九十八

 ある日の夕食後、ばっちゃは私を連れて浜へいった。けいこちゃんの踏切を越えて浜坂をくだっていく。この踏切を渡るたびに、鮮やかに浮かんでくる赤い爪がけの雪下駄に悩まされる。坂の途中の道を曲がりこむと、海に面した崖の上に小さな畑がある。ばっちゃはそのあたりを指差し、
「オラ家(え)の土地だ。これ売れば、おめの学費くれなんぼでも出る」
 と言った。ばっちゃは脇道に切られた段々から畑に登り、遠く眺めやった。踏まれて傷ついたミントのにおいがした。彼女に並びかけると、濃い緑色の海が見下ろせた。海は黒灰色の砂で渚を縁どられ、白い波が泡を連れて岩のあいだを出たり入ったりしていた。
「金沢海岸だね」
「ンだ。夏は外からの客で、いっぺになる」
 沖合に岬のようなものがかすんでいる。
「あれは北海道?」
「ンにゃ、大湊あたりだべ。斗南(となみ)の先っぽだ」
 斗南というのは下北半島のことらしかった。海面が夕暮のもやにかすみ、わずかな光に反射する細かい波頭が立っていた。空の色が海面すれすれのところで薄っすらと赤みを帯びた色に変わりつつあった。空は暮れているのに、青っぽい海から照り返す光線は目に沁みるように明るい。大きな入江の向こう岸の丘へ鉄道の線路がつづいている。それもやがてもやの中へ消えていく。
 ばっちゃは畑の畦につづく細道をくだっていった。細道の両側は潮風に荒らされてまばらにしか草の生えない土坡(どは)だった。磯臭い風が吹いてくる。やがて平坦な道になり、小屋ふうの家々の連なりの隙間に、砂利の浜が見えた。のんびり波が寄せていた。海草が岩に打ち上げられ、いがらっぽいにおいを放っている。長い都会の生活のあいだに、強い磯の香りを忘れてしまっていた。湧き水に小屋掛けした洗濯場の脇で、臙脂の前垂れをした漁師が網をつくろっていた。干からびた茶色い指が素早く動く。
「いい魚上がってねがィ。カニかホタテでもあったら、届けてけろじゃ」
 ばっちゃが声をかけると、男は皺ばんだまぶたの下の目を光らせながら、
「きょうは、上がってね」
 と答えた。ばっちゃはカツカツと下駄を鳴らしてつんのめるように歩いていく。私は暮れなずむ台地を仰ぎ、灯が点されはじめた家々を見つめた。どの家からも強烈な海のにおいがする。まるで板壁に滲み入っていた潮風が揮発しているようだ。
「こごだ、坂本の家だ」
 ばっちゃは浜通りの一軒の家の戸を引いた。かなり立派な軒の構えで、小屋ふうの家とはちがう。ホッケの開きが軒にぶら下がり、風に吹かれて揺れている。干し柿が硬く連なって、ずっしりと虚(うつ)ろだ。電線の雀が風の中で羽毛を逆立てていた。
「あば、いだがい?」
 ばっちゃは奥へ声をかけて玄関土間に入りこんだ。障子が開いて、にこやかな年増の顔が覗く。
「おンや―」
 ばっちゃはその鼻の高い三角顔の女に私を紹介した。どこか母に似ている。女が私に頭を下げたので、私もばっちゃの背中で頭を下げた。親戚だという話だったが、幼いころに一度も訪ねたことのない家だ。祖父母のどちらの親戚とも知れなかった。
「わいはァ、キョウちゃん、おっかねぐれの美男子になったなあ。こっちの中学校さ転校すってがい。いまごろ、なしてまた」
 むかしからの顔見知りのように、私はキョウちゃんと呼ばれた。
「スミの〈からきんず〉よ。傷(いだ)わしこどだじゃ」
「その齢になって面扶持(つらぶち)増えで、爺婆もいい面の皮だでば」
「すたらのは、たいしたこどでもね」
 じっちゃやばっちゃは金の話を嫌う。どこか胸の奥のプライドに障るのだ。かと言って学校の教師のような注意深い尊大さもない。あぐらをかいていた人のよさそうな中年の男が、上がれ、とストーブへ誘った。ばっちゃは、
「寄るとごあるすけ」
 と断り、ウニを一枚もらうとエプロンのポケットに収めた。その足で本町へとって返した。
「机はあるたって、電気スタンドがねがべ」
「電球のがあったよ」
「あれだば暗れべ。蛍光灯でねば」
 本町に出ると、郵便局を曲がった隣に、剃刀のへたな西野理髪店があった。ここでは幼稚園のころ何度も痛い思いをした。銀映への入り路の正面に北英堂書店、その隣がダイヤモンド電機店。小さな町なので、電器屋は新道の和田電機とここの二軒しかない。店先でばっちゃが、
「好きだの選べ」
 と言った。私は異様に大きな二十ワットの蛍光灯スタンドを指差した。長く売れ残っていたせいか、ブリキの傘に厚い埃がたかっていた。店の者が雑巾で埃を拭き取った。手に取ると、ずっしりと重かった。
「ばっちゃ、ここに三万円あるから使って。まだ抽斗に十五万ある。ほんとに要らない金なんだ。ぼくに金がかかるときは、抽斗から出せばいい」
 ズボンのポケットから取り出して示した。
「だば、これは預かっておいて、ぜんぶおめに使うべ。下駄も買わねば」
「うん。……さっきの家は、ばっちゃの親戚?」
「ワのいちばん下の妹だ。あのハゲは坂本ってへって、腕のいい漁師よ。金、持ってんだ。じっちゃが嫌ってるすけ、合船場に寄りつかね」
 スタンドを裸のまま手に提げ、門林衣料点の隣の野田靴店にいった。下駄を二足買った。
         †
 野辺地から始まって野辺地に戻ってきた狂ったような放浪の中に、方向感覚が現れてきた。自分というものをまず外形から見定めようという心の余裕が生じた。
 抽斗に入っていた手鏡で、ひそかに自分の顔を見た。小学校のときのように鼻の脇の傷を見るためではなく、人の言う美男子の外観を知るためだった。そして、自分の目鼻立ちをスタンドの灯りに曝したり、影にしたりして眺めているうちに、急に人知れぬ悲しみに冒された。ちっとも美男子ではなかった。ミルクのように白い皮膚、富士額につづく眉は薄く、あごは張っていて、右あごにかなり目立つ黒子があり、瞼は二重と三重のアンバランスで、鼻は低く、唇は極端に薄かった。こんなみっともない造作で、考えたり、しゃべったり、笑ったり、泣いたり、怒ったり、悩んだり、恋したりしながら、十五年も生きてきたのだ。なぜこんな顔を、人は色男と言ったり、きれいだと言ったり、女泣かせと言ったりしたのだろう。
 もう一度じっくり鏡に映っている自分を見る。顔を上向け、下向けして、つくづく凝視しているうちに、たまらない腹立たしさに襲われて、思わず鏡を叩きつけたい気分になった。鏡ばかりではない。夜の闇に私を映し出した窓ガラスも、こぶしで叩き割りたくなった。彼らが美しいと言ったのは、たぶん私の顔の造りではない。まさか精神であるはずもなく、褒めなければすまない何かが、やはりこの顔にあるのだ。もしその何かが少なくとも同情でないとするなら、一つまみの人間の原始的な好みに訴える魔力を、私の顔が持っているということになる。クマさんたちも、康男も、三吉一家も、節子にしても、もちろんカズちゃんにしてもそのとおりだ。それに気づいた瞬間、私は恋愛というものの正体を悟り、急に自分が犬や猫のような愛玩動物になったような気がした。忠実な犬や優雅な猫や腹を立てない馬や冒険好きのカモメに比べて、人間の知性とやらがすぐれているとは思えなかった。私は確固とした方向性を一つ獲得したのだった。私は、その日からぷっつり鏡を見るのをやめた。 
         †
 ある朝、ふと、古ぼけた書棚にぎっしり本が並んでいるのに気づいた。この部屋に入った初日から気づいていたはずのものなのに、書棚が薄暗い隅にあるので一度も目を凝らしたことがなかった。
 朝日に曝された緑色や葡萄色の背表紙をじっくり眺めてみると、教養書や実用本はなく、日本と西洋の文学全集がぎっしり詰まっていることがわかった。手にとって開けて見ると、どの本もかならずページを繰った跡があり、ところどころに走り書きのようなものがあった。善夫ではなく、きっと善司が買い集め、愛読したものだろうと思った。
 善司は高校を出るまでのあいだ、アメリカの君子叔母から月々送金してもらっていたと母から聞いた記憶がある。部屋を受け継いだ善夫は、この一群の本を読んで発奮し、小説でも書いてみたくなったのだろう。
 その書棚のせいで、夜遅くまで読書するようになった。がんらい読書は体質に合っていた。棚の端から一冊一冊抜き出して、言葉ノートを開き、丁寧に行を飛ばさず読んだ。内容が好みの本も嫌いな本もあったが、何十冊もの本をむさぼり読み、嚥(の)み下した。
 机に向かって本のページをカサリとめくると、夜がかすかな音といっしょに凝固するようだった。本と、大きな蛍光灯スタンドのほかは何一つ存在しなくなる。そして、手にした書物が何であろうと、読んでいる最中に、私はとつぜん深い瞑想に沈みこんだ。
 目を閉じ、深い闇を呼吸する。目を開け、ふたたび注意深く読み進み、気に入った言い回しをノートに書き取り、また目を上げて窓ガラスの暗さや、机の上の花瓶の花などを眺め(花好きのばっちゃが毎日品変えして活けたものだ)、ふたたび活字に目を落とす。
 これまで抱いたことのない透明な克己心に目覚めて以来、私の神経はかえって安らぐことがなくなり、二人の老人が心配するほど少ししか眠らない日々がつづいた。安全圏に近づきつつあることからくる恐怖に苛まれた。名古屋での日々は人生でいちばん長い日々だった。あと一歩というところまで近づいていたのに、まだ安全でなかったのだから。
 寒い朝がくると、彼らがまだ起きださないうちに、玄関の戸を引いて外へ出る。路に霜が敷いている。近ごろは汐のにおいを親しく感じ、かならず海に向かうようになった。踏切を渡ると坂道になる。坂の途中の畜柵の中で、一頭の荷馬が冷えびえとした朝の空気に膝をふるわせている。浜のほうへ下っていく。仄白い海が見える。頬被りした老婆が坂を上ってくる。すれちがうとき私に向かって、
「おはよごす」
 と頭を下げた。私も挨拶を返した。
 夜明けが訪れるのを見守りながら、潮風の染みた軒の低い家々を眺めて歩く。汀に沿った一本道に、小振りな商店や、医院や、船主の家が二、三軒ある。港湾沿いにも寂れた通りが何本かあって、漁師たちが固まって住んでいる。
 軒の切れ目から、青みを増してくる海が見える。ここから先は、右へいっても左へいっても、路はすべて海辺に突き当たる。適当な横町へ曲がる。砂浜の手前に、低い煤ぼけた家が連なっていて、生活を感じさせない野ざらし小屋のように見える。ところどころ道沿いの物干しに曳網や投網がぶら下がっている。早朝の漁でとれた魚を四角いステンレスの桶に入れてうっちゃっている家もある。桶の中で、鱗をまとった大きな魚が口をぱくぱくさせている。かすかに動くエラの下に赤い血の三角形が覗いている。そんな漁家の並びの中に、板塀や木立に囲まれた裕福そうな家も混じっている。海産物を売るための商い台がぽつぽつ並んでいる道の窪に、食器や野菜を洗う水場がある。
 横町を抜けて、狭い海岸に出る。埠頭の先端に朝日がきらめいている。刃物のように海面が輝きはじめる。波の上を吹いてくる風が驚くほど冷たい。砂と小石の浜をあるく。波が傾いた船の腹を柔らかく叩いている。石を拾って、水切りをする。遠い過去から子供たちの声が聞こえてくる。海水に浸かった坊主頭。突堤(チッコ)の焚火の炎。
 ズック靴を砂にめりこませて歩く。水が滲みてくる。靴を脱いで手に提げ、素足で海水に入る。冷たい水に包まれた足の裏で、砂が柔らかく崩れる感じに覚えがある。大きなうねりが寄せてきて、よろめいた。海水が膝のあたりまできた。あわてて渚へ戻った。コンクリートの突堤の先端まで歩いていって腰を下ろし、濡れたズボンが乾くのを待つ。寒い。目のすぐ下に青く透き通った海がある。乾かないズボンを穿いて戻る。
 まれに日盛りに散歩に出るときは、町なかへ足を向けた。むかしどおりの場所にむかしどおりの品物を売っている古い店をいくつも見出した。佐藤製菓、うさぎや文具店、カクト家具店―どれも町で一目置かれている店だ。本町通りから遠く烏帽子岳を見つめながら、山つづきの農道のほうへいく。幼稚園のころ何度もばっちゃに連れられていった森につづく道。賛美歌が聞こえてくる。メロディが口をついて出てきて、子供なりに胸弾ませながら唄ったことを思い出した。城内幼稚園のクロスの尖塔を見上げる。この尖塔を見上げるとかならず、深い喜びに満たされたものだった。何百回も通り抜けた門へ近づいていく。そういえば野辺地を去って以来、この門のことをときどき思い出した。低い門扉越しに、中庭の砂場を覗きこむ。二年間、あそこで遊んだことは一度もない。ちょうど散歩の時間らしく、園児たちが駆け出してきた。興味深く眺めた。みんな元気よく、溌剌としていた。叫び声や笑い声が上がる。それが胸に迫った。
 子供たちに交じって、笑顔の美しい見知らぬ女先生の姿を見かけた。驚いたことに、ロングスカートを穿いた黒揚羽のみちこ先生もいた。むかしとほとんど変わらない顔つきだったけれど、さすがに髪に白いものが混じっている。園児たちと楽しげに門を出て、本町のほうへ歩いていった。私もああして楽しげに歩いたことがあったのだろうか。かつての私の似姿である園児たちと私を遠く隔ててしまった時の流れを思うと、首にさびしい風が吹いた。かつては何人かの名前を知っていた同じ土地に、いまでは一人も知った者はいない。過ぎ去った年月が幻のように感じる。たぶん私だけの運命ではない。十年もすればこの子供たちも、私と同じようにエトランゼになるだろう。
 それにしても、あのころの仲間たちはどこにいる? もうみんな中学三年生のはずだ。一人ぐらい道でいき遇ってもよさそうなものだ。
 けいこちゃんのことが浮かんだ。もしあの大晦日に、ばっちゃのお水取りについていってけいこちゃん親子に会っていたら―ばっちゃは近道などしないから、彼女たちといっしょに帰る道で、グランドのほうから踏切を渡ることはなかっただろう。
 夕日に染まった森が目の前に迫ってきた。樺や松が、鮮やかな褐色に映えている。川を渡った。落ち葉の敷いた道の片側に、林檎の林がつづいていた。自転車に乗ったセーラー服が追い越していく。ゴム長を履いたジャンバー姿の農民がすれちがう。庄屋のような家の石垣のあいだからスギナが覗いている。木立に囲まれた小学校の校庭で子供たちが体操をしていた。ブナの疎林を爪先上がりに登っていった。山が深まるにつれて、秋が濃くなっていく。道というのは、隙間があればどこまでも伸びていくものらしい。せせこましい道の伸びるまま進むと、崖の斜面を背に草屋根の農家があった。そこまでいって、やってきた道を見下ろした。さっきの川べりに段々畑が貼りついていた。
 足を返してクヌギの森に入りこみ、一面の落葉の上を音立てながら歩く。ほんのり樹脂のにおいがただよっている。ナナカマドの白い花の群れを見上げる。いちばん高い枝の先が金色に輝いて見えた。赤い実がたわわになっているせいで、いっそう空が高く感じられる。大きな鳥が草の上に降り立った。そのそばに、水車の廻っている小屋があった。啄木鳥(きつつき)の嘴の音が聞こえてくる。森を抜けるとき、澄んだ小川の底に小魚が走った。
 潅木がまばらになり、白い野菊の花が散在する石だらけの道を歩く。山の中腹まできたところに手ごろな草の土手があった。斜面に寝そべって、雲の動きを眺めた。太陽が山の陰に隠れはじめると、雲の下が赤く映えて、目がくらんだ。するどい陽の光は一転して重苦しい不快感に変わった。たぶん、少しだけ過去を忘れて快い気分になったということが虚しさを連れてきたのだ。過去を忘れてはいけない。夕映えがだんだん黒っぽく変わっていく。山のシルエットが暗いオレンジ色の空にくっきり浮き上がる。


         九十九

 毎日、散歩は欠かさなかった。あちらに休み、こちらに足を止めて、狭い町をなるべく時間をかけるようにして廻った。人通りの少ない道を歩いていると、耐えられないほどの感傷に胸が何度も疼いた。そんなとき、かならず保土ヶ谷につづく夜の道が浮かんだ。

  十月二十四日(土) 曇のち雨
 時間という川の流れに身をまかせながら、両岸の変化に目を留めようとする。きょうの自分がきのうの自分とちがう風景の中にいることだけを喜び、生き延びる。からだを流れにゆだねることで、きょうよりも少しでもちがうあしたを見ようとする。ゆっくりと移ろう時間のわずかな変化を楽しみながら、少しでもきのうとちがった気持ちが動きはじめるのを期待して、この静かな町に逗留する。無言で。しゃべりすぎると古い傷口が開き、それを人の目に曝すことになる。
 自分の愚かさに瞠目したときの、目覚ましい気持ちを思い出す。いまこそ流されることしかできない愚か者に生まれたのだと自覚できる。水と同じ色の保護色の皮をまとって流れに身をまかせながら、愚か者なりの伸びやかな物思いの中にただよう。岩か流木にぶつかれば、それに興味と感謝の念を覚えて通りすぎる。岸辺の景色に恋して陸に上がろうとすると、余分な衣装と作法が必要になる。もし水色の簡素な皮膚を脱いでしまったら、陸の用途に見合った衣装をあつらえ、陸上生活の作法を覚えなければならない。その衣装と作法の数だけ、面倒が増える。愚か者はその面倒を処置できない。


 毎日、カズちゃんのためにいのちの記録を書いた。私には、カズちゃんの愛情を信頼するほかに、カズちゃんへの愛情を確立させて生き延びる必要があった。カズちゃんの愛情を信頼するというのは自分を徹底して彼女に預ける行為で、そのために私はカズちゃんへの愛情を彼女の信頼を得るほどに磨かなければならなかった。愛に満ちた自分を、カズちゃんに照射する。その鍛錬に油断があってはならなかった。
 鍛錬―
 私はカズちゃんの大らかな愛情に比べた自分の矮小な愛情を恥じるようにした。そうして発奮し、矮小な自分に秘められた資質を思索しようとした。私は自分にも、他人にも、自分の行動にも、他人の行動にも、総じて愛の薄い人間だった。何ものも愛さず、何人(なんぴと)も愛さなかった。だから、飯場の社員たちや、カズちゃんや、寺田康男や、加藤雅江の存在は衝撃以外の何ものでもなかった。
 私は愛情の資質を持たない、思索するだけの人間だった。詩人ではなく、頭の悪い学者だった。北村和子を生涯愛しつづけること。それは私に課された喜ばしい〈興味〉だったけれども、その行為を意味づけようとする気持ちのありようはきわめて無感動で、醒めていた。私にとってものごとや人間というものは、単なる興味の対象で、何の意味も持たなかった。かぎりなく心は周囲の人事に対して醒めていた。だからこそ私は、汗まみれになってグランドを走り回り、一途に私に愛を注いでくれる人間を愛して、興味の対象に愛という意味づけをして歩かなければならなかった。私は生来、癒しようのない倦怠に侵された人間だった。
 ほとんどの野辺地の人たちは、自分から私に声をかけてこなかった。だから彼らは、面倒のない理想的な両岸の人だった。それほど入り組んだ事情を抱えているとは感じられないのに、彼らはみな憂わしい面持ちをしていた。とりわけ年配の人びとはそうだった。それもまた、私にとって働きかける必要のない景色だった。
         †
 転校の書類はなかなか届かなかった。
「……どうしちゃったんだろう」
「ものごとは右から左さいがねんだ。勉強の本でも買ってきたらどんだ。おめのかっちゃが送ってきた金があるすけ。―金だけはきっちり送ってくんだ」
 ばっちゃが浮いた声で言った。学校なぞいかなくてもいいという調子だ。
「それはばっちゃが使って。本を買うくらいの金なら、いくらでもあるから」
 本町の浜中書店へ出かけていった。英国数理社。手当たりしだいに問題集を買った。番台の婆さんがぶっきらぼうに、
「オメが善吉さんとごの郷だが?」
「はい」
 それだけだった。素っ気ないと言ってもよかったが、私の耳にはじゅうぶんだった。人が示すうわべだけの関心に愛情のこもった言葉など必要ないのだ。この町でなら、寄ってたかっておためごかしのお節介を焼かれずにすむ。これでものが考えられる。生きるうえで最も重要なことは、生きることではなく、生きることについて深く考えることだ。
 机に向かって問題集を開いても、とりたてて新しい気持ちにはならなかった。ページを繰りながら、ぼんやり何問か解いた。ときおりするどい痛みが胸を貫いた。それは短い感情で、その原因を探るのは物憂かった。
 一度だけじっちゃの牽くリヤカーを押して、線路を越え、浜坂の雑木林へ木っ端を拾いにいった。いつも一人で出かけるじっちゃはうれしそうだった。私も楽しかった。
「のんびりしてればいんだ。程度の低い学校さいっても、おめのカボチャの間尺に合わねべおん」
「学校いかないと、気が楽だよ」
「ちょっかい出されねすけな」
 落ち着いた柔らかい声には、細やかな愛情と心遣いがこもっていた。腐木は選り捨てて、乾いた枝だけを拾った。リヤカーに山と盛った柴を載せて帰った。
 むかしよりもおのずと細かい観察の目が、二人の老人に注がれた。じっちゃが戦艦のボイラー室から、機関車の罐(かま)へ、さらに囲炉裏の上座へと退いた人であることは何度も聞かされてきた。しかし、彼が若いときから活字好みで、老いたいまも読書の習慣を絶やさないことは、自分の目で確かめるまでは知らなかった。彼は終日、新聞や、人からもらったジャーナル誌や、紙魚の食ったような漢詩の本に目を落としていた。そのせいか、彼の懐旧譚に耳を傾けていると、相変わらず戦争に種を求めてはいたけれども、幼いころにはほとんど感じなかった知恵の深い言い回しに、はたと気づくことが多くなった。
「泳いでると、フカのヒレがスーッとこっちさ近づいてくる。日時計の板みてなヒレが海面に映ってよ、周りに立つ波が目盛みてに見えてくんだ。おっかなくても、逃げるの忘れてつい見とれてしまる」
「どうして?」
「ヒレの波模様がきれいだんだ、見とれるほどきれいだんだ。このまま食われてもいいなって、思ってしまるほどな」
 自ら啓発したにちがいないその雄弁に、私はうなった。じっちゃはもともと、自己主張の少ない温良な人だった。しかし、その温かい性格に味つけできるだけの言葉の閃きを持っていたのだった。彼の話を聞きながら、私の目はいつもぼんやりとその広い額のあたりをさまよった。そこには常に美しい表現と、するどい寸鉄がしまいこまれていた。
「じっちゃはいつも新聞を読んでるね。新聞は読んだほうがいいの?」
「必要ねじゃ。ただの瓦版だ。ほんとのことはなんも書いてね。嘘ばり書いてある」
「じゃ、どうして毎日読んでるの」
 じっちゃは大らかに笑いながら、
「アダマがさびしいからよ。アダマがさびしくね人間は、なんも読まねくていんだ」
 ばっちゃは、子育ての手が離れてからは、煎餅の笈(おい)籠を揺すり上げて荷商いに明け暮れた女だった。じっちゃが炉端の人となってからの彼女は、自由気ままにものを言う女になった。口論も恐れなかった。私が義一とともに預けられたのはそのころだった。
 ストーブの熾(おこ)っている合船場の居間には、ほとんど毎日のように近所の婆連中が遊びにきて、四方山話をしながら茶を飲んだり、たくあんを齧ったりしていた。じっちゃが顔をしかめても、知ったことではなかった。
「キョウちゃん、ばっちゃに孝行すんだイ。大学さいって、医者にでもなって野辺地に戻ってきたら、ばっちゃもうれしべに」
 ときどき彼女たちは私をまじめな顔で諭したが、ばっちゃは背中を丸め、手で口を覆って笑っているばかりだった。私はいつも承知したとばかりの微笑を残して部屋に引っこんだ。ほんとうに、そういう人生も捨てたものではないな、と思った。
         †
 詩人ではない愚かな思索の人になろうと決意しても、新しい土地での思索は億劫だった。思い出すことだけは億劫ではなかった。机にいると、とつぜんくっきりと幼かったころの追憶が洪水のように甦ってきた。野辺地、三沢、横浜。細部まではっきりしていて、まるでその鮮やかな輪郭のままに固まっているような感じなのだ。私は机の前で思いがけなく涙を落とした。たまたま戸を開けたばっちゃは、不思議そうに、ちらりと私のほうを眺めたが、すぐに目を逸らして、
「餅、焼げだぞ」
 と言った。二人、醤油餅と、ダシの効いたじゃっぱ汁を食べた。じっちゃは煙管を吹かしながら新聞を読んでいた。
「ばっちゃ、散歩にいこう」
 囲炉裏の人のじっちゃは、微笑しながら鷹揚にうなずいた。ばっちゃと海へくだっていった。
「ばっちゃ、あれは?」
 暮れかけた海浜の崖を指さす。久しぶりに尋いてみたくなった。これも追憶の一つだった。私の指の先に背の低い常緑樹がある。
「ツゲ。もともとあったけえ土地の木だすけ、ここらあたりだばめずらしい。春に黄色い花が咲くど」
「じゃ、あれは?」
 ニラに似た葉だ。淡い紫の花をつけている。
「ツルボ」
「あ、あの花はぼくわかるよ」
 私は咲き乱れている紫の花を指差し、
「マツムシソウだね」
「ンだ。薬になる。擂ってカズのハダケさ塗ってやった」
「あれは?」
 高木に絡みついている黄色い花穂の群れを指さす。
「キヅタ」
「あれ―」
 美しい濃い藍色に輝く星だった。あるものはまっすぐに、あるものは湾曲して光っていた。
「カイソウ」
 知識を披露するのは、ばっちゃばかりではない。このごろではじっちゃもむかしとちがって、ことあるごとに、いろいろ物知りぶりを発揮する。いつだったか、天井を走っている節立った梁を指さしながら、
「ああいうのって、めずらしいよね。合船場でしか見たことがない」
 と言うと、
「明治の初めに、三千円もかけて建てた家だすけ、頑丈だんだ。あれは赤木ってへる」
「赤木?」
「皮剥いだ木だ。皮つけたままのは黒木、赤木を四角く削ったのは白木、四隅さ皮残した材木は面皮(めんぴ)柱ってへるんだ」
 彼らは天然の知識人だった。私はうれしかったが、自分が知識人になろうとは思わなかった。それには人工的な鍛錬を必要とするからだった。つまり私は、人工を施してようやく成就する愚かな学者だった。私は天然の彼らと日々接しているうちに、自分の小さな器に対する認識をいよいよ深めていった。そして、これまで、人びとの誤解を糧にして生き延びてきたことを痛感した。
         † 
 坂本家で、ホッケとホタテをもらった。今回も、上がれ、と言われ、炉に立てた重油ストーブから離れてかしこまり、ばっちゃといっしょに茶をすすった。土地の者は炉端に馴染んでいる。暖かい土地からきた私には暑すぎた。坂本家には、野辺地にはめずらしくテレビが置いてあって、ばっちゃの言ったとおり金回りがいいことがわかった。ばっちゃの妹だという女房は、カニを出し、亭主はストーブに手をあぶりながら、カニの食い方を教えた。ミソを一口食べて、やめた。気味の悪い食感だった。同じ年頃の子供が二人いるという話だったが、きょうも部屋にこもったまま顔を出さなかった。一杯の茶で引き揚げた。
「ときどき遊びにくればいいんだ」
 女房に言われたが、どういうときに、どんな気持ちで遊びにくればいいのかわからなかった。勾配のある坂を小さなばっちゃと戻っていく。
「じっちゃの弟も近くにいるたって、堅(かだ)くてよ」
「やっぱり、魚とってるの」
「なんも、こねだまで町役場にいたのよ」
「新しい本が読みたいな。手垢のついてない本」
「あれで、足りねってが」
「読みきれないくらいだけど、自分で見つけたいんだ」 


         百
  
 ばっちゃといっしょに夕暮れの本町へ出た。他人の生々しい内省の記録、それでいて自分に似た感情の経緯がはっきり刻んである本を読みたかった。まじめな本には、何よりもまず愛情のことが書いてあるということを、私は知っていた。私がこれまで記憶してきたことは、恋にのめりこんだ人間はまるで気ちがいのようになり、自分や他人をピストルで撃ったり、シベリアへ流されたり、修道院へ入ったり、ひとことで言うと、まったく新しい生活を余儀なくされるということだった。
 本町の坂を野辺地駅のほうへくだって、このあいだ問題集を買いにいった浜中書店に入り、雑然とした店内を見て回った。ほとんどの本に埃がかぶっていたが、これと思った一冊一冊のページを開き、最初の一ページにきちんと目を通した。どれもこれも気に入らなかった。ほとんどが断片的な知識をまとめた実用本か、ベストセラーの通俗小説か、好事家のための月刊誌だった。『愛と死をみつめて』のような真摯なドキュメンタリーさえ見当たらなかった。善司の書棚の古今の文学書に比べれば、それは本と呼べる代物ではなかった。ばっちゃは、番台の婆さんと親しげに話をしていた。
「帰ろう、ばっちゃ」
「ンだな、へば」
 彼女が婆さんに挨拶しかけたとき、番台の背後の小さな棚に、辞典類に混じって異質に輝いている黒い背表紙が目に入った。取り出してもらって眺めると、表紙の真ん中に白黒の美しい写真が楕円に型抜きしてあった。黒い丸帽子をかぶった異相の男が、緊張に満ちた目で私を見つめている。『中原中也詩集』という金刻の書名が目に鮮やかだった。
         †
 開いた窓から、細かい雨が流れこんできた。十月の末の冷たい雨だ。この雨が雪に変わるのも、そう遠い日ではない。小学生や中学生たちが賑やかに下校していく。雨をしばらく手の甲に受けてから、窓を閉めてざわめきを締め出した。黒表紙の本を開く。それぞれの詩の前に、あまり内容と関係のなさそうな題名がついているのが少しじゃまな気がした。盲目の秋とか、羊の歌とか、あるいはゆきてかへらぬというようなおかしな題名が、気に入らなかった。
 しかし読みはじめると、そんなものはまったく気にならなくなり、不気味に整った言葉のリズムにたちまち圧倒された。止まらなくなった。未完詩篇にまとめられたページをめくっていくうちに、幼なかりし日という、哀しげな響きに満ちた詩にぶつかって、私は身ぶるいした。

  
在りし日よ、幼かりし日よ!
  春の日は、苜蓿(うまごやし)踏み
  春空を、追いてゆしきにあらざるか?

  いまははた、その日その草の、
  何方(いづち)の里を急げるか、何方の里にそよげるか?
  すずやかの、音ならぬ音は呟き
  電線は、心とともに空にゆきしにあらざるか?

  町々は、あやに翳りて、
  厨房は、整ひたりしにあらざるか?
  過ぎし日は、あやにかしこく、
  その心、疑惧(うたがひ)のごとし。

  さはれ人けふもみるがごとくに、
    子等の背はまろく
    子等の足ははやし。
  ……人けふも、けふも見るごとくに。


 十五行を目の底にしっかり焼きつけた。私はまず言葉の響きとリズムにつかまれ、詩を読む姿勢を一瞬のうちに体得した。読み返し、二度、三度と口ずさんだとき、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
 たしかにこれまでの私は、世間で評判の小説をまじめな顔で読み、そんな自分の姿に健康な喜びを感じるくらいで満足するような、そして、およそ深刻な文学がこの世に存在するなどということを知らないような、血の巡りの悪い素朴な少年だった。ところがいま詩という蒼ざめた芸術が、とつぜん大きな神になったのだった。
 私は詩集のページから、命の香りの高い、それでいてひんやりした空気が自分のほうへ流れ寄せてくるのを感じた。きのうまでは、善司の書棚の本を読んでいると、耳に柱時計の刻(とき)を告げる音や、じっちゃの痰を吐く声や、壁を隔てた部屋でばっちゃがガサガサと立ち動く音が入ってきた。いまはその音も消え、まったき静けさの中で、活字を追う目の奥に詩人の感情が滲み入った。
 私は自分の貧しい語彙に宝石のような言葉をいくつも加えたように思い、その言葉を使って自分なりにしっかりした詩を書いてみたくなった。詩集を閉じ、いのちの記録を取り出すと、さっそく、考え、考え、一篇の詩を書いた。
  
  思い出を
  ひとつのそま道を越える 冬の雲に見立てようか
  それとも またひとつの峡谷を渡る丸木橋に?

  私のなかに 歌のことばが残った
  なめらかな膚(はだ)の立像の
  雨滴(うてき)が肩から流れ
  腰をつたい 足下の滓(おり)となるように

  愛することも 愛されることも
  明るい光のなかで 終わってしまった
  ああ
  みんな、みんなと訣(わか)れたい
  み・ん・な・み・ん・な・と―


 別れを演出してみたいと思った。別れだけに関心があった。中也の言い回しを剽窃したような、まとまりのない下手な詩だったけれども、加藤雅江に贈ったものや、浅野の部屋で書いたものよりは上出来に思われた。すると、あふれるように、予感や期待が心に湧き立ってくるのを覚えた。おそらく、私は自分が詩人であることに気づいて、急に眼差しに輝きを帯び、ほんとうの意味で美しくなったように感じたのだった。私は愚かな学者ではなく、すぐれた詩人かもしれない―。
 瞬間、不思議な気持ちが起こった。たった数秒間のことだったけれど、幼いころからあこがれていたいっさいのことが、ひとかたまりになって不意に目の前に現れたようだった。大きい美しい仕事が、書くべき詩が、自分を待っているのが見えた。海からの風が雨や雪を吹きつのって押し寄せる音が聞こえ、風の渡る景色が色鮮やかに輝くのが見えた。すべてが同時にハッキリ見えた。
 私は翌日本屋に出かけて、店にあるかぎりの詩集をすべて買ってきた。たった四冊だった。立原道造、八木重吉、ヴィヨン、ヴェルレーヌ。
「ばっちゃ、四、五時間ぶっ通しで机に向かうから、昼めしいらないよ」
 すぐに机に向かった。私は、一人ひとりの人間を知り、彼らのことについて思いめぐらすことが、どんなにやりがいのあることであるかを知った。私は一行一行を読んで思いついたすべてのことを、脈絡も吟味もなく、いのちの記録に書き留めた。そうやって彼らの書き残した貴い精神を探っていくうちに、痼疾のような倦怠や自棄が、自分を肯定的に包みこむのが感じられた。
 ―ぼくも詩人の一人かもしれない。ぼくの前に広がっている世界は、ぼくが秘宝を掘り起こし、埃を取りのぞき、言葉の力で永遠化するのを待っているのかもしれない。
 そんな考えが、ためらいがちに、胸苦しく湧き上がってくるのだった。
 一日欠かさず、詩を書くようになった。ノートが短い詩や長い詩で埋まっていった。書き上げたそれぞれの詩の末尾に、小さな字で〈十五歳〉と記した。詩を書いているときの静寂(しじま)には、何かすばらしく厳粛なものがあった。私は詩を書く行為そのものに胸を高鳴らせ、書き上げた詩のスタンザを凝視しながら、苦しいほどの創造の歓びを覚えた。
         †
 十一月四日、水曜日。とうとうカズちゃんから第二信が届いた。ハサミできれいに封を切り、便箋を開いた。

 前略。キョウちゃん、私はすぐそばにいますよ。八幡宮の前の道を右へ進んで、道なりに小道へ入った先のT字路の左角、やわた荘という名前のアパートに接した平屋の一戸建です。八畳と六畳に、台所と落とし便所がついています。仮住まいなら上々でしょう。野辺地中学校の裏手にあたるので、学校の帰りに寄りたくなったときは便利だと思います。表札をつけておきます。
 五十嵐商店という市場の青物屋さんに店員として勤めるか、野辺地に着いた晩に一泊した駅のそばの鳴海旅館というところに賄いに入るか、どちらかにしようと思っています。いずれにせよ、ひと月ぐらいは働きません。ぶらぶら野辺地の町を歩いて、全体の地図を頭に入れようと思っています。まずは一報まで。早くキョウちゃんに会いたい。
 追伸。この手紙に返事はいりません。台所用品の買い物をしたり、蒲団やカーテンをあつらえたりしなくちゃいけないので、土曜日あたりを目指してきてくれるとうれしいです。あせらないでね。すぐそばにいるのですから、慎重に慎重を期して、ときどき逢瀬を果たしましょう。心から愛しています。
  郷さま                和子


 ほんとうにカズちゃんはやってきた! 私の人生に新しい一ページが開いたのだ。
         †
 五日、木曜日。風の強い朝に、ばっちゃが竈の焚き落としを行火(あんか)に入れて炬燵を用意した。掛布から枯れ草のようなにおいがした。
「あしたにでも、電気炬燵、買ってくるべ」
 炬燵に入り、目先を変えて善司の本棚から小説を取り出し、一日じゅう読書に精を出した。カズちゃんに逢いたい心を抑えながら読むので、集中力が散漫になる。短編ばかりを選んで読んだ。トーマス・マンの道化師と、チェーホフの眠いは幸運な出会いだった。日本文学では、遠藤周作の白い人・黄色い人、志賀直哉の正義漢が気に入った。梶井基次郎という人の闇の絵巻に感動した。三度、四度と繰り返し読んで、到達不可能の飛び抜けた技量だと確信した。檸檬は結末部が平凡で、代表作とされているのが訝しかった。
 夕食を終えてから散歩に出て、まだ薄明るい海辺の星空を眺めた。雲が赤く輝きはじめ、風といっしょに舞う粉雪がきらきら光った。初雪だった。
 ―たしか風花というんだったな。花というよりは、ダイヤモンドだな。
「キョウ、これ、きのうきてたの、忘れてらった」
 ばっちゃが障子戸を開けて差し出した。薄っぺらい封筒だった。表に太い青インクで浅野修と書いてあった。驚くほどの達筆だった。便箋を取り出すと、これも大振りで律儀な文字が書きこまれていた。

  前省。
 その後のきみの様子を知りたくて、お母さんに電話で問い合わせましたが、いっさい連絡をとっていないということで、住所だけ聞いて手紙を出すことにしました。元気でおりますか。お祖父さん、お祖母さん、転校先の仲間たちとうまくやっていますか。そうであることを祈ります。あごの腫れは退きましたか。とても心配です。申しわけのないことをしました。
 きみは、単純で、率直で、そして求めても得られないような心からの雄弁の持ち主でした。自分が愛を抱いているということにより、そしてその愛は悪人さえも善人にするということにより、自分を取り囲むすべての人に愛を抱いているきみは、あんなふうにきみを裁いている私たちにさえ、そのあふれるようなやさしさを感じさせないでいませんでした。きみは、荒々しい口ぶりや表情の中に、滝澤さんに対する愛と好意だけを示していました。たしかに、あの恋人がきみを信頼していたら、彼女ももっと希望に満ちた手段をとったにちがいないが、彼女の希望の種類はきみのものとちがっていたのでしょう。恋愛をしたこともないくせに、と私を糾したきみの言葉は、胸に痛く突き刺さった。すごいやつだと思った。私の母はしっかりきみのすごさを見抜いていました。
 もう、どんな場合にも、鉄拳を振るうような、人間として恥ずかしいまねはしないでしょう。心からきみに許しを請います。あと三カ月余りで中学生活も終わります。きみが一日も早く名古屋に戻れるよう全力を尽くします。お母さんという崩せない牙城があります。そのことも頭に入れ、どうか期待しないで待っていてください。
 母と弟がくれぐれもよろしくと言っておりました。いつの日か、再会を心待ちにして。さようなら。お元気で。
  神無月郷くんへ             浅野修


 浅野の手紙には、人間が実直になったときに考えられ得る後悔と陳謝の言葉が、手短に書いてあった。しかし、それだけのことで、何の感銘も受けなかった。〈いまさら何か言う〉ことほど簡単なことはないのだ。どんな実直な心にも、その中心にほんの少しの傲慢さがある。人のためによいことをしようというどんな気持ちの中心にも、人を矯めようとするほんの少しの無邪気さがある。それがいやだった。
 私は浅野の手紙を、誤解のために失われた友誼を取り戻そうとするラブコールとしてではなく、袋小路に追いやられて絶望している人間を慰める心やさしいエールだと考えて、しばらくさびしい気分にひたった。私はこれまでエールを必要としたことはなかったし、これからも必要になるとは思わなかった。私は希望を持ったこともない代わりに、徹底して絶望したこともないのだ。
 からだの芯まで滲み徹る寒さの中へ出た。いまが一日の中の何時ごろなのかもわからないほどの鈍い光だ。義一と家出したとき、汽車の窓にこの光を見た覚えがある。人のいる景色を求めて、街のほうへいく。人びとが楽しげに、あるいは自信ありげに、道をいくように見える。なぜかわからないけれども、彼らは自分の人生模様に満足しているのだ。
 歩いているうちに、康男がヤケドをして以来の、この十カ月余りの情景がとつぜん甦り、構図の不完全な写真のように、一枚一枚、まぶたの裏に貼りつけられた。それを見つめているうちに、私はとてつもない無力感に襲われ、意味もなく生きていくこれからの長い人生を予感した。
 帰りに、野辺地東映の隣の銭湯に寄った。タオルと石鹸を借りた。隅々まで丁寧に洗った。土曜日のカズちゃんとの再会を考えて、恥垢もきれいに落とした。


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