打席ライトへ十号ソロ、第四打席二死満塁、権藤からセンター左へ走者一掃のシングルヒット。打点四。シングルヒットで満塁のランナーがぜんぶ還るのはめずらしい。ツーアウトで、フライが上がった瞬間全員いっせいにスタートを切ったせいだ。センターオーバーのフライがフェンスに当たって素早く返ってきたので、王は一塁ストップ。ランナーは全員還ってきた。
 中学一年の私はその試合の一部をテレビで観ていた。彼の十号ホームランが飛びこんだ瞬間の、右翼の鉄塔の足もとを鮮やかに憶えている。客はまばらだった。九回のランナー一掃は翌日の新聞で知った。あの日から十日ばかりして、左肘を手術したのだった。利き腕が使えなくなるとも知らずに胸躍らせて画面を見つめていたことを思い出す。
 入団四年目、それまで合計五十六本しかホームランを打っていなかった王が、その年三十八本のホームランを打って開眼した。きのうまで、三百九十三本。今季終了前に確実に四百号に到達するだろう。
 肘の手術から七年。王の一本足の歴史が始まると同時に、私の右腕の歴史も始まった。
 野球をあきらめるどころか、いまこうしてグランドに立っている。なんという幸福!
 四時半。ビジターの打撃練習に入る。気温二十五・五度。風がセンターに向かって吹いている。自分のバットの音が、カキーンとカタカナで聞こえる。
「ナイス、金太郎!」
 ケージに貼りついている田宮コーチの声。遠征帯同の長谷川コーチが、
「ネット裏で大洋OBが観てるな。黒木、麻生、鈴木隆」
 これまた遠征帯同の森下コーチが、
「最終戦や。みんな後輩選手を励ましたいんやろ。これだけOBが見とったら、練習どころやないで」
 と太田コーチが、
「金太郎さんを見にきたのさ。今年の大洋はよくやったよ。うちから何勝」
 カキーン!
「三勝やなかったか。黒いタコ、打撃練習しとらんかったな。今年かぎりという噂やで」ロジャースのことだ。長谷川コーチが、
「坐骨神経痛じゃな。ボロボロだよ。まだ三十五歳で、心残りだろう」
「もう一本!」
 バッティングピッチャーを買って出た太田に叫ぶ。鉄塔の足を狙ったが、わずかに逸れて王ネットに当たった。
 守備練習。バックホーム三本。すべて地を這うワンバウンドのストライク。なんという幸福! 水原監督が三塁側ファールグランドから、
「よく寝たようだね! からだにキレがある」
「二日間、いやというほど寝ました!」
 なんという幸福!
         † 
 照明塔に光球が点りはじめる。ウグイス嬢の声。
「大洋ホエールズ対中日ドラゴンズ二十六回戦、今シーズン最終戦の試合開始でございます。スターティングメンバーの発表をいたします。先攻は中日ドラゴンズ、一番センター中、センター中、背番号3、二番セカンド高木、セカンド高木、背番号1……」
 ライン引きが完了する。
「対しまして後攻、大洋ホエールズ、一番レフト高垣、レフト高垣、背番号58(長田の当て馬だ)、二番ライト近藤和彦、ライト近藤和彦、背番号26、三番センター江尻、センター江尻、背番号19、四番サード松原、サード松原、背番号25、五番ファースト木原、ファースト木原、背番号29(中塚の当て馬だ)、六番セカンド近藤昭仁、セカンド近藤昭仁、背番号1、七番キャッチャー伊藤勲、キャッチャー伊藤勲、背番号5、八番ショート松岡、ショート松岡、背番号23、九番ピッチャー森中、ピッチャー森中、背番号55」
 始球式。川崎市出身の歌手、坂本九。野辺地中学校、雪の積もった校庭、見上げてごらん夜の星を。ニコニコ顔で振りかぶり、山なりのワンバウンド。しかしみごとなストライク。中、遠慮がちに空振り。女のようにやさしい目をしている森中の投球練習。ストレートとカーブが武器なのにキレがない。半田コーチが、
「森中さんはキャッチャーに愚痴を言ったことない不思議なピッチャーよ。とてもやさしくしゃべるの。スタミナないので、南海でもほとんど中継ぎだったネ。十七勝した年もあったよ。もうすぐ百勝よ」
 長谷川コーチが、
「テスト入団でその数字はすごいな。大洋にきたおととしも、いきなり十八勝挙げてるもんな」
 田宮コーチが、
「鶴岡が率いていたころの南海には、テスト生からの叩き上げが多いんだ。岡本伊三美だろ、野村、広瀬なんかもそうだ」
 私は、
「森中って、投げ方が小川さんと同じですね。取っては投げ、ちぎっては投げ。そういうピッチャーって、バッティングセンターのマシンだと思えばいいんですよ」
 高木が、
「なるほど。それでタイミングがとれないせいかな、王にはあまり打たれないんだよ。あのヨイショっというチカラいっぱいの投げ方のせいもあるな」
「うまい!」
 ベンチの後ろのほうにいた水原監督が、パンと手を拍ってベンチ柵へやってきて、高木の肩をひと叩きすると三塁コーチャーズボックスへ歩いていった。森中の名前は千香良(ちから)と言うのだ。長谷川コーチは一塁コーチャーズボックスへ。ウグイス嬢が守備の交代を告げる。やはり木原の代わりに中塚がファーストの守備に、高垣の代わりに長田がレフトに入った。どう考えても当て馬の意味がわからない。


         八

「プレイ!」
 柏木の右手がピッと上がる。
「一番、中、背番号3」
 森中ワインドアップ。中が右足でリズムをとる。森中、からだを目いっぱい使ったオーバースローから投げ下ろす。ストレート。豪快なフォームとはちぐはぐに、ボールに伸びがない。寝かせたバットが軽々と回転した。ライト前へふっ飛んでいく。
「進撃開始ィ!」
「イケイケ、イケェ!」
「二十点取ってよ!」
「それ、ヨーホホイ!」
「ヨイショ!」
 ネット裏を見ると、きょうは巨人の試合がないのか、川上監督や、牧野、荒川、藤田といったコーチ陣が雁首を並べている。笑いながら見物顔をしているところを見ると、来年の向けてのいち早い偵察というのではなさそうだ。消化試合の真剣な戦いぶりを見学しにきたというところだろう。
 高木、初球のカーブドロップを見逃し。一塁上の中は、日本シリーズまで膝の調子を崩さないようにするためか、あえて走らない。二球目、落差をつけて高木の目をくらませようと思ったのだろう、ゆるいカーブが内角へ落ちてきた。叩く。伸びる。
「はい、利ちゃんが走らないで正解!」
 会心の当たりが美しい放物線を描きレフトスタンド中段に飛びこんだ。小さなからだのフルスイングに、スタンドが感動して揺れる。私も痺れた。
「高木選手、三十三号ホームランでございます」
 水原監督と片手タッチのみ。出迎えも仰々しくない。二対ゼロ。宇野ヘッドコーチが叫ぶ。
「巨人が見物にきてるぞ。破壊力を見せつけてやれ!」
 ミセチャル、と呟きながら江藤がバッターボックスに向かった。美しい構えを崩さないまま、一球も振らずにストレートのフォアボール。私の前に走者がないときは、江藤はこうして貢献しようとする。チームへの気配りばかりでなく、私への愛情がひしひしと伝わってくる。私が心がけることは、ゲッツーにならないバッティングをすることのみ。
 歓声に歓声が重なる。レフトスタンドで横断幕が揺れる。神 無 月 という一枚布も揺れる。森中がストレートを投げてこないことはわかっている。糞ボールでないかぎり初球を打つ。江藤にバットを掲げると、人差し指を突き上げて応える。私はうなずき、構える。初球、ボールが指先からほんの少し右上方へ離れる。外から入ってくるカーブだ。手首の振りの強さから考えて、急角度で落ちてくるだろう。落ちかかるところは外角高目。両腕を後方へ引き絞る。外角遠くから曲がりはじめる。見定め、バネを解き放つ。ドンピシャ!
「いったァ!」
 木俣の声だ。センターへ舞い上がる。スコアボードの左に向かって真っすぐ上昇していく。スコアボードと看板のあいだのわずかの隙間にスッと消えた。
「おみごと!」
 長谷川一塁コーチとひっぱたきタッチ。
「アートだね―」
 近藤昭仁が声をかけた。
「ども!」
 水原監督と片手ハイタッチ。
「ギューン! よく寝た成果だね」
「はい!」
 花道もタッチのみ。
「神無月選手、百三十九号のホームランでございます」
 ブルペンの小川がグローブで拍手している。バヤリース。手でさえぎり、
「最終打席でいただきます」
 四対ゼロ。木俣、サードの頭をライナーで越えるレフト線の二塁打。池田と平松が一塁側ブルペンへ急ぐ。菱川、ノースリーから右中間へ目の覚めるような二塁打。木俣生還。五対ゼロ。七番太田の打球は二塁ベースに当たって跳ね上がり、左中間へ転がる二塁打になった。菱川右手を突き上げてホームイン。六点。一枝、フォアボール。ノーアウト一、二塁。
 別当監督がベンチから飛び出してきて、森中からボールを受け取る。ワンアウトも取れずに池田に交代。中日のレギュラー陣が不得意にしているピッチャーだ。平松はブルペンからベンチに引っこんだ。タオルで汗を拭いている。きょうは投げないということだ。中日との最終戦だけが重要なのではない。大洋にはまだ残り試合がたっぷりある。平松をむだに使うわけにはいかない。代わりに平岡がブルペンへ走っていく。
 池田は森中と同じようなちぎっては投げのタイプ。このタイプの名投手は、小川と、阪急の米田が思い浮かぶ。ひょいひょいとキャッチボールのような池田の投球練習。ホームベース上でシュッと伸びる。
「ボールをよく見て引きつけると、あのシュにやられますね」
 シュにやられて小川三振。打者一巡。中、シュにやられてボテボテのセカンドゴロ。一枝フォースアウト。中セーフ。ツーアウト一、三塁。高木、シュにめげずライト前ヒット。太田還って七対ゼロ。中三塁へ。ツーアウト一、三塁。
 江藤、初球内角シュート、ストライク。一球見送る。背番号9がうなずきながら足もとを均す。狙っている。二球目、シュートか、いや、ストレートだ。胸もとへシュッときた。江藤はとっさに左足を引き、左肩を中心にバットを水平に旋回させた。芯を心地よく食った音が響きわたる。翼を広げた独特のフォロースルー。
「ヨッシャー!」
 私はネクストバッターズサークルで叫び、立ち上がって打球を惚れぼれと見やった。仲間たちがダッグアウトから飛び出す。水原監督も腰に手を当てて見つめている。白球はレフトポールを巻き、ものすごい勢いで最上段に突き刺さった。菱川が叫ぶ。
「迫力あるう!」
 江藤は長谷川コーチとタッチすると、肩を怒らせスピードを乗せてベースを回る。水原監督と軽くハイタッチ。尻ポーンが出た。花道をタンタンタンタンと連続タッチで走り抜ける。突き出した胸をドンと私にぶつける。チームメイトに揉みしだかれながらベンチへ。
「江藤選手、五十八号のホームランでございます」
 ダッグアウトの全員と握手。バヤリース。
「ワシも試合終了後や、カールトンさん」
 大声がバッターボックスに聞こえてくる。十対ゼロ。もう退きどきか。
「四番、神無月、背番号8」
 球場が沸き返る。フラッシュの光が弾ける。池田はなぜかうれしそうにわざと外角にショートバウンドを投げた。内角へ外角へ内角へとつづけてショートバウンドを投げる。敬遠と思わせないフォアボールだ。ノーアウトならこういう敬遠もある。感心した。歓声が不満のうめき声に変わる。一塁へ走って、長谷川コーチにヘルメットを渡す。ボールボーイが受け取りにくる。
 木俣の初球、走る。伊藤勲の強肩。近藤昭仁のタッチ。間一髪セーフ。うめき声が歓声に戻った。木俣は二球目の真ん中カーブを叩いて左中間フェンスを直撃する二塁打を放つ。私は悠々生還。十一点目。打者十四人の猛攻。菱川はひとまず引き揚げにかかり、深いセンターフライを打ち上げる。チェンジ。木俣、カンちがいのタッチアップをして三塁へ走る。途中で気づいて方向を変え、三塁ベンチへ猛スピードで走る。球場内に爆笑が渦巻く。
 水原監督はマウンドに登りかけた小川に、
「健太郎さん、五回までチャンチャンと片づけてください。六回から久敏くんにいってもらう。レギュラー三人は四打席で取っ替えます。このままだと止まらなくなるんでね。消化試合で疲労しちゃいけません」
 中日は二回から九回まで、打線もチャンチャンといった。左の平岡と左の鬼頭に対して打者三十四人、散発六安打、フォアボール二、三振二、犠打一、得点二。二つのフォアボールは私に与えられたものだった。中と江藤と私は五回までの四打席で引っこめられた。そのほかの先発陣は残った。いずれにせよ店じまいしてからの攻撃なので、得点効率は悪く、ホームランは高木のきょう二本目の三十四号ソロのみ。ヒットはその高木のほかに、江藤の代わりに入った千原が一本、私の代わりに入った江島が二本、菱川が一本、太田が一本。三塁打を打った太田を三塁に置いてレフトへ犠牲フライを打ったのは伊藤久敏だった。
 とっぱじめの一回に大量得点をすると、逆転される危険性がないかぎり、ふたたび進撃を目論んで再開することはない。流れにまかせる。疲労を蓄積せずに早く試合を終える術を、ドラゴンズの連中はすでに学んでいる。命令されるまでもなく、小川は五回までチャンチャンと片づけた。打者二十二人、三振四、被安打五、フォアボール二、自責点ゼロ。六回から伊藤久敏に交代。打者二十人、三振三、被安打四、フォアボール四。自責点は長田に浴びた二号ソロの一点のみ。
 五打席目を引っこめられているあいだ、給湯室でネネの顔を眺めながらのんびり茶を飲んだ。ネネが言う。
「伊藤久敏さん、フォアボールだらけですね。消化試合なんですから、真っ向から勝負して自分の力を試せばいいのに」
「ドラゴンズは試合そのものの命令系統はきびしくないからね。持ち場を与えられたら各人自由にやるんだ。持ち球を試したんだろう。このごろ川崎ガールズはこないの?」
「ここは話の合わないオバチャンがいつも一人でお茶飲んでるし、神無月さんもトントこなくなったから、もう顔を出す意味がなくなったようですね。太田さんや菱川さんも近寄らないし」
「彼らはいまそれどころじゃない気持ちなんだよ」
「来年の勝ち残りを賭けて、ですね」
「そう。サボるとすぐ二軍に落とされるからね。じゃ、戻る。今度は十月初旬の後楽園だね。広島遠征から戻った夜にニューオータニから電話する」
 抱き締め、キスをして給湯室を出る。
 十三対一で勝った。実質、一回の高木のツーランで勝負は決していたことになる。
 ドラゴンズが初回に張り切るのにはわけがある。初回に得点できないと、相手ピッチャーの対策をコツコツ立てながら、手探りで攻撃していかなければならず、そういうゲーム展開はひどく時間がかかるし、疲労もするからだ。だから早いうちにドカンと得点してあとを流そうとする。八時四十一分。きょうも試合は早く終わり、小川は二十一勝目を挙げた。
 八十九勝目。残り二十三試合。十八敗したとしても、合計九十四勝。チーム勝率七・五二で日本新記録を樹ち立てることになる。僅差で負ける試合が十試合、大差で負ける試合が五試合と私は踏んでいる。十五敗はしても十八敗はしない。九十七、八勝でペナントレースを終えるだろう。区切りよく百勝といきたいが、勝ち星は少なく見積もっておいたほうが気がラクだ。私にしても、ほとんどフォアボールで歩かされるわけだから、あと四十打数あるかどうか。百五十本はきびしい。
 水原監督のインタビュー。
「今季を総合して考えると、中継ぎにしっかりとした手応えを得たことが、来季に向けての最大の収穫です。むろん、星野秀孝くんの先発としての活躍はあっぱれでした。ベテラン先発陣の負担を少なくすることが、ほかの若手投手陣のこれからの課題になるでしょう。五本柱くらいを考えています。攻撃力は潤沢なので、あまり補強は考えておりません」
「打のほうでの今季の収穫は?」
「神無月くん、江藤くん、木俣くんに関しては説明不要でしょう。まず、中、高木両くんの復活、それから、菱川、太田両くんの急成長が挙げられます」
「日本シリーズに向けての懸念は?」
「ございません。ただ、この時期最も疲れるのはベテランとルーキーです。彼らが疲労しないように、残りの戦いの中でコンディションを整えていくつもりです」
「選手全体に言いたいことは?」
「よく食べて、よく寝ること。戦国パリーグを勝ち抜いてきたチームは、どこであれ強敵ですから、体力がなければ太刀打ちできません」
 バックネット裏に巨人軍連中の顔がまだある。私たちは彼らを横目にロッカールームに戻った。
 バスの中で、水原監督が私に訊いた。
「最近何かからだの変調は感じないかね」
「これといって……。ちょっとバットが重く感じるくらいです。春先のように力をこめて振れませんので、軽く振ってます」
「やっぱり疲れてるんだな。バットは何グラム?」
「さあ、忘れました」
「そう言えば、あのバット事件のとき、報告書がきてたな。足木くん、憶えてる?」
「はい。長さ八十九センチ、重さ九百三十グラムです」
「大リーグ級だね。ふつうは八十四センチ、八百九十グラムだからね。あのバットスピードでそんな大バットを振れば、ブッ飛んでいくわな」
 足木が、
「小バットでもふっ飛びます。ボールが飛ぶのはバットスピードの賜物です。オープン戦のときに聞いたんですが、ロッテの榎本は、八十四センチ、八百六十三グラムです。それでも少し重く感じると言ってました。新人のときは九百三十グラムを振ってたそうです。百七十二センチ、七十一キロのバッターがですよ。金太郎さんが九百三十を振るのはおかしくありません。疲れが取れれば、またふつうに振れるようになりますよ」
 江藤が、
「ワシは、春、夏、秋で、九百、八百九十、八百六十と落としていくばい。長さは八十六センチと決めとる。九百三十グラムなんちゅうバット、振ったことなかぞ」
 菱川が、
「神無月さんからせっかくバットをもらったんですけど、バッティング練習でしか使ってないんですよ。試合では、久保田さんに作ってもらった八十六センチ、八百九十グラムのやつを使ってます。すみません」
「謝ることなんかないですよ。振りやすいバットで、バットスピードを出すことが肝心ですから。バットスピードは、バットを振ることじゃなく、バットに〈振ってもらう〉ことから生まれると思うんです。下半身で回転力を与えてやれば、バットが自分の重みで勝手に回ってくれます。ぼくはコースを外されることが多いので、重さだけじゃなく長めのバットが必要です。歴代の長尺のバットはどのくらいですか」
 太田が、
「ぜんぶは調べてないんだけど、神無月さんより長いバットは、藤村富美男の九十三センチ、ルー・ゲーリックの九十センチくらいですかね。神無月さんと同じ八十九センチはベーブ・ルース、ジャッキー・ロビンソン、ハンク・アーロン、大下弘、川上哲治、西沢道夫、小鶴誠。神無月さんより重い選手は、ベーブ・ルースの千十グラム、ルー・ゲーリックの千グラム、藤村富美雄の九百八十グラム、ジャッキー・ロビンソンの九百五十グラムです。同じ九百三十グラムは王さんしか知りません」
「王さんの長さは?」
「八十八センチ」
 水原監督が、
「まったく同じと言っていいね」


         九

 宇野ヘッドコーチが、
「昭和三十六年と三十七年は、俺、大毎の監督をやったんだが、才能は比べものにならないにしても、榎本と金太郎さんはよく似てるよ。自分のストライクゾーンを持ってるんだな。カージナルズのスタン・ミュージアルもそれで有名だ。三十三年に日米親善野球できたとき、榎本にその話をしたそうだ。影響を受けたんだろう。バットの重さを利用して振るなんてこともよく言ってた。合気道や剣道から得た考えらしいがね」
 宇野ヘッドコーチが新発見のように得々と言う。藤本勝巳のことを話してくれる約束などすっかり忘れてしまっているようだが、昨夜江藤と小川が話してくれたし、これ以上幻滅したくないので好都合だ。野球人の関心は、選手の裏話ではなく、選手の技術と才能にある。それは永遠だ。技術と才能がすぐれていた場合にのみ、裏話が飾りでつく。宇野ヘッドコーチはつづける。
「山内も理屈屋だった。バットが自然と沈むとか、自然と浮き上がるとか、わけのわからないことを言ってたよ。彼らと金太郎さんのちがいは、彼らは打てなくなると精神論に戻ってスランプを脱出しようとするが、金太郎さんは野球だけに留まらないカッチリとした精神論を持っているけど、野球でスランプになったときに立ち返るためのものじゃないということだ。野球を含めて生きていくうえで常に持っているものなんだ。楽しむ情熱、というやつだな。ま、要するに、金太郎さんには野球に関してスランプがないということだろう。金太郎さんは野球の技術的なことでは、人が理論とするものを先天的に持っている。そんなものに立ち返る必要がない。鬼神だね」
 水原監督は、
「異論はない。しかし鬼神もがんばれば疲れる。とにかく、よく食べ、からだを休めなさい。レギュラー陣もそれを心がけてください。この先二十三試合、二打席凡退したら、打率を落とさないように引っこめますし、調子よくても三打席で交代してもらいます。ほかの出場パターンも考えてます。とにかく十月末の十日間は、ひたすら休養してください。ゴルフくらいはいいですけどね」
 田宮コーチが、
「いま三割いってるやつはだれだれだ?」
 江藤、中、高木、木俣、菱川が手を上げた。高木が、
「俺、ぎりぎり。三振が多いから。基本、二割七分のバッターなんで上出来なんだけどね」
「一枝と太田は?」
「二割七分六厘」
「二割八分一厘」
 太田コーチが、
「全員、打撃二十傑だよ。控えが気の毒だ。割りこめない」
 水原監督が、
「残り試合はそんなこと言ってられない。来年があるんだから、割りこむ努力をしなくちゃ。控え選手も全員出てもらうよ」
「ウィース!」
         † 
 ホテルの部屋に戻って、二試合分の段ボール箱の整理をし、吉祥寺へ電話した。トシさんが出て、
「キョウちゃん! おひさしぶり。優勝おめでとうございました」
「ありがとう。二十一日の夜、神宮が終わったら吉祥寺に寄らずに名古屋に帰ります。予定どおり、オフに逢えるよう考えます」
「はい。二十二日の月曜日は、お昼に法子さんがここで内輪だけの優勝パーティをしてくれるそうです。詩織さんも呼んで賑やかにやります」
「うん、ありがとう」
「河野さんは、大学の準備で忙しくしてるみたいで、またの機会にということでした。福田さんに代わります」
 雅子に代わり、
「郷さん、優勝おめでとうございます」
「ありがとう。勉強、順調?」
「はい、すべて順調です。今年じゅうに基礎を固めて、来年からは応用編の勉強を本格的に始めます。二十二日、私たちだけでお祝いします。神無月さんのことを思いながら」
 トシさんに代わった。
「おトキさんは、二十日に山口さんを空港に送ったあと、一週間名古屋に帰るそうです」
「へえ、そうなの。そのほうが山口も集中してコンテストに打ちこめるかもね。イタリアから帰るのはいつ?」
「二十二日から二十七日までがコンテスト期間ですから、二十八、九日。日曜か月曜じゃないでしょうか。おトキさんは二十六日に東京に戻ると言ってました。そして山口さんからの電話待ちですね」
「あしたの夜、山口に電話入れてみる。じゃ、オフまで、元気でいてね」
「はい、キョウちゃんも」
 雅子に代わり、
「いまお着物を縫ってますけど、少しずつなので、春ぐらいになるかもしれません」
「無理しないで。とにかく勉強して。道が決まったんだから邁進すること」
「はい。がんばります。神無月さんも日本シリーズがんばってください」
「がんばる。じゃ、さよなら」
「さようなら」
 シャワーを浴び、ジャージを着て、江藤たちとタクシー二台で焼肉を食いに出た。一台目に私と江藤と太田、二台目に菱川、星野、則博、土屋が乗った。紀之国坂を登って、四谷見附から新宿通りへ入り、四谷四丁目の交差点を右折して『焼肉名門』に到着。ホテルの玄関から七分。板看板に赤字で《名門》。真新しい構えの引き戸から店内に入る。意外に広い店内。
「らっしゃいませェ!」
 カウンターにいた白衣の店員三人が声を張る。鉄板を敷く穴の開いた四人掛けの長テーブルがぜんぶで六つ。コンクリート敷きの店内に四卓、畳の小上がりに二卓、カウンターから見えない奥まったところにも二卓あった。コンクリート敷きの三卓と奥まった場所の一卓は埋まっている。テーブルでさざめいているのは建設作業員ふうの男たちか学生たちで、会社員ふうの客や女性客は一人もいない。名古屋のトンチャン焼き屋の雰囲気だ。換気扇は何台か回っているが、あまり効果はなく、薄く煙が店内にただよっている。壁に芸能人やスポーツ選手のサインはない。
「よか店たいねえ。スッキリしとる。健太郎の言ったとおりばい」
 江藤も初見参のようだ。先客たちが私たちを見て、オオー! と声を上げる。菱川がマア、マア、と彼らを手で制する。客の一人が、
「うまいぞ、ここは。うんと食ってけ、中日ドラゴンズ」
「ありがとす」
 太田が頭を下げる。小上がりの二卓につく。若い店員が緊張して注文をとりにくる。江藤と菱川がどんどん注文する。
「まずビール十本。最初に、ロース、カルビ、十人前ずつよろしく」
「そのあとで、センマイ刺し、シマチョウ、マルチョウ、ハラミ、十人前ずつよろしく」
 ホルモンについては一度菅野に講義を受けたことがあるがすっかり忘れてしまった。冷えた瓶ビールが出てくる。つぎ合う。
「食い道楽の健太郎が見つけた店ばい。あいつ、目立たんオッサン面やけん、声ばかけられんやったと」
 私は、
「声かけがないのが決め手ですね。壁にサインもない。そういう店なんでしょう。巨人の選手以外は静かに食えそうです」
 乾杯。
「あと二十三試合!」
「百勝目指せ!」
「シリーズ先勝!」
「愛しとるぞ!」
「愛してます!」
「カンパーイ!」
「カンパーイ!」
 客たちもカンパイと呼応する。酢味噌ダレとコチジャンダレが出てくる。店主らしき肥った中年の男が、五人前ずつ大皿に盛ったロースとカルビを持ってくる。どちらも平べったい大切りだ。
「焼きすぎるとパサついてしまうので、ほどよく焼いたところで、さっさと食べてください」
「ウス!」
 星野が焼き上がるのを待ち切れず頬張り、
「これ、うまいですね!」
「おお、うまかな!」
 客が拍手する。学生客が、
「愛してるは感激だな」
「すごいな。俺たちもやってみよう」
 則博が、
「めしください、大盛りで」
 言いながら、ビールもぐいぐい飲む。私はしっかり焼けている一切れをコチジャンダレにつけて食った。北村席ほどのうまさではない。則博が頬をふくらませてめしを食う。
「則博さんは、北山中から中京商業にいって、そのあとどういう野球人生をすごしてきたの?」
「一年の夏、控え投手として甲子園に出ました。松山商業に勝って優勝。それで、作新学院に次いで史上二校目となる春・夏連覇を達成しました」
 太田が、
「夏・春連覇は、三校ありますよ。広商、中商、法政二高。戦後は法政二高だけです」
「博士!」
 と江藤が手を拍つ。則博はつづけて、
「当時の中京商業は選手層が厚くて、レギュラー争いが激しかった。エースになれたのは三年になった去年からです。選抜に出て、初戦の広陵戦で敗退。夏は地方予選で敗退。実績を残せなかったのに、中日からドラフト二位指名を受けました。百七十七センチの大型左腕という触れこみでした。驚きました」
 江藤が、
「勝っても負けても、日本は甲子園さまさまやからのう」
 私は、
「―そういうことと関係なく、ドラゴンズの目は確かだと思います。則博さんは、スリークォーターでカーブ、スライダーを投げる軟投派と見られてるけど、ぼくの目では速球がいい。重心をもっと低くして、速球でカウントを稼ぐようにしたら、毎年十勝はいけると思う。スタミナもあるし、先発完投型で将来活躍できるんじゃないかな」
「ありがとう。励みになる言葉です」
 土屋がすがるような目で、
「俺はどうですか」
「則博さんより一つ少ない四勝を挙げてるんですよね。ドラ一、期待の二年目です。バッターとちがって、ピッチャーは早いうちに芽が出ない選手は大成しません。だいじょうぶですよ、ちゃんと芽が出ました。フロートしない速球は、いくら重くても、コースを誤れば打たれます。十勝ピッチャーになる課題はコントロールだけです」
 江藤が、
「あのくさ、健太郎のごて投げろとは言わんばってん、ほんなこつ土屋は投球間隔が長かぞ。野手が辛抱できんごつなる。あれだけ変えろ」
「はい、自分でも優柔不断だと思ってました」
 作業着の男が、
「開けっぴろげで、気持ちのいいチームだな!」
 仲間がうなずき、
「おれ、ドラゴンズに乗り換えるわ」
 菱川がカルビを焼く。一口放りこみ、
「なんじゃこれ、むちゃくちゃうまいな!」
 上ずった声を上げる。たしかにとろけるような美味だ。最上質の肉なのだろう。ビールが進む。星野が、
「幸せです!」
 奥まった卓の客が、
「中日さんはよくホームラン打つねえ。神無月選手以外の本数を合計すると、二百二十本ですよ。それだけで十二球団一だ」
「強力なホームラン磁石がいるけんな、ワシら鉄粉が吸い寄せられる」
 湯通ししたセンマイ刺しはブツブツ突起物のあるナマコみたいな代物で、見た目はグロテスクだが、辛目の酢味噌につけて食うと、コリコリとした歯応えでじつにうまい。後味もサッパリしている。仲間たちは休まず食う。江藤が、
「キムチ!」
 星野が、
「野菜焼きとテクダン!」
 私は、
「テクダンもう一つ!」
 ビールをつぎ合う。
「金太郎さん、もりもり食わんば」
「はい! ぼくもめしをください。どんぶりで」
 店内の小上がりに近い卓の客が、
「きれいな人ですなあ、人形みたいだ」
 太田が、
「ドキドキするでしょう。俺たちもですよ」
 江藤が、
「東京は巨人一色やろうもん」
 奥まった席の数人が、
「いや、けっこうドラゴンズファンがいます。俺たちがそうです。十四日の優勝のときは中日球場までいきました。最後にグランドに雪崩れこんで選手たちと抱き合った一人です。五人ぐらいと抱き合いました。江藤さんとも」
「ワシともか! ありがとう。うれしいのう」
 作業着の一人が、
「俺たちは巨人ファンだけど、今年の中日は気持ちよく見てる。ほんとにすがすがしいチームですよ。神無月さん、今年はいろいろ迷惑かけたねえ」
「忘れました」
 選手、客、一体になって笑う。



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