十

 ホルモンがドサッと運ばれてくる。則博と私のほかの五人もめしを注文する。シマチョウ。牛の大腸。硬い。菱川が、
「テッチャンか。噛むほどに旨味が増す。うん、くさみがない」
 キムチとテクダンスープがうまい。めしが進む。ときどきビールをチビリ。ころころした形のマルチョウ。牛の小腸。甘くて脂っぽいが、何のくさみもなく、適当に硬くてうまい。菱川が、
「それコプチャンとも言います」
 江藤が、
「ヒシ、おまえ、焼肉食いつけとるんか」
「入団してからです。堀越のファンによく近所の焼肉屋に連れてってもらいました。いまは自分でいきます」
 とにかくキムチがうまい。チシャバという葉っぱが出てくる。肉を巻いて食うもののようだ。遠慮する。肉はそのまま食う。ハラミ。赤身だ。柔らかくてクセがなく、食いやすい。歯応えもある。菱川が、牛の横隔膜です、と言う。
「ビール、五本! クッパとオイキムチ七人前。それを食ったら帰るぞ!」
「オス!」
 ビールを瓶二本くらい快適に飲めるようになっている。うれしい。学生客の一人が、
「やあ、プロ野球選手はよく食うなあ。さすが」
 また奥のテーブルのドラゴンズファンの一人が、
「来月、後楽園の巨人戦が三試合あるんですよ。かならず応援にいきます」
 江藤が、
「ありがとうございます! あんたら巨人ファンにいじめられんようにせいよ。この店の人たちごて品のよか人間ばかりでなかけん。のう、金太郎さん。殺されかけたんやけん」
 太田が、
「彼らの発想パターンは、巨人だけが正義、巨人以外は悪、アンチ巨人は敵、です。中日から巨人へいった浜野は、もろにそのたぐいの暴言を水原監督に吐いて訣別しました」
 土屋が、
「浜野さんの話なんか、まだヤワいと思います。このあいだ球場の廊下で何気なく長谷川コーチと足木マネージャーの立ち話を耳に挟んだんですが、中日新聞に舞いこんだ投書のことを言ってました。―あろうことか弱小貧乏ドラゴンズが優勝してたいへん憤っている、日本人なら巨人の優勝および日本一を一日でも早く見たいと思うのが当然だ、非国民しか住んでいない名古屋はもう一度伊勢湾台風に襲われて更地にされるべきだ……」
「ひでえなあ!」
 客たちがどよめいた。私は笑いながら、
「彼らの楯は言論の自由、要するに悪口雑言の自由です。自分たちの言うことは悪口雑言ではないと彼らは本気で思ってますから、何を言い返しても空しいでしょう。笑っているか、さびしく泣いているにかぎります」
 巨人ファンの一人が、
「泣いたらだめですよ! 世界一の男が! 川上監督だって頭を下げたじゃないですか。そんなことを言うのは脳味噌の腐ってる一部のファンだけです」
 菱川が眉間に筋を立てて、
「つまり、彼らにとっては権力だけが正義、権力に歯向かう者は容赦なく粛清、ということだろう。かつてのドイツの独裁者とまったく同じ発想しか基本的にはできないということだよ。これが意外と伝染力のある考え方で、プロ野球選手たちには例外もいるけど、上層部はまちがいなくそうだな。ドラゴンズ以外は」
 店主が、
「がっかりしないで戦ってください。見る人は見てますから」
 江藤が、
「ありがとうございました。じゃ、引き揚ぐるぞ。きょうはごちそうさまでした」
 店内に、
「中日ドラゴンズ、バンザイ!」
 の声が上がった。愛してる! と叫ぶ卓もある。三万円近い金を払って店を出た江藤に、みんなでごっつォさんを言った。
「みんなきょうはすぐ寝れや。いやな話はすぐ忘れてな。川上監督がなしてクビにならんか、しかとわかっただけでも儲けもんたい。スッキリしたやろう。国民がバックについとるちゅうことばい。ワシら野球馬鹿にバックは要らん。友、家族、恋人がいればよか」
「オース!」
 ふたたび二台のタクシーに乗りこんだ。
         †
 九月十九日金曜日。九時起床。きょうも八時間以上寝た。いくらでも寝られる。曇。二十四・七度。クール半ばの中休みの日。ほぼひと月のあいだに五チームと対戦し終わればワンクール終了となるが、開幕が四月の一週目から始まらないせいで、一年間常に変則的な日程編成になる。ひと月が半月になったり、ひと月半になったり、結局クールなどあってなきがごとし。だから選手のだれもクールのことなど意識したことがない。クール期間中の中休みだけが、からだを伸ばす憩いの日々となる。
 シャワーを浴びる。湯殿が冷えびえとしている。焼肉のにおいを洗い流すために髪を洗う。
 十六階の中宴会場でバイキングをすませる。隣にいた中が笑いかけ、
「愛宕神社にいってみないか」
「いきましょう。で、何ですか、そこは」
「港区の名所。徳川家康創建。三十メートルくらいの愛宕山にある。男坂、女坂で有名だ」
「円地文子の女坂ですね。読んだことありませんけど」
「あれは象徴的な題名で、愛宕神社とは関係ないんだ」
「そうですか。帰りに買って読みます」
「金太郎さんはものを書きだしたから、いろいろ勉強したいんだね」
「はい。いろいろな作家の文章を見ておきたいです」
 ワシもいく、俺もいくで、江藤と小野と菱川、太田、星野までくることになった。小野が、
「私と利ちゃんは神頼みの必要があるしね」
 玄関に出る。薄曇。すっかり秋の気配だ。タクシー二台に分乗していく。日枝(ひえ)神社を過ぎる。運転手が、
「外堀通りです」
 あたかも官庁街とおぼしき街並を通って、
「桜田通りです」
 何通りであれ、さっぱりわからないのでどうでもいい。めまぐるしく右折左折を繰り返して十分、愛宕神社に到着。目の前に緑の樹木に縁取られた石段がそびえている。大灯籠を左右に据えた背の低い木造の鳥居の前に、東京名跡愛宕神社出世の石段、という大看板が立っている。中が、
「この石段が男坂。八十六段。四十五度の傾斜、段幅二十センチ。踊り場がないから、一度登りはじめたら登り切るしかない」
 私は、
「右の少し細めの階段が女坂ですね」
「そう。さ、登ろう。火伏せの神さまだけど、いいか、炎症を抑えてくれるわけだから」
 みんなでゆっくり登っていく。五、六人の老若と行き交う。挨拶する。ジャージ姿の男の群れを不気味がる人もいる。
「なぜ出世の石段と言うんですか」
「三代将軍家光が、ここから南へ一キロぐらいのところにある芝の増上寺に参詣した帰りに、愛宕山の満開の梅を見て、だれかあれを馬で取ってこいと命じたんだね。そのとたんに馬でパカパカ登りはじめたのが、四国丸亀藩家臣曲垣(まがき)平九郎」
「おお、曲垣平九郎、聞いたことあるばい」
「山上の梅を手折り、ふたたび馬で降りて、家光公に献上した。泰平の世に馬術の稽古怠りなきことまことにあっぱれである、と家光に褒められ、日本一の馬術の名人としてその名を全国に轟かせた。大出世」
「中さん、一度きたことがあるんですね」
「ない。ロビーのパンフレット」
 ドヤッとみんなで笑う。何ということもなく登り切り、一の鳥居。右手に三角点。二十五・七メートル。天然の山として二十三区で一番の高さという表示がある。上から見下ろしてみると、いかに急な石段かがわかった。当時は丸太を埋めこんで段状にしたものだったろう。この勾配を馬で登った平九郎、恐るべし。階段のふもとを見渡す。白っぽいオフィス街だ。緑の多い境内に向かう。鳥居をくぐるとき、小野と中に釣られて全員で一礼する。小野が、
「真ん中を進むのは避けてね。神さまの通り道だから。神無月くんはいいよ」
 また和やかな笑い。すぐ左手に手水舎。軽く一礼。小野が、
「手と口を清める。柄杓で水を掬って左手に、それから左手に持ち替えて右手にかける。また右手で掬って左掌に水を溜め、口に含んで漱(すす)ぐ。手で隠して水を吐き出す。口をつけた左手に水をかける。柄杓をもとに戻す。神さまの前に身を清めるための作法だよ。神無月くんはいいからね」
 江藤がカッカッカと笑う。丹塗りの門をくぐると、突き当りに小振りな社殿。左手に手折りの梅の木が残っている。両脇に絵馬などもぶら下がっている。みんなで賽銭を落とす。中と小野が前列に立つ。見よう見まねで深い辞儀を二回。拍手(かしわで)を二回。祈る。一日でも長く、彼らと、彼女たちと、すごせますように。命への嫌悪感が消えて、感謝の念だけに満たされますように。深い辞儀を一回。
 弁財天社、太郎坊社、稲荷社には寄らず、弁財天横の美しい池へ。鯉が泳いでいる。緑が深く、秋の花もきれいだ。桜田烈士集合場所。桜田門外の変のときに水戸藩士の集まった場所のようだ。石碑が建てられている。中が、
「明治元年に勝海舟が西郷隆盛を誘い、この山上で江戸市中を見回しながら会談し、江戸無血開城を決めた。これもパンフレット。当時はどんな景色だったのかなあ」
 女坂を降りて戻る。中が、
「大リーグの四球団が懲りずに、金太郎さんの獲得を申し出たそうだ。東地区のヤンキースとオリオールズ、西地区のジャイアンツとドジャース。小山オーナーに入札申請を求めたけど頑として撥ねつけられた。入札など問題外、国宝はぜったい売らない、の最後通告だ。最後最後と言って、これで三度目になる。さすがにもう来年までは獲得交渉は持ち上がらないと思うよ」
「安心です」
「それだけ?」
「はい。友だち付き合いは狭いほうがいいですから。外国人にまで拡げるつもりはありません」
 みんなひとしきり柔らかく笑う。
 愛宕神社前の交差点から、ゆくてに見えるトンネルに向かって歩く。上が愛宕山のようだ。百メートルほどのトンネルを抜けると桜田通り。タクシーでも拾うかと言い合いながらぶらぶら歩いていると、干物専門炭火焼杉田という食い物屋があった。十時開店とある。太田が、
「焼魚だけ食っていきませんか」
 星野が、
「食いたいです!」
 即決で、ぞろぞろ入る。十時を回ったばかりなので、客は三、四人しかいない。厨房に男が三人、息の合った動きをしている。小上がりの二つのテーブルを占領する。壁に二十種類以上の品書きが貼ってある。江藤が、
「最近、炭火焼ゆうもんが流行ってきおったな」
「備長炭と書いてありますよ」
 小野が、
「ガスがあまり出ない、火持ちのいい炭だね。焼物にはもってこいだ」
 ポチポチ客が入ってくる。エプロンをした中年の女店員が三、四人いる。中の一人が注文をとりにきた。
「いらっしゃいませ。十一時半を回ると行列ができるほど混みますので、いいときにいらっしゃいました。おや、こちらさん……あ! 優勝したドラゴンズ」
 中が、
「静かにお願いします。魚ちょっとつまんだら帰りますから」
「あ、すみません。だめですねェ、素人は。有名人を見るとはしゃいじゃって。ご注文をいただきます」
 江藤が、
「まず、瓶ビール四本。グラス七つ。と、それからワシは、ギンダラの西京焼き」
 小野は、
「サーモンハラス干し」
 中、
「サンマの開き」
 私、
「鯖の天日干し」
 菱川、
「鯵の開きとライス」
 太田、
「トロホッケの味噌漬け」
 星野は、
「アコウ鯛の開き」
「はい、承知しました。少々お待ちくださいませ」
 ビールで乾杯。
「みんな何ば祈ったと? ワシは何も祈らんかった。ありがとう、だけや」
 小野が、
「シリーズで一試合でも投げられますように」
 中は、
「水抜きしなくてもいいようになりますように。無理だな」
 太田が、
「早く固定レギュラーになれますように」
 菱川が、
「俺もでっかい願いごとしちゃったんだけど、言っていいのかな」
 私は、
「いいんですよ。得体の知れない神さまには以心伝心といかないんですから、人間に口伝えがいちばんいいです」
 菱川は照れくさそうに笑い、
「―来年四十本打ちたい」
「五十本いきますよ」
「神無月さんはすぐそれだ」
「冗談でなく。……ぼくは、この幸せが長くつづきますようにと祈りました」
 星野は、
「故障しませんように」
 ピッチャーの願いは切実だ。


         十一

 品物が並び、食いはじめると、みんな無言になった。私も黙った。こんなにうまい焼魚を食ったことがなかった。雅子も敵わない。
「なんじゃァこれは! うまかなあ。皮パリパリもうまか。おばさん、色紙あるね」
「あります!」
「持ってきて。厨房は挨拶にこんでええよ。長なるけん」
 江藤は女の持ってきた色紙の真ん中に、

 
うまか! 

 と書いた。小さく(江藤・ギンダラ)と添えた。残りの六人が、日本人に生まれてよかった(菱川・アジの開き)、とか、日本一(太田・トロホッケ)、とか、東京湾の粋ここにあり(中・サンマの開き)、とか、これぞサーモンハラス(小野)などと、思い思い、放射状にサインした。私は、まことにごちそうでした(神無月・サバの天日干し)、と書いた。
「ありがとうございます。お味噌汁、サービスでどうぞ。いまお持ちします」
 これまた絶品の味だった。みんな最後の一滴まですすった。江藤がまとめて勘定を払い、上機嫌で通りへ出る。
「利ちゃんのおかげで、赤坂にいい店ば見つけられたばい」
「遠征先でガツガツ練習する必要はないし、休みの日はノンビリしないと。監督なんかお手本見せて、きのうの晩から家に帰っちゃってるよ」
 タクシーをつづけて二台停め、
「有名な本屋で一人降ろしてください」
 私が言うと、江藤が、
「みんなでいくばい。ワシらを暇にすな」
 全員でいくことになった。中老の運転手が、
「一ツ木通りの金松(きんしょう)堂ですね。小さい本屋ですよ」
「大きい本屋はないですか。ニューオータニに近いところで」
「地下鉄半蔵門駅の出口にある山下書店かな。大きいです。ニューオータニから一キロほどです」
「そこ、お願いします。歩いて帰れる」
 助手席に乗りこむ。後部に江藤、星野、中。後続車にからだの大きい小野、太田、菱川が乗った。
「……おお! ドラゴンズさんですよね」
「はい。休日なので、散歩です。愛宕神社にいってきました」
「愛宕山から本屋さんへ散歩の足を伸ばすなんて、シャレてますね」
 江藤が、
「みんな無骨者やけん、たまには勉強せんとな」
 中が、
「チームメイトに物書きがいるから、刺激を受けないわけにはいかないよ」
「神無月選手は中日新聞に小説を書いてらっしゃるんでしたね。本になったら、読まさせていただきます」
 星野が、
「俺、もうスクラップブック作りました。迫力というか、こう、胸にグッとくるんですよね。すごい―」
「ワシャ、金太郎さんの歌も、小説も、泣けて仕方ないわ。このごろは、ホームランば打つ背中を見ても泣ける」
 運転手はチラと私を見て、
「……神秘的です。圧力みたいなものがあります」
「あんた、まともな神経しちょる」
 山下書店に着く。千円払う。律儀に八百四十円のツリを寄こす。しみじみとした気持ちで受け取った。
「中日ドラゴンズ、小っちゃなころからずっと応援してます。がんばってください」
「ありがとっす」
「ありがとうございます」
 六階建てビルの一階の角地をほとんど使っている大きな本屋だった。後続車も到着する。私たちが入っていくと店内がざわついた。店員も客も恐れをなして寄ってこない。レジの女店員に、
「円地文子の女坂ください」
「はい! 少々お待ちください」
 角川小説新書と新潮文庫を持ってきた。文庫のほうを選ぶ。
「カバーはしなくていいです」
 六人も棚を物色しながら回りだした。星野はなつかしそうに別冊少年サンデーを手にしたが、最終的にガロを、江藤は小説推理、小野はカーグラフィック、太田は週刊テレビガイド、菱川は平凡パンチ、中は歴史読本を買った。店を出てビルの谷間を歩く。中が、
「本を買って帰るときの気分というのは、何とも言えずわくわくするね。この紙袋を持ってる感触がね」
 太田が、
「そうですね、テレビガイドでもそんな感じです」
 殺風景なビルの谷間を歩く。パブやスナックがポツポツあるきり。
「この道、ランニングにもってこいですね」
「ワシもいまそう思っとった。清水谷公園よりよかよ。鏑木さんは、もうドラゴンズにランニングの何たるかを教える必要はなくなったて言うとった。二つのジリツて。みずから立つ心、みずからを律する心、それを養うのがランニングやそうや。がんらい技術を教えるものやないとな。来年からトレーナーの勉強を始めるげな」
「またオールスターでバッティングピッチャーをやってもらわないと。すばらしいコントロールですから」
 清水谷公園に出る。紀尾井坂。昇り切ると、ホテルニューオータニ。十一時二十分。駐車場を巡って、タクシー乗り場のある正面玄関へ。ロビーで解散。みんな浮きうきと部屋へ戻っていく。
 昼の会食をオミットし、机に向かう。妾の半生涯の裏切られたような読後感が気になっているが、屈することなく女坂を開く。映画館の幕が開くときの心踊り。
 話は明治に入ったあたりのようだ。白川行友という四十五歳の男は、栃木県で県令補佐の大書記官(現在でいう副県知事)をしている。維新の成功者だ。豪放で色好み。物語の背景は、家庭内に正妻と、妾として女中を何人か置くことに違和感を持たれない〈旦那さま・家父長〉専制の時代。ひとつ家に祖父母から孫まで何世代も共生し、書生や住みこみの女中がいて〈旦那さま〉を中心に人間関係が構成されている。絶対的な力関係で組織される〈家〉という具体物。それは家父長制というイデオロギーの象徴でもある。
 正妻の名は倫(とも)。三十三歳。女盛りだ。行友は倫に東京で新しい妾を探してくるように命じる。倫は九歳の娘といっしょに上京する。じゅうぶんショッキングな書き出しだ。私はすぐさま、倫を開明的な女に置き換えればカズちゃんだと見抜いた。開明的でなかった場合のカズちゃんの苦悩を探りたいという気持ちで読む。
 もし倫が、すべての感覚を専有したいほど行友に執着し、常に感覚の喜びを与えていると信じているするなら(暗愚だけれどもそれも愛情にほかならない)、愛する者に感覚の喜びを与える自分以外の相手を探しにいくというのは、異様な行動に思える。愛する者の感覚は独占したいはずだからだ。しかし、カズちゃんたちのことを考えて、独占したがらない女もたしかにいると思い直す。カズちゃんたちにしても、自分と同じほどの快楽を男が感じる生きものだとしたら、ほかの女をあてがう気にならないかもしれない。男がそういう生きものでないことを彼女たちは知っている。いつかカズちゃんは、男の快楽なんて女に比べればちっぽけなものだと言った。彼女たちはその一点で安心しているということになる。倫がカズちゃんたちと同じ考えの持ち主だとすると、倫の行動はそれほどショッキングなものとは思えない。だがこの小説の趣はちがう。倫はじめすべての女を暗愚なものに描いている。
 さて、倫はツテを頼って、さまざまな娘を物色した結果、須賀という名の十五歳の少女を〈買って〉くる。親も承知なので、買うという表現になる。温情主義的家父長制(パターナリズム)のもとでの人身売買は、貧者の救済という名目がまかり通っていた時代のふつうの慣習だった。須賀は、のちのち騒ぎを起こしそうもないおずおずとしたたたずまいなので、そこを倫は気に入った。
 行友に、世間倫理に照らしてわずかな悖(はい)徳の意識はあるにちがいないけれども、彼自身の感情にいささかも乱れはない。大奥を相手にする将軍気取りで振舞っていただろうと思われる。行友は着々と女を増やしていく。女に多少でもそういう男女関係に鬱屈があるかぎり、生臭い行為が重なれば、家の中は憂鬱な諦念の絆で結ばれた女の園になる。嫉妬し合うことも、いがみ合うこともない、傷ましい連帯感。彼女たちは、愛することのできない行友からの解放を求めている。肉体的な快楽を感じるだけでは不足なのだ。
 疑問が湧いた。彼女たちは行友から解放されてどこへいきたいのだろう。〈正式な結婚生活〉を提供する男のもとへか。それは、愛のない不毛な快楽からの解放ではなく、形式の整っていない快楽から、形式の整った不毛な快楽への〈移動〉にすぎない。不毛から愛の充実への解放ではない。実際、由美という女中の、不毛から不毛への移動が描かれる。私はさびしく笑った。夜七時半読了。
 うなぎのルームサービスをとる。食いながら考える。かつて女は〈正式な形〉の中へ肉体を囚われることを解放と見なした。現代の女は? 〈正式な形〉の中で男を世話する拘束から逃れ、フリーセックスを堪能できる立場を得ることを解放と見なす。どちらの女も肉体を手離さない。女は肉体と形式にすがったり反発したりする生きものだからだ。たぶんそれが理由で、〈女の一生〉的な物語が古今書き継がれてきた。男は形式の枷を非情なものとして、あるいは反発的に描くことはあっても、肉体の悲哀は書かない。肉体にすがったり反発したりする生きものではないからだ。カズちゃんの言うとおり、快楽の滋味に乏しい生きものだからだろう。その反動で、愛を描く。女流の小説で、身を搾るほどの献身的な愛の物語にいき当たったことはない。
 カズちゃんや睦子たちは、形式も破天荒も忌むことなく、ただ愛する男を慕い、まるで封建時代の女のように潔く操を立て、フリーセックスを拒否する。彼女たちはどこからやってきたのだろう。彼女たちは、過去現在未来の典型から逸れた、まったく別の生きものにちがいない。
 近い将来みずから命を絶とう、いややめようという気持ちを繰り返しながら、私は生きている。例外的に貴い彼女たちを捨てて死ぬことにどんな意義があるのか、最終的な結論が出る日まで脳味噌を搾って考えなければならない。命を嫌悪し、命に倦じてしまったという怠け者の理屈を一身の正義として貫くことの是非を、七転八倒して考えなければならない。そして、怠惰な理屈と報恩の信念の堂々巡りの中で狂い死にする人生を選ばなければならない。
 八時。昨夜整理したダンボール箱をフロントに出し、十六階の会食場へいく。食事時間は七時から九時まで。というより、配膳が九時までというだけで、それ以降は配膳された残り物を十時くらいまで自由に飲み食いしていてよい。そのあたりに従業員が片づけにくる。みんなビールを飲んだり、箸を動かしたりしている。生き延びられる空間。安らぐ。おとといの焼肉屋組は、江藤を除いて姿がない。だれかの部屋に集まって、日本シリーズの展望などを肴に気勢を上げたり、自分たちの技術を反省し合ってしみじみとコーヒーを飲んだりしているのかもしれない。小川が、
「三階のジムにいってきたよ。一日でも筋肉の鍛錬を怠けると落ち着かないんだ」
 高木が、
「俺も三階でマッサージ受けてきた。池藤チーフよりも押し揉みが弱いけど、丁寧だったな」
「ねえちゃんか」
「熊みたいな男よ」
 平和な話が心を浮き立たせる。太田が、
「あしたから試合開始が六時に早まるそうですよ」
 一枝が、
「秋だもんなあ。日の暮れも、冷えこみも早い。年寄りには応えるぜ。チャンチャンと点を入れて、早めに交代させてもらおう」
 江藤が、
「修ちゃんもそろそろ三十やな。同期はだれね」
「明大でいっしょだった阪神の辻佳紀、河合楽器でいっしょだった巨人のメリーちゃん、ドラゴンズだと、健太郎さん、達ちゃん、陽ちゃん。同期と言ってもなあ、同い年は辻だけで、健太郎さん以外の三人は年下だ。やっぱりベテランになっちゃったんだね」
 伊藤竜彦が、
「俺も今年二十九だよ。慎ちゃんと同期だから、十一年目。大ベテランだ。ずっと控えの人生だったな。内野も外野もこなしてきた便利屋さんだ。権藤さんと交代で三塁を守ったこともある。十一年でホームラン三十本、二割前後。一割台の年も半分近くある。能あるベテランじゃない。どんなチームも、俺みたいな中途半端な選手をたっぷり抱えてる。そういうやつらで回していかなきゃならないチームは弱い。来年、千試合出場がかかってるんで、それを達成させてもらったら、トレードか引退だな」
 さびしいことを言っている。同期の江藤は聞こえないふりをしている。前菜、握り鮨六貫、シューマイ六個、海老と野菜の天ぷら、ステーキとライス。腹いっぱい食い、部屋に戻る。いつもながら、肉を食えるようになっている自分に驚く。義務感から努力して始めたことだったけれど、いつのまにか習い性となった。
 山口に電話を入れる。明るい声でおトキさんが出て、すぐ山口に代わった。
「よう、神無月、獅子奮迅の一年だったな。おめでとう。受賞パーティは高輪だろう。会いにいくよ」
「ありがとう。生き延びられたおかげだ。感謝してる」
「くだらん。おまえの生命力の賜物だ。五百野、絶佳なり。二足のワラジに何の疑問もない。あとは足跡を残すだけだな」
「褒めすぎだ。いよいよあした出発だね。おまえもついにここまできたな。大きな足跡を残してくれ」
「精いっぱいやる。入賞すれば、記念レコードが出るからな。それがデビューだ」
「かならずそうなるよ。食い物と水に気をつけて、よく寝て、しっかり戦ってくれ」
「おお、おトキさんが名古屋に骨休めに帰るからよろしくな」
「心配するな。いつもねんごろにな」
「承知のすけ。おまえは自重しろよ」
「自重する。じゃ、がんばってこい。吉報を待ってる」
「……神無月」
「なんだ」
「おまえがいなくなったら、俺の人生もなくなるからな」
「わかってるよ。痛いほどわかってる。じゃあな」
「じゃ」
 テレビを点け、九時からのニュースを観る。赤坂東急ホテル開業のニュースをやっている。うとうとした。
 束の間の夢を見る。山口がとんでもなく広いホールでギターを弾いている。静寂の中に哀調を帯びた旋律がきらめく川の水のように流れていく。私は暗い森を流れていた川を思い浮かべながら涙を流している。この男と兄弟のように歩んできた。―ふと隣の席を見ると、康男が反り返って椅子に腰を下ろし、涙を流している。話しかける。
「三人兄弟だね」
「……ミナシゴのな。……どんだけ苦しくても、乞食だけはせんぞ。助け合って生きていくんや」
 乞食の意味がわかって、私も落涙した。


         十二

 九月二十日土曜日。八時起床。秋晴。カーテンを開けると上空にイワシ雲が固まっている。二十二・二度。軟便、シャワー、歯磨き。清水谷公園を五周。もう一度シャワー。
 ロビー階のカフェラウンジ・サツキで朝食。二千円。球団のツケとは言え、高い。店内は六割から七割の一般客で埋まっている。セルフサービスなので受け皿に取っていく。ステーキの切り身三切れ、目玉焼き一つ、ライスどんぶり盛り、赤ダシの味噌汁、キンピラゴボウ、鮭一切れ、サラダ一皿。盆を持って二度往復した。
 フロントでなだ万弁当注文。部屋に戻って三種の神器三十回ずつ。片手腕立て十回ずつ。ウォーミングアップ完了。
 テレビを点けると、TBSでポーラテレビ小説『パンとあこがれ』という連続もののドラマをやっていた。一時四十分からの二十分番組。内容は文字どおりパン屋の話。戦時中を背景にしているスカン設定。ふつうはこの種の番組はすぐ消すのだが、知っている役者の顔をしばらくなつかしんだ。津島恵子、新藤恵美、河原崎長一郎、イーデス・ハンソンまで出ていた。河原崎はインド人役で、カレーパンの創始者を演じていた。新宿の中村屋をモデルにしているようだ。アンパンの元祖は木村屋で、クリームパンの元祖は中村屋というのはけっこう有名な話だけれども、カレーパンの元祖は中村屋ではなく、門前仲町から隅田川沿いに三キロばかり北へいった深川にある名花堂という菓子舗だと、あのマーくんの母親に仄聞したことがある。鮨を食いながらだった。マーくん……ちゃんと野球部に入って、立派なサウスポーになったろうか。彼の家も菓子舗だった。あの一家はいまどうしているだろう。
         †
 明治神宮球場、対アトムズ二十五回戦。ひさしぶりに宇賀神一行の姿を駐車場で見かける。目礼を交わし合う。彼らが少しきびしい顔つきをしているのは、ここはあのファンレターが発信された東京だということと、十月七日からの巨人三連戦を除けばこの二日間が東京での最終戦になるので、油断なく凌ぎ切りたいということなのだろう。杞憂だ。ファンが私に接触できる残り少ないチャンスだとしても、球場の外周りには警官が大勢散らばっているし、松葉会の連中もつかず離れず目を光らせている。
 ロッカールームに入る。大学時代には気づかなかったが、狭くて汚いロッカールームだ。ベンチの後ろにやや広い部屋があり、控え選手たちはそこに荷物を置いている。その部屋の片側の端は通路で、ドアなどない段差の上に男の小便器が三つ並んでいる。不潔な感じだ。三塁側の外に二階建ての建物があって、そこをロッカールームに使ってもいいことになっているが、だれも使わない。いちばん狭いロッカールームと言えば広島市民球場だ。レギュラーがやっと入れるくらいの狭さで、控え選手たちは裏の多目的の部屋に長卓と椅子を置いて使っている。千原や江藤省三は通路に椅子を持ってきて着替えていた。奥に女便所があるので、ときどき球場係員のオバサンたちと目が合ってしまうのが恥ずかしいと言っていた。
 神宮球場のグランド。これも学生時代には気づかなかったが、都心にある球場の中ではいちばん洗練されている。黒土が美しい。内野の送球の白球が映える。甲子園の土は赤味があるので、ここまでくっきりしない。
 六大学野球秋季リーグは九月十三日の土曜日に始まっている。その日から学生野球球の試合時にも球場広告を取り外さなくなった。外野フェンスと危険防止金網のあいだにパネルを差しこむ方式になっている。
 いつも気になっていたことなので、徳武に訊いてみた。
「きょうのように大学野球の試合日程がプロ野球と重なる場合は、試合時間はどうなるんですか」
「併用日と称して、大学側が開始時間を早めたり延長戦をやらずに引き分けにしたりするんだよ。それでも調整がつかないときは、プロ側が練習時間を削る。きょうはちょっと削られるね。ところで、この球場の所有者を知ってる?」
「アトムズ球団」
「ふつうはそうだろうけど、明治神宮だ」
 一枝に釣られて、ベンチの男たちが薀蓄を語りはじめる。中が、
「大正十五年の開場式には、いまの天皇の摂政宮殿下が臨席して、始球式には明治神宮の宮司(くうじ)が立ち会ったんだ」
 傍らに立っていた水原監督が、
「初の試合は、東京対横浜の中等学校代表試合と、六大学選抜紅白試合だった」
 戦前の東京六大学野球黄金期に慶應の中心選手として活躍した宇野ヘッドコーチが、
「太平洋戦争のせいで、昭和二十年の五月に神宮球場のスタンドはほとんど焼えた。スコアボードと照明塔は残ったけどね。終戦すぐの九月にはこの空地を進駐軍が接収して利用した。スコアボードのコンクリートに〈ステイトサイド・パーク〉と書いてあったのを憶えてるよ。ステイトサイドって何だい?」
「本国の、という意味です。日本のものじゃないぞということでしょう」
「なるほど。その後急遽スタンドの改装がなって、十月に東京六大学OB紅白試合、十一月にオール早慶戦が行なわれた。この試合が白熱して素晴しかった。観衆四万五千、延長十一回、六対三で慶應が勝った。この試合にみんなが熱狂したおかげで、戦後の虚脱状態に陥っていた日本国民が奮い立ったんだ。二十一年には東京六大学連盟が復活した」
 水原監督が、
「そのころ宇野くんは慶大の監督をしてたでしょう」
「はい。それから藤倉電線にいって、巨人に入団しました」
「一時肩を壊して退団して、山田五十鈴のお褥役か」
「付き人と呼んでください」
 やはり慶應出身の太田コーチが、
「そのおかげで肩が治っちゃって、もう一度巨人に入り直して中軸打者。そんなやつ二人といないぜ」
「太田くんはそのころ、春季リーグ二連覇しただろう。エース兼五番バッターで」
「うん、二十一年、二十二年ね」
 さりげなくすごい話をしている。
 三時十五分からかなり遅れてアトムズのバッティング練習開始。五十分間。十八日に日本通算百号を打ったばかりのロバーツのバッティングが目につく。四時五分からドラゴンズのバッティング練習開始。五時から三十分、両チーム守備練習。ロッカールームで豪華ななだ万弁当。
 観衆一万一千人。ほぼ三分の一の入り。ほとんどが芝の外野席に集まっている。消化試合の外野スタンドは無料開放されているからだ。そよ風。スコアボードの旗は揺れていない。中日のブルペンになんと板東が出た! 小川が、
「板ちゃん、どっから現れたんだ? だいじょうぶかな。ほとんど練習してないだろ」
 一枝が、
「解説者の仕事をしばらくお休みして出張してきたか。水原監督、これを板ちゃんの引退試合にしてやるつもりだろう。勝ってやりたいけど、松岡が相手じゃなァ。ま、二連敗だけは避けようぜ」
 どうしても板東に勝たせてやりたいと思った。
 スターティングメンバー発表。中日はいつもどおりの打順。先発は板東。アトムズは一番から、センター大塚徹、ショート東条文博、ライトロバーツ、ファーストチャンス、レフト高山忠克、キャッチャー加藤俊夫、サード城戸則文、セカンド中野孝征、ピッチャー松岡弘。球審筒井、塁審一塁丸山、二塁福井、三塁山本、線審ライト寺本、レフト富澤。
 六時、中バッターボックスへ。左手の指のない筒井の右手のプレイのコール。
 松岡の初球、真ん中快速球、ストライク、速い! 二球目、バントするのも難しそうな縦に割れるカーブ、ストライク。ンショ! という気合の声がベンチに聞こえてくる。三球目外角高目に切れ曲がるシュート、空振り。すべてのボールが冴えて手がつけられない。
 ドラゴンズは一回から八回まで打者二十七人、無安打、フォアボール三。フォアボールはすべて私に与えられたもの。内角はいっさい投げず、踏みこんでもスレスレ当たらない外角球を投げられた。ランナーに出るつど盗塁を成功させたが、すべて残塁。十八日の大洋戦を合わせて六連続フォアボールになった。打たせてもらえない。
 一方、板東は絶不調。と言うより、カタナシ。ストレートも変化球も走らず、コースも甘く、二回ツーアウトから八番の中野にレフト前へ打たれたあと、松岡にツーランホームランを(献上)し、三回フォアボールのロバーツを置いてチャンスにライトへツーランを打たれ、四回には城戸にセンター前へ適時打を打たれて、計五点を失った。
 チェンジになり、私たちがベンチに引き揚げて腰を下ろしたあとも、板東はマウンドで四方に手を振っていた。やがて一塁ブルペンからやってくる松岡と入れ替わりにマウンドを降り、三塁スタンドに帽子を上げながら味方ベンチに向かって歩いてきた。もともと吊り上がっている両目が涙で濡れて少し下がっていた。
「板ちゃん、ナイスピッチング!」
 そう叫んで三塁スタンドから応援団長らしき小さな男がグランドに飛び降り、板東に花束を差し出した。きょうが引退試合になるとフロントから情報を仕入れて用意したのだろう。板東はちょっとお辞儀をして受け取った。男が話しかけるたびに、板東はうなずき涙を拭った。それからひとしきり私たちの抱擁と握手がつづいた。わけても江藤はいつまでも板東のからだを離さなかった。
 六回からあとを継いだ水谷則博が零点に抑えて八回裏まで投げ切った。
 九回表。水谷則博の代打伊熊、ライト前へ今シーズン初ヒット。一番中、レフト線へ三塁打。伊熊還って一点。高木フォアボール。江藤、センター犠牲フライ。中還って二点。私、たまたま真ん中低目にきたストレートを掬って、ライト上段へ百四十号ツーラン。四点。木俣三振。菱川三振。四対五でゲームセット。九回完投四失点の松岡は七勝目。板東は初黒星を喫した。一勝一敗。これがプロ最後の年の成績になるだろう。
 インタビューなし。ベンチの奥でずっと試合を見守っていた板東は、敗戦を確認するとゆっくりロッカールームへ去った。そして、バスに乗らずに、江藤たちベテラン組に連れられタクシーで都心のどこかへ飲みに出かけた。
 ベテラン組の中では伊藤竜彦だけが会食に出た。会食のあとロビーでコーヒーをすすりながら、彼から静かに思い出話を聴いた。一編の小説だった。
「昭和三十四年は鹿児島の湯之元キャンプだった。当時のキャンプインは、選手全員が揃っての移動じゃなく、キャンプ地に向かう列車にそれぞれの地元から乗りこむことになってた。その年中日は若返りを図り、新人を十二人も入れた。高校生は、甲子園四羽ガラスと言われた板東英二、河村保彦、俺を含む九人、大学生は立教四連覇の頭脳と言われたキャッチャーの片岡宏雄、社会人は大昭和製紙のスラッガー横山昌弘と慎ちゃん。十二球団随一の大型補強と言われた。……板ちゃんは四国から宇高連絡線でやってきて、岡山駅のホームでポツンと列車を待ってた。一月三十一日の深夜の吹きさらしのホームでだ。肩を大事にしなくちゃいけないピッチャーが、待合室で待たずにね。あとで聞いたところだと、置いていかれるんじゃないかという恐怖で、乗車位置を離れられなかったそうだ。満州から命からがら引き揚げてきた経験からだと言ってた。……食い物もなく、歩くのも遅い子供たちは、置き去りにされたり、中国人に売られたりしたらしい。そういう危ない局面になるつど板ちゃんは、手を離したらたいへんなことになると思って力のかぎり泣き叫びながら、母親のモンペをつかんだということだった」
 連れてってけろ! 昔日の自分の姿が浮かんで、思わず落涙しそうになった。どうにかこらえ、コーヒーをすすった。
「内地に戻ってから逃避行は無蓋車だったから、各駅のホーム待機のときに大小便をしに降りるわけ。男は立ちションですむけど、女は貨車の下で隠れてするから、警笛も鳴らさないでとつぜん発車する車輌に轢かれて死んだ人もいたそうだ。あるとき板ちゃんも小便をしに貨車から降りて、お構いなしに発車されて死にもの狂いで追いかけた。栄養失調で骨と皮になった六歳児がだよ。まさに生死をかけた追走だね。母親が彼の腕をつかまなかったら、いまの板ちゃんはなかったね。置いていかれるんじゃないかという恐怖は、それからのものだよ」
 私はついに落涙した。
「よくあんな明るい人に……」
「なったもんだってことだろ。彼も俺もむかしは暗いやつだったよ。俺たちが明るくなったのは、慎ちゃんの力が大きいかもしれないな。そして、今年、神無月くんのおかげで徹底的に明るくなった。……高千穂……憶えてるよ。東京から西鹿児島まで三十時間かけて走る長距離列車の名前。杉下監督以下、東京や名古屋に住んでるコーチや選手はすでに客車にいた。俺は名古屋組。大御所たちは高卒新人なんか眼中になくて、岡山から板ちゃんが乗りこんできても、酒やトランプに夢中で声さえかけてやらない。挨拶をしても無視する。広島、山口と過ぎて、そして九州。途中からポツポツ新人が乗りこんできても、だれも自己紹介をするわけでもなく、気まずく六人掛けの席で向かい合って座ってるだけ。そこへ熊本から慎ちゃんが乗ってきた。童顔で、トレンチコートはおってさ。彼だけが名乗った」
「なんて言ったんですか」
「俺、江藤慎一、よろしく頼む―。やっぱりだれも応えなかった。慎ちゃんは二十二歳。童顔だけど立派な成人だ。俺たちは十八、九。席に着いてからも、年下の俺たちにあれこれと話しかけてくれるんだ。どっからきたんだ? ポジションは? ワシはキャッチャーでな、なんていろいろね。すごく印象深くて、板ちゃんが言うには、彼の名前しか記憶に残らなかったって。慎ちゃんの明るさは天性のものだね。板ちゃんの契約金は長嶋と並ぶ史上最高の二千万、それなのにぜんぶオヤジに巻き上げられて、ポケットに三万円。慎ちゃんは契約金五百万、そのほとんどぜんぶを親兄弟に送ってしまった。ポケットにはやっぱり数万円しかなかったんじゃないかな。バット一本で家族全員を養う覚悟をしてたようだからね。二人、似た者だよ」
「その江藤さんに板東さんは影響を受けたんですね」
「影響を受けさせてくれるような人じゃなかった。まねなんかできない。一人飛び抜けた身体能力の持ち主だったからね。当時のドラゴンズの練習メニューはハードで有名で、ただ一人慎ちゃんだけがやり抜いた。サバイバル長距離を一人だけ走り切った。湯之元のグランド脇にはトロッコがあって、その線路に足を差し入れて腹筋をやるという練習をさせられた。下はコンクリートなので尻が着地すると、すれて血が滲む。手抜きをしない慎ちゃんは、とうとう大きな腫れ物をこしらえてしまった。それが膿んじゃったので、トレーナーだった足木さんは、練習を休んで医者の治療を受けるように、と進言したけど、慎ちゃんはだいじょうぶと言って受け入れない。鋏で穴を開けて膿を搾り出し、絆創膏を貼って練習にいってしまった。そしてほんとうにそのまま治しちゃった」
 いつのまにか江藤の話になっている。




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