十六

 ハマグリの蓋物(ふたもの)が出ておさんどんが一段落し、賄いたちが端のテーブルについた。トモヨさんとイネが風呂上がりの直人を寝かしつけ、離れから戻ってきた。賄いのテーブルに混じる。女将が、
「カンナは縦ダッコできるようになってね、首が据わって、体重も二倍になったんよ。ようけ眠るようになったから、トモヨも少しまとめて寝られるようになった言うとる」
 隣のテーブルの百江が、
「カンナちゃん、あやすと、よく笑いますよ。昼間はお目めパッチリ起きていることが多いですね」
「一日、どのくらい眠るの」
「ほとんどです。十六、七時間」
 主人が、
「玩具はまだやな」
 女将が、
「ガラガラ握るくらいやよ」
 江藤が、
「お乳を七回も八回もあげんといけんでしょ」
 女将が、
「ほうよ、右のお乳、左のお乳、十分くらいずつ。合わせると三時間近いわ。あら、江藤さん、お子さんいたんやったね」
「はい、女の子が一人」
 睦子が、
「江藤さんて、バッターボックスでは鬼のような顔してますけど、こうして満面の笑顔になると子供のようにかわいらしいですね」
「ワシはまるでガキですばい。そうやないと、金太郎さんのそばにいる資格はなかです」
 カズちゃんにビールをつがれ、グイと飲む。
「江藤さん、少しごはんを入れて、それから燗酒にしたらどうですか? もうみなさん食べ終わりますよ」
「はあ、そうしましょうか」
 カズちゃんが江藤にどんぶりめしを盛る。千佳子と睦子が取り皿に五、六種類のおかずを載せた。精力的に箸が動きだす。菅野が、
「熊商から名門日鉄二瀬へはスカウトされたんですよね」
「ワシはいわゆる野球エリートではなかです。日鉄二瀬にはスカウトされた野球部員じゃなくて、臨時雇用の工員として入ったんですわ。正規の野球部採用枠の募集時期が過ぎとったんでね。毎日長時間の肉体労働ばしたあと、練習に参加させてもらいました。監督は濃人さんで、ワシのほかに広島の古葉、南海のポロリの寺田がおりました。二瀬でキャッチャーばやらせてもらうようになって、ある試合で野村のまねをして囁き作戦ば仕掛けたら、黙っとれ! と怒鳴られました。囁きなんてのは、投手と打者の真剣勝負に茶々を入れるくだらない作戦ですわ。たとえ影響を与えたとしても、野球が汚れるだけです。日鉄二瀬ではけっこう活躍したけん、昭和三十四年に板ちゃんと同期でドラゴンズに引っ張られて入団しました。三十三年に引退した西沢さんに代わるファーストで一年目からレギュラーに入れてもろうた。ツキの始まりたい。三十九年、四十年と二年連続で首位打者ば獲って、プロ野球界で知られるようになった」
 主人が、
「当時は、いかにも泥臭い、職人肌剥き出しの選手だと言われとりましたね。長嶋も、もういなくなったむかしタイプの選手だと何かのインタビューで言っとったし」
 菅野が、
「そのエピソードで強烈なやつ覚えてますよ。熊本商業から日鉄二瀬に入団して二年目ですから、十九歳ですね。キャッチャーフライを追っかけて一塁側ダッグアウトに突っこんでいったんですよ。どっかに激突したんでしょうね、顔じゅう血まみれで出てきて、応急手当も受けずに頭を手拭で巻いてそのままマスクを装着した。真っ赤な手拭を見て球審が試合再開をぐずっていたら、江藤さん、なんでんなかです、プレーかけちください! 観客席にも届く声だったそうです」
 座敷じゅうが拍手した。
「その評判に自分で乗ったわけですわ。鬼みたいな顔とか、ヘッドスライディングとかね。金太郎さんに遇ってからやめました。格好気にしとったら、野球に集中できん。酒も十分の一に減らしたんは、格好つけばやめようち思ったからです。二瀬のころの給料はほとんど実家に送っとったし、プロの初任給もぜんぶ送った。契約金は一年間で酒に使い切ったっちゃん。そげんするんもおかしか話でしょうが。適度でなか。どっかに格好つけがあるわけたい。いまは、親にも女房子供にも送金しとります。自分でも適当に使います。金太郎さんの自然体は、ワシらば変えた。金太郎さんが格好つけに見えるんは、見る側の錯覚ばい。ダイヤモンドば猛スピードで回ったり、守備練習で強肩ば披露したり、審判にヘルメットば脱いだりするんは、格好つけやなく、照れとサービスと気兼ねばい」
 太田が、
「特に気兼ねですね。ダイヤモンドの猛スピードは相手チームに威張ってないと思わせるため、強肩披露はサボってないことをファンに見せるため、ヘルメットを脱ぐのは審判に服従していることを示すためでしょう」
 菱川が、
「それこそ、我を張らない自然体だよ。俺は神無月さんから金に対する無欲と無頓着を学んだ。おごるときはおごる、おごられるときはおごられる。無理をしない。ポケットにはいつも十万円、それ以外はぜんぶ人に役立ててもらう。来年の年俸の数億円がどこにいくのかも知らない。どこにいってもいい。―理想だ」
 男どもが箸を置き、私のもの以外のビール瓶が下げられ、どのテーブルにも二合徳利が並んだ。主人と菅野、浅井、チームメイト四人は燗酒に移ったが、私はビールで通す。ちゃんぽんすると、すぐに具合が悪くなる。仲間はみんなそれを知っている。江藤が、
「ワシャ、そっちのほうの金太郎さんを表彰したいばってん、人は野球しか表彰せん」
 トモヨさんが、
「私たちはいろいろな仕方で表彰したいんですけど、逆にこちらが表彰されてしまうんです。感謝という形で」
 トモヨさんは徳利を捧げ持って男たちに酌をした。江藤が盃を持たない私に、
「金太郎さん、酒なんか飲めんでも気にせんでよかよ。長嶋も野村も飲めん」
 星野が、
「ぼくはこのごろ、ようやくふつうに飲めるようになりました」
「ふつうがうらやましいです。飯場の男たちはよく飲みました。学生にも強いやつが多かったし」
 カズちゃんが、
「大腸がふつうでなく弱いんだから仕方ないわ」
 江藤が驚き、
「そうなんね」
 カズちゃんはうなずき、
「ほとんど毎日下痢。小さいころからです。お酒が人並に飲めることも人生の彩りかもしれないけど、キョウちゃんにはほかにうんと彩り豊かな人生が用意されてるのよ。欲張らないこと」
 男たちがそうだ、そうだと言いながらやさしく笑った。
 食事を終えた賄いたちが、私たちのテーブルの周りに集まって横坐りになった。千佳子と睦子が、店の女たちのテーブルに入ってビールをつがれている。私たちの背中に寄り添うように坐ったソテツが、
「神無月さんは社交パーティというものにはいっさい出かけませんけど、プロ野球選手のほとんどの人たちは出かけるんでしょう?」
 星野が、
「ぼくは出かけません。でも、それが目的でプロ野球選手になる人は多いです。二軍でよく話を耳にしました」
「ワシもそうやった。お恥ずかしいかぎりたい。モリミチも小野さんもそうやろうう。むかしの野球選手はみんなそうやった。水原さんも例外でなか。タコもそういう根っこがありそうやな。ばってん、ドラゴンズに関するかぎり、今年からは変身やろう。ゴルフコンペだけは伝統やけん、やめられそうもなか」
 菱川が、
「十二月、一月のオフがくせものです。後援会やファンクラブ主催のパーティ、球団主催のパーティ、有力実業家の催すパーティなどに、芸能人のほうから近づいてくるんですよ。そうやって知り合った選手を結婚式に呼んだり、イベントに呼んだり、テレビスタジオに呼んだり、映画撮影現場に呼んだりということもします。それを断る人間は百人に一人もいないはずです。まず、デレっと鼻の下を伸ばします。根がミーハーですから。俺もそういうところがありました。問題は起こしませんでしたが、いまは猛烈に反省してます。人間として恥ずかしすぎる」
 菅野が、
「そういうお誘いはどんどんファインホースにきてますけど、神無月さんの許可を得ることなく、勝手にお断りしてます。テレビ出演も、水原監督以下チームメイトとごいっしょしないものは、すべてお断りしてます。神無月さんには身近の人たちと付き合う以外の時間はまったくないんです」
 江藤が、
「十一月三日はベストナイン発表、四日が表彰式、八日は優勝パレードたい。避けられん行事もいろいろあるけん、たしかにきつかな」
「はい。青森高校と中京商業の講演会にもいきます。その場で思いついたことをしゃべって帰ってきます。あとは、プロ野球の年度授賞式と、もろもろの授賞式、飛島建設のファンクラブ、東大ファンクラブの集い、東大野球部の先輩に頼まれたマツダ自動車のコマーシャル撮影などにいきます。東に西に目が回りますね。でも、好きな人たちの中で目を回していることで生命欲が湧いてきます。芸能人やゴルフ大会の中にいたら、まちがいなく死にたくなります」
「飛島さんの会合はワシと山口さんがいくし、中商の講演会は達ちゃんが同行するようやから、多少気楽やな」
「はい、これからもよろしくお願いします」
「お願いしたいのはこっちや。金太郎さんと行動できるとなったら、どいつも腹の中で小躍りしとるけん」
 主人が心からうれしそうに笑い、
「神無月さんと名古屋競馬にいって、どうしようもなくうれしかったわ」
 浅井がみんなの笑顔を撮りまくる。主人が、
「ところでみなさん、このシリーズ、いろいろ日本記録が出たんですよ」
 太田が、
「金太郎さんのシリーズ九本と四打席連続でしょ」
「はい、それから無傷の四連勝。初戦から四連勝は三十四年の南海、三十五年の大洋に並びます」
「ほう、それもね? 来年、ただのチームに戻りたくないのう」
 江藤が盃を含む。素子が徳利を傾け、
「どうがんばっても戻らんと思うわ。並の強さであれせんも」
「個人の技能とちがって、チームの強さは水物ですけんね。ばってん、そう言ってもらってうれしかです」
 主人が、
「三度のアベックホームランもシリーズ新記録でしょう。二、三年前にONが一回記録しとるだけだと思います」
「考えもせんかったです。一試合にだれかが二人ホームラン打てば、ぜんぶアベックと言えますけんね」
「たしかにそうや」
 菱川が、
「胴上げの水原監督、ビックリするくらい軽かったですよ。胸が痛くなった」
「はちゃめちゃのワシらを庇って、そりゃすごい気苦労しとるやろうくさ」
 睦子と千佳子のテーブルが何やら明るく笑っている。二十歳の大学生の頬が、慣れないビールのせいで赤くなっている。睦子が羽衣伝説と天の川伝説の関連をしゃべっているようだ。私はそちらに聞き耳を立てた。興味があったがよく聞き取れなかった。太田が、
「……日本一になったんですねェ」
 としみじみ言った。主人が、
「五月くらいから予感はしとりましたが、あれよあれよやったですね」
 江藤が、
「入団して十年、二位が六回、三位一回、Bクラス三回。いつも巨人に泣かされてきたて思っとった。今年、そうではなかったちゅうことがようわかった。ビ野球ばやるようになって、冷静に巨人ば見直したら、王、長嶋以外は小兵ばっかりやとわかった。巨人だけでなか。セ・パ、どのチームもそうやった。うちは三十本以上打つやつが六人。利ちゃんでさえ二十三本たい。阪神の打ち頭のカークランドとほぼ同じばい。大洋、広島にいったら利ちゃんが打ち頭たい。それがうちでは一番を打っとる。素子さんの言うとおり、負けるはずがなかろうもん」
 菅野が、
「それでもやっぱり、江藤さんの言うとおり、集団同士の勝負は水物ですよ。来年はわからない。でもそういう胸を張った気持ちで、来年も優勝してほしいなあ」
「オス!」
 私は江藤に、
「オープンカーでは手を振るんですか」
「恥ずかしかァ。ばってん、下向いとるわけにもいかんし、ぼんやり沿道を見とればええんやないかな」
 カズちゃんが、
「ちゃんとサービスしなさい。手を振るくらい何ということもないでしょう」
「ほうやのう。ファンサービスも稼業の一部ですけんね。達ちゃんが、金太郎さんの隣に座りたかて、うるさく言うとった」
 太田が、
「みんなそうですよ。写真に残したいですからね」
 浅井が、
「北村席さんはパレードをどこから見るんですか」
「柳橋のホテルを何部屋か予約しとります。道路ぎわは二人部屋しかないので、そこに十人ぐらい入りこんで見物します。宿泊料金を払ってありますから、大勢で見ても文句言われんでしょう」


         十七

 ソテツが空になった徳利をつかんで立ち上がると、
「あ、もう酒はよかです。うまかめし、ごちそうさまでした。あとで風呂をいただきます」
 まだ十時前だった。主人が、
「汗かいたままでしたな。最初に入ってもらえばよかった。申しわけない。さっそくどうぞ。十人ぐらい入れる風呂ですから、ノンビリ浸かってください。上がったら、客部屋でコーヒーでも飲みながらテレビを観て、それからゆっくりお休みください。十一時から各局のニュースです」
 女将が、
「寝巻用の浴衣を用意しますね。神無月さんの大きさやから、みなさんにも合うでしょう」
 カズちゃんが、
「下着も用意します。穿いてた下着は置いといてください。洗濯して、今度いらっしゃったときのためにしまっておきます。じゃ、ごゆっくり」
 浅井が、
「私はそろそろ失礼して、名古屋観光ホテルに戻ります。あした東京に帰ります。日本シリーズ、北村席と、すばらしい写真がたくさん撮れました。ありがとうございました。ご主人、女将さん、今夜はお世話さまでした。厨房のみなさん、おいしい夕食ごちそうさまでした。それじゃ神無月さん、今度はおそらく高輪プリンスでお目にかかります」
「はい、そのときに。一日、ご苦労さまでした」
「何をおっしゃいます。ご丁寧にありがとうございます。じゃ、失礼します」
 みんなで辞儀を返す。ソテツとイネが門まで送って出た。私は、
「じゃ、ぼくはこれで帰ります。きょうはわざわざきていただいて、ありがとうございました。誘っておいてロクに話もできず、すみませんでした」
「いや、金太郎さんとこうしておるだけで、心安らぐばい。よか優勝祝いやった。レギュラーたちのほとんどは家に帰ったし、二軍の選手どもは、どうせ今夜は夜の街に繰り出して、ドンチャン騒ぎばしながら酒喰らうだけのもんやろう。ワシらは助かった」
「そう言ってもらえてうれしいです。じゃ、あしたの朝めしでお会いしましょう」
「おお、ワシらは、昼から寮で祝賀会や。忙しかことばい」
 菅野が、
「午前中に昇竜館にお送りします」
「ありがとう菅野さん。ばってん、荷物も多いし、ワシらタクシーで帰るけん、よかよ」
「いや、ハイエースなら積めますよ。お気遣いなく」
「それなら、そうさせてもらうばい」
「じゃ、神無月さん、トロフィーをお借りしていきます。あ、そうだ、王さんから、十二月中に北村席をお訪ねしたいという電話があったので、適当にセッティングしてお知らせしますと言っておきました」
「よろしくお願いします」
「ファンレターはどうにか五十通ほど選び出しました。シーズンオフの暇なときに目を通してください。返事を書くならハガキでいいでしょう。あ、それからもう一つ、河北新報の四月からの連載の話、独断で、なるべくひき受ける方向で返事しました。どうします」
「もう一度向こうから連絡がきたら正式に受けてください。あてはあります。島流しのことを書き残しておきたいので。それ以外の原稿依頼は受けないでください」
「わかりました。二月までに題名を知らせてくださいということでした」
「題名は決まってます。牛巻坂。ぼくは電話を受ける暇がないので、菅野さんが今度連絡があったときに応えておいてください」
「はい、牛巻坂ですね。了解です。あしたはランニングなし。一日ゆっくり骨休めしてください。お休みなさい」
 菅野が帰ると、トモヨさんが男四人を風呂場へ案内していった。千鶴が主人と私にコーヒーを持ってきた。素子が、
「あんた、ほんとにきれいになったねェ。勉強しとる?」
「うん、自分でも信じられんくらいがんばっとる」
 文江さん母子とキクエが、ごちそうさまでしたと女将に言って、玄関に出た。女将が式台に追っていき、
「文江さんはあした河合あるの?」
「はい、十一時から」
「節ちゃんとキクちゃんは?」
「十二時からです」
「じゃ、だいじょうぶね」
「はい」
 千佳子が察して、睦子に、
「さ、私たちは部屋で勉強しながら酔いを醒まそか」
「勉強はあしたにして、スポーツニュース観ましょうよ」
「そうね。じゃ、神無月くん、お休みなさい」
「お休み。千佳子は笹島の法律学校いかないことにしたの? 秋からいくって話だったけど」
「四年生になったら、ゆっくり公認会計士の学校にいくことにしました」
「そう言えば、法律に幻滅したって、いつか聞いた覚えがあるな。のんびりやってね」
「はい。キッコちゃんの大検とかソテツちゃんの受験勉強を手伝いながら、のんびりやります」
 睦子が私に向かってニッコリ笑って、
「郷さん、がんばって」
 と小声で言った。百江は賄いたちとあと片づけに立ち、信子やれんやしずかたちは雀卓を囲んだ。カズちゃんが、
「キッコちゃんといっしょに文江さんのお家へ、ネ」
「わかった」
 素子とメイ子は、
「あした!」
 と明るく言って、カズちゃんといっしょに帰っていった。女将が、私といっしょに玄関を出ようとするキッコと優子に、
「ゆっくりしてらっしゃい」
 と声をかけた。
 キッコと優子と並んで、夜道を文江さんの家へ向かう。キッコが、
「長い一年やったね、神無月さん。ご苦労さま」
「ありがとう。きっとからだは疲れてるんだろうけど、一年間興奮しっぱなしだったから、よくわからないんだ」
 優子が、
「これから疲れが出ると思います。きょうは私たちがガンバリますから、ラクにしててくださいね」
「うん」
         †
 文江さんの居間のテーブルにビールが用意されていた。節子とキクエが飛びついてきて、キスの雨を浴びせる。
「おめでとう、ほんとにおめでとう!」
 文江さんが、
「さ、飲んで。あまり飲んどらんかったでしょう」
 キクエが、
「飲む前にお風呂入ったほうがいいと思うわ。キョウちゃん、お風呂入ってないもの」
 優子が、
「私とキッコちゃんは入りましたから、四人でどうぞ。お蒲団敷いておきます」
「二階の部屋に三組お願いね」
「はい」
 きょう初めての汗を流す。三人で私のからだの隅々まで洗う。文江さんが、
「年が明けたら、あたし運転免許とるつもりやよ。いろいろ動き回らんとあかんようになったでね。節子とキクちゃんは、病院の仕事は忙しいから、やっぱり免許とるのは無理やろうって」
 節子が、
「私たち、あんまり車で動き回る必要がないし」
 文江さんが、
「ふうん、キョウちゃん、筋肉隆々になったけど、赤ちゃんの肌や。すべすべだがや。きれいやなあ」
 節子が、
「ほんと、宝物ね。あら、大きくなっちゃった」
 キクエが、
「ほんとの宝物。ツーと言えばカーだもの」
「キッコがいちばん最初にイカせてほしいって。危ない日だからって」
 キクエが、
「キョウちゃんが出したあと入れると、残液があるからもっと危なくなるわ。危ない人は最初してもらって、もうしないというのがいいわね」
「一度だけしたら、もう横になってるって言ってた」
 文江さんが、
「そうはいかんようになるよ。あたし知らんよ」
 節子が、
「ほんとに妊娠したくないなら、それを守ると思うわ。最初に気を失うほどしてあげたらどう?」
「そうする。三分ぐらいならぼくもがまんできる」
「二分もしたら気を失うわ」
 からだを流して、三人で湯船に浸かる。キクエが、
「日本シリーズって、もっとすごいものかと思ってたら、ペナントレースよりあっけなかった」
 節子が、
「いまの中日にかかったら、どんなチームもイチコロね。来年少し弱くならないと、根っからの中日ファン以外はいなくなっちゃうかも」
「弱くなる要素が少しある。江藤さん、中さん、小川さんが年をとる」
 キクエが、
「小野投手もね」
 文江さんがずっと私のものを握っている。とうとう張り詰めた。節子が、
「その人たち、ぜんぶ今年の柱じゃない。衰えちゃったら、ぐんと弱くなるわね」
 たまらず文江さんが抱きついて跨った。
「ごめんね、節子、キクちゃん。もうがまんできんの」
 水を揺らして上下する。ガッシリ抱きついて尻をふるわせる。ガバと離れて浴槽の縁に両腕を垂らし、尻を跳ね上げる。
「しょうがないわね、おかあさん」
 節子が背中をさする。文江さんが落ち着くと、節子は私と顔を見合わせ、
「キョウちゃん、まだイカないでね」
「だいじょうぶ」
 跨ってくる。あえなく達し、キクエと交代する。キクエは唇を貪りながら、中に納めるだけで動かない。
「愛してます、死ぬほど愛してます」
 少し突き上げた。
「あ、もったいない、ああん、イッちゃう、イクイクイク、イク!」
 私はキクエを離し、からだを濡らしたまま二階のキッコのもとへいった。
「キッコ! するよ!」
「はい!」
 優子と談笑していたキッコはあわててスカートと下着を取り、横たわって股を広げた。
「濡れてる?」
「もうグショグショ」
 突き入れる。しゃにむにピストンする。
「キャ、気持ちいい! お、大きい、あ、イク、もうイク、イクウ! やだ、もう一回イッちゃう、イッちゃう、神無月さーん、イク! もうだめ、やめてやめて、イクウ!」
 そそくさと優子も自分の服を剥いで、脚を広げる。キッコから引き抜いて、優子に突き入れ、ゆっくりこすり、彼女の急激なアクメに合わせて射精する。律動を数回するだけで優子は十全な快楽を得る。最後に一突きする。
「グ! イグ!」
 二人が悶え苦しんでいるところへ、文江さんたち三人が上がってきた。キクエが、
「廊下も階段も水まみれよ。キッコちゃんに出さなかった?」
「うん。いま優子に最後の一滴まで出したとこ」
「さあ、ゆっくり休みましょう」
 キクエが私の胸に手を置いた。節子がキッコに、
「イキ足りなかった? 途中で抜いたんでしょう」
「ううん、うちが抜いてもらった。たっぷりイッたわ。抜いたときにめっちゃ強くイッてまってん、苦しいくらい。愛しとるよ、神無月さん」
 私はキッコと優子のあいだに横たわった。
 文江さんと節子とキクエはむかし話が好きだ。牛巻病院、葵荘、八坂荘、そして名古屋西高校。なつかしい気分で、ここ三、四年のおさらいをする。キッコと優子が三人の寝物語に付き合う。
 小学校三年で、野辺地のなつかしさがすみやかに消えていき、小学校五年で横浜のなつかしさがほとんど消えた。そして、名古屋は永遠になつかしい。飯場と野球、ポップスと親友……。


         十八

 十月三十一日金曜日。七時起床。アヤメの早番のキッコの姿はない。シャワーを浴び、歯を磨き、洗髪をする。まだ寝ている文江さんと節子とキクエを残し、優子と二人で北村席へ戻っていく。
「今週は中番?」
「はい、来週は早番です。……神無月さん、疲れませんか?」
「みんなが喜んでくれるから、逆に疲労回復剤になる」
「ならいいんですけど。……申しわけなくて」
「そういう気持ちでセックスしたら、幸せになれないよ。ぼくも無心でセックスはできなくなる」
「はい。……あの」
「なに」
「丸ちゃんを……そろそろ」
「……近記さんと木村さんはなんとなく断ったけど、丸さんは断る理由がないものね。ふだんからとてもよくしてもらってるし」
「はい。……よろしくお願いします。きょうは丸ちゃん、遅番で四時半出勤です」
 優子は賑やかな厨房に入り、私は居間にいく。女将が緑茶を飲みながらテレビを観、主人は新聞を読んでいる。
「あら、おはよう」
「おはようございます」
 主人が、
「中日の優勝一色ですわ」
 主人が、水原監督の胴上げ写真が載った新聞を押してよこす。

  
水原監督『一枚岩』V ドうだあ~
  
中日ドラゴンズ日本一 十五年ぶり二度目
 ドラゴンズ水原茂監督(60)が、名古屋の薄暮の空に舞った。三連勝で迎えた第四戦、持ち前の豪打で勝利、昨年最下位から駆け上がってのリーグ優勝を経て、日本一の頂点に立った。指揮官が作り上げた『友愛に基づく一枚岩』の精神がもたらした栄光だった。
 プロ野球日本シリーズの第四戦が中日球場で行われ、中日ドラゴンズが阪急ブレーブスに二対十二で勝って対戦成績を四勝零敗とし、十五年ぶり二度目の日本一に輝いた。三勝零敗と日本一に王手をかけて第四戦に臨んだ中日は、中三日で先発した小川健太郎投手が九回まで二点を奪われながらも、要所を締めてブレーブスを抑え切った。
 阪急ブレーブスは初回フォアボールで出た大熊を阪本がバントで進めたが、森本が凡退、長池フォアボールのあと石井晶が凡退して得点ならず。一回裏、二回表と両チーム三者凡退。静かな滑り出しだったが、二回裏、ヒットで出た木俣を小川が適時打で還して一点。それをきっかけにブレーブスのめまぐるしいピッチャー交代と、ドラゴンズのいつもの執拗な猛攻が始まった。第三戦まで、十二点、十三点、十八点と得点してきたドラゴンズは、この日は十二点!
 六回表、犠牲フライで一点、九回表、石井晶のソロホームランで一点、阪急ブレーブスの攻撃はそれですべてだった。宮本、梶本、大石、足立、米田と持てるピッチャー陣を総動員したが敵わなかった。米田のワンバウンドのフォークボールを神無月がレフト前に弾き返す痛打でトドメを刺された。
 水原監督「昨年最下位に沈んでいたので、喜びは何倍も大きい。チャレンジャーとして積み重ねてきた努力の結果がきょうにつながったと思う。選手、球団スタッフ、応援してくれたファン、それぞれの情熱にひたすら感謝です」
 小川投手「最後の締めくくりの日本シリーズでああいう投球ができたのはほんとうにうれしい。達ちゃん(木俣)のリードにめりはりがあった。大事なところで大きなジェスチャーをしてくれた。毎年うまくいくわけじゃないから、少し休んでからだのケアをして、来年またいい状態でマウンドに上がりたい。齢も齢だからね」
 西本監督「パリーグの意地を懸けて全力で戦ったが、ドラゴンズはあまりにも強かった。負けてくやしいが、打てなかったこと、作戦がうまくいかなかったことも含めて、結果として受け止めるしかない。すべて監督の責任だ。顔を洗って出直すよ」 
   

 カンナに乳をやっているトモヨさんに微笑みかけながら座敷へいく。睦子や千佳子がいる。二つのテーブルが満杯だ。その中で、登園前の直人がイネといっしょに食事をしている。
「あ、おとうちゃん! やきゅう!」
「保育所から帰ったらね」
「うん!」
 千佳子が畳から大学ノートを取り上げ、
「神無月くん、はい、日本シリーズの配球」
「お、ありがとう」
「十七打数十二安打、凡打四。すべて三塁方向です。ホームラン九本のうち、五本がセンターから右、三本センター、一本がレフトです」
「やっぱり、いつまでも課題は外角球だね」
「凡打については、ほかの選手の配球も書いてあります」
 二階の丸信子の部屋から階段を伝ってピーターの『夜と朝の間に』が流れてくる。

  夜と朝のあいだに ひとりの私
  天使の歌を聴いている死人のように
  夜と朝のあいだに ひとりの私
  指を折っては繰り返す数は尽きない

発売されたばかりなのだろう。完全な休養に入ったと感じる。
 菅野がやってきて、コーヒーを一杯飲むと、トモヨさん母子と出かけていった。女将が帳場に入る。主人は新聞に戻った。私はレコードの鳴っている二階へ向かって階段から呼び上げた。
「丸さーん!」
「ハーイ!」
「古い日本の歌謡曲を持ってたらお願いします。下で聴きましょう」
「はい、わかりました!」
 音楽好きの女だ。珍しいレコードを持っているかもしれない。やがて二十枚ほど抱えて下りてきた。すべてこの五、六年で買い整えたむかしの流行歌のようだ。特殊針で聴く分厚いSP盤ではなく、現代のふつうの針で聴けるEP盤だった。
「おお、いいね」
 私はステージ部屋の明かりを点け、ジャケットの解説を参考に古い順番に並べていった。
 昭和二十五年、美空ひばり『越後獅子の唄』、二十七年春日八郎、『赤いランプの終列車』、二十八年、鶴田浩二『街のサンドイッチマン』、三十年、島倉千代子『りんどう峠』、宮城まり子『ガード下の靴みがき』、三十二年、青梅で聴いた三波春夫の『船方さんよ』、フランク永井の『有楽町で逢いましょう』、長嶋入団で記憶している年、赤線が青線に替わった三十三年、松山恵子『だからいったじゃないの』、島倉千代子『からたち日記』、三十四年、西田佐知子『アカシアの雨が止むとき』、三十六年、渡辺マリ『東京ドドンパ娘』、三十七年、倍賞千恵子『下町の太陽』……。
「なるほど、オリンピック前までね」
 女たちが集まってきた。私は名曲と思われる東京ドドンパ娘をかけた。渡辺マリのパンチのあるハスキーな声が流れ出てきた。現代の高性能のステレオの音に、みんな目を輝かせた。私は縁側にいき畳に寝転んで聴いた。あとの曲は、千佳子たちがアットランダムにかけていった。
 快晴の午前。賄いたちの掃除洗濯蒲団干しが始まる。厨房に残る賄いたちもいる。アヤメに中番で出かける女たちに軽い昼食を用意するためだ。二階へ昇った睦子たちが少し薄化粧をして戻ってきて、大学に出かけていった。私はレコードジャケットを拾い集めている丸の背中に近寄り、
「もっと、ほかのレコードも見せてくれる? 二階で……」
 食卓の優子がにっこり笑った。中番の女たちが食卓につく。私は丸といっしょに二階へ上がった。みんな夢の中が聞こえてきた丸の部屋に入るのは初めてだった。たしか六月の末だったか、隣の優子の部屋を逢瀬に使った。相手は優子と百江だった。広い階段を並んで昇りながら、
「女の悦びは知ってる?」
「……いいえ、ときどきこっそりオナニーをするくらいで。……え! ひょっとして、これって……抱いてくれるということですか!」
「うん」
「わ、うれしい! レコードが見たかったんじゃないんですね」
「うん」
 丸はだれかに教えられていたのかあわててトイレにいって出てくると、すぐさま私の手を退いて部屋に飛びこみ、戸を閉めて鍵をかった。商売柄だろう、手慣れたふうに蒲団を敷く。その隙に私は裸になった。信子は蒲団を敷き終わると、私を振り向いてギョッとしたが、たちまち笑顔になり、カーテンを引き、部屋の明かりを豆燭に落として蒲団に入った。蒲団の中でゴソゴソやっている。まとめて服を蒲団の外へ放り出した。並びかけて蒲団に入ると、ギュッと抱きついた。
「幸せ!」
 私も抱き締める。
「私みたいな女のどこが……」
「名前のとおり丸い顔と、力があるのに悲しそうな目が好きだ」
 さらに強く抱き締めてくる。
「ほんとの悦びを教えてくださいね。オナニーやゴムセックスじゃほんとの快楽はわからない、ほんとの快楽を知れば、愛する人を裏切る恐ろしさもわかるってお嬢さんが言ってました。そういう恐ろしさを知りたい」
「丸さんは何歳?」
「信子って呼んでください。七月に三十歳になりました。……ナマでするの、生まれて初めてなんです」
「からだが感じるのは体質のものだから、あまり期待しないほうがいいな。セックスなんて、抱き合うことに感激すればいいだけのものだよ」
 あえて危険か否かを訊かずに、外に出そうと決めた。蒲団を剥ぎ、丸の裸体を曝す。優子と同じように雪白の肌、胸は少し大きめで、陰毛は薄く、ごくごくふつうの女体だ。股間を開き、少しふるえがくるまで舐める。
「ああ、神無月さん、イ……」
 達する寸前に口を離し、挿入する。その刺激でしっかり達した。美しい悦楽の表情をする。胸を吸いながらゆっくり動く。あいだを置かず、波のようにうねりはじめる。カズちゃんとまったく同じようにうねるのに、達する気配はない。とつぜん、
「き、気持ち……うう、う! 幸せ……信じられない」
 達したのではないようだ。からだが引き攣っていない。膣壁が動きはじめる。硬くなったり、柔らかくなったり、脈動したりする。しかし、ミッシリ包みこまないので、私も達しない。長くなりそうだ。遅速の工夫なく動く。やがて、
「あああ、神無月さん、大好き!」
 と声を上げると、全力で抱きついた。睾丸が濡れたような感じがし、丸の腹が縮んだ。陰茎が握り締められ、一瞬摩擦が強くなった。迫る。私を抱き寄せた腕が緩み、
「あああ、きつーい! イイイ!」
「信子、イクよ」
 素早く抜いて、陰丘に茎を載せて射精した。
「気持ちいいい! クウウ!」
 激しく腹が伸縮する。律動のたびに精液が丸の乳房やあごや髪に飛ぶ。丸の股間を見ると膣から愛液があふれ出ている。おそらく睾丸が濡れたと感じたのはこのせいだろう。シーツが寝小便をしたように濡れている。
「好き好き、神無月さん、好き! あああ、融けちゃう! クックウ!」
 ふたたび私を抱き寄せようとしたが、両腕がバタリと脇に落ちた。私は枕もとのティシュを大量に抜いて丸の腹や乳房や顔を拭った。
「信子、だいじょうぶ?」
 穏やかにふるえが収まっていく陰毛を撫ぜる。ようやく快楽から解放された丸が、
「だいじょうぶです……すみませんでした。みっともない格好をお見せして」
「みっともなくないよ。安心して」
「おヘソの裏が急に熱くなって、バッて弾けて、お腹が何度も締めつけられるように気持ちよくて……ふるえが止まらなくなりました。びっくりしました。……名前を呼んでくれてありがとうございました。とてもうれしかった。百江さんが感謝しかないとおっしゃってましたけど、すっかりわかりました。お嬢さんの言ったとおり、神無月さんを裏切るなんて恐ろしくてぜったいできません」
 私は信子を抱き締めてキスをした。
「腰が重いです」
「お風呂に浸かればラクになるよ」
「でも、旦那さんや女将さんが」
「みんなわかってる」
 二人で一階の風呂に浸かりにいった。



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