十九

 脱衣場に私の下着とジャージが用意してあった。保育所から戻ったトモヨさんが置いたようだ。女将かもしれない。
「私の下着も置いてあります。だれのかしら」
 居間で女将とトモヨさんが茶を飲んでいた。二人はやさしく丸に笑いかけた。主人と菅野は午前の見回りに出ていた。トモヨさんが、
「私のだけど、使ってちょうだい」
「ありがとうございます」
 モジモジしている丸に女将が、
「何恥ずかしがっとるの。いい年して」
 トモヨさんが、
「とんでもなく気持ちよかったから、恥ずかしくなっちゃったのね。自分はみんなとちがうんじゃないか、異常じゃないかって」
「はい―」
「だいじょうぶよ、ちゃんと抱いてもらえばみんなそうなるの。丸さんは三十年生きてきて初めてそうなったんでしょう?」
「はい。トモヨ奥さんは初めてこうなったとき、どう思いました?」
「愛してくれる上に、まだこんなにすばらしいボーナスをくれるのねって思ったわ。サックのセックスとオシッコをするだけだったところが痺れるように気持ちよくなって、からだが舞い上がるの。信じられなかったわ。自分に何が起こったんだろうって。でも何日か経つと、そんなことはすっかり忘れて、郷くんの言葉だけが恋しくなるの。気持ちよさなんて所詮からだの単純な反応にすぎないし、言葉はからだの反応よりも複雑で神秘的な創造物だからよ。生きていくエネルギー。と言っても、気持ちのいいこともないよりはあったほうが、人生はたっぷりしたものに感じられるわね。ボーナスだから」
 私は、
「人生はたっぷりしたものに感じるより、ギリギリで、まじめで、真剣に感じるほうが充実してるよ」
 トモヨさんは、
「私もそう思います。異議なし」
 女将が満足そうにトモヨさんの湯呑みに茶をつぎ足した。賄いたちの掃除洗濯が一区切りつき、厨房が賑やかになった。
         †
 主人や菅野や早番で戻ってきたキッコたちと遅い昼食を終え、テレビを点ける。スーツ姿の水原監督が東海テレビのスタジオでインタビューを受けていた。日本シリーズを振り返るという題目の共同会見のようだ。水原監督の紋切りの応答を見るのが楽しみだ。
 ―まずは日本一おめでとうございます。十五年ぶりの日本一。
「勝てたことにホッとしています」
 ―宙に舞ったお気持ちを。
「頂上を目指して十二球団一になるという思いでシーズンをすごしてきましたので、その思いを達成させてくれた選手たちに感謝しながら胴上げを受けました」
 マスコミに対して別の言語体系を持っているようだ。
 ―胴上げ前は選手たちにどんな言葉を。
「俺たちがチャンピオンだと」
 そんなことはひとことも言っていない。ぼんやり笑って立っていただけだ。
 ―いま選手たちにかけたい言葉は。
 いつも監督は私たちに言葉をかけている。いまも未来もない。
「大きなきみたちが大きなチームを作ったと」
 ―今回の日本シリーズはおもしろいものになりましたか。
「もちろんです。ここまで毎試合大差がつくと思いませんでしたが、それで興が削がれることはない。真の野球人には、大差も僅差も大いに楽しいものです。真剣に投げて、真剣に打って、真剣にベースを回って、それが遡って校庭の少年たちの野球の、ひいては彼らが成長してやってきた大球場の野球のあるべき姿だと信じています。真剣勝負にみんなが心打たれることこそ、野球というゲームが与えるカタルシスでしょう。おもしろいものであるに決まっています」
 ―印象に残ったことは?
「各選手について何かを言わなければいけないんでしょうが、常に印象に残るのは彼ら全員の溌溂としたプレイと、笑顔と、野球を愛している雰囲気です」
 ―シリーズ後は、どのようにおすごしになられますか。
「休養をとることが第一ですが、そういった日々の中にもドラフト等もろもろのイベントがギッシリ詰まっているので多忙です。また、ペナントレース終了後から日本シリーズ終了後にかけて、一部の選手にとってはつらい通告が待ち受けています。この時期もイースタンやウェスタンで戦っている二軍選手の激励や昇格なども、考慮しなければならない案件の一つです。現役続行選手の今後の待遇、スケジュール編成なども考えなければいけない。われわれフロントもそれにタッチしなければいけないので、のんびりとすごしてなどいられません」
 微妙な話でインタビューが終わった。菅野が、
「水原監督はマスコミを大事にしてますね。球界で生き延びなければならない後進に示すために大事にしてるんです。媚びてるんじゃないことは、マスコミ用の応答以外は微妙に情報発信していないことでわかります。戦力外通告などというショッキングな言葉を使わない。激励、昇格といった言葉を使う。選手を守るためですよ」
 主人が、
「一軍二軍を問わず、プロ野球選手はなかなか住宅ローンを組めないんです。個人事業主なので、いつクビを切られるかわからないですからね。大金を得た選手は即金で買えますけど、パッとしない若手たちにはとてもじゃないが無理な話です。選手は一定の年齢になると寮を出なければいけない規約です。食事代や光熱費が安くてすんだ寮を出て新たに家を借りるとなると、格安年俸選手はパンクします。遅くとも寮を出るまでに結果を残せなかった選手は、〈潮時〉になります」
 菅野が、
「華々しいと思われがちなプロ野球界ですが、成功者の域に達する選手は数えるほどしかいないんです。夢を追い求めながら苦しい生活を強いられ、まともなスポットライトを浴びずに消えていく人がほとんどです。じつにきびしい競争の世界ですよ」
 私は何を思うべきか……わからない。ただ、引退後の選手たちの進路は知識として頭に置いておきたい。私が知っているのは、解説者、評論家、あるいは球団職員として残る例だけだ。バッティングピッチャー、ブルペンキャッチャー、スカウト、マネージャー、トレーナー、広報、スコアラー、用具担当員……。主人の話によると、球団職員以外の道は相当きびしいらしい。レギュラーの引退選手なら、人生再出発を期して飲食店を経営したりもできるが、二軍引退となると、ほとんどの人間がグズになり、不安定なアルバイト生活を送るという。いずれにしても、プロアマ規定で高校や大学の野球指導者にはなれない。
 何を思うべきでもない。再出発? 最初の出発を何か取り立てて意識したのか? 有限の人生、どの地点も出発で、ゴールだろう。せっかく心を決めて出発してからの過程に未練があるだけだ。そんな内実のない過程など、潔く断ち切ればいいのだ。折り返して未練たらしく復路をたどる必要はない。断ち切った地点がゴールで、ふたたび前方への出発点になる。ましてやスポーツ―どれほど自分のからだにベタ惚れしてすごしてきたか知らないが、技術と力の衰えたムクロに何の思い入れもないはずだ。
「キッコ、今月大検の試験だね」
「うん、今度の土日、八日と九日。一日六科目、朝九時半から夕方五時半まで。会場は大原簿記学校、ここから歩いて十分や」
「結果発表は?」
「十二月九日の火曜日にハガキを発送するんやて」
 木村しずかがファインホースから戻ってきた。
「似島の子供たちからドッサリ千羽鶴が届きましたので、職員たちと一緒に事務所の天井に飾りました」
 菅野が、
「サンキュー」
「木村さん、三上さんと近記さんはいまどうしてるの?」
「二人ともアヤメにいます。ときどき厨房の手伝いもしてますよ」
 木村はそのまま厨房に入った。キッコが、
「しずかさん、包丁名人でっせ」
 そう言って、自分も厨房へいった。
「菅野さん、似島の養護施設に小屋にあるビールのほとんどと菓子類をぜんぶ送ってください。それからミズノの保田さんに連絡して、青森高校と東大の野球部に硬球百個ずつ、久保田バットを五本ずつ送るように手配してください。実費は払ってくださいね」
「了解。いま注文してきます。ついでに直人を迎えにいってきます」
 聞きつけて台所からトモヨさんがやってきて、菅野といっしょに出ていった。裏庭で小気味のいい音がしたので、私は下駄を履いて出て蒲団叩きを手伝った。女たちはキャッキャッと声を上げて喜んだ。
 やがて帰ってきた直人と芝庭に出て、約束どおりプラスチックバットとゴムボールで野球をやった。直人が飽きるまでやる。二十分で飽きた。居間に戻ると、トモヨさんが言葉のわからないカンナに『いないないばあ』を読み聞かせている。直人が近づき、トモヨさんの肩口で声を張り上げる。暗記しているのだ。

  いない いない ばあ
  にゃあにゃが ほらほら
  いない いない……(ページをめくって)
  
ばあ

 カンナがニッコリ笑う。くまさんが、ねずみさんが、キツネさんもとつづく。そして最後には、のんちゃんも〈いない いない ばあ〉となる。ばあのたびにとにかく笑う。トモヨさんも笑う、直人も、主人も、女将も、菅野も笑う。安定した笑顔の繰り返しだ。研究され尽くした本なのだろう。
 睦子と千佳子が大学から帰ってきた。登校前のキッコに早い夕食が用意される。直人も幣原といっしょに食卓につく。アヤメの遅番組は九時過ぎに食事をとるので、キッコが夕食を切り上げて登校するころに出勤する。
 やがてアイリス組が全員引き揚げてくる。私たちの夕飯が始まる。食事の途中で、塙席や、二、三の商店会や、ファンクラブから続々と樽酒や品物が届く。運搬人たちが廊下へ上がりこんで竃室(かまどしつ)奥の土間へ運びこむ。勢揃いした男どもが、
「日本一、おめでとうございます!」
「お祝いの寸志です。お受け取りください」
「紅白饅頭三十人分です。一家のかたたちでお食べください」
「十五年の宿願成りました。椿商店会からお祝いの品十五種です。玄関前に積んであります。お受け取りください」
 主人夫婦や賄いたちに声高く告げる。女将がしきりに叩頭し、直人がはしゃぎ回る。私も顔を出していちいち礼をする。土間に着物姿の年増がスッと立ち、三味線(みすじ)を抱えた紋付袴の男を背に従え、名古屋甚句を唄う。三、四分もある民謡だ。式台の前で主人が代表訪問者や諸品運搬人たちに、
「ま、ひとつ、呑んでいただきたい」
 と声を張ると、賄いたちが茶碗についだ清酒を差し出す。めいめい飲み干すと、だれも家うちに上がろうとせず、辞儀をしてすみやかに立ち去っていく。一陣の嵐が過ぎ去り、菅野と主人が積まれた品物を景品小屋へ運んでいく。
 食卓が再開し、ひとしきり名古屋甚句が話題になる。睦子が、
「宮の熱田が出てきましたね。あとは聞き取れませんでした」
 女将が、
「名古屋弁をでたらめにつなげただけなんよ。耕三さん、通訳してや。ちょうだゃあもに」
「ください」
「すかたらんに、おきゃせ」
「気に入らないからやめておけ」
「ちょっとも、だちゃかんと」
「少しもよくないと」
「ぐざるぜぇも」
「愚痴こぼす」
「そうきゃも、そうきゃも、なんだあぇも」
「そうですか、そうですか、どうしてですか」
「いきゃすか、おきゃすか、どうしやぁすか」
「いきますか、やめますか、どうしますか」
「おみゃあさま、このごろどうしやぁた」
「あんたさん、このごろどうされたんですか」
「どこぞに姫でもできせんか」
「どこかに女ができたんじゃないの」
「できたらできたと、いやぁせも」
「できたらできたと、言ってください」
「私もかんこうが、あるわあぇも」
「私も考えがあるから」
「おそぎゃあぜも」
「怖いですよ。―てな民謡ですよ」
 笑い声と拍手。女将が、
「でたらめやろ? 無理があるわな」
 千佳子が、
「女の恐ろしさを表してるような気がします」
 主人が、
「江戸の末から明治にかけて流行ったお座敷唄でな、名古屋の花柳界で唄われた歌です。全体の意味はまったくわかりません」


         二十

 一家でテレビの前に坐る。NHK現代の映像。トモヨさん母子がイネといっしょに離れに去る。今週のヒット速報。黒ネコのタンゴ、今朝聞いたばかりの夜と朝の間に。番組の途中で帳場のほうに客がきたみたいなので、女将はそっちへ引っこみ、主人と菅野は見回りに出た。
 キッコが帰ってきた。つづけてアヤメの遅番組も帰ってきて、のんびり食卓につく。かよいの賄いは帰っているので、もっぱらソテツと幣原がおさんどんする。百江や素子も手伝う。
「キッコは来週、大検受験だそうだ。そのまま受かって、猛勉して名大受験、と。四カ月くらいの勉強だと、たぶん一浪するな。ソテツは土曜日ごとに河合塾にかよって、来年四月に名古屋西高受験、千鶴は四月から中村高校の定時制か」
 カズちゃんが、
「みんな、楽しんで勉強してね。勉強が娯楽に感じたら生活が輝くわよ」
「はい!」
「千佳子も国家試験予備校にかよってるんだよね」
「ええ、タツミ法経予備校。来年の学期替わりから公認会計士のコースへ切り替えようと思ってます。どうしても法律が好きになれないので、いちおう法学部を卒業してから公認会計士の試験対策をします」
 キッコが、
「めちゃくちゃせわしないなあ。大学出て、市役所か県庁にでも勤めてまうほうがええんちゃうん」
「それも考えてます。どんな形でも、神無月くんのそばにいられればそれでいいんです。そうだ、神無月くん、スタンド敷き、もうすぐ一枚目ができ上がりますから、トモヨさんに渡しておきますね。二枚目ができたら、和子さんに渡します」
「ありがとう」
 番組が今週のヒット速報からザ・ガードマンに切り替わる。宇津井健ファンのメイ子がテレビのすぐ前に坐る。賄いたちもぞろぞろ集まってくる。私は睦子と金魚を見にいく。最初マンションで見たころよりは多少大きくなっている。
「無理に池に放さなくても、このままでいいんじゃないかな。ヤゴにやられちゃうよ」
「そうですね。これ以上大きくならない種類みたいですから」
「指を出すと寄ってきて、かわいいね」
「ほんと、目がキョロッとして」
 主人と菅野が帰ってきた。女たちの隣の卓でビールになる。
「蛯名さんから寸志をいただきました。牧原さんからということで」
「そうですか。蛯名さんたちへこっそり還元しておいてください」
「わかってますよ。大入り景気を理由にボーナスの形でね。素直に受け取らない人たちですから」
 菅野に、
「異なことをお訊きしますが、シーズン優勝のペナントを水原監督が受け取りましたよね。あれはどこに飾られるんですか」
「球場の記念品保管室です。優勝チームのホーム球場のバックスクリーン脇に一年間、晴天の日に掲げてもよいことになってるんですが、あまり掲げないし、掲げても目立ちません。試合が終わるつど記念品保管室に戻すのも面倒ですしね。……ちなみに、ペナントレース優勝に賞金は出ませんが、日本シリーズには種々の賞金があります。個人賞はもう神無月さんは経験ずみだからよしとして、まず優勝チームに五つのテレビ局から計二百五十万円、戦った二チームに第四戦までの入場料の割り当て金として、平等におよそ一億五千万円贈られます。それとは別に、監督・ベンチ入り登録選手には約二億円が勝利チームと敗北チームに三対二の割合で分配されます。一億二千万円と八千万円ですね。勝利チームの監督・選手のほうが少し多くもらえるわけです。ベンチ入り登録の合計人数は最大四十人ですから、選手は少なくとも三百万円から二百万円もらえるわけです」
「はあ……」
「神無月さんには、このシリーズ、ホームラン賞も含めて優に一千万円以上が入ってます」
「はあ……」
「どうでもいいことでしょうね。私にもどうでもいいことです。私はポケットに小銭を含めて三万円、神無月さんは十万円。金の概念はそこ止まりです」
 主人が、
「ワシは二十万ぐらいかな。ポケットに入れるゆうのは神無月さんのまねや」
 菅野が、
「私もです」
 トルコ嬢たちの一人が、
「うちらの財布のほうがようけ入っとるが」
 睦子が、
「私はお財布に五千円」
 千佳子が、
「私は三千円くらい」
 素子が、
「うちは二万円」
 カズちゃんが、
「私は大バッグに五、六十万円。ゼロ円のこともけっこうあるわ。その日の勘で入れたり入れなかったり」
 ソテツたちがやってきて、一万円、二、三千円、千円などと言う。トルコ嬢たちの話を聞くと、ほとんどが三十万円以上だったが、一円も持たないと言う女もいた。
「とにかく神無月さんの稼ぐ金は桁外れやわ。想像できん。旦那さんのも想像できんけど」
 私は、
「菅野さんが言うとおり、使うという意味では金の概念には限界がありますよ。大げさな言い方になりますが、ぼくは人生の大半、ポケットに百円も持ったことがない。小学校に入って初めて十五円という金を知った。それまではじっちゃにもらった五円玉しか知らなかった。十五円をもらったのは横浜の浅間下。たぶん給食がなかったと思うから、小遣いじゃなく昼めし代だね」
 カズちゃんが、
「終戦後、八大都市に給食が実施されたんだけど、昭和二十六年のサンフランシスコ講和条約が結ばれたせいで、ガリオア資金ていうアメリカの占領地救済義捐金が打ち切られて、昭和三十二年までほとんど給食は中止状態だったの。キョウちゃんの横浜時代はちょうどそのころね。青森は八大都市じゃないから給食はなかったし、キョウちゃんが給食を知ったのは名古屋にきてからでしょう。その十五円はパンでも買って学校にいきなさいという意味だったのね」
「よくわからないけど、おやつ代って言われた覚えがある。それを貸本に使ったり、映画に使ったりした。たまに甘食を買ったり、十円のコーヒー牛乳を飲んだり、五円のコロッケを買い食いしたり、一度だけラーメン屋で十五円のラーメンを食ったこともある。ごくごくたまに八十円か百円の少年雑誌を買ってもらったほかは、十五円以上の金を使うという経験がほとんどなかったし、十五円より高い値段の品物をほしいとも思わなかった。十五円がぼくの上限だったんだね」
 菅野が、
「食費を小遣いへ流用してたというわけですね……。それじゃ、ものを食う習慣はどんどんなくなりますね」
「うん、そうやって何年か横浜で暮らして、小学四年のとき名古屋の飯場に入った。ポツポツ社員からお金をもらうようになった。何にも使わなかった。野球道具のような、どうしても必要だと思う高額の品物はあったけど、そういうものは彼らが買ってくれた。必要とは言えないけど、ほしいなと思った贅沢品もよく買ってくれた。カズちゃんはテープレコーダーを買ってくれたし、クマさんはレコードや中古のステレオを買ってくれた。野球見物もその一つかな。正月に彼らから何万円もお年玉をもらうと、うろたえてるうちに母に巻き上げられた。いまポケットに入れている金も、どうしていいかわからないまま持ってる。十万円も十億円もぼくには架空の代物ということだね。架空のものはあってもなくても同じだ」
 主人が、
「酒も煙草もギャンブルもやらん。ふつうそういう男はケチくさい石部金吉になるもんやが、神無月さんは大盤振舞いの王様みたいな人やからな。不思議な気がするわ」
 睦子が、
「人生そのものを大盤振舞いしてますね。まだ二十歳にしかならない同い年の人だと思えない。和子さんはいつも、郷さんの早死にを頭に置いて行動してますけど、しっくり理解できます。人の伝記の価値を決めるのはページの数じゃありません。その内容の豊かさです。その内容が心を揺さぶるか否かです。ときに未完成の伝記こそ美しく感動的です。心に響く永遠があります」
 菅野が、
「おいおい、ムッちゃん、神無月さんを早ばやと殺さないでよ」
 カズちゃんが、
「殺そうとしてるんじゃなくて、何があってもいっしょにいるって覚悟してるのよ」
 私は、
「とにかくぼくの〈稼ぎ〉架空の金です。みなさんでドンドン使ってください。ぼくもがんばって使います」
 百江とメイ子がコーヒーをいれてきた。そろそろ帰りましょうという合図だ。女将がビン底眼鏡の男を廊下に送り出して座敷に戻ってくる。カズちゃんが、
「銀行の人?」
「そう。××銀行の部長さん。もう帰ったわ。貯金のお勧めを口実にくるんやけど、そのつもりはないんよ。長火鉢の前にちょこんと坐りこんで、炭に手を当てて、おこうこ肴(アテ)にチビリとやりたいんよね」
「銀行屋さんが選ばれし者の特権に浸ってる感じね」
「ほうやね、三日に一度はちがう顔の銀行屋さんがくるわ。賄いの若い子見物も兼ねてな」
「ときどき宴会もやってくれるから、邪険にはできないわね」
「お座敷はめっきり減ったけど、塙さんとこにはまだ芸妓さんがおるでね。そういう話は塙さんに回すことにしとる。長居されると煙草が増えてまって、胸が悪いわ。三味線を弾く気にもならんし」
「堅苦しいお茶屋の座敷より、裏口からとんとんと入ってきて、あの火鉢の前にちょこなんと坐りたいんでしょう。商店の町衆ならいざ知らず、肩の凝る仕事をしてる銀行マンなんか特にそうでしょう。むかしは舞妓(まいこ)見習いなんて帳場にいて、あたりまえのようにお酌してくれたのにねえ。花柳界の風情なんてとっくになくなっちゃったわ」
 カズちゃんが首を振った。千佳子が、
「いいえ、まだまだ風情があります。私、あの帳場、だれもいないときに一人で坐ったことありますけど、ほんとにくつろぎました」
 睦子が、
「見習いさんて……」
「座敷に侍ってお酌する玉代が半分の子。半玉。いずれ銀行のトップクラスの人に〈お披露目〉ね」
 女将が、
「お座敷に出る芸妓さんにはお座敷言葉ってのがあってね、家に帰りたいという里心を起こさないような言葉をしゃべるんよ。お盆はオカヨイ、ツマ楊枝はクロモジ、お手洗いから出たお客さんをかならずオシボリを持って待つ。だれもいないと、お手洗いを出たとき気持ちが家に戻ってしまうから。ほかにも、置屋の主人は父親代わりだからお父さんと呼んで、茶屋の主人は旦那さんて呼ぶの」
 菅野が聞かぬふりで、
「たしかに帳場は落ち着きますよね。襖も掛軸も屏風もいい。五十年、百年前に戻ったみたいな気もちになります。むかしは置屋って朝が遅かったんでしょう?」
 主人が、
「そう。起きるのはだいたい十時。身支度を整えた芸妓衆全員で手分けして部屋の隅々まで掃除する。朝一番で手入れするのが帳場の長火鉢。掃除が終わると、二部屋に分かれて遅い朝食をとる。親戚筋と同居人に分かれるわけです。夕方にも全員で掃除する。床は磨き上げられ、障子の桟にはチリ一つない。毎晩銅壺(どうこ)で酒を温める。……あの火鉢はワシが子供のころからあるんですよ。ケヤキで造られた関西長火鉢です」
 私は主人に、
「芸妓の心構えみたいなものはあるんですか」
「芸ごと万事に通じるような金言がありますね。天狗になったらあかん、天狗になったら芸は止まる、努力をしつづけろということです。それとか、背伸びして踵をずっと上げていたらあかん、踵を下ろすときに時間がかかるから、なんてのもね」
「すごい言葉だ」
 千佳子が、
「ちょっと踵を上げたいときもあります。少し上げて、すぐ戻れるくらいにしておかなくちゃ」
 睦子が、
「芸ごとばかりでなく、人間として大切な言葉だと思います。だからと言って、背伸びしないで、私なんか無理だとか、私じゃだめだなんて言ってたら成長できないし、いい仕事ができません。背伸びの生長期間が終わっても、人生はつづきますから」
 素子が、
「ええこと言うがや。人間的な成長は終わらんゆうことやね」
 カズちゃんが、
「ほんとに千佳ちゃんムッちゃんはいいこと言うわ。思うようにいかないときに一から出直しができることが、人間としていちばんの成長ね。芸ごとや仕事なら、つらくなったら踵を下ろせばいいし、エネルギーが貯まったら踵を上げればいいの。人間としての背伸びが危ないわね。踵を下ろせなくなることが多いから」
 ホッとした顔で名大組が腰を上げ、主人夫婦が腰を上げ、アヤメの遅番組や賄いたちが自分の部屋に退がり、トルコ嬢たちが雀卓についたり二階に上がったりしたので、11PMが始まる前に私たち則武組も腰を上げた。




第12章 日本シリーズ 終了

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