二十五 

 あまり広くない駅舎の出入り口から構内に入る。靴磨きがいる。めずらしいが、磨いている暇はない。福屋という書店がある。ポケットに天の夕顔があることを思い出す。カメラ屋があったので、百江は三十六枚撮りのフィルムを一つ買った。百江は出札所で肥後田浦までの切符を買った。
 小振りな改札を抜け、三番線ホームに上る。ホーム二つ、レール三本。それにちょうど見合った人模様だ。ポツリポツリしか立っていない。心地よい冷えた空気が吹き抜ける。売店で駅弁のウインドウを見る。阿蘇赤うし弁当、鮎屋三代、天草地鶏めし。
「鮎の甘露煮が一匹載ってるのか。これにしよう」
 百江は迷わず赤牛弁当。やがて四角い顔の電車が入ってきた。鹿児島本線普通列車八代行。乗りこむ。空いている。二人掛け転換シートが並ぶ清潔な車内。一車両に一つトイレがついている。百江と向き合って座る。窓から射しこむ光に照らされた顔が異様に美しい。
「日に日にきれいになるね」
「神無月さんのおかげです。セックスをすればするほど、年齢と関係なく若返りホルモンが出るそうですから」
「きょうもうんとホルモンを出さないとね」
「はい」
 ガラガラの車内なので遠慮のない話ができる。
「お父さんは田浦から出ていったんですか」
「そこがよくわからないんだ。芸者のサトコという女と川の字に寝た家がどこにあったのか。いくら図々しいサトコでも、あの偏屈な爺さん婆さんのいる家には入りこめないと思う。バクチ場もどこにあったのかわからない。あの運転手が言ったようなさびしい農村に芸者がいるはずがないし、バクチ場もあるはずがない。とにかく小田浦は西松建設があった場所だ」
「知りたいんですね」
「母の作り話でなく、ほんとうの話をね」
 列車が出て五分もしないうちに、遠くにポツポツ農家が見えるだけの田舎の原野になる。十個目の駅が八代、乗り換えに六分、六個目が肥後田浦、合わせて一時間十三分。検札に回ってきた車掌に確かめる。車内アナウンスに混じるゴトンゴトンという車輪の音が快適だ。私があの母の子宮から吐き出された町に向かっている。川尻、宇土(うと)、有佐(ありさ)、停車するどの駅も野辺地駅のように見える。終点八代。同じホームの反対側へ移動して川内行に乗り換える。
「まだ十時二十分だ。弁当は田浦駅のベンチで食べよう」
「はい。近づいてきましたね」
「うん、いよいよだ」
 前面の山並を屏風にして走り出す。単線。切り通しを通ってトンネルを抜け、大きな川を渡る。百江がバッグから小さな熊本の地図帳兼パンフレットを取り出す。
「球磨(くま)川です。球、磨く、と書きます。熊本県最大の川、最上川、富士川と並ぶ日本三大急流の一つ」
「そんなもの買ってたんだ」
「はい、さっき売店で。田浦で役立つと思って」
「ありがとう。このあたりの流れは緩やかだね」
「そうですね」
 山が間近に迫る。山沿いに走る。肥後高田。農家ふうでない民家が固まり、そして散在する。長く、長く、単線がつづく。不意にレールが増える。日奈久(ひなぐ)温泉。
「ヒナグ温泉。聞いたことないなあ」
「種田山頭火が愛した温泉と書いてあります」
「ふうん、そうなの。熊本に落ち着こうと思った時期もあったみたいだけどね。結局旅に出ちゃった。このみちや、いくたりゆきし、われはけふゆく」
 ふたたび単線になる。トンネル、樹木、トンネル、緑、海!
「ついに海だ」
「はい!」
 左に山、右に海。国道を隔てて、つかず離れず海。ひたすら海。
「不知火(いらぬい)海です」
 複線になる。列車待ち合わせの停車。上田浦(かみたのうら)。出発。海、トンネル、その繰り返し。国道の隔てがなくなり、海に接する。御立岬(おたちみさき)を貫通する長いトンネル。光の中へ出る。緑。海がない。山が屏風になる。たのうら御立岬公園。
「次ですよ!」
「うん―」
 広い海が戻ってくる。複線。民家が多くなる。肥後田浦到着。
「着いた!」
 大きな複線の駅だ。数人の乗降客がある。一人がけの椅子が何脚か並んでいたので、百江と腰を下す。周囲の緑を見渡す。少し風があるが、冷えるというほどではない。駅舎は木造で大きい。
「何時?」
 百江が腕時計を見る。
「十一時三分前」
「昼には早いけど、歩き回るだろうから食っておこう」
 弁当を出して広げる。鮎弁当。包み紙に球磨川で採れたアユと書いてある。弁当の中心にぷっくりと身の詰まった鮎の甘露煮。齧る。川魚特有の生臭さがなく、柔らかい。鮎の下に炊きこみごはん。鮎のダシが効いている。
「齧ってごらんよ、この鮎」
 箸でつかんで百江に差し出す。口で受けて齧り取る。
「おいしい! 私のも食べてください。すき焼きふうですよ」
「きょうは、肉は遠慮しとく」
「きょうも、でしょ?」
 少し内陸に入っているので海は見えない。百江がめしを食みながら、パンフレットを読む。
「駅が大きいのは、隣接している工場の貨物取り扱いが盛んだからだそうです」
 ゆっくり弁当を食い終え、改札を出る。野辺地駅より小さい待合室。長ベンチが四脚。売店はない。駅員に訊く。
「小田浦というのはどのあたりですか」
「この駅の周囲ぜんぶ小田浦です。広いですよ」
 タクシー運転手の言ったとおり、駅員も私に気づかない。彼らにとっての有名人はNHKの朝のドラマに出る俳優か、紅白歌合戦に出る歌手にかぎられる。少なくとも、プロ球団のない土地では闊歩できる。ここも歩きやすそうだ。
 表へ出る。ああ! とため息の洩れる町並だ。目の前に、軒が崩れ落ちそうな岩本商店という名のしもた屋が鎮座している。たばこ・切手・印紙・菓子・飲物の看板。店先は薄暗いが立派に営業している。その右に田浦タクシーという軒看板があったので、歩いていく。二台の駐車空間があり、一台出払っている。煙草を吸っていた運転手に、
「小田浦二二九七はどのあたりですか」
 と訊くと、もの静かに真っすぐ道なりの彼方を指差す。礼を言い、二人で歩き出す。眼鏡をかける。どの家も古い。瓦を載せた白塗り塀の民家、ガラスの引き戸を十枚ほど連ねたモトショップ、小汚い鮮魚店、モルタル二階家の理髪店、だだっ広い資材置場。そこからは二階建ての古民家が延々とつづく。ときおり自販機がある。倉永整体研究所。小庭に大燈篭だけを建てている民家。すべて片側を丘にした崖沿いの建物だ。崖に椿が咲いている。崖が途切れ、道が二股に分かれたので、もう一つの丘のほうへ進路をとる。信号でまた二股。今度は山手の道は先のほうで行き止まりのようなので、幹線道路を進む。家が建てこんできて、また二股。民家の軒先に立っていた老女に、
「二二九七はどのあたりですか」
「二千二百台はこのあたりやな。そこの角を河原川(かわらがわ)に沿って右へくだっていない」
 礼を言う。右へくだる細道の電柱に二二三九とある。百江と顔を見合わせ微笑み交わす。幅三メートルほどの小川に沿ってくだっていく。道沿いの家がすべて戸の前に樹木を生やしているが、葎(むぐら)になっているものが多い。番地を標示する電柱が見当たらない。家々の屋根にテレビアンテナが立っていないことに気づく。川が堰き止まり、四たび二股。右手は山裾の幹線道路、左手は猫がうろついている古民家が一軒きり。あれはちがうと直観が囁く。道を引き返す。もときた幹線道路にスーパーのような商店があったので、ごめんくださいと入っていき、奥から出てきた五十年輩の女に、
「すみません、ちょっとお尋ねしたいんですが」
「はあ、何でしょ」
「このあたりに神無月という苗字の家はありませんか」
 と訊いた。
「はいはい、ありますよ。そっちゃん道をくだっていってみなっせ。すとしゃが突き当たりにありますわ」
 あっけなく答え、店の斜向かいの隘路を指差した。
「ばってん、もうだあん住んどりませんたいた。去年までは、神無月さんのご両親と妹さん夫婦が住んどったばってんが。男の子も一人おってな。ご隠居さんらが亡くなって、妹さん夫婦とお子さんは、神戸さん、つんのうて越していったぎな」
 あの爺さんばあさんが死んだのか。あのころ六十歳ぐらいの夫婦だったから、生きていれば七十代半ば。死んでもおかしくない齢だ。
「そこの家は、神無月大吉という人の家ですか」
「はいはい、大吉さんが住んどった家でばいた。実家は熊本市の大江町でな、東海カーボンの工場建設のあるけん、一人で田浦に越してきて、ううか建設会社の建築士かなんばしよって、いい給料取りでな、田浦がごろっと気に入って、そくの安普請の家を買うたと」
「結婚もここで?」
「おうよ、戦時中に北のほうの軍需工場で知り合うたやらゆうて、きれいなお嫁さんもろうて、二年目に子供も生まれてな……」
 胸が打ちはじめた。
「田浦に呼び寄せたんですか」
「迎えにいかんしゃったばいた」
「そのボンタン飴ください。ここで食べていいですか」
 店の奥に小上がりのような畳の縁があったので、そちらを見つめながら尋いた。
「どうぞ。お茶いれましょ」
 小上がりへ導きながら、
「おたくさんらは神無月さんのお知り合いのかたですか」
「ぼく、神無月大吉の息子です」
「あやァ! 息子さん! ほなら、あんた、キョウちゃんね?」
「はい。二十歳になります」
「やれ驚いた! そう言えば、大ちゃんによう似とるわ。武者(むしゃ)んよか男ばい。そちらさんは?」
 百江は困ったふうに微笑み、
「付き人です」
「ぼくは旅行記のようなものを書く仕事をしていまして、こちらは編集部のかたです。ふるさとを訪ねる旅をするということで、同行していただきました」
 百江はバッグからカメラを取り出し、それらしくパチリとやった。
「ほうね、ライターさんね」
「はい、雑誌の」
「赤さんのころから目の明かりがよそとちごうとって、キョウちゃんはえろうなるゆう評判やったで。がんばっておやんなさいよ」
「ありがとうございます」
 たまたま入ってきた地元の客の応対に奥から出てきた主人が相手をしながら、ちらりと振り向く顔で私たちに愛想を使った。聞こえていた話に興味が湧いたようで、客が帰ったあと、小上がりの奥のテーブルへ誘い、茶をいれてきた。
「お聞きしたいんですが、父が勤めていた会社は、西松建設と言いませんでしたか」
「そうそう、西松建設やった。会社のみなさんが内輪で大吉さんの結婚式ば挙げてくれなさったとき、おどんらも呼ばれたばいた」
 謎が解けはじめた。私と百江は茶をすすり、オブラートに包まれたボンタン飴を頬ばった。
「母はここに嫁にきて、二年目にぼくを産み、それから半年のあいだに父が芸者を連れこんでひどい生活になり、父がその女を連れて出ていった……」
 主人が、
「ふん? そりゃとつけむなかソラゴツばいた。大ちゃんは女なんか連れこんどりまっせん。スミちゃんとほうらつか喧嘩したことのあって、大ちゃんはいっとき大江のほうに避難ばしたとですよ。大江にはご両親と、弟さん妹さんが住んどんなはったばいた。ばってん、キョウちゃんの身が案じられて気のせくけん、俺家(おるげ)に頼んで、近所のサトゆう子守ば雇んなはって、スミちゃんにつけたとですばい。しばらく頭を冷ましてきますゥ言って、苦しか笑いして会社の車に乗って大江さんいかんした。なにさま、夫婦仲がほうらつかこつ悪かて評判やったけんな。あのころは、ようグデングデンに酔(え)えくらって帰ってきとったばいた。もともと大ちゃんは気持ちのまっすんか人でな、挨拶は丁寧やし、ご近所の手伝いもようしてくんなはって、町内会でも不快(ふゆか)づらせんと、町の将来なんちゅう話ばして、なんでんかんでん走り回ってくんなはってなァ。スミちゃんとは、反りが合わんゆうんやろか、いつかるしじゅう怒鳴り合っとるゆう噂やった」
「バクチと女が原因だったんじゃないんですか」
 女房が、
「そうゆう話は聞いたことがなかばいた。歌がうまいのは有名やったけんが。このあたりでも飲み友達がイサッカおってな。こん人も大ちゃんとよう付き合った口たい」


         二十六

 主人は私たちの湯呑みの茶を捨てて、新しい茶をいれた。
「この町には、鉄火場とか、芸者置屋とかありますか」
 主人が、
「ないばいた。まずヤクザ屋さんがおらんばな。こんな貧乏村でんシノギにならんけんな。置屋もなか。芸者ばあげて騒ぐなんちゅうことは、都会のおかたのやるこったい。ワシらの楽しみゆったっちゃ、町民会館の飲み会と、盆踊りぐらいのもんばいた。ラジオはあったっちゃ、テレビのある家は二軒か、三軒かでっしゅ。そう言うたら大ちゃん、建築士見習いばしとったころ、市内のヤクザ屋さんの家の設計ばしたことがあって、そんとき白山の賭場を見学させてもらったっち言うとったばいた。華々しか雰囲気やったばってん、恐ろしかったち言うて」
 賭場の話は母が父から聞いて、見てきたように記憶したものだったとわかった。どんな話が飛び出すか恐ろしくなってきた。
「父は芸者と出ていったんじゃないんですね」
 女房が、
「そりゃソラゴツたい。大江からときどき戻って、戸張のサトちゃんに子守の給金渡しとったけん。サトちゃんはとつけむにゃあやさしかメッチョコで、スミちゃんにどぎゃん邪険にされても、むきゃらんと飯炊きにかよいつづけたけんな」
「その人は戸張サトコというんですか?」
 主人が、
「戸張サト。ここから二十軒ほど先の、阿蘇神社のそばの甘夏農家の末っ子ですばい」
「小太りの人ですか?」
「おお、肥えとった。仏さんみたいな顔してな。サトは西松の臨時雇いで、飯場の飯炊きをしとったんやなかったかな」
「ほうよ、大ちゃんば好(し)いとって、いつも気の毒がっとった」
 百江が息を呑んだ。すべてわかったのだ! 母の話は何から何まででたらめだった。
「そのうち、スミちゃんはあんたば連れて、だれにも言わんと夜逃げごたる格好で、どけか北のクニさん帰ってしまったとばい」
「青森です」
「そぎゃんね。ご両親と大吉さんは何度も里に手紙ば書いたげな。ばってん、なしのつぶてばいた。スミちゃんが帰ってきたらいけん言うて、しょうこつなしに大江の家ば畳んで、一家で田浦さん越してきたんさった。工期ば終わった西松が引き揚げるゆうことになって、ええささ大ちゃんのツテで大工仕事をもらっとったお父さんの商売が傾いてまった。大ちゃんも西松ば辞めて、ソウル高専時代の友だちから建築事務所の仕事ば誘われて、横浜にいくことになったとよ」
 脈絡がすべてつながった。胸がいちどきに晴れ上がった。
「父はいい人だったんですね。その父にサトさんはついていったんですね」
 女房がやさしい顔でうなずき、
「ご両親と、ケンゾウさんヨシノさんは、じゅつなく大江の家を売った金で静かに暮らしとったけんが、そのうち、ヨシノさんを家守に置いて横浜へ出ていきよりました。二年ほどでご両親とケンゾウさんは横浜から田浦に戻ってきんしゃった」
 ケンゾウというのは、あの空気入れパンク男だろう。彼を横浜まで連れていったのは、頭の弱い子が不憫だったからだと思う。高島台の鹿島建設の飯場にあの爺さん婆さんが金の無心にきたというのは母の作り話で、もとの鞘に収まるよう説得にきていただけのことだろう。サトにはいつでも身を引く心準備があった。もともと父が気の毒で同伴者になっていただけだから。サトは父を愛していた。だから、その間に起きた男女のことは不可抗力だ。
 爺さん婆さんが私に少し意地悪く当たったのも、短気でわがままで気まぐれな母を憎んでいたことから出た行動で、息子の私がちょっとしたとばっちりを食ったというところだろう。崖の家にしばらく二人で彼らと同居したのは、おそらく彼らの音信で父の居場所を知った母が、あと先考えずに離婚という形で決着をつけるためにやってきた横浜に、母子の当座の棲み家がなかったからにちがいない。破傷風は―たぶん父には電報を打っていないし、爺さん婆さんにも報せていないだろう。
「ヨシノさんは、その二年間は一人ぼっちだったわけですね」
「ご両親が、財産のほとんどを置いていったけん、何不自由なく暮らしとったばいた。お絵描きさんでな、ご両親と弟さんが戻ったあと、ここの地区長の神崎さんゆう人に気に入られて結婚して、ねきの子供たちに絵を教えとりましたわ。男の子も一人生まれてな」
「サトさんは横浜にいったままですか」
「はあ、大吉さんと暮らしてらっしゃると、戸張の惣領さんから聞きもした」
 私たちは茶をすすり終え、
「長々とありがとうございました。ここを訪ねた甲斐がありました。ところで、ぼくは家の中で生まれたんですか」
 主人が、
「はい。このあたりはみんな産婆さんが取り上げますけん。キョウちゃんは、目も口も鼻もまん丸な、お人形さんのような子でしてな、どげんこやらしか子になるやろてみんなで言うとったばってんが、まぶしいくらいのよか武者になりよったですね。あれから二十年かいた? よう訪ねてくだはりました。余計なことかもしれんばってんが、書きものの調べ物で必要なものがあったら、ここに連絡ばくだはいよ。わからんことは近所に聞いて回りますけん」
 すでに女房が店の住所と電話番号を書いてあった紙切れを渡す。
「ありがとうございます。そういうことになりましたら、かならず連絡いたします」
 女房が、
「これ、うちで作っとる手作り山菜弁当。うまかよ。持ってらっしゃい。お金はいりませんけん」
 二つ紙袋に入れて手渡す。もう一度礼を言って二人で深く頭を下げ、店を出た。
「―奇跡だね」
「はい」
「ここまで奇跡がつづくと、夢から醒める暇がないね」
「醒めないでいましょう。野球選手だと気づかれなかったのには驚きました」
「テレビの影響力はすごいものだけど、二、三台しかないんじゃね。……生まれた家を見て帰ろう」
 道を渡り、隘路へ入っていく。道なりに下って曲がりこみ、突き当りの空間に出た。瓦屋根のコの字形の平家が建っている。曲がり屋に囲まれた土地は草木の植わった庭ではなく、人の出入りで打ち固められた土だった。母屋のカーテンは取り外され、ガラス戸が剥き出しになっていた。覗きこむと、畳を取り払った薄暗い板の間の天井から、用途のわからない長い紐がぶら下がっていた。
「廃屋だ。これが父の住んでいた家なんだね。ぼくはこの家で生まれたのか。探ってみると、なんだかあっけないものだ」
「ほんとに。人を尋ね当てたならきっと味があるんでしょうけど、尋ね当てた場所は味がないですね。さびしいだけで」
 屋根の間近に小山が迫っている。しばらく見上げ、踵を返した。二十年間さだめなく揺れ動いてきた想いがこれで一つところに落ち着いたと思った。
 ―あっけないものだな。
 阿蘇神社までいってみることにした。右手は刈田と温室と小山の連なり、左は空地混じりの家々と、奥に刈田と小山。野辺地の農道のほうが数倍賑やかだ。道端に石造りの小さな鳥居。すぐ内側に、左右が箱部屋になった門がある。
「これは随神門と言って、神域を護る神さまが祀られるものです。こんな小さい神社ではめずらしいです」
「右は神さまか仏さまがあぐらをかいてるようだけど、左は天狗の面だよ。鼻がちゃんと陰茎(サオ)の形になってる。この境内でしなさいということだね。しようか」
 百江がニッコリ笑った。境内が広いので道路に曝されないような隠れ場所はない。ひとまずあきらめる。本殿には賽銭箱もなく、神社の由緒の書かれた看板も読む気がしないので、樹齢三百年と立て看のあるアラカシの巨木を見てから、道路へ戻る。眼鏡を外してあたりを見回す。神社の裏手の小森へ登っていく小径があったので、二人でたどっていく。すぐに小暗い森になった。
「やっぱりしなさいということなんだな」
 百江が抱きついてくる。前割れのパンティに指を入れる。準備が整っている。
「気を失っちゃったらどうする?」
「前からキスしながらすると、うれしすぎて気が遠くなりますけど、後ろからだとオマンコだけものすごく気持ちがよくて、イキッぱなしになります。気は失いません」
「好きなだけ大声を上げていいよ。周りにぜんぜん家がないから」
「はい」
 精液で汚れないように、スカートだけを脱ぐ。その上にバッグと、もらった山菜弁当の紙袋を置く。私もズボンとパンツを枯れ草に脱ぎ捨て、下半身だけ曝す。百江は大木に掌を突いて尻を向け、まくり上げたシュミーズを腹前で縛る。両脚を広げると、尻の穴は見えずに、黒いパンティのあいだに濡れそぼった小陰唇と、ピンクの前庭と、白く光るクリトリスだけが見える。乾いている亀頭を溝にこすりつけて湿らせ、挿入する。百江はたちまち腹を絞り、
「神無月さん、イク!」
 と一度気をやる。腰を止めず、
「イキつづけて」
「はい、あ、あ、あ、イクウ!」
 グイグイ締まってくる。
「あ、ああ、イクイクイク、イックウウ!」
 挿入口の周囲の黒い布地にグッショリ愛液が滲みてくる。脈動し、痙攣するたびに私を握り締める。こらえられない。
「あ、あ、大きくなりました、うれしい! 好き好き、愛してます、い、いっしょに、神無月さん、いっしょに、あああ、愛してます! イ、イ、イックウウウ!」
 ドクンと吐き出し、瞬間、強烈に握り締められた。
「イ……グウウウ!」
 連続の握り締めのせいで私は勝手に律動し、勝手に吸い取られる。最後の吸い取りをさせるためにクリトリスを押し回す。
「ああああ、神無月さん、オマンコ気持ちいいィィ! イックウウウ!」
 クン、クンと吸い取る。それからの数十回の収縮に性器を預ける。百江の尻の痙攣以外のものの動きはいっさいない。物音もしない。見上げると梢の奥の空が高い。
「百江、愛してるよ」
「うう、ありがとうございます、もったいない」
 痙攣が間歇的になっていくこの数分は至福の時間だ。女体の神秘と人間の奥深さと愛を全身で感じられる。抜き去ると、百江は名残の気を数度やり、大股を広げてしゃがんで精液を搾り出した。肩を撫ぜてやる。百江は振り返り、枯れ草に膝を突いて私のものを清潔にする。
「ごちそうさまでした。死ぬほど愛してます。……オシッコしていいですか」
「うん。ぼくもする。ぼくのほうを向いてね」
「はい」
 ピンクの割れ目から小便が噴き出す。私も百江の目の前に陰茎を突き立てて、少し彼女の頭から逸らした方向へ、尿道が狭く感じる放尿をした。百江はしゃがみながらその曲線をうれしそうに見上げた。一対の奇妙な図を写真に撮るわけにいかないので、目のシャッターを切る。百江は股間をティッシュで拭い、濡れたパンティを脱ぐと、丸めてバッグにしまった。シュミーズを腹から解き下ろす。
「ノーパンだね」
「はい、こっちのほうがスッキリします。私がイクだけで神無月さんが出さないなら、私が跨って電車の中でもできます」
「いいね、それ。ぜったい声を出さないでね」
「はい。何回かイッたら、抜いて神無月さんのオチンチンをきれいにします」
 悦びを分かち合ったからだが、数分後にはふつうの歩行を始める。森を出、短い坂を下って、空地だらけの道を田浦駅まで歩く。赤いポストを見やりながら駅舎の玄関に近づく。事務所の引き戸のようなドアから天井の低い待合に入る。壁の時計は十二時二十三分。簡素な時刻表を見上げる。八代行は一時間に一本。二十九分の電車が迫っている。百江がすぐに切符を買う。駅員にホームを尋き、跨線橋を渡って、滑りこんできた電車に乗る。きたときよりも銀色の強い車体だ。座席も少し古ぼけている。客は二組ほど。
「弁当は熊本城で食べよう」
「それがいいですね!」


         二十七         

 列車が動きはじめる。大きな駅舎と、小田浦の町を見納める。百江もじっと眺めている。家並と小山しか見えない。
「……信じていたとおりのお父さんでしたね」
「うん。サトさんが父についていってくれたのは救いだった。サトコじゃなく、サトだったんだね。母は名前までぼくにでたらめを教えてた。父は同僚を一度か二度家に連れてきて麻雀を打ったぐらいだろう。麻雀は強かったかもしれないけど、時計を置いていけとか、背広を置いていけなんて言ったはずがない。小さいころは、豪気な父がそういうことを言うのも、正当な勝負をした結果なんだから無理もないと思ってたけど、やっぱり下品なことだよね。意外と父は麻雀が弱くて、そんなことを言われた側かもしれないな。友だちを自分から家に誘ったなら、女房に簡単な食い物を用意させるのはあたりまえのことだ。それを人非人みたいに言って……。ヤクザの賭場にも出入りしていなかったじゃないか。おまけに、最終的に出ていったのは母のほうだ。そのころはきっと、サトさんと肉体関係はなかったような気がする」
「きっとそうですよ。お話を聞いたところからすると、隠れてそういうことができる人じゃありません。お母さんが出ていってすぐに、サトさんから誘って関係ができたと思います。……結婚して二年目に神無月さんが生まれたというのも、オヤと思いました。男と女が好き合っていたら、きょうの私たちみたいに、のべつ幕なしになります。子供はすぐできるはずです。私はもう月のものがないのでできませんけど……。サトさんはお父さんの子供を産んでいると思います」
「父が性の悦びを知ったのも、サトさんでだろうね」
「まちがいありません。いま、お父さんは幸せです」
「よかった。きっとどこかでぼくのことを見てるだろう。感じなくてもいい罪の意識を感じながらね」
 田浦の海。樹木。山。見納める。入江が現れ、御立岬が望まれる。小山の裾の御立岬公園駅。かなりの人が乗り降りする。長いトンネル。広大な海に沿って走る。父と母は北で出会って結ばれ、この南の自然の中で暮らした。悲しいほどの気質のちがいから、二人は険悪な仲になり、その仲たがいが、一人を不幸な嘘つきに、一人を幸福な孤独者にした。
 穏やかな波が打ち寄せる海岸沿いを走りつづける。上田浦。ホーム一つの複線。すれちがい待ちはなし。
「へんな帰巣本能から、自分の生まれた場所を確かめたかっただけなんだ。父と母の事情なんかどうでもよかった。いまもどうでもいいと思ってる。ただ、知ったということは大きいね。サトか……かつて気に入ってた人たちを偲ぶことができた。大きいできごとだ」
 肥後二見、日奈久温泉。同じ車両の客がぜんぶ降りた。私はズボンとパンツを膝まで下ろし、百江の手を引いてスカートのまま跨らせる。滑らかに入る。
「あ、イッ……」
「次の駅まで何回イクか、オマンコの痙攣を数えるね。百江は自分の意志で動かしちゃだめだよ。ぼくがイッちゃうから。イケばお尻が勝手に動くのでイキつづけられるよ」
「はい、ううん、イク!」
 国道沿いに列車が走る。十五回まで数えた。私が危うくなってきた。パウーンという警笛の音。国道が途切れる。
「あ、神無月さん、大きくなった!」
「どうしよう、百江!」
「だいじょうぶ、イッてください、ティシュで抑えて離れます、あああ、神無月さん、愛してますゥ、イックウウウ!」
 十六回。すばらしい快感の中で射精した。
「あああ、うれしい! イーッグウウウ!」
 十七回。口づけをして声を飲みこむ。百江はしっかり抱きついて、スカートを揺らしながら激しく痙攣する。それから八回、アクメの収縮がつづいた。
「二十五回だよ」
「は、はい、うーん、イックウウウ!」
 二十六回。それを境にアクメではない強い脈動だけになった。まだ次の駅はやってこない。ドキドキする。
「ああ、だめ、神無月さんが入ってるとイクのが終わらない、ううう、イク!」
 二十七回。私はその格好のままいざって、バッグのそばへ近づいていった。それが刺激になってまた痙攣する。二十八回。私は手を差し伸べてバッグを取り上げ、百江に渡した。ふたたび痙攣がくる。二十九回。百江はようやくティシュを取り出し、スカートに潜らせた。尻を持ち上げて引き抜き、ドッカと椅子へ離れた。スカートの下の股間を押さえ、椅子の背に反り上がって激烈な痙攣をする。三十回。目を固くつぶり、あいだを置きながら尻を何度も突き出す。
 三十五回まで数えた。肥後高田(こうだ)に着いてしまった。幸いなことに乗客は一人もなく、車両移りの客もいない。私は性器を曝したまま百江に寄り添い、口づけをした。しばらく痙攣が止みそうもないので、バッグからありったけのティシュを取り出し、自分の性器を拭い、下着とズボンを穿き戻した。それからもう一度添いかけて抱いた。ふるえが止むまでしばらくそうしていた。
「四十回以上イッたね。いつも大勢と交代交代でするから、一度にこんなにたくさんイッたことなかっただろう。つらかったね」
 ようやく目を開け、
「いいえ。明石でもこうまではなりませんでしたし、こんなにたくさんイッたのも、止まらなくなってしまったのも生まれて初めてですけど、苦しいほどイッたあとの深い幸せがよくわかりました。お嬢さんがよく止まらないとおっしゃってましたけど、身をもって……すみません。あられもなく興奮してしまって。神無月さんとこんな格好でしたのは初めてでしたので。……お口をもらうとからだのふるえが止まらなくなるんです」
 私から恥ずかしそうに離れ、上体を肘掛けに凭せてスカートの下でゴソゴソやり、ティシュを取り出すと、私の使ったティシューといっしょにパンティにくるんだ。それから赤らんだ顔を笑顔でいっぱいにしながらバッグにしまった。
 八代に着いた。乗り換える。車内が人で少し華やぐ。車窓の風景も変わり、山並が遠ざかって人家が多くなる。もちろん田圃も混じるが、すぐ民家の群れになる。熊本という都会が近いのだ。田浦から熊本まで一時間十三分。ストレスを感じないで通勤できる。一時間少々というのは、東京ではあたりまえの通勤距離だ。
 いつのまにか完全な複線になっている。松橋(ばせ)。御立(おたち)岬といい、日奈久(ひなぐ)といい、高田(こうだ)といい、読み方が特殊だ。青森の野辺地(のへじ)、弘前(ひろさき)、千曳(ちびき)、古間木(ふるまぎ)も似たようなものか。三厩(みんまや)、驫木(とどろき)、艫作(へなし)、風合瀬(かそせ)などというまったく読めないような地名も県内に散らばっている。高円寺、新宿、板橋、池袋のような見たとおりの読み方をする都会とはちがう。難読の文字を目にすると、都から遠く離れた土地にきたという感じがする。
「マツダの宣伝を引き受けてよかったね」
「ほんとに。田浦にいく計画を立てたことが吉兆でした」
 宇土(うと)。ウドと読みたくなるが、土地という字を考えればウトと読めないこともない。川尻。西熊本。複線どころではなく、レールの数が何本にも増えていく。分岐する線路の要となる熊本駅に到着する。
 小さな駅。百江は構内の店で熊本城のガイドブックを買った。ロータリーに出て、眼鏡をかけ、タクシーに乗る。
「熊本城へお願いします」
 人は出発したところへ戻るとホッとするものだけれども、なぜかここに戻ってきてもホッとしない。長く、そして、深く馴染んだ出発点でなければ安堵の効果はないということだろう。熊本はこの二日間、浅く馴染んだだけだ。むろん、たとえむかし深く馴染んだとしても、時間が隔たりすぎてはいけない。五年前、野辺地に帰ったときに安堵を覚えなかった理由はそれだ。ひろゆきちゃんやさぶちゃんを横浜に訪ねたときでさえ、心は安らがなかった。どちらも十年以上の空白があった。
 名古屋。十歳から二十歳までの十年間、無理やり引き離された二、三年を除けば、私は名古屋にしつこくまとわりついてきた。そこには友情と、野球と、性愛という運命的な経験があり、心やさしき人びとがその経験を芯のある幸福なものにした。
 運転手が私に話しかけたそうにしている。窓の外を見てとぼける。電話をしてくれと言った運転手にすまない気もしたが、旅はどうだったかなどという会話が面倒だ。百江もわかっている。カラッとしたビル街を市電といっしょに十秒で抜ける。ここにもホテルニューオータニがある。やがてビルのほとんどない背の低い古風な街並を走る。祇園橋という小さな橋を渡って北上する。呉服町、米屋町、鍛冶町。名古屋と同様、商武一体となった命名だ。熊本人の父はこの古びた町に生を享けたのだ。そしてこの道を歩き、市電にも乗っただろう。
 洗馬橋という名の橋を渡り北上をつづける。少し繁華になる。船場花屋という三階建の豪壮な建物は、蕎麦屋だった。
「そろそろ着きますよ」
 数分も無言でいた。加藤清正の銅像の前で降ろされる。百江が料金を払う。
 とんがり帽子の像を見上げながら百江が訊く。
「加藤清正という人は何をした人なんですか?」
「さあ、知らないな。ガイドブックに載ってない?」
「築城の名手としか。……あ、載ってました。安土桃山から江戸にかけての武将、豊富秀吉の家臣、秀吉没後は家康の家臣、熊本藩初代藩主……」
 外堀に架かる行幸橋という名の橋を渡る。熊本城の麓に立つ。《←熊本城》の標識に従って、だらだら坂を登る。道の両側は枝ばかりの桜の木。春は桜の名所だな。石積みの城壁がある。ここから熊本城なのだろう。城壁沿いに左折。熊本城公園という立て看があるが、ただの沿道の狭い緑地だった。そんなことはあり得ないので、城の区域一帯をそう呼んでいるのかもしれないと考え直す。かなりの数の人びとが通りかかる。城壁の折れ曲がる角に小型の城が載っている。明石城の知識でそれが城形の櫓(やぐら)だと知っている。百江がガイドブックを見ながら言う。
「未申櫓(ひつじさるやぐら)です。この櫓と、石垣のあっちの角に見える元太鼓櫓(もとたいこやぐら)で仕切られた内側の土地が奉行丸。元太鼓櫓の向こうが西大手櫓門になってます。丸というのは、城を構える区画のことを言うようです」
 未申櫓から石垣に沿って歩き戻り、行幸橋につづく坂を登る。
「南大手櫓門です。守りやすく攻めにくいと書いてあります」
 石垣の上の板塀に開けてある銃眼をぼんやり眺めているうちに、だんだん興味がなくなってきた。
「石垣のことを武者返しと言うそうだよ。城の取りっこや壊しっこなんかして、何がおもしろかったんだろう。天下を取るなんて格好いいこと言って、ただ勢力争いのための喧嘩が好きだっただけだね。喧嘩に勝てば人を牛耳れる。理屈はそれだけだ」
「何がほしいのかよくわからないところがありますね。人の家に押し入って、この家をよこせなどということはふつうあり得ませんものね」
「うん。男も女も権力闘争がほんとに好きだ。権力は長もちさせるのが甲斐あることだから、結局は長生きして威張りたいやつの娯楽だ。世界の歴史は、喧嘩が強いと名を残せる仕組みだからね。喧嘩の強いやつとの仲良しこよしやイガミ合いの関係を調べて楽しむのが、歴史という学問じゃないの」
 私は坂の上下を眺めやり、
「どこが入口だかわかりゃしない。名古屋城みたいにスッキリしてないな。もう城なんかどうでもいいから、そのへんで弁当食べよう」
「はい。二の丸広場が入園無料になってます」
 未申櫓へ戻り、道なりに歩いて二の丸広場に入る。西大手門と元太鼓櫓の背後に天守閣の見えるベンチに腰を下す。
「城見物にはここでじゅうぶんだ」
 ダンスをしたり、写真を撮ったり、綱を渡して独楽を回したりしている人びとがあちこちに群がっている。百江は紙袋から取り出した二つの山菜弁当を膝の上に広げる。スカートの下にシュミーズ以外何もつけていないと思うと、性懲りもなく屹立してくる。百江に示すと、
「まあ! もうしばらくがまんしてください。とにかくお弁当を食べましょう」
「うん」
 ごぼう、にんじん、エリンギ、しめじ、油揚げ、コンニャク、蓮根などを混ぜて炊いた山菜飯に、焼き鯖の切り身と梅干が添えてある。割箸までついている。百江と箸を打ち合わせてイタダキマス。鯖から食いはじめる。
「ホー! うまい!」
「ごはん、おいしい!」
「冷えたごはんは最高だ!」
「熱々もおいしいですよ。これは特別」
「ハハハハハ」
「ホホホホ」
 めしを食う。山菜の歯ざわりと醤油加減がなんともすばらしい。親切な夫婦の顔が浮かんだ。梅干。ほんの少し噛む。
「すっぺえ!」
「ホホホホ。神無月さん、大好き!」
「ぼくも百江大好きだ。ハハハハ」
「ホホホホ。もう、いつ死んでもいいです」
「ぼくも」
「だめだめ!」
 めしの量が多すぎる。二人とも三分の二で終了。捨てるに忍びないので、夜食にする。
「めしを食っているうちに萎んじゃった」
「え? 少し残念」
「百江のを触るとすぐ勃つから心配ないよ。場所を探そう」
「はい!」
「それより、まだイケるの?」
「はい、女は百回でもイケるんです。それに後ろ向きなら、あんなに狂うようにはなりません。キスされて前向きだと、とことん狂います」
「快感と愛情がいっぺんに押し寄せちゃうからだろうね」
「そうだと思います」
「野外は後ろ向きの場所ばかりだから、OKだ」
 百江はバッグを脇に抱え、紙袋を提げてあたりを見回す。人の大勢いる広々とした場所だ。
「ここはだめだね」
「ええ、だめですね」
「ノンビリいこう」
「はい」




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