四

 北村席で直人を膝に夕食。いつものごちそうを囲む団欒。メイ子はアイリスを昼下がりに引き揚げて、則武で洗濯物や蒲団の取りこみをし、後片づけをしっかりしてからこの時間にやってくる。ほとんど毎日そうだ。菅野が、
「ファインホースにドラゴンズの社内報が送られてきました。押美さんが十月九日に、スカウトとして正式に入団しましたよ」
「それはよかった!」
「榊さんの中京大時代の後輩だそうですね」
「はい。見る目のある人なので、これからどんどんいい選手を仕入れてくれるでしょう。ぼくもこれで大恩ある人にようやく面と向かってお礼を言うことができる」
 千佳子が、
「日本シリーズだけでなく、神無月くんの年間の凡打の特徴がだいたいわかりました。凡打率三割四分六厘のうち、完璧な打ち損じはスローボールが七十パーセント以上。高目にやや苦手があって、外角高目を八十パーセントほど打ち損じてます。球種に関しては不得意なものは一つもありません」
「外角高目はいちばん体勢を整えにくいコースだからね。力がまとまらないんだ。そのコースの素振りを少し増やさないと」
 食後、直人に幼児本の読み聞かせ。トモヨさん母子とイネが風呂へいくと、座敷はテレビ、麻雀、花札になる。主人と菅野は夜の〈回診〉に出る。
 則武に戻り、女三人は風呂、私は月曜ロードショー。野球をしていないと時間の流れが速い。独り寝。
         †
 十一月四日火曜日。曇。朝も昼も涼しくなった。この三日間しっかり休息をとった。ひさしぶりに菅野とランニング。往路は太閤通を大鳥居まで。いたるところにドラゴンズ日本シリーズ優勝の幟(のぼり)。

 祝優勝中日ドラゴンズ
 がんばれドラゴンズ!
 ようこそ中日球場へ
 おめでとうドラゴンズ!
 ドラゴンズ日本一!


 復路は鳥居通四丁目から右折して、いつもの日赤の道。ここにも、

 優勝おめでとう中日ドラゴンズ
 竜日本一
 感動をありがとう!
 ブルーグレーの奇跡


 昼めしを終え、トモヨさんが見立てた紺の背広を着ていちばん新しいクラウンに乗る。名古屋観光ホテルへ。車中で臙脂のワンタッチネクタイ。
「きょうはベストナインの受賞だけですから、すぐ終わるでしょう。二時から地下駐車場で待機してます。いってらっしゃい」
「いってきます」
 菅野に見送られて名古屋観光ホテルの正面玄関に入る。山高帽の二人のボーイが辞儀をする。数人のカメラマンがフラッシュを光らせる。広い開放感のあるロビー。ラウンジで何人かの客がコーヒーを飲みながら談笑している。私以外の野球選手の姿はない。小走りにやってきた黒スーツに白襟の女性に導かれて左手奥のエレベーターに乗り、五階大宴会場へいく。笑顔のない女は陶器の置物のように静かにしている。緊張し切っている。私も置物になる。
 会場に入る。すでに顕彰の準備が整った演壇がしつらえられ、それに向かって表彰される者たちが、五、六百人の関係者に背中を見守られて折り畳み椅子に座っている。彼らの後方五列目あたりまで各チームの監督やフロント陣がぎっしり詰めている。
 選手たちはみんな背広を着、ネクタイを締めている。最前列のセリーグの空いた席に座る。隣にいた中と挨拶する。江藤と高木と木俣が列から身を乗り出して、ニッコリ頭を下げる。長嶋は口を引き結んだ横顔でコクリと挨拶し、藤田は仏像のように身動きしなかった。セリーグの後方の一列に九人のパリーグの選手たちが座っている。彼らはハナから挨拶しない。
 やがて会場が暗くなり、舞台にスポットライトが当たる。おえらいさんの代理人のような、何かのスポーツの著名人らしき男がプレゼンターと呼ばれて登場し、
「みなさん、こんにちは、××です。……の……お願いします。(反応のない会場と本人の沈黙)……(照れ笑いをして)すみません、ちょっと恥ずかしいな。でも、あの、日本野球機構の……表彰式、一九六九年、日本テレビと東海テレビのみなさま、ありがとうございました。よろしくお願いします」
 拍手。マイクの具合が一定しないので何が何やらわからない。舞台の袖の司会者が、
「ありがとうございます。ベストナイン賞はシーズンで好成績を残した内野手六名、外野手三名を記者投票によって選出するものです。各ポジション一名ずつ、最多得票によって選出されます。投票資格を持つ記者は、全国の新聞、通信、放送各社に所属し、五年以上プロ野球を担当しているかたがたです。それではさっそくまいりましょう。一九六九年度ベストナインの発表です。セントラルリーグ、投手、中日ドラゴンズ、小川健太郎!」
 壇に昇る小川に大きな拍手。女性の声で、
「小川投手は二度目の受賞となります」
 プレゼンターから賞状とトロフィーと金一封を渡され、握手。舞台の後方の椅子に控える。
「捕手、中日ドラゴンズ、木俣達彦!」
「木俣捕手は初の受賞です」
 同前。
「一塁手、中日ドラゴンズ、江藤慎一!」
「江藤選手は七度目の受賞です。内野手としては初の受賞になります」
 同前。
「二塁手、中日ドラゴンズ、高木守道!」
「高木選手は六度目の受賞です」
 同前。
「三塁手、読売ジャイアンツ、長嶋茂雄!」
 轟(ごう)と拍手。
「長嶋選手は十二度目の受賞です」
 同前。長嶋はにこやかにトロフィーを掲げた。
「遊撃手、阪神タイガース、藤田平!」
「藤田選手は二度目の受賞です」
 同前。
「外野手、中日ドラゴンズ、中利夫!」
「中選手は五度目の受賞となります」
 同前。
「外野手、中日ドラゴンズ、神無月郷!」
 長嶋に倍する割れんばかりの拍手。六百人以上の視線が注目するなか、数十のフラッシュに顔を炙られながら、プレゼンターから三つの品物を受け取った。もう一人の外野手、アトムズのD・ロバーツはどういう理由からか出席しなかった。
 パシフィックリーグ。投手、鈴木啓示、捕手、岡村浩二、一塁手、大杉勝男、二塁手、山崎裕之、三塁手、有藤通世、遊撃手、阪本敏三、外野手、長池徳二、張本勲、永淵洋三同前。
 投手や捕手のトロフィーはよく見なかったのでわからないが、打者は丸い台座に右手を掲げ左手でバットを地面に突いた裸身の黄金像が載ったトロフィーと、賞金五十万円だった。順不同でマイクを突き出されながら〈ひとこと〉を求められる。長嶋のコメント。
「今年のジャイアンツは二位という結果で口惜しい思いをしたので、来年こそ日本一を目指してがんばります」
 自分のことは言わないのか。藤田平、
「チームはAクラスを確保し、自分もしっかり結果を出せてよかったと思います」
 一年間の感想が順位と自分の成績しかないのか。そこへ小川のソツないコメントが混じる。
「味方に打ってもらって勝った試合ばかりだったな。お恥ずかしい背面投げを含め、試行錯誤を重ねた一年でしたよ。世間に不信感を抱かせたのは、純粋に自分の不徳のいたすところ。どんな賞でもいただくことができて幸いに思います」
 自分の身に引き寄せた感想を言う。ドラゴンズのチームメイトはすてきだ。木俣のコメントがつづく。
「まさかこの場所に立てると思っていなかった、というのは嘘で、心からニンマリしてます。一日ニンマリしたら、せっかくいただいた賞に恥じない活躍を来シーズンもお見せできるよう、心新たに鍛練を始めます。四番までの出塁が多いので、五番は役得ですね。来年も不動の五番でいって、彼らの手柄を引っさらいたいです。しかし、金太郎さんがお掃除しちゃうと、俺は切りこみ隊長に変身して、一番バッターの役回りもしなくちゃいけないのでたいへんです。まあ、それもやり甲斐があります。ホームランは今年五十二本打って野村さんに並んだので、来年は五十三本、できれば王さんの五十五本に並びたいです」
 これこそ誠実な受け答えだ。その証拠に聴衆が喜んでいるではないか。江藤、
「心機一転の年に、このベストナインはいままででいちばんうれしか。ワシと同じようにチームのみんなが心機一転、金太郎さんと水原さんの和合野球がそれば支えた。感動の一年やった。これ、チームの連中の代弁たい。以上」
 高木、
「そのとおり。おかげで昨年の苦しい時期を乗り越えられたし、バッティングの気構えのようなものに長足の進歩が見られました。しかもこういうタイトルまでいただけてありがたいです。私はご存知のように、今年でお辞めになる半田コーチの丹精こめた作品のようなものです。彼の教えに恥じないプレイをしつづけることで、選手生命を延ばしたいと思います」
 中にマイク。
「次代を担うよき後輩たちが出現しましたので、安心してプレーできました。来年、もう一度ベストナインをいただいてから去りたいんですが、年だし、無理かな。ま、老骨ではありますが、若手の先陣をうけたまわれるように、鍛練おさおさ怠りなく日々をすごしたい。好きな野球を裏切らないということです」
 こんな簡明な、要領を得た受け答えはできないなと思っているところへ私にマイクが突き出された。
「つづいて神無月郷選手にお伺いします。今年はどんな一年でしたか」
「キツネ憑きの一年でした。自分のしたこととは思えません」
 会場万雷の拍手。水原監督らフロントがニヤついている。
「日本シリーズ九ホームラン、やっぱりキツネですか」
 なんだ、みんなと同じようにひとことどうぞ、じゃないのか。
「はい。取り付かれるのは気持ちのいいものです」
「来年はマークがきびしくなると思うんですが、来シーズンに向けての心構えはいかがですか」
「打たせない努力に対しては、打つ努力を欠かさないという対策しかありません。そこはキツネに頼っていられません。努力の結果はキツネの判断にまかせます」
 場内爆笑。パリーグの長池にマイクが移る。
「正直、百三十試合のシーズンではいい成績を残せましたが、短期決戦でしっかりと自分のプレイができなかったので、まだまだだなと、口惜しかったです」
「来年はチームとして四連覇がかかります。どんな一年にしたいですか」
「もちろん四連覇を狙いますし、日本一になりたいと思っています、はい」
 長池の凛々しく吊った目がアホに見えた。次々に〈ひとこと〉がつづいていく。ぼんやり舞台に並んで聞くともなく聞いているうちに、派手な音楽が鳴って退場。椅子にいる監督コーチ連と握手し、カメラマンに押しくらをされながら、江藤たちと玄関で別れの手を振った。ロビーに戻り、ふたたび報道陣に揉みくちゃにされた。どうにかホテルマンたちに守られて地下の駐車場へ降りた。
「神無月さーん、こっち、こっち!」
 クラウンの助手席に乗りこみ、表通りへ走り出る。
「ドラゴンズの選手以外の受け答えは、パーだった。口を開ければ、監督、スタッフ、裏方さん、家族、ファンのみなさまのおかげ。チームのために、ファンのために。こんな人たちの中で野球をやってるのかと思うとゾッとした。ぼくもかなりパーな受け答えをしちゃったけどね。年度授賞式も同じだろうな。もう、ドラゴンズの仲間たちのためにしか仕事をしない。野球生命は短くていい。馬鹿くさい授賞式で明け暮れる人生なんか、考えただけでうんざりする」
「質問自体が馬鹿なんで、それに合わせたマスコミ受けする馬鹿な受け答えの台本があるんですよ。馬鹿でない人もいるはずです。受賞しない人の中にもね。絶望しないで野球をやりつづけてください」
「……ドラゴンズ以外のだれとも口を利かなかった。そんなチャンスもなかった。それだけが救いです。あさっては市民栄誉賞か。秋月さんがこなければ断ってたのにな」
「牧原さんや康男さんの顔を立てるつもりで出席してください」
「そのつもりです。牧原さんがトロフィーでもくれれば最高だったけど」       
 十分もしないで北村席到着。門前にやはり数人のカメラマン。光を数条浴びるだけで難なく門内へ。背広を脱いでジャージになると、すぐにソテツが天ぷらきしめんを持ってきた。ゆっくりすする。うまい。主人から新聞を渡される。
「きょうはお疲れさまでした。いろいろ載ってますよ。食いながらどうぞ」


         五

 何がどう重要なのかわからない記事ばかりになった。

  
稲尾 西鉄監督就任
 四日正午、西鉄ライオンズは福岡市の西鉄本社で、稲尾和久氏(32)の監督就任を発表した。稲尾氏は、八百長問題で悪化するばかりのチーム状況の中、投手力が不足することを懸念して選手兼任を望んでいたが、強い要請に一念発起して専任監督として引き受けることとし、余儀なく現役を引退することになった。ここまで二百七十六勝、本人は三百勝を目標としていたが叶わなかった。


「なぜ稲尾が選手兼任を望むかの理由が肝心ですよ。稲尾にはまだ投げられる自信があるということです。肩痛から復帰した今年、一勝七敗だったとは言え、登板数は三十四の池永に次いで三十二、防御率も二・五七の池永に次いで二・七八だったんですから。稲尾はまだ三十二歳なんです」
「なるほど、ここで監督を引き受けると、実情は一念発起じゃなく、口惜しい断念になりますね。そこを書かなければいけないということですね」
「はい」
「肩に激痛が走って投げられなくなった昭和三十九年に、わざと重い鉄球を投げて肩を痛めつけて治したというんですから驚きです。でも、ブルペンキャッチャーが顔をしかめるほどボールに勢いがなくなってた。力のあるボールを投げられなくなった昭和四十年から五年間で四十二勝、コース取りだけで挙げた貴重な一勝一勝ですよ。三百勝まであと二十四勝、口惜しかったでしょうね」

  
野村 選手兼任で南海ホークスの監督に就任
 五日午後五時、南海ホークスは南海電鉄本社で記者会見し、野村克也氏(34)の選手兼任監督就任を発表した。野村氏は監督を引き受けるにあたって、ドン・ブラッシングゲーム氏(37)をヘッドコーチにすることを条件とした。野村氏はこれで、四番打者、捕手、監督の三つの重責を一人で担うこととなり、年俸は一億円を越えるものと推定されている。


「こちらは選手兼任をしっかり認められた幸運な例です。やっぱり野村じゃないとダメでしょう。鶴岡勇退のあとの臨時監督じみた〈仏の徳さん〉こと飯田徳治じゃ、チームを引っ張れるはずもないですからね。今年は球団始まって以来の最下位でした」
 菅野が、
「野村はもともと、捕手という立場から監督気取りで口出ししながらプレイしていたし、監督になっても別に新しい方針など立てる必要もないから、ミーティングのカシラとしていままでどおり四番打者で活躍できるでしょう」
「なるほど、そこを書かなければいけませんね」
「はい」
         †
 十一月六日木曜日。八時。独り寝の寝室で爽やかに目覚める。快晴。四度。窓を開けると微風。少し雲がある。歯を磨き、居間に下りてコーヒー。テレビでは、モーニングショーからはじめて、番組の種類を問わず、水前寺清子がゲスト出演して『三百六十五歩のマーチ』ばかり唄っている。でなければ、おじさんグループの『君は心の妻だから』。
「いってきます」
 三人の声。
「いってらっしゃい」
 軟便。シャワー。水の音に消されないほどの強い耳鳴り。
 北村席にいって、軽い朝食。芝庭で直人とキャッチボール。駆けっこ。
「おとうちゃん、いぬとねこがほしい」
「飼いなさい」
 居間に戻り、その話を主人夫婦と菅野にする。菅野は、
「番犬じゃなく、愛らしいラブラドールレトリバーがいいですね」
「猫は茶トラ」
「あたってみます。猫も寝るとき以外は屋外のほうがのびのび育ちます。どちらもオスがいいでしょう。予防接種をきちんとしてあるものを手に入れたほうがいいですね」
 主人が、
「宗近棟梁に犬小屋を作ってもらおう」
 トモヨさんはカンナに乳をやり終えると、直人と保育所に出かけた。私と菅野はランニングに出る。
「きょうのコラムに書いてあったんですが、道仏という審判が、速球になるとたいていの選手が、なんでこんなボールを振るのかなというクソボールをブンブン振ってしまう、早く振らないと振り遅れるという恐怖感のなせる技だと思うが、神無月くんにはそれがない、ボックスの前に出て、すでに早く振るための作業をすませているからだ、と。ふつう前に出たらもっと振り遅れるという恐怖感が出ると思いますけど、そこがわかってない。じつは神無月さんには恐怖感なんかなくて、工夫したことを実践したいという好奇心しかないということがね」
 西高まで走り、花屋に優勝報告。大歓迎を受け、いつものバンザイ三唱で送り出される。北村席に戻って芝庭で三種の神器、一升瓶。
         †
 一時十五分、おとといと同じ背広とネクタイで玄関を出る。女将が、
「神無月さん、もっと機嫌のええ顔して。笑わんでええから」
「はい」
 主人が、
「三年前の田淵寿郎(じゅろう)についで二人目です。ほんとに名誉なことです」
「だれですか、その人」
「東大出の土木工学者で、国内ばかりでなく中国の河川や都市の復興に腕を揮った人です。戦後の名古屋市の建設業務をまかされて、道路、区画整理、地下鉄、鉄道立体化、港湾整備、お城の天守閣再建、すべて奇跡的にやり遂げました。つまり、戦後の名古屋の街を作った人です」
「うわあ、そんな人と同じ賞をもらうなんて、荷が重いなあ」
 破れかぶれの気持ちで菅野のクラウンに乗る。京都市役所に次いで日本で二番目に古いと言われる名古屋市役所庁舎へ出かけていく。中区三の丸。田淵寿郎が手がけたという名古屋城のすぐそばだ。緑色の帽子のような鯱の頂部が、庁舎のシンボルの時計塔の上に載っている。珍妙だ。
「場ちがいなところへいくのは、これっきりにします。来年からは、野球以外の賞という賞はぜんぶ断ろう」
 菅野はニヤニヤ笑いながら、ホテル前の車寄せで私を降ろした。
「適当な時間にここで待ってますから」
「はい。よろしく」
 玄関を入って内観の豪華さに圧倒される。市松模様の床、大理石の玄関ホールの柱。アーチ部分は文様を刻んだテラコッタになっている。ステンドグラスの灯具飾りから始まるこれも大理石の手すりが大階段を昇っている。出迎えた愛想のいい女性に四階へ連れていかれる。野球バカがえらそうに歩いていく。
「この建物は、昭和天皇の即位御大典の記念事業として建設されました。大理石の手すりは、国会議事堂を造ったときに余った大理石をいただいて拵(こしら)えたものです。ここは映画の撮影などでよく使われるんですよ。地下には理容室も、売店や食堂もございます」
「そうですか」
「あの緑の頂は、帝冠様式と言うんです。四方睨みの鯱を載せています」
「はあ、そうですか」
「この建物は重要文化財に指定されています」
「そうですか」
 青木繁ふうのレリーフ。タイルを敷きつめた幅広の廊下を何も知らない男がいく。廊下の腰部もタイル貼りだ。四階という漢字の標識が右から書かれている。案内の女性は薄暗い廊下の半ばにある市長執務室のドアをノックし、畏まって開ける。戸口に立つと、赤いまだら模様の絨毯が目を射った。
「おお、神無月さん、おひさしぶりです。ようこそいらっしゃいました」
 杉戸市長が大机から立ち上がって礼をする。女性は去っていき、
「どうぞこちらへ」
 と言う市長の招きで、緋色の単色の絨毯を敷き渡した貴賓室に通される。大きなシャンデリアの下に、柄布を載せ敷いた大テーブルが八脚、二列に並んでいる。向かい合わせるように十脚のソファ椅子が並び、真ん中の椅子に、額の禿げ上がった秋月衆議院議員が座っていた。秘書らしき男たちが両脇に二人ずつ控えている。むろん四人のうちの一人は宇賀神だった。頭を下げながらゆっくり近づいていくと、秋月はおもむろに立ち上がり、私に軽く礼を返した。
「ほォ、水も滴るとは聞いておったが、絶世の美男子ですな。ついに会えました」
「春以来、休みなく安全対策を図っていただき、ほんとうにありがとうございました」
 心にあったことを言った。
「なんのなんの。牧原くんの掌中の珠と聞いて、放っておけなくてね。噂どおり、義理堅い男だな。今回は杉戸くんがぜひ表彰者になってほしいと言うもので、一日、里帰りしましたわ」
 空いていた五脚のテーブルに、名古屋市のいろいろな分野の重鎮らしき年配の男たちが六、七人、どこからともなく現れて着席した。部屋に控えていた女性職員の手で私の胸に紅白のリボンがつけられた。重鎮たちが一斉に拍手する。彼らは拍手しながら私に向かって礼をしているようなので、礼を返す。
 女性職員に席に着くように言われ、向かいの端の椅子に腰を下ろす。さっきの女性の手でコーヒーとケーキが出てくると、湧いて出るように現れたウェイトレスたちの手で私たちにもコーヒーとケーキが配られる。ひとしきり、コーヒーをすする音。その合間を縫って一人ずつ私に握手しにくる。私は戸惑いながら立ち上がり、握り返した。県議の××です、市議の××ですと名乗る。秋月が、
「諸方からいろいろときみの人生歴を聞きましたよ。すばらしい。名古屋市の名誉市民というより、日本国の名誉国民と言うにふさわしいが、そういう賞がまだわが国に設けられていないので寝、まず今回、名誉市民の勲章を受けてくれたまえ」
「はあ―」 
「それではみなさま、正庁のほうへお移りくださいませ」
 正庁というのが授賞式の場なのだろう。もう一度長廊下を歩き、厚いドアの中へ導き入れられる。貴賓室よりはるかに大きいシャンデリアの垂れる会場に百人に余る一般市民が詰めかけていた。ステージの演壇の背後は黒幕になっていて、上方に、

 
名古屋市名誉市民称号授与式

 という横断幕がかかっている。幕の左に日の丸、右に〈囲み丸に八の字〉の名古屋市のシンボルマークが垂れている。会場の最前列に重鎮たちが座った。その真ん中に私が座らされた。秋月も含めて四人の重立った男たちが演壇脇の椅子に左右に分かれて陣取った。司会者らしき若い女が演壇マイクの前に立ち、
「それでは、第二号名古屋市民栄誉賞の授与式を執り行わせていただきます。初めに、名古屋市助役橋本武雄より開式の辞を述べさせていただきます」
 助役が演壇に立ち、礼をする。
「ただいまから、名古屋市名誉市民称号授与式を挙行いたします」
 礼。拍手。
「次に、名古屋市長杉戸清より、式辞を申し上げます」
 杉戸が出てきて礼。拍手。
「名古屋市長の杉戸清でございます。本日は愛知県の重立った立場にいらしゃる多くのかたがたにご来席いただき、まずもって心より御礼申し上げます。名古屋市名誉市民称号授与式にあたりまして、ひとことご挨拶を申し上げます。ええ、そちらに控えていらっしゃる神無月郷さんは、ご存知のごとく、このたび日本野球機構ベストナイン賞を受賞なされた中日ドラゴンズの野球選手でございます」
 突発的な拍手が上がり、鳴り止まない。杉戸市長の声が高くなった。
「ええ、この名古屋市は神無月さんのふるさとと言ってよい街であります。ただいま中日新聞に連載中の五百野によりますと、神無月さんがデラシネのごとく北から南へとさすらいきたったところまでが書かれておりますが、おそらくは次回に書かれるでありましょう当地名古屋へ、彼は昭和三十四年の伊勢湾台風の年にさすらいきたり、ついに腰を落ち着け、当地に親しみ、県技とも言えるベースボールに覚醒し、没頭して衆に抜きん出、最終的に中日ドラゴンズ以外のチームを拒否して入団を果たしたのであります」
 さらに盛大な拍手。私は心底当惑した。そのどこが名誉市民に値すると言うのか。
「なぜ他チームを拒否したか。名古屋は神無月さんの愛する真のふるさとだからであります。ええ、神無月さんは、昭和三十五年の小学五年から昭和三十九年の中学三年までの五年間の長きにわたって、名古屋市少年野球公式戦の三冠王を獲得しつづけ、昭和四十年青森県高校野球公式戦二期連続三冠王、名古屋西高校における二年の休止期間を挟み、昭和四十三年東京六大学野球公式戦春季・秋期ともに三冠王という華々しい球歴の持ち主でありまして、このたびも昭和四十四年度日本プロ野球公式戦三冠王が確定しております。百六十八本塁打、打率六割五分四厘、三百八十三打点という、鬼神の業としか言いようのない空前絶後の成績であります。これを、飽くなき探究心と、情熱と、努力の賜物とわれわれ凡夫の思考の範囲内に収めることが、果たして正しいか否かは疑念の多いところではありますが、いずれにせよ、その鬼神の才に平伏して敬意を表するのはもちろん、名古屋に対する深い郷土愛、名古屋市の名望の向上に貢献した筆舌に尽くしがたい社会的偉業、並びに名古屋市民に夢と希望と精神的な潤いを与えた活躍に、市および市民を代表して深甚の謝意を表するものであります。この賞を贈与できることは、神無月さんのふるさとである名古屋市二百万人の市民にとりましても、大きな喜びであり、誇りであります。私は神無月選手の偉大な功績を讃え、彼を名古屋市名誉市民に推したいと考え、名古屋市議会定例会に諮ったところ、満座のご同意をいたただき、また愛知県出身の衆議院議員秋月一光先生のご賛同もいただきまして、この式典を開催する運びとなりました」
 秋月は壇上の演壇脇の椅子から壇下の人びとを睥睨していた。
「神無月郷選手! これからも名古屋市の名誉市民として、名古屋市民に夢と希望を与えつづけていただくことを切に願っております。結びに、神無月選手におかれましては、重ねて心よりお祝いと感謝を申し上げますとともに、今後さらなるご活躍をご祈念申し上げて、式辞を終えたいと思います。昭和四十四年十一月六日、名古屋市長杉戸清」
 轟然たる拍手。私はただぼんやり彼の顔を見上げていた。
「それでは、名古屋市長杉戸清の手により、神無月郷さまに名古屋市名誉市民の称号の授与を行ないます。神無月さま、壇上へお登りください」
 私は演壇への短い階段を上った。
「まず、杉戸市長による名誉市民推挙状の授与でございます」
 杉戸は何やら短い言葉をしゃべって、ぼんやり立っている私に賞状を差し出した。私は礼をして受け取った。すぐさま係員が受け取りにくる。
「次に、名誉市民勲章の授与を行います」
 飾り布つきの勲章を授与された。礼をして受け取る。係員が受け取った。
「ただいまの授与をもちまして、神無月郷さまは名古屋市の名誉市民となりました。いま一度大きな拍手をお願いいたします」
 音量の針が振れ切るような拍手。市長と並び、フラッシュを浴びる。秋月たち四人も立って拍手する。私は演台の左袖に用意された椅子にポツンと座らされた。
 

         六

「それでは、ただいま、名古屋市名誉市民の称号を授与されました神無月郷さまに、ひとことご挨拶をお願いいたします」
 私は、
「え!」
 と口を開け、高い演台や聴衆席の最前列の重鎮に目をやった。それから会場を遠く見やった。壇上の椅子に並んで座っている市長と秋月たちが手のひらでしきりに演壇を示して、どうぞというジェスチャーをしている。私は仕方なく演壇の前に立った。
「迂闊でした。何の言葉も用意してきておりません。意外なリクエストにただ面食らうばかりです。先ほどから一刻も早く逃げ帰りたい気分でしたが、そこへ、この……。承知しました。苦笑いされることを恐れずに、思いつくまましゃべらせていただきます」
 オーと拍手。
「名古屋にきて野球に没頭していたころ、プロ野球選手になろうと計画していました。人生は計画だけではだめだ、いつか外に出て計画を実行しなければとぼんやり考えていましたが、小中学生の身でこれといった実行手段も思いつかず、ただクラブ活動的な野球をつづけておりました。強豪の少年野球チームに参加することもできたはずだし、学校の勉強などにウツツを抜かさないで野球オンリーに突き進むということもできたはずです。油断の時期です。油断している人間は茶々を入れられたり、足もとを掬われたりします。ぼくは十五のとき、その油断がもとで名古屋を追われ、十七になって、油断を振り払った自分に自信をつけて戻ってきて、ようやくこつこつと自分なりの計画を実行し、結果、ついにプロ野球選手として自立できたわけですが、言ってみればそれだけの人生なんです。野球しか能のない二十歳の小僧っ子が、いまこの分不相応な壇に登り、一芸の野球ゆえに賞賛の的となっているという事態に戸惑っている、と正直に申し上げます。そこを踏まえて語るべきことを考えようと思います」
 私は会場を見回し、コップの水を飲んで一息ついた。
「さきほど杉戸市長さんより、名古屋市の人口が二百万と聞きました。五年前は百七、八十万だったと記憶しています。五年間で二、三十万人も人口が増大するメガロポリス名古屋市の第二号名誉市民の称号を与えられるというのは、それこそおそらくとんでもない名誉ということになるのでしょう。畏れ多いことです。ぼくは野球が得意なだけの、社会的に自慢できるような知識も能力も肩書も何もない、二百万分の一の塵にすぎません。見つけ出して、讃えられ、全体の名誉だと押し上げられるほど、二百万分の百九十九万九千九百九十九の人びとに対して貢献をしたわけではないのです。謙虚をてらって言っているのではありません。市に対する貢献度なら、ここにいらっしゃる諸分野の重鎮のかたがたのほうが数千倍も上です。それが事実です」
 私は、ただ……としばらく沈黙し、
「ただ、人は曲げられない事実だけでは満足できない本能を持っています。虚構に触れて生きることに、この上ない充実感を覚えることがしばしばです。スポーツは架空の娯楽です。実生活がスポーツのゲーム進行のように運ぶことはあり得ません。それなのにスポーツが人びとに充実感を与えるとするなら、その際立った架空性が日々の張り詰めた心の隙き間を埋めるせいでしょう。まぎれもない事実ではなく、人間らしい架空性でしか埋められない隙き間です。ところで野球は、いまは知らず、かつては都会だけのスポーツでした。私が名古屋という都会からこうむった恩恵はまさにそれだったのです。野球に魅かれ、野球を愛することしか楽しみのないただの風の中の塵を、目に入れば痛いほどの塵にしてくれたのは名古屋という土地なのです。したがって、市民栄誉賞なるプレゼントは、本来名古屋という街に与えられるべきであって、せいぜい目の異物にすぎない架空の一個人に与えられるべきではありませんでした。ぼくはこの賞にどのような価値があるのかを知りませんし、価値を知らないので与えられたことに当惑するばかりです。がんらい顕彰されることに関心がないこともあるでしょう。さらにしかし、です。プレゼントというものは与える側の幸福に結びつくものだと信じています。人を幸福にする道をさえぎるのはまちがいなく罪悪にちがいありません。さえぎるというのは、傍若無人に無知を誇示し、価値がわからないと言ってプレゼンターを幻滅させることです。いま申し上げたように、人は架空の夢に胸ふるわせ、生命の充実を覚える生きものです。音楽、映画、美術、芸能しかりです。今回この驚くべき状況が出来(しゅったい)した理由は、野球しかできない一介の塵が、野球という一筋の道を忘れずにコツコツと努力しながら生きてきたおかげで、みなさまの胸を十全にふるわせるほど質量のある架空の夢に成り得たということだと思います。その意味で、みなさまの充実感に寄与した手柄を褒めてくださるとおっしゃるなら、ぼくを褒めることでみなさまが深い喜びに浸ることができるとおっしゃるなら、みなさまの喜びはとりもなおさずぼくの大いなる喜びとなります。ぼくは人が喜ぶ姿を見て感動するんです。じつはいま、ひとしおの感激に浸っています。ここでお話しているうちに、このボーナスをいただいたことがいかに幸福なことだったかに気づきました。―私を価値ある塵にしてくれた名古屋という街に深く感謝するとともに、この賞を押しいただくことにいたします」
 激しい拍手が湧き上がった。私は礼をして、舞台袖の椅子に戻った。嵐のような拍手が湧き上がった。女性司会者は拍手の止むのをしばらく待った。
「ありがとうございました。新聞小説ご執筆以来、最近とみに、言葉の魔術師と称讃されている神無月選手にふさわしい、またその大らかで繊細なお人柄も偲ばれるたいへんすばらしいスピーチでございました。本日は、国会議員、県議会議員、市議会議員のみなさまをはじめ、大勢の要職のかたがたがお祝いに駆けつけてくださいました。ご来駕のみなさまを代表して、民社党書記長かつ副委員長として、自公民路線を築くべく獅子奮迅の活躍をなさっているわが県が誇る英傑、衆議院議員秋月一光さまより、ご祝辞をちょうだいしたいと存じます。秋月さま、演台にお進みください」
 粛然と場内が静まり返る。秋月はマイクの前で私に一礼し、話しはじめた。
「雄弁とはかくなるものかと思わせるスピーチでありました。ひやひやドキドキ、勲章を返されるかと思いましたよ。この人心操作術、政治家でないのを残念に思います」
 ドッと笑い声。
「昨今新聞テレビ等を賑わしている神無月郷くんとは、きょうまで面識がございませんでした。いや正確には、神無月くんに会いたい一心で、優勝戦となった対大洋戦の始球式を買って出て、そのときにベンチの彼を瞥見しましたが、話しかけるチャンスを持てませんでした。メディアに登場して時の人となる以前より、親しい人物からの仄聞を通じてすでに、彼は私どものあいだでは義侠の人として有名人でありました。オトコとして有名であったわけです。私にとっては、渇(かつ)えるほど身近で会ってみたい人物でありました。彼は油断のひとことで片づけましたが、五年前彼が親族や教師の手で流刑に処されたのは、驚くなかれ、大ヤケドで負傷した親友を八カ月の長きにわたって、一日も欠かさず見舞いにかよいつづけたことが理由だったのであります。友の不安な心を懇切にいたわる義侠心がアダになったのでありました。クラブ活動を終えたあとなので、夜の十時、十一時になることがしばしばだったからであります。しかも、その親友は学校では評判のよからぬ生徒であった。番長と言えばおわかりになりますかな。私はその話を聞いて泣いた。その後神無月くんは、自分を放逐した人びとにいっさい怨みを抱くことなく、流謫の地で刻苦し、野球に打ちこみ、みごとに北の怪物として再生を果たした。……そうして、いまもなお彼ら二人の友情は緊密に継続しているのであります。野球界に属してのちも、諸所に現れるこうした不撓不屈、かつやさしさにあふれた人格に感銘したことが、中日ドラゴンズの選手たちの奮起につながったと、水原茂監督より聞いております。話しながら監督は感涙を流しておりました」
 いつどこで二人が会談したのか不明だったが、つきとめようとは思わなかった。
「私は個人としても、政治家としても、この稀少種の神無月くんを応援しつづける心づもりでおります。栄誉市民賞推薦はその一環にすぎません。このスケールの大きな快男児をいずれ文化勲章にも推挙しようと思っておりますが、おそらく神無月くんの謙虚さがそれを許さない。ならば全幅の支援によって、神無月くんの野球選手としての延命を後方から支えていくしかない。杉戸くんが神無月くんを栄誉市民に推挙すると聞いて、もろ手を上げて賛同したゆえんでもあります。神無月くんがこの会場にきてくれるかどうかという一抹の不安を抱えながらですがね」
 会場が暖かい笑いに満ちた。
「杉戸市長、愛知県会議員、名古屋市会議員のみなさま、よくぞやってくれました。心より感謝いたします。ちなみに、新聞小説の話が出たついでに言っておきたいのだが、神無月くんの文才はホンモノです。まぎれなき天才と言っていい。天は彼に何物を与えれば気がすむのかと嫉妬したくなるね。私も若いころ詩人を目指して挫折し、自殺を図ったほどの人間だ。才能の有無の判断には自信がある。神無月くんが将来文人として身を固めた場合も、彼の生活を支援する準備はできている。神無月くん、かくのごとく私は片ときも〈油断することなく〉きみを見守っているからね。安心して野球人生に邁進してくれたまえ。以上が私の祝辞です。イベント嫌いのきみがきょうはよく出席してくれた。ありがとう。一同を代表して感謝します」
 会場に割れんばかりの拍手が響きわたった。秋月は私に深く礼をして席に戻った。私も長く礼を返した。
「秋月先生、思いのこもった情熱的なスピーチ、ありがとうございました。胸を打たれました。ここで、神無月選手にゆかりのあるかたがたから、お祝いの花束をお渡しいただきたいと思います。贈呈者のかたがた、どうぞ舞台にお進みください。ではご紹介いたします。神無月選手と千年小学校、宮中学校と野球部の同胞であった関信一さま、当時の先生がたを代表して、もと宮中学校教諭の久住喜一郎さま、愛知県立名古屋西高校の同窓生を代表して、金原小夜子さま、以上三名のみなさまでございます。神無月選手、どうぞ前へお進みくださいませ。それではみなさま、よろしくお願いいたします」
 背広を着た関が花束を抱え、へこへこ礼をしながら近づいてきた。花束を渡し、私を抱きかかえ、握手した。
「モンゴル」
「ウランバートル」
「いつも見てる。一生見てるからね」
 関の目に涙があふれた。そしてまた細かく礼をしながら舞台の裾へ去っていった。女子職員が花束を受け取る。久住先生が近づいてきた。花束を健康な片腕で差し出し、
「信じてたぞ、ずっとな。おめでとう」
「ありがとうございます!」
「もう隠居した。おまえの野球を観ながら晩酌するのが毎日の楽しみだ。ケガをせず、国民のために長保ちしてくれよ」
「はい、心してがんばります。あの節はありがとうございました。深く感謝しています」
「寺田と仲良くな」
「はい!」
 もう一度強く握手して去っていった。ドレスに正装した金原が笑いながらやってきた。
「おめでとう、神無月くん。すてきなスピーチやったよ。いつも泣かされるわ」
 私を抱き締め、耳もとに、
「いつでも待っとるよ。人生は長いんやから」
「そうだね」
 金原は弾むような足どりで去っていった。
 名古屋市教育委員長なにがしの閉式の辞があり、散会となった。もう一度貴賓室に呼ばれ、杉戸市長や秋月たちと別れの握手をした。だれもかれもが私を抱き締めた。秋月の抱擁がいちばん長かった。
「ここにいる人たちは、愛知県各市の有力企業のかたがただ。ある種の後援会だと思ってくれたまえ。いかなることも、きみのために尽力することにやぶさかでないからね。重荷に思わなくていいから、頼りにしてやってくれ。いつでもいい。何年後でもいい。一度食事に付き合ってほしい」
「はい、喜んで」
 宇賀神が私の手を求めて握り、
「おめでとう、神無月さん。松葉会の会合でもそうでしたが、あなたはすべての慣習を打ち砕く人だ。きょうはじつに快適でした。これからも護衛の手は緩めませんが、目立たないように気をつけます。マスコミ対策は万全に行ないます。せいぜい自由におやりなさい。帰りの足は?」
「ファインホースの菅野さんが駐車場で待っててくれてます。じゃ、ぼくはお先に失礼します」
 一同立ち上がり、礼をする。丁寧に礼を返し、最初に案内役で私を導いてきた女子職員と荷運び役の男子職員とエレベーターで玄関ホールに降りる。玄関の階段を降りたところへ菅野が迎えにきた。
「車まで参ります」
 花束を職員二人で分かち持ち、賞状と勲章を菅野に渡す。菅野はそれを後部座席に置いた。職員たちは花束をトランクに入れた。
「お気をつけて!」
 深々と礼をする。私たちも礼をして、車寄せを出た。





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