三十七 

 股を広げて見ると、少し陰核が小さくなっている。
「そんなふうに見られると、ほんとにかわいがられてる気がします。終わったあとのオマンコなんか、見てくれる男はいません。……ありがとうございました」
 抱きついてきた。彼女の膣の温かさを思い出し、ふたたび屹立した。それが腹に当たり、
「ああ、うれしい」
 やさしく握って、私に覆いかぶさり、口を吸いながら腰を落とす。予想した温かい空間へ滑りこんでいく。
「愛してますゥ……」
 すぐに達して倒れこみ、唇を押しつけながら痙攣する。私は彼女の尻をしっかりつかんで、自動的に動く陰阜が打ち当たるようにする。際限なく衝突する。
「イクイク、だめ、イク! ウウ、うれしい! 神無月さん、いっしょに、あああ、イクウウウ!」
 うねってつかみかかる膣の中で私はしっかり射精し、律動し終え、どこまでアクメがつづくのか引き抜かずに様子を見る。ついに、
「神無月さーん……」
 細い声を発して脱力した。尻は自動的に跳ねているが、口の端からよだれを垂らしている。私はそっと腹を持ち上げて離れ、傍らに横たえた。幣原は意識もなく腕を伸ばして胸にすがり、ふるえつづける。ティシュで口を拭いてやった。
 調度を見回す。田舎くさい絞り染めの布が垂れた鏡台、化粧品がきちんと並んでいる。異様に背の高い箪笥、丸くて小さい卓袱台、おしゃれのつもりで引いたのだろう、レースのカーテン、十四インチの白黒テレビ。そして、これも背の高い書棚には、料理関係の本や雑誌がぎっしり並んでいた。西洋机や文机はなかった。いつも寝転んで読むのだろう。胸に置いた腕に力がこもった。小皺のある目が、いとしげに私を見つめていた。
「神無月さんがみなさんにとってどれほど大切な人か、つくづくわかります。そんな大切な人にこうして抱いてもらえるなんて……。愛してます、死ぬほど」
 幣原照子はそれから、口で数分かけて私のものを清潔にした。下着をふつうのパンティに穿き替え、最後にディープキスをして部屋を出た。彼女はそのまま台所へ後片づけに入った。
 座敷へいくと、主人と菅野が注しつ注されつしていた。カズちゃんたちも百江の配った鬼まんじゅうを齧りながら、ケラケラ歓談していた。女将が私に小声で、
「ありがとね、神無月さん」
 と言った。百江が、
「神無月さんも食べて」
 ゴツゴツした黄色いかたまりを齧ってみると、見た目ほど甘くない。
「うん、いける」
「角切りのさつまいも、小麦粉、砂糖の三つしか使ってないんですよ。一般家庭でも作れます。さつまいもの皮は剥いたほうがいいですね」
 ソテツが、
「ホットケーキミックスで代用しないで、ちゃんと小麦粉を使ったほうがいいんです。渋みのあるお茶をお供にするといいバランスです」
 カズちゃんが、
「幣原さんも呼んでらっしゃい」
「はい」
 睦子と千佳子が幣原といっしょに厨房に立って洗い物をしていた。
「ほんとに、幣原さんはセックスを恥ずかしがるんだから。女は一人の男に操を堅くしさえすれば、恥ずかしがることは何もないのよ。その男にうんとかわいがってもらったら晴ればれした気持ちでいなくちゃ」
 九時五分前。トモヨさんとイネを除いた全員が座敷のテレビの前に集まり、神妙に放送の開始を待った。
「どうせ何日かしたら再放送があるやろ。トモヨとイネにはそう言っとけ」
 主人はソテツに言うと、あぐらをかき直して画面を見つめた。千佳子と睦子に挟まれて幣原も坐っている。NHK特番の文字がまず浮かび上がり、スポーツ番組らしくない重々しい音楽が流れた。音楽が途切れ、私のインタビュー映像が出た。素子が、
「きゃー、きれい!」
 ナレーションの前に私のインタビュー映像が入った。
「答えが見つからないままいつも打席に立ってます。今度は打てないんじゃないかという恐怖心が、いつも心の底にあります」
 ナレーションが追いかける。
 ―天馬、怪物、鬼神と称され、飽くことなくアンエクスプロアード・レコードを積み重ねる大天才神無月郷にとってさえ、バッティングの奥は深すぎて見えないのだ。答えが見つからないからこそ生まれる独自の神無月流打撃術。彼のバットから放たれた打球はどこまでも飛んでゆく。
 主人が睦子に、
「アンエクスプロアードって何や」
「前人未到です」
 ―東大を中退して、ドラフト外でありながら鳴り物入りで中日ドラゴンズに入団した神無月郷は、開幕と同時にホームランを量産しつづけた。彼の打ったホームランは、なんと百六十八本! それは人知を越えた数字であった。六打席連続ホームラン。これもおそらく永遠に破られない記録だろう。天より駆けくだったと言われる神無月郷、今年二十歳。だれもが認める美丈夫である。今シーズンのプロ野球は、この美しく逞しい男、神無月郷で明け、神無月郷で暮れた。しかし、時の人である彼の生活の実態は謎に包まれたままである。むろん練習の実態も入手できるフィルムから想像する以外に手立てはない。
 中日球場での三種の神器や、倒立腕立て、片手腕立て、ポール間ダッシュなどの映像が流れる。久屋公園での素振りの映像は、ミズノから許可を得てコマーシャルの一部を借用したものだろう。
 ―別段神無月が強いて秘密のベールを垂らしているわけではない。秘密にしたいことがあるわけではなく、マスコミの取材を極端に嫌うからだ。試合後のインタビューも、十中八九すたこら逃げ出してしまう。幸い実践映像は豊富にあり、希少なインタビュー映像もわずかながら残っているので、われわれNHK特番取材班は、彼がまれに発した言葉を参考にし、さらに専門家諸氏の考察と意見、感想といったものを参照しながら、神の技と讃えられる彼のバッティングの秘密に迫ってみることにした。
「ピッチャーはバッターを塁に出したくないので打ち取ろうとします。三振を取るにせよ凡打で打ち取るにせよ、最終的にボールをホームベースのそばに寄せるか、通過させるかしなければなりません。バットの届く範囲であれば、そのボールを力強くミートする。ぼくのバッティングはそれだけです」
 バットスイングのスローモーション映像。ボールをヒットする全身を映している。外角高目のようだ。ありがたい。成功したときのものか? バットとボールの衝突具合から見て、スコアボードまで飛んだときのものだろう。
 ―フルスイングと確実性、それだけだと神無月は言う。これは科学的には矛盾した言で、フルスイングするとからだがブレやすく、ミート力が落ちてしまうというのが、スポーツ科学専門家たちの一致した意見である。ブレるというのはからだの軸が揺れて安定しないということだ。しかし神無月は、何の疑いもなく、フルスイングでジャストミートすると言う。この一年間に撮影された多くのフィルムを検証するかぎり、からだのブレはほとんどない。彼はブレを恐れず強振するのではなく、ブレずに強振するのである。
 東京教育大学スポーツ科学科の××教授によると、ボールになるコースを打たされることの多い神無月選手のからだは、ブレて当然なのだが、バットを振り出す直前の〈不思議な〉微調整で安定した姿勢にもっていき、するどいスイングを完成させるということであった。強振とミート、両立することが難しいこの二つの要素を、科学者をもってしても不思議と言わしめる天性の微調整でみごとに調和させ、彼は百六十八本のホームランを打ちつづけた。読売ジャイアンツの森昌彦捕手(32)に聞いてみた。
「神無月くんは針が極限まで振れた超弩級の天才です。彼はヤマを張る力もずば抜けているが、予測が裏切られたときの調整力がものすごいんです。神の域です。ピッチャーの配球はストレートと変化球、コースは内、外、真ん中、高さは高、低、真ん中で組み立てられます。彼はそのどれにも予測と調整で、一瞬のうちに反応するんです。泳いだり、ふんぞり返ったりした姿をぼくは一度も見たことがない。百回に二、三回は、落ちるボールを引っかけさせてゴロを打たせたこともありますが、次にそのコースを攻めると確実にホームランされます。引っかけた場合でさえ、フォームは完璧です。いやはやピッチャーにとっては悪魔ですよ」
 屁っぴり腰打法のスローモーションが映し出される。
「ぼくは小学校のころから、外角を責められてきました。ふつうに振ってはそのコースに届かない。しゃがんで、腰を安定させて打つ、しかもフルスイングする、小学五年のころから、何万回となく練習しました。中学一年のとき、椅子から立ち上がれないほど腰が痛んで病院へ連れていかれたこともあります。幸い素振りの数を控えることで自然と治りましたが、十三歳の運動量でなかったんでしょう」
 ―この四股を踏むような打ち方を、本人は屁っぴり腰打法と呼んでいる。この打ち方をする選手は世界に彼一人しかいない。大リーグでもこのフィルムは各チームで何度も流され、まねできない打法として驚嘆されているという。彼はこの打ち方でレフト方向へもホームランを量産する。センターから右と左へほぼ同数打ち分けるめずらしいタイプのホームランバッターである。極真会館会長大山倍達(ますたつ)氏(47)は語る。
「このかたは、打撃フォームの前提となる構えの美しさに比類のないものがある。両足、両腰、両肩の線が正面から見てほぼ平行、かつ、背骨と垂直になっている。これを三重十文字と言って、武道の基本姿勢でもあります。バットも垂直に立ち、傾いていません。次に、このかたは、あごを引いて、上体をほんの少し伏せ気味にしている。これによって上半身の体重が下半身にしっかり残って安定した回転を準備する。次にこのかたはバットを引きつけるときに肩を動かさない。ゆっくり息を吸っているからである。私が今回フィルムを見せていただいた他のほとんどの野球選手は、肩を動かし、タメを作るときに脚や腰を力ませ、からだの一部だけを動かすことによって、バットを振るうえで鍵となる上体の軸を崩していた。静中動。よい姿勢を保つと、止まっている姿勢のときも、からだの中の動作の意識はつづくのである」
 ホームランを打ったときの振り下ろしからスロービデオが始まる。インパクトからフォロースルーまで。
 ―かつて一世を風靡したホームラン打者大下弘氏(47)に神無月郷のフォームを分析していただいた。氏はフィルムを何度も瞠目して見据えたのち、
「左手首がかすかに寝て、そのままスイングに入ります。そこからインパクトへ進むスピードは尋常ではありません。振り抜くまでスローモーションでも見極められない。一瞬のうちに息を最大まで吐いて、いち早く回転した腰のよじれを利用して、ものすごいスイングスピードでボールをヒットしています。振り出しのときに寝ていた左手首がヒッティングの瞬間に九十度返っていることにご注目ください。強烈なひねりです。さらに九十度返ってフォロースルーに入ります。両手でしっかり振り切ります。動作の自然な連続がこのフォロースルーで完了します。野球選手のだれもが学ぶべき一連の動作ですが、だれも学べないでしょう」
 ―プロ野球選手の平均的なバットスピードは、時速百四十キロから百五十キロ前後と言われる。××教授に測ってもらったところ、神無月のそれは百七十五キロから百八十キロという値が出た。異常な数字である。強靭な手首と全身の平衡感覚がないと前腕を骨折する危険性がある、とも教授は指摘した。ちなみに、バットスピードとは打者がバットを振り抜くスピードのことを言い、速ければ速いほどボールを遠くへ飛ばすことができるとわかっている。次に、プロ球界で驚愕の的になっている神無月郷のステップについて探ってみよう。
「いろいろステップするのは、ヤマカンの訂正です」
 ステップのスローモーションが八通り映し出される。すべてホームランを打ったときである、と注が入る。ノーステップ、平行踏み出しステップ、インステップ、アウトステップ、インアウト呼び戻しステップ、アウトイン呼び戻しステップ、いざり前進ステップ、いざり後退ステップ。
 ―いつも身近に神無月選手を見ている木俣選手にご登場いただいた。捕手という務め柄、打者のステップには常に関心を払っていると言う。
「俺たちのステップには一つか二つのパターンしかないけど、金太郎さんは組み合わせステップなんだ。だから泳がない。ぜったいまねできない点は、その組み合わせをやりながらきっちり割れ(下半身のひねり、とテロップの注が入る)を作っているというところだよ。ちょっとやってみればわかりますよ。ステップを組み合わせながら、腰をひねろうとするの。腰の筋やられちゃうよ。筋肉が極端に柔らかいゴムの腰だね。遠心力でホームラン打ってるんじゃなくて、そのゴムの捩れと反発で打ってるのよ。ノーステップや屁っぴり腰で打てるのもそのせいだよ。こうなると、天才というより、野球の神でしょ」


         三十八

 ―いよいよ飛距離に話を進めよう。バットスピード以外の秘訣があるにちがいない。
「ボールを遠くに飛ばすことは中学生のころまでの目標でしたが、高校時代からちがってきました。ボールの中心点の少し下を叩き、ライナー性の軌道で、質のいいバックスピンをかけられるかどうかを意識するようになりました。つまり、芯を食う、というやつです」
 ボールとバットの接点が超スローで映し出される。
 ―彼の打球はとにかく遠くへ飛ぶ。フィルムで見るとおり、ボールの内外・高低に関わらず、十本のうち七本はボールの中心のわずか下を叩いて強烈な逆スピンをかけている。真芯に当てない精密機械の眼を持っているということだ。高いフライもゴロも少ない秘密がここにある。甲子園を含め、これまでの場外ホームランはすべて上昇するライナーだった。
 ―三振九個。神無月郷は今シーズン五百六十三打席四百九十七打数で、九つしか三振をしていない。世界を含めて、歴代五本の指に入る三振の少なさである。なお、三百打席以上の最少三振記録は六個で、坪内道典(ゴールドスター)、川上哲治(読売ジャイアンツ)、酒沢政夫(大映スターズ)が記録している。
「三振? 来年は何倍にも増えます。ぼくはボールゾーンを打つ宿命を背負わされたバッターなので、そのゾーンにいま以上の工夫を凝らされたら、必然的に空振りや打ち損ないが多くなるでしょう。フルスイングはやめません」
 キッコが学校から戻って、みんなで観ているテレビに私が映っているのを見ると、カバンを提げたまま立ち尽くした。カッコええなあ、と呟いてテレビの前に座った。
 ―神無月郷の最大のライバルと目されている江夏豊投手(21)にお話を伺った。彼は、神無月が喫した九三振のうち二個を奪い、被本塁打も凡打に打ち取った回数も最多という華々しい対決を繰り広げてきた阪神タイガースのエースピッチャーである。
「神無月くんはね、バットの届かないボールゾーンのスイング率が圧倒的に低いんですよ。かろうじてバットが届く、それでいてボールゾーンを振ってくる。こっちはそこでしか勝負できませんからね。ストライクゾーンは百五、六十キロでもほぼ確実に打たれちゃいます。とにかく眼がロボット。来シーズンは、球速のあるボールゾーンの効果的な出し入れで勝負します。三振が少ない? そりゃそうでしょう。だって野球知能の高いロボットだもの。それこそ止まって見えるんじゃないの。少なくともスローで見えるぐらいの球を放らなくちゃ。これじゃぜんぜん分析になっとらんですね。分析って一つのパターンを見つけることでしょ? むだ、むだ。神無月くんにパターンなんかないです。ただ気迫でいくしかないの。どんなときも全力で打ち返してくれるからね。彼のことを考えるだけで、野球人生がうれしくてたまらなくなりますよ」
 短打、長打の映像が連続して映し出される。ベースを蹴って回り、足から滑りこむ自分の姿を見るのが爽快だ。
「ホームランと三塁打はある種、僥倖のようなところがあるけど、ヒットと二塁打はほとんど狙って打ちます。その意味では、ホームランよりも特技です」
 ―神無月郷はシングルヒットから三塁打までのヒットも量産する。ホームラン百六十八本のほかに、百三十一本の長短打を放っている。総合して、四百五十七打数二百九十九安打、打率六割五分四厘。これが今年の彼の打率である。ホームランしか打たなかったとすると、三割六分三厘。今年三割四分五厘を打った王貞治と打率がデッドヒートになった可能性がある。むかしから打者は三割打てれば御の字と言われ、実際、日本プロ野球史上でシーズン四割を記録した選手はいまだに現れていなかった。四割バッターを過去二十四人も輩出している大リーグでさえ(四割四分零厘が歴代一位)五割を打った打者は一人もいない。最後に、かつて高打率打者で何度も首位打者に輝いた読売ジャイアンツの川上監督にご登場いただいて、この点を伺ってみよう。
「野球というのは投手有利の特性を根本的に持っております。これはマウンドからホームベースまで十八メートル四十四センチという距離と大いに関係しております。時速百四十キロメートルで投じられたボールがホームベースまで到達する時間は○・五秒、百五十キロなら○・四四秒、それ以上ならとんでもなく短い時間になります。その短い時間にボールがやってくる位置を予測し、判断し、高い精度でバットスイングをしなければならない。三割打てば大打者というのはそういう理屈からです。どうやれば高い精度のスイングができるか、その理論はいまなお科学的に究明されておりません。つまり、三、四割が限界点という理屈は証明されていないとも言えるわけです。その理屈は思いこみにすぎなかったということです。プロ野球人はその思いこみに長年甘えてきた。神無月くんはみごとにその思いこみを打ち破った最初の人物です。プロ野球界発展のために、私は彼の高打率に感謝しています。これからは選手一人ひとりが、四割、五割を打つよう努力する時代になるでしょう。神無月くんの業績を突きつけられて、三割を誇れなくなったわけですから。しかし、打率もさることながら、王くんの三倍も打ったホームランは常識を破ったというレベルではない。まぎれもなく、天から閃いて落ちてきた驚天動地の落雷です。こればかりは人的な努力で追いつける代物ではない。来年半分に減ったとしても、八十本でしょう。それすらこの先、世界じゅうのだれも破れない本数です。ことホームランに関しては、彼はプロ野球界を改革しなかった。落雷のような衝撃を与えただけです。その衝撃で、江藤くんは七十本を打って大リーグ記録を凌駕した。そこまでですよ。これからのホームランバッターの目標は、江藤くんを超える本数になるでしょう。神無月くんはそれに頓着なく天上の別の軌道を走りつづければよい。言ってみれば、彼のホームランはまさに神から与えられた芸術作品です。私たちプロ野球人ばかりでなく、ファンたちの至上の楽しみ、喜びとして、虚心に鑑賞することにしましょう。その意味では、つまり、娯楽的な国民行事である野球に揺るぎなき芸術性を与えてくれたという意味で、神無月くんの功績は巨大であると言えます」
 ―神無月郷のバッティングの分析結果は、大いなる謎として伝説の世界に属することになった。未来の分析に託して功あるかどうかはわからない。川上監督の断言するような芸術的達成として認識し、喜び、楽しんで鑑賞せよという言葉を重く捉え、これからの神無月郷を虚心に受け入れていくしかない。
 ただ、彼が与えてくれた教訓が一つある。立ち上がれないほど腰を痛めた人間的経験の先に、神技があったという一点である。私たち〈正常な軌道〉をいく人間にとってそれはかすかな希望である。最後に、神無月郷のバッティング哲学をひとこと披露して、このドキュメンタリー番組を終えることにしたい。
「きた球を打つという相手に合わせた打撃ではなく、予想した球を打つという自分に合わせた打撃をしているだけです。無心に打てるほどぼくは大物でありません」
 インタビュー映像の背景に、ホームランを打つ私の姿が正常なスピードで何コマも映し出されて、番組が終わった。座敷じゅうが大喝采になった。カズちゃんが、
「微妙に謙虚なんだから。でも本心なんでしょう。そこがすごいわ」
 菅野が、
「神無月さんのバッティング技術だけの特集というのは初めてでしたね。まあ、人格云々をコメントされるより、神無月さんには気分のいい番組だったんじゃないかな」
「川上監督があそこまで認めとるなら、あれが球界全体の意見ということやろな。神無月さんも救われたわ」
「ホームランを打ちすぎて反感を持たれたり、飽きられたりしてるんじゃないかと心配してましたもんね。そんな馬鹿なことはないと、私と社長が慰めたんです。やっぱり神無月さんの考えすぎでしたね」
「考えすぎとは思わないし、そうされることを悲しんでるわけでもないんです。水原監督やドラゴンズの仲間のような身近な人たちも口をきわめて褒めてくれるけど、それで大勢の人たちの反感と食傷が解決されるわけじゃありません。でも、それはどうしようもないことなんです。押美スカウトと、母や岡本所長との対立に象徴されるようなことは、永遠になくならない。思いこみの対立だから、解決されることはないんです。権威ある一部の人がちょっと褒めたぐらいで、そういう対立が都合よく消えるものじゃないと思う。それでもぼくは、気にしたってしょうがない、そんな反感や食傷と関係なく、心を強く持ってホームランを打ちつづけなくちゃいけないという気持ちで、打席に立ちつづけようと思います。身近な人に慰め励ましてもらって、やっとそう決意できるんですけどね。褒めてくれる人は神です」
 睦子が、
「どの世界に、すばらしいことを成し遂げて怖がる人がいるもんですか。……すばらしいことを成し遂げた人を悩ませる人がいるというのは、郷さんにしか見えていない幻だと思います。現実だとしたら、そういう意地の悪い心は一種の病気でしょうから、郷さんは病人の心模様に気兼ねして、不健康なものに同情してることになります。そんなはずないですよね。郷さんは健康な心にこそ感動する人ですから。……病人は病の床に雁字搦めにされて身動きとれません。それが原因で作り出された醜悪な心模様です。それが怖いんでしょう? 見ないようにしてください。何の影響力もない幻ですから」
 キッコが、
「ほうよ、ほうよ。一握りの病人が考えることなんてどうでもええやろう。褒めてくれる健康な人に素直に褒められたらええねん」
 睦子がまぶたを拭った。カズちゃんが睦子の背中をポンポン叩き、
「もどかしいでしょう? その一握りが、十五歳から二十歳までのキョウちゃんの人生を決定したんだもの。そしていまも影響を与えてるの。極端なことを言うと、キョウちゃんのシンプルな心には、人間は庶民とエリートと変人の三種類の人しかいないのよ。庶民の代表はお母さん、エリートの代表は西松の所長、変人は自分を愛してくれる人たち。つまり、例外を考えない象徴的な言い方をすると、キョウちゃんは変人以外のすべての人から否定されたと感じちゃうことになるのね。たしかにそういう恐怖心は、冗談みたいに短絡的なものかもしれないけど、キョウちゃんが恐怖してるという事実は否定できないわ。水原監督も、江藤さんたちも、山口くんも、私たちも、それを気の毒に思って懸命に慰めようとする。でも、キョウちゃんの恐怖心はいつまでも消えないの。こうなると解決策はたった一つしかないわ。気にしてもしょうがない、なのよ。そういう気持ちにしてあげるのが、私たちの務め。少し前までは、キョウちゃんは褒められると不機嫌になってたでしょう。西松のやさしい社員たちや押美スカウトに褒められたことを信じた挙げ句、結局悲惨なことになったむかしを思い出すからよ。私たちの真心を信じてなかったわけじゃないの。褒められたり慰められたりすることはとてもうれしかったのよ。このごろのキョウちゃんはそれにすがってくれるようになった。気にしてもしょうがないと口にするようになってくれた。大進歩よ」
 素子が、
「アッタマくるなあ。そういうやつらって、新聞見ても、テレビを観てもあかんのやろ? 八つ裂きにしてやりたいわ」
 菅野が、
「自分の小さな人生観が大事だから、神無月さんの挫折を心待ちにしてるでしょうね。やっぱり思ったとおり大したやつじゃなかったって。……八つ裂きにしてやりたいですね」
 女将が、
「これこれ、焚きつけたらあかんがね。ねえ、神無月さん、そんな人たちの思い出を背負わんと、私たちを背負ってちょうだいや。たしかに、そんなくだらん人たちのために神無月さんは苦労してきたかもしれんけど、がんばってちゃんと克服したんやから、いつまでも幻を見とったらあかんよ。そんな人はもうおらんの。そういうのって、神無月さんのことを大好きで、尊敬して、愛しとる人たちに対するわがままな気持ちやと思わん? いつか神無月さん言っとったやろ、有卦に入ったって。しばらくお風呂みたいに有卦に入っとりや。まんいち有卦から出ていかなあかんことが起きて、野球ができんようになったら、ここでのんびり隠居して、唄歌ったり、小説書いたり、散歩したり、好きなことをすればええがね。神無月さんは小物やないよ。生まれたときからの大物なんやから、みんなで喜んで世話するわ」
 主人が、
「ほっとけんよなあ。長生きしたいわ。神無月さん、ワシらを長生きさせてや」
「はい! ほんとにありがとうございます。グジュグジュつまらないこと言ってすみませんでした」


         三十九

 十一月十四日金曜日。八時起床。曇。十一・三度。カズちゃんたちの姿はない。基礎鍛練のあと、菅野とランニング。椿神社の辻に立つ。
「この鳥居のあたりは、つい何年か前は立ちん坊たちの男の釣り場だったんですよ」
「そうですか。いまはその気配もないな。そこの魚市場は繁盛してるみたいですね」
「株式会社椿魚市場。大きな市場ですよ。うちの厨房の魚と鶏肉はそこから届けてもらってます。戦後は神社の周りに露店を並べただけのものだったんですが、昭和二十五年くらいにそこに木造バラックが建って三十店舗が入りました。新幹線が通って敷地が半分になり、おととし鉄骨のビルになったばかりです」
「あかひげ薬局があることから推察できるとおり、駅西銀座は遊郭目当ての客を当てこんだ商店街という位置づけだったんですよ。駅の東と比べて、この場末感はあんまりですよね」
「大好物です。赤ひげの向かいは、ホルモン屋、串カツ屋、ラーメン屋。いかにもオヤジの溜まり場になりそうだ。駅裏という言葉を用いるのにこれ以上ないほどの迫力がある」
 馴れ親しんだ景色の中へ走り出す。婦人子供洋品きくや。その向かいに、店舗がつぶれて空き地の駐車場になった区画がある。
「則武から竹橋町に跨る区域は、ちょっとむかしの笹島ドヤ街の生活圏でもあります」
「中村遊郭が現役だったころは、この通りも遊客でいっぱいだったんだろうけど、寂れっぷりが容赦ないね」
 中途半端に歩道のアーケードが取りつけられていて、あちこち歯抜けになっている。まだ、優勝や日本一の幟を立てている店もある。むかしながらの服屋や瀬戸物屋が惰性で店を開けている。この通りに買い物客がいるのかどうか怪しい。総菜屋、カメラ屋。
「喫茶すず。初めて発見」
「喫茶店の密度の高さは、名古屋が全国一です」
 マンション建設のための掘り返しが何箇所か。
「あちこちにマンションが建ちはじめて、商店街の風情は年々失われていくだろうなあ」
 味多喜。ここから鬼まんじゅうを買ったんだな。包装洋品のデパートミヤキ商店。中華料理平和園。一度入ろうと思ったきり、一度も入ったことがない。御きもの処玉喜屋、掘り返し、ウバ車と大人のおもちゃの看板が隣同士で並んでいるカオス。住宅街に平然とトルコ風呂があるような土地柄を考えれば、こんな看板を見ても住民たちの抵抗はないのだろう。掘り返し、鮮魚店吉田屋、煤けた壁の鬼頭不動産、たこ焼らいおん堂、理容六浦、掘り返し、駐車場、愛知県麺類会館? 何じゃそれは。杉戸呉服点。古そうだ。中国料理富士。初めて見た。駅西銀座も西端の則武本通三丁目に近づくと、一ブロックまるごとかなり古びた店舗兼住宅ばかりとなる。洋傘卸小出商店。くつの野口。いつも目につく看板だ。店舗がグンと減り、一般家屋と化した一画に出る。宮島電気店、電柱の陰に新幹線駅前商店街という古看板を発見する。
「名古屋の人にとって、新幹線はどうにも強いアイデンティティになってるんだね」
「はい、駅裏にホテル新幹線というボロ宿があるくらいです」
 金時湯。駐車空間が二台分ある。
「昭和三年創業、四十年の歴史を誇ります。木曜定休。むかしはここで一っ風呂浴びてから花街へ出撃したんでしょう」
 裏手の路地に入ってみると、豆タイルびっしりのオツすぎるアパート。二階の造りこみのテラスもカフェ建築のようだ。相当古いのに荒れた様子もなく、住民たちが相当大切に住みなしているのがわかる。
 洒落た床屋があり、銀座出口の両角地に喫茶店もあるが、そのせいであたりが賑わうということもなく、駅裏のオーラがこの区画一帯まで貼りついている感じだ。これでもいちおう、名古屋駅から徒歩圏内だ。喫茶店二軒のうちの一軒、タイル壁の『喫茶るぽ』に入る。
「やっぱり入っちゃいますか。楽しいな」
 新聞を読みながらゆったりとモーニングサービスを食べている人がいる。バナナがついているのがめずらしい。ブレンドコーヒー五十円。菓子が入った小袋もいっしょに置かれた。めったに見かけないサービスだ。封を開けると、アラレ、豆菓子。コーヒーは酸味が薄めで適度なコクがあり、ソフトな口当たりでうまい。飲み終わると、どうぞと言って昆布茶が出てきた。得をした気分で飲む。
 店を出、通りを渡ってさらに西へ。弁当屋、駐車場、掘り返し、旅館、また銭湯。壁一面にマジョリカタイルが貼られている。タイル貼りの建築物が目立つのは、愛知県が製陶業の盛んな土地だからだろう。瀬戸、常滑、多治見……。
「和製マジョリカタイルですね。読みかじりですけど、イギリスのヴィクトリアンスタイルをまねして、大正の初めから昭和の十年ころにかけて日本で生産されたタイルのことです。喫茶店の内壁にも貼ってあることが多いですね」
 そう言えば喫茶ルポの鴨居にもこれに似たタイルが貼ってあった。
「空襲で焼けたのは駅前のほうですか?」
「そうです。空襲で焼けた土地は新しい街、焼け残った場所は時代から取り残された街ということでしょう。それも再開発で少しずつ静かに消えていくでしょうね」
 空き地、駐車場の連なり、鵜飼ふとん店、マンションの連なり、呉服のつたや、駐車場、民家の連なり、旅館浅野屋、たたずまいからして遺構だろう。北京料理和華園、アラヰ時計店、中村畳店、中島郵便局、駐車場、民家の連なり、理容みすず、アパートの連なり、宝石時計スイス堂、民家と空き地の連なり、トルコふぁーすと、マンションの連なり、トルコインペリアルフクオカ、公園、民家、トルコニュー令女、駐車場、民家と背の低いビルの連なり、珈琲トミタ、とんかつジロー、きしめんみやこ本店。
「ここのカツ丼はいけますよ」
「ここまでくるのは遠すぎますね」
「いつか、折があったら寄ってみましょう」
 平野時計店、洋食屋、アパートの連なり、中村日赤。引き返す。
         †
 帰って牛巻坂。昼だけ北村席へめしを食いにいった。戻ってすぐ、ふたたび牛巻坂。
 五時過ぎにカズちゃんとメイ子が戻ってきた。牛巻坂を書きながら終日思っていたことを言った。
「カズちゃん、クマさんにどうしても会いたい。信濃観光に電話して、現住所を確かめてくれない? 十二月下旬に会いにいく。会えても会えなくても、一泊予定。カズちゃんもいっしょにいって」
「わかった、調べておくわ。私も会いたい」
「名古屋土産をたくさん持ってね」
「はい」
         †
 十一月十五日土曜日。七時半起床。曇。十三・三度。便に中学生のころのような硬さが少しずつ戻ってきた。基礎鍛練。バーベルは八十キロを三度。素振り、肩、腕、手首の感触を確かめながら無理のない力で三百本。
 カズちゃんとメイ子は休日なので、ファン感謝祭に出かける準備にかかり、百江は一人だけの簡単な朝食のあとアヤメに出勤した。
「私たちアイリス組は中日球場に観にいくわ。百江さんたちアヤメ組はいけない。おかあさんとトモヨさんとカンナもね。直人はお父さんと菅野さんが連れてくって。じゃ先に席にいってるわ」
 菅野と名城公園までランニングのあと、則武に戻らずに北村席へいき、シャワーを浴びて、一家といっしょに朝めし。
 ユニフォームに着替え、用具一式を入れた革袋を担ぎ、擬似スパイクの黒革のスニーカーを穿いて、九時に球場参加組と出発。女将とトモヨさん母子ら、球場に出かけない全員が数寄屋門に見送る。車三台で出発。運転手はハイエースに菅野、クラウン二台にカズちゃんと蛯名。ハイエースには主人、私、素子、メイ子を乗せて計五人。クラウンの一台目には、睦子、千佳子、キッコを乗せて計四人。ここまでがネット裏観戦組で、二台目のクラウンには、松葉会の護衛が計五人乗った。菅野の女房は家の留守番で、秀樹くんは土曜日の半ドン授業でこられなかった。
 九時半、中日球場着。ファン感謝祭の日。どういう催しなのかはまだわからない。関係者駐車場に選手たちの群れ。挨拶を交わす。日野や新宅、伊熊、金もいる。伊熊は慰留されたのだろうか。彼がどういう事情でここにきているのであれ、ファンとのキャッチボールの頭数を揃える一員として駆り出されたことはまちがいない。いくら最後の消化試合で活躍したとは言え、もともと今年かぎりの選手だったはずだ。ぬか喜びはできない。彼もそういう表情をしている。江藤が、
「きのうはすごかもんば観たっち。スローモーションでどうにかわかるバッティングやったんやのう」
「やっぱり神がかりでしたね。まねできないことがよくわかりました」
 菱川が言う。
「照れます。自分じゃわかりませんから」
 太田が、
「参考になるのは、振り出すまで手も足も静止してるということですね。あれはどうにかまねできます」
 CBCや東海テレビの中継車の周囲に、数え切れないほどの新聞記者とカメラマンが寄り集まっている。マキ警備保障と胸にロゴの入った制服を着た松葉会の組員たちが脇を固める格好で、警備員の先導で選手通用口へ。牧原さんが小さな警備会社を立ち上げたのだろう。すべて私の都合を考えてのうえだ。
 ロッカールームに入る。監督、コーチ陣の先着組が煙草を吸っていた。彼らに選手全員で礼。水原監督がいつものやさしい笑顔で言う。
「おはよう。のんびりいきましょう。プロ野球選手は姿が美しいから、いいように触られたり叩かれたりすると思うけど、ファンと喧嘩しないようにね」
「ホーイ!」
 みんなスパイクに履き替え、バットとグローブを持つ。田宮コーチが、
「バットはいいよ。軟式とソフト用が用意されてる。グローブも用意されてるけど、軟式とソフトなら素手でもいいんじゃない?」
 水原監督が、
「突き指したら困る。ちゃんとそれ用のものを使いなさい。ただ、キャッチボールのときは手加減してね。素人はケガしちゃうから」
 江藤が、
「監督、きのうのNHK観ましたか」
「観た。いまさらという感じだけど、庶民に金太郎さんの真価を知ってもらったという意味で、あの番組はお手柄でしたね」
 足木マネージャーが、
「三万五千人、ギッシリです。中継はありませんが、夕方のCBCニュースで流れるそうです。昼食はロッカールームに幕の内弁当が用意されます。入場行進の楽隊は、愛知教育大学の吹奏楽団です。彼らはレフトポールからマウンド後方へ、われわれはライトポールからマウンド前方へ向かいます。中日新聞年間最優秀選手賞発表のときと、場内一周のときにも楽隊が式用音楽を演奏します。受賞者は一人しかいません。きのうのテレビでわかってますね」
「金太郎さんやなかったら辞退せんばいけんぞ。八百長やけんな。ウハハハハ」
 森下コーチが、
「じゃ、十二時半からのソフトボール紅白戦のメンバーいくぞ。先攻赤組、一番から、センター江島、キャッチャー新宅、セカンド高木、ファースト江藤、サード菱川、ライト太田、レフト伊熊、ショート一枝、ピッチャー江藤省三。後攻白組、一番から、ファースト千原、センター伊藤竜彦、キャッチャー木俣、レフト神無月、ライト金、センター中、サード徳武、ショート日野、ピッチャー葛城。赤組一塁コーチ、池藤、三塁コーチ森下、白組一塁コーチ鏑木、三塁コーチ水原」
 鏑木と池藤が張り切ったふうにパチンと手を叩いた。足木マネージャーが、
「そろそろ、廊下の外れの出口からライトポール横の通路に集合してください。バッティングケージを置いてあるところです。けっこう広い空間です。東大バトンクラブのメンバーが十人ほど待機してます」
「ワシャ、あれ見ると、ドキドキするばい」
「思わずパンツ見ちゃいますよね。高校時代からそうでした」
「金太郎さんもか!」
 俺も、俺もと言いながら、ぞろぞろ集合する。待機所に派手な衣装のバトンガールたちに混じって黒屋がいた。詩織はいなかった。黒屋はまず水原監督に深々と一礼した。それから仲間たちといっしょに選手たちにペコリペコリとお辞儀をしていった。選手たちはニヤついた。全員ポニーテールにしているのが艶かしい。黒屋が、
「おひさしぶり、神無月さん。きょうは精いっぱいやらせてもらいます。北村席のご主人に了解をいただきました。ひと晩ご迷惑をおかけします。一泊させてもらって、あしたの午前に帰ります。秋季オープン戦の準備があるので」
 バトントワラー十人が頭をこぞって頭を下げる。見分けがつかないほど顔が似ていると感じるのは、一律な衣装のせいかもしれない。
「とんぼ返りみたいなものだね。おいしいごはんを食べて、のんびりすればいいよ」
「ありがとうございます」
「黒屋さんも踊るの?」
「まさか、私はクラブの衣装デザイナーです。足木さんに一塁側スタンドの特別観覧席を用意していただきました」
 足木マネージャーが照れ笑いをしながら、
「鈴木監督はお元気ですか」
「はい、元気だけが取り柄だと言ってます。みなさまによろしくとのことでした」
 私は、
「足木さんは、鈴木監督やバトンクラブを知ってるんですか」
「はい、電撃契約の直後にお会いしましたし、協賛契約のときにも上京してお会いしました。鈴木監督と水原監督はよく連絡をとり合ってますよ」
 鉄扉のせいで通路から何も見えない。一塁側内野スタンドの端と、スコアボードを含むライトスタンドの上部がかろうじて見える。満員だ。




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