十六 

 いっとき流れる雲で陽が翳った。少し冷える。
「そんなに深く考えないほうがいいよ。トモヨがいい人間で、直人やカンナがかわいい子たちだから、みんなあれこれしたくなるんだから。面倒を見てるなんて思ってない。子育てがいちばんたいへんだってわかってるんだ。だいたい自分の都合なんて、義務的な労働時間以外はないものだよ。賃取り仕事だね。そんな都合、いくらでも穴埋めがつく。ほんとうに人の都合を悪くするというのは、からだの具合の悪いときに重いものを持ってくれと頼んだり、足を痛めてるのに走れと命令したり、このバスを逃すと三日間はこないという人間を引き止めたり、あしたが朝早い急用のある人を徹夜麻雀に誘ったり、……そういうことだ。ノルマ的な賃取り仕事をしたり、生活のリズムを整えたり、上昇欲を満たしたり、権力を引き寄せるために使ったりする時間は都合じゃない。世間の大人たちはそういうものを都合と言ってるようだけどね。ぼくの周囲にそんな都合を持ってる人間は一人もいない。節子やキクエにしても、そういうことを都合と考えないから、正看になるのが遅れたんだ。節子もキクエもぼくにかまけたせいだ。でも彼女たちは、ちっとも後悔していない。すべてなるようになったことだ。ぼくがカズちゃん以外に手を出さなければ、みんなの人生はストレートだったろうね。深く考えることもなかったろう。すべてぼくの好色が蒔いた種だ。みんなが深い後悔に浸ったり、生活の不如意を訴えたりするなら、それはぜんぶぼくの責任だ。そういうことが束になって押し寄せてきたら、ぼくは奮闘して状況を改善するように努めるからね。とにかくうんと甘えたほうがいい。人は甘え合わなければ生きていけないし、そうするのが自然なことなんだから」
「……胸が晴れました。私たちがキョトンと生きてないと、郷くんを苦しめるということがわかりました。すみません。一人残らず、郷くんのおかげで人生が好転した女の人ばかりです。ひとこと言っておきたいんですが、女の性欲に応えることは好色じゃありません。私に劣らず、郷くんは考えすぎるところがありますから。郷くんが自分の欲望を満足させるために押し倒した女は一人もいなかったはずです」
 たしかに、一人もいなかった。しかし、それが好色でないという証になるものでもないし、女を大切にしているということにもならない。トモヨさんは漁色を励ましているわけではなく、私が女の性欲にしか反応しないということを知っているだけだ。とにかく、したくない女とはしない、私に性欲を湧かせて挑んできた女とはする。その過程で女のほうに鬱屈する気分が出てきたら、断固彼女たちから遠ざかる形で解決を図っていくしかない。愛情は面倒なものだと悟ることは人生でいちばん避けたいことだからだ。
「准看や正看になるコースってどういうものなんですか」
「准看は大学の看護学科を出ていれば自動的に資格を得られる。ふつうは中学を出てから二年間の専門教育を受けたあと、試験に合格してなる。正看は高校や大学を出たあと三年間の専門教育を受け、やっぱり試験を受けてなる。それがいちばん早い。准看を数年やると正看の受験資格ができる。キクエは大学の看護学科を出ていて、西高の二年間の保健婦と東京の一年間の準看経験があったから、正看の試験が受けられた。節子は高校を出てから、いや中退だったかな、何年か病院に勤めて、まず准看の資格をとったんだけど、ぼくのことで道草を食って正看になるのが遅れた。准看と正看では、待遇がまったくちがうらしいんだ。まず給料がちがうし、指揮系統がまったく別なので、準看は単なる医師の下働きしかさせてもらえない」
「そうでしたか。そんなふうなら、准看のかたは病院内でもお医者さんや正看のかたと話題が合わないでしょうし、肩身が狭くて、反目し合ったりもするでしょうね」
「だろうね。だから准看は必死で正看になろうとするんだ。節子とキクエはもう、世間で言う都合を使い果たしてるよ」
「退院まぎわに、トイレの帰りにふらっと看護婦詰所の前を通りかかったことがあったんですけど、お医者さんといっしょに準夜勤の節子さんとキクエさんがいて、親しい感じで何か専門的な話をしてました。あらっ、て私を呼び止めて詰所に入れてくれて、キクエさんが棚からクッキーを出すと、節子さんがインスタントコーヒーをいれてくれました。軽いつまみものが用意してあるああいう恵まれた詰所も、正看さんたちの集まるところだからでしょうね。お医者さんも、私を見る目に神無月郷の子供を産んだ女という敬意がはっきり表れていて、医者の内情なんかをあけすけに話してくれました」
「へえ、どんな話?」
「勤務医は開業医より収入が数段低い、それも大学病院とか市立病院とか、日赤のような都会の一流病院ほど低い、同じ年代の公務員の給料とあまり変わらない、というようなことです」
「お金の話か」
「はい。冗談ぽくですけど。節子さんとキクエさんは私に申しわけなさそうにしてました」
「ハハハ、さ、帰ろうか。カンナは処女散歩をすませた」
「はい。直人、お手て、パンパンして」
「はーい」
 私は砂場にいき、犬の糞が落ちていないか眼を凝らした。だいじょうぶそうだったが、
「家に帰るまでオテテを舐めちゃだめだぞ」
「はい!」
 北村席に戻って、主人夫婦と菅野にいまの医者の話をした。トモヨはカンナをイネに預け、直人の手を洗いにいった。主人が、
「店の女たちの定期健診に名大病院の助手の医者がくるんですが、大学病院がいちばん腐っとると言っとりました。医学部の教授がほかの学部の教授より権力を持てるのは、教授が単に教育や研究指導だけやなく、就職権も握っとるからやそうです。あの男は感心しないから追っ払おうと教授が思えば、Aは都会の大病院の医長に、Bは田舎病院の医師にというように出先を探してやったという形をとって、送別会までやってやる。もしBが反抗したら、大学の医局を出るしかなく、後ろ盾のないはぐれ医師になってまう」
「医局って何ですか」
 菅野が、
「大学付属病院での、教授を頂点とした組織のことです。中央も地方も、大きな病院は医者の供給源を大学病院に求めるのがふつうで、はぐれ医者にまで門を開けている病院は少ないということでしょう」
 私は、
「はぐれ医師というのは優秀な腕を持っていても、開業医をするか田舎病院に勤めるしかないということですね。トモヨの話だと、そっちのほうが給料がいいみたいですが、大病院の医長や院長になる可能性がなくなるというわけか。実をとるか名をとるか、そんなことで齷齪する単純な世界なんだなあ」
 菅野が、
「名を捨てて実をとるというのは、あまり日本人の好みじゃないんでしょうね。東大の医学部紛争は、そういうところへ挑戦したものだったんじゃないですか? 人助けよりも名が大切だ、名を捨てたくない、というね」
「そのことも助手が言っとった。あの騒ぎはかならずしもプラスの結果を生まんかったとな。たしかに東大闘争以来、医局はだいぶ改善されて、教授命令で地方に飛ばされることはなくなった。その反面、教授の監視がゆるんだ気兼ねのない医局で、先輩後輩が切磋琢磨し合うことがなくなって、勉強をサボって中途半端な知識のまま金だけ求めて動く医師が増えた。名前の肩書でラクをして早く金儲けできるようにインターン制度を廃止し、だれでも医師免許さえもらえば、すぐ収入が保証されるようになった。結局改革と言っても、教授の横暴が弱まっただけの微調整で、階級構造は変わらんままで、名前に甘えた欲の張った医者が増えただけだ、とな」
 トモヨが直人を座敷の女たちの中へ放ち、カンナに乳を与える。
「やっぱり金の話なんですね。医は仁術は、遠いむかし話か。教師、医者、看護婦、坊さん―聖職者はかつがつ食っていけるだけでいいのに」
 女将が、
「スポーツ選手はどうなん?」
「たっぷり食っていけるだけでいいです。大喰らいのポチ」
 思わず女将は大笑いした。
「そうも気楽にしとれんよ。大喰らいしとっても使い切れんほどたくさんのお金をもらうのは、ファンという厄介な人たちに気を使わんとあかんからよ。金だけの医者は患者をやさしく気遣ってあげんけど、人気商売はそうはいかん。ふつうの人のあいだでは、ごめんなさいのひとことですむことが、ファンのあいだでは、自分を見捨てた見捨てないのという深刻な話になってまう」
 主人が、
「たしかにな。ファンにとってスターは手の届かんあこがれの存在なんやが、ややもすると嫉妬や怒りの対象になる。長いことファンでおるやつは特に危ない。注意せんとあかん」
 菅野が、
「そんなこと気にしてたら、神無月郷でなくなりますよ。時間のあるときはちゃんとサインしてるし、慈善オークションにも出品してるし、子供たちの招待、少年野球指導、講演会まできちんとこなしてます。これ以上は無理ですね。女将さんのおっしゃってるのはファンレターのことでしょう。不治の病に侵されてるとか、余命幾ばくもないとか、よほどの特殊事情がないかぎり、返事は書かないほうがいいと思います」
「ほやろか。年に二、三通ぐらいは……」
「シーズンオフに多少は書いてもらうことになってます。でも、返事をもらったという噂はすぐ広まります。それこそ、もらわなかった人たちの嫉妬と怒りの的になります。なるべく手紙は書かないで、神無月は返事を書かない人だと浸透させたほうがいいんです。ファンも見返りを求めずに、純粋に応援する気になります」
「菅ちゃんは頑固やな。たしかにそうかもしれん。うちの女の子をかわいがるみたいにファンをかわいがってやれば、そりゃ喜ばれるやろうけど、身が保たんわな。神無月さん見とると、いくらでも人にサービスできそうな錯覚を起こしてまう。人間やゆうことを忘れんようにせんとあかん」
 今度はトモヨさんが笑った。
「そうですよ、郷くんはどんなときも弱音を吐かないので、生身の人間だということを忘れてつい甘えてしまいます」
 女将が、
「……身を捨てとるんやね」
         †
 四時半。大門の中番組が続々と帰ってきた。座敷が極端に賑やかになる。蒲団を叩く音や洗濯物を取り入れる声が聞こえてくる。やがて溌溂とした顔でトレンチコート姿の江藤が訪れた。清らかな少し太めの光が射しこんできた感じだ。食卓の楽しさが期待される。
「江藤さん、いらっしゃい!」
 女たちが額づく。江藤はドングリ目を剥き、
「今晩は!」
 式台にドンとバカでかいボストンバッグを置く。睦子が客部屋へ運んでいく。菅野が、
「二人の名前で予約をとってあります。搭乗手続についていきますのでご心配なく」
「ありがとうございます。いつものことながら金太郎さんと旅ができるのがうれしくて仕方なかです。じつはワシは飛行機嫌いでしてね。離陸、水平飛行、着陸、ぜんぶ恐ろしかばってん、金太郎さんといっしょならなんとかいけますばい」
 一家の者たちと挨拶し、トモヨに背広の上着を渡して、座敷の卓につく。直人がさっそく膝に乗る。頭を撫ぜながら、
「ああ、落ち着くばい! 金太郎さんがセメダインみたいに北村席にくっついとるわけがわかりますよ」
 千鶴の手でコーヒーが出る。料理皿が並びはじめる。千佳子が江藤の傍らに正座する。
「いつきても、みんながみんな美しかけん、だれがだれやらわからんたい。や、ソテツさんはわかる」
「失礼ね」
「ウハハ、嫁にするならソテツさんがいちばんたい」
「それも馬鹿にしてる」
「褒めとるんじゃ」
 大らかな人柄に座が和む。主人が、
「熊本から福岡へ電車で戻られるそうで」
「はい、鳥栖乗換のいらん特急つばめで博多までいきます。二時間半くらいのもんです」
「実家は熊本ですよね」
「もう熊本に実家はなかです。ワシは福岡で生まれて、四歳のときに姫路に移り、八歳のときにオヤジの仕事の関係で熊本の植木町の田底(たそこ)に移りました。山鹿市と菊池市に挟まれとる村です。そこで小中と卒(お)え、熊商もそこからかよいました。高校を出て福岡の日鉄二瀬に入りました。ふるさとはどこかと訊かれると、ようわからんごたるばってん、やっぱり熊本と答えとります。いまは両親と女房子供は博多で仲よう暮らしとります。来年はもう少しようけ帰ってやろうと思うとります」
 女将が、
「お子さんは元気ね?」
「ほっぽらかしです。母親が宝塚ですから、いずれそっちの道へ進むんやろのう」
 食前酒のビールが卓に並ぶ。賄いたちがついで回る。一家が相伴する。乾杯。
「からだ、ナマらんようにしとるね?」
「はい。適当にやってます」
「ワシはサボっとる。きちんと休ませんといけんからだになった。二月のキャンプまでは無理をせん。ランニングはするばってん」


         十七 

 江藤は直人をそっとトモヨの膝に戻すと、とつぜん立ち上がった。
「……みなさん、お耳ば拝借したい。ひとこと挨拶ばしたか」
 カズちゃんがパチパチと拍手を先導する。
「今年はワシにとって最高の年やった。……残念なことやが、もうこれ以上の年はなかろうと思う。ワシがもの心ついてから三十年ばかりで学んだことは、人生いうんは表も裏もなくただ一つということや。幸せやと思う瞬間も、不幸やと思ったり、絶望やと思ったりする瞬間も、ごちゃごちゃ入り混じっとる。幸せいうんはその入り混じった中の一つにすぎん。そう考えると素っ気なくて物悲しいもんや。ばってん、物悲しく感じられるようになって、初めて金太郎さんの心がわかった。金太郎さんはからだじゅうで、ワシらにいまの瞬間を味わえと教えてくれるが、ワシには、金太郎さん本人は、常に半歩後ろを生きとって、いまを味わっとらん気がして仕方なかったとたい。何の半歩後ろやろうとワシは考えた。そしてフッとわかった。金太郎さんはいま起きたことを素っ気なく物悲しくせんために、振り返り、じっくり吟味して記憶しようとしとる、記憶して、もう一度驚いて、その驚きを感謝や愛情に変えようとしとるてな。この半歩後ろがないと、人は他人を愛することを忘れて、自分だけ愛するようになってしもうとたい。いまの自分の幸せだけに浸りたくなってしまう。ワシも半歩後ろを歩くことにした。そしたら、人に遇えた喜び、会話した喜び、努力したことを達成した喜び、優勝した喜びが、ものすごか強さで押し寄せてきた。……みなさんに言いたかよ。いまをしっかり味わいながら、少し退がって頭に刻んで、もう一度驚いて、感謝して、心底喜んでほしいてな。ワシにとって、金太郎さんとみなさんは、最も慈しむべき存在ですばい。全身全霊で愛しとります。愛することは恐ろしかことばい。愛するものを失いとうないち思うようになりますけん。自分の命を失う飛行機よりも恐ろしかち思うようになりますけん。ばってん、恐れちゃいけん―」
 江藤は絶句して、手で顔を覆った。大きな拍手が座敷を満たした。一家のだれもかれもが泣きながら拍手していた。
 私は涙を拭いながら立ち上がり、江藤を抱き締めた。そして両手で肩を押して坐らせ、
「……江藤さんがおっしゃったように、ぼくも人を愛することが恐ろしくて、いつもドキドキしてます。愛する人を失う恐怖のせいです。でも、その胸騒ぎが消えると、愛が消えます。だからドキドキを止めたくない。感謝をすると胸騒ぎが始まり、さらに愛すると胸騒ぎが強まります。この不安を恐れないことは人生でいちばん難しいことですが、それでも感謝と愛を忘れずに生きつづけたいと思います」
 私は立ったままで言った。
「……昭和二十七年のアメリカの曲『あなたは私のもの』を江藤さんと、ぼくの愛するみなさんに捧げます。―ナイルのほとりのピラミッドを見ても、南の島の日の出を見るときも、これだけはいつも忘れないで、あなたは私のものだってことを。古いアルジェーの市場を見ても、私に写真や土産を送るときも、私が夢に現れたら忘れないで、あなたは私のものだってことを」
 
  See the pyramids along the Nile
  Watch the sunrise on a tropic isle
  Just remember, darling, all the while
  You belong to me

  See the market place in old Algiers
  Send me photographs and souvenirs
  Just remember when a dream appears
  You belong to me

 私は次の節の歌詞の意味を日本語で呟く。意味を知ってほしいからだ。
「いつもあなたがいなくてさびしいけど、きっとあなたもさびしいのね、銀色の飛行機に乗って海を越えてあなたはやってくる、雨に濡れたジャングルを見下ろしながら、家に帰り着くまで忘れないでね、あなたは私のものだということを」

  I’ll be so alone without you
  Maybe, you’ll be lonesome too, and blue

  Fly the ocean in a silver plane
  See the jungle when it’s wet with rain
  Just remember till you’re home again
  You belong to me

  I’ll be so alone without you
  Maybe, you’ll be lonesome too, and blue

  Fly the ocean in a silver plane
  See the jungle when it’s wet with rain
  Just remember till you’re home again
  You belong to me

 静かな、重量のある拍手がつづいた。トモヨの膝から直人がつぶらな瞳で見上げている。江藤が立ち上がり、私がしたのと同じように私を抱き締めた。賄いたちのおさんどんの手が止まっている。主人が、
「ワシも神無月さんみたいに自由に歌えたらなあ。ええ歌をありがと。心が透き通ったわ」
 女将が、
「ほんとに……神無月さんはうちらの宝やわ。うちらも、江藤さんも、ドラゴンズも、みんな神無月さんのものやよ」
 江藤がいっしょに腰を下ろし、
「野球だけやなか世界ばくれて、ありがとう。野球を楽しみながら、大きな世界で生きていけるのがうれしか。……ワシは酒豪言われとってな、よう酒のにおいをさせて球場にいったもんや。少しでも余裕のある豪快な人間に見られとうてな。馬鹿らしい。余裕なんかいらん。大きな世界の中で、一生懸命野球をやっとればええだけたい」
 直人の食卓が用意される。カズちゃんが、
「江藤さんの言葉ってすてきね。山口さんとそっくり。言葉は人間の華よ。北村席はすてきな言葉にあふれてる。言葉を吐き出したくなったり聞きたくなったら、ここにくればいいわ」
 睦子が、
「神無月さんから離れられないのはもちろんですけど、神無月さんの周りを飛び交う言葉から離れられないのも、私がここにいる理由です」
 千佳子が、
「私もそう。神無月くんの野球を知らないころから、神無月くんの言葉を追いかけてここまできた感じ。五百野の連載で夢が叶いました。いつでも、まとめて、神無月くんの言葉に浸れます」
 主人が水屋の本立てから一冊のスクラップブックを持ってきてテーブルに広げる。
「神無月さんは言わずもがな、江藤さんの言葉がすばらしいのは、文章家でもあるからなんですよ。これは、東京オリンピックの年、昭和三十九年のスクラップブックです。濃人が去って、杉浦監督二年目の和歌山勝浦キャンプ」
「おお、歴史に残る大失敗のキャンプやった。杉浦さんの明大時代の球友が旅館を経営しとるちゅうことでそこに決まったんやが、宿舎は立派なものやったばってん、肝心の野球グランドがなくて、製紙会社の資材置き場を使ったっちゃん。ライトは切り立った崖が迫っとってほとんど距離がなか、レフトにはパルプ屑がボタ山みたいに積まれとって、風が吹くと目に入って痛か。水はけも悪うて、朝の霜が解けると地面は泥んこたい。足木マネージャーがおが屑を撒いて足場を固めとったけど、投手陣はとてもじゃないが投げられる状態でなか。遠くの妙法グランドちゅうところば利用した。そこも練習できるような場所やなかった。二年目の杉浦さんは濃人カラーの一掃を図って、モリミチ、板ちゃん、法元、新人の健太郎まで二軍に落としおった。練習場は幼稚園の園庭や。ゴロ投げ合って、キャッチボールするぐらいしかできん。健太郎がなげやりになって、煙草をポイ捨てして、生垣あたりにちょっとボヤを出したちゅうこともあった」
「そういう劣悪な環境と選手たちの反発の中で江藤さんの出番ということになったんでしょう。江藤さんはドラゴンズの顔でしたから」
「何か知らんが、中日新聞からキャンプのコラムを書くように言われた」
「根拠があるんですよ。熊商時代に倉田百三を愛読しとったことは有名でしたし、プロ野球引退後は新聞記者になりたいゆう希望もよく知られてたことですから。願ってもない依頼だったでしょう」
 主人は『勝浦日記 キャンプ徒然草』とコラム記事を示した。漱石に敬意(オマージュ)を捧げた〈吾輩シリーズ〉と銘打たれていた。日ごとに〈吾輩はユニフォームである〉、〈吾輩はミットである〉、〈吾輩はバットである〉、〈吾輩は電話である〉、〈吾輩はふとんである〉というように、キャンプに関係する野球道具や日常生活用品を擬人化して、選手の生活をレポートしていた。
 食事になる。賄いたちの動きがかしましい。直人のメニューを覗きこむ。肉じゃが、だし巻き玉子、カニカマと絹さやと刻みくるみを載せた蒸し寿司。ソテツと幣原の神経が行き届いている。大人の皿はよりどりみどりだ。メインは、荻窪のトシさんの家で初めて食った天津丼。私は江藤のコラムに興味を抱き、箸を取り上げずに読み出した。

 吾輩はユニフォームである。主人は葛城さんだ。昨年主人のドラゴンズ移籍が決まったとき、吾輩はどんな人だろうかと新聞写真を見ながら胸をわくわくさせ、きょうまで待っていた。…………まず我輩は、筋肉隆々としてガッチリした体格に驚いた。それにからだが柔らかい。だんだん練習に力が入ってくると、主人の玉の汗が吾輩に降りかかってくる。…………ファンのみなさんも新しいドラゴンズの一員となった主人に暖かいご声援を頼みます。吾輩もうんとがんばります。

 温かい視線。目が潤んだ。

 吾輩はミットである。胸に大きくKと書いてある。主人は言わずと知れた木俣さんだ。昨年ストーブリーグの話題を独り占めした人だけに、初めから一本筋金が入っていて、毎日溌溂と練習に打ちこんでいる姿は、何としても先輩を抜いてやる、といった気迫と根性があり、私はいまではいい主人に出会ったものだとチョッピリ自慢しているくらいだ。…………権藤さんに「キャッチングがいいな」と褒められ、主人は少し照れていたが、吾輩は内心大いにうれしかった。…………ちょっと心配になった隣のグラブくんが言った。「おまえの主人は足が遅いな」と。しかし吾輩はわざと落ち着いてやった。「なあに、勘のいい人だ。いまに盗塁王だぜ」

 ボロッと涙が落ちた。春先にロクな練習ができないどん底キャンプの最中、江藤は健気なまでに温かいユーモアを交えて健筆を揮っていた。前田益穂とのトレードで大毎オリオンズからやってきた葛城隆雄と、中京大学を一年で中退して入団した木俣達彦をそれぞれユニフォームとミットの目線で読者に紹介し、その期待感を煽っていた。大毎ミサイル打線の五番打者と、一年生ながら首位打者を獲った愛知大学リーグMVP捕手の特徴をつかんだファンへのアピール。これは堂々とした広報の仕事である。菅野が、
「木俣さんが言ってましたよ。当時、江藤さんの付き人をするように球団から言われていて、濃人の〈九州ドラゴンズ〉に対する揺れ戻しで何かと優遇された地元の新入団選手に対しては、嫌がらせも頻繁にあったって。みんなで潰しにかかったんですね。地元の木俣を使えという指令も出されていたので、よけい嫌がらせに拍車がかかったそうです。江藤さんの付き人は、用具を運ぶ、頼まれものを用意するなど、ほかの付き人に比べれば楽だった、すべて江藤さんの人間性からそうしたもので、九州男児そのもの、俠気(おとこぎ)あふれるかただと言ってました」
 私は、
「江藤さんは、チームのだれに対しても尊大な態度をとりません」
 私は次の記事に目を移した。

 吾輩はバットである。ボールくんは愉快そうに飛んでいった。若手では島野選手のするどいスイングにビックリ。打撃コーチの満足そうな顔を吾輩はチラリと横目で見てすぐにボールくんに向かっていった。しかし、一つだけさみしい気持ちになったのは、練習が終わるとポイと吾輩を投げ出し、柔らかい泥がついたままケージの中にうち置かれることだ。「なんだい、打つときだけ大事そうにして」と仲間同士で怒っているうちに、スコアラーの江崎さんがベンチまで運んでくれた。吾輩たちはさっそく緊急会議を開き、そういった選手にはホームランを外野フライにすることに決めた。

「江藤さん、ほんとにすばらしいです! 若い選手を紹介しようという配慮が窺えるいっぽう、野球道具が粗末に扱われている状況を見て、用具や裏方さんを大切にしなくてはいけないという訓示を説教くさくならないように書いてます。記事は当然同僚たちが読むでしょうから、これは記事を通じての呼びかけですね」
 江藤は目と歯を剥いて大きく笑った。私はようやく箸をとった。菅野が、
「昭和三十九年は、江藤さんはボロボロだったんです。シーズン後半に両足肉離れという大きなケガを負いました。でも、入団以来の連続出場記録を絶やさないために最後まで試合に出つづけました。そして王と争ってついに初の首位打者を獲りました」
「オフクロの言葉が大きかです。慎ちゃん、皆勤賞いうんはね、成績が一番の優秀賞と同じ重みなんよ……。昭和四十年に八百九試合で途切れました。それからは、プツン、プツンですばい。何の未練もありまっせん。まじめさと才能は同じ秤(はかり)に載せられん。金太郎さんなんか、初年度からそんな記録に拘っとらんたい。目が覚めた。ゆっくりからだを休めることにしますばい」
 トモヨさんが、
「キング堂のローファが届くのは一週間先ですから、今回はふつうのローファでいってください。下着と靴下とワイシャツと洗面道具を入れた小バッグが一つ。ブレザーから靴から身仕舞いは万端です。ブレザーの内ポケットに万年筆を差して、和子お嬢さんから預かった実印を入れておきました」
「わかった、契約のときに使う判子だね」
「はい」


         十八

 主人が私に、
「マツダの車種は何やったかな」
「さあ」
 菅野が、
「ファミリア・ロータリークーペSSだそうです。中介さんから電話があったときメモしました」
 私がポカンとしていると菅野は、
「三年前に発売された高級車ですね。千五百cc、最高時速百五十キロ、フロント三人掛けの六人乗りセダンで発売したんです。去年マイナーチェンジをして五人乗りになり、千八百cc、最高時速百六十五キロになりました。その宣伝でしょう」
「とにかく友人に義理を果たしてきます。それから生まれ故郷を見て……。過去を覗きこむのはこれで最後にします」
 熊本県葦北郡田浦町大字小田浦二二九七、という文字がとつぜん脳裏に浮かんだ。東大に提出した入学書類に混じっていた戸籍抄本の記載が目に残っていた。奇妙な目の記憶だが、それだけ関心があったということだろう。江藤たちとビールをつぎ合う。
「江藤さんの育った田底村と田浦町は近いですか」
「植木町の田底村は熊本市の三十キロ北で、葦北の田浦町は百キロ南やけん、百二、三十キロ離れとる。三号線を鹿児島本線に沿って三時間も上らんといけん。往復となったら半日がかりや。田底までは見てられんぞ」
「うーん、中介さんにそんな迷惑はかけられませんね。サラリーマンは分秒で働いてることを忘れてました。鹿児島本線で田浦へいくことにします」
「ワシのふるさとなんぞどうでんよか。熊本から八代(やっちょろ)まで四十分、八代で乗り換えて、肥後田浦まで三十分、乗り換え時間を合わせても一時間半かからんやろ」
 素子が、
「お姉さん、ついてったれば? キョウちゃんちょこっと抜けたところがあるで、心配やわ」
 トモヨさんが、
「そうですよねえ、かなり心配。慣れた遠征先じゃないし」
「そうしてください!」
 睦子と千佳子がカズちゃんに言う。
「そうねえ。でも、私、若く見えるから、マスコミに見つかったら騒がれちゃう。百江さんにいってもらおうかしら。どう? 百江さん」
「喜んで! 明石のときも女中ということで通しましたから」
 菅野が、
「オッケー、もう一席予約します。席は離れますよ」
「かまいません」
 居間の電話へいった。カズちゃんが、
「百江さん、着物は窮屈だからラフなスカートにしなさいね。乗り換えとかで走ったりすることもあるかもしれないから」
「はい、わかりました」
「泊まるホテルがわかってれば一部屋とるのにね。中介さんに頼んで、同じホテルにシングルルームを一つとってもらいなさい」
「はい」
 直人のごちそうさまの声を潮に、カンナを抱いてトモヨさんが立ち上がり、イネといっしょに風呂へいった。
「さ、江藤さんもキョウちゃんもきょうは早く寝て。あしたは四時半に起きて、シャワーを浴びて、朝ごはんを食べて、六時に出発よ」
「ほいきた」
 電話から戻ってきた菅野が、
「予約とれました。私もきょうはここに泊まります。幣原さん、座敷の隅に蒲団をお願いします」
「はい。ステージ部屋のほうが静かでいいでしょう」
「百江さんも朝起きるの心配なら、ソテツちゃんの部屋に泊めてもらって」
「いえ、だいじょうぶです。あしたの五時にきます。スカート、メイ子さんに借りていいでしょうか。適当なものがないんです」
 メイ子が、
「いいですよ。帰りがけに、気に入ったものを選んでいってください」
 八時を回り、中番のトルコ嬢たちが帰ってきて食卓についた。江藤はしばらく顔見知りの近記れんや新顔の女たちとおしゃべりをしてから、主人夫婦に挨拶をして客部屋に退がった。私はトモヨさん母子とイネが風呂から上がるまで主人や菅野と談笑した。主人が、
「中介さんというのは、東大野球部ではどこを守ってた人ですか」
「センターです。打撃はそこそこだったと記憶してますけど、ノーエラーの堅実な男でした。なつかしいなあ。ピッチャー有宮、台坂、キャッチャー克己、ファースト臼山、セカンド磐崎、サード水壁、ショート大桐、ライト横平、センター中介。横平さんは守備センスも長打力もあった。あの奇跡の一年はみんな一生忘れないだろうな。……ぼくは忘れかけてる。顔と名前はしっかり憶えてるのに」
 菅野が、
「好きで入ったんじゃない大学のイベントは、たとえ野球のことでも忘れますよ。ふつうは人間のことも忘れるのに……さすがですね」
「今年の東大は、春が最下位、秋は五位でした。当然といえば当然の結果ですけど、せめて四位ぐらいにはなってほしかったですね。神無月のせいで生まれ変わったという評判がおべっかだったってモロにわかりますよ。個人の影響力なんて一瞬のものです。生まれ変わらせることなんかできません」
 主人が、
「中日は生まれ変わったでしょう」
「はい。学問や企業の諸分野での自己達成を将来の目標とする学生とちがって、野球という一本道を進む人たちですから、野球の技能の上達が最終目標だと悟れば、きちんと生まれ変わります。偶然ですけど、その意味の影響は与えたと思います」
 直人が風呂から上がってきて、トモヨさんとお休みなさいを言った。
「お休み。阿蘇の花を写真に撮ってきてあげるからね。楽しみにしてなさい」
「うん。おくるまのしゃしんもとってきてね」
「オーケー」
 トモヨさんとイネが子供二人と去った。私は千佳子に、
「ジャスピンコニカ持ってたよね」
「はい。新しいフィルムを入れて、いま持ってきます」
 すぐ二階へ上がってとってきた。コニカC35。立派なケースとキャップがついているコンパクトカメラだ。ソテツに言ってバッグにしまわせる。アヤメ遅番の女たちが帰ってきて、食事が終わるころ、幣原がステージ部屋に菅野の蒲団を敷いた。
「幣原さん、ぼくの蒲団は金魚の足もとに敷いて。片づけの終わったあとでいいから」
「はい。いま敷きます」
 歯を磨き、幣原が敷いた蒲団にすぐもぐりこんだ。主人が女将と、西荻の旅館に泊まって高尾山へいったことをなつかしそうにしゃべっている。それを糸口に、カズちゃんたちが東京暮らしの思い出を語りはじめた。フジのマスター、倶知安のシンちゃん、コメプリマの大将、寿司孝のマスター、グリーンハウスの山口や林、御池と田中、松尾をはじめとする早稲田連中の話が脈絡なく出る。睦子は南阿佐ヶ谷の話をしだす。
「みんなが名古屋にいってしまってから、ひとり残って勉強してるのがとってもさびしかったです」
 素子が、
「みんなよう勉強したわ。あたしもがんばったけど」
 千佳子が、
「調理師の免許をとりましたものね。私も人生でいちばん勉強しました」
 カズちゃんが、
「生活が規則正しくなるということは、むかし親しかった人に会えなくなっちゃうということなのよね。いつか会いにいく機会があればいいわね」
 主人が、
「世間とちょっとずらしたお盆休みをとって、五人で会いにいけばええんやないか? 高円寺か西荻の旅館に二泊くらいしてな。ついでに、もし東京で神無月さんの試合をやっとったら観てくればええやろ」
「そうね、毎年交代で、北村の五人くらいでお盆旅行しようか」
「第一回目は高円寺」
「二回目からは適当に」
「うん」
 女将や店の女たちも聞き役に回って、のんびり茶を飲む。たぶん彼女たちの計画は実現しないだろう。実現しそうもないことを語り合うのが楽しいのだ。目をつぶると、金魚の水槽の循環器の音が聞こえる。やがて眠りこんだ。
         † 
 十一月十日月曜日。四時にきっちり目覚めた。肌寒い。座敷が真っ暗だ。すでに厨房の音がしている。戸障子を開け、縁側の雨戸を引く。薄明もやってきていない。ステージ部屋の菅野が起きてきた。
「よく眠ってましたよ。私も熟睡しました」
 幣原が蒲団を上げにくる。
「おはようございます。お風呂入ってますよ」
「ありがとう。ぼくたちが上がったら、江藤さん起こして」
「はい」
 菅野と歯を磨き、風呂に浸かる。
「熊本までついていきたいんですがね、いろいろと仕事が……」
「たいへんだね、二軒の店を切り盛りするのは」
「経理上のことはほとんどプロがやるようになったんですが、設備や人事のことはやっぱりね。男子従業員は松葉さんが紹介した人がほとんどなのでしっかりしてますが、女の子はなんとも……扱いが面倒です。根気がないので出入りが激しくて」
「ファインホースもあるしね」
「はあ、ファインの事務所は、正社員のほかに、トモヨ奥さんと千佳ちゃんたち七、八人が常に交代でつくようにしてますからだいじょうぶです。私は折り返し電話をして確認をとるだけです」
 トモヨさんの用意した新しい下着に替えて、居間へいく。玄関戸の滑る音がして、百江が厨房の手伝いに入る声がした。
「百ちゃん、新聞を持ってきたろう?」
 菅野が厨房にいって新聞を百江から受け取ってくる。中日スポーツ、中日新聞、一日遅れの東奥日報、朝日新聞。
「へえ、きのう十年ぶりに東西対抗戦があったんですね」
「何ですか、それ?」
「リーグ関係なく東のチームと西のチームの交流戦です。西京極球場でやったようですよ。東の監督はドラゴンズの水原さんで、西は近鉄の三原さんか。また巌流島ですね。なになに、東軍、西軍に打ち勝つ、六回一気に清(せい)を攻略、衣笠、田淵の連続本塁打がフイ。六対二で東軍の勝ち」
「水原さん、疲れてるのに、わざわざ西京極までいったんですね」
「ドラゴンズまでは東軍なので、水原監督が勝ってよかった。太田さんと菱川さんが出てます。二人とも一本ずつホームランを打ってます。ピッチャーは堀内ですね。十三振を取ってます」
 短髪を洗ってさっぱりし、ランニングを着た江藤が入ってきた。
「あ、江藤さん、おはようございます」
「おはようす。よう寝た! 真綿のような蒲団やった。風呂も極楽やった」
「下宿したくなるでしょう」
「ならん。こういう環境におっても甘えんのは、金太郎さんぐらいたい。ワシらは甘え切ってしまう」
「きのうの東西対抗知ってました? 西京極で一時からやったそうです」
「おお。水原さんは気を使って中日のメンバーを誘わんかった。菱とタコが志願したとばい」
「二人ともホームランを打ってますよ。水原東軍が六対二で勝ちました。勝ち負けなんか水原監督にはどうでもいいと思いますけど」
「ほうよ。水原さん、きのうのうちに京都から東京の家に飛んで帰っとるやろ」
 幣原のかける掃除機の音がする。
「お掃除すみました。こちらへどうぞ」
 座敷に移ると、ぼんやり縁側が明るんでいる。幣原が灯りを点けた。主人夫婦が起きてきた。挨拶を交わし、夫婦は私たちの卓につく。
「ひさしぶりに早く起きましたわ。気分がええもんですな。江藤さん、よう寝れましたか」
「はい、ぐっすり」
 主人はうれしそうにうなずき、手近にある新聞に目を落とす。目ざとく東西対抗の記事を見つけて読んでいる。
「神無月さんと江藤さんが出とったら、十五点は取っとったやろな」
 言いながらあくびをする。
「お父さんお母さん、ぼくたちが出かけたら、また寝てください。何かの門出じゃないんですから」
「いや、離れではいつもこの時間には起きとるんだ。きょうはちょっと名残惜しくてね」




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