第三部


十三章 シーズンオフ



         一

 十一月一日土曜日。大沼所長から薄い封書がきた。

 キョウの晴れ姿をいつもテレビで観て悦に入っている。この秋、私といっしょに異動した飛島と佐伯、新婚間もなく名古屋を引き揚げた山崎、関西の出向から戻った三木、五人全員本社に揃い踏みした。
 かねてから予定していた飛島ファンクラブの会合は、菅野さんのご提案どおり、十一月二十三日(日)の午後五時と決まった。一同いまから胸ときめかせ、再会を待ちかねている。会合場所は神楽坂の志満金(しまきん)という老舗割烹点です。飯田橋で降車、神楽坂下まで徒歩で数分かと思う。志満金に着いたら、海月亭という個室にいらしてください。
 俺は待ってるぜ。みんなも郷に会いたがってるぜ。
 飛島の裕ちゃんこと郷へ。大沼。


 裕次郎のことを飛島の社員たちに語ったことがあったろうか。記憶はない。ともあれ、東京へは裕次郎ふうに濃紺のブレザーに身を固め、ローファーを履いていこう。さっそく便箋二枚の返事を書いた。

 みなさまには、折に触れ、機に際して、どれほど物心両面でお世話になったか計り知れません。いつも感謝の念を抱きながら思い出します。
 すでに西松建設のかたがたとは、全員ではございませんが、偶然のことから、昨年なつかしい再会を果たしました。私は建設会社寮の息子として少年期の大半をすごしてきました。そして、社員寮というものを心から愛してきました。その衷情には人並外れたものがございます。私の中では〈飯場〉のイメージが強いので、常々そう呼んでおりますがお気になさらぬよう。
 母とは疎遠にしておりますが、心中にわだかまりはございません。子を思う親の気持ちに、怨みつらみといった濁りのあろうはずはなく、ちょっとした感情のいきちがいからの一時的な齟齬であろうと思っています。時が解決するものと思います。親子の角逐の激しかった節は、ほんとうにご心配をおかけしました。みなさまには損得ずくを離れて庇っていただきました。お礼の申し上げようもございません。
 お招きありがとうございます。指定の日時に、指定の場所に、かならず出かけてまいります。お約束どおり、江藤選手、山口勲と同行します。お会いできる日を楽しみにしております。
 大沼所長さま      神無月郷


 時が解決する? ただの言い回しだ。
 三時まで牛巻坂。四枚。
 ふと、この二十二日に、引退試合も行なわず現役選手と監督双方をさびしく退いた中西太のことが知りたくなり、西図書館へ出かけていく。大和球士『野球百年』を借り出して閲覧室で読む。少し文体は古いが読みやすい。索引から中西太の項を見つける。

 甲子園で活躍した超高校級の大物、高松一高の四番打者中西太は、西鉄に入団したルーキーイヤーの昭和二十七年のオープン戦から目を瞠る活躍を見せた。
 …………
 対大洋戦では、中西が放った打球は中堅への低いライナーだった。大洋の中堅手平山菊二が前進したところ、打球はグンと伸びて頭上を越され、思わず万歳をしてしまった。しかもその打球は中堅後方の塀にノーバウンドで当たった。この一打で怪童中西の名が広まった。ただこれはまだ序章にすぎなかった。
 …………
 対阪神戦オープン戦でのこと―。阪神の左翼手金田正泰が驚いて言った。中西の打球が遊撃手の頭上一尺(約三十センチ)のあたりへ飛んできたので遊撃手がジャンプしたが、あっという間に凄まじいスピードで頭上を越された。
「自分はそのライナーを捕球しようと前進したら、ブーンとうなって自分の頭上を越した。しまった、目測を誤った、かとクルリと振り向いて打球を追おうとしたら、なんとなんと球がスタンドに飛びこんでホームランさ。あれは怪童だよ」
 中西はシーズンに入っても打ちまくり、本塁打十二本、打率二割八分一厘を挙げて新人王になった。
 …………
 翌二十八年八月二十九日、平和台球場の対大映戦。六回二死、中西が打席に立つ。大映の投手は林義一。彼が内角球を振り抜くと、打球はぐんと伸びて中堅後方に大きく飛び、中堅スタンド後方のスコアボードの上を越して場外に去った。平和台球場の中堅塀まで四百フィート(約百二十二メートル。日本の球場で最も深い中堅塀だった)その上部に建てられたスコアボードの高さと、その三十フィート(約九メートル)上を通過したことを考慮すると、推定五百三十フィート(約百六十二メートル)は飛んだだろう。一年後輩の豊田泰光によると、「あの一発クラスのホームランを太さんは何本も打っている。左中間場外に飛ばした打球は、当時照明が暗かったし、どこまで飛んでいったかわからんのだよ。あの一発より大きいものもあったはず」
 この二十八年は打率三割一分四厘で打撃十傑の二位、本塁打三十六本で本塁打王になった。本塁打王になったから二十年に一度の大物というのではない。わが日本球界未聞(みもん)の大々本塁打を放ったからである。
 流線形打線(一番に巧打者、二番に強打者を置いて一気に得点を挙げ、三番に最強打者、四、五番に長距離打者を据えて大量点を奪う打線理論)が当時注目された西鉄ライオンズ。これは巨人を追われて福岡に渡った三原脩監督の作り上げたものだった。この肝である三番打者を担ったのが中西太。しかし、彼の入団裏には毎日オリオンズとの激しい争奪戦があった。そんな事情を聞きつけた三原監督は中西の早大進学費用を西鉄が負担する代わりに、卒業後は西鉄入りする約束を中西家としていたのである。ところがとつぜん、毎日オリオンズが横槍を入れた。同年十一月のことである。中西の兄を抱きこみ、契約直前まで漕ぎつけたのだ。三原はすぐさま高松へ飛び、中西の母を三日三晩説得しつづけた。母は女手一つで、行商をしながら八人の子供を育てていた。学費は西鉄が持つにしても、生活費は家族が捻出する必要がある。家計が苦しいことは明らかだ。毎日が参入したことで、早大で四年間すごしたのちに西鉄入団といったプランは急速に現実味を失いつつあった。結果、三原は現金を手渡し、母そして兄に対し、高卒後すぐ西鉄への入団を承諾させた。その場に居合わせた中西は大声を上げて泣いたという。早大進学、東京六大学で活躍したいという夢はこの瞬間、完全に打ち砕かれた。


 つまらない本だった。中西の大ホームラン以外何も伝わってこない。週刊ベースボール
 で読んだ彼のバッティングについての話のほうがずっと実になる。
「ゴムをギリギリまで引っ張ってバチンと当てるイメージやね。ホームランを打つコツなんかない。力があって、いいバットスイングができれば、飛ぶことは確かやね」
 どこか私の打法に似ている。リーグ随一の守備とか、足が速かったというのは、私には蛇足に思われる。
 夕食はみんなと北村席で。石狩鍋。則武に戻り、女三人と歓談後、テレビ。キイハンター。四人で風呂。洗髪。独り寝。
         †
 十一月二日日曜日。中日新聞の五百野は読まない。カズちゃんも読まない。メイ子と百江が読んでいる。素振り百二十本、ジムトレ、三種の神器、倒立腕立て十回、一升瓶十回ずつ。
 朝めしは丸干しと白菜の浅漬け、目玉焼き、タマネギとジャガイモの味噌汁。日曜日なので、三人は素子を誘って何やらショッピングに出かけた。千佳子と睦子たち何人かも誘うと言う。
 昼まで牛巻坂、七枚。駅西銀座に出かけて、中華飯店でチャーハンと五目ラーメン。戻ると、日本シリーズの副賞のクラウンが届いたと席から連絡あり、出かけていく。
「車庫に置いてある車はみんなの持ち車にすることにしました」
 これでハイエース一台、セドリック一台、クラウン三台、ローバー二台、ぜんぶで七台になった。
 トモヨさんのいれてくれたコーヒーを飲みながら新聞を開く。

 
小野退団か?

 という見出しが目に飛びこんできた。心臓を小突き上げられた。野球賭博への関与を疑われ、嫌気がさしたことが理由となっていた。

 田中勉と親しかった葛城隆雄、小川健太郎、大洋ホエールズの桑田武につづいて、小野正一も八百長オートレースへの関与を一部マスコミによって疑われている。
 セリーグ会長鈴木竜二は、小野は中日ドラゴンズ内部で兄貴分として慕われている大黒柱的存在であり、ギャンブルはいっさいしないまじめ人間であると主張し、マスコミの軽率浮薄な行動を非難するとともに、一連の騒ぎの側杖を食った小野の身の潔白は瞭然としていると明言した。しかし小野の決意は固く、今後いっさい球界との関係を断つと発表した。
「この肩がボロボロになるまで、神無月くんはじめドラゴンズ同朋と野球をやりたかったが、その切なる思いよりも、野球人としての誇りを傷つけられた怒りと嫌悪感のほうが勝り、野球そのものから後腐れなく離れたくなった。今後コーチも解説もいっさいするつもりはありません」
 小川が沢村賞を辞退したのにつづいて、奇跡の優勝チーム中日ドラゴンズにふりかかった二度目の悲劇となった。


 すぐに江藤に電話をした。
「小野さんに会いにいきたいんですが」
「だれにも会わんて言うとったい。東京の実家に引っこんだきり、フロントにも俺たちにも電話で話ばするぎりで、会おうとせん。パレードにも出んそうや。葛城さんや健太郎まで辞めるて言い出して、いま球団は大わらわばい。葛城さんは阪神へのトレード話ば潰してこのまま辞めるて言うとるし、健太郎は、もう面倒くさか、最多勝もいらんけん辞めるて言うとる。マスコミも罪なことばしたもんや。巨人のじゃまばしたドラゴンズが憎かったっちゃろう」
「憎かった―いっそのこと、ぼくも辞めようかな。うん、辞めます。憎まれてまで野球をやってられない」
「ちょっと待て! ワシャ、口が滑ったばい! 憎い言うたんはワシの想像たい。金太郎さんは辞めたらいけん。プロ野球が死んでしもうとたい。水原さんと心中するて誓ったやなかね。金太郎さんが辞める言うたら、水原さんもワシらも辞めることになろうもん。金太郎さん一人だけが頼りなんや。短気起こしゃんでくれんか」
 頼りと聞いて、いっときに冷や水を浴びせられた。頼られなどしなくても、私は彼らのために野球をしてきたのだ。頼られるとなったら全精力を注がなければならない。
「……わかりました。一瞬、何もかもぶっ飛んでしまって」
 十分もしないうちに、折り返し水原監督から電話が入った。
「江藤くんから聞いた。心配かけてすまなかった。金太郎さんはすぐに殉死しようとするからまいっちゃうよ。金太郎さんの心は三人に伝えた。感激してたよ。健太郎くんと葛城くんは、仰天して即刻思い留まってくれた。小野くんの決意は固かったが、もう一年だけというところまでどうにか説得した。金太郎さんの気持ちにいたく感じ入ってね、いつか奥さんといっしょに北村席に会いにいくと言ってたよ。彼は野球が嫌いになったんじゃない。好きな野球にケチをつけられたことに怒ったんだよ。また金太郎さんといっしょに野球をやっているうちに、その怒りも鎮まるだろう。……私はね、球界を去るまで金太郎さんとともに生きたいんだ。ドラゴンズの連中も同じ気持ちだ。もうしばらく一蓮托生の気持ちでいてほしい」
「はい。もうつまらないことは言い出しません」
 電話を切って座敷に戻り、主人と菅野に、小野正一の話をしてもらう。主人が、
「よう知らん人と心中する言うんやから、神無月さんらしいわ。小野さんは波乱万丈のプロ生活を送った、知る人ぞ知るスター選手でな」
 菅野が、
「昭和三十五年の成績は、まさに圧巻のひとことですよ。最多勝利三十三勝、最高勝率七割五分、最多完封五、最優秀防御率一・九……いくつだったかな」
 水屋の棚の野球年鑑を繰る。
「一・九八です。三十五年と言えば、今回戦った西本幸雄が新監督に就任した年です」
「榎本、山内、田宮、葛城のミサイル打線で、十年ぶり二回目の優勝をした年やったな」
「波乱万丈というのは?」
「小野は、福島の磐城高校出身で、卒業後の昭和二十六年に社会人野球の常磐炭鉱に勤めたんですわ。仕事はもちろん炭鉱夫。危険この上ない職場です。百八十五センチもあるんで、内野手の的になりやすいだろうということで、一年間一塁手をやらされました。その間、毎日百メートルの遠投を三百本やったんです」
「すごい! 肩と肘のスタミナが超弩級だ。バカ肩の一塁手」
「はい、すぐにピッチャーに転向して、さらに遠投練習を繰り返した結果……」
 菅野は年鑑を見ながら、
「三年後の二十八年には、ホームから百二十メートルのバックスクリーンにぶつけられるようになったそうです」
「そうか、あの大きくからだを後ろへ倒してクルッと肩を回す投球フォームは遠投の形だったんだな」
「剛速球をプロに注目されて、三十一年に毎日オリオンズに入団。開幕直後から先発起用されてます。四月に初勝利。その年は四勝一敗でしたが、翌年から十三連勝を含む二十六勝、翌年十三勝、翌年二十二勝、そして三十五年に三十三勝で投手四冠に輝きます。案の定その年に肩をやられました」
「やっぱり。小野さんの肩が痛むのは古傷なんですね」
「でしょうね。大洋時代の背番号27は平松に受け継がれました」
 主人が、
「ノーコン、剛速球、パワーカーブ。荒れ球が武器で、五年連続四球王。エースの座に君臨しつづけたけど、フォアボールを投げすぎたのも肩を痛めた原因ですな」
 菅野が、
「今年の小野さんも相変わらずフォアボールが多くて、チームナンバーワンの六十五個でした。セリーグに移籍してから五年間、むかしの百個前後ということはなくなりましたけど―肩を庇って剛速球を投げなくなったせいでしょうね」
 もう一年が限界だ。来年は、小野が投げるときは、どのピッチャーのときよりも一生懸命有効なヒットやホームランを打つことに専念しようと思った。


        二

 主人が菅野といっしょに大門の振興組合の寄り合いに出かけていった。彼は駅西の顔役なので、太閤通から北の振興組合の寄り合いにポツポツ〈顔〉を出す。私は女将に、
「きょうは女の人たちは銀ブラですか」
「ほうよ、広ブラ。和子にぞろぞろついてったわ。夕飯までには帰るんやないの」
 トモヨさんからハガキを二枚もらい、居間のテーブルで名古屋西高の土橋校長と、名城大付属高校野球部の高江監督宛てに長期の無沙汰を詫びがてら、感謝の気持ちを数行にまとめて記した。

  野球への道が断たれようとする転機に、厚情をもって支援していただいたご恩は生涯忘れません。

 という文句をどちらのハガキにも書きこんだ。転機に現れた人物や集団を数え上げればきりがないが、とりわけこの二者には恩義あるように感じたので、大仰な言葉とは思わなかった。
 ファインホースに電話をし、二校の住所を確かめて記入した。
「ほんとに義理堅い人やなあ」
「逆です。だいぶ不精してました。ちょっと図書館へいってきます。夕飯までには帰ります」
「風が冷たいで手袋をしてきゃあ。耕三さんが使わなくなったのがあるで」
 黒の皮手袋だった。礼を言ってジャージのポケットに収め、麦藁帽をかぶり、自転車で中村図書館に出かけた。中西、小野と知識を仕入れてきて、徳武についても知りたくなったからだ。
 タクシーの多いアスファルト道を市電に追い抜かれ、いき遇いながら走る。よく見るとビルの谷間で崩れかけた家屋も多い。駅前と比べるとまったく人が歩いていないのと同じだ。その中でも老女は和服姿が多く、若い女はほとんどミニスカートだ。壮年の男は背広を着、女は色とりどりのツーピース、男の幼児はジャケツに長ズボン、少年少女は学生服が多い。暖かそうな黒タイツを穿いた女の子同伴で、前掛けをしたまま犬の散歩をしている母親の姿が郷愁を誘う。どこかで見た光景でないのになつかしい。道ゆく人びとがだれもかれも美しく見える。女将の言ったとおり風が冷たく、手袋は心地よかった。道々、四角い赤ポストにハガキを投函した。
 図書館の棚を巡っても、徳武に焦点を当てた本はなく、名鑑だけの知識をなぞることになった。
 早稲田中学から早稲田実業。三年生のとき四番ショート。一年生エースの王の好投のおかげで、夏の甲子園出場。二回戦で高木が一年生セカンドで出ている県岐商と当たり、例の清沢忠彦に抑えられて敗退。早稲田大学商学部入学。サードを守る。在学中二度の優勝に貢献。早大時代も清沢と何度か対戦した。大学日本選手権で優勝。リーグ通算八十八試合で三本塁打、二割九分四厘。
 ―甲子園で高木と出会っていたのか。何という奇遇だ。
 十一球団競合でプロ勧誘。巨人は、長嶋をショートに広岡をセカンドに回すからぜひきてくれと誘うが、国鉄の監督(長嶋の恩師)砂押が、
「長嶋にショートはできない。巨人にいっても出番はないからうちにきなさい」
 と諭したことで、国鉄に入団を決めた。名声よりも出場機会―阪急にいった島谷に似ている。希望通り、佐々木信也、長嶋に次ぐプロ野球史上三人目の新人全イニング出場を果たした。彼の最大の関心事であった連続試合出場記録も八百二十何試合かで途切れ、去年河村保彦と交換でドラゴンズに移籍してきた。十一本塁打、二割三分八厘。今年は三十一試合出場、三十九打数二安打一本塁打、零割五分一厘。惨めだとは思わない。
 皆勤賞は記録のための記録のようで、私の趣味ではないけれども、バッターボックスに立ち、グランドを走り回れるなら、徳武のようにたとえ年間たった三十試合でも出場したい。累積した出場試合の結果である名声や記録などに拘らず、一試合一試合徹底して野球に没頭できる選手でありたい―それが私の願いだ。
         †
 北村席で直人を膝に夕食。休日の一日買い物を堪能した女たちが賑やかに笑いさざめいている。優子が信子に、
「今年は名古屋まつりいかなかったわね。十月の四日と五日だった?」
「さあ、私もいかなかった」
 カズちゃんが、
「私は去年キョウちゃんといった。今年はいかなかった。キョウちゃんが広島に遠征してたから」
 素子が、
「うちは一度もいったことあれせん。来年は連れてってや」
 睦子が、
「私も連れてってください」
 女将が、
「うちは耕三さんと夜になってから駅前に花電車見にいったわ。花電車の電飾、きれいやで。昼間の英傑行列よりええわ。市電が廃止されんうちに見とかんと」
 主人が、
「三台、四台、ダーッと並んで走るんだな」
 千佳子が、
「ムッちゃん、来年は名古屋のお祭をぜんぶ征服しようよ」
「うん、中日球場の試合のないときだけ」
 食事を終えると、女たちはきょうの獲物の服を畳に広げ合う。やっぱり服だ。食べ、着飾る。その本能を失くすと女でなくなる。カズちゃんが、
「きょうはメイ子ちゃんと百江さんがいちばんたくさん買ったわね」
 メイ子が、
「目移りしちゃって、ミニが多かったかしら」
 百江が、
「私はミニなし。冬物ばかり。おばあちゃんくさい」
 素子が、
「おばあちゃんくさいのは、お姉さんやがね。メイチカでおかず巡り」
「キョウちゃんの朝ごはんのお供よ。きょうは東北五県仕入れたわ。ごはんに合いそうなものを吟味しながら、あと七、八回は出かけないと。おかあさんとこにも置いとくわね」
「何やの」
 カズちゃんが大バッグから取り出したものを女将が見にくる。厨房連中も見にきた。北海道、山わさび醤油漬、名前からしてうまそうだ。青森、味よし。聞いたことも見たこともない。
「数の子と昆布に大根やキュウリを漬けこんだものよ」
 山形、あけがらし、からそうな名前でじゅうぶん。福島、ニシンの山椒漬。
「山椒は防腐剤の役目をするし、魚のくさみも消すの」
 いけそうだ。
「北村に半分ずつもらっとこうかね」
「味よしってので、すぐ一膳食いたいな」
 睦子と千佳子も、
「私も!」
 味よしでみんな一膳めしを食いはじめる。うまい、うまいの声がほうぼうで上がる。たしかに一度も食ったことのない味だ。高い漬物でもないから、これを食えないくらい合船場が貧乏だったわけではない。食い物の習慣が固定していて、見過ごしただけだ。この品物を市場で手にしたことさえなかっただろう。
「野辺地に土産に持っていってやろう。や、すぐ送ってやろう。カズちゃん、これを何袋か野辺地に送ってあげて」
「はいはい、そう言うんじゃないかと思ってたわ。あしたにでも送っておきます」
「じっちゃばっちゃのおかずは少ない品目に固定してるんだ。ときどきこういうバラエティに富んだおかずを送ってあげよう」
 千佳子が、
「私もそうします。ムッちゃんは食べたことなかったの?」
「灯台下暗し。一度もないわ」
「着るものの世界も、食べるものの世界も、どんな世界ももっと広いはずだ。ぜんぶを知るのは難しいけど、自分の育った県の郷土料理も知らないのは情けないね」
 千鶴が廊下に顔を出し、
「愛知県の名産は何やの」
 百江が、
「味噌煮こみうどんと、どて鍋でしょう」
 素子が、
「きしめん、天むす」
 幣原が、
「そういうお料理じゃなく、ごはんのお供だとすると、手羽先の唐揚げじゃないかしら。……おかずにならないかも」
 と言って一人笑った。メイ子が、
「このあいだの守口漬でしょう。静岡は自然薯のトロロ汁です」
 メイ子のお国自慢にみんな乗せられて、
「大阪は自由軒のカレー味噌」
「石川はふぐの子」
「沖縄はみそのこ」
 とやりだした。ビールのつぎ合いが盛んになる。
 アヤメの遅番組が帰ってきて、またひとしきり食卓が賑わう。主人と菅野が夜の見回りに出た。テレビが点く。東芝日曜劇場。木村しずかが、
「これ最近カラー放送になったんです。池内淳子の女と味噌汁から」
 みんなでうなずく。人気番組のようだ。きょうの題名は『ダンプかあちゃん』。角面の緒形拳と長面の長山藍子。シリアスとホンワカ。ダンプカーの運転手をしながら家計を支える中卒の純朴な妻と、売れない彫刻家の夫。北海道の月寒(つきさむ)という響きのいい名前の町が書割というのがいい。人間の純朴さが映える。すぐにドラマに入りこんだが、誤解がもとの妻の嫉妬をめぐるスッタモンダに苛立ち、いま一つ没入できない。こんなに陽気で純粋な女が嫉妬に狂うはずがないし、素行を疑われたぐらいのことに腹を立てて芸術家の夫が家を出ていくはずがない。芸術家が腹を立てるのは、自分の言行への無理解ではなく、自分以外の人間の不実だ。そういったことを考えると、これは人間心理の研究の足りた〈まじめな〉ドラマではない。カズちゃんたちがあくびを噛み殺しているのを見てホッとした。
「じゃおかあさん、帰るわ。みなさん、お休みなさい」
「お休みなさい」
 則武に戻り、女たちは風呂、私は『FBIアメリカ連邦警察』。勧善懲悪。創り物のドラマとしてはこちらのほうがスッキリする。風呂から上がってきた三人がしばらく視聴に加わる。きょうも11PMの前に就寝。独り寝。
         †
 十一月三日月曜日。田宮健次郎一軍打撃コーチ、カールトン半田一軍守備コーチ退団の記事が載った。思うところ多く、球界の慣例として見送れない。こうして親しんだ要素が一つずつ削れていき、そのうちまったくなくなる。
 いつものようにセドリックに乗ってジャージ姿の菅野がきたので、頼みごとをする。
「昭和区の川原小学校へ連れてってくれない?」
「いきましょう。七、八キロぐらいです。名駅通から国道19号に乗って、大久手の向こうですから、三十分ほどで着きます」
 菅野は車庫入れしかけていた車をもう一度往来へ出した。私もジャージ姿で助手席に乗りこむ。
「名古屋にきて最初に入った小学校ですね」
「はい。伊勝という町からかよってました」 
 笹島の交差点から下広井町の三叉路へ出て左折。新洲崎橋まで走る。人工の護岸がさびしい堀川を渡る。
「少し前にランニングした19号線です」
 イチョウ並木だけが美しいビルの街並を走る。若宮北の交差点。
「左へいくと広小路伏見です。右は大須観音。信号の先の左手のこんもりした森が白川公園。中に名古屋市美術館と、名古屋市科学館があります。この道は若宮大通。このまま直進しますよ」
 矢場町交差点。若宮大通久屋の交差点。市電に出合う。一瞬、緑の多い地帯が左右に拡がる。直進。イチョウ、コブシ、ハナノキ。並木の途切れないものさびしい通り。丸田町交差点。ここにも市電。十年前に見たような町並になる。
「まだ若宮大通ですか」
「はい。四キロほどあります。百メートル道路と言っても、分離帯の広い三車線なんで、ふつうの道に見えますよね」
 千早の交差点。市電。血管のように市電軌道が張り巡らされている。これがすべてなくなれば、どれほど道がむだに広くなるだろう。並木、車、スクーター、自転車、人。
「この右手奥に名工大があります」
 紀尾井雄司か。いまごろ早稲田大学でどんな学生生活を送っているのか。あのくさい口だけはまちがいなく嫌がられているだろう。
「入道雲ですよ。めずらしいですね」
 道の彼方に大量の雲が積み重なっている。
「積乱雲……。夏場が有名ですが、じつは年じゅう発生してるんですよ」
「そうなんですか」
「153号線に入りました。若宮大通は終わりです」
 二車線の道を市電路と交差しながら走る。老松町の交差点。今池からやってくる市電と大久手の交差点で出合い、斜めに右折して、額の行先幕に〈八事〉としてある60番の市電と併走する。確実に見覚えがある。青柳町、安田車庫前。
「名古屋駅からこの市電できました―まちがいないです」
 宮裏。次が川原通だ。なぜかなつかしい交差点が見えてきた。記憶とほとんどたがわない。この交差点は夢に見たことがある。
「ここです!」


         三

 菅野は信号を直進した。
「ここですか……。感無量ですね」
「少しいったら、左へ登る坂道があります」
 登っていく。家が建てこんでいて、あの家は見つからないと一目でわかる。ここと目ぼしきあたりを左折。見覚えのある小坂と小森。
「あ……」
「このへんですか」
「たぶん」
「すぐそばに伊勝小学校がありますよ。ここいらはその学区でしょう」
「なぜ川原小学校だったのかな」
「転入の空きがなかったんでしょうね」
 小坂を登り切り、いただきで降りる。まちがいないと思うのだが、新しい家が建てこみ配置も変わっているので途方に暮れる。道なりに逆方向へくだる。夏蜜柑の植わっていた農家も畑も、青年に首をつかまれた農道も、何もかもなくなって、似たような住宅に置き換わっている。
「この先が川原小学校です。あ、あれですね」
 近づき、校舎塀に沿って一周する。千年小学校とそっくりに建て替えられた校舎の姿が垣間(かいま)見える。野球部のバックネットが少し大きいだけだ。急に興を失った。
「帰りましょう」
「周囲が高級住宅地というのがちょっと……。なつかしさの欠けらもありませんね」
 スピードを上げて帰路につく。安田車庫まで出て、市電といっしょに帰る。大久手を通って今池へ。繁華なビル街だ。次々と市電が往来する。ほとんどがワンマンカー。車も繁く通る。今池止まりの電車が渡り線を使って折り返す。電停にミニスカート。電停の看板の今池トルコの文字が微笑ましい。道端の《ビール一本ウン万円、甘い誘いにご用心・千種警察署》の看板にも微笑む。
 千種駅前、国鉄の線路を下に見て跨ぎ、車道、新栄町、東新町、武平町、栄町。テレビ塔を頼もしく見やる。毎度の広小路に入る。ビルの群れ。深く息をついた。
「帰ってきましたね」
「はい」
 広小路本町、伏見通、納屋橋東、柳橋。
「納屋橋付近は映画街」
「はい、名宝会館、ミリオン座、千歳大映、朝日会館、納屋橋劇場。栄近辺もすごいですよ。中日シネラマ、ロマン座、東映パラス、エンゼル東宝」
「大須はだいぶ前にいってきました。栄生にも、円頓寺にも、大門にも映画館が多い。ほかの市もそうでしょう。愛知県は映画館まみれです」
 市電が並びかける。
「……2番は稲葉地まで、11番は浄心までか」
「はい。この二線は最後まで残ることになってます」
 笹島町。ガードをくぐる。則武に送ってもらう。
 十一時少し前。書斎に上がり、牛巻坂三枚。
 午後二時半、根気が尽きて鉛筆を擱(お)く。郵便受けに出ると、野辺地のボッケから葉書が届いていた。

 十二月六日に青高で講演するとのこと。東奥日報で読みました。貴君の凱旋を祝し、十二月二日(火)、午後五時より、袋町「華竜(はなたつ)」にて、野辺地中学校昭和四十年度卒業生(三年一組)の同窓会を催すことになりました。ぜひご都合をつけてご出席くださるようお願い申し上げます。なお奥山先生が御来賀なされます。同窓会執行委員は、村上幸雄、西舘セツ。来月、出欠確認の往復ハガキをお送りいたします。  佐藤文雄

 確認の葉書がくる前に出席を知らせるハガキを書き、投函に出かける。投函した足でアイリスに出向き、カズちゃんにいっしょに青森へいってくれるように言う。
「わかった。飛行機でいって帰りましょう。兵藤カウンターチーフ」
「はい!」
 素子が元気よく応える。 
「桜井キャプテン」
「はい!」
 メイ子も元気よく応える。
「十二月の頭、一週間留守をお願いね」
「ぜんぜんOKやよ」
「××さんも森さんも島さんもいますからだいじょうぶです」
「××ホールチーフ、いつもどおりホール周りの管理よろしくね。カウンターにもきちんと目配りしてください。ひと月も先のことだけど」
「わかりました。ご心配なく」
 めいめいの役職ができ上がっているようで頼もしかった。
「菅野さんと川原小学校にいってきた。モダンになっててつまらなかった。周りもガラッと変わってた。いかなくていいよ」
「そう? じゃ、残るは岡三沢小学校だけね」
「うん、いけたらね。千年小学校や宮中はやっぱりすばらしい」
「そりゃそうでしょう。歴史がちがうわよ」
 ミートソースを食い、マンデリン(苦味の強いインドネシアのコーヒー)を飲む。満足。色紙を持って寄ってきた子供二人にサインする。
 牧野小学校を通りかかる。ふと鉄格子の正門から校庭を覗いてみる。砂地の固そうな地面だ。すぐ右手に千年小学校と瓜二つのバックネットが立っている。なつかしさが湧く。ライト側とレフト側の三階建校舎まで六十五メートルぐらい、千年小学校より二十メートルほど狭い。当然のことにすべての窓に金網が張られている。ユニフォームを着た野球部員たちがいっときに集まりはじめる。校庭周回ランニング。いっちょまえにかけ声を上げている。初々しい。三周で終わって、ストレッチ。先生の訓話。と言っても、
「さあ、きょうもがんばろう!」
 キャッチボール。小さくからだを使ったサイドスローが多い。注意してやりたくなる。
 ―からだを大きく使って上から投げろ。
 バッティング練習。からだをスウェイさせた大振りの掬い上げが多い。注意してやりたくなる。
 ―体重を軸足に残してレベルに叩け。
 ファールチップが飛んできて、私が立っている門の鉄枠に当たった。瞬間、
「あ!」
 と生徒の声が上がった。先生が振り向く。同じように、あ! と声を上げる。
「神無月選手だ!」
「神無月選手だ!」
 先生が走ってきて、
「北村席にいらっしゃる神無月選手ですよね」
「―はい。ちょっと練習風景がなつかしくて、見物させていただいてます」
「ありがとうございます! ときどき、ランニングしていらっしゃるところを拝見するだけで、こうしてすぐそばでお目にかかるのは初めてです。光栄です。……あの、私、持ち回りで野球部の監督をしておりますが、野球を専門的にやったことがないんです。ほんの少しのお時間でけっこうですから、基本的なご指導をいただけないでしょうか。どうかお願いいたします。お忙しいですか?」
「いえ、じゃ三十分くらい」
「よろしくお願いします!」
 彼がガラガラ引き開けた門から入る。
「みんな、神無月選手に少し教えてもらえるぞ!」
 生徒たちがワッと慕い寄ってきて、腕や腰に抱きつく。私は彼らを手で制し、
「じゃ、さっそくキャッチボールからいきましょう。先生お相手お願いします。一塁ベースのあたりに立ってください」
「はい!」
 高木に教えられたとおりに、
「からだをこんなふうに、大きく使って、上手投げで、相手の顔を目標にして手首と前腕だけで投げてください。サイドスローはダメ」
 手首だけでDSボールをゆるく投げてやる。ボールが軽すぎて、クンと伸びた。素人先生はヒャ! と叫んで顔を背けながらキャッチした。生徒たちがドッと笑う。もう一球やさしく投げる。今度はしっかり捕球した。拍手。
「きみたち同士で、十球くらい、いまの形で投げてみてください。からだを大きく、上から投げることを意識して、肩を強く使わずにね」
 みんな真剣な顔でやる。サイドスロー気味の子の肩を持ち上げてやったり、からだの回転がぎこちない子のグローブ引き下ろしの介添えをしたりする。
「じゃ次に、バッティングにいこう。きみたちがいちばん関心のあることでしょう? 掬い上げ、叩きつけ、どちらもスイングとして悪くありません。問題はボールにバットが当たる位置です。高目でも低目でも、ボールのほんの少し下を目がけて、当たる瞬間にバットが水平になるように振るんです。気持ちがそうであればいいですよ」
 バットとボールを手に持ち、その位置関係を子供たちの目に示してやる。
「でもこのとき、からだがスウェイして、いわゆる女打ちになると、ボールのずっと下を叩くことになります。百パーセントフライになって長打が期待できません。逆に、上から叩きつけることばかり意識すると、ボールの頭を叩いて百パーセントゴロになります。よほど幸運でないとヒットを期待できません。掬うときも叩きつけるときも、体重を後ろ足に残してバットをレベルに振らなければいけない。後に残すと言っても、ふんぞり返るんじゃなく、軸足で体重を支えるということです。振ってみますね。こんなふうです」
 オモチャのようなバットで、少し力をこめて、高・中・低すべてレベルに振ってみせる。
「すごい! ブッて音がした」
「見えんくらいだがや」
 もっと速く振って見せる。
「うわー! ビッ、ビッ、ビッ!」
「ぜんぜん見えせん!」
 校舎を指差し、
「ぼくの目測では、両側の校舎の裾まで飛べば六十五、六メートル、二階の窓に当たればきみたちの打球の勢いなら落下地点は七十ニ、三メートル、ぼくの伸びる打球なら九十四、五メートル、三階の窓ならきみたちは八十メートル、ぼくは百二、三十メートル。校舎を越えればきみたちは九十ニ、三メートル、ぼくはたぶん百五十メートル以上。きみたちもプロ野球の球場のホームランになりますし、ぼくも大ホームランになります。校舎を越えるとその向こうはホテルの窓なので、なるべくおたがい越えないようにしましょう」
 アハハハ、ダハハハという笑い声の合唱。
「レベルスイングで三階の窓に当ててみます。エースピッチャーの人、マウンドへいってください。高いボール、中くらいの高さのボール、低いボール、と三種類投げてみてください。バックネットがあるのでキャッチャーは要りません」
 小太りの背の高い少年が顔を真っ赤にして、白線の引かれたマウンドに走った。
「お願いします!」
「はい」
 懸命にワインドアップ。一球目、キャッチャーの頭を越える暴投。ガシャンとバックネットに当たる。
「その調子、いい球を投げようと思わないで、全力で」
 二球目、顔の高さにきたので右肘を引いてレベルスイング。あっという間にライト三階の窓に打ち当たった。
「ヒャー!」
 三球目外角へ逸れるボール。四球目ど真ん中。両手を絞ってレベルスイング。ライト三階の窓へ一直線。
「キャー!」
 女のような悲鳴が上がる。五球目、六球目、真ん中より上のボールを見逃し、七球目、地面すれすれの外角のボールを屁っぴり腰でレベルスイング。レフト三階のまどに激しく打ち当たった。ウオーと歓声が上がり、拍手が長くつづいた。校庭がいつのまにか先生や生徒たちでいっぱいになっている。フラッシュが光る。
「さ、きみたちのレベルスイングをちょっと見せてください」
 十五人ほどの部員を見て回る。両手を離さないことを主眼にして、手首のことは教えない。全員後ろから腕を持ってやって、レベルにバットを振らせた。フラッシュが絶え間なく光りだした。
「このへんにしましょう。覚えたことをきょうから実行してください」
 先生が帽子を取って最敬礼する。
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました!」
 生徒も倣う。私も最敬礼して鉄門へ歩いていく。立ち見をしていた先生たちが走ってきて寄り集まり、門前で最敬礼して見送った。彼らを振り返り、
「プロの指導は小中学生の場合いっさい問題ないですが、野球教室のような公のイベントでないかぎりどちらかと言えば快くは思われないので、マスコミには積極的に報告しないでください」
「わかりました!」
 眼鏡の白髪が色紙を持って進み出て、
「私、××と申します。生徒も含めまして、ここにいる教諭連はみな神無月選手の大ファンでして、できればサインをいただけないかと。体育館に飾りたいと思いまして」
 私は快く楷書でサインした。昭和四十四年十一月三日・隣人牧野小学校の子供たち先生たちへ、と書き添えた。
「なんとすばらしい! きょうはほんとうにありがとうございました!」
「いつまでもホームラン王でいてください!」
 校庭じゅう打ち揃って頭を下げた。



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