四十

 スコアボードの時計が十時を指した。鉄扉が開く。水原監督を先頭に一列に並ぶ。下通の声が流れる。
「お待たせいたしました。ただいまより、昭和四十四年度、中日ドラゴンズファン感謝祭を開始いたします。監督、コーチ、選手のかたがたの入場行進を盛大な拍手でお迎えくださいませ。ブラスは、今年度東海地区準優勝、愛知県大会優勝校、愛知教育大学吹奏楽団でございます」
 スーザの響き。ワシントンポストが秋空に立ち昇る。血が沸き立つ。横浜開港百年祭。
「さ、いこうか」
 水原監督の声に心の中でうなずく。ライト側通路を見やり、正装した大学生楽団の前進に合わせて出ていく。足木マネージャーやトレーナーたちや黒屋が見送る。両側にバトンガールたちが等間隔になってバトンを回したりポンポンを振ったりしながら行進する。球場じゅうに喚声が轟きわたり、フラッシュが瞬く。千年小学校の朝礼の行進を思い出した。あのころ私たちは漫然と校庭に集まるのではなく、校舎の玄関から膝を高く上げて行進していった。いまは大人らしい平坦な歩き方だ。水原監督は従容と歩いていく。彼がスタンドに手を振らないので私たちも振らない。マウンド前で足踏みをして停止。ホームベースを向いて一文字に整列。楽隊は最後まで演奏する。音楽が止み、バトントワラーの踊りも止んで静寂が訪れる。
「今年度セリーグペナントレース優勝、日本シリーズ優勝チーム、中日ドラゴンズ選手陣の揃い踏みでございます。向かって左より、水原茂監督!」
 帽子を挙げて辞儀をする。
「宇野ヘッドコーチ……太田ピッチングコーチ……森下走塁コーチ……徳武選手……」
 一人ひとりの挨拶に轟々と歓声が応える。選手紹介が終わり、水原監督がマイクの前に進み出た。
「中日ドラゴンズ監督、水原茂でございます。本日はわが中日ドラゴンズのためにわざわざ貴重な時間を割いてお運びいただき、まことにありがとうございます。ファン感謝祭と申しますのは、われわれ野球しか能のない無骨な男どもが、ファンのみなさまからちょうだいする身に余るご愛顧に応えて、心より感謝を捧げるイベントでございます。今季、中日ドラゴンズはみごとに新生がなり、夢のごとき優勝を成し遂げることができました。これもひとえにみなさまのご愛顧のおかげでございます。今後もこれに慢心することなく、みなさまのご支援ならびにご期待を裏切らぬよう精進を重ねてゆく所存です。私水原茂はドラゴンズに骨を埋めます。老いさらばえて倒れるまで、ドラゴンズの監督をやります。ここに居並ぶ選手たちも私と同様倒れるまでやります。どうか末永いご後援のほどお願いいたします。では、三時間ごゆるりと選手たちと遊んでいってください」
 場内に拍手と怒号が重なり合って逆巻いた。
「開式にあたって、中日新聞社主白井文吾氏による、中日新聞年間最優秀選手賞の発表と授与を行ないます。賞状ならびに賞金百万円が贈呈されます」
 得賞の儀礼曲である『ラッパ譜』が流れる。ヘンデルの『見よ勇者は帰る』ではなかったか。胸がふくらむ。
「今年度の中日新聞年間最優秀選手は、神無月郷選手でございます! 神無月郷選手、マウンドの前へお進みください!」
 フラッシュの閃光、拍手の嵐。白井社長の前に進み出て、辞儀をし、少し笑う。フラッシュ。彼も笑う。むにゃむにゃと読み上げ、分厚い熨斗袋といっしょに渡される。握手。
「まかせたよ、天馬くん。来年は頭にビールをかけてくれたまえ」
「はい」
 走って列に戻る。係員が賞状と賞金を受け取りにくる。音楽が止むと、バトンガールたちがかけ声を上げながら、外野芝生で活発に一連の演技をしはじめる。マウンド前に長テーブルが三脚接して並べられ、十二人の選手の椅子が用意される。中、高木、江藤、私、木俣、菱川、太田、一枝、江島、千原、星野秀孝、小川。監督以下残りのメンバーは一時ベンチに下がる。
「第一次サイン会抽選券の当選者百名の番号発表を行ないます。当選なさったかたは、記者席通用口からグランドにお出になり、サインをもらいたいと希望する選手の前にお並びくださいませ。外野席のかたは、スタンド最上段の接続通路を通って記者席通用口までお越しくださいませ。制限時間三十分のあいだに何名の選手にでもサインを求めることができます。では当選番号です。×番、×番……」
 一塁側、三塁側の通用口から、一人二人と出てきて、あっという間に百人になった。江藤と私と星野秀孝に十五人ほど並び、残りのほぼ全員に五、六人並んだ。サインをし、握手をし、励ましの言葉を受ける。
「がんばってください」
「いつも応援しています」
「握手しているのが夢みたいです」
「きのうのテレビを観ました。将来ぼくも大ホームランを打ちます」
 強く握手する者、口ごもって真っ赤になる者、照れくさそうに黙って去る者もいる。私と星野と江藤は十五、六人を消化したあとは二、三人しか巡ってこなくなったが、ほかの選手たちは確実に三巡り以上のファンの訪問を受け、結局私たちと同じくらいの人数になった。
「とにかく走りなさい」
「練習しすぎちゃだめだよ」
「掬い上げていいんだよ」
「いまはとにかくレギュラーになることを目指しなさい」
 ドラゴンズの選手はだれもかれも、むかしから野球少年に根強い支持を受けているようだった。小学生の私がかつて支持したように。
 三十分はすぐ過ぎた。
「それでは次に、撮影会当選者の発表をいたします。ひと桁番号……」
 監督、コーチもベンチから出てくる。彼らの周りにカメラを手に五、六人の老若男女が集まり、盛んにシャッターを押す。選手に肩を抱えられたポーズでツーショットを希望する人もいる。江藤に肩を抱かれて、
「キャー、うれしい!」
 と叫ぶ中年女性に、江藤はうろたえ、帽子を取って最敬礼した。星野秀孝は一人のセーラー服の女子高校生にしきりに家に遊びにきてほしいと誘われ、困りきった顔で小川に助けを求めていた。小川は彼女に、
「あなたね、これから日本のプロ野球を背負って立つ大投手を簡単に落とせると思ったら大まちがいですよ。星には手が届かない。純粋にファンでいるのも大きな勇気です。俺は小投手だから、簡単に落とされたけど。でも、不遇のときは養ってくれたよ。もっと小物を狙いなさい。二軍の選手に目をつけるのなんかいいかもしれないね。野球しかできない片輪者だから、鳴かず飛ばずのときは養う覚悟でね」
 まじめな説得に私は笑った。一人の老人がカメラを構えずに近づいてきて、
「五百野を愛読しております。私は斜に構えて世の中を見るようなよくない気質の人間で、めったなことでは感情を揺すぶられないのですが、五百野には涙を絞りました。二十歳にしてあなたは世の中を達観しております。お心のままに書きつづけてください。私はあなたの永遠の愛読者になります」
「ありがとうございます」
「……笑顔を一枚いただけますか」
「はい」
 かすかに笑った。パチリ。撮影会も瞬く間に終わった。
「選手たちが球場を一周いたします。ただいまより発表する番号の抽選券をお持ちの百名のかたは第二次サイン会に当選なさったかたですので、先ほどと同様記者席通用口からお出になって、フェンス沿いに並んでお待ちください。スタンドのファンのかたは選手たちにご声援をお送りくださいませ」
 グランドの真ん中でブラスバンドの演奏が始まる。三百六十五歩のマーチ。バトンガール連が選手たちから少し離れて踊りながら行進する。ポツポツ立ち並ぶファンに色紙を差し出されるつどサインし、握手していく。サインし、握手し、笑いかけながらのろのろ歩いていく。ときどき金網フェンス越しに色紙が差し出されたり、サイン帳が差し出されたりするが、それにもサインしていく。そのための一周だ。二百人限定は少なすぎると思っていたが、予想どおりだった。最初にサインした百人は、選手を落ち着いて見つめながら声までかけてもらえる特権があったということだろう。
 レフトフェンスまできて、金網の上から女の手が差し出され、
「神無月くん―」
 と呼びかけた。見上げると、雅江が明るく笑っていた。父親が並びかける。私は二人と握手した。雅江が音楽の中で大声で叫ぶ。
「いつまでも待ってます!」
 父親も大声で、
「別世界からいつでも訪ねてきてください!」
 私も大声で応える。
「来年のキャンプが終わるころにお訪ねします。熱い鍋をいっしょにつつきましょう。お母さんによろしく。大相撲観戦、忘れていないとお伝えください。辛抱強く待っててください!」
「はい!」
「じゃ、いきます。ソフトボールではホームランを打ちますからね」
「がんばってください!」
 きのうまでの敬遠していた気持ちが消えていった。人の真心を再認識することほど恐ろしいことはない。真心の虜になる。快適なだけに恐ろしい。
 ―しかし、雅江はだれかと結婚するのがいい。あの家以外では幸せになれないだろうから。
「三十分間の休憩タイムとなります。十二時半より、中日ドラゴンズチームが二つに分かれて、ソフトボール紅白戦を行ないます。存分にお楽しみください」
 ロッカールームに戻り、仕出し弁当を食べる。バトンガールと黒屋たちは別部屋に引っこんだようだ。私は江藤に、
「ソフトボールとは言え、ホームランを狙いますよ」
「狙わんでも入るわ」
 一枝が、
「ヘッドを下から出して、スピンかければ、俺でもどうにか入るな」
 私は、
「打ち損なうと、左中間右中間のライナー」
 中が、
「バンバン花火打ち上げれば、お客さん喜ぶだろうな」
         †
 九対八で紅組の勝ちとなった。ソフトボールは予想以上によく飛んだ。ただ、すべてのホームランが九十五、六メートルから百十五、六メートルの範囲に収まった。百二十メートルがソフトボールの飛距離のほぼ限界のようだ。赤組七本、白組五本、両チーム合わせて十一本のホームランが乱れ飛んだが、連続ソロホームランが多く、思っていたほど大量得点にはならなかった。紅組は江藤の二本のソロ、菱川、太田、高木、江島、一枝が一本ずつソロを打ったほかに、適時打で二点取った。白組は二回のあいだに私の二本のツーランと、中、木俣、千原、葛城のソロで全得点がホームランのみ。水原監督も観客も大満悦だった。ホームランが出るたびに、バトンガールたちはベンチ前でさえずり踊った。日野と伊熊と金がヒットさえ打てなかったことから、ソフトボールも軟式も硬式も本質的な差はないとわかり、野球というスポーツの残酷さを感じさせた。
「ただいまより、休憩時間中に発表いたしました当選番号をお持ちのファン三十名と、ドラゴンズ選手十名とのあいだでキャッチボールを行ないます。使用するのは軟式ボールでございます。ファンのかたは外野フェンスに向かって、両脇三メートルほどの等間隔でお並びください。選手がフェンスに沿って並びます。向かって左から、日野選手、中選手、江島選手、千原選手、高木選手、神無月選手、一枝選手、木俣選手、江藤選手、菱川選手の十名です。グローブをお持ちでないかたは球場側で用意してございます」
 山なりのキャッチボールが始まった。距離は十五メートルから二十メートル。小さな小学生や女性とは十メートルほどで行なう。胸もとに飛んできたら、いちいち褒める。二十メートル組には、草野球の選手らしき男もちらほらいて、なかなかいいスローイングをしている。ショートバウンドや暴投が多いので、フェンスが役立つ。両ボール下で二対ずつになってバトンガールもキャッチボールをする。顔が遠く不鮮明だと、手足の動きが艶かしく見える。十五分で終了。三十人にはサイン用ボールが用意されているので、それにサインして手渡す。
 目玉の一軍選手の守備練習が始まる。
「打球音と、グローブの捕球音に、耳をお澄ましくださいませ。実戦の迫力が伝わります」
 場内の騒音がやむ。ノッカーは田宮コーチ。心地よい打撃音、捕球音、足の移動、グラブさばき、送球の素早さ。見どころはやはり、高木・一枝コンビの連繋プレーだ。いままで対戦したどのチームよりも華麗だ。中日ドラゴンズというチームに属している幸福を感じる。外野になる。肩だけが見世物だ。矢の送球。地を這うワンバウンド。八十メートルの一直線。垂涎(すいぜん)の拍手が爆発する。涎(よだれ)を垂らすことも幸福である。私たちの仕事は完了した。


         四十一

 一時半。ホームベース前にマイクが立てられ、監督コーチ陣はマウンド前方に、楽隊とバトントワラーはマウンド後方に整列する。静まっていた場内がさらに静まる。下通の声が弾む。
「ただいまより、ドラゴンズを代表して、中選手、高木選手、江藤選手、神無月選手、木俣選手による、ファンのみなさまへの感謝の言葉をひとことずついただきます。それでは中選手からお願いいたします」
 おのずと拍手が湧き上がる。中は深々とお辞儀をし、
「昭和三十年に中日ドラゴンズに入団してから、まる十五年が経ちました。三十三歳、チームの選手としては最古参です。十五年間がんばれてこれたのも、ひとえにファンのみなさまのご応援ご声援のおかげです。膝の古傷、眼病等、そういったものに悩まされ、これで選手生命も終わりかと思われたとき、かならずみなさまが『中がんばれ』と励ましてくださいました。おかげさまでここまでやってこられました。神無月くんは新人入団式のとき、現在のウグイス嬢下通みち子さんのものまねをして、一番センター中、背番号3、から始めて朗々と張り上げたそうです。それを聞いて涙が出ました。その打順は私の十年前のもので、神無月くんが十歳のときのものでした。ドラゴンズをこよなく愛するその十歳の少年と、いまチームメイトとして野球ができる喜びはいかばかりのものか、ご想像ください。その喜びを得られたのも、ほんとにみなさまのご支持によって十五年間選手生命をつないでこられたおかげです。感無量です。終わり」
 立ち昇る拍手の中で、高木がマイクの前に立つ。
「みなさん、わざわざ球場まで足を運んでくれてありがとう。モリミチです。公式戦と見まがうほど、スタンドがぎっしり埋まったことに驚きました。実戦と同じようにわくわくしました。ドラゴンズ一筋、十年目、二十八歳、私も古参の部類です。タカギィ、モリミチィ、とみなさまに声をかけられてこなければ、日々の張り合いもなく、練習の努力も手薄なものになっていたことでしょう。人は励ましがなければ何ごとも達成できません。さきほどお見せした一枝さんとのコンビプレーも、みなさんの応援の賜物なんです。そして優勝も。頭部や顔面にデッドボールを受けて入院したときも、みなさんからの激励の手紙が多数寄せられました。なにくそという気持ちになって快復できました。まことにありがとうございました。みなさまのご声援を励みに、来年もがんばります!」
 拍手、歓声。さらに重なる大歓声の中、江藤が進み出る。
「みんな、ありがとう! ワシャ無骨もんやけん、中さんやモリミチのごつ、うまくしゃべれん。ただ大観衆の中でのお祭りに感激しちょるだけばい。拍手喝采、ブラバン、ばとんガール、勇み立つようたい。こんな賑やかなファン感謝祭は初めてやなかね。去年は最下位やったけん、お客さんもこの半分ぐらいしかおらんかった。みんな腹ば立てとったんやろう。腹立つちゅうのも愛情やけん。今年は満足してもらえたごたあ。一度こっきりじゃいかんばい。来年もがんばらんと、腹も立ててもらえんごつなる。がんばるばい! 十一年目、三十二歳、ワシも古参たい。ドラゴンズは年寄りと若もんの区別がつかん混浴露天風呂ごたるチームばってんが、ファンも同じじゃ。老若一体となってやっていかんとエネルギーが出ん。選手、ファン、ともにがんばるばい! 以上」
 大歓声、大拍手。私の番になった。
「どうも、すいません!」
 ドッと笑いが上がる。林家三平をやった。
「お掃除役で四番を打たされてるんですが、みんな勝手にお掃除してしまうので、なかなか大量のランナーをお掃除の仕事をさせてもらえません。十二球団一、ラクをしている四番バッターです。どうも、すいません。ぼくは義理と人情に打たれる男なので、それにあふれた人間の中でしか感激して暮らせません。子供のころから中日ドラゴンズにその雰囲気を感じていました。そして入団してみて、そのとおりでした。水原監督、コーチ陣はじめ、選手全員が義理と人情と涙のかたまりでした。子供のころには気づかなかったのですが、スタンドのファンのかたがたも義理と人情のかたまりでした。金太郎、金太郎さんの声援にはいつも奮い立たされます。このチームとファンの混浴風呂から出ることができません。湯あたりするほど浸かっていようと思います。監督が湯あたりで運ばれるまでは確実に浸かっているつもりなので、みなさんも覚悟のほどを。具合が悪い、都合が悪いなどと愚痴を言って、途中で上がることはできませんよ。―もうひとことで終わりです。プロ野球選手になるまでは、ぼくの頭の中にあれこれ余計な言葉が逆巻いていました。プロ野球選手になって、言葉の贅肉が取れ、本質だけの言葉が頭に残りました。それは、好きな人間のためには死ねる、です。以上」
 ウオォォ! という大歓声が上がる。監督、コーチ、選手がいっせいにタオルで目を覆った。木俣が進み出る。タオルをしきりに動かしながら、
「俺は何をしゃべればいいの」
 ドドッと笑い。
「俺は中京商業の講演も、この言葉の魔術師といっしょにやらなくちゃいけないんですよ。ま、個人的事情は措くとして、木俣達彦、六年目、二十五歳、ようやく今年ベストナインを獲りました。本塁打、五十二本。金太郎さん、江藤さんに次いで、四十四本の王さんを抜き、三位です。個人的に大躍進の年でした。俺が驚いたのは、ホームランは細かい技術じゃなく、工夫のある素振りの練習と、思い切りのよさで打つという、金太郎さんの考え方です。打法は、マサカリだろうと屁っぴり腰だろうと何でもいいんですよ。工夫のある基礎鍛練を積んで、あとは思い切りいけ。これはあらゆることに通じますね。基礎鍛錬の次に応用じゃないんです。次に、えい! という気合。えい! が重要です。考えが足りないと言われればそれまでですが、へたな応用よりも成功率が圧倒的に高い。えい! の中にすでに応用は含まれてますから。気合は臆病やためらいとは逆の行動なので、成果を生む率も高いわけです。冒険精神は人生の基本です。義理と人情も、人間を信頼するという冒険ですからね。ああ、これを中商で言えばよかったな」
 爆笑。
「今年のドラゴンズの連中は涙もろくなりました。涙で勝ち取った優勝です。来年もみんなでベタベタ抱き合って、涙を流しながら優勝します。みなさんも泣いてください。おしまい!」
 タオルで顔を覆う木俣に惜しみない拍手と歓声が送られた。下通の声が追いかける。
「私、下通も何度も泣きました。いまも泣いています。下通みち子、昭和三十三年よりウグイス嬢十二年目、三十三歳。中日ドラゴンズに骨を埋めます」
 球場じゅうに柔らかく圧力のある拍手が立ち昇った。
「本日はご来場まことにありがとうございました。愛知教育大学吹奏楽団、東京大学バトンクラブの先導で、監督、コーチ、選手たちが退場いたします。どうぞ温かい拍手でお送りください」
 タイケの旧友が響きわたる。整然とした美しい踊りでバトンガールたちがバックネット前から先導する。私はネット裏の北村席の人びとに大きく手を振った。間断なくつづく拍手に目が潤む。レフトスタンドを通過するとき、雅江父子を見定めて手を振る。二人も激しく手を振り返した。
 私たちとバトンガールたちが黒屋の待つ鉄扉の中へ収容されたあとも、音楽隊は曲目をワーグナーの『双頭の鷲の旗の下に』に替えて高らかに演奏しながら、さらに半周してレフトポールの通路へ帰っていった。
 私たちはバトンガールたちと握手した。汗っぽく温かい手のひらだ。足木マネージャーが、
「東大バトンクラブのみなさん、きょうはほんとうにありがとうございました。またグランドでの行事の際はよろしくお願いいたします。出演料等は球場事務所のほうでお渡しいたします。こちらへどうぞ」
 私たちはロッカールームへ引き揚げる。水原監督が、
「きょうはほんとにご苦労さん。息つく暇もなく、あしたは球団納会、二十二日は各賞授賞式です。そのあとは新人秋季キャンプ、新人ベテラン合同自主トレということになりますが、私が監督をしているあいだは集合をかけて行ないません。やるならばめいめい申し合わせてやってください。古傷はたいてい、十二月、一月にできるということを頭に留めておくこと」
 太田が、
「今年も春季キャンプは明石ですね」
 太田コーチが、
「そうだ。昭和二十五年の第一回春季キャンプは、この中日球場だった。それから転々と変わったなあ」
 中が、
「ドラゴンズは春季キャンプ地をたびたび変えることで有名なチームなんだ。二回目は兵庫神戸銀行グランド、三回目は静岡県立大仁(おおひと)高校グランド、初優勝した二十九年からは奈良県営球場。私は昭和三十年から初キャンプに参加した。奈良は近畿でいちばん寒い。氷点下になることが多いんだ。若草山の麓だから、よく鹿が入ってきた。宿は、興福寺のそばの大仏旅館だったな。風邪が流行ったっけ。旅館に地元の小学生たちがよく遊びにきてた」
 太田コーチは遠くを見る目つきになった。
「次はどこだったかな」
 江藤が、
「二、三年おきに変わっていったんやなかったですか。ワシは三十四年の湯之元からです」
「うん、そうだった。鹿児島湯之元町営球場、次は和歌山勝浦のどこだったかな……。その次は愛媛の松山球場、そして明石だ」
 水原監督は、
「明石はいい土地だ。しばらく変えないよ。さ、帰るか。少年たちに求められたら、立ち止まって、サインよろしくね」
 それからひとしきり、特別控え室でバトントワラーチームも交えて新聞各社の写真撮影があり、三時を回って帰路に着いた。
         †
 蛯名を除いた松葉会の護衛連中にはタクシーが二台用意された。蛯名がハイエースで私とバトントワラーチームを運び、ほかの北村組は菅野とカズちゃんのクラウンで運んだ。蛯名が助手席の私に、
「マツダのファミリア、本日受け取りました。ありがとうございました。大切な記念の車なので所有者の名義はそのままにして、私はもちろんのこと、仲間内で借り受けて使わせていただくことにしました。車両税はちゃんと払いますし、整備、車検等はぬかりなくやりますのでご心配なく。図々しいことをするなと叱ると思った親分は、ただうなずいて、他人に気配りする暇などない神無月さんがわざわざする心づけは、常に尊い、ありがたくお借りしなさいと言っただけでした」
「あぶく車だから気にしないでください」
「ありがとうございます」
「康男は元気ですか」
「立派に務めとります。警備会社のアイデアは彼のもので、立ち上げは寺田光夫統括頭がやりました。いずれチェーン会社にして経営を拡大するつもりでおります」
 私は、緊張して私に話しかけようとしないバトンガールたちと口を利かなかった。彼女たちは蛯名や私を無視して、わざとらしく仲間内で、勉強や教授や就職について得体の知れない会話をしていた。鼻についておもしろくない話だ。彼女たちにとって本来的にスポーツ選手やアンダーグラウンドの人間など何ほどのものでもなく、今回の参加にしても、物見遊山的な〈芸能活動〉と割り切っているふうだった。私は彼女たちといて、最初から仕切り壁がある分、ひどくラクな気持ちだった。
 黒屋とはふたことみこと、熊本の中介の奮闘ぶりを話題にしただけだった。彼女は別の意味で私に緊張し、なるべく親しくしないようにする態度が見て取れた。何カ月も遠ざかっているあいだに、軽々しく溺れるのは危険な相手だと見定めたふうだったし、これまでとはちがった未来を見つめる目をしていた。人は一度出会って気に入った人間にこういう態度をとってはならない。しかし、自分なりの根拠のある決意をもって離れていく人間はありがたい。母のように気まぐれに離れたふりをしてはまとわりつき、悪さを繰り返す人間が鬼門なのだ。
 三時半を回ったところで北村席に着いた。後続車から降りてきた北村一家の声がかしましい。主人が、
「着替える前に、みんなにダンスを見せてやってくれんかな」
 と懇願した。
「いいですよ。やりましょう」
 重立った様子の女が答えた。
「すごい豪邸!」
「現代ふうでなくて、すてき!」
 心の底では現代を慕っている女たちは、口々に北村席のたたずまいを褒めながら庭石をたどっていく。手に手にバッグを提げ(バッグには小じゃれた平服を入れてあるのだろう)、球場のパフォーマンスを終えたコスチュームのままぞろぞろ歩く。広い庭に十一月の明るい陽光が降り注ぐ。木造二階建ての大きな屋敷は芝の緑を反映してサファイアのように温かく輝いている。私にはこれ以上の安らぎの場所はないように感じられる。
 幼いころから私は、いつも得体の知れない不安に冒されてきた。それは生命に関わる不安ではなく、自分の貧しい存在価値に関わる不安だった。存在してよいのかという不安だった。その不安は成長するとともにますますふくらんで、ふだんの言行を思いがけない破天荒と韜晦と巧言で糊塗し、自分を単なる不安の人というみすぼらしい存在に見せないように取り繕った。有徳の人や強い人でありたくないし、なりたくもないのに、そういう存在として誤解され、誤解を放っておくことで不安を紛らした。この温かい北村席は、私がかぎられた人びとと心を許し合った交流をするために、その破天荒と巧言がもたらす不安をいっときでも忘れるために、いそいそと戻ってくる場所なのだ。
 ―いっときでじゅうぶんだ。
 ここに帰ってくると、やさしく私の身ぐるみを剥いでみすぼらしい生身にしてくれるカズちゃんがいて、その生身を喜ぶ礼讃者たちがいる。礼讃者たちは身ぐるみを剥がれた私を見て、その矮小な正体に驚きながらも、敬愛するカズちゃんを倣って慈しみ、懸命に愛する。彼女たちがいるかぎり、彼女たち以外の人間が私をどう見、どう感じようと、私は慈愛の中で等身大で生きられる。


         四十二

 女将とトモヨさんが背筋をしゃんと伸ばして玄関に立っていた。主人が二人にバトントワラーのいでたちのことを説明する。
「様子がええやろ。マグロなら中トロ、脂ののったええとこや」
 人格的な感想を言わない。それだけの女たちにしか見えていないからだ。私の目にもそう映った。世の中に立ちたい、世の中に立って引っ張り凧になりたい、そんなことしか考えていない高値のマグロに見える。
 午後の芝生の庭で演技を披露することになった。間髪を置かず歌声が起こった。女たちが整列して踵を上げ下げし、駆け足のような足踏みをしながらバトンを回し、ポンポンを振る。抑揚のないメロディ。東大応援歌『闘魂は』だ。菅野が走っていって、屋敷にいた全員を庭に集めた。カンナを抱いたイネや、直人の手を引いたソテツも、賄いたちもトルコ嬢たちも、みんな出てきた。蛯名も居残った。黒屋が、
「バトンダンスは二十分ほどかかります。腰を下ろしてごらんになってください。あちらの、右肩が白、左肩からスカートぜんぶにかけて赤のユニフォームは赤門と言います。三年生と四年生です。お腹だけ空色、あとぜんぶ白のユニフォームは、ライトブルー。一年生と二年生です。ほかに八種類ありますが、きょうはハレ舞台だったのでオーソドックスなものにしました。手に持っている赤や水色の丸いキラキラしたものはポンポンと言います。バトンを使わない分担の人が振ります。きょうはバトントワリングとポンポンの基本演技だけをお見せします。東京大学運動会応援部には、三十三名を擁するバトントワリングクラブのほかに、吹奏楽団と応援団があります。それぞれ五十二名、十名の部員がいます。バトンクラブの部長と副部長は、ここにいる染井さんと、大山さんです。私黒屋あかり三年生は、いまは退部している上野詩織という二年生とともに東大野球部のマネージャーも兼務してきました。もと東大野球部の神無月選手とのつながりで、野球部およびバトンクラブが中日ドラゴンズさまから協賛をいただいている関係にあることから、時宜的な応援協力の契約を結んでいます。そういう事情で、きょうのファン感謝祭に駆けつけたしだいです。それでは演技をごらんください。なお、演技の種類は、ソロトワール、ダンストワール、トゥーバトン、スリーバトン、ソロストラット、バレー、バトンを使わないポンポンなどがあります。スリーバトンは高度なパフォーマンスなので割愛します。そのほかの種類の中から三つ選んで、それぞれ一分半ずつ行ないます」
 部長の染井が大声を発した。
「ハー! バトントワリング! トゥーバトン!」
 ライトブルーの一人がバレーのように飛び跳ね、からだをくねらせながら二本のバトンを腰で回したり、腕や首に接着させて回したりする。かならず下着を見せようとする踊り方が特徴のようだ。直人がキャッキャと声を上げて喜ぶ。
「ダンストワール!」
 赤門を着た副部長の大山の行う妖しい演技だった。寝転んだり、大きく腕や脚を広げたり、横坐りになったり、倒立して一文字に開脚したりしながら、バトンは握ったままほとんど回さない。真っ赤な下着を見せるための演技としか思えなかった。観賞する気分が消沈した。ただ、片手で倒立して両脚を風車のように前方回転させたのには驚いた。細い腕だった。筋力ではなくバランスの問題なのだろう。
「ポンポン、ライン!」
 両手にポンポンを持った十人が、ユニフォームをたがいちがいになるように一列に並んだ。肩を組んでラインダンスをする。みごとに脚が高く上がり、しかもピタリと揃っている。観賞する気が戻った。声をかけ合い、力強く腕を突っ張ってポンポンをひらめかせながら、前列五人は立ったり坐ったり寝転がったり、飛び跳ねて両脚を開いたりする。後列五人は書割の役目とは言え、手と足を思い切り跳ね上げて整然としたダンスをする。前列と後列が入れ替わる。音楽がないので静寂があたりを包みこみ、性的なものをいっさい感じさせない。直人が走っていって、前列の女たちの前でゴロゴロ転がりだした。庭が笑いと拍手でいっぱいになった。
 薄っすらと汗をかいたバトンガールたちにカズちゃんが、
「さ、お風呂入って一日の汗を流して。下着や服は用意してるの?」
「はい!」
「目の保養になりました」
 と蛯名が言って直角に辞儀をし、引き揚げていった。主人と菅野は思い出したように見回りに出かけた。チアガールたちとどうしてもいっしょに風呂に入りたいと言う直人にトモヨさんは笑ってうなずき、カンナをイネに預け、
「カンナも入れてあげて。私、お嬢さんとお土産買ってくるから」
         †
 十五分ほどしてバトントワラーたちが私服で風呂から戻ってくると、カズちゃんは睦子と千佳子たちを誘って風呂へいった。私は黒屋とそのまま庭の散歩に回った。
「……吉祥寺でした約束を果たしてもらえますか?」
 黒屋が勢いよく言い、恥ずかしそうにうつむいた。車の中で見せた黒屋の遠い視線は私の誤解だったようだ。今夜のことを考えていたのだ。
「果たさないことにした。新しい肉体に対する起動力というのか、それがなくなっちゃった。野球で頭がいっぱいだ」
「……そうでしょうね。でも、私が好きな男は神無月さん一人。好きな人のそばにいられないときは、仕事がいちばんの薬。プレタポルテの世界で生きるために、着々と計画を進めてます」
「そう、精いっぱいがんばってね」
 庭を周っていく。
「詩織は名古屋で就職するよ」
「ですってね。キャンパスで出会ったときに聞きました。立てつづけのノロケ。あれがほんとの女の姿ですね。女はああでなくちゃいけないと思います。私はきちんと卒業してから、東京で仕事を見つけます」
 実のない簡単な話が上滑りする。仕事がいちばんの薬? プレタポルテ? 要は縁切り話だ―この女はだれだ。私とちがう人間。外の人。群れの中の一人。社会の亡霊だ。生い立ちは? だれが、何がこの女をこの不毛な運命に出会わせた?
 私は覚えている。まるで頭の中で映画を観るようだ。さびしい道の上に小さな男の子が見える。幼い彼に強い力が影響をおよぼしていることはわかった。どこか人とちがう気がしていた。貧しさやみすぼらしい服装―そうだったにちがいないが、気に留まらなかった。そんなものに心が傷つかないからだ。強い力……母ばかりでなく、父親との関係もそれかもしれない。テテナシ子。しかしやはりそのことも気にならなかった。私はどんな力に影響されたのか。母の荷物、人生の恥部。水屋に父の写真はあったが、私の写真はなかった。
 冬の花を見ながら庭を巡っていく。ヒイラギ、ヤツデ、枇杷の白。アロエ、寒椿、ボケの赤。父は家庭に関わる人ではなかったので、私は祖父母と母に育てられた。母とのあいだには埋められない溝があった。彼女は感情を持たない氷のような人だった。おそらく母なりに一生懸命思いやりを持って、私をほかの人間と平等に扱っていたにちがいない。まったく……すべてがひどい嘘だ。私は嘘に支配されてきた。
「十五歳のときにぼくは、初めて恋というものに悩んだんだ。恋する自分を卑下しながらその女に惹きつけられた。最初から敗北しているものの恋だね。思わぬ社会道徳まで登場して、徹底的にその恋は潰された。六つ年上だったから」
 黒屋はびっくりして私を見た。
「それまでだれも恋したことがなかった。母を慕ったことはあったけど」
「はい……」
「その恋を語った相手が、チンピラとそしられていた寺田康男と、十五歳も年上のカズちゃんの二人だった。生まれて初めて嘘をつかずにすむ二人の人間に出会ったんだ。人生の最大の幸運は、康男にもカズちゃんにも愛され、カズちゃんには肉体まで与えられたことだ。ぼくの中から社会道徳と年齢の垣根が取り払われたんだ。愛する人に嘘をつかない真人間に変身したんだ。もちろん嘘をつかせる人間を排除するための策略は常に凝らしてるけどね。排除できないときは嘘で防御する。……正当防衛」
 私の世界で最も美しい生きものは、嘘をつかせない人間だ。その圧倒的な美しさにふるえて、心の内に秘めていた感情が一気に流れ出す。夢中になる。胸が高鳴る。愛と死の概念が融合する。
 庭をもう一周する。二人で池のそばに屈む。大きな金魚が近づいてくる。
「社会道徳は強力だから、そんなやつらを前にしたら、内なる喜びとあこがれを隠さなくちゃいけなくなる。隠すことは苦痛じゃない。そんなやつらに隠しても、疎外感や劣等感や羞恥を感じないからね。生まれ持った性質が愛情以外のものに対してニブくできていたから助かった。……つまらないことをしゃべっちゃったな」
「……私は嘘をつかなくてもいい人間ですか」
「そうなんだろうね、ぼくを正直にしゃべらせるから。でも、黒屋さんの話すことはあまり理解できない。ぼくは自分も含めて、人の将来とか、生きる方針にほとんど関心がないからね。自然と湧き上がる言葉にしか関心がないんだ」
「はい……」
「ぼくも、北村席の人たちも、道徳的な人間には嘘をつくから、動揺しないようにね」
「はい」
 座敷の食卓に戻る。みんな揃っている。何かの幸運でもたらされた団欒の図。上級生のバトンガールの一人が、千佳子の膝でオムライスを食べている直人を見つめ、
「神無月さんにそっくりですけど、まさか……」
 黒屋は黙っている。主人が、
「神無月さんとは関係ありません。トモヨはワシの娘ですが、遅い結婚でしてね。二カ月前に出戻りました。カンナが腹にいたころに、亭主がほかの女とデキて出ていきよりました。神無月さんが自分をおとうちゃんと呼ぶようにとおっしゃってくれて、それに甘えることにしました。母子ともに北村姓です。そこにいる和子も出戻りです。双子みたいに似とるでしょ」
「お二人ともきれい! 外国人の血が入っているのかと思いました」
「ワシら夫婦が美男美女やからね」
 カズちゃんが、
「二人とも、もうだいぶ崩れてるわよ」
 座が沸いた。トモヨさんも睦子たちも黒屋さえも安心したように笑っていた。水原監督やドラゴンズのメンバーのやさしい顔が浮かんだ。
 トモヨさん母子三人が食事を終えて離れへ引きとると、主人と菅野が主役になって、カラオケを交えた宴会になった。バトンガールの上級生たちはよく食べ、よく飲んだ。下級生たちは黒屋に倣って、酒には少ししか口をつけず、食べる一方だった。カズちゃんとメイ子もアルコールを控えていた。宴席の途中で、黒屋はキッコと千鶴に案内され、酒席を離れて家じゅうの鴨居の写真を見て回った。カズちゃんが耳もとに、
「あの太地喜和子に似た子、お手つき?」
「まだ。でも、その気はぜんぜんない」
「バトンの子は?」
「全員初対面」
「それなら面倒はないわ。みんな客部屋に寝てもらう。あしたの球団納会は午後からだから、キョウちゃんは則武でゆっくり寝なさい」
「うん」
 上機嫌で席に戻ってきた菅野にカズちゃんは、
「菅野さん、あしたのランニングは中止。観光ホテルにだけ送ってあげて」
「わかりましたァ」
 ソテツと幣原は、優子と木村と近記に手伝ってもらいながらおさんどんに大わらわだった。その間にも、彼女たちはバトンガールたちに自分を紹介したり、ビールをついだりして交歓していた。副部長の大山が、
「神無月さんぐらいウルトラ美男子だと、もてもてでしょうがないでしょうね」
「モテるんじゃなく、赤ん坊のようにやさしくしてもらってます。ぼくは美男子じゃありませんよ。ブサイクです。一つひとつの造作をよく見ればわかります。恥ずかしくて、中三以来鏡を見たことがない。床屋でチラッと見るくらいかな」
「うそォ!」
「ブサイクなんですが、女性の目を好意的なマジックミラーにしてしまうような、そういう造作の顔だと思ってます」
 私の語気が強かったので、大山は褒め返さなかった。ほかの学生たちが思わずうつむいた。トルコ嬢たちは〈東大の女〉という生物をものめずらしそうに眺めていた。黒屋がカラオケに立ち、弘田三枝子の人形の家を唄った。ふたたび座が歌声と笑いと拍手に満たされた。バトンガールの一人が、
「東大の中退率は千人に三人、京大は千人に八人です。中退の理由は、他科類への再入学とか、他大学の医学部合格とか、在学中に国家公務員試験上級に合格して外務省派遣留学生になったとか、長期の病気とかありますけど、神無月さんのような理由は歴代で一人でしょうね。これまでプロ野球選手は二人出てますけど、二人とも卒業してます」
 彼女の唇は微笑していたけれども、目に、なぜ東大ほどの大学を中退しなければならなかったのかという非難の色が見えた。野球はもちろん、私に関する情報にもまったく疎いのだとわかった。自信に満ちたそぶりや、きつい眼差しや、含みのある薄笑いから、私は未知の女たちの固定観念を味わい直した。
「東大そのものには関心がないなあ。東大、東大と言ってるやつの鼻を明かさなければ野球をさせてもらえないような状況だったので、仕方なく属しただけです。好きな野球をあきらめられなかったので。プロにいったとかいう二人の東大出身者は、大して野球が好きじゃなかったんじゃないんですか?」
 わざと名前を思い出せないふりをして言った。主人たちの表情が緊張した。菅野が、
「高校までのうちに野球が傑出してなければ、神無月さんもすぐには中退できなかったと思います。新治や井手が卒業したのは、野球が好きでなかったからじゃなく、野球に傑出してなかったからですよ。高校球界ナンバーワンがいく必要のない東大へいったという意味で、神無月さんは歴代に一人なんです。まったくむだなことをさせる鬼がいたわけです。あなたたちバリバリの東大生にとってはむだじゃないでしょうけど」



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