十九

 女将に茶が、私たちにコーヒーが運ばれてくる。千佳子と睦子が歯を磨きに降りてきた。洗面所で明るい賑やかな声がする。江藤が、
「あの二人は妖精のごたる。色が白うて、キラキラして」
 女将が、
「青森育ちやから、雪のように白いんやね」
 二人で座敷に入ってきた。
「おはようございます」
「おはよう。起きてこなくてもよかったのに」
「金魚に餌をやりにきたんです。いつもより一時間早いだけです」
 睦子が餌をやる前に、千佳子が水を入れたバケツを左手に提げ、水槽に小網を差し入れてフン取りをする。
「マメにやらないといけないんだね」
「水が濁るし、カビやバクテリアが増えます。水もだいぶ蒸発するから、ときどきカルキ抜きした水も足してあげるんです」
 トモヨさんとソテツと幣原の手で、空港へいく三人分の朝食が運びこまれる。イネはまだ直人とカンナと寝ているようだ。百江と睦子たちはおさんどんに加わった。五時を回ったばかりで、住みこみの賄いはようやく起きてきたところだ。主人夫婦もふだんならまだ寝床にいる時間で、六時五分前にようやくテストパターンが始まるテレビはもちろんやっていない。則武のカズちゃんたちは八時少し前に出勤するので、あと一時間は寝ているだろう。
 鯵のひらき、目玉焼き、おろし納豆、ささみとモヤシのサラダ、冷奴、海苔、豚汁。私も江藤もしっかりどんぶりめしを食う。どんなときも、食欲がないなどとと言わないことが習慣になっている。主人が江藤に、
「きょうの夜は郷土料理が食えますね」
「はァ、筑前煮が楽しみばい」
 ソテツが、
「私も作れます。今度きたときお作りしますね。だご汁、丸天うどん、八幡ぎょうざ、高菜、明太子、博多名物はどれもこれもおいしいものばかりですね」
「丸天うどんはうまか。真ん丸い薩摩揚げをドーンと載せて、わかめと博多万能ネギをどっしゃり入るうばい。ごぼう天うどんもうまか。金太郎さんの青森にはどんな料理があるとね」
「うーん、ぼくは流れ者なので、食いものの記憶があまりないんです。郷土料理と言えるのは、じゃっぱ汁くらいかな。鱈のアラと、大根、白菜、ネギなんかを塩か味噌で煮こんだものです。骨がうるさいんで、あまり好きじゃありません」
「ほなら、青森で食ってうまいと思ったものは何ね」
「ホタテの貝焼きですかね。ストーブに殻ごと乗っけて、パカッと開いたら醤油と味の素をかける。これはほんとにうまい。それからササゲ炒め。絹さやの炒めものです。いなり寿司、茹トウモロコシ、高野豆腐の煮しめ」
 睦子が笑って、
「それは郷さんが好きだと言うだけで、青森の郷土料理でも何でもありません。市場の娘の私が紹介してあげます。まず、おづけばっと。おづけというのは味噌汁のこと、ばっとは一口団子という意味です。ふかしたジャガイモを擂り潰して、片栗粉を入れてお湯で練る、それをちぎって味噌汁に放りこむだけ」
 千佳子が、
「味噌汁の具が多いんです。豚肉、大根、白菜、にんじん、ごぼう、椎茸、ねぎ。団子はコシのある熱いうちに食べるとおいしいですよ」
「それから、鱈のたず鍋。たずは白子のことです。鱈の身と白子を野菜や豆腐やシラタキといっしょに醤油ダシで煮こんだものです。それから、いろんな魚の飯寿司(いずし)。塩漬けした魚の切り身を、ごはん、大根、にんじん、キャベツといっしょに、麹、酒、味醂で漬けこんだものです」
「ほかにはこのあいだ和子さんがメイチカで買った味よし。野内のヤマモト食品が十年くらい前から売り出した品物で、ほとんど青森市中心に売り出していて、特産品というほどのものじゃないんです」
 ソテツが、
「今度その汁物や寿司、教えてください。ぜんぶ作ってみます」
 千佳子が、
「汁物は冬場の料理だから、これからの季節にちょうどいいわね」
「食いたか! 来年のオフは家族を連れて東北旅行ばせんと。野辺地にも寄るばい。大間のマグロも食ってみたいけん」
「もしそういうことになったら、野辺地だけ付き合いますよ。一日歩きましょう」
「今度こそ、私もいきたい」
 睦子が手を挙げた。千佳子もうなずく。女将が、
「うちらもお祖父さんお祖母さんに一度顔出ししておかんとあかんやろね。ムッちゃんのお母さんにはお会いしたから、千佳ちゃんのご両親にもお会いせんと」
 千佳子が、
「気を使わないでください。うちには手紙も写真も送ってますから」
 そんなことを話しているうちに旅支度の時間がきた。江藤が客部屋へ着替えに戻る。トモヨさんが空色のスーツと象牙色のワイシャツを持ってきた。百江は、腰を紐でリボン状に結ぶ薄茶色の厚地のワンピースを着、薄化粧をして出てきた。白いニットのカーディガンをはおっている。千佳子が、
「ウエストリボンね! ショートボブの髪。百江さん、かわいらしい!」
「メイ子さんに貸していただきました」
 女将が、
「百ちゃんはスタイルええんやな。腰が細いわ」
「五十女を褒めないでください。茶のローヒールですけど、合うでしょうか」
「ピッタリ!」
 三人で言う。百江は土色のコートを羽織った。トレンチコートを着た江藤が大きなボストンバッグを提げてのしのしやってくる。
         †
 下着を二組、ワイシャツを一枚、洗面道具、コンパクトカメラを入れただけの小さなバッグを持たされた。履きこなした焦げ茶のローファが白靴下の足にしっくりくる。
 六時。主人夫婦とトモヨさん、幣原、ソテツ、睦子、千佳子に数寄屋門に見送られて出発。
 エンジン馴らしのために、日本シリーズの賞品のクラウンに乗る。江藤と百江は後部座席に、私は助手席に乗った。百江が美しい。
 太閤通から笹島に出、柳橋まで走って左折。錦橋、泥江町、那古野一丁目、浅間町、花の木二丁目、西区役所前、浄心、庄内川橋南。ここまで二十分。川沿いの両岸の自動車学校を眺めながら右折。信号のない土手道をひたすら走って、国道四十一号線に出る。
「これ、空港通です。江藤さん、飛行機代を出すなんて水くさいことを言わないでくださいよ。神無月さんが悲しみます。わざわざ同伴してくれる人のふところを痛めるなんてことは、神無月さんには心外のことですから」
「―わかった。ありがたくおごられとく」
 左折。庄内川を渡る。ふたたび直進。江藤が、
「慣れた走りをしとるなあ。菅野さんは、これまでの最高の遠出はどこまでですか」
「神無月さんをいろいろ送り迎えしてきましたけど、うん、三月のオープン戦の南海戦のとき、大阪ロイヤルホテルまでいったのがいちばん遠かったですね」
 県道六十二号線に出る。右折。道は広く、公園があり、民家があり、空地があり、ポツンとマンションがある、都会ではないというだけの町並。鉄道の駅から離れているので車がなければこのあたりへ往き来できない。
「菅野さんは、金太郎さん一本やりですなァ」
「はい、悔いのない人生です。遇わなければ、朽ち木の人生でしたよ」
「……私も」
 百江が言う。江藤は思わず目もとに指をやり、
「―ワシもですたい」
 伊勢山。ここまで三十分余り。右折。
「あと五、六分です」
 しばし直進し、名古屋空港と標識のある信号を左折する。名古屋空港と大きく書かれた六階建ての大駐車場ビルに到着。一階の駐車場に停める。入場一時間まで無料・以降一時間につき百円という表示がある。車を降り、短い横断歩道を渡って空港内部に入る。
 六時四十五分。離陸まで一時間以上ある。菅野は私たちをベンチに座らせ、JALのカウンターにいき、予約番号を書式に書いて差し出したあと、女性係員に何やら語りかけている。やがてこっちを振り向いてニッコリ笑う。搭乗券を振りながら、私たちを呼び寄せる。一枚ずつ私たちに渡し、
「三人並びの席が取れました。よかったですね」
「ワシは通路側に座らせてもらうぞ」
 百江は噴き出し、
「どうぞどうぞ。私が隣で手を握ってましょうか」
「揺れたときには、ぜひお願いします」
 まじめな顔で言っている。係員が、
「搭乗口はBでございます」
 江藤は手荷物が大きいので、貨物として預けるよう言われ、私のバッグは機内に持ちこんでいいことになった。百江はハンドバッグと中くらいの大きさのボストンバッグを持っていた。菅野がホッとしたように、
「あとは保安検査場を十五分前までに通過し、指定された搭乗口に離陸十分前までにいけばいいだけです。五分ぐらいずつ早くいけば安心です。搭乗待合室にはたくさん椅子が並んでますから、ゆったり待てます」
 江藤が、
「ありがとう、菅野さん、助かりました」
 私は、
「受付カウンターの人がいっしょに飛行機に乗るの?」
「いえ、同じような制服を着てますけど、機内へ入ることはありません。じゃ、私はこれで失礼します。神無月さん、あしたになるかあさってになるかわかりませんけど、熊本からお帰りのときは、交通手段と出発時間を電話で教えてください。それじゃみなさん、お気をつけていってらっしゃい」
 手を振って菅野が玄関を出ていった。
「私、トイレにいってきます」
「ワシもいってこよう」
 私は尿意がなかった。
 江藤は機内でずっと寝ていた。私は彼の寝顔を写真に撮った。百江の顔も撮った。百江は江藤の寝顔を背景に私を撮った。機内食はなく、飲み物が出た。私も百江も断った。私は十万円と小銭をすべて百江に預けた。百江は当惑してうなずき、しばらくしてからバッグにしまった。
 飛行機は一度も揺れることはなく、九時半に熊本空港に着いた。風が強い。タイメックスは十四・六度。江藤の荷物受け取りを待って到着ゲートを出ると、中介と四、五人の社員が迎えに出た。ほうぼうから嬌声が上がる。彼らの背後にびっしり報道関係者の姿があり、テレビカメラも混じっていた。押し寄せてくる気配がないのは、マツダ側から営業の妨害をしないよう強く言い含められているからだろう。中介はくしゃくしゃの笑顔で私と固い握手をすると、随行社員ともども江藤と百江に頭を下げ、
「お二人がいらっしゃることを北村席さんからお電話で連絡いただきました。マツダ自動車の中介でございます。新庄さまは遠征先のお世話役とお伺いしましたので、神無月選手とツインルームをおとりいたしましたのでご安心ください。水前寺の松屋本館です。撮影のあと、そこへ戻ります。江藤選手、予期せずお会いできて光栄でございます」
「金太郎さんから、東大野球部の同朋だと聞いとります。今回は金太郎さんを使ってコマーシャルを撮るそうで、どうかいいものを作ってください」
「は、最善を尽くします。江藤選手にもいつか出演依頼した場合はお受けいただけますでしょうか」
「ワシャ、年じゃし、カメラの前に立つのは苦手やけん、テレビには出ん」
「速攻でふられましたね。図々しいお願いをしてすみませんでした。ところで、博多のほうへ熊本から電車で向かわれるそうですね」
「はい」
「熊本から鳥栖までの区間快速は、一日に五本しかありません。十時から十四時まで一時間に一本ずつ四十六分に発車いたします。鳥栖まで一時間半、博多行への乗り換え待ち時間二十分、博多まで四十五分。二時間半ほどの旅でございます。十一時四十六分の切符をおとりしました。北村さまからのお申し付けですので、お気兼ねなくご利用ください」
 手渡す。
「おお、ありがとう。金太郎さん、ご主人にお礼を言っといてくれんね。ワシャさっそく武者返しと陣太鼓ば買って博多に向かうけん、ここでお別れたい。じゃ、金太郎さん、ファン感謝祭でな。百江さん、また北村席でお会いしましょう」
「はい、お元気で」
 江藤は早足でタクシー乗り場へ去っていった。中介が、
「江藤さん、うちの車でいけばよかったのに、気を使ってくれたんですね。もともと熊本の人だから、空港から熊本駅に出るのに一時間はかかることを知っていたんでしょう。そのあいだ自分が車に同乗すれば、契約手続のじゃまになるとわかってたんですね。気配りの濃やかな人ですね。―では参りましょうか」


         二十

 ふたたび嬌声。人とカメラに揉まれて空港の外に出る。逃げるようにミニバスに乗りこむ。コマーシャルの撮影車らしきものは見当たらない。ミニバスが走り出すと、社員たちが一人ひとり挨拶する。会社の部署と名前を告げていく。重要な役職のようだが、頭に入らない。中に一人、ラフな格好をした男がいて、
「東北新社、フィルムディレクターの××です」
 と名乗り、
「神無月選手は運転なさいませんでしたね」
「はい」
 短い科白が書かれた一枚の紙を私に手渡し、
「阿蘇火口のそばに停めたファミリアのボンネットに寄りかかって、その科白を言ってくださるだけでけっこうです」

 快適なドライブだったな。(目の前で阿蘇山を眺めながら後ろ姿だけ映っている友人の後頭部を見つめ)よし、オレも免許をとって自分で運転してみるか。

「友人がドライブに誘って運転し、阿蘇山まで登っていく、助手席で神無月選手は笑っている、それが途中の撮影です。最後に阿蘇噴火口を背景にファミリアに寄りかかるという段取りです。運転手の顔も背中だけの顔も写りません。中介さんがやってくれることになりました。ときどき東大時代のことをしゃべってくださるだけでOKです。神無月さんの顔がほしいだけなので、声は録音しません。カメラは先行車と後続車とファミリアの後部座席につきます」
「車寄せがあったら、ときどき車から降りて写真を撮ってもいいですか。道の草とか、動物とか、もちろん阿蘇山とか」
「けっこうですよ。あ、それいいな! 撮影フィルムに入れましょう。最後の科白にマッチする。うん、グッドアイデアだ」
「それなら、科白も、快適なドライブだったな、じゃなくて、すばらしいドライブだったな、のほうがぴったりです」
「たしかに! それでいきましょう」
 中介が、
「五日前から熊本にきて、何度もパノラマラインを走って予行演習したんです。秋の阿蘇はいいですよ」
 ミニバスは三十分ぐらい走って、立野という駅のそばにある山小屋のような大きな喫茶店の前で停まった。駐車場に撮影車らしき車が駐車している。臙脂色のファミリアも並んでいた。私たちはそこで全員降り、天井の高い店内に入った。一画に集まっていたジーパン姿の五、六人の男たちからいっせいに拍手が起こった。一般客が驚いてこちらを注視した。拍手する。
「神無月たい!」
「ほんなこつな!」
「美しか!」
「ほんものばい!」
 百江とともにジーパンたちのテーブルにいざなわれ、挨拶を受ける。
「プロデューサーの××です」
「プロダクションマネージャーの××です」
「プランナーの××です」
 ファミリア内のカメラマン、撮影車のカメラマン、ライティングディレクターと紹介がつづいた。中介らマツダの社員たちとジーパンらの脇の大テーブルにつく。中介が撮影契約書をテーブルに延べた。
「中身は見る必要がないから、サインだけします」
 私はそう言って、菅野に教えられたとおりにサインして捺印した。中介は大切そうにそれを中年の重立った男に渡した。男はこれまた大切そうに書類カバンにしまった。ほかの社員が、
「何をお食べになりますか」
 と訊いた。朝五時にめしを食ってから、六時間近く経っている。百江はまったく食っていない。
「ナポリタンの大盛りを。新庄さんは?」
「ミートソースのふつう盛りを」
 男たちが愉快そうに笑った。中介を除いたマツダの社員たちはここで引き揚げた。
         † 
 中介の運転するファミリア・ロータリークーペSSに乗って、立野という信号からパノラマラインに入った。後部座席にカメラマンとライティングディレクターが乗った。撮影車が前と後ろにつく。百江は前方の東北新社の撮影車に乗った。舗装の荒い、茶色い草に縁どられた道。草が途切れると、空が迫る。中介と取り立てて話すことはないが、ファンクラブの活動のことなどを聞いてみる。カメラが回りはじめる。
「克己や臼山や磐崎たち野球部OBは、全国観戦行脚はやらなくなっちゃったみたいだよ。みんな忙しいんだろう。白川はマスコミ人だから、日本シリーズも全試合回ったみたいだけど」
 先輩の口ぶりに戻る。
「じゃ、ファンクラブのサイン会なんか必要ないでしょう」
「東大野球部以外の会員が何百人もいるからね。いつか金太郎さんと会えると信じている連中だよ。会ってやってくれ」
「はい」
 草の路肩のそばに牛が数頭いる。
「あ、牛を見ましょう」
「オッケー」
 カメラマンが、
「阿蘇の赤牛です」
 生きもののそばには花がある。彼らに食わせる草を生やす土地が肥えているからだ。カメラを持って降りる。カメラマンも降りる。百江も東北新社の車から降りてくる。後続車も停まってカメラを回しているようだ。牛を撮ったあと、道端に咲いている粒つぶ頭のピンクのツルボ、ハーレムパンツのような小花を咲かせているフシグロと連続で撮る。
「ヤマハギ、マルバハギ、メドハギ、ハイメドハギ、あらゆる種類の萩が咲いてますね」
「……不気味な植物知識だな。この、葡萄の房が逆立ちしたみたいな花は何ていうんだ?」
「ツルボ。柄の長い傘を折り畳んだみたいな形をしてるでしょう。この花の別名は参内傘(さんだいがさ)と言うんですが、貴人に差しかける傘をむかしはツルボと言ったのかもしれません」
 中介は百江に、
「あ、新庄さん、撮影なんかに付き合わせてしまってすみません。退屈でしょうけど、辛抱してください」
「いいえ、すばらしい景色を見ることができて、とても感動してます」
「そう言ってもらえるとありがたいです。夕方までかかると思いますが、適当にくつろいでお付き合いください。お世話役というのはたいへんでしょう」
「やり甲斐があります。明石のキャンプのときにも参りましたが、身の回りのお世話が楽しくて仕方ありませんでした。神無月さんは散歩が趣味なので、夜出かけるときなどは心配ですけど、明石のときは秋月一光さんの秘書のかたなどが、こっそり車で追跡しながら警護してくださいました」
「たしかに、いつ暴漢に襲われるか知れませんからね」
「はい。私もそうですが、警護のかたも命を捨てる覚悟で務めています」
 カメラマンが、ホウ、とため息を漏らした。めいめい車に戻り、ふたたび走りはじめる。
「金太郎さんのおかげで車が売れたら、この出演料なんて雀の涙みたいなものになっちゃうんだけど、今回ののところは契約の金額で勘弁してよ。一応球団側に出演の了解をとったときに提示した金額なんだけどね」
「了解を取らなきゃいけないんですね」
「うん、中日ドラゴンズは雇用主だからね。そのとき、金太郎さんに金のことは言うなと釘を刺された。聞く耳持たないし、気分を悪くするからって」
「べつに気分は悪くしてないよ。見当つかない金額だなあって思うだけで」
 草また草、丘また丘、空また空。重装備をしたオートバイの隊列がすれちがった。だだっ広い駐車場。食事処がある。
「ここを一周して、窓の外から金太郎さんを撮ることになってる」
 ゆっくり一周するファミリアの真横に撮影車が並びかけ、身を乗り出すようにして私の横顔を撮る。もとの道へ引き返し、スピード上げて走る。岡が迫り、山が遠ざかる。糸杉の林立する道をしばらく走る。木立が途切れると、山並の上にみごとな雲海が横たわっていた。私はカメラを向けた。
「少し霧雨がくるかもしれないな。よほど気候条件が整わないと、こんなきれいな雲海は見られないんだ。ついてる」
 フロントガラスに霧雨がきた。ワイパーを動かすほどではない。ガードレールが木柵に変わった。延々とつづく。
「あ、今度は馬だ! 小さくてかわいいなあ」
 中介はみずから停車した。私が降りると、カメラを持って百江も降りた。明るい草原にかすかに霧雨が降っている。
「まあ、かわいらしいこと!」
 百江が声を上げる。前髪の長いコロリとした茶色い小型馬だ。板垣から手を差し出すと寄ってきた。カメラマンがレンズを向け、百江がシャッターを切る。中介が背中から、
「ファラベラだね。ポニーの一種。ペット用だ。食肉用じゃない。イヌの何倍も長生きするんで大人気なんだ」
 頭を撫ぜると、手を舐める。
「こんなかわいい馬、食べられませんよ。食肉用だとしたら、通りすがって頭を撫でたことを思い出して、一生胸が痛みます」
「きょう帰ったら、食事会で馬刺しが出るぜ」
「ぼくは食わない」
「ハハハハ」
 足もとにタヌキ豆が咲いている。百江に撮ってもらう。
「なんていう草ですか」
「タヌキ豆。花の形がタヌキの顔に似てるだろ。しばらくすると、タヌキのキンタマみたいな形の実になってぶら下がる」
「ま!」
「八畳敷きか。ハハハハ」
 また中介が笑った。
 ファミリアが走り出す。撮影隊が前に回る。かなりの時間をかけて、フロント助手席の私を写す。
「左はゴルフ場、阿蘇カントリークラブ湯の谷コース」
 と言われても、左右が杉と低木の群れなのでゴルフ場が見えない。
「道路に面している縁辺だけで一キロはある」
 興味なし。出発してからもう一時間は走った。そろそろ、空と山と丘と草木に飽きてきた。どれほどの絶景でも、同じものを見せつづけられれば飽きる。ここまで一人の人間にも遇わず、車やオートバイ数台としかすれちがっていない、と思ったら、リュックを背負った四人の下山ハイカーに立てつづけに出会った。さらに二人。みんな疲れてダラダラ歩いているので、新鮮な思いで見つめた眼から力が抜ける。
 眺望が塞がり、展け、勾配を上り、下り、曲がり、直進する。木柵、無柵、ガードレール。科白の紙に目を落とす。つまらない。中介が、
「鈴木睦子や上野詩織は元気? 二人とも金太郎さんにぞっこんだったからな」
「上野は野球部のマネージャーをやめてしまいました。勉強でがんばってます。鈴木は名古屋大学の文学部に入り、ぼくのタニマチの家に下宿して万葉集研究に精を出してます」
「北村席さんか。雑誌の写真で何回か見た。ものすごい有力者のようだね。金太郎さんに関する情報の中継点だ。あの家がないと、ものごとがスムーズに運ばない」
「新庄さんも、北村席の娘さんの経営する食堂の責任者として働いてます」
 カメラマンが中介に車寄せで停まるように言う。霧にかすむ集落を見下ろすかなり広い空地に車が停まると、カメラマンはタオルを持って外に出た。ウインドウをすべて拭いていく。いつの間にか霧雨が上がっている。先行車も停まるが、窓は拭かずに涼しい風に吹かれながら大勢で煙草を吸っている。空地の向こうの草はらに、オトコエシが一本、茎の高いところに粒状の房をつけて白く凛と立っている。むかしの歌人は、この草を〈色なき風〉とか、〈身にしむ色の秋風〉と詠んだ。睦子に献呈した万葉植物事典で読んだ。よく見かける草なので撮らない。オトコエシの下に、その白い房を仰ぎ見るようにフシグロセンノウの赤い花が点じている。私が指を差すと、百江が降りてきて一枚撮った。すべて直人西高見せるための写真だ。
 走りはじめる。だらだら坂のいただきが近づいている感じがする。それは錯覚で、馬も牛もいない幾層もの丘が寄せてくる。はるか遠方に、てっぺんの陥没した山が見える。こつこつと近づいていく。指差す。
「あれが正真正銘の阿蘇山ですか? 陥没してるのがカルデラで」 
「俺も最初はそう思ってたけど、ちがうんだな。あの頭が凹んだ山は杵(きね)島岳。阿蘇山というのは、杵島岳、烏帽子岳、中岳、高岳、根子岳の五岳のことを言うんだ。噴火口とカルデラのあるのは中岳、最高峰は高岳。杵島岳はよく登山の対象になる。杵島岳の向こうに連なる乳房形の山は往生岳。五岳に入ってない。やっぱり登山対象」
 ギョッとするほど小高い丘もあるが、山肌が黄土色の粘土のようにツルツルしていて正体不明だ。杵島岳と往生岳を正面に見ながら直進する。車寄せがやたらに多くなり、人の姿も多くなる。二つの山が視界から消え、道の両側が木立の疎らな杉林になった。規則的な生え方から植林とわかる。名所に近づく道を飾っている感じだ。ときどき隠見していた両山に背を向けて、ふたたび林道に入る。この林の途切れた先に何が現れるか楽しみだ。底の深い空が見えてきた。ここが高い場所である証拠だ。
「山は無限大と言っていいですね。道を作る人の精力が底知れない。そういう精力のある人たちの一員になりたくないという気持ちが、幼いころからあって、それで基本的に人間恐怖症になったんだと思います。マスコミ嫌いもそこからきていて、とにかくあの精力がたまらない」
「そう言うわりには、金太郎さん、すごい精力してるぜ。プロ野球界を揺るがす働きをしてる。結局、精力というのは他人に恩恵を与えるためのものだろ。与える方法はちがっても、人のことを思う人間は精力家なもんだよ。仲間入りしたくなくてもしちゃってるよ」
「そうでしょうか? 精々揺るがしてもプロ野球界です。科学者や政治家や企業人やマスコミの精力は、一国を揺るがすものです。その人たちに参加したくない、校庭の野球小僧で終わりたい、それがぼくの願いです。プロ野球界を揺すぶったとするなら、そういう狭小な心がもたらした奇跡です」
 中介がうなずき、
「……いいこと言うなあ、すげェ参考になるよ。狭小な心か。そういう心で、俺もせいぜいマツダを揺すぶりたいな」
 カメラマンが、
「私も東北新社を揺すぶりたいです。そのためには狭小な圧力のある情熱が必要なんですね。ほんとうにものすごく参考になります」


         二十一

 空の底からドンと杵島岳が突き上がってきた。
「ホオォォ!」
 後部座席の二人の男が嘆声を上げた。見通しのいい直線路になったので、撮影車が二車線を一車線に使うように手振りで指示して、スピードを落としてファミリアの助手席に並びかける。天井に上ったカメラマンが真横からカメラを回す。T字路に出る。↓阿蘇駅10km↑火口7km・草千里3kmの標識を右折する。中介が、
「ついにきたぞ。くねくね走るけど、あと十分くらいだ」
 また杉木立の道。何台もの観光バスとすれちがう。壮大な枯れ草の平野を見晴らす道を走る。草原の端に沼がある。
「草千里だ。あれは雨水が溜まってできた池。池の向こうの山は烏帽子岳。二月にはここで野焼きをやる。左のほうでぽやぽや白煙を上げてるのが中岳だ」
 そちらへ近づいていく。〈馬のりば〉がある。何頭か馬が待機している。枯れた草千里を乗り回すのだろう。手前の草地にウドが何本か生えて淡い緑の丸い小花をつけている。一枚撮る。
 大駐車場に入る。二台の車から十人ほどの人間がどやどやと降りる。そのあいだに私はウドの生えているところへ下りていき、一本の茎を引き抜くと、幼いころ野辺地でやったように皮を剥いて、セロリみたいにカリッと齧った。さわやかでコクのある独特の香気とほろ苦さの中から、えも言えぬ甘さがじんわりと滲み出てきた。
 人通りのほとんどない路肩に停めたファミリアのそばに、撮影用の大型カメラが据えられる。竿マイクが二本垂れ、反射板を背にバッテリーライトが点される。私と中介は前後に立って烏帽子岳を眺めた。野辺地の烏帽子岳ほど烏帽子の形が整っていない。そして小さい。
「じゃ、神無月さん、お願いします。ヨーイ、スタート!」
 私は段取りを無視して、すぐにボンネットに坐らずに、まず中介に抱きつき、
「すばらしいドライブだった!」
 と叫んだ。それから愛しそうにファミリアのボンネットをさすりながら、ゆっくり腰を下ろしてバンパーにローファを載せ、中岳の白煙をしばらく見つめた。おもむろに中介を振り返って、
「よーし、オレも免許をとって自分で運転してみるか」
 と明るい笑顔で言った。
「カーット! オッケーです。最高!」
 プロデューサーが叫ぶ。
「グッド! いい絵が撮れた!」
「エクセレント!」
 フィルムディレクターやプロダクションマネージャーが口々に叫ぶ。中介が今度は本気で抱きついてきた。
「ありがとう、金太郎さん、ありがとう!」
 プランナーがやってきて、
「玄人裸足ですよ、神無月さん。一発オッケーなんて、万に一つです。中介さんに抱きついたことで自然の中のドライブの喜びが思わずほとばしり出ましたし、ボンネットをさすることでファミリアの乗り心地のよさが十二分に表現されました。花や動物と親しむ道草も、フッと語り出す薀蓄も、車中での友との楽しげな思い出話も、すべて効果的でした。じつは音声は小型テープレコーダーで録ってましたので、うまくはめこんで使わせてもらいます。竜雷太を使ったトヨタカローラのロビンフッドよりずっと新鮮です。すべてぶちこんだ編集をしたいんですが、放送枠が一分ですからそうもいきません。しかし、できるかぎり、効果的な編集をさせてもらいます」
「ウドを齧ったところも撮りましたよ!」
 撮影車のカメラマンが叫んだ。
 機材をしまい、揃ってCAFEと大書してある店に入って、大テーブルでコーヒーを飲んだ。水がいいのか、ひどく美味に感じた。私と百江が小便に立つと、全員が倣った。
 展望台に登らず、博物館めいたところで物見もせず、土産も買わずに、もときた道を引き返した。ファミリアの車内のカメラマンは撮影車に戻り、後部座席には代わりに百江一人が座った。ほんの少しコースを変えて、火の鳥湯温泉を通る近道で帰った。くだりの道は快適だ。てっぺんに窪みのあるかわいらしい台形の山が目の前に現れた。
「あれ、米塚と言うんだ。百メートル程度の山だけど、登山禁止になってる。遠くに見える山並は外輪山。このあたりはススキの名所だ」
 撮影が成功して、中介は終始上機嫌だ。大草原一面のススキが風にそよいでいる。絶景だ。私は中介の横顔といっしょにカメラに収めた。
 立野まで戻り、まだ山中のような大津(おおづ)街道を豊肥(ほうひ)本線に沿って走る。阿蘇口。線路を跨ぐ高架橋から見下ろす白川が美しい。単線の線路の湾曲も美しい。百江に、
「たぶんどこにでもある風景なんだろうけど、偶然ぶつからないと拝めない風景だね」
「そうですね、自然と人工がこんなにマッチする風景もめずらしいですね。川岸にポチポチあるお家もなんだか奥ゆかしい」
 御殿のような造りの建物があって寺かと見まちがったが、大きな水車をシンボルにする食い物屋だった。山椒茶屋と看板が出ていた。
「鶏料理をメインにするチェーン店だよ。そばもうどんも出す」
 山道が途絶えない。あるのは食い物屋とガソリンスタンドばかりだ。廃屋になったトタン屋根の商店の脇に、二メートルほどの高さにゴミが積み上げてある。文明の廃棄物だ。平地の象徴の畑に巡り会う。そこを境に民家がとつぜん増えた。
「五日も撮影の練習をしたのに、金太郎さんは一発だな」
「面倒なことは、なるべく一発ですますようにします。好きなことは何発もやります」
 百江がクスッと笑ったような気がした。山並は遠ざかり、右を見ても左を見ても民家と電信柱ばかりになる。
「今年の年間表彰式、広島カープからも出るかな」
「さあ、皆目見当がつきません。自分の三冠王はわかってますが」
「個人タイトルはほぼぜんぶ金太郎さんだろ」
「はい、セリーグの打撃部門はぜんぶぼくです。盗塁王ももらいます。最多奪三振は阪神の江夏。最優秀防御率は、うちの星野秀孝。ベストナインはほとんど中日ドラゴンズでした。三塁だけ長嶋でね」
「パリーグだけがいろいろな選手で賑わうね。セリーグの選手はせいぜいベストナインでがんばるしかないな」
 大津。空が広く、高い。片側は山並を背景にした田圃、片側は森と家。田舎町の趣が出てきた。野辺地の松ノ木平に似ている。馬刺しの看板を初めて見る。具合が悪くなる。カラオケの看板も初めて見る。熊本24kmの標識。
「松屋本館の食事会は六時からだ。ささやかなお礼だけど受けてほしい。社長の松田恒次が出席する。広島東洋カープの初代オーナーだ。金太郎さんに会いたがってた。チームを超えて個人的なファンなんだよ」
「うれしいな。ありがたくおごらせてもらいます」
「あのう、私はお部屋でお待ちします」
「いや、ぜひ出席してください。金太郎さんが不安になる。命懸けでお世話してるんですから、一心同体でしょう」
「はい……」
 病院、スーパー、自動車のショールームなどが窓の外を通り過ぎる。猛烈に眠くなってきた。
「中介さん、三十分ほど寝ます。あとどのくらいですか」
「四十分くらいだ。遠慮しないで寝ておけ。松屋でも、会食までのあいだ部屋でのんびりしてくれ。朝早く駆けつけて、山の上まで引っ張り回されて、くたくたになったろう。新庄さんもどうぞ仮眠なさってください。着いたら起こしますから」
 私は座席の枕に頭を凭(もた)せて目をつぶった。
 四時十分、水前寺の松屋帰着。ガラス張りの玄関ドアの前に大きな鉢植えの花卉を二つ置き、曇ガラスの箱庇が照明になっている豪華な構えだ。玄関前の道を隔てた広い駐車場に三台の車が入る。三十分ほど眠った下半身に、いつもの切迫した現象が起きているのに気づく。バッグでさりげなく前を隠して降り、中介やスタッフたちと玄関に向かう。大岩に金文字で旅亭松屋本館と彫りこんである。フロントへいく。スーツを着てネクタイを締めた二十代の女性が、
「お帰りなさいませ」
 と挨拶する。いらっしゃいませではないのが耳新しい。彼女に示された宿帳に全員で記帳する。百江はすぐに私の様子を察知して、人目につかないように脇に立った。
「きょうはみんな泊まる。新社のかたたちはあした東京に帰り、俺たちマツダの連中も広島に帰る。今夜はせいぜい、旧交ならぬ新交を温めてほしい。じゃ六時に三階のさざんかの間で」
 みんなで頭を下げて去った。百江がフロントの女性から鍵を受け取り、
「私たちだけもう一泊延長してください。あした、田浦のほうへ回る予定がありますので。それから、田浦へいく電車の時刻をあしたまでに教えてほしいんですが」
「かしこまりました。それではお部屋へご案内いたします」
 お仕着せを着た若い高校生のような女が先に立ってエレベーターに向かった。五階の和洋室に案内された。大卓を置いた少し段差のある小上がりが畳になっている構造だ。私は大卓の陰になるように畳にあぐらをかいた。度しがたいほど硬直している。テーブルの上の茶菓子に手を出す。
「冷蔵庫のお飲み物は無料でございます。これは館内で使用できる五百円クーポン券でございます。どうぞご利用ください」
 二枚テーブルに置く。若い従業員は冷静に振舞っているが、極端に緊張している様子が肩の上がり具合からわかる。
「お食事は、六時から三階の角部屋、さざんかの間でということになっております。三階の貸切り風呂はご予約制で、入浴は無料でございます。どうぞごゆっくりおくろぎくださいませ」
 これだけサービスするのは、基本料金が高いからだろうと思った。百江が、
「あしたの夕食後の風呂の予約を入れておきます」
「檜の湯と石の湯と二種類ございますが」
「檜にしてください。それからこれ、些少ですけど、お世話料です」
 小さな熨斗袋を差し出した。ふと不安そうな顔をしたので、
「みなさまでお茶菓子でも買って食べてください」
「ありがとうございます。遠慮なくいただいておくのが礼儀でしょうが、チップは固く禁じられております。申しわけございませんが、受け取るわけにはまいりません。お気を悪くなさらずに。では失礼いたします」
 女が去ると私は服を脱ぎ捨てて、ガラス張りの風呂場へ走った。すぐに全裸の百江もやってきて、
「わあ、ご立派! こんなに腫れあがって、苦しかったでしょう」
 両手で包んで愛しげに含んだ。
「すぐ入れて出してください」
 広い浴槽の縁に手を突いて尻を向ける。黒くて厚い小陰唇がぬらぬら光っている。尻の肉を両側に引いてクリトリスを含み吸う。
「あ、うれしい、うれし……ああ、もう、イ……」
 アクメ寸前に有無を言わさず突き入れた。
「ヒ! あああ、神無月さん、いい気持ち! イクイク」
「ああ、ぐしょ濡れだ、ぬるぬるして気持ちいい!」
「いい、すごくいい、もうだめ、神無月さん、イク、イクイクイク、イクウ!」
 腹を抱えて付け根を尻に密着させ、クリトリスを指で押し回して内と外で二重にフィニッシュさせながら、激しい最初の痙攣を愉しむ。膣全体が波打つ。反り返った背中がなかなかもとに戻らない。カリを蠕動でしごきながら往復する。
「ウクク、イク! イ、イ、イクウ!」
 さらに素早く往復する。
「あああ、神無月さん、気持ちいいィ! 気持ち、気持ちいー! イクウウ!」
 強く腰を引いて箍の襞でしごいたとたん、おのずと吐き出した。
「うれしいィィ! 好きいいい、イックウウ!」
 背中を反らせ、両脚を真っすぐ伸ばして痙攣する。グイ、グイと足を突っ張りながらすべて吸い取る。
「ああああ、どうしようもありません、またイク、イク! ああ、だめ、イクウ!」 
 百江の反った背中に胸を重ね、首に頬を寄せて、痙攣に身を預ける。安らぐ。やがて背中と脚の筋肉の硬直が和らいでいき、腹の硬直も解けて、
「……愛してます、死ぬほど」
 いつまでも膣をうごめかせながら荒い息で言う。乳房を握り、百江の余韻が消えるまでその格好でいる。落ち着いたところで引き抜く。
「あ、イキます!」
 二度、三度尻を跳ね上げて最後の痙攣をしてから、ゆっくりしゃがみこんだ。私は空の浴槽に入ってあぐらをかき、湯を出した。百江の顔を正面から見つめて笑いかける。百江も満面の笑みで応える。真っ赤な顔をしている。
「全力でイッたね。愛してるよ」
「ありがとうございます。もったいないお言葉―」
 百江は股間をシャワーで清め、溜まりかけた湯に入ってきた。抱き締め、口づけをする。
「あしたの旅館代、自分のふところから出すつもりだったんじゃないだろうね」
「そういう余分な入費はお嬢さんから預かってきたものです。いろいろもの入りになるような分もぜんぶ」
「なるべくぼくのお金を使ってね」
「はい。ああ、神無月さん!」
 強く抱き締めてきた。また口づけをする。
「独り占め……夢のよう」
「あしたも途中でしたくなったら」
「いつでもしてください。あのパンティを穿いていきます」
 からだを流してもらい、並んで歯を磨き、私だけ髪を洗って出た。
「女の髪が濡れていると疑われますから」
「気を使わせるね」
「何でもありません。会が終わったらちゃんと入ります。食事会のワイシャツは新しいものにしましょう。私は同じ格好で」
 あらためて部屋の調度を眺めた。窓辺に小テーブルを置いた三畳の和空間。肘掛けのソファ椅子が向き合うように二脚用意してある。衝立を立てて洋空間になる。一つはセミダブル、一つはシングル、適当な間隔をとって並べてある。離れた足もとに横向きのロングソファ。その前に大型のテレビが据えてある。テレビの脇の花瓶にシュウメイギクの花が活けてある。
 ソファで裸体のまま抱き合い、テレビを観ながら三十分ほどうとうとした。どの土地もテレビは代わり映えがしない。ミズノのコマーシャルが一度流れた。



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