八十五 

 並びの店舗の中間に田代があった。店構えも立派になっている。二年前は廃屋のようにたそがれて建っていたはずだ。道を挟んだ向かいの空地に駐車場も完備されている。
「あのときの無骨な店じゃないよ。店内から煙出しの立派なダクトが出てるし、出店で焼いてるオヤジさんの顔はあのころと同じだけど、頑固な雰囲気が消えてるしね。店の壁は有名人のサインだらけだろう」
 素子は戸から出てくる客の背後の店内を窺った。
「ほんとだ! 何十枚もサインが貼ってあるがね。あのときのお婆さんがおらん。若い奥さんがおるが」
「入ってもサインを求められるだけだ。帰ろう」
「うん。帰って席でゆっくりしよ。あしたダブルヘッダーやし」
「めしは北村席が一番だものね」
「あの厨房の味を出すには、十年かかるわ」
 引山から出来町通へ戻り、高岳に出て、素子の勧めで純喫茶ボンボンに寄る。
「千佳ちゃんといっしょにきたんやけど、ここのケーキおいしいんやわ。昭和二十四年に開店したんやと。キョウちゃんと同い年やが」
「ぼくと同い年って多いな。戦後の復興期だからだろうな」
 オレンジ色の壁にブルーの瓦屋根。店内に入ると、まずケーキのショーウィンドウ。テイクアウトの客が続々と入ってくる。どのケーキも百円台から二百円まで。安い。常時三十種類置いてあるそうだ。私はサバランとレモンタルトを頼んだ。素子は、ボンボンの看板ケーキだというマロンと、私のまねをしてサバラン。
「サバランて、スポンジにラム酒をたっぷり滲みこませとるケーキやね。高円寺のトリアノンで食べたね」
「うん、じつにうまいケーキだ」
 喫茶室も昭和二十年代の内装らしく、すばらしい雰囲気だ。赤い革張りのソファ、席と席のあいだには仕切りの観葉植物が置かれ、ゆっくりくつろいで話ができる。店内の照明がそれほど明るくないので、ところどころに開けられた丸窓のステンドグラスがシックに映える。ケーキといっしょにブレンドコーヒーが出てくる。素子は専門家の表情で、
「苦味三、酸味ゼロ、コク二、甘味一、香り二。ふつうに飲めておいしいむかしふうの味やね。五点満点で四点。ケーキとの相性は抜群やわ。ミルクレープを食べるときは、キリマンがええよ」
 ミルクレープとは何たるかを知らなかった。
「すごいね、素子は。何にでも挑戦する。……ぼくはこのごろ人間というものにしみじみ感動するようになった。一人ひとりがどんなことにもものすごい向上欲を持ってる」
「キョウちゃんが言うと、お世辞にしか聞こえんが」
「お世辞じゃない。自分に向上欲が足りないことを突きつけられる気がするんだ。ぼくは自分が天賦の才能を持って生まれたことに感動はしてる。でも、そういう自分を生かしてくれる人にじゅうぶん感謝できていない。向上欲がなければ、かぎられた天賦を磨かないで見せびらかす喜びだけに没頭するようになる。人はいろいろなことに挑戦するよね。そして、挑戦することにかならずそこそこの達者になる。達者になることを喜んでくれる人に応えたいという向上欲があるだからだよ」
「天から与えられたものって、いちばんすごい能力やないの?」
「ちがう。天から与えられた才能は能力じゃない。ただの素質だ。能力というのは、意欲と向上欲をなくさないようにしながら、その素質を開花させることだ。向上欲がなければ素質は能力にならない」
「能力と才能ってちがうん?」
「ちがう。能力というのは、最終的に自分以外の人のために使うものなんだ。まず、何のために向上するかというとね、天賦を生かして少しでも自分が充実した時間を送るためじゃないんだ。自分の充実なんてものは、人間の真の目的としては価値が低い。自分を慈しみ生かしめてくれる人じゃなく、ただ自分を喜ばせようとしているだけだから。自分を愛して生き永らえさせてくれる人に対する感謝がない。自分を生かしめてくれる人に感謝を捧げたいなら、その人の充実のためにこそ向上しなければいけない。そういう向上をして初めて、天賦の素質は能力になる。自分を愛し、生かしめてくれる人に貢献しなければだめだ。人のために商売をする、人のためにおいしいものを作る、人のために勉強する、人のためにセックスする。それこそ能力だ。だからぼくは人の向上欲に感動するんだ」
 素子は涙を浮かべて私の手を握った。
「考えることが大きすぎてついていくのがたいへんやけど、それがキョウちゃんだって知っとるから、あたしは一生ついてく。離れせん」
 二人それぞれ二つのケーキを平らげ、二杯目のコーヒーを飲み終える。
「さ、帰ろうか。三時を過ぎた」
「うん。キョウちゃんの時間、ほとんど一日もらった。ほんとに最高の贅沢したわ。みんなにケーキ買ってったろ」
「三十種類、一つずつぜんぶ買いなよ。六つずつ箱に入れても五箱ですむ。恨みっこなしの一人一個ずつで食べてもらおう」
「ほうやね。直ちゃんは、ショートケーキやね」
 素子はショーウィンドウへいく。私も素子の隣に並んで眺める。素子は三十個ぜんぶ注文する。ガトーショコラ、ショートケーキ、モンブラン、プリン、いろいろなタルト。形がさまざまなので五箱ではすまなかった。二人で抱えて駐車場まで歩く。菓子折を狭いトランクに入れる。意外とラクに収まる。
 錦通を戻っていく。
「ねえキョウちゃん。セックスって、能力なん?」
「うん、意欲と向上欲と感謝があればね。それがないのが売春宿でするセックスだ。野球も観て喜んでくれる人のために向上しないとね。投球術、打撃術、守備術、走塁術」
         †
 夕食前に、直人も交えてケーキパーティになった。直人はモンブランを取ったうえに、トモヨさんのショートケーキからイチゴを奪った。トモヨさんはカンナに少しクリームを舐めさせた。菅野がサバランを賞味して目を丸くしている。
「うまいもんですねえ!」
 初めて食べたようだった。女将やカズちゃんたちもはしゃいでフォークを使った。
「きょう一日の素ちゃんの幸せが詰まってるわ」
「すごく幸せやった。みんなにも分けてあげたかったわ」
 素子は、せっかく思い出のうなぎ屋までいきながら引き返してきた経緯を語った。主人が、
「神無月さんのええ判断や。サインベタベタはあかん。成り上がり者は初心を忘れる。たぶん、味も落ちとったやろう。その若い女は愛人やないか? むかしいたお婆ちゃんは母親で、病気で寝てるか、死ぬかしたんやろ」
 菅野が、
「近所の雇い人でしょう。成り上がり者は愛人を働かせないで飼っておきますよ。繁盛して手が足りなくなったんじゃないですかね。……いや、やっぱり成り上がり者かな。贔屓の選手や芸能人以外のサインをベタベタ貼るのはセコいなあ。有名人は自分からサインを書きませんから、いちいち頼んだってことですね」
 キッコが、
「二年前はサイン貼ってへんかったん?」
「一枚も。きょうは五十枚と言わず貼ってあった」
 主人が、
「トップクラスの野球選手や芸能人には片田舎のグルメ情報なんか入ってこんし、そんなところへ出かけていく暇もあれせん。たとえいくとしても、大物の芸能人は一人ではいかんやろうし、神無月さんみたいな一人で出かけるめずらしい人でも、バレんようにこっそりいくからサインはねだられん。もしそのサインの中にプロ野球選手がおるとしたら、わざわざ目立つようにして、親しくもない商売人にヘコヘコされてサインしたわけや。そんなやつはレギュラークラスやないな」
 納得できる説だった。千佳子が、
「ムッちゃん、あしたはダブルヘッダーの応援だから、あさって、大学の帰りに車で瀬戸にいってみない? どんな味か知りたいし、サインも見てみたい」
「うん、いこ。尾張瀬戸の田代」
 カズちゃんが八重歯を光らせて、
「物好きね。きっとその若い女の人は、遅くめとった恋女房かもよ。その人がせっせとサイン集めなんかの努力をして店を盛り立てたのかもしれない。ご亭主は仏頂面だったんでしょう」
「うん、サインなんか頼みそうもない雰囲気だったな」
「やっぱり。案外いまも味がよかったりして」
 この説明も納得できた。
「満員で長く待つよ。うなぎが焦げてて、盛りつけの仕方が杜撰なら、相変わらずうまいと思う。肝焼きは絶品だったけど、いまはどうかな。睦子、瀬戸と万葉集は?」
「瀬戸市そのものを詠った歌は知りません。このあいだも菅野さんがチラと言ってましたけど、当時海岸だった名古屋市熱田区の桜田町のあたりをむかしも桜田(さくらた)と言ったようで、桜田へ鶴(たづ)鳴き渡る、年魚市潟(あゆちがた)、潮干(しほひ)にけらし鶴鳴き渡る―巻三の二百七十一。この歌碑が、熱田の桜田だけじゃなく瀬戸市にもあるんです。どうしてなのか、ちょっと興味があります。この歌は、七百年ごろ持統・文武朝の歌人だった高市連(たけちのむらじ)黒人が、熱田の年魚市潟に飛んでいく鶴を見て詠ったものです。鶴は潮が退いた泥の浅瀬で餌を漁るので、そこへ向かって鶴が飛んでいくということは、潮が退いた合図になるわけです。愛知はアユチが変化したものです」
 私は、
「潮が退くとどうなるわけ? その先があるよね」
「はい。アユチ潟は幅の狭い入江で、満潮なら船で渡れるんですけど、干潮だと船では渡れないので、ドロドロの干潟を歩いて渡らなくちゃいけないことになります。その憂鬱を詠ってるんだと思います」
 私は、
「一人旅はつらいね。のんびりと言っても、宮仕えだから、時間の予定に追われてるだろうし」
 睦子がハッと口を開け、
「あ、一人旅じゃありません! この歌は黒人が持統天皇の三河国行幸に従駕(じょうが)したときに詠んだものでした。ひょっとしたら、干潟を渉る心配をしてるんじゃなくて、ただ天皇といっしょに高台からアユチ潟の景勝を眺めて詠った歌かもしれませんね。天皇が泥の潟を歩いて渉るわけがないですものね。郷さん、ありがとう。どこから見たんだろうと謎の多い歌なんです。……桜田を見下ろす高台って、どこかしら。瀬戸じゃないですよね」
 菅野が、
「笠寺台地じゃないですかね。桜田のあたりは桜台とも言いますよ。桜台高校は岡の上にあります。桜田景勝の台地はたくさんあって、桜田八幡や白毫(ごう)寺もその一つです。そこにその歌の碑も建ってるんじゃないかな。町の名前も、桜田町、鶴里町、鶴田町なんてありますからモロですね。ただ、瀬戸から熱田の海は見えないと思いますよ」
 百江が、
「タヅって鶴のことなんですね。知らなかった」
「和歌のための言葉です。日常語では、ツル、とちゃんと言いました」
 千鶴が、
「私の千鶴ゆうんは、鶴は千年亀は万年から?」
「そうだと思います。中国の古い言い伝えでは鶴と亀は長寿の象徴になっていて、めでたい動物だそうです。推定では、鶴は九十年、亀は百八十年生きるんですって。そこまで長寿だと、実際に測れる人はいませんよね」
 直人が菅野のサバランに指を突っこんだ。イネが、
「あ、直ちゃん、そたらこどしたらまいねべ」
 直人はペロリと指を舐めた。
「にがァい」
 菅野がワハハと笑った。
「うまいと言ったら、末恐ろしかったな」
 ソテツたちの手で皿鉢がドンドン運びこまれ、賑やかな夕食になった。ビールのつまみにはチキン南蛮、めしのおかずにはチキンソテー、豚ロース照り焼き、鯖の味噌煮、ニンニクを効かせたシイタケの唐揚げ、ニンニクバターの大根ステーキ、野菜コロッケ、トマトとニラの春雨スープ、ブロッコリーとカリフラワー、白菜の味噌汁。主人が、
「きのう、榎本喜八が南海最終戦で二千試合出場を達成しました。二十一号も打ってます」
 菅野が、
「変人榎本ですか。十五年目、三十三歳。長いなあ。三十五年と四十一年に首位打者、フォアボール奪取王四回」
「そんなタイトルあるんですか」
「ありませんけどね。目がいいんですよ」
「試合前、練習もせんとベンチで座禅を組んで瞑想するんもんで、監督も困ってるそうやな。オールスターでも日米親善野球でも、試合直前まで瞑想するそうや。一塁守備中にバッティングフォームを検討してポーズをとるし、三振するとベンチのコーラ瓶を叩き割るとも聞いとる。今年はいちばんひどくて、試合前にスタンドに上がりこんでターザンみたいに怒鳴ったそうや」
 菅野が首を振り、
「田宮、山内、葛城といなくなり、一人ぽっちになって、責任の重さに押し潰されたんでしょうね」
「でも成績はいいんでしょう?」
「去年、今年とホームラン二十本、打率も三割前後打ってます。本人は七年前から神の域のスイングができなくなったとポツリと言ったきり、だれとも口を利かないそうです。ヒットやホームランを打っても、自分の打撃じゃないと悩んでるっていうんですから、周りは何も言えませんよね。三年前に三割五分打って首位打者になってるんですがね」
「打撃コーチの与那嶺は、きみは真剣すぎる、野球をもっと楽しむべきだと言ってやったそうや」


         八十六

 緊張や悩みを隠そうとして口数が多くなるのは、社交家タイプの人間だ。無駄話をして心を落ち着かせようとする。そんなやつはプロ野球界にはめったにいない。その意味では、榎本は純正のプロ野球選手だ。それにしても精神に異常をきたすほど野球一筋に打ちこめる人間がいることに恐怖を覚える。彼の純粋さに比べて、自分は泥のように濁っていると感じた。
「榎本は神無月さんに対する感想を求められて、打撃理論のない人、天から降ってきた野球の達人である、達人と自分を比べるだけむだです、と答えてます」
 私は、
「それは褒めてるんじゃありませんよ。日々努力している凡人の自分と理論のない達人とを比べるのは、努力人に対する根本的な侮辱だということです。ぼくももっと純粋に野球に打ちこまなくちゃ」
 カズちゃんの笑いに呼応して、素子が、
「それ以上どうやって純粋になるん」
「榎本さんのように、ただ野球を極めたい、そんなふうに」
 菅野は、
「そういう榎本を野村は尊敬できないと言ってますよ」
「野村は野球に純粋になれないただの天才ですね。建て前重視の。ところで、ぼくがホームランボールを捕った森徹ってすごいスラッガーだったのに、ぜんぜんものの本に書き記されてません。活字では調べ切れない人の一人です」
 主人がニッコリ笑い、
「生まれも育ちも函館、道産子です。東京にあこがれなんかなくて、地元の野球の強豪函館西高に進学するつもりでいたんです。ところが早稲田学院に進んだ。森は母親っ子でしてね、父親が死んで以来女手一つで家計を支えてきた母親のノブさんを心の底から慕っとった。そのノブさんが東京の遊山から帰ってきて、どうせ高校いくなら東京の高校にいけ、都の高校で勉強しろと言いだした。森は一発で決意して、受験して合格し、東京に出てきた」
 菅野が、
「誕生日が十一月三日の明治節、文化の日ってやつで、ぼんやり明大にあこがれてたようですが、高校の流れから早大にいった。背は高くないけど寸胴の体型でしょ、野球と柔道の二本立てです。目立ったのは野球で、早大時代に三度の優勝、ベストナイン四回。六大学一のスラッガーで、長嶋とツーショットで雑誌のグラビアを飾ったこともあります」
 主人が、
「二十九年に優勝した中日は過渡期に入っていて、西沢、杉山の二枚看板が衰え、どうしてもスラッガーが必要だった。長嶋は巨人に持っていかれた。森がドンピシャだったわけです。身元保証人は力道山でした」
「その話は知ってます。満州出身の母親とのつながりで、森と力道山は義兄弟の関係にあったんですよね」
「そうです。長嶋が国鉄との開幕戦で四打席四三振した同じ日、森は広島との開幕戦に新人では異例の四番ライトで出場して、大エース長谷川コーチからバックスクリーン直撃のホームランを打ってます。ほとんどの人が知らないトピックスです」
 菅野が、
「一年目の三十三年から二十三本塁打、七十三打点、さっそく看板選手になりました。二年目は三十一本でホームラン王、八十七打点で打点王、オールスターにも出場とトントン拍子。テレビでザ・ピーナッツと対談したりもしました。それでも森は性格的に浮かれる男でありませんでした。グリップエンドに〈ノブ〉と書きこんだバットで試合に臨むんですよ。まあ、マザコンと言うよりは、気味悪いほど純朴な人間だととったほうがいでしょう。休みの日はジャズレコードを聴く、意地の悪い待遇には反抗する」
「繊細で、正義漢、ということですね」
「はあ、およそ豪傑の外見には似合わない面のある選手でした。スケールはまったくちがいますが、神無月さんとよく似ています」
 中が森とクーラーの温度で小競り合いをした話を思い出し、私は微笑んだ。主人が、
「気力体力充実、まさしく順風満帆、しかし一寸先は闇。入団三年目の三十五年に濃人が一軍コーチできてからおかしくなった。あの策士面のチンチクリンのおっさん、あいつが森にとって闇の入口だったんですな。三十六年に濃人が監督になると、闇のトンネルに入っちゃった。開幕からどうも調子が上がらない。豪打が鳴りをひそめて、五月には四番の座を後輩の江藤さんに明け渡してしまった。その三日後にはスタメン落ちです。三十五年まではヘッドコーチに人情家の天知さんがいたんですが、三十六年には濃人に追われる格好で退団してました。その天知さんが報知新聞の評論で、森は何かが原因で情熱を失ったんじゃないか、めったなことでは闘志をなくすような男じゃないのにどうもおかしい、と書いた。しかし、もう球団にタッチしていないので何もしてやれない。岡島や伊奈といった生え抜き主力の放出を上に諮った濃人に森が憤慨したのが発端です。森としては、えらそうにあれこれ指示する濃人への面当てだったんですな。あんな男の下でまじめにやってやるものかというね。子供っぽさと正義心がアダになった。濃人にしてみれば、自分にへいこらしない森がとにかく気に入らない。森の甘えた根性を叩き直してやると濃人が放言して、実際、ホームランなんか狙わないでアベレージを上げろと命令したり、チャンスで代打を送ったり、スタメン落ちさせたりの意地悪をした。二人の不仲はついにマスコミの知るところとなりました。新聞紙上に二人の舌戦が載ったりしてね。あいつのもとで野球をする気は毛頭ない、あんな選手を使わなくても勝てる、という具合です」
「濃人になぜそんな傍若無人の振舞いができたんですか」
「金鯱時代の知人で、球団代表の地位にあった平岩治郎と昵懇だったからです。強いコネを頼りに威張り腐ってたわけです。中日にくる以前の社会人時代から、荒川学校ならぬ濃人学校と呼ばれて、猛特訓で教祖的な人気を得ていた人物でしたんでね。三十六年のシーズン終わりに、森、井上登、吉沢さんが放出されました」
 菅野が、
「森は引退を決意してたんですが、力道山があいだに入って大洋へ移籍しました。それから四年間大洋で中日時代とほとんど変わらない活躍をし、四十一年に東京オリオンズに移籍。そこにヘッドコーチの濃人がいたんです。つくづくついてない運命ですね。二年間そこそこの活躍をしましたが、去年濃人が監督になると、森はケガをしているわけでもないのにわずか七試合出場という露骨な仕打ちに遭いました。ここに至ってついに引退決意というわけです」
「不幸を絵に描いたような人だったんですね」
「はあ、六大学を沸かせ、名古屋に希望を与えた若きスラッガーでしたけどね。濃人に人生を奪われました」
 しばしみんな無言になった。プロ野球選手になれなければ死ぬとまで私に決心させた男は、まぎれもない不幸なプロ野球選手だった。学生帽で森徹のホームランボールをキャッチした昭和三十六年、彼は不幸の真っ只中にいて、しかも中日に在籍した最後の年だったのだ。主人の年鑑をめくると、その年彼は十三本しかホームランを打っていなかった。翌年大洋に移ってから二十本台が復活した。二十二本、二十四本、十五本、十三本、確実に衰えていき、オリオンズに移って、十七本、十本、ゼロ本。スポーツは心でやるものだとしみじみ思った。……常に心を明るく保っていよう。そうできなくなったら、潔く引退しよう。
 いつものように直人は、めしを終えてとろんとした顔になる。私はトモヨさんの膝に乗っているカンナを見つめ、
「這い這いはいつごろから」
「七、八カ月目からです。一年くらいでヨチヨチ歩きをするようになります。まだまだ〈物体〉状態。ようやく首が据わったばかりですから。そろそろ寝返りを打ったり、おすわりができるようになります」
「直人はカンナにどんな態度で接してるの」
「イネちゃんも私も目の届かないことがときどきあるんですけど、そんなときは自分からベビーベッドにいってあやしてます。驚きました。年長の兄弟は年下の兄弟の養育者として機能するんですってね」
「ふうん。生物というのは大したものだね」
 トモヨさんはカンナを膝から抱き上げ、直人の手を引いて風呂へいった。幣原が随った。
「ところで、榎本さんの話に戻りますが、彼は結婚してるんですか?」
 菅野が、
「はい。奥さんは新聞記者に紹介してもらった人だそうです。師匠の荒川にキャバレーに連れていかれて、数分もしないうちに、こんな不潔なところにはいられない、と言って帰っちまったそうですが、そんな男がよく結婚できたものですよ」
「子供はいるんでしょう」
「いるようです。夫の義務として、まじめに奥さんをかわいがったんでしょう。なんせ麻雀も煙草も酒もやらない男ですから」
「おんなのからだは不潔なものではないですからね。神々しいくらい神秘的です」
 主人が、
「ハハハ、ここの女たちもそう言ってもらえてうれしいでしょう。榎本は酒豪らしいですよ。一人酒みたいやが、家で飲んで暴れるそうや。バット振り回して」
 近記れんが、
「そういう人は、奥さんをもらうべきじゃなかったですね」
 木村しずかが、
「野球そのものじゃなく、求道精神が好きなんでしょう。孤独な宗教家に向いてると思います」
 丸が、
「結婚して生臭坊主になったんだから、宗教家にはなれないんじゃないかしら。生臭くなったことを後悔して、周りに怒りが向くから、ヤケになって周りのいろいろなものに当り散らしちゃう。その分、背負うものが多くなるでしょ?」
 みんなでめずらしく発言する。主人が、
「実家を背負っとったみたいやな。田畑を売って高校へいかせてくれた父親に感謝して、プロに入ってから買い戻したそうや。打率が下がると、実家に仕送りができなくなると悩んだらしいで。たしかにそんな男が家庭を持ったらたいへんやな」
 千鶴が、
「そんなもん、感謝であれせんよ。神無月さんが契約金をお母さんやお祖父さんお祖母さんにあげちゃったのと同じ。一種のあてつけやよ。神無月さんは一度ですんだけど、何度もやっとったらたいへんや。そういうことが原因で野球に集中できなくなってまったんやないの?」
 ソテツが、
「でも、親は野球の高校にいかせてくれたんですよね。やっぱり、ごくふつうの感謝だと思います。神無月さんは野球の高校にいかせてもらえませんでした。神無月さんはホンモノの変人です。虐待した人に、ヤケでもあてつけでもなく契約金をあげてしまうんですから。その榎本さんが言うとおり、比べるだけむだだと思います」
 女将が、
「私もそう思うわ。榎本さんてふつうの人やないの? ヤケになって背負うんやなく、ふつうの義務感から背負っとるんでしょ。神無月さんには義務感なんてあれせん。背負っとるゆう気持ちもない。ただ引き受けて、そうして感謝しとるんよ。ふつうやない。だから野球も伸びのびできる。榎本さんは義務感に潰されそうになりながら、野球は野球で苦しんどるんでしょう?」
 主人が、
「生臭坊主になっとらんかったとしても、野球で苦しんどったゆうことか」
 カズちゃんがにっこり、
「そうよ。榎本さんはやっぱりキョウちゃんを褒めてるのよ。自分が極めようとしてる野球で比べものにならないと言ってるの。まさかそのほかのことでも比べものにならないなんて、考えもつかないでしょう。榎本さんのような人が変人と言われるレベルは、その程度のものよ。座禅も、瞑想も、ぜんぶ型どおりでしょう。ベンチや家で暴れるのはイライラを抑えられないただのわがままだし、キャバレーから帰ってしまったのもお師匠さんに対する甘えよ。スタンドで叫んだのは、変人と言うより、病人じゃないかしら。少しおかしくなってるんだと思う。キョウちゃんの変人ぶりとはちがう意味でね。キョウちゃんは病人じゃないから」
 素子が、
「宇宙人やわ」
 いつもの結論が出る。幣原が玄関から、
「江藤さんからお電話です」
「はーい」
 飛んでいく。
「もしもし、神無月です」
「うまかめし食っとるか」
「はい」
「ワシャ、まずか寮めし食った。あした小野さんの試し運転たい」
「小野さんが! 巨人戦で負けたあと、水原監督にゆっくり休めと言われてたのに」
「おう、ドラゴンズで投げられるチャンスも残り少ないと思っとるごたる。とにかく万全でなかけん、ワシらが点取ってやらんば」
「そうですね。でもおたがい二打席ぐらいしかないでしょう」
「あしたからずっとレギュラーメンバーでいくげな」
「そうですか、がんばりましょう!」
 私は座敷のみんなに電話の内容を告げ、式台に出てグローブとスパイクを磨いた。カズちゃんがやってきて、
「あした、節子さんとキクエさんが泊まりにくるわよ。だいじょうぶ?」
「問題ないよ。ダブルヘッダーのあとで気持ちよく疲れてるだろうしね」
「疲れマラ?」
「うん。甲子園から帰った日は文江さんのところに泊まる。電話しといて」
「わかった。五百野の完成原稿落合さんに送りまし。コピーをとって、私もしっかり読み終えました。すばらしいでき上がりよ。名作を書いたわ」
「ありがとう。カズちゃんが喜んでくれるのがいちばんうれしい」
「山口さんにもコピーを送っといたから」
「あいつ、それどころじゃないと思うけど、暇になったら読んでくれるだろう。記念LP手に入った?」
「来週の月曜日。千佳ちゃんたちがレコード屋さんに取りにいくことになってる」
「早く聴きたいね」
「ええ、ステレオからどんな音が出てくるのか楽しみ」


         八十七

 十月十四日火曜日。七時起床。曇。九・一度。うがい、下痢、シャワー、歯磨き。ジムトレーニング入念に三十分。バーベルついに百五十キロ一回。私の筋力の限界だと感じた。つづけて三種の神器、倒立腕立て五回三セット、素振り百八十本。
 菅野とランニングを終えたころには十四・三度。昼には二十度前後になるだろう。きょうはアヤメ中番出勤の百江のおさんどんで、サンマの開き、目玉焼き、納豆、板海苔、白菜の浅漬け、豆腐とネギの味噌汁。二膳のめし。美味。
「出勤は?」
「十一時半に出ます」
「引っ越し祝いの姫始め」
「はい! していただけるんですね」
「もちろん」
 二階に上って廊下を歩き、きれいな障子を引いて、仕切り襖を立てた奥の十二畳に入る。明るい。ベランダ側のガラス戸が大きく開いている。戸を引いて物干しのバルコニーに出た。下を見ると、秋の草花をまぶした庭が曇り日に照り映えている。
「いい部屋だね。気持ちが爽やかになる」
「はい。神無月さんのおうちですよ」
 二部屋にまたがってこぎれいな調度が据えられている。文机と小ぶりな書棚もある。特に箪笥は年季の入った美しいものだった。
「仙台箪笥です。嫁入り道具。ふふ」
 百江はかわいらしく笑い、押入から蒲団を一組出して敷いた。それからスルスルと上着とスカートを脱いで全裸になると、蒲団の上に仰向けに横たわった。五十歳の胸が大きい。その胸を丁寧に愛撫する。
「きれいな部屋で心置きなく神無月さんにからだを預けられます。ありがとう、神無月さん、ほんとにありがとうございます」
「つまらないことを訊くけど、結婚してたときはどんなセックスだったの?」
「……入れて、黙ったまま三分ぐらいこすって、出すだけです」
「三分も! 優秀だな」
「三分て、早漏じゃないんですか?」
「早漏は十秒ももたない。百江の膣が締まらないので、三分ももったんだね」
 百江はつらそうな顔をした。
「がっかりしないで。ご主人のセックスに愛がなかったので締まらなかったんだ。前からする? 後ろからする?」
「後ろから……」
 百江が尻を向けた。陰茎に芯が入った。
         †
 十時、北村席でユニフォームに着替え、曇天の下、菅野の運転で中日球場へ。きょうから十六日まで阪神五連戦。十四日ダブルヘッダー、十五日一時からシングル。十六日木曜日は芦屋へ移動して、二時から甲子園でダブルヘッダー。小野から始まって、星野、小川で中日球場を締め、甲子園はたぶん、土屋、水谷寿伸になるだろう。最悪二勝三敗。そのあとの十八日、十九日の巨人二連戦は、おそらく門岡、小川だ。二十一日の広島との最終戦は星野秀孝先発、伊藤久敏か土屋の継投だろう。あと八試合。今月の二十六日からは日本シリーズだ。
 グランドに十人ほどの報道陣。ひさしぶりに蒲原の顔を見かけた。
「やあ、蒲原さん、ひさしぶり」
「どうもご無沙汰しました。ドラゴンズの優勝からこのひと月、主に阪急と近鉄のデッドヒートを追ってまして、中日球場のほうは多少手薄になってました。それでも神無月さんにはけっこう貼りついてて、中日新聞に載ったホームラン写真は、五割方私が撮ったものなんですよ。十八日から阪急―近鉄の天王山の四連戦が始まりますので、またしばらく出かけてきます。近鉄が二勝すれば優勝です」
「いま近鉄が首位なんですか」
「はい、二厘差で。阪急は三勝しないと優勝できません」
「知らなかった。みんな知らないみたいだけど」
「アハハハ、みなさん知ってますよ。宇野ヘッドコーチと太田コーチの姿が見えないでしょう。関西に飛んでるんですよ。じゃ、私はきょうの試合を撮ったら、シリーズの二戦まで西宮に滞在します」
「はあ、そうですか。それじゃ、また」
 十時四十五分。バッティングケージに入る。十本打って、外野へ回る。鏑木の手拍子に合わせてポール間ダッシュ往復一本。きょうは太田、菱川とやった。フェンスに足をつけて倒立腕立て五回。力まずスムーズにできるようになった。腹筋、十回やって、背筋、十回やって、軽度の股割り。その間、蒲原が接写を繰り返していた。
 観客がスタンドを埋めていく。二位巨人に大きく水をあけられた三位阪神との戦い。入りは悪い。阪神の選手がベンチを埋めるころにようやく六分の入り。中が、
「きょうは二万人弱だね。去年の中日なら、これで満員のほうだよ。きょうあたりからテレビ中継もないんじゃない?」
 江島が、
「九月九日の優勝以来、中日―巨人戦以外は中継してないと思います」
「そうだったの? スポーツニュースしか観てなかったから知らなかったよ」
「みんな観たいのは巨人戦だけですからね」
「私たちも子供のころそうだったな」
 たしかに中の言うとおりだ。ほとんど巨人戦しか〈観られなかった〉のだ。巨人戦が雨で流れたときなど、たまにパリーグの南海戦や大毎戦が放送されることはあったが、セリーグの中継は巨人戦が九割を占めていた気がする。相手がドラゴンズでなくても巨人戦ばかりやっていた。それで、巨人以外の五球団の選手を知ったのだった。
 小山田さんたちに連れていってもらった中日―広島戦を鮮明に思い出す。巨人以外の他球団の選手を目の当たりにした初めての経験だった。長谷川コーチが投げていた。判定に怒って審判をグローブで打ち据えた。美しく静かな野球の過激な面を知った。十年も前のことだ。太田が、
「今年から、中日―巨人戦以外も、中日の試合はCBCか東海テレビで放送するようになったんですよ。消化試合もそうです」
 江島が、
「ふうん、知らなかった」
 スタンドを眺め回す。ウィークデイの真っ昼間に球場まで応援に駆けつける客たち。少年少女や大人の女はほとんどいない。大人の男ばかりだ。熱狂的なドラゴンズファン。私はベンチへ戻る前に、帽子を取り、一塁スタンドに向かって振った。そうしたかった。大きな拍手が上がった。
「よ、世界一!」
「来年も百五十本打てよ!」
「空に飛んで帰るんじゃねえぞ!」
 阪神のバッティング練習が始まる。見かけない選手が出てくるに決まっているので、解説役の太田の隣に腰を下す。背番号45、中背、体重ありそう、眉が太く、鍾馗(しょうき)のような風貌をしている。縦縞のユニフォームが似合わない。
「川藤(かわとう)幸三。俺たちと同い年です。二年目。俊足、強肩。去年、うちとの最終戦で松本忍からプロ入り初ホームランを打ってます。ホームランはそれ一本きり」
 背番号36、私と同じくらいの体格。
「江田昌司。二十四歳、七年目。上尾高校の山崎と並んで、高校球界きっての大型内野手の評判で阪神入りしたんですが、さっぱりです。ほとんど出場はなく、ホームランもゼロ」
 背番号21。
「これは見慣れてるでしょう。山尾孝雄。七年目。ウドの大木。今年ホームラン四本」
 藤田平、カークランド、田淵と打っていく。背番号1の大男が打席に入る。
「こいつもよく見ます。大倉英貴、二十五歳、ドラ二の三年目。今年から小玉を抑えて三塁のレギュラー。ホームラン七本」
「あの体格のいい背番号12、忘れちゃった」
「和田徹、六年目、二十四歳。肩が弱くて、キャッチャーからレフトに回されました。最近ファーストを守ってます。ホームラン五本」
「太田は?」
「二十九本。菱川さんに八本水を開けられてます。今年は追いつけませんね」
 後ろにいた菱川が、ヘッヘッと得意そうに笑った。
「来年も追いつかせないよ。めしにいくか」
 太田と菱川はつるんで選手食堂へいった。千原、江島、星野たちがあとにつづく。私は阪神ブルペンに小柄な右腕鈴木皖武(きよたけ)が向かうのを見て、球種を復習する。アンダーハンドからの快速球と大きなカーブ。その二種類。
 コーチや仲間たちがチラホラいるロッカールームへいき、ソテツ弁当。鶏そぼろ。うまい。中と高木もパンを齧っていた。
「中さん、森徹は高校から野球も柔道もやってたんですね」
「いや、高校までは柔道部所属で、ときどき野球部に駆り出されてたんだよ。打撃がいいからクリーンアップでね」
「へえ!」
「早稲田大学から野球部に入った。好きな柔道をつづけたかったけど、柔道は家計の足しにならない、プロ野球選手になって金を稼ごうと思ったらしい。本人から聞いた話だから確かだよ。いきなり四番バッターだったって」
 森徹の話はそれでやめにした。田宮コーチが、
「消化試合は控えにとってきびしいよね。結果を出さなくちゃいかんと緊張するんだろうが、俺たちが見てるのは、結果以上に姿勢だ。凡打でもしっかり走ってるか、三振でも思い切り振ってるか。そういう張り切った姿を見ると、もう一年使ってみようという気になる。レギュラーでなくてもベンチにずっと残ってる選手は、気力のあるやつばかりだよ。ヒシはほんとうに今年危なかった」
 江藤省三が、
「長くプレーするためのアドバイスはありますか。気力は当然のこととして」
「そこにいる兄貴に訊いたほうが早いと思うけど。俺の考えだと、走ること、しかも長距離をゆっくり走ることでからだのバランスがよくなる。あとは故障しないことだな。いいもの持ってても、故障すると長くやれない。気をつけることだね。ハードな練習がいちばん危ない」
「そんとおりばい。ワシも今年ようやく肘が回復してきたたばってん、やられたんは日鉄二瀬の猛練習が原因やった。ハードはいけん。金太郎さんのごつ、ゆったり、真剣な練習がいちばんたい。わかったと?」
「はい」
 食後の守備練習に加わり、低いボールで念入りに二塁送球と三塁中継のバックホームを繰り返した。
 内野に空席が目立ち、結局七分の入り。グローブを小脇に中と立ち話をする。
「広島戦より入ってないなあ。広島には衣笠、田淵、山本浩司の目玉がいたけど、阪神には江夏くらいしかいないからなあ。きょうの二戦で江夏が出てしまったら、あしたはガラガラだよ。観にくるのは金太郎さんの数少ないファンだけ」
 一枝が近づいてきて、
「消化試合の宿命だ。しかし、こんなに入る消化試合もめずらしいよ。ひと月以上この状態だぜ」
 内野の守備位置へ去っていく。中が、
「……金太郎さんのファンが少ない理由を私なりに考えてみたんだ」
「はあ……」
 左中間で立ち話になる。
「前評判の高いルーキーがプロの洗礼を浴びるというのが、プロ球界では重要な儀式と言えるほど価値を持ってる。一種の通過儀礼だね。金太郎さんはプロ野球ファンからこの儀式を楽しむ喜びを奪っちゃったんだ。長嶋を見ればわかるね。ルーキーがどん底から這い上がるというドラマだ。新人が秋季キャンプを拒んだというのも、殺人犯が特赦を受けたのと同じくらい特別なできごとと受け取られた。秋季キャンプでは、ヘドを吐くくらいの猛特訓をするものだとファンは信じてるからね。アメリカにはこういう儀礼はない。アマチュアの洗礼なんかないんだ。マイナーからコツコツ実績を積んできたやつしか大リーガーになれないからね。大リーガーの中で目立つやつに大勢のファンがつく。金太郎さんは最初から大リーガーだったんだよ。この日本では、通過儀礼を経験してない大リーガーにはファンはつかない」
「シックリ理解できました」


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