十九

 案内されたドアから打ち揃って会場に入る。特設スタジオの正面壇上に、一列だけ四人掛けのテーブルを付け合わせた長テーブルが四つ置かれ、十四脚の椅子が並んでいる。その後方の二段のステージに数十脚の折り畳み椅子が並んでいる。壇の両裾にスタンドマイク、コードを引いた移動式の箱型スピーカーが会場の隅々に置いてある。壇下の立派な座席に二百人余りの聴衆がぎっしり座っていた。立ち見もかなりいる。整理券組以外はすべて球団関係者かマスコミ関係者だろう。最前列に下通、素子、キッコ、睦子、千佳子が座り、二列目にはカズちゃん、メイ子、千鶴、百江、優子が座っていた。
 スタジオ係員に導かれて階段を昇り、壇上に向かう。拍手が爆発した。水原監督をまねて手を振ると、会場全体にキャーという声が沸き上がった。球団旗を背に、長テーブルにマイクが十四個並べて置いてある。真ん中に水原監督と小山オーナー、その右隣に私と江藤、木俣と中、高木と一枝、左隣に同じように小川と小野、菱川と太田、星野秀孝と伊藤久敏が座り、後方の折り畳み椅子の前列に、葛城、徳武、新宅、吉沢、高木時、伊藤竜彦、江島、千原、水谷寿伸、門岡、水谷則博、山中、土屋、江藤省三が居並び、最後列に、宇野ヘッドコーチ、太田コーチ、田宮コーチ、半田コーチ、本多二軍監督、長谷川コーチ、森下コーチが座った。舞台の下からクレーンを伸ばし、竿マイクを突き出したメインカメラが一台、正面後方の独立した壇上から三台のサブカメラが客席を睨みつけている。
 入団式のときに流れ、優勝したときにも流れた『ドラゴンズの歌』が響きわたる。右裾のスタンドマイクに進行役の男が立つ。髪を中分けにした黒縁眼鏡の中年男だ。左裾に赤いネクタイを垂らした板東が立った。歌がやむのを待って、舞台下のテレビ脇にいた男が手で合図した。会場に期待のざわめきが満ちる。
「司会の川久保潔でございます。ジャングル大帝やハクション大魔王の声優をしております。場ちがいとは思いましたが、せっかくのご依頼をお断りする理由がなく、喜び勇んでやってまいりました。野球には素人でございますが、一生懸命やりますので、ふつつかなところはご勘弁いただきます。それではただいまより、昭和四十四年度リーグ優勝チーム中日ドラゴンズの優勝インタビューを行ないます。録画収録に二時間ほどの時間を予定しております。なお舞台右手に控えておりますのは、今年の春に引退なさった―」
「まだ正式に引退しとらんぞ!」
 板東が叫ぶ。
「あ、さようでした。すみません。引退間近の、もとドラゴンズの大エース板東英二さんです」
「それは合っとる!」
「板東さんには進行のお手伝いをお願いしております。板東さん、よろしくお願いいたします」
 板東はぺこりとお辞儀をし、人なつこい笑顔を浮かべながら、
「じゃまにならんようにひっそりとお手伝いしますわ。ときどき口を挟みますんで、よろしく。じつは引退やなく、長期登録抹消扱いで、まだドラゴンズの現役選手ですよ。二十日のアトムズ戦にも投げたでしょう。打たれてすんません。あれ、引退試合のつもりですわ。日本シリーズでチョイとリリーフすることがあるかもしれへんので、よろしくお含みおきを」
 盛大な拍手。川久保が、
「日本シリーズまでしつこく現役ですか、板東さんらしい」
 会場大笑い。
「さて、舞台に勢揃いなさっていらっしゃるのは、一九六九年度、みごとリーグ優勝を成し遂げられた中日ドラゴンズの面々でございます。まず一列目のテーブル、客席から見て左から、一枝修平内野手」
 立ち上がって礼をする。ワーッと歓声。高木守道内野手、中利夫外野手、木俣達彦捕手、江藤慎一内野手、神無月郷外野手と紹介していく。立ち上がって礼をするたびに、叫び声の混じった拍手がつづく。
「真ん中のお二人は、水原茂監督と小山武夫中日ドラゴンズオーナー、その右隣へ進んで」
 小川健太郎投手、小野正一投手、菱川章内野手、太田安治外野手、星野秀孝投手、伊藤久敏投手と紹介していく。
「以上十四名でございます」
 もう一度全員立ち上がって礼をする。フラッシュの光がまばゆくきらめく。四台のカメラが自在に動く。
「二列目の雛壇にまいります。葛城隆雄内外野手、徳武定之内外野手、新宅洋志捕手、吉沢岳男捕手、高木時夫捕手、伊藤竜彦内野手、江島巧外野手、千原陽三郎内野手、山中巽投手、水谷寿伸投手、門岡信行投手、土屋紘投手、水谷則博投手、江藤省三内野手、以上十四名でございます。最後列にまいりまして、コーチの面々です。宇野光雄一軍ヘッドコーチ、太田信雄一軍ピッチングコーチ、田宮謙次郎一軍バッティングコーチ、カールトン半田一軍守備コーチ、本多逸郎二軍監督兼ヘッドコーチ、長谷川良平二軍ピッチングコーチ、森下整鎮(のぶしげ)二軍守備コーチ、以上七名でございます。きょうご出席なさっていない選手のかたがたも含めまして、中日ドラゴンズはおよそこれら四十名の選手たちの団結によって、十五年ぶり二度目の優勝を勝ち取ったのでございます」
 紹介が終わってもしばらく拍手が鳴り止まない。
「それでは水原監督、優勝の日からすでに十日間が経ち、感激もそろそろ薄れてきているころだとは思いますが、現在の胸の内をお聞かせください」
 水原監督はおもむろに立ち上がり、
「いっこうに感激が薄れないんですよ。優勝という事実には、もちろん心から感激いたしましたが、キャンプからこちら、一貫してすごいものを目撃させてもらったという感動が薄れない。これからも彼ら天才たちの演舞を目撃しつづけることができると思うと喜びで胸がいっぱいになります。いかに自分が幸運な時間に居合わせたか、その思いが日ごとに新たになり、感激が薄れる暇がございません」
「演舞とおっしゃると?」
「野球を含めて、桁外れの変革を起こした男たちの言行のことです。彼らは昨年まで〈いい子〉の野球をしていた。不本意ながら、チーム野球という小さな哲学にこだわってね。しかし、神無月郷という桁の外し役が現れて、一挙に解放された。天衣無縫の個人プレイに徹するようになった。まずそれが天才たちの野球に関する演舞です。その演舞がいかにチームのためになるか、それがいかにファンの目を楽しませるかに目覚めたわけです。私を含めて彼らのゲーム中の異様な行動は一般の反感を招きかねないものでした。男女のように抱き合ったり、審判に向かってバットを調べろと怒鳴ったり、牽制球をスパイクで蹴り返したり、敵の選手とタッチしたり、背面投げをしたり、すべてまぎれもない解放感からです」
 川久保が、
「……審判の眼鏡をむしり取ったり」
 爆笑。
「お恥ずかしい。そこへ精神的な革命が重なりました」
「そういった解放を嫌い、拘束を求めて出ていった選手もおりますね」
「はい、しかしそれは個々の充実感のちがいですからいたしかたありません。新天地での活躍を祈るしかない。―第二に精神革命。私どもフロントは、選手たちの破天荒な行動ばかりでなく、親愛の情に満ちた行動も頻繁に目にしております。精神的な解放もなされている証拠です。たしかにどのチームも、野球の天才たちの巣窟ではあるでしょう。しかし精神が解放されていないので、チーム力に限界が生じる。ドラゴンズには、大のオトナがベトベトと、という枷がない。つまり強大な信頼感が生まれ、不気味な団結力が生まれる。チーム力に限界がなくなる。―優勝して当然だったわけです。突飛な結論を申し上げますが、天才であることが罪ならば、彼らの素行はことごとく罪でしょう。マスコミのかたがた、どうか、グランド以外においても彼らの破天荒な行動を瞥見することがあったとしても、それが社会秩序を紊乱するものでないかぎり、愛をもって、心やさしく見逃してあげてほしい。とりわけドラゴンズの選手にそうしてほしい。でなければ、来年以降の優勝は保証いたしません」
 笑いが一挙に弾ける。板東が、
「ええですか、ちょっと。その素行の悪さというのは、たとえばどういうものがあるんですか。いま監督がおっしゃった程度のものは、破天荒とは言いませんよ。もっと肝心なところを隠しとりますな。徳武選手、葛城選手、ベテランにはだれも逆らいませんから、お茶なんか濁さないで、ぶっちゃけてくださいよ」
「それは秘密です。後進を育てるのがベテランの役目ですから、陰口は厳禁です。板東さんも思い当たるところがあるでしょう。もちろん犯罪や風紀紊乱というのではなくね」
 観客が大笑いする。
「ありませんなあ。私は天才でないんで、羽目を外すことはありませんのです。寮の門限すら破ったことのない男ですから。自分ではなく、人のことでなら思い当たる節がありますがね。高木選手がえらく口が悪いとかね。風紀紊乱ではないですが、それはそれは破天荒でした。私、サヨナラホームラン打たれたとき、―どうせ打たれるなら、ぐずぐすせんと最初から打たれとけや―と怒鳴られましたからね。一年後輩にですよ」
 ドッと盛り上がる。川久保が、
「たしか高木選手が守備にケチをつけられたとき、試合をほっぽらかして帰っちゃったなんてのは有名な話です」
 高木が頭を掻いている。板東は、
「あれは杉浦監督やった。ほかの選手なら追いつけん打球に追いついとったのに、アウトにできんかったゆうんで、何やっとるんだと怒鳴られた。それで頭にきて寮に帰ってしまった。このへんにしときましょ」
 板東はスタンドマイクを低く提げ、用意されていた椅子に腰を下ろした。川久保が交代してしゃべる。
「こと野球に関することなので、それほど目くじらを立てるまでもない笑い話に思われますが、朝昼晩と区切って天才の素行を調査したらたいへんなことになるでしょうね。その意味で、天才が罪ならばという水原監督の提言は、非情に納得のいくものでした。しかしながら、それは本日の主題ではございません。さて、小山球団オーナーからもひとこといただきます」
 水原監督と同い年の小山オーナーは、上品な口もとをほころばせ、
「一ファンとして、ドラゴンズの目覚ましい野球を楽しませていただいてます。球団オーナーなんてものは、いい選手が見つかったら採ってくださいや、と声をかける程度の役どころです。男は黙って招き猫。来年もこつこつ、いい選手を採りますよ。話し出せば、どんな話柄も神無月くんのことに終始してしまうにちがいないので、発言せずにきょうは聞き役に回っていようと思う。一つだけ、私にとっての神無月くんの影響を申し上げたい。彼のおかげで私は選手を商品と見なくなった。友人や息子と見るようになった。以上」
「ありがとうございました。十一月のドラフト会議に期待しております。どんなにすばらしいチーム状態のときも、補強はチーム力を維持するための要ですからね。それでは、アットランダムにお一人ずつお伺いしていきます。太田選手、現在のお気持ちを」
「俺、神無月さんと熱田の宮中学校の同級生です。当時もいまも神無月さんは雲の上の人です。神無月さんといっしょに野球をやりながら、入団一年目に優勝を経験できたのはラッキーでした。俺は明石キャンプで、長谷川コーチにたった一球でピッチャーを見かぎられ、水原監督の進言のおかげでバッターに転向させられたんですが、トントン拍子に一軍でやれるようになったのは、神無月さんに打撃力を褒められ、励まされ、おまけに素振りの仕方まで教わったからです。それが、今年一年かぎりでないラッキーになったものと確信しています。もし一軍でやれていなかったら、いまの喜びはなかったでしょうし、これからの喜びもなかったでしょう。同級生だった中学のときに教わっておきたかったんですが、神無月さんはそのころから遠い人でしたので、近づけませんでした」
 そう言って、目もとを拭った。
「感慨深いお話、ありがとうございました。それでは、今年最大の彗星、星野秀孝投手お願いします」
「はい! 彗星のようにスッと消えないようにがんばります。ぼくは、たまたま神無月さんのバッティングピッチャーをしていたとき、神無月さんに褒められたことがきっかけで一軍に上げてもらいました。あとは太田さんと同じようにトントン拍子です。ホームランを打った神無月さんのからだに抱きつくのが大好きです。温かくて、柔らかいんです」
「小山オーナーのおっしゃったとおり、やはり神無月選手の話に終始しますね。ファンとしてはうれしいことです。では、三十勝投手、小野投手、どうぞ」
「私、三十六歳です。この年までずっと野球馬鹿でやってきました。神無月くんに対する気持ちはいま星野くんが言ってくれた。温かくて、柔らかい。とても気持ちがいい。それだけじゃない。私はそこに感謝の気持ちをつけ加えたい。それは、この大人の野球馬鹿を少年の野球馬鹿に戻してくれたからです。野球を仕事ではなく、遊びと見るようにしてくれた。子供のころの気持ちに戻してくれた。速い球を投げたい、バッティングもやりたいってね。ホームランを二本も打ったでしょう? 神無月くんと一年でも長くいっしょに野球をやりたいけど、最近肩の調子がね……。しかし、シリーズが終わるまで精いっぱいがんばりますよ。そのあとで、来年に向けてのコンディションを整えます」
 小野大明神! 剛速球! という声が飛んだ。
「では、岐阜県の生んだ偉大な職人、高木選手、どうぞ」
「金太郎さんの話は、五人五連発でだいたい察しがついたと思うから、それは措(お)いといて、優勝の要因を一つ挙げれば、水原監督の度量の広さでしょう。ノーサイン、ノータクティクス。よきに計らえ。おかげでどれほど伸びのび野球をやれたかわからない。伸びのびやると、ホームランを打てる。ホームランを打つと、気持ちに余裕が出て、もっと伸びのびして、守備にも精彩が出る。いいことづくめでした。この状態が全員だとすると、優勝するのもあたりまえだったということですね」
 板東が、
「ここ七、八年は、ああやれ、こうやれ、やったものね。それがプロやと思っとった節はあったわな」
 高木の隣席の木俣が、
「そうなんです。今年に入って、水原監督やコーチのかたから何か言われたことは一度もないです。ピッチャーの調子を訊かれたこともありません。黙ってベンチの隅やコーチャーズボックスに立って、ただ微笑してる。かけ声かけたり手を叩いたりしてね。ミーティングもほとんどありません」
 川久保が、
「あ、紹介のないうちに、セリーグ最高のスラッガー捕手、木俣選手が発言してしまいました。では、木俣選手、心置きなくどうぞ」
「すんません。ま、とにかく、こういうゆるい体制に批判が多いようですが、自己鍛錬を欠かさず、体調を管理すればいいだけの状態に放っておいてくれるおかげで、伸びのび野球をやれます。それが好結果に結びついたわけです。自己鍛錬、自己管理はじつはゆるくないですよ。ゆるい体制と言う人の気が知れない」
 木俣は私を心配そうに見て、
「金太郎さん、しゃべるか? パスする?」
「ちょっとしゃべります」
「無理すんなよ」
「はい」


         二十

 板東が、
「金太郎さんはしゃべりだすと立て板に水やけど、ふだんは人を怖がって、岩みたいに無口なんですよ。私も徳島商業の剛腕投手、四国の怪物の異名をとった人間として、ぜひ北の怪物の話が聞きたいです。私は十年前の昭和三十四年当時、王さんの千八百万円を越える二千万円の契約金でプロ入りした男です。とは言え、北の怪物とは比べものにならないことはわかっております。たとえば、王選手に絶対打たれない秘策は、何を隠そう、敬遠だったんですから」
 和やかな笑いが会場を潤した。
「それではいよいよ、日本の怪物、神無月選手、どうぞ!」
 会場に叫びや嬌声が満ちた。私は立ち上がってマイクの前に一礼し、腰を下ろした。
「ぼくは幼いころから、することなすことどうもうまくいかず、ビクビクして、ヤケッパチな気持ちで生きてきた人間です。好きなことをしていてケチをつけられず、模範と見なされるような日々がやってくるなどとは思ってもいませんでした。そういう日々を与えてくださったのは、ここにいるドラゴンズチームのかたがたです。ぼくはすばらしい集団に属しました。ファンのみなさまも、ぼくの有卦(うけ)に入った人生をしばらく暖かい目で見守っていてください。暖かい目で見つめてくれる人を失望させることはしません。ヤケッパチなぼくを受け入れて愛する人びとが現れ、人生が有卦に入ったのは青森高校の一年生のときからです。七年と言われる有卦は、あと二年あります。それが終わると、昭和四十七年から五年間の無卦(むけ)に入ります。そういう陰陽説をぼくはまったく信じていません」
 ドッという笑い。
「ただ、人生にはたしかに浮き沈みというものがあると思うのです。沈みそうになったとき、どうかお力をお貸しください。がんばれと心で祈ってくれるだけでいいんです。ぼくはますます努力の人になるでしょう。祈ってくださる人のために、ぼくはいつでも命を投げ出す覚悟でいます」
 スタジオの壁が振動するほどの拍手になった。川久保は感無量の顔で、
「板東さん、何かおっしゃりたいことは?」
「ありませんわ。こんないい話聴いて、あるわけないでしょ。私、野球選手やめて解説者になろうと思ったのは、神無月くんを全国に宣伝したいと思ったからなんですよ。彼は野球だけがすごいんじゃないんですわ。うまく言葉じゃ言えませんわ。慎ちゃん、バトンタッチ」
「では、球界を代表するスラッガー中のスラッガー、首位打者二回、今年は現在ホームラン五十九本、王選手の五十五本の日本記録を塗り替え、ロジャー・マリスの大リーグ記録六十一本を塗り替えるまであと三本と迫っている江藤選手です。現時点通算三百二号ホームランは、南海野村選手の四百四十三本、王選手の三百九十五本、山内選手の三百九十一本、長嶋選手の三百十九本に次ぐ歴代五位の記録です。では江藤選手、よろしくどうぞ!」
「金太郎さんとワシらは一蓮托生たい。ばってん、いっしょに滅ぶつもりはなか。いっしょに生きていたいけん、金太郎さんの身も心も滅ぼさんようにする。ちょっかいを出されやすい人間やけんな。金太郎さんにかぎらず、わがチームの人間は徹底して救うばい。優勝バンザイ、水原さんバンザイ!」
「バンザーイ!」
 小川がマイクの前で両手を挙げた。
「アマプロ球界渉り歩き、三十歳入団、ウエイトトレーニング、背面投球など、球界きっての破天荒な行動で名を知られた名物男、沢村賞投手、小川選手、どうぞ!」
「三十でドラゴンズに入って、三十五で優勝できた。六位、二位、二位、二位、六位、そして優勝。三年連続二位と言っても競った二位じゃなかった。個人的に沢村賞を獲っても、また、慎ちゃんが首位打者獲っても、利ちゃんやモリミチが盗塁王を獲っても、いつも優勝は遠く及ばないものと感じてた。何が足りなかったか。それはまとめて爆発する力だったんです。そのために必要なのは、導火線に火を点けて起爆させる点火物だけだった。みんな能力があるダイナマイトなわけだからね。そこへ金太郎さんだよ。火を点けるだけじゃなく、本人も巨大なダイナマイトだったけど、人を爆発させる点火精神を持ってた」
 中が、
「そのとおり! 私の紹介はいりませんよ。一番センター中です。神無月くんの点火力は一に深い精神性からきてるけれども、そんじょそこらの精神性じゃない。彼は根が哲学者だからね、人間の心のありように興味がある。その興味の〈ついで〉が野球ですよ。ついでに私たちに付き合ってくれてるわけだ。そうだとしたら、彼が哲学を語りだしたら拝聴する義務がある。これがじつに深い。きょうも聞いたでしょう。深い。宗教的な訓話より効果がある。野球とはそういう気持ちでするものなのかと考えるだけで、野球に対する取り組み方がちがってくる」
 菱川がまぶたを拭いながら、
「俺の紹介もいりません。オニューの背番号4をもらった菱川です。俺、たぶん今年でクビだったんですよ。それは周りの気配でわかります。さっぱり打てないし、そのくせ、鳴り物入りで入団したもんだから、自惚れてて、練習も不まじめだったしね。二月のキャンプで鬼のような天才を見た。その天才が、独りっきりで鬼のように練習してる。心の底から打たれたんです。俺、自分が恥ずかしくなって、その日のうちに、口はばったいですが人間革命を起こしました。この鬼とグランドで死のうって思ったわけです。どうせクビになってクニに帰っても、死んだようになって暮らすだけですからね。死にもの狂いでバットを振りだした。走った。で、今年三十一本ホームラン打った。今年は四十本、来年五十本を狙いますよ。それもこれも、神無月さんに笑って喜んでもらいたいからですよ。尊敬と言うのじゃない。愛してるんですよ。神無月さんが死んだら、俺、グランドでなくても死ぬな。俺の家はヤクザ者の家系です。そういう気持ちはしっかり持ってます。すみません、くだらないこと言って」
 ウオーッと歓声と拍手が爆発した。一枝が、
「俺も紹介いらんです。バイプレーヤーとか何とか紹介されるだけだからね。優勝の手柄を自分一人のものみたいに言われることを、金太郎さんはひどく嫌うし、根本的に手柄なんてものに関心がない。なんせ、俺たちのおかげで生きていられると思ってる変人だもの。自分が主役になりたけりゃ、どんな会合にも金太郎さんを引っ張り出しちゃだめだよ。話が金太郎さん一色になっちまう。たしかに金太郎さんを大好きな俺たちは、じつに気持ちがいいよ。でもこの神さまを毎日見てない人は退屈しちゃうでしょ。話、だれに聞いても同じだよ。監督とかオーナーは一日しゃべるよ。俺は神さまに嫌われたくないからしゃべらない。小野さんじゃないけど、毎日感謝してるもん。それで充実。優勝に関して言わせてもらうと、俺たちが金太郎さんを好きでなかったら達成できなかったな。その意味で奇跡だね。嫌いだったり、劣等感持ったりすると、金太郎さんを孤立させちゃうからね。一致団結なんか夢のまた夢になっちゃう。ほい次、伊藤くん、どうぞ」
「伊藤久敏です。今年神無月さんと、神無月さんと喜んで連れションする人たちのバットのおかげで五勝挙げました」
「連れションとは?」
「打ちたくなっちゃう気持ちです。一枝さんにひとこと。会場のみなさんはこういう話、退屈してないと思いますよ。とつぜん空から降ってきた神無月さんのことや、神無月さんに対する俺たちの気持ちを知りたいはずだから。でも、優勝祝賀インタビューなので、そろそろ主題を本筋へ引き戻したほうがいいと思います。一致団結は、気分と体調が万全でないと可能じゃない。仲よきことと自主練の充実が優勝の原因です」
 川久保は畏れ入ったように笑い、
「伊藤選手のおっしゃるとおり、私どもはまったく退屈しておりませんが、神無月選手のほうが退屈しているようなので、残り時間を有効に使わせていただきます。最後列に座っていらっしゃる宇野ヘッドコーチ、チームにおけるコーチの主たる役割が選手たちの技術指導にないとするなら、いったいそれは―」
「声かけ役です。ヨ、ホ、イヨー!」
 太田コーチが、
「ヨッシャ、いったァ!」
 半田コーチが、
「ビッグイニーング!」
 田宮コーチが、
「いけ、二十点取れ!」
 長谷川コーチと森下コーチが、
「ハイタッチ、ロータッチ」
「あとは抱擁、といったところやろな」
 選手、聴衆ともに大爆笑になった。川久保は手を叩いて笑い、板東は腕組みをして笑った。本多二軍監督が手を挙げた。
「本多コーチ、どうぞ」
「チーム力維持のためには、一軍と二軍の連携も重要でして、二軍選手の力を伸ばして一軍へ送りこめるかどうかが、年間を通したチームの勝率を左右します。今年の成果は、星野秀孝、水谷則博、土屋紘、江藤省三です。彼らはかなり勝ち星に貢献してくれました」
 長谷川コーチが手を挙げる。
「私と森下くんは、よく一軍のベンチにも入るんだが、一軍の控え選手も勝ち星の三分の一には貢献してる。水谷寿伸、山中、門岡、葛城、徳武、江島、千原、伊藤竜彦、新宅、吉沢、高木時といったところだね。彼らだけで一チーム作れるくらいです」
「控えの充実も優勝の一因であったということですね。ところで、半田コーチと森下コーチは南海から移ってきたわけですが、南海と、あるいは他のチームと比べて、中日ドラゴンズのちがいというのはどういったものでしょうか」
 森下コーチが、
「いまの南海はレギュラー打線が手薄やな。野村一人。控えもほとんどおらん。富田、島野、柳田くらいか。と言うより、レギュラーと控えの区別がつかん。大砲の野村も今年から急に衰えた。そして、ダントツの最下位。大砲一基のチームはそうなるんや。大砲は少なくとも四基必要やね。五年前まで南海が三連覇しとったころは、大砲一基、準大砲が三基ぐらいおった。投手力は基本三本柱でどうにでも回せる。準大砲は育てて化けさせんとあかん。うちは育てんでも、大砲二基以外はほとんど準大砲や。あとは神無月と江藤のほかに大砲二基を育てるだけやね。菱川と太田が育ってくれれば、取らぬ狸やなく、三連覇は堅いで」
 轟々と拍手。川久保はメモを手に、
「すばらしい約束をしていただきました。現在大砲二基、百四十二本と五十九本、準大砲五基、三十九本、三十四本、三十一本、二十四本、二十本、合わせて三百四十九本。日本記録を百本優に超えてます。それに加えて、一枝選手が十二本、移籍した島谷選手と並んで千原選手が八本、葛城選手が五本、江島選手と小川投手が四本、伊藤竜彦選手が三本、江藤省三選手、新宅選手、吉沢選手、小野投手が各二本、徳武選手、星野秀孝投手、水谷則博投手、退団した田中勉投手、移籍した浜野投手がそれぞれ一本打ってます。計五十七本。総合計四百六本。今季四百五十本は打つでしょう。これは永遠に破られない記録です」
 田宮コーチが手を挙げ、
「巨人は例外として、準大砲が一、二本程度のチームがすべてです。阪神、二十本前後の準大砲三基、カークランド、田淵、藤田平。大洋準大砲二基、松原、中塚。広島準大砲二基、山内、山本一義。アトムズ準大砲二基、ロバーツ、武上。ON巨人にしても、大砲一基、準大砲一基のみ」
「うーん、現在のところ中日ドラゴンズにしか優勝の可能性がないという、なるほど理屈に合った説明です。長谷川コーチ、投手力はいかがですか」
「当然指摘される問題です。浜野百三くんの移籍の影響はほとんどなかったが、田中勉くんの引退が痛かった。山中くんは内臓疾患のため、体力が限界にきている。今季はもう投げられません。実質、小川くんと小野くんと星野くんの三本柱で通したので、他チームと比べれば最大の弱点でした。もし打撃力がなかったら、今年の優勝は不可能だったかもしれません。大本営発表などせず、そこは謙虚に捉えたい。現在肩の不調を訴えている小野くんの回復を願っている状況ですが、回復できない場合、日本シリーズはピッチャー総力戦になるでしょう。伊藤久敏、水谷寿伸、門岡信行、水谷則博、土屋紘、若生和也らのがんばりが鍵になる。外山博、松本忍、大場隆広といったところまで動員することがあるかもしれない。なんとか打線の爆発で乗り切ってほしいと思っています」
 ウイークデイの昼下がりなので、子供の聴衆はほとんどいなかったが、数人熱心に聴いていた中の一人が手を挙げた。板東が驚いて、思わずその小学生らしき男の子を指差した。フラッシュが光る。
「ぼくちゃん、何でしょうか。きょうは、飛び入りの質問はできないことになっとるんですよ。あとで三十分ほどサイン会がありますからそちらのほうで」
「オーナーさんに一つだけ訊きたいんです」
「私も神無月選手に!」
 中年の男が手を挙げた。川久保が、
「例外で二人だけご質問をいただくということにいたしましょうか」
 小学生は大声で、
「選手のお給料はどうやって決まるんですか」
 川久保が苦笑いしながら、
「小山オーナー、よろしいですか?」
「お答えしましょう。わかりにくいところは勘弁してくださいね。プロ野球選手は球団の社員ではなくて、球団つきの弁護士さんや税理士さんのような扱いです。もちろん仕事の内容はちがいますがね。球団の仕事を独立して請け負ってると見なされるわけです。それを個人事業主と言います。社員には決められた給料を払いますが、個人事業主には、給料とはちがった、一定の年限で契約した俸給というお金を分割して払います。ここから、ちょっと細かい話になりますが、球団には選手の成績を査定する査定員という人たちがいて、投手なら一球ごとに、野手なら一打席ごとにきびしく採点します。一勝が何ポイント、リリーフ成功が何ポイント、ヒットが何ポイント、ホームランが何ポイント、同点打、逆転打が何ポイントというふうにね。たとえば、同点、逆転、サヨナラ以外のソロホームランのポイントは少ないんですよ。そんなふうに査定項目は数百にもなります。実績のあるスター選手はこのかぎりではありません。足し算していくと膨大なポイントになってしまうので、ある限度額を毎年提示して納得してもらうことになります。こんなところでいいでしょうか?」
「はい!」
「それでは、もう一人のおかた、ご質問をどうぞ」
 半白の髪を律儀に分けた中年の男が立ち上がり、
「神無月選手、中日新聞に掲載された五百野という連載小説、二回目も感動して読みました。人はいざものを書こうとすると、詭弁や重複表現を並べ立てただけの、怠けと格好つけと知的虚栄心にあふれた文章を書くものですが、あなたの文章は簡明で、純粋で、人間の魂の真実を香り高く訴えてくるものでした。きょうの受け答えも、その文章にたがわない人柄が偲ばれて、感動を新たにしました。あなたは伝統的なタイプに納まる人間ではない。よく異常と報道される言動は決して欠点ではなく、天才の持つ本質として受け入れられるべきものです。無理をして正常ぶる姿を見るほうが胸痛みます。世間の常識に囚われる必要はありません。どうか自分が素直になれる形のままでいてください。いつも神無月選手のそばにいて、愛情交歓のできるドラゴンズの選手がたの幸福が、きょうほど羨ましかったことはありません。選手がたのひとことひとことを噛みしめて聞きました。すばらしかった。このような対話を聞けたことに、心から感謝いたします。神無月選手、文武両道、力のかぎりがんばってください!」
「ありがとうございます。お言葉を励みにがんばります。ただ、ひとこと言わせてください。ぼくは、余儀なく野球を中断させられた十五歳のころから、書物に向かう机の人となって、芸術こそ自分の天職であり、自分のいる場所だ、野球は自分の居場所じゃなかったのだと思いこんできました。芸術以外は仮の住まいだと信じこんだんです。しかし、ものを書くとき、不自然な力仕事の意識がまとわりつくことに気づきました。あなたのおっしゃる〈人間の魂の真実〉を描こうとする厄介な使命感がつきまとうんです。たぶんそれはぼくに本来的な芸術家の素質が欠けているからです。真の芸術家は作品を作り上げるとき、ひたすら天の声に従うのみで、使命感など持っていないはずです。ぼくにとって野球は力仕事ではなく、自然な生き方です。野球選手でいるとき、ぼくは天の声に従い、自然に生きられます。自分の世界をずっと生きている感じがするんです。プロ野球人となって、ぼくはやっとそのことが理解できました。野球がぼくに意味すること、それはフィールドの外の生活を望むのは馬鹿げているということです。そんな願いはもう捨てました。ここがぼくの居場所じゃないと思いこむ内省も捨てました。さっき、いい場所に属したと言ったのは、ここが望まれて所属する場所という意味じゃないんです。ぼく自身が、この生き方にすべてを捧げる価値がある場所ということです。すべてを捧げるのに最適な場所がここなんです。ぼくはここにずっといます」
 水原監督以下、壇上の人びとのあいだに大きな拍手が湧き上がった。それが会場の拍手と混じり合い、しばらく激しい雨音のようにつづいた。


         二十一

 中区区長、中川区区長、名鉄中部支配人、ミズノ渉外課長、松坂屋取締役、中日新聞社スポーツ部長、CBC専務取締役などの祝いの言葉のあと、それぞれ好きな選手に色紙を持ち寄ってのサイン会が行われた。私は六十数人にサインをした。北村席の九人と下通はその中に含まれていなかった。彼女たちはサインを求めなかった。私の余興に参加する気持ちなどもとより持たないのだ。
 録画終了となり、重鎮が退き、聴衆が退いて、川久保がスケジュールに追われる様子であわただしく去ると、あたりにお疲れさまが呼び交わされながら、放送スタッフ一同の姿も消えていった。三十数人分のコーヒーがスタジオに用意された。板東がみんなに愛想を振りまいている。すっかり放送業界人の風格だ。私は彼に、
「王さんとの対戦成績はどうだったんですか。ぜんぶ敬遠だったわけではないでしょう」
「よう訊いてくれた。二割六厘打たれた。王と百打席以上対戦したピッチャーの中で、一番低い打率やった。あまり知られとらんけど、俺の大事な自慢の種や。来年からCBCラジオで野球解説をやるので、金太郎ドラゴンズの宣伝はまかしといて」
 同期の江藤が、
「十姉妹(じゅうしまつ)と呼ばれた板ちゃん舌ばい。天下ば取るやろうもん。きょうは口数少のうしとったけどな。板ちゃん、巨人に勝てば商売繁盛みたいなことよう言っとるみたいやけど、ワシも板ちゃんも商売はカラッ下手や。くれぐれも野球と関係ないことには手ば出さんようにな。それから、このあいだも東海ラジオでおかしなこと言っとったぞ。人間の根本は愛でのうて、メシ。人はメシのために自分を売るんやって。金と何かを比較するとき、愛だけは持ち出さんとけ」
 板東は笑いながらうなずくと、江藤と握手し、小山オーナーと水原監督にも握手を求めにいった。コーヒーを飲み終わり、一人ひとりテレビ局から紙袋を渡されて会場をあとにした。
 夜、文江さんや節子、キクエはもちろん、下通まで集まり、テレビのニュース特番で優勝インタビューのダイジェストを観た。開幕戦から優勝試合までのフィルムをじょうずに散りばめ、各選手がどのようにシーズンを送ったかが、私への賞賛の言葉とともに手際よくまとめられていた。私は適所に適材でいることにあらためて安堵し、快くみんなの賛辞を聞くことができた。白井中日新聞社社主、トヨタ自動車社長、東海テレビ社長らの〈寄せる言葉〉の録画もあった。彼らの言葉も快く聞いた。
 笑いさざめきながら、飲み、食い、直人が寝たあと、カラオケ大会になった。私は宴の途中で、おトキさんのリクエストでカスバの女を歌った。心地よく適度に酔い、カラオケ部屋に蒲団を延べてもらって熟睡した。だれがいつ帰ったか、いっさいわからなかった。
         † 
 九月二十四日水曜日。則武で八時起床。曇。二十四・七度。ジムトレ二十分。バーベル百三十キロ一回。菅野と日赤までランニング。ぽかぽか日和。
 北村席でシャワーを浴び、朝食をとったあと、十時過ぎ、名古屋競馬場へ男三人クラウンでいく。ブレザーを着て、革靴を履いた。ポケットに二十万円。
 名駅通の六反から大須通りを右折して運河町に出、昭和橋通までひたすら南下。右折して中島から東海通に出る。左折して名古屋競馬場正門に到着。所要時間たった二十分。中川運河を挟んで熱田区と反対側の道を走って港区まできた。競馬場正門から五百メートルほど先に東海橋が見える。康男のアパート跡が近い。有料駐車場にクラウンを停める。
 入場門脇に腰を下ろして客にハキハキしゃべりかけるおばさんから、競馬エースという新聞と赤サインペンを買い、十時半の開門と同時に入る。入場料無料。そのわりに観客はあまりいない。二、三百人というところ。ワンカップを手にしているオヤジもいて、鉄火場的な雰囲気。辻さんといった東京競馬場よりかなり小さいが、それでも見渡すと広大な空間だ。
 スタンド横の芝地に子供の遊具が点在している。ラクダ、パンダ、ウマ、バネつきのイヌ。子供が何人か母親に見守られながら遊んでいる。遊具の目の前が発走地点だ。芝地につづくコンクリートの斜面が第一コーナーまで延びている。斜面の中央付近からゴールが見下ろせる。特別観覧席には入らず、ゴール前の階段席に腰を下ろす。無風。眼鏡をかける。砂が白い。遠く中央に馬場内公園がある。親子連れが遊んでいる。
「ほとんど十頭立てです。多くて十二頭立て。時計回り。日本一直線が短いんですわ。百九十四メートル。日本一がもう一つ。一番人気がくる確率六十パーセント以上」
 私は新聞を見ながら、
「十一レース中、六レースが十頭立て、五レースが十二頭立てですね。強い騎手は?」
「伊藤光雄。それでも連対率二割ちょいの騎手です。千三百メートルのレコードタイムは、おととしの春、ダイモンジという馬が出しました。騎手は神垣三秀。一分二十一秒二」
 具体的にイメージできる情報として数字が頭に入ってこない。菅野が味噌おでんと串カツを買ってきた。
「ここの豚バラの串はゼツですよ」
 たしかにうまい。辻さんと初めて競馬というものを観にいったときとはちがった観光気分になる。二人にくっついて裏手の小さなパドックへ。馬の入場口の脇に、こんもりした木立を背景に二本柱の社のようなものが建っていて、柱のあいだに馬体重表が貼られている。馬場状態・良と書き添えられている。
 柵沿いにぐるりと取り囲んで馬を検分している連中は、ほとんど中老以上の男たちだ。彼らが難しい競馬用語を囁き合いながら何を検分しているのかはわからない。ただ、馬が間近に見えるので迫力がある。とぼとぼ歩いている瞳の愛らしい馬がいる。競馬新聞を見ると、まったく印がついていない。五枠五番。オッズの表示板を見上げて、五番馬の人気を確認する。十二頭中八番人気だった。五番馬のいる五枠から外三枠、六、七、八枠へ千円で、ほかに五番馬の単勝と複勝を千円買う。穴場にいき、五千円を払う。パンチで穴を空けた馬券だった。百円券拾枚分と印刷されている。全レース、いちばんとぼとぼしておとなしそうな馬から外三枠へ流して買うことにする。
「すごい買い方ですなあ。私は予算五万ですよ。一レース四千円ほど」
「私は二万円。一レース二千円ぐらいずつ使います」
「ぼくは五万五千円の予算になりますね。宝くじのようなものなので、当たるも八卦、当たらぬも八卦。見初めた一頭には義理を立てて、単勝と複勝を買います」
「総計で十円でもプラスになった人が、帰りのめしをおごることにしましょう」
 菅野がうれしそうに言う。発走前の練習走。トボトボの馬も含めてみな同じようなスピードに見える。ゲート前の輪乗り。味噌おでんを齧りながらファンファーレを聞く。全十二頭枠に入り、ガチャンとゲートが開く。ダッシュの躍動感、舞い上がる砂、ステッキの音。東京競馬場を思い出した。
 三十円のコーヒーをおごりおごられして、このファンファーレを十一回聞いた。
 第一レース、一・三・二番人気で、主人、菅野ともに四百十円を千円で中てた。二レースは、一・五・四番人気、菅野が千円で九百二十円を中てた。三レースは、一・二・四番人気、主人と菅野が二百六十円を千円で。主人はトリガミ(中ってもマイナスの意味だと教えられた)。四レースは、二・三・四番人気できて、だれも的中しなかった。五レースは、一・二・三番人気で二百九十円。主人と菅野が千円で的中。主人はトリガミだった。五レースまで終わった。
「いまのところ零点です」
「ワシはトリガミですわ」
「私は六千円くらいプラスです」
 六レース、三・五・六番人気、とぼとぼ馬の単勝千七百五十円、複勝二百八十円、計二万三百円返還。七レース、一・七・四番人気、ここで枠複三千百五十円、とぼとぼ馬の複勝三百九十円、計三万五千四百円の返還。主人、菅野ともに五百円で的中、一息つく。八レース、六・一・二番人気、枠複三千二百二十円、とぼとぼ馬の単勝二千六十円、複勝二百円、計五万四千八百円の返還。主人、菅野ともに五百円で的中、笑顔が大きくなる。九レース、一・二・八番人気、とぼとぼ馬の複勝三百九十円、計三千九百円の返還。主人、菅野ともに千円で二百三十円を取るも、主人はトリガミ。十レースは、八・二・三番人気で、私だけ的中。枠複五千七十円、とぼとぼ馬の単勝四千二百四十円、複勝八百八十円、計十万千九百円の返還。十一レース、三・四・一番人気。的中者なし。
「終わりましたね」
「ワシは千六百円ぐらいのプラス」
「私は九千円ほど」
「ぼくは五万五千円使って、返還金が二十一万二千四百円ですから、十五万七千四百円のプラスです。何でもおごりますよ」
 主人が、
「けっこうですわ。神無月さんにおごられたんじゃおもしろ味がない。神無月さんが勝つことは最初の予定に入っとらんかったし、それに帰ったらすぐ晩めしです。しかし、何をやらしてもすごいなあ、神無月さんは」
 菅野が、
「十一レース中七レースは、たしかに一番人気がきたんだけど、六、七、八番人気もキッチリ絡むんですね。畏れ入りました。とぼとぼ馬というのは、ほんとにとぼとぼ歩いてたんですか?」
「静かに歩いてました。雰囲気がそんな感じがしただけで、足どりはふつうだったかもしれません。人気薄がきたとき、たまたま外三枠の馬に伊藤が乗っていたことも幸いしましたね」
 客足が退くまで、場内の屋台で生ビールを飲む。菅野が、
「馬券は淡々と形式的に買って、あとはじっと馬や景色を眺めてる。そういう神無月さんはすてきだったなあ」
「形式で買うしかないんですよ。競馬に関する知識がないんで」
 主人が、
「一か八かのルーレットでさえ理屈でいく人間がおりますもんねえ。ワシも運否天賦の高級な遊びをやってるようで、ギャンブルをやってる感じがしませんでしたよ」
「馬券を買うより、こうしてぼんやりしてるのがうれしかったんです。小学生のころ、このあたりの田んぼに何度かザリガニ採りをしにきたことがありました。そのときよく、ドンコ競馬場という言葉を聞きました。正体がわからないだけに神秘的な響きだった。お父さんと菅野さんのおかげで、その神秘的な場所にとうとうくることができた。イメージどおりに、空が広くて、砂の白い美しい場所でした。大勢の人に出会いながら、十年間巡りめぐって、耳に馴染んだ場所に戻ってこれるなんて、人生は不思議です。人が生み出す何ものよりも、人生は不思議です―。ときどききましょうね」
「おお、何度でもきましょうわい。お安いご用です」
「縁日にもいきたいな。いろいろな風物に触れてみたい」
「中村公園の九の市、大須の縁日は毎月二十八日です」
「クノイチ? 女忍者?」
 菅野が、
「ハハハハ、ちがいます。大鳥居からの豊國参道に、毎月九日、十九日、二十九日に百近い露店が出ます。午前九時から午後の三時まで。十年ほど前に豊國神社の近所の農家が野菜を売りはじめたのが始まりです。野菜、生花、雑貨、菓子なんかを売ります」
「魚も売っとる」
「岩塚から西高に自転車でかよってたころ、よくあの鳥居をくぐりました。中村村が名古屋市に合併されたのを記念して建てられたんですよね。カズちゃんが言ってた」
「はい、合併が大正十年、鳥居が建てられたのはそれから八年後の昭和四年、トモヨ奥さんや私と同い年です。高さ二十四メートル、笠木の長さ三十四メートル、平安神宮の鳥居とまったく同じ大きさで、世界一です。当時は、周りは田んぼや畑だったので、枇杷島からも見えたんですよ」
 主人が、
「建てたのは大林組。地元民の寄進と寄付金で建てられたので、持ち主はおらんのです。大須は毎月二十八日に大須観音境内で縁日やっとる。名古屋場所のある夏の縁日は、相撲取りが餅つきをして盛況ですよ。来年、試合のスケジュールとうまく合ったらいきましょう」
 駐車場のクラウンに乗りこみ、東海橋へ。左手の土手を見ていると、菅野が、
「ここをいくと、康男さんのアパート跡ですね。ただの駐車場になってしまいましたが」
「さびしい風が吹きますね。橋のたもとの枝垂れ柳もない」
 千年の交差点。母が歯を抜いた医院は自転車屋になっている。守屋くんの家は、三階建てのマンションに変わっていた。守屋という苗字をなぜ思い出したのだろう。彼の筆箱から転げ落ちた消しゴムをポケットに入れて、そのまま返さなかった。それをとつぜん思い出した。いつのことだったか。小五? 小六? たしかに守屋という少年は存在して、私に消しゴムを盗まれた。野球ヒトスジだった時代のささやかな罪の記憶。
 市電と出会う。名古屋港から熱田駅前までの築港線。右にいけば労災病院。クラウンは左へ進み、船方を左折し、ヤスコの家に通じる小路を左に見て、下江川線の市電道を日比野から柳橋まで走る。
 暮れかかる都会の景色に心が安らぐ。両側のビルの壁のあわいの空が夕映えで燃えている。ビルの壁にも赤い光が脈打っている。
 柳橋から左折して、あっという間に名鉄百貨店前。夕映えは消え、地面も壁も薄暗くなり、ネオンが輝きはじめる。人工の光の中から街の騒音が聞こえてくる。中央郵便局を左折して、則武へ。則武から北村席へ。



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