九十一

 高木が、
「ミズノの宣伝見たよ。格好いいねえ。うれしくなっちゃうよ」
 本多コーチが、
「連載小説がじつにいい。ドンと胸を打たれた。センセーションを巻き起こしてるって聞いた。大手出版社が名乗りを上げてるってね。中日新聞社からしか出さないと金太郎さんが撥ねつけてるんだって?」
「はい。まだ一枚の原稿も読まないうちに話を持ちかけてくれた会社に義理を感じますから」
「ふうん、騒がれてから出版させろなんて、たしかに虫がよすぎるよね」
「義理という言葉が大好きなんです。どこか捨て身の感じがして」
 中が、
「お客にそれは求められないね。金太郎さんがホームラン打っても、拍手がパラパラになってきた。モーゼの出エジプト状態だ」
 江藤省三が、
「何ですか、モーゼの出エジプトって」
「モーゼがエジプトから救い出してやった奴隷のユダヤ人たちが、モーゼに対する恩を忘れ、逃亡中の奇跡も忘れて、だんだんわがままになっていくという話」
 私は、
「心から喜んでくれる人は一握りです。それでいいんです」
 本多コーチが、
「いい心がけだね。甲子園では主力に休養をとらせようか、って、きのう水原さんがミーティングで言ったんだけど、いくらわがままなファンでも、金太郎さん、慎ちゃん、利ちゃん、モリミチが欠けてたら不満だろうということでね、ほとんどきてもらうことになった」
「きょう芦屋へこない選手もいるんですか?」
 高木が、
「小野さん、健ちゃん、秀孝は名古屋に留まる」
「星野さんは最優秀防御率がかかってますよ」
「あと十イニングだろう? 名古屋の三試合でどうにかなる」
「葛城さんはどうして?」
 徳武が、
「いま東京。再聴取。健太郎さんと同じことをくどくど訊かれてる。葛城さんのほうが少しきびしいかな。パリーグのころから勉ちゃんとの付き合い長かったから。それに、カネ受け取っちゃったしね」
「え、受け取ったんですか……。庶民の金絡みのキズを探るのに、公権力というのは油断もスキも見せないんですね。自分たちがこういう状況に追いこまれたら、しっかり庇い合うのに。だれよりも金好きなくせに卑しいやつらだ。だから公権力を目指したんだろうけど。ギャンブルか……どうでもいいことですよ……何法違反か知らないけど、野球と何の関係もない。葛城さん、気の毒だな」
「金太郎さん、怒ってるね。青白いよ」
 高木が、
「いちばんおっかなく感じるときだな」
 話が一段落し、めいめい新聞や雑誌を開いた。わずかな時間を利用して目をつぶる者もいる。私は、岐阜羽島までの車窓を眺める。背の低いビル、民家、平原、連山、低い曇り空。ものさびしい夕陽の岐阜羽島駅を通過。長良川。民家や工場の貼りついた大平原。彼方に延々とつづく連山。揖斐川。いつか江藤に聞いた、だだっ広い関ヶ原。山と森が近づき、目がうるさくなってきたので、持参した若山牧水の随筆集『樹木とその葉』を開く。

 序文に代へてうたへる歌
  書くとなく書きてたまりし文章を一冊にする時し到りぬ


 草鞋の話旅の話
 私は草鞋(わらぢ)を愛する、あの、枯れた藁で、柔かにまた巧みに、作られた草鞋を。
 あの草鞋をほどよく両足に履きしめて大地の上に立つと、急に五体の締まるのを感ずる。身体の重みをしっかりと地の上に感じ、そこから発した筋肉の動きがまたじつに快く四肢五体に伝わってゆくのを覚ゆる。
 呼吸は安らかに、やがて手足は順序よく動きだす。そして自分の身体のために動かされたあたりの空気が、いかにも心地よく自分の身体に触れてくる。
 机上の仕事に疲れた時、世間のいざこざの煩わしさに耐へきれなくなった時、私はよく用もないのに草鞋を履いてみる。
 二三度土を踏みしめてゐると、急に新しい血が身体に湧いて、そのまま玄関を出かけてゆく。じつは、さうするまではよそに出かけてゆくにも億劫なほど、疲れ果ててゐた時なのである。
 そして二里なり三里なりの道をせっせと歩いてくると、もう玄関口から子供の名を 呼び立てるほど元気になってゐるのが常だ。
 身体をこごめて、よく足に合ふように紐の具合を考へながら結ぶ時の新しい草鞋の味も忘れられない。足袋を通してしっくりと足の甲を締めつける時のあの心持ち、立ち上がった時、じんなりと土から受けとる時のあの心持ち。
 と同時に、よく自分の足に馴れてきて、履いてゐるのだかゐないのだかわからぬほどになった時の古びた草鞋もありがたい。じつをいふと、さうなった時が最も足を痛めず、身体を疲れしめぬ時なのである。
 ところが、私はその程度を越すことがしばしばある。いい草鞋だ、捨てるのが惜しい、と思ふと、二日も三日も、時とすると四五日にかけて一足の草鞋を履こうとする。
 そして間々(まま)足を痛める。もうさうなるとよほどよくできたものでも、どこかに破れができているのだ。したがって足に無理がゆくのである。
 さうなった草鞋を捨てる時がまたあはれである。いかにもここまで道連れになってきた友人にでも別れるやうなうらさびしい離別の心が湧く。
『では、さようなら!』
 よくさう声に出していひながら私はその古草鞋を道ばたの草むらの中に捨てる。独り旅のときはことにさうである。
 私は九文半の足袋を履く。さうした足に合ふやうな小さな草鞋が田舎には極めて少ないだけに(都会には大小ほとんどなくなってゐるし)一層さうして捨て惜しむのかもしれない。
 で、これはよささうな草鞋だと見ると二三足一度に買って、あとの一二足をば幾日となく腰に結びつけて歩くのである。もっともこれは幾日とない野越え山越えの旅の時の話であるが。


 旅の人、牧水の真骨頂を発揮している文章だ。彼の草鞋は、私のバットのようなものか。胸をふくらませて読み挿す。
 関ヶ原トンネル。伊吹山。横山トンネル。住宅と工場がシルエットになって建てこみはじめる。米原駅を通過。弁当の車内販売。
「井筒屋弁当か!」
 みんなさざめき、それぞれ好みの弁当を購入する。江藤省三と伊熊は、近江牛大入り弁当、高木はステーキ重、中年三人組はマス寿司。私もソテツの弁当を取り出す。インゲンの豚肉巻き、卵焼き、唐揚げ、エビシュウマイ、切り干し大根、たくあん。美味。
 コンテナの群れ。ビルの群れ。線路の群れ。京都駅停車。中が、
「西京極にナイター設備が完成したのは、つい四年前なんだよね」
 本多二軍監督が、
「西京極をフランチャイズにしたのは松竹ロビンスだ。昭和二十七年。京都にはナイター設備のある球場がなかったから、ロビンスはほとんど大阪球場を使ってた。昭和二十五年にセリーグ初代チャンピオンになったのはロビンスだ。百三十七試合、九十八勝三十五敗四分け、勝率七割三分七厘。監督小西得郎、一番打者の金山次郎が盗塁王、小鶴誠、岩本義行、大岡虎雄の主軸三人が、全員三十本以上の本塁打、打点百以上、すごい破壊力で水爆打線と呼ばれた。投手陣もすごい。真田重男三十九勝、江田貢一二十三勝、うちのコーチの太田信雄が二十勝」
 高木が、
「その投手力はとんでもないなあ。さしづめ、うちは原水爆打線か」
 中が、
「その年の第一回日本シリーズは松竹ロビンス対毎日オリオンズ。オリオンズが四勝二敗で優勝した」
 本多コーチは、
「西京極で試合はなかった。神宮、後楽園、甲子園、西宮、中日、大阪の順でやった」
 高木が、
「松竹は二十八年に大洋と合併したんですよね」
「うん。洋松(ようしょう)ロビンスと言ってた。合併球団は大阪球場を本拠地にすることが認められなかったから、二十八年、二十九年と主催試合は西京極でやった。この年でロビンス解散。三十年から大洋ホエールズになった。本拠地は神奈川県の川崎球場に移った」
 私は、
「そして五年後、三原監督で優勝」
 高木が、
「そう。日本シリーズも大毎オリオンズに四連勝。十年後に第一回日本シリーズの仇を討った格好だね」
 本多二軍監督が、
「戦後から昭和三十年代にかけては、いろいろな球団名が入り乱れた時代だ。一チームごとに名前の変遷をたどっていかないと頭の整理がつかない。まず、セリーグの読売ジャイアンツは一年間だけ東京巨人と言ったことがあったけど、ずっと読売ジャイアンツ。あした戦う阪神タイガースは、阪神、大阪タイガース、阪神タイガース。わが中日ドラゴンズは、戦前は名古屋金鯱(きんこ)軍という名で五年、翼軍と合併して大洋軍という名で三年、産業という名で一年、戦後は中部日本、中部日本ドラゴンズ、中日ドラゴンズ、名古屋ドラゴンズ、中日ドラゴンズ」
 本多は一息つき、
「大洋ホエールズが面倒だ。パシフィックという独立チームが、太陽ロビンス、太から中点を取った大陽ロビンス、松竹ロビンスときて、新しくできた大洋ホエールズと合併して大洋松竹ロビンスとなり、それが大洋ホエールズになった。広島カープは昭和二十五年からずっと広島カープ。国鉄スワローズは二十五年から三十九年まで国鉄スワローズ、そのあとは知ってのとおり、サンケイスワローズ、サンケイアトムズ、アトムズと名前を変えてきた。ああ疲れた」
 江藤省三が、
「私がパリーグをやりましょう。まず南海ホークス。戦前は、南海、近畿日本と言いました。戦後一年だけグレートリング、それからずっと南海ホークスです。東映フライヤーズは戦後一年だけセネタース、その後東急フライヤーズ、急映フライヤーズ、それから四年間東急フライヤーズ、二十九年からずっと東映フライヤーズです。ロッテオリオンズは戦後一年だけのゴールドスターという独立チームが、金星スターズ、大映スターズときて三十一年までつづきます。二十九年に高橋ユニオンズができ、トンボユニオンズ、高橋ユニオンズとつづき、三十二年に大映スターズと合併して大映ユニオンズになります。三十三年に毎日オリオンズと大映ユニオンズが合併して大毎オリオンズになりました。それが昭和三十九年に東京オリオンズになり、今年ロッテオリオンズになりました。ふう、たしかに疲れますね。阪急ブレーブスにいきます。戦前は阪急、戦後一年だけ阪急、つづく一年だけ阪急ベアーズ、二十三年からずっと阪急ブレーブスです。近鉄は新しい球団で、昭和二十五年にできました。最初近鉄パールズで昭和三十三年まで九年間つづき、三十四年から三年間近鉄バファロー、三十七年から近鉄バファローズになって今日までずっとつづいてます」
 大拍手が上がった。
「物知りは太田だけじゃないんですね。本多二軍監督も、中さんも、江藤さんも。畏れ入りました」
「私は暇人でしたから。しょっちゅう野球事典を見てました」
 中が、
「戦前の消滅球団なんてのもあってね、東京セネタース、イーグルス、黒鷲軍、大和軍、西鉄なんてのがあった。金鯱や翼軍や大洋軍なんてのもその一つだ。調べてみるとおもしろいかもしれないよ」
 新大阪駅まで迎えに出た阪神バスに乗って、竹園旅館へ。七時、八時、九時の迎えのうち、私たちは七時のバスに乗る。
 八時少し前、煌々と明るいホテル芦屋竹園の歩廊下の道路に第一陣で到着。拍手喝采するファンたちがバスの裾に群れる。嬌声、歓声、フラッシュ。紺色の背広を着た男たちが人混みを制し、跨線橋を上がった先から玄関まで導く。白ワイシャツに肩バンドで吊るした紺色のミディスカートを穿いた若い女子従業員たちが出迎える。着物を着た設楽ハツのような中年の賄いや、背広姿のフロントの男たちも出ている。坊主頭の小学生が三人、従業員に阻まれて、持っている色紙を差し出せないでいる。
「野球部かい?」
「はい!」
「もっと図々しく差し出しなさい。子供は遠慮しちゃだめだよ」
 クマさんの常套句が私のからだの中に生きている。単純で明快な〈長幼の序〉がからだの中に詰まっている。
「はい!」
 私は手を出して受け取り、サインする。少女たちにはしない。彼女たちには根拠のあるあこがれがない。中と高木と徳武も倣ってサインをするが、本多コーチ以下三人の選手たちは見向きもしない。ファンがみんなハナから彼らに色紙を出さないと見こんでいるからだ。ロビーに入り、壁に水原監督の花瓶挿しの花の絵と、川上監督の桜並木の絵が飾ってあるのに初めて気づく。壁にガラスを張った狭いスペースに野球関係の展示物もいろいろ並んでいた。
 フロントでチェックインの記帳をしたあと、五階一号室の鍵のほかに、朝食券(一階のバイキング会場。先回この券を使ったかどうか忘れた)、六階最上階のカフェ&バーの割引券一枚(コーヒーはここで飲めるようだ。十一時から二十一時まで。コーヒーは常にロビーの喫茶部から取り寄せてそのままロビーで飲むと決めている)、コロッケ無料券(バーに隣接する精肉店竹園でもらうらしいが、先回覚えがない。ここも十一時から二十一時まで)を渡される。         
    

        九十二

 エレベーターで五階へ直行し、届いている荷物の確認をする。OK。このホテルが世羅別館とちがって畳に蒲団ではなく、ベッドだったことをあらためて知る。ユニフォームをソファに延べる。窓からの眺望は駅前のビル群だけ。机の下の小型冷蔵庫の中には何も入っていない。冷蔵庫横の二段の棚に、サービス飲料の紅茶、緑茶、ポットに入れた湯といろいろ揃えてある。机の左の水屋ふうの箪笥の中には、浴衣、風呂道具などが入っていた。ハンガースペースにブレザーを吊るす。部屋の風呂を見てみる。洗面台やトイレ含みの適度に広いものだったことを思い出す。清潔そうだ。宿泊場所の記憶はそのつど消える。
 一階の会食場へいく。カフェ竹園という名前がついている。朝食もここでとることになっている。水原監督や江藤たちはまだ到着していない。先着組といっしょに但馬牛のステーキをメインにしたいつものコース料理をとる。炭火で焼いた丸ハンバーグも選ぶことができる。ビールは一人一本あて出る。江藤たちがいないのは少しさびしいけれども、しっかりと胃袋をふくらましておく。丸ハンバーグ、刺身、天ぷらの雑ざり合った和洋食に箸やフォークを移していくのにシックリこない感じがあったが、とにかく腹に放りこんだ。旅館の満艦飾の食いものに食傷している。仲間たちに挨拶をして会食場を出る。フロントで、あしたのミックスサンドを予約して五階に上がる。
 グローブ、スパイク、バットを乾拭きしているあいだに、九時。第二陣が着いた頃合なので、ジャージを着、スリッパを履いて一階フロント横の会食場に下りる。大きな丸テーブル八卓にすでに五人ずつ座っている。一軍、二軍、スタッフ(トレーナー、スコアラー)等合わせて四十人ほどいる。紺と灰色のベストを着たウェイトレスたちが歩き回っている。江藤が手招きするテーブルにつく。太田も菱川もいる。
「もう食いましたから、コーヒーだけで」
「待ち切れんかったやろ。よかよか。阪神は巨人にもう六ゲームも離されたっちゃん。二位の可能性はなか。四位の大洋には大差をつけとるけん、Aクラスが確定しとる。しゃかりきには向かってこん。作戦のない打撃戦になるやろうもん。ワシはあしたも出ん」
「ピンチヒッターも?」
「出ん。大事をとる」
 水原監督が、
「金太郎さんは、どうする?」
「ピンチヒッターで、顔見せの一打席だけ。二試合ともそうしていただければありがたいです」
 コーチ陣がうなずき合う。
「そうしよう。試合前の練習にはふつうに顔を出してね。お客さんが納得する」
 江藤が、
「やっぱりワシも、一打席いくばい」
 水原監督がうれしそうに笑った。あしたの朝めしは七時から十時だと太田に念を押されて部屋に戻る。テレビを点ける。
         †
 十一時を回って、お仕着せ姿のハツが忍んできた。喜んで迎える。
「今夜でほんとうにしばらくお別れだね」
「はい。きょうは一時過ぎまで後片づけですから、ちょっと目を盗んで厨房を出てきました。二十分くらいだいじょうぶです」
 服の上から胸を寄せ合い、ベッドに倒れこむ。口を吸い合う。
「ご主人は五十歳くらいからしなくなっちゃったって言ってたけど、まったくできなくなったの?」
「はい。私にまだまだ妊娠の心配があったからでしょう。三十七でしたから。恥かきっ子を作りたくなかったんですね。そうしているうちに興味がなくなっちゃったんだと思います。神無月さんとするときみたいに、びっくりするほど快楽が大きいというわけではなかったので、私も関心がなくなってしまって。通販で内緒で買った張り形で、何カ月かにいっぺん慰めるくらいでじゅうぶんだったんです。……神無月さんに遇って、すぐに張り形は捨ててしまいました」
 ジャージのズボンを脱ぎ、ハツのスカートをまくり上げ、下着の上からふっくらした丘をさすり、溝をさする。ハツは私の顔を手で挟んで見つめながら、ふふと笑う。
「きれいな目……愛してます。……入れてください」
 下着だけ引き下ろした股間にゆっくり挿入する。すぐに熱い湯を噴き出しながら陰阜を前後させる。
「ああ、神無月さん、愛してます、イキますね、イク、イクイク、イク!」
 熱い湯壺に固く締めつけられる。
「ハツはいつもすごいね」
 動きを止めずに言う。
「あ、ありがとうございます、あ、ああ、イク、イクイク、イク! 好き好き、神無月さん、好き! イク!」
 名残を惜しむように激しく反応する。彼女が長い人生に数分の交接を重ねてきた総決算がここにある。来年逢えるとはかぎらない。そう思うと、腰の動きが盛んになる。
「あ、あ、神無月さん、もうだめ、イッてください、イッて、クウ、イク!」
 ジュッと湯が湧き出し、箍(たが)の緊縛になった。たまらず吐き出す。
「あああ、愛してます!」
 膣壁が不思議な動きで陰茎を舐める。舐めるたびにハツの腹部が収縮する。私はティシュを当てて抜き去り、収縮する腹に頬を寄せて、筋肉の緊張を肌に記憶させる。目の横を一筋飛んだ。ふた筋、み筋、連続して飛ぶ。股間に回って口中に受ける。甘くいがらっぽい味だ。何度も発射する。クリトリスがはち切れそうになっているので、口をすぼめて吸った。跳ねる尻をつかみながら、口を離さない。かぎりなくほとばしり出てくる。ばたばた両手でシーツを叩きはじめたので、口を離して、暴れるからだの傍らに横たわった。スカートのまくれ上がった静かな腹を撫でる。五十二歳。渾身の誠実な反応を内蔵した腹だ。
「嘘みたいに静まったね」
「ええ、嘘のように乱れて、嘘のように静まりました。ありがとうございました。腰が抜けてしまって―。五分ぐらいこのままで」
「ゆっくり休めばいい。ぼくは急がないから」
「はい。……オープン戦までお逢いできませんね。五カ月……」
「長いね」
「五十年も待って遇えた人ですから、五カ月くらい何ともありません」 
 遠征先の女はみんな同じことを言う。私ごとき男をいつも痛切に待ち望んで生きている。やるせなくなる。ハツは下着をつけて快楽の素をしまいこみ、ベッドから下りた。スカートをきちんと下げ、髪を手のひらで整える。
「愛してます。この気持ちだけでずっと生きていけます。じゃ、帰りますね。あしたがんばってください」
「うん、一打席出ることになってる。一打席でも最善を尽くす。大好きだよ、ハツ」
「うれしい! 私もがんばって働きます」
 短い口づけをして出ていった。
 シャワーを浴び、全身を洗う。下着を替え、耳掃除、手と足の爪切り。冷えないようにジャージをしっかり着こむ。フロントにコーヒーとサンドイッチを頼み、机に向かう。草鞋の話のつづき。

 さうした旅をツイこのあいだ私はやってきた。
 富士の裾野の一部を通って、いわゆる五湖を廻り、甲府の盆地に出で、汽車で富士見高原にある小淵澤駅までゆき、そこから念場が原といふ広い広い原にかかった。八ヶ岳の表の裾野に当るもので、よく人のいふ富士見高原などもいはばこの一部をなすものかもしれぬ。八里四方の広さがあると土地の人はいってゐた。その原を通り越すと今度は信州路になって野辺山が原といふのに入った。これは、同じ八ヶ岳の裏の裾野をなすもので、同じく広茫たる大原野である。富士の裾野の大原野と呼ばるるあたりや浅間の裏の六里が原あたりの、一面に萱(かや)や芒(すすき)のなびいてゐるのとちがって、八ヶ岳の裾野は裏表とも多く落葉松(からまつ)の林や、白樺の森や、名も知らぬ潅木林などで埋まってゐるので見たところ、いかにも荒涼としてゐる。ちょうど樹木の葉といふ葉の落ちつくしたころであったので、一層寂びた眺めをしてゐた。


 ドアをノックしてウェイターがワゴンを押してきた。
「ミックスサンドイッチと、ポットに詰めたコーヒーでございます」
「ありがとう。ローテーブルに置いといてくれる?」
「はい、どうぞごゆっくりお召し上がりください」
「どうも」
 あしたもこれと同じものを球場で食う。

 野辺山が原の中にある松原湖といふ小さな湖の岸の宿に二日ほど休んだが、一日はものすごい木枯(こがらし)であった。ああした烈しい木枯はやはりああした山の原でなくては見られぬと私は思った。そこから千曲川に沿うて下り、御牧が原にいった。この高原は浅間の裾野と八ヶ岳の裾野との中間に位するやうな位置にあり、四方に窪地を持ってほとんど孤立したやうな高原となってゐる。私はかつて小諸町からこの原を横切らうとして道に迷ひ、まる一日松の林や草むらのあいだをうろうろしてゐたことがあった。
 そこから引返してふたたび千曲川に沿うて遡り、つひにその上流、といふより水源地まで入りこんだ。ここの渓谷は案外に平凡であったが、その溪を囲む岩山、および、いたるところから振返って仰がるる八ヶ岳の遠望が非常によかった。


 クマさんはきっと、日々こんな風景を眺めながら暮らしているのだろう。一家三人で慎ましく幸せに。クマさんに会いたい。
 でも、あのころだからこそ、話すことがたくさんあったのだ。いま会っても、武蔵境の小山田さんや吉冨さんと同じように、積もる話など大してないだろう。背中から力が抜けていくようなさびしさを感じる。
 ―人は離れてはいけない。再会したときに思い出をほじくり出すことしかできなくなる。日々常に顔を合わせ、そのときに生まれてくる新鮮な会話がすべてだ。
 峠や山の名前、そして風景描写が延々とつづく。村の名前は出てくるが、人間が出てこない。十七日間の旅のあいだずっと草鞋の世話になり、三日ほど休み、三回ばかりちょっと汽車に乗り、子供の足の怪我の電報で呼び戻されたとある。宿泊所でのおさんどんの女たちの描写はあるが、結局は食卓の書割としてだ。幾山河、空の青、海の青、寂しさのはてなむ国……牧水がそんなはずはない。出てきた。旅の途次を思い出して書いている最終部分だった。

 焼岳を越えて飛騨の国へ降りついたところに中尾村といふ村があった。十四五軒の家がばらばらに立ってゐるといふ風な村であったが、その中の三四軒で、男とも女ともつかぬ風態をした人たちが大きな竈(かまど)に火を焚いてせっせと稗(ひえ)を蒸していた。
 越後境に近い山の中にある法師温泉といふへ、上州の沼田町から八九里の道を歩いて登っていったことがある。もう日暮時で、人里たえた山腹の道を寒さに慄へながら急いでゐると不意に道上で人の咳(しはぶ)く声を聞いた。非常に驚いて振仰ぐと、畑ともつかぬ畑で頻りと何やら真青な葉を摘んでゐる。よく見ればそれは煙草の葉であった。
 下野に近い片品川の上流に沿うた高原を歩いた時、そのあたりの桑の木は普通のやうに年々その根から刈り取ることをせず、育つがままに育たせた老木として置いてあることを知った。だから桑の畑といっても、じつは桑の林といった観があった。その桑の根がたの土をならして、すべて大豆が作ってあった。すっかり葉の落ちつくした桑の老木の、多い幹も枝も空洞になってゐるやうなのの連なった下にかがんでぼつぼつと枯れた大豆を引いてゐる人の姿は、何ともいへぬ寂しい形に眺められた。
 今度通った念場が原野辺山が原から千曲の谷秩父の谷、すべて大根引(びき)のさかりであった。枯れつくした落葉松林の中を飽きはてながら歩いていると、不意に真青なものの生えてゐる原に出る。見れば大根だ。馬が居り、人が居る。或日立寄った茶店の老婆たちの話し合ってゐるのを聞けば、今年は百貫目十圓の相場で、誰は何百貫目売ったさうだ、どこそこの馬はえらく痩せたが喰わせるものを惜しむからだ、というやうなことであった。永い冬ごもりに人馬とも全くこの大根ばかり食べているらしい。
 都会のことは知らない、土に噛り付いて生きてゐるやうなこうした田舎で、食ふために人間の働いてゐる姿は、時々私をして涙を覚えしめずにはおかぬことがある。
 草鞋の話がとんだところへきた。これでやめる。


 牧水の歩行は病だ。漂白を日常とする孤高の歌人と思っていたが、子供までいる家族持ちだと知った。人を渇望して歩く病ではなさそうだ。家族を捨て置いて旅をしていることから見て、歩行という流浪の病に取りつかれた男だろう。山頭火や放哉(ほうさい)のように完全に家族を捨てたわけではないが、似たものを感じる。一つひとつ捨てていこうとする旅人だからだ。山頭火が詠っている。

 また一枚脱ぎ捨てる旅から旅

 家を出て〈さびしさのはてなむ国〉を目指すほどの心の空虚は何だったのか。私は、食という基本的な営みに不如意な人びとに落とす彼の涙に共感できない。それは悲しみでもさびしさでもない。人は食うにこと欠いても充実して生きていける。涙を落とすほど震撼すべきなのは、心の不如意だ。牧水にもそれはわかっていたはずだ。

 われ歌をうたへりけふも故わかぬかなしみどもにうち追われつつけふもまたこころの鐘を打ち鳴らし打ち鳴らしつつあくがれていく
 白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

 これが牧水の本質だ。純粋な魂は一つの例外もなく孤独なのだ。純粋で孤独な魂は、純粋で孤独な表現を生み出す。
 深夜二時。疲れたからだをベッドに横たえる。すぐに眠りに落ちた。


         九十三

 十月十六日木曜日。七時起床。十九・六度。名古屋と同じルーティーン。うがい、柔らかい排便、シャワー、歯磨き。ジム鍛練とランニングがないだけ。
 会食を終えるころには朝方の霧雨がすっかり上がっていた。ロビーで新聞。デイリースポーツ。阪神花盛り。それでいい。熱血漢江夏と村山のいる球団だ。
 十一時、ダッフルとバットケースを持ち、芦屋竹園出発。跨線橋を降りたとたん、フラッシュと嬌声。一人ひとりの名前が呼ばれる。バスに乗りこみ、出発。
 大原中央の信号を右折、駅前通りを横断して、国鉄神戸線の高架橋を渡り、宮塚公園を過ぎてすぐ阪神線の高架をくぐる。ケヤキ並木のつづく古風な町筋を走る。国道2号線に出る。市電に出合う。淡いピンクと濃いピンクのツートンカラー。丸っこい車体。水原監督が言うには大阪府と兵庫県に跨る阪神国道線という長大な路線らしい。国道43号線に出る。森下コーチが、
「浜街道とも言うんや。甲子園浜の浜」
 左折して、左手に阪神線の高架を眺めながら、芦屋、西宮とひた走る。仲間たちのしゃべり声を子守唄に少し眠る。十分もしないうちに目を開ける。ほとんど緑のない道の向こうに緑が見えてくる。西宮成田山の寺院と神社の森を過ぎて、工場と高層住宅に挟まれた殺風景な幹線道路をいく。大阪13km尼崎6kmの標示。またうとうと数分眠って起きる。細いアスファルト道へ入り直進、甲子園筋という道路との交差点でまた丸い市電と出合う。市電といっしょに甲子園筋へ右折すると、目の前に球場が現れる。いつもながらデカい。すぐ左折して関係車輌通行門を入る。到着。ここまで二十六分。
 澄んだ陽射し。球場の外周に人の群れ。警備員と警官が適当な間隔で立っている。正面脇の7、8番ゲート(球団・報道関係者出入り口)から入り、監督室や浴室の並んでいる回廊を通って貧相なロッカールームへ。この通路にはいつも園芸関係者が草叩きの棒を手に四、五人立っている。江藤が、
「一塁側のタイガースのロッカールームは豪華ぞ。風呂を使えるのは甲子園の近所に本拠地ば置いとる近鉄、南海、阪急だけばい。ほかの球団の選手は泊まっとるホテルの風呂ば使わんといけんごたる。エコ贔屓やのう」
 ストッキングとスパイクを調え、十段ほどの階段を登って三塁側ベンチに落ち着く。夏場は何台か大きな壁扇風機が回っていたが、いまは止まっている。ベンチに隣接するカメラマン席は露天で、これも貧相だ。万年枯れない芝が美しい。
「ツタもきれいだけど、芝も相変わらずきれいだね」
 太田が、
「いつも緑を保つために、夏と冬に植え替えてるらしいですよ」
 何人かベンチ裏の鏡部屋に煙草を吸いにいく。アウェイなので、バッティング練習は十二時から一時まで。参加せずに、監督、コーチ陣、江藤といっしょにケージの後ろから見学。高木のバットが腰前で大きく回転する。バットを長く持ち遠心力を最大限に使う、いわゆる〈前が大きい〉打法だ。間近で見たのは初めてだった。
 ―江藤さんとそっくりだ!
 百七十四センチ、七十二キロという小柄なからだで、菱川より一本少ないだけの三十七本のホームランを打っている理由がよくわかった。
 左バッターの伊熊は先がない。プロ野球選手のスイングではない。強く振るだけで、バットの軌道が揺れる。三年前のドラ一らしいが、三年間に三十何回かの打数で四安打、本塁打ゼロ、三振十四、打率一割。ドラフト担当スカウトの眼鏡ちがいだろう。来年お呼びがかかるには天地がひっくり返るほどの奇跡が必要だ。
 阪神―中日二十五回戦。ダブルヘッダー第一試合。入場者数一万三千四百人。外野スタンドの密度は濃いが、内野スタンドは不均等に観客が固まっている。球場の外にいた人群れは何だったのだろう。
 二時試合開始。昼間は眼鏡なしでいく。広く美しい甲子園球場をベンチから裸眼で隅々まで堪能する。土と芝のコントラスト、真っ白なベース、ピッチャーズプレート、長い黄色のファールポール、ラッキーゾーン、ライオンの姿に似ている照明塔。一塁内野スタンドの六甲おろしの合唱が鉄傘に反響する。何十人かの集団が声を張り上げている。木霊のように響く独特のイントネーションのアナウンス。
 ドラゴンズのスタメン、サード菱川、ショート一枝、センター中、セカンド高木、キャッチャー木俣、ライト江島、レフト太田、ファースト千原、ピッチャー門岡の打順。タイガースは、藤田、安藤、田淵、カークランド、藤井、辻恭彦、池田、大倉、久野(ひさの)。田淵がファーストを守っている。
「プレイ!」
 谷村主審のコール。菱川がバッターボックスに入る。阪神の先発は、久野剛司(たかし)という四年間で二勝しか上げていない変化球屋。菱川は、カーブ、シュート、スライダーと連続で空振りして三球三振。不気味にコンビネーションがいい。一枝、スライダーに差しこまれながら詰まったライト前ヒット。一塁ベース上で何か田淵に話しかけている。
「あれ、何話してるんですか」
 森下コーチに尋く。
「久野が牽制うまいかって尋いとるんだ。走る気ないのにな」
 中三振、高木三振。これが第一試合のすべてだった。
 ドラゴンズ先発の門岡は三回までどうにか抑えたが、四回以降じわじわと打たれはじめた。田淵に二十号、二十一号、池田に三号、大倉に七号、すべてソロホームランで四点。七回を投げ切り、ゼロ対四のまま降板した。八回だけをリリーフで投げた松本忍は〈救援〉にならず、カークランドと山尾に適時打を打たれて二点を追加された。代打の江田にまで二塁打を打たれて一点を献上するありさまだった。松本は、
「いますぐゴーホームといきたいところだが、名古屋に帰ったら、もう一試合だけ投げさせてやる。結果いかんでは一年間二軍で鍛え直しだ」
 と本多コーチにきびしく叱られた。
 ドラゴンズ打線は最終回まで湿りっぱなしで、シングルヒットを打ったのは、菱川と中と木俣の三人。フリーバッティングで当っていた高木はノーヒットだった。伊熊は八回千原の代打で出て、外角高目のスライダーを空振りして三振。私は九回ツーアウトから中のピンチヒッターで出て、真ん中高目のスライダーをこすってライトフライに倒れた。ゼロ対七で敗北。二線級の久野に完投され、彼に今年の初勝利を進呈した。
 試合終了直後に敵味方ファンの野次が激しくなった。
「金返せェ!」
「何のために負けてやっとるんや!」
「頼むから、次の試合も打たれたって!」
「門岡くん、松本くん、ありがとう!」
 甲子園はラッキーゾーンにブルペンがあるが、ファールゾーンにも目立たない投球練習空間がある。そこで第二試合先発予定の水谷寿伸のボールを受けていた吉沢が、苦笑いしながら金網越しにスタンドを見ている。売り子の若者がわざわざ最下段まで降りてきて吉沢に、
「ビールいかがーすか!」
 と何度も呼びかけているのだ。人のいい吉沢は、手を振って断っている。私はそやつを追っ払うつもりで吉沢に近づいていった。すると野次の矛先が私に向き、
「ビールいかがすか!」
 ほかの観客も加担して、
「ボケ! 久野も打てんで何が天馬や! もう出んな!」
「ケガしとって休んだんやろう、一打席出てどうするねん、しみったれ、きちんと休まんかい!」
「何調子こいとんやアホ! 北の田舎もんが、帰れ!」
「天馬さん、あんたがすごい人やと知っとるで。ほやからもう出んといてくれ!」
 思わず吉沢のように苦笑いすると、異常に透る女の声で、
「気色悪いわ、ゲイボーイ! 笑うな、キショー!」
 呼応してスタンドがワッと沸き、
「オカマ!」
「玉なし!」
「ゲテモン!」
「カタワ!」
 呆れてロッカールームに退避して竹園のサンドイッチを食う。菓子パンを齧っていた高木が、
「酷いこと言われてたな。阪神ファンは倫理感覚ゼロだから気にしないほうがいいよ」
「はい、ゲイボーイにはまいりました」
「金太郎さんは美しいから。さ、気を取り直していくぞ!」
「はい!」
         †
 つづく第二試合。対阪神最終二十六回戦。四時半試合開始。観衆が二万五千人以上に倍増している。阪神の今シーズンの最終試合だからだろう。先発伊藤幸男。江夏がブルペンにいる。やはり回が詰まったらトリに出すつもりなのだ。優勢にゲームを運び、最終回に村山か若生デンスケでしめくくるつもりだ。
 敬意を表して、ドラゴンズも飛車角抜きながらベストオーダーでいく。先発水谷寿伸。ブルペンに伊藤久敏。江藤と私がベンチ。田宮コーチが、
「四打席目から二人とも代打でいくからね。慎ちゃん、無理してバット振らなくていいから、飾り人形で立っててくれないか」
「振るばい」
 一番センター中、二番セカンド高木、三番ファースト千原、四番レフト江島、五番キャッチャー木俣、六番サード菱川、七番ライト太田、八番ショート一枝、九番ピッチャー水谷寿伸。
 阪神は、一番センター川藤、二番ショート安藤、三番ファースト田淵、四番ライトカークランド、五番キャッチャー辻恭彦、六番レフト池田、七番サード大倉、八番セカンド江田、九番ピッチャー伊藤幸男。これも変化球屋さんだ。球審平光のプレイボール。
 中、変化球で追いこまれたあと、捨て球で投げてきた内角ストレートに惑わされて空振り三振。高木、第一試合につづき不調のまま三振。しかし、何か自分なりに調整している雰囲気があって余裕の表情。千原、切れのいい内角シュートを空振りして三振。
 阪神一回裏。川藤センター前ヒット。安藤三振。このとき中日ベンチがざわっときた。ユニフォームを着た板東がベンチの裏口から入ってきたのだ。
「何驚いとるんや。ワシの契約は今シーズンいっぱいやと言うたの忘れたんか。その証拠に、まだラジオ中継に出とらんやろ。これが引退試合や。せいぜいきれいな花添えてや」
 と言って水原監督やコーチ陣と握手した。
「さ、肩作っとこ」
 ブルペンへいった。三塁側内野スタンドに歓声が上がった。板東は手を振りながら、ゆっくりとピッチング練習に入った。
 キン! といい音がして、田淵の打球がレフトへ舞い上がった。江島が背走する。ラッキーゾーンを越え、レフト前段の通路に消えた。二十二号ツーランホームラン。背番号の数だけ打ちたいと春に抱負を語っていたとおりになった。爪楊枝男のカークランドにオーバーに抱き締められている。そのカークランドは三振。辻セカンドゴロ。ゼロ対二。
 二回表。江島三遊間ヒット。木俣、流し打ってライト前ヒット。菱川一、二塁間をゴロで抜くヒット。江島生還。ノーアウト一、三塁。太田、サードゴロゲッツー。ランナー三塁に残る。一枝三振。一対二。
 二回裏。池田三振。大倉三振。江田昌司レフト前ヒット。伊藤幸男三振。両ピッチャーともすばらしい三振ペースだ。
 三回表。水谷寿伸レフトフライ。中、ショート奥へ内野安打。高木、球足の速いショートゴロでゲッツー。
 三回裏。川藤三振。安藤三遊間ヒット。田淵フォアボール。カークランド、ツースリーから外角を強引に引っ張って、ライトラッキーゾーンへ二十六号スリーラン。辻フォアボール。池田純一センター前ヒット。大倉ショートライナー。セカンドを飛び出していたダンプ辻、タッチアウト。一対五。まさか二連敗はないだろう。
 四回表。千原二打席連続三振。江島左中間二塁打。木俣フォアボール。菱川三振。伊藤幸男のストレートがすばらしい。ツーアウト一、二塁。
 ―あれ? 伊藤が肩で息をしている。具合が悪そうだ。
「なんかへんですね」
 江藤が、
「七年前近鉄に入団した当時は、速球を武器にする本格派やったくさ。ドラゴンズ相手に当時の気持ちば取り戻して張り切りすぎたんやろう」
 おとといの江夏と同じだ。ただ江夏の場合は心臓に持病があると聞いた。江藤にその話をすると、
「金太郎さんと同じ頻脈げな」
「ぼくはもう治りましたよ」
 ベンチに戻ってきた菱川が、
「油断しないほうがいいですよ。頻脈は先天的なものが多いですから」
 後列にいた受験校出身の高木時夫が、
「正式には心室性期外収縮と言うんだ。先天的なもので、運動をちゃんとやって鍛えればそれなりに強い心臓になっていくんだけど、脈は速いままだよ。ただ、疲れやすいのは一生ものだね。精神的に興奮したり、極度の緊張状態になるともっと脈が速くなる。菱の言うとおり、油断して無理をしすぎないほうがいい。どのチームにも江夏の情報は入ってるんだけど、巨人は江夏の弱みに突けこんで、バントで江夏を揺すぶれ、そうすれば交代になるという非情な策に出ることが多い。ま、伊藤幸男の場合はただの緊張だよ。ストレートを投げすぎて疲れちゃったんだろう。そろそろノックアウトだな」
 太田フォアボール。ツーアウト満塁。一枝が襲いかかる。初球外角高目のボール球を打ち返し、ライト線へ二塁打。走者一掃。四対五。水谷寿伸の代打徳武、畳みかけるために出したのに三振。



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