二十二

 三階のさざんかの間に出かけていく。スタンディングオベイションで迎えられる。私は直角の辞儀をした。眼鏡をかけ白髪を七三に分けたおそらく松田恒次と思われる男が、 
「畏れ多くも、日本一の野球選手、神無月さんと握手をさせていただきます」
 頭を下げて差し出した手を握る。強く握り返された。フラッシュが連続で光る。
「自宅の部屋に飾らせていただきます」
 全員拍手喝采。
「どうぞ、どうぞ、お楽に」
 重役らしき男が手振りで中ほどの席を勧めた。掘り炬燵式の長大なテーブルに百江と並んで坐ると、六人と七人が対に向き合うように坐った。私の真向かいに松田恒次が坐った。彼の左右に重役が一人ずつ、その左右隣に東北新社のプランナー、プロダクションマネージャー、右の端席に中介、私の右隣にフィルムディレクター、ファミリアのカメラマン、左隣に百江、プロデューサー、撮影車のカメラマン、ライティングディレクター。十三人腰を下ろし終えると、ビールを持った数人の仲居たちがやってきて、めいめいについで回った。
「私、東洋工業三代目社長の松田恒次でございます。広島東洋カープのオーナーも務めております。あなたにお会いするのが念願でした」
 松田の左右の男が一人ひとり自己紹介する。
「東洋工業の子会社広島マツダの社長松田耕平でございます。広島東洋カープのオーナー代行を務めております。来週にでもファミリアロータリークーペSSを北村席さまのほうへお届けいたします。どうか今後ともよろしくお付き合いのほどお願いいたします」
「東洋工業取締役自動車製造部長の山崎芳樹でございます。昭和二十五年まで東洋工業サッカー部の選手兼任監督を務めておりました。そのため、企業内部の和の精神には常々関心がございました。神無月選手の、楽しみながら最大限の力を発揮せよという考え方を新聞で読み、心底感銘いたしました。愉しんで仕事をする人であれというメッセージはただいま製造部のモットーになっております」
 松田社長が、
「この春、神無月さんの麗々しいユニフォーム姿を広島球場で目にして以来、カープオーナーとしてはけしからんことでしょうが、いっぺんにファンになってしまいまして、折よく中介くんから新ファミリアの宣伝に神無月さんを使ったらどうか、自分が頼みこむからという話が持ちこまれたときは、一も二もなく賛成いたしました。しかし、天下のホームラン王神無月郷ですよ。ほんとに引き受けてくださるのかどうか半信半疑でしたし、引き受けてくださったらくださったで、来季の年俸二億と言われる選手にあだやおろそかな報酬をお支払いするわけにはいかないしなどと、あれこれ気を揉んでおりましたが、後日中介から、快く撮影および契約金の承諾をいただいたと聞いたときには、ホッと胸を撫で下ろしました。中介くん、まず乾杯して」
 中介はハイと返事をして立ち上がり、
「みなさまはそのままで。では乾杯の音頭をとらせていただきます。神無月郷という天馬と、生きているうちに出会えたことに、天馬といっしょに仕事ができたことに、天馬に会いたいという社長の念願が叶ったことに、カンパーイ!」
「カンパーイ!」
 松田社長は、
「ハハハハ、胸を撫で下ろしてから八カ月というもの、お会いできるきょうの日を一日千秋の思いで待ち焦がれておりました。いやはや、聞きしに勝る美丈夫ですなァ。じっと見つめられると、女のように恥ずかしくなります。きょうのCM撮影も、神無月さんのウィットのおかげで大成功裡に終わったと聞き、満悦至極でございます。放映契約もすんなりサインしていただいたそうで、まことにありがとうございました。きょうは深謝のしるしとして、ささやかではございますが、こんな会合を設けさせていただきました。どうか屈託なく、食べて飲んで、楽しくおすごしください。新庄さん、じつにお美しい。北村席さんには男女を問わず、命懸けで神無月さんのお世話をしているかたがたが大勢いらっしゃると中介から聞き、価値のわかる人間は徹底してものごとを行うものだと感銘いたしました」
 こういう人びとに対しては韜晦する余地などない。何もしゃべらずに、ヤニ下がっているしかない。山崎が、
「馬刺しが苦手だそうですので、神無月さんだけは、馬刺しが四切れしか出ない肥後牛溶岩焼コースにしました。その四切れは騙されたと思って食べてみてください。うまくて驚きますよ」
 どのコースにも共通の熊本特産先付けというものを持って、メニュー片手に仲居たちが注文をとりにきた。撮影スタッフたちは、馬づくしコースか馬御膳、東洋工業組は社長に合わせて郷土コース、百江は松屋御膳。先付けのトマトのゼリーを食ってみる。まずい。出鼻を挫かれた。前菜。辛子蓮根。シャッキリ感がなく辛くもない。人文字ぐるぐる酢味噌かけ。これは歯応えがよくて、うまかった。人文字というのはネギのことだ。葱という漢字が草書では一文字で書けるからだと聞いたことがある。百江はきちんと正座して、うなずきながら食べている。肥後田楽。まずい。社長が、
「耕平は慶應を出ましたが、私やこの山崎は、いまで言う工業高校出の叩き上げです。私らのような技術畑の人間は学歴など関係なく腕一本でやっていけます。プロ野球選手も同じような気がするんですが、なぜ大卒の選手が多いんでしょうね。大学で学問などしないわけでしょう?」
「ぼくにも謎です。中卒ではまだ体力ができていないので無理だとは思いますが、尾崎のように高校中退でプロにいくのが理想だと思います。せめて高卒までで入団するのが、むだのない野球人生の限界ですね。じつは、成人に達しない野球選手は親の同意がないとプロにいけないことになってます。非常に厳格なシステムです。高校中退でプロにいけた人は親子の連帯がすばらしかったということになります。ぼくも青森高校中退でプロにいきたかったのですが、叶わぬ願いでした。……大学はむだです。野球を真に好まない人間の格好つけか、大学という名にあこがれる親の見栄に子供が同意したか、屈服したからでしょう」
 フィルムディレクターが、
「叶わぬ願いだったというのは?」
「ぼくの母は東大崇拝者です。せめて大学と名のつくところへいってくれという見栄っ張りなのではなく、東大以外は大学として認めない、水戸黄門の印籠しか認めないというファナティックです。だれの説得も効きません。スカウトが勧誘にこようと、新聞で騒がれようと、そんなものは下界の馬鹿な人間どもの花見や盆踊りだと軽蔑する徹底した権威主義者です。この世には才能などは存在しないと確信している能力平等主義者です。能力が平等なら、社会で成功するには努力して知的な肩書を得るしかないと信じ切っているんです。スポーツなど馬鹿のやることと信じている権威主義者のところへスカウトがきたって、追い返すに決まってます。プロ野球のスカウトも同じです。スポーツ選手が馬鹿だというのは事実で、だからこそ馬鹿を救いにスカウトが虹の橋を渡ってくるんです。そのスカウトはその橋からもとの道へ追い返されました。……叶わぬ願いだったというのはそういうことです。だから、ぼくの場合、東大へいくことだけがプロ野球選手になる一縷の希望でした。子供が東大という冠をかぶれば、母は名望欲を満足させ、あとは好きにさせてくれるんではないか、と。そうすれば、もう一度スカウトが虹の橋を渡ってやってくる、と願掛けをしたわけです。少し予想が外れました。まったく野球から離れていた受験生のころに、ドラゴンズフロントの幹部が入団の打診にきてくれたんです。そこで入団できていれば万々歳だったんですが、叶わぬ願いです。未成年なので母が許しません。是が非でも東大へいくしかないというところへ逆戻りです。願いが神に通じて東大に合格し、母が有頂天になって油断したところへ、東大の鈴下監督の協力のもとで、スカウトよりも強力な中日ドラゴンズのフロント陣が猛攻勢をかけ、事後承諾で母を説得した結果、まだぼくは十九歳でしたが、プロ球界に踏みこめたんです。彼女が入団の書類にサインをしたという話を聞いたときは耳を疑いました。いまも信じられない気持ちでいます。……とにかく、学者や専門家になろうとする人間以外、大学に進む意味はありません。野球選手は本来馬鹿なんです。いくら努力したって学者や専門家になんかなれっこない。分を知らなければならない。ぼくのような特殊事情を抱えて大学へいかなければならない野球選手は何百万人に一人でしょう。ぼくは大学出の野球選手がむだにした四年間を気の毒に思っています」
 松田耕平が、
「耳が痛いです。大学なんかいっても、私はいまなお祖父や父に追いつけない。周囲の技術陣がほとんど天才ばかりのところへもってきて……私は大学などいかずに、彼らから学ぶべきでした」
 恒次が、
「私のせいですよ。いわゆる帝王学を学ばせようと思ってね。考えたら、うちのような大所帯の会社には、腕のない高学歴の人間がどんどん入ってくるわけだから、学術的な知性という意味では、下部組織はいやでもしっかりする。私やこの山崎のように、そういった腕のない高学歴の下部組織を平伏させる技能さえあれば、彼らが仰ぎ見ておのずと帝王として君臨できるんですよ。帝王学など学ばなくてもね。うかつでした」
 飛島さんを思い出した。山崎が、
「耕平さんはたしかに学歴をつけた時期はあったかもしれませんが、血は争えない。社長から受け継いだ技術はもとより、アイデアもすぐれたものを持っていらっしゃる。ロータリーエンジンの研究者としては当代一流です」
 耕平が、
「燃費がネックです。それをもっと突き詰めないと、マツダは勝ち残れない。父がせっかくドイツのNSU社と技術提携してまで実用化したロータリーエンジンを、犬死させたくありません」
 恒次は、
「NSU社には多くの技術課題が残っていたのを、ミスター・ロータリー山本健一くんがチャターマーク問題を解決してくれたから、なんとか実用化できたんだ。そのあとを耕平が継いで研究を重ねてくれていることがうれしい」
 話が専門に渡りはじめて、チンプンカンプンになる。山崎が、
「コスモスポーツ、ファミリアロータリークーペ、ルーチェロータリークーペときて、今回神無月さんに乗っていただいた、フォードアセダンタイプのファミリアロータリークーペSSです。七月半ばから末にかけて全国規模で開催したマツダロータリーフェアは盛況でした」
 耕平が、
「全国営業拠点七百箇所、ホテルなど五十箇所の特設会場に、延べ四十一万三千人の来場者を集めました。日本にロータリーの風が吹いたんです。ロータリーエンジンを犬死させたくないということは、父や山本さんを犬死させたくないということです。神無月さんがその風を追い風にしてくれるでしょう」
 郷土コースも、馬づくしコースも、肥後牛コースも、松屋御膳にも馬刺しの盛り合わせがついてきた。馬御膳だけは魚介の刺身だった。
「馬刺しは、上(じょう)赤身、赤身、特選フタエゴ、たてがみの四点になっております」
 毒々しい赤だ。食指が動かない。馬の潤んだ目が浮かび、かすかな頭痛がくる。フィルムディレクターにそっと押しやり、目で了解をとる。中介が明るい声で仲居に、
「たてがみというのは想像つくけど、フエタゴというのは?」
 仲居は白・赤・白の三層の肉を手で示し、
「こちらです。首以外の皮のすぐ下のお肉です。コリコリと歯応えがあって、白身のところはトロけます」
 馬を自分に見立てて考えると、おぞましい会話だ。プロデューサーが、
「たてがみというのは毛の付け根?」
「毛が生えている下全体のお肉です。真っ白な脂身ですが、ブヨブヨしてません。コリコリとして、生イカに近い食感です。あっさりした味なので、赤身といっしょに食べるとおいしいですよ」
 みんな、うまいうまいと言って食う。百江も箸をつけ、何ということもなく食っている。
「どう?」
「マグロの味です。臭みもありません」
 プロダクションマネージャーが、
「帝王を育てるには、まず親の技術の伝授。それから子供自身のアイデアか、なるほど」
 プランナーが、
「われわれのような仕事に技術はあっても、アイデアと呼べるようなものはあるのかな」
 撮影隊のカメラマンたちが、
「専用機材に対する専門的な技能まででしょう。たとえば光度、シャッタースピード、ライティングの効果とか。―アイデアと呼べるものは」
「ないね。作り出されたもののイジクリにすぎない。結局われわれは技術者なんだね。技術は慣れが第一じゃないの。アイデアとくると、作り出しのアイデアも含めて至難のものだよ」
 プロデューサーが、
「企画と制作は作り出しと言えるんじゃないかな。撮影した素材の加工というのもそうだよね。プランナー、コピーライターなんかはアイデアの根幹に関わってるわけでしょ」
 フィルムディレクターが、
「根幹に関わるのはプランナーぐらいで、CM制作会社のほとんどのスタッフは、プランナーから渡されたCMストーリーのコンテを見て、どう仕上げるかということだけを考えるわけでしょ」
 プランナーが、
「仕上げは技術だけじゃどうにもならないんじゃないの。たとえば私が、大声で歌いながら商品名を連呼するというコンテを渡したとします。制作スタッフは、大声を出すのに活かせる場所のロケーションを設定する。海とか崖とかね。それを考えたあと、さらにその商品に合った大声が似合うキャスティングを考える。そういうことも作り出しのアイデアと言えますよ」
 ライティングディレクターが、
「しかし、帝王はいませんよね。基本的にわれわれはヒエラルキーのない共同作業者なんで、マツダさんの現場だけみたいなもんでしょう」
 プロデューサーが、
「そう、常に裏方だね。文明文化を揺すぶる大企業に発展することは考えられない。揺すぶる人たちを裏から支える」


         二十三

 松田恒次がおもしろそうに聞いている。
「どうです、神無月さん、表であれ裏であれ、いろいろな人生があるものでしょう? しかし、あなたがいなければ、私たちの裏表の人生はまとまらなかったわけですよ」
「国という実体を盛り立てるのに表も裏もないんじゃないでしょうか。ぼくの仕事は国を盛りたてるというほどのものではありません。盛り立てている人たちの娯楽です。ぼくたちのような人間は、そういう社会的な貢献をする人たちに娯楽や息抜きを提供する芸人なんです。華やかなので主役に見えるでしょうが、ほんとうの主役は、社会を俯瞰して動かすあなたがたです。芸人はどの方向からも文明文化を推進できない分、そこにこびりついて暮らしながら、文明人文化人の特徴である技術や技能、アイデアや探究心、といったすべての要素を採り入れて、文明文化を支える人たちの息抜きになるために努力しなければなりません。そのためには、体力とかなりの鍛練が必要なので、あなたがたに娯楽を与えることができる期間は長くありません。―その間のご贔屓を願っておきます」
 大きな拍手、喝采。耕平が、
「弁舌さわやかですね。神無月さんは芸人じゃないでしょう。そこまで謙虚な芸人に会ったことがない。みんな社会を背負ってるみたいにふんぞり返ってますよ」
 恒次が、
「ますますファンになりました。頭の切れるかたとは聞いていたが、ここまでとは。いやあ愉快だ。酒がうまい」
 山崎が、
「ファミリアがリニューアルするたびに、CMをお願いしたいと思いますが、いかがでしょう」
「カーブの選手といっしょに出演するなら。たとえば、衣笠さんと広島の原爆ドームの前で素振り合戦をしたあと、ドライブに出かけ、運転している衣笠さんが、どうだ、うちの球団のスポンサーの車はすごいだろう、と自慢するような。あるいは、まだ免許とってないの、と訊かれて、こんなに乗り心地がいいならぼくは乗り役に徹しますと答えて、窓の外を満足そうに眺めるような。そこまで露骨でなくてもいいですけど」
「そりゃいい!」
 プランナーが叫んだ。
「アイデアマンだなあ。免許とらないシリーズを何本かつづけたあと、ついに免許をとったというふうに持っていく……」
 重鎮三人が真剣な顔で拍手する。ファミリアのカメラマンが、
「何者ですか、神無月さんは」
「マツダの自動車は広島の誇りでしょうから」
 お造り。鯛のカルパッチョ? 桜納豆を食っている隣のフィルムディレクターに、
「カルパッチョって何ですか」
「西洋南蛮漬けみたいなものです」
 百江を見ると、がんもどきの八方煮。うまそうなので半分もらう。やはりうまい。中介がみんなにビールをついで回る。会の成功を感謝するように私に目配せする。私も笑いかけて飲み干す。テーブルを見ると、私と百江以外は、馬肉と大根の煮物。プロデューサーが百江に、
「万能の人間と暮らすのは、どういう気分のものですか」
「毎日驚いてばかりで、ちっとも飽きません。野球、言葉、友だち付き合い、書き物、歌」
 フィルムディレクターが、
「五百野は芥川賞の候補に挙げられるんじゃないかと言われてますよ」
 私は訝しみ、
「まだ完結してないのに? 二月までかかりますよ」
「批評家の勘があるんじゃないですか」
「あり得ません。文学界というのは、編集者のプライドと、文学者同士あるいは編集者と文学者のコネの世界なので、他を寄せつけない特殊集団の意識を持っています。文学に邁進する人間という太鼓判をどこかの時点で捺された人間以外は相手にしません。ある分野で活躍しているか、芸人スポーツ選手など高収入を挙げている人びとは弾き出します。高齢者も弾き出します。そして、一度撥ねつけた人びとに簡単に門戸を開きません。かつて友人が持ちこんだぼくの文章が撥ねつけられました。だからぼくの候補の話は噂だけのことで、賞を与えることは天地がひっくり返ってもありません。ただ将来、出版人がプライドの垣根を取り払って金儲けに走った場合、芸人やスポーツ選手をドンドン登用するようになるかもしれません。売れますからね。いずれにせよぼくは文壇の仲間入りをしたくて書いてるんじゃないんです。ぼくの文章を気に入ってくれる人たちのためにだけ書いてるんです」
 フィルムディレクターは、
「……そういうものですか。何かさびしいですね。神無月さんが歌を唄ってるフィルムを観たことがあります。青森テレビが何年か前に流したやつです。すごかった」
「尻の穴まで知られてる感じですね。あれも同じです。一見して歌の道に邁進している人間でないとわかるので、プロへの門戸は開かれません。いずれにせよ、ぼくは野球選手だということです」
「よくわかりました。みんな傑出した才能を遠ざけて安心して暮らしたいんですね。仕事柄、キャストの神無月さんのことは徹底して調べました。お母さんの話は前知識があったのでショックじゃありませんでした。しかし、いまの話はショックでした。万能を許さない日本人の気質を突きつけられたようで」
 松田恒治が、
「よくわかる話でしたよ。私も出版物はよく読みますが、賞と名のつくものはほとんど読みません。質が低すぎるので。賞というもののなかった時代の文学作品はすばらしいものが多いですな」
「賛成です。その人たちのことを考えたら、ぼくの文章など小学生の作文です。書かせてもらえるだけありがたいと思っています。数字に与える賞は喜んでいただきます。数字は曲げようもない能力の証ですから」
 拍手が上がる。焼き物。馬ロースのプレート焼き。私は天草産車海老の焼き物。
「もうお馬はたくさん」
 百江は隣のプロデューサーに代わりに食べてくれるように言う。足がつらいのか、横坐りになる。プロデューサーは喜んで引き受ける。海老と野菜の天ぷら、カサゴの唐揚げとつづけて出てくる。ファミリアのカメラマンが、
「神無月さんは花にも詳しいですねえ。この松屋もほうぼう花で飾られてますけど、すぐわかるんでしょうね」
「はい。ほとんどこの季節の阿蘇の花ですね。玄関前はごくふつうにドラセナ、入ってすぐのほんのり黄色い花は、キバナアキギリ。深い森に咲く花で、静かでさびしい雰囲気がいいですね。廊下にあった縦長の白い房状花はオオバショウマ、上下に唇がめくれるように紫の花弁が開いていたのはハグロソウ、薄紫に群がっていたのはシオン、野原の代表的な花で、万葉の花でもあります」
 耕平が、
「ああ、紫野行き標野(しめの)行き、ですね。額田王の」
「はい、紫野というのはたぶんシオンの咲く野原だと思います。シメノは御料地のことです」
 中介が、
「あかねさす紫野ゆき標野ゆき野守は見ずや君が袖振る」
 恒次が、
「どういう意味かね」
「天智天皇と天武天皇と額田王との三角関係の歌です。君というのは大海人皇子、つまりもと夫の天武天皇。この歌を詠った当時はもう大海人皇子とは別れて、大化の改新で有名な彼の兄、中大兄皇子、つまり天智天皇と結婚してました」
「ほう、それで兄に隠れて御料地のシオンの咲く野原でデートしたわけだ。もと夫との不倫だね」
「はい。そんなに袖を振ったら見張りの人に見られて、二人の関係がばれちゃうじゃないの、という歌です。じつは天智天皇もいる宴会の席で詠まれた歌で、むかしの男女関係がいかに大らかだったかの証拠の歌でもあるんです」
「さすが中介くんは知識人だ。神無月さん、この部屋の床の間の花は何ですか」
「枝のあるハナカズラを中心に、サワギキョウ、タンナトリカブトと紫系でまとめて活けて、底のところにシラヤマギクの白でコントラストをつけてあります」
「たまげた! 底知れない人だ」
 たまたま飯物を運んできた仲居たちが思わず拍手した。白米、地蛸飯、高菜飯と分かれる。香の物がつく。マツダ組は田楽盛りもついた。私は高菜飯だった。恒次が、
「こんな愉快な飲み会なら、毎日やってもいいね。しかし私たちは仕事人だ。仕事に精を出さないと」
「はい!」
 全員で返事をする。ビールのやり取りが止み、盛んに箸が動く。止め椀。馬汁。百江はだご汁。平たい団子、大根、里芋、にんじん、ごぼう、しいたけ、野菜たっぷりの味噌仕立てだ。一口すすらせてもらう。
「うまい!」
「私のもどうぞ」
 社長が田楽の小鉢を差し出す。里芋田楽をつまませてもらう。
「うまいですね」
 と愛想を言う。恒次社長はうれしそうに、山崎につがれたビールを飲む。山崎は身を乗り出して私にもつぐ。社長は、
「私も七十四歳。そろそろ道を後進に譲って、社のイメージを若い清新なものにしようかと考えております。おととしまで、球団創立以来十八年連続Bクラス。恥ずかしながら日本記録ですよ。去年三位になり、オーナー就任四年目にして、ようやくAクラス入りを果たしました。今年は一転して最下位。しかし、とつぜん力をつけた衣笠と、今年台頭した新人山本浩司が、もっとも刺激を受けた選手として神無月さんの名前を出しておりますし、またチームのほとんどの選手が、さらに広島ファンの多くが、神無月さんに絶大な好意を寄せていることが無差別アンケートでわかり、私個人のファン意識を超えて、今回のコマーシャルに神無月さんを登用することは、わが社のイメージアップにつながると確信したわけです。一部の熱狂的な広島ファンは怒るかもしれませんけどね。衣笠や山本浩司では清新のイメージに欠ける。でき上がったフィルムを見れば、ファンもわかってくれるでしょう」
 サバサバした顔で言う。私は、
「根本監督にチームの基礎作りをゆだねたとき、全試合負けてもいいんだとおっしゃったとか」
「はい、言いました。そしたら最下位になってしまった。ハハハハ。私は根本くんを買っているが、周囲の風向きがだいぶ変わってしまった。理屈をこね回すだけで力が伴わない男だ、と悪口を言う。しかし根本くんは、チームを劇的に変えたいときは人を変えるのがいちばんだと進言してきた。来年はヘッドコーチに関根潤三くん、内野コーチに広岡達郎くんを迎える予定です」
 山崎が、
「関根くんは、根本くんが学生のころから近鉄時代にかけてバッテリーを組んだ親友です。その親友が連れてくることになっている広岡くんは、元巨人軍の名遊撃手です。来年は変わってくれるでしょう。神無月さんにとっても手応えのあるチームにね」
 雑談が三十分も賑やかにつづき、デザートになった。
「菊池市産のゆべしでございます。百三十年つづく手作り製法です」
 餅の食感。嗅ぐと竹の香りがほのかにする。噛み応えがよく、甘すぎず、わずかにユズの風味がある。
「おいしい……」
 百江がポツリと言う。中介が、
「このゆべしをみなさんへのお土産にいたしました。ご家族でお召し上がりください」
 もう一度松田恒次が私にビールをつぎ、飲み干すと、耕平がついだ。飲み干す。山崎がつぐ。飲み干した。座の全員がにこやかに拍手する。この一年で、ビールなら五、六杯飲んでもたじろがないからだになっている。中介が立ち上がり、
「日本はもちろん、世界プロ野球界ナンバーワンの誉れ高い大選手、神無月郷さんをお迎えして、ファミリアロータリークーペSSコマーシャル出演の感謝会、予定の三時間があっという間に過ぎました。有意義でかつ楽しいお話が飛び交い、神無月選手のお人柄も垣間見え、まったくもって充実した三時間でございました。松田社長はじめフロントのみなさまは言わずもがな、私どもにとってもじつに名残惜しくはありますが、これからも二度三度と神無月選手とテーブルを囲むことができますようにと願いながら〈今年度〉はこれをもちましてお開きにいたしたいと思います。ご列席ありがとうございました」
 大拍手。プロ野球のような手締めはない。立ち上がり、みんな廊下に出る。一人ひとり私と百江と握手して、それぞれの部屋へ去っていく。プロデューサーが、
「素晴しいものに仕上げて、正月一月一日からお目にかけます。楽しみにしていてください。本社は東京の港区ですが、東京でお会いするチャンスがあったときはよろしくお願いします」
「こちらこそ」
 私は松田恒次と握手するとき、
「ご長命を祈っております」
 と言った。まさか余命一年とは知るよしもなかった。
「ありがとう。またお会いできることを楽しみにしています。来年は、中日戦はできるかぎり観にいきます。ほんとうにお会いできてよかった。目と心が洗われました。じゃ、また来年」
 私の肩に手を置いた。中介は私を抱き、
「ありがとう、心から感謝する。末永い付き合いをお願いするよ」
「こちらこそ」
「新庄さん、神無月のお世話をよろしくお頼みします。またお会いしましょう」
 みんな印象深い目と表情で握手して去った。人はこうして、たとえ初対面同士でも先の命を約束して別れる。先の命は保証できないので、頻繁に会いたくなる。得体の知れない気分がよぎった。頻繁に会っていない人たちへの気がかりだ。早く青森の女たちに会いたくなった。早く会い、そうしてまた遠く離れ、しばらくのあいだ罪の意識を忘れてすごしたい。


         二十四 

 百江を誘ってトイレにいき、溜まっていた小便を出す。遅れてトイレから出てきた百江に、
「水前寺公園にいってみよう」
「はい。……あのパンティを穿いてます」
「わかった。その気分になったらしよう」
「はい」
 フロントに降りて、夜の公園を散歩したいと告げると、
「園内は暗いですが、ところどころ庭園灯は点いております。これは園内案内パンフレットです。お持ちください。阿蘇の伏流水が湧き出している池がきれいですよ。富士山や阿蘇の山々を模したミニマウンテンは、夜分ですから目を凝らさないと見えないでしょうが、ご想像なさってお楽しみください。遊歩道からなら夜でも見えるでしょう。茶店等は六時で閉店しております」
 女子従業員が律儀に言う。
 夜道を左手に出てしばらく歩き、出水神社祈願専用入口という看板の立った細い裏道に出る。狛犬を門代わりにしている。細道へ入る。左は水前寺公園の金網柵、右は大きな体育館の駐車場になっている。路灯はいっさいなく、闇に近い。手を握り合い、木立から遠く洩れる薄明かりを頼りに歩く。
 表示杭に北参道と彫られた小さな空き地に出る。管理人のバラックらしきものはあるが、灯りが点いていない。小さな石鳥居の前を左に折れる。立派な社殿が並んでいる。賽銭箱もある。手に持った案内図を薄明かりに照らし見ると、出水(いずみ)神社とある。小砂利を切って敷かれた石畳を歩く。石灯籠、石鳥居がシルエットになっている。前方に、園灯を反射している池の面が見える。
 おみくじ棚のほうへ曲がらずに、鳥居をくぐって池の端に出る。なるほど、案内図の写真にある築山の影が四つ、五つ池に浮かんでいる。こちらからの巡り道が茫洋と暗いので、おみくじ棚の道へ戻り、手をつないだまま砂利道を歩く。百江の掌がじっとりと汗ばんできた。
「あ、興奮してる」
「はい……この二日間はひっきりなしになると思います」
 スカートの下に手を差し入れると、あのパンティの中心にすぐ触れる。指が溺れるほど濡れている。お百度参りの赤いくぐり鳥居が折り重なって並ぶ稲荷神社の傍らに、異物のように公衆トイレがあり、その裏手が立木の群れで真っ暗だった。三鷹の映画の帰りにトシさんと交わった便所裏の暗がりに似ていた。
「あそこでしちゃおう、バチ当たりかもしれないけど」
「バチは当たらないと思います。悪いことではありませんから」
 トイレの裏手は真の闇だった。足もとが乾いた感触の土だったので、二人でズボンとスカートと下着を脱ぎ落とし、下半身だけ裸になる。立木に手を突かせ、後ろに回って腹や尻を撫でる。百江は後ろ手に私のものをいとしそうに握る。
「うれしい……硬い」
「すぐ入れるよ」
「はい。ください……」
 百江は両手でしっかり細い立木の幹をつかまえる。私は深く挿し入れる。濡れて熱い膣がグッとつかむ。百江は声を抑えて細い声でうめく。
「う、いい気持ち、神無月さん、愛してます……とっても気持ち、あ、いい、だめ、一度イキます、イ、イ、イクイク、イク!」
 すぐに熱い締めつけと痙攣がやってくるが、百江はアクメの発声をしないで、グンと背中を反らせる。何度か痙攣がつづく。往復を激しくすると、猛烈な緊縛が返ってくる。逃がさないように両手でつかまえている腰が、何度も自動的に前後する。百江は苦しげに幹を叩きながらつかむ。真っ白い尻の前後運動がトシさんのように忙しくなる。連続で達しているので摩擦がするどい。たまらず私は百江の硬く収縮する腹をむんずとつかみ、射精した。
「ウククク! イックウウウ!」
 悲鳴のような声がほとばしり出た。両手を幹に突っ張った背中が硬直する。私の律動のたびに膣が脈打つように蠕動する。律動が止むと、会話のように蠕動も間歇的になる。やがてそれはすっかり消えて、強く包みこむだけの膣になる。引き抜くときの刺激を期待しながら離れると、百江は反射的に何度か痙攣し、それからようやくからだ全体を鎮めていく。股間から夜目に白く精液が流れ出す。百江はしばらくその格好で精液を流し切り、幹から手を離し、振り返って抱きついてくる。固く抱きしめる。百江の裸の腹に私の用ずみの性器が当たる。百江は屈んで隅々まで舐める。私は髪を撫ぜてやる。
「今夜も、あしたも、何度でもするよ」
「はい、ありがとうございます。……何とお礼を言えばいいか」
「何に?」
「この喜びに」
「ぼくもうれしいからオアイコだよ」
 百江は足もとに落ちている穴開きのパンティを穿き、スカートを穿く。闇の中でぼんやり微笑んでいるのがわかる。私もパンツとズボンを拾って穿く。ふたたび手をつないで、疎らな松並木の下を歩き出した。湿っていた手が、熱く乾燥したものに変わっている。左手にさっき見た富士や阿蘇を象った築山があった。池に浮かんでいたのではなかったのだ。ミニチュアの裾野を一周する。細川なにがしの大きな二体の銅像を見てから、下り坂の遊歩道に入る。細い池から広い池になる。遠くビル街の窓明かりが見える。
「すばらしい集まりでしたね」
「うん、やさしい人たちばかりだった。真剣に生きてる人はやさしい」
「美しい神無月さんに、みなさん一日じゅう感動してました。花を覗きこむ横顔はふるえるほどきれいでした」
「二人の子持ちとはご存知あるまい」
「ふふ、尻の穴まで調べたといっても、そこまでは無理でしょうね」
「いずれわかることだけど、恥ずかしいことじゃない」
 遠く離れた築山をちらちら眺めながら歩く。築山に植えられているのは桜と松で、遊歩道の樹木はほとんど梅とモミジだ。池は井の頭池よりも小さい。園灯に照らされた岸に紅白のキンギョソウが生えている。鯉や金魚や小魚が泳ぐのがほのかにわかる。
「お馬さんの肉は一切れも?」
「食べられなかった。どうしても潤んだ目を思い出してしまう。おセンチだけど、頭痛がきちゃうから仕方ない」
 小さな石橋を渡る。
「ん? 何だ、あの古くさい小屋は」
 パンフレットを見ると、古今伝授の間と書いてある。二、三行の説明書きが暗くてよく見えない。近づいて見ると、ただの藁葺き小屋だ。看板に重要文化財とある。
 表門へ出る。食い物屋や土産物屋の連なる商店街。開いている店は一軒もない。味千粒麺、はやしのいきなり団子、からし蓮根、馬刺し、うなぎ、みそ天神万十、ビリヤードという看板も見える。はやしのいきなり団子というのはどんな団子だろう。
 そろそろ十時になる。九州記念病院という大病院を右折して、武家屋敷のような天理教支部の白壁塀に沿ってもときた道に出る。松屋本館の玄関の灯りが煌々と輝いている。
「お帰りなさいませ。いかがでしたか?」
「神秘的な散歩でした。水の美しさまではよくわかりませんでした」
「朝もやの中で見ると、もっと神秘的ですよ。……あのう」
「はい?」
「この色紙にサインをいただけないでしょうか」
 現実に引き戻され、自分が野球選手であったことを思い出す。
「いいですよ」
 差し出されたサインペンでスラスラ書く。
「ありがとうございました! 自宅の鴨居に飾らせていただきます。一家が大ファンなもので。特に熊本商業で野球をやっている弟が、寝ても醒めても神無月さんなんです」
「熊商か! 江藤さんだ」
「高倉照幸さんもそうです」
「弟さんの名前を書きましょう」
「わァ、喜びます。弟の一生の宝になります」
 ××くんへと、言われた名前を書く。
「ほんとにありがとうございました。ところで、あしたの電車の時刻でございますが、午前の鹿児島本線熊本発は、九時四十二分、十時二十七分、十一時三十三分と三本ございます。出水行でも川内(せんだい)行でもかまいませんが、ほとんど八代行なので、それに乗って八代で乗り換えるのがいいと思います。熊本から肥後田浦まで一時間十分ほどです。あしたは晴れの予報です」
「ありがとう。熊本駅へはどうやって出るの?」
「国府一丁目まで出て、市電でいくこともできますけど、タクシーのほうが早いです。十七、八分かかります」
「九時に、玄関に一台呼んでください」
「かしこまりました」
「貸切風呂は?」
「ご予約をいただいておりますので、お帰りしだい三十分以内に電話でお呼びいたします」
 鍵を受け取り五階へ上がる。すぐに風呂に入り、からだを流し合う。
「風呂から上がったら、あしたの予定を立てよう」
「はい。熊本駅で駅弁を買っていきましょうね」
「うん。田浦ではあてもなく歩き回るんじゃなく、字小田浦二二九七を目指さなくちゃ」
「本籍を憶えてたんですね」
「うん。東大の入学書類に戸籍抄本が入ってたから」
「楽しみですね。夜中まで帰ってくればいいんですから、たっぷり時間があります」
 ベッドでは唇を合わせながら、しっかり正常位で交わった。百江は高潮の中で意識を失った。         
         †
 十一月十一日火曜日。朝方ひどく冷えこむ。しばらく百江の肌を離れられなかった。
 ルームサービスの朝食を畳のテーブルでとる。イサキの切り身焼、明太子、若竹煮、冷奴、香の物、水前寺菜の自家製湯豆腐、味噌汁。さっぱりと美味。
 おたがい排便をし、シャワーで洗う。たっぷりグラスを受けたせいで、いつもより強めの下痢便だった。旅支度を整える。と言っても、チェックのワイシャツ以外はきのうと同じ服装だ。百江は例のパンティをきょうも穿き、ボックスのティシュをたくさん抜いてハンドバッグに詰める。千佳子のカメラも入れた。そのバッグを小脇に持ち、私は手ぶらでフロントに降りる。
「いってらっしゃいませ」
 玄関へ出ると、高い青空。すでに迎えにきていたタクシーに乗ろうとすると、褐色の顔をした三十代の運転手があわてて降り、玄関に見送りに出ていた仲居の一人にカメラを渡して頭を下げた。いっしょにお願いします、と私に最敬礼する。快く引き受け、彼の肩に手を回す。パチリ。
「ありがとうございました」
 何度も何度もお辞儀をする。百江が笑っている。
 名古屋にひけをとらない三車線の大通りに出て、市電が走っていることにあらためて気づく。ホッとする。真っすぐ進めば熊本城、右は県立劇場という標識を左折する。
「なんもなか街でっしょ。スーパーとか予備校ばっかできよってですね」
「いやあ、立派です。東京は極端ですが、名古屋とはほとんど変わりません。市電が最後の砦です。市電がなくなると、車だらけのゴミゴミした街になります」
 疎らな低層ビルの街並を見やりながら言う。白山という交差点を左折。疎らなビル街。石でできた郊外。
「ぼくは熊本県で生まれたんです」
「はい、選手年鑑で見て知っちょります。熊本のどちらですか」
「田浦町小田浦です。きょうはその町を歩きます」
「田浦は御立岬(おたちみさき)公園で有名な町ですたい。熊本県でいちばん大きい砂浜が海水浴場になっとります。キャンプ場もあります。葦北牛、甘夏、タマネギが特産ですばい」
「ふだんはさびしい町なんですね」
「はあ、夏以外はだれも寄りつかんです。海っぱたの貧乏農村ですけん、テレビもほとんどなかでしょ。神無月さんがいっても、たぶん正体も知られんばい」
 十分ほど走り、氾濫原の広い白川を渡る。標識のない交差点を右折。疎らなビルの中にとつぜん駅舎が現れた。大きくない。市電が二、三台停まっている。バス乗り場から、青と赤の襷模様のバスが出ていく。全体に華やいだ雰囲気はなく、ロータリーも閑散としていた。私は百江から千円札を受け取り、三百二十円の料金に、釣りはいらないと言って払った。
「それはいけません。お帰りになったら、この名刺の熊本タクシーに連絡をください。美津田と言えば無線で私につながります。市内しか流してないので、すぐお迎えにあがりますけん。そのときの料金に、このお釣りば充てることにしましょう。写真、引き延ばして額に入れて飾ります。ありがとうございました」
 辞儀をして去っていった。大時計は九時二十五分。百江がバッグからカメラを出してパチリとやる。カメラを受け取り、同じ背景で百江も撮る。



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