百六

 小湊のあたりで淡い夕暮れが降りてきた。薄紫が山の稜線に滲む。
「いいなあ。あの空の色。この色を記憶にしまって死んでいきたいといつも思うんだ。それから、冬の寒さ、凍った道、吹雪、それも記憶にしまって死んでいきたい」
 山口が私の腕を握り、
「おい、言葉だけにしておいてくれよ」
「死んでいきたいというのは、生きていきたいというのと同じなんだ。生きていくことを覚悟するための、強調表現だ。実際に死ぬことじゃない。死んだら記憶は残らない。それより山口、おまえ今度の中間試験、かならず一番取れよ。古山が、おまえには無理だと言ってたぞ。馬鹿にしてやがる。山口はいずれやるとぼくは言った。夏休みまでに、試験はあと、中間、期末、東奥日報模試の三回しかない。それで首席を取れ」
「五番以内で勘弁してくれ」
「勘弁しない。勉強とか、マラソンとか、そういうくだらないものでは一番を取らなくちゃだめだ。くだらないものに価値を置いてるやつに復讐するためだ。恋愛とか天職といった〈くだる〉ものでは一番でなくていい。それは復讐するものじゃなくて、みちのりを堪能するものだからね」
「……すごいことを言うなあ。俺の愛する男は」
 運転手がバックミラー越しに、
「……サイン、いただけますか」
「いいですよ。記念にはなるかもしれないけど、野球選手のサインなんか、将来何の価値も出ませんよ」
 取り合わないふうに、運転手は車を路肩に停め、振り向いて手帳を差し出した。私は堅い楷書できちんと姓名を書いた。
「××と言います。日付もお願いします」
 自分の名前を言ったのでそのとおり書き、昭和四十一年五月五日と日付も添えた。運転手は押しいただくようにして内ポケットにしまった。
「最後にひとことだけ、いいでしょうか」
 運転手が振り向いた。
「はい」
「神無月さん、山口さん、カズちゃんさん、いい時間をありがとうございました。ふだんとはまったく別ものの時間でした。なんというか、お三人の会話は現実離れしているのに、深い真実味にあふれているんです。胸にきました。生き方の問題なんでしょうね。私どものような人間には、とても考えられないような生き方をしてきたんだと思います」
 揶揄のない率直な賞賛をすると、運転席から手を差し伸ばして、後部座席の三人に握手を求めた。誠実な二重まぶたをしていた。私たちを旅館に降ろすとき、運転手は胡麻塩頭を掻きながら、
「ほんとにいい一日でした。一生忘れません」
 と言った。
         †
 数日、強い風が吹き、桜が登校路やグランドの生乾きの土に散り敷いている。大気が湿っている。
 連休明けから練習の日々が始まった。三時半過ぎにグランドに出て、六時過ぎまで。フェンス沿いに五周、三十メートルキャッチボール二十本、センターの守備位置に向かって遠投十本、トスバッティング三十本、守備練習、フリーバッティング、そのあいだに三種の神器(私だけ)、ベーラン三周。一人のサボタージュもなく、きっちりやった。風があるので汗がすみやかにひいていく。
 健児荘に帰ると、素振り百八十本で汗をかき直し、山口を誘って毎日銭湯にいった。二人で遅い夕食。ユリさんの姿はなかったが、時間が定まったので、かならず三品以上のおかずを用意していた。うれしかった。八時から十一時まで予習。主に数学の問題集と古文の参考書をやった。学生社・数UB1000題、洛陽社・小西甚一『古文研究法』。浅虫からの帰りに、山口と書店に立ち寄って買った本だ。十一時から一時前後まで読書、あるいは詩作に打ちこんだ。一時半就寝。
 七時半起床。洗面。食事。八時十五分登校。八時半から三時半まで授業。山口は六時半に起床して、コーヒー一杯飲んだきり、一足早く登校していた。夜、ときどき彼の部屋でコーヒーを飲み、ギターを聴いた。
 母から手紙がきた。

 前略。名古屋市の中村区から近い区の普通高校をあたりました。中村区は中村高校と松陰高校、西区は名古屋西高校のみ、中川区はなし、熱田区は熱田高校のみ、中区はなし。それぞれの高校に転入の問い合わせをしたところ、今年転入試験を実施する予定のあるのは、名古屋西高校だけでした。しかもいま並べた高校の中で最も名高い高校でした。なお、もう一校向陽高校という学校が転入試験を行なうということでしたが、同校は昭和区にあり、通学するのに非常に遠いので、名古屋西高校のほうへ届出を出しておきました。募集人員は一名、試験の日程は、八月七日(日)です。
 学校に出向いて教務課主任のかたにもお会いしてきました。そのかたのお話によると、過去に東大合格の実績はないが、京大に二名合格者を出したとのこと、また毎年名大に二十名から三十名の合格者を出すとのことでした。名古屋市の五本指に入る高校だそうです。となれば、東大合格六、七人程度の青森高校と比べて遜色なしと母は考えました。
 なお、名古屋西高の土橋校長先生は、偶々青森高校の小野校長先生のご友人であるとのこと、これも幸先のよい話です。教務主任におまえの成績のことを告げると、初めて東大合格者を出せるかもしれないと喜んでおりました。この高校にいくことを勧めます。
 青森高校の石崎先生には連絡をいたしました。いずれおまえにも話があることと思います。石崎先生から書類が届きしだい、名古屋西高へ受験の手続をしにいきます。
 名古屋西高までは、岩塚寮から自転車で三十分ぐらいです。おまえの勉強部屋は、いずれ飯場の別棟に用意します。朝食と夕食は社員たちといっしょにとれるよう所長に諮りました。
 大沼所長さんは東大建築学科を出た人ですが、東大出とは思えないほど気さくなかたで、飛島寮を明るく引き立ててくれる中心人物です。ほかの社員たちも底抜けにいい人たちばかりで、おまえも一年半を快適な人間関係のもとで、充実した勉学生活をすごすことができるでしょう。飛島寮社員一同、お前の到来を心待ちにしております。
 定員一名ですから、ゆめゆめ失敗せぬよう念入りな準備をしてください。おまえも話しづらいだろうから、野辺地のじっちゃばっちゃには手紙を出しておきました。
  郷殿                              母より


 すぐに山口に報せにいった。彼は少し不安な顔をし、
「こうきたか。どうこようと関係ないけどな。……ふと考えたんだが、甲子園出場が決まったら、転入試験はどうする。たしか甲子園は八月の二十日ぐらいまでの日程だろ」
「出場しない。おふくろのことだ、かならず出場にストップをかける」
「徹底してあきらめてるんだな」
「ま、甲子園は十中八九ないよ。そう簡単に優勝できるものじゃない」
「そうか。俺の転入試験は八月十四日だ」
「ぼくは八月七日、一足早いね」
「試験結果は即日出ることもあるし、二、三日かかることもある。受かったらこの番号に電話よこせよ。実家だ」
 メモを受け取り、
「ああ、すぐ電話する」
「いや、おまえが寮で電話を使うのは何かと不便があるだろう。だれに電話してるんだということにもなるしな。和子さんから連絡してもらうことにする。俺の顛末は、ハガキで報せる」
「わかった」
         †
 翌日、ホームルーム終了後、石崎の執務室に呼ばれた。
「きみのお母さんから、経済的な環境が整ったので、この二年、諸事情あって心ならずも手離していた子供を引き取りたい、ついては―というわけで、転校を願い出る手紙がきた」
「ぼくにも本人から手紙がきました。……強引です」
「うん、西沢さんから聞いていたが、母親に対するきみの恐怖の素はこれだね。きみの意思をまったく無視した一方的な申し入れだとわれわれは考えている。しかし、学校側がその嘆願を撥ねつけることは法的にできないんだ。子供を親もとに置くという社会的な理も通っているしね。きみ自身思いとどまる気はないかね。もしその気があるなら、いまからでもお母さんを説得する手紙を書くが」
 私は石崎の温顔に笑いかけ、
「ぼくの意志を支持する手紙を書いてもむだでしょう。母はいかなる説得にも屈しません。残念ですが、トーナメントが終わったら青高を去ることになります。まんいち、甲子園出場が決まった場合は、母に半年延期を談判することも考えましたが、どれほど栄えある甲子園出場でも横槍を入れられるでしょう。転入試験の期日を口実にぼくの出場にストップをかけると思います。たとえ甲子園の虎の威を借りても、母の思惑を覆すことは難しいということです。母に共感まではしないにしても同調する人は多い。今回も親族から新聞の情報が流れたことが原因です。今すぐ連れ戻さないのは、転入試験の時期が八月だからです」
「そうか……。青高からドラフト一位の選手が出て、プロで華々しい活躍をする、そんな未来を夢見てたんだが……。お母さんに抵抗できない何らかの理由があるんだね」
「ありません。ぼくは青高で野球をやり、青高で勉強をしたいんです」
「じゃ、どうして、お母さんの強引な提案を受け入れるのかね。ここにいれば、勉強もスポーツも十全にできるだろう」
「提案じゃありません。命令です。ぼくが名古屋からこちらにきたのは、素行不良の息子に厳罰を食らわせるためだったんです。感心しない人間関係と、野球への没頭を奪うこと。それが眼目でした。青高に入学し、幸い、母に秘密裡に野球を再開することができ、勉強の成果も相応に挙げることができました。これまでは、周囲の人がぼくの更生を母に諄々と告げてもけっして信用しませんでしたが、今回は青森高校という受験名門校でぼくの成績が順調に伸びていることを高校側に確認し、ついにぼくの〈更生〉を信用する気になったというわけです」
 これ以上の母の固執は説明しない。私を成功させないための連れ戻しだなどという理屈は、だれも信じない。野球選手と勉強との関係を丁寧に捏造しなければならない。
「全国版の新聞が野球の活躍を派手に書き立てたせいで母に報告がいきました。ぼくがこれをきっかけにむかしの怠惰な生活に後戻りして、勉学に悪影響が出るのではないかと危機感を覚えたようです。連れ戻しに拍車がかかりました。せっかく築き上げた勉学の成果を後生大事にするためには、野球を奪う必要がある。つまり青高に置いておけない。そのための転校なんです。彼女なりに、刑期が明けて不良息子が好転したと考え、この機に無理を押しても連れ戻そうと決めたわけです。ふつうなら、クソ食らえ、何が更生か、ですよね。しかし、ぼくは反抗できないんです。悪口を言うのは心苦しいですが、母は勉学以外を嫌う性格異常者です。反抗したら、終生、野球というぼくの生甲斐ばかりでなく、人生そのものに横槍を入れてくるでしょう。たとえ未成年でなくなっても」
 石崎は挟む口もなくポカンとしている。
「ぼくは更生しなければならないような悪事を働いた覚えはありません。母は、ぼくを矯め直したいんじゃなく、単なる生理的な嫌悪感からこちらへ送ったんです。投げ捨てたんですね。そうしておきながら、世間的に好ましい評判が立つと、引き寄せてわが身を飾ろうとする」
「飾る?」
「ぼくに東大合格の可能性が出てきたからです。彼女は一流大学病ではなく、いつのころからか東大病に罹りました。その経緯はぼくにはわかりません。東大でなければ人間でない。……飾りで人を威嚇するタイプの人間になりました。その病を治してやる義務はありませんが、治さないと野球をやれる可能性がほとんどゼロになる……。ぼくはそこまで追いこまれました。単なる一流大学に入ることは彼女にとって妥協です。その大学でさらに息子が野球をするのを見逃す妥協はしないでしょう。親の権利を振りかざして絶えず妨害するはずです。ぼくの命運は尽きます。……ところで、連れ戻しの件ですが、もともとぼくは致命的な悪事を働かない人間です。それは母もわかっています。ただイケ好かない人間のわけです。そんな人間でも、そばに置いて世話することで世間的な受けのピンである大学に入ってくれれば、彼女のうれしい飾りになります。ぼくへの嫌悪感が消えるはずもないのに―。作用反作用です。ぼくにも母に対するひどい嫌悪感があります。名古屋へ戻っても正常な人間関係は望めないでしょう。くどいようですが、それでも彼女がぼくを連れ戻そうとするのは、ひとえに、息子の東大合格という名誉でわが身を飾りたいからです。彼女は、スカウトを追い返してぼくから未来を無慈悲に取り上げた人間です。才能で人が階段を昇ることもあるという事実を絵空事としか思えない人間です。今回も、転校後はぼくに野球をさせないでしょう。ぼくはそこへ戻っていきます。野球をしばらく休み、東大に合格して、東大病の母の虚栄心を満足させ、少し油断してもらってから、あらためて野球に没頭しようと思っています。母は野球をすること自体をバカの所業として許しません。東大に入っても許すかどうかわかりませんが、バカでない東大生がクラブ活動をしている程度のものだということで、抵抗は弱まる可能性があります。それだけプロに進める可能性も大いに高まります。未成年を脱したときに、周囲の協力に抜かりがなければの話ですが」
 石崎は唇の端を悲しそうにゆがめ、
「……なるほどね。そういうことだったのか。残念だが、野球を継続するためには、転校が最良の方法ということになるね」
「はい……母から強引な手紙がこなければ、もう二年間青高で野球をすることがができました。それだけのことなんです。青高であれ、名古屋の高校であれ、将来野球をするためには、東大に合格しなければならないことに変わりありません」
「了解した。事情は、校長以下すべての教師に文書を刷って伝えておく。……都会の高校の転入試験は難しいぞ。落ちたらまた青高に戻ってきなさい。そういう手続をとっておくから」
「もちろん、落ちたら戻ります。母もぼくを何年も置いておく理由がありませんし、ぼくもそのほうがはるかにうれしいです。ただ、力足らずに落ちるならまだしも、わざと試験に落ちて青高に戻ることはしません。青高に戻れば、今度は、野球をやめさせるようにという嘆願書がくるに決まってますから。そればかりでなく、いろいろな人間を総動員して勉強だけするようぼくに圧力をかけてくるでしょう。煩わしい手紙や、親族の派遣などの手段で。ぼくを矯めようとして母に味方する親族知人は何人かいますから」
 石崎の深刻な顔つきを見ると、迫害のイメージが彼の頭の中でかぎりなくふくらんでいるようだった。潤色した説明は成功裡に終わったようだ。親族や知人? むろん、彼らがそんな面倒くさいことをするはずがなかった。
「書類は一週間もすればできあがる。すぐお母さんに送っておく。転校まで青高の勉強に全力を尽くしなさい。一学期の成績は、転入の重要な参考になるからね。西沢さんと相馬さんはきみの大ファンだ。折を見て彼らには文書以上のことを伝えておく」
「チームメイトと相馬先生には、トーナメントが終わってからぼくが伝えます。試合の意気ごみに響きますから。チームに不安を与えずに全力を尽くしたいんです」
「そうか。……それにしても残念なことだ」


         百七

 五月二十一日土曜日。十七日から五日つづきの快晴。気温も朝方五度をくだることはなくなり、日中は二十度を超えることが多くなった。多少の冷え戻りはこれからも何日かあるだろうけれども、本格的な春の到来だ。部室の気温、二十・一度。グランドは理想的に乾いている。
 一時から五所川原農業高校と練習試合。五所川原チームがバス二台を連ね一時間かけてやってきた。正門からぞろぞろ灰色のユニフォームが入ってくる。紺のストッキング、無番。青高も合わせて無番にしている。監督同士、選手同士、グランドで挨拶をし合う。めいめいキャッチボールに散る。風がかなりある。
 きょうから、また例の仮設スタンドが設けられている。ライト側は、金網と校舎とのあいだに立木が密集しているせいでスタンドを仮設できない。仕方なくレフト金網の外部にこしらえる。去年は一つだったが、今年は十メートルほどの間隔を置いてもう一つ作ってある。センター寄りは五所川原用だ。敵味方の学生たちが肩を並べて騒ぎ立てている様子は滑稽でほほえましい。それぞれの最下段に応援団が立ち、二段目にブラバンが坐る。三段目と四段目に教師たちと、いち早く席を確保した学生たちが陣取る。金網沿いに立ち見がぎっしり貼りついている。バックネット裏にも三段ほどの雛壇が設けられ、五人、六人、眼光のするどい日焼けした男たちが坐った。どう見ても練習試合に顔を出すような面相ではない。プロをはじめとする野球関係者たちだろう。
 バックネット前に網の色も青々と真新しいバッティングケージが据えられている。試合前の練習では使わない。一塁側と三塁側の石ベンチの上に日除けテントが張られ、センターの金網の背後には、丈の高い一枚板のスコアボードが建てられた。補欠選手が梯子を登って得点を書きこむ。両翼にこれも新設の十メートルの黄色いポールがそびえ立つ。それだけでもだいぶグランドの見映えがちがう。両軍のテントの両側に、相変わらず新聞記者やカメラマンが控えていた。
 学生服に野球帽をかぶった長田という標準語を使う新顔のマネージャーが、レギュラーに挨拶して回っている。室井の話だと、基本技テストではねられた生徒の中から有志を募ったとき、進んで志願してきた一年生だということだった。女みたいに色白で小さい。ぴちぴち動き回って愛想もいいが、安西マネージャーに比べて頼りない感じがするし、目つきや立ち居に人好きしないところがある。マネージャーのやる仕事は、スコアブックつけと、選手の応急の手当てと、備品の管理と、練習や試合のあとで下級生といっしょに部室を掃除することだ。そういう世話役がいなければ、やはり部活動に支障が出るというわけだ。
「先週、五所川原まで偵察にいってきました。エースはサウスポーで、小笠原くらいの速球派です。守備はまあまあ、バッティングは青高チームよりかなり劣ります。ところで、山田高校は今年の優勝候補の一つに挙げられました。山田は第三シード、青高は第二シード。夏のトーナメントでは、上のほうで当たるかもしれません」
 敵の守備練習のあいだ、小笠原が一塁側ブルペンで入念に投げこむ。室井のミットがするどい音を立てる。百三十七、八キロは出ている。カーブの曲がりもいい。短期間のうちにすぐれたピッチャーに仕上がりつつある。この先地肩(じがた)ができあがっていき、百四十二、三キロも出せるようになれば、大学野球はもちろん、ノンプロぐらいでやれるかもしれない。青高チームの守備練習が終わると、校歌演奏のエール交換が始まった。相馬が全員を呼んだ。
「先発は小笠原、打順は、キャッチャー室井五番、ファースト木下七番、セカンド七戸八番、サード柴田六番、ショート四方一番、レフト神無月四番、センター山内三番、ライト金二番。コツコツ点を取るなんてことはしないぞ。ランナーが出ても出なくても、去年と同じように、どんどん打っていく。バントするしないは自分の意思で決めろ。盗塁も自由だが、神無月の打席ではするな」
「ウース!」
「こっからはもう口を出さん。毎試合、本番だと思っていけ」
 五農チームが守備に散った。痩せ型の右ピッチャーのストレートは百三十キロ弱。カーブは百キロ台だ。エースではない。背番号10をつけている。山田戦に惨敗した青高打線を見くびっているのだろう。全打席ホームランを打つことに決めた。私は室井に言った。
「あいつ、準エースですね。なめてる。初回にうんと点を取って、エースのサウスポーを引きずり出しましょう。もちろんコールド」
 感情にまかせた工夫のない言葉を吐いた。
「よし、五回コールド!」
 主審、塁審、線審は、両チームの三年生補欠から三人ずつ選んで、どちらの身贔屓もないように籤引きで決めた。青高応援団が何やら高らかに叫び、『選手を送る歌』が吹奏される。意気揚々と一年生の四方が打席に立った。ヨイショという感じで投げこまれた初球を叩いてレフト線を抜いた。二塁へ華麗に滑りこむ。金網から大歓声が沸き上がる。
「スタンディングダブルでいがべ。何格好つけてんだ!」
 沼宮内がうれしそうに叫ぶ。金網の端で目立って手を振っている男女がいる。真っ赤なワンピースとポロシャツ。カズちゃんと山口だった。私はテントの中から両手を振って応えた。
「ようし、搾り取るぞ!」
 相馬が膝を叩いた。金はバットを片手でグルグル振り回しながらバッターボックスに入った。百八十センチ。ファーストの木下に次いでチームで二番目に大柄な男だ。
 ―小山田さん、いけ!
 初球外角のストライクを見逃し、二球目のヒョロヒョロ球を引っ張った。ライナーでレフトの頭上を越える二塁打。早々と一点先取。ベンチの歓声、スタンドの太鼓の乱打。山内がボックスへ走っていく。長打力のある三年生だ。
「山内さん、一人ぐらい掃除しちゃおう!」
 私が叫ぶと、こちらを向いてヘルメットグイとかぶり直し、ニヤリと笑った。ノーツーからの三球目を、みごとに左中間の五農スタンドに高々と打ちこんだ。
「やったー!」
「嘘だべ!」
 強い風がある。きょうはかなりホームランが出そうだ。吹奏楽がうるさく鳴る。ベンチ総出で金を迎える。五農の監督が手を挙げ、ピッチャー交代を告げた。長身の無番が走ってきて投球練習を始める。左の本格派。たしかに小笠原並みの球速だ。外に逃げるカーブが決め球のようだ。左バッターの私は手を出してはいけない。
 私がボックスへ向かうと、青高スタンドからウオーというどよめきが上がった。太鼓に合わせて神無月コールが始まる。一撃必殺でホームランを打たなければならない。外角高目の速いカーブをつづけて見逃す。打てば平凡なレフトフライになる。三球目外角にショートバウンドのストレート。ノースリーになった。フォアボールで出たくないので、四球目の内角高目の速球を無理やり一塁線へファールする。するどい当たりがベースの脇を抜けていった。
「イグゼー、イグゼー!」
「イッパーツ!」
 高目は危ないと見たのか、五球目に外角へ低目のストレートを投げてきた。踏みこんですくい上げる。きっちり芯を食った。ドッと歓声が上がる。
「ヨッシャー!」
 室井が叫ぶ。山内が、
「いったべや!」
 相馬が、
「ター!」
 と奇声を上げてテントを飛び出しボールの行方を見やった。打球が低すぎる。センターがゆっくりバックする。伸びろ! 金網に当たればホームランだ。ライトも二・五メートルのコンクリートフェンスに当たると見てのろのろ走っていく。伸びろ! 
「いけー!」
 ひときわ高い相馬の声だった。彼の願いが通じて、ぎりぎり金網を越えてスコアボードの横を過ぎた。
「伸びたァ!」
 一塁を回るときに私の発した叫び声だった。レフトの金網に手を振る。二人が激しく振り返す。ホームイン。三人、四人と抱きついてくる。笠寺球場のホームインが一瞬よぎった。五番イガグリくん室井がバッターボックスへ走る。彼の振りは去年の阿部キャプテンよりもするどい。相馬の檄。
「さ、キャプテン、イコ! 打線を切るな!」
 初球高目のカーブ、するどく振る。打球が弾んでピッチャーの頭上を越え、スローモーションのようにセンター前に抜けていく。六番柴田。筋肉マンのガマ。構えがだれかに似ている。森徹だ! 二球つづけて低目のストレートを空振り。
「いいよ、いいよ、タイミング合ってるよ!」
 私の大声にサウスポーがカーブを投げてきた。オットットという感じで叩きつける。サードベースにライナーで当たったボールが跳ね上がって、転々とファールグランドに転がった。それを左翼手がハンブルする。三塁打。室井が長駆ホームイン、五点。七番木下。ひょろひょろ伊藤正義。ゆるいスイングで深いセンターフライ。柴田タッチアップしてホームイン。六点。ようやくワンアウト。八番セカンド七戸。
「和田浩治! 竜巻小僧!」
 私は思わず叫んだ。柴田が、
「似でるでば!」
 ガマそっくりの訛りで叫ぶ。竜巻小僧は詰まったピッチャーライナー。九番小笠原、やたらに振ってセカンドゴロ。
 小笠原は五回を完封し、二十二対ゼロでコールド勝ちした。打者五順し、山内と金が一本ずつソロを打ち、私はセンターへ二本、ライトへ二本のホームランを打った。五本目を狙った最後の打席は走者一掃の右中間三塁打だった。
 騒音の中で始まった試合が騒音の中で締めくくられる。五農の選手たちと握手。ネット裏の茶色い顔の男たちは深刻な顔をしてサッサと引き揚げ、記者やカメラマンが右往左往しながらフラッシュを焚きまくった。私は仲間たちと応援団の前へ走っていき、四角張った礼をした。スタンドに西沢はじめ数人の教師の顔があり、去年の同級生の顔がちらほらあった。みんな呆れたような笑顔で私たちを見つめていた。ふたたび金網の端へ走っていって、山口に訊いた。
「どの打球がいちばんきれいに見えた?」
 と二人に訊いた。そこへカメラマンが撮りにきた。
「低いライナーでポールに当たったやつ」
 カズちゃんが、
「最後の高く上がったホームランがきれいだったわ」
「あれはちょっと当たりそこねだったんだよ。じゃな、山口。きょうは遅くまで勉強するから、あしたは昼ごろ起きる」
「オッケー。俺も勉強だ。おまえに尻叩かれて、なんだか一番が見えてきた」
「ぼくは二番を狙うよ」
 ブラバンの演奏を背に部室へ駆けていく。相馬が一席ぶっていた。
「お、きたか、神無月はファンが多いから仕方ないな。去年の美人がまたいたじゃないか」
 指笛が鳴った。ロッカーにグローブと帽子をしまう。
「すみません。熱狂的な応援をしてくれた人たちだったので、お礼を言いに」
「テレるな。じゃ、最後に言っておくぞ。打線はミズモノだ。あてにするな。青高はミズモノの打線を看板にしてるからな。きょうの収穫は、エラーがなかったこと。これが何よりも大きい。相手が強くなればなるほど、守りがポイントになる。次のハイライトは、小笠原の完封だ。五回で一安打一四球三振七個は立派だ。二十八日の青森北高校戦は沼宮内先発。ノーヒットのやつは、十和田工業戦で入れ替える。じゃ解散」
 またカメラマンが入ってきてストロボを何発も焚いた。マイクを持ったデンスケが寄ってきたので、私は立ち上がり、ドアの外へ早足で逃げた。背中でチームメイトの笑い声が上がった。
         †
 翌朝、山口が戸の隙から新聞を差し入れ、すぐ去った。

   
 怪物神無月五の五・四ホーマー!
           
六年ぶり聖地目指して青高好発進
             
五所川原農業戦五回二十二対ゼロコールド
                 攻撃形自由に 自主自律

 
 中間試験の準備を機に、山口なりに厳しく規律を定めて毎日の勉強に力をこめはじめたようだった。
「鉄の戒律だ」
 が口癖だ。私はその戒律を尊重し、山口の部屋にあまり遊びにいかなくなった。山口が私の部屋を訪れることもめったになかった。一度だけコーヒーを誘われたとき、
「想い姫のおかげで勉強にやる気が出る。遅まきながら初恋の女だからな」
 山口はそう言って愉快そうに笑った。机上に小さな写真立てが置いてあり、おトキさんが北村席の玄関で笑っていた。
「きのう送ってきた」
 思いのほか若々しい美しい笑顔で、しみじみと胸に沁みた。
「余分な人間関係が増えてしまったね。ぼくと友人になったことを後悔しないでよ」
「まさか、宇宙が三倍にも五倍にも広がったぜ」


         百八

 五月末の中間試験の結果は、英語が全校の一位、国語が二位、ヤマの当てどころがよかったのか、数学の成績は四位だった。しかし、どんなに記憶したとおりに答案を書くことはできても、数学的な閃きのなさを今回もはっきり感じた。どうしてその答えが出てくるのか、根本のところがわからないのだ。しかし、もうそんなことはどうでもよかった。総合成績が全校の三番に昇った。それだけを喜ぶことにした。
 勉強の目標が転入試験一本に絞られたことで、怒りと不安が的外れの感情として胸底深くしまいこまれた。母の存在さえ忘れた。
 ―東大に受かって、プロ野球選手になる。
 転校に対する鬱憤や後悔の雑念が薄れ、自分が単細胞の生きものになっていくのがわかった。
 山口は私との約束どおり首席になった。日本史と世界史と数学が一位だった。康男と同じクラスになって思わずバンザイをしたあの春のように、廊下の貼紙の前で私はバンザイをした。人生の正しい軌道から逸れていることはハッキリ自覚していたけれども、目標地点が一つしかないことに安堵した。
 夕食のとき山口がニヤつきながら言った。
「見てたぞ。驚いたぜ、バンザイなんかしやがって。恥ずかしくて寄っていけなかったじゃないか。でもサンキュー。勉強すれば一番になれるんだな。正直なところ俺は、並みいる猛者たちの中にいて、この成り行きに恐怖すら感じるほどだ」
「大げさだな。いつもマグレだと思ってれば怖くないよ」
「そうだったな。俺の数学は完全にマグレだが、おまえの数学もマグレか」
「あたりまえだ。大マグレ。山口が教えてくれたヤマが一問当たったことも大きい。たしかに、不得意な数学で四番を取ったという事実は自尊心に媚びるものがあるけど、そんなものは自分の思考生活に関係しない僥倖にすぎないからね。―でもそんな僥倖も、ぜんぶ雑念だ。すべて野球をやるための途上だ。山口はギターをやるための途上だ。忘れないようにしよう」
「もちろんだ。おまえは野球、俺はギター。格好つけて言えば、生命反応の酵素。それがないと死ぬ」
「ぼくは深夜の森へ直行だ。山口は東大出のエリートへ直行」
「死、か。もう心配ない。方向が定まって、生活がぎくしゃくしなくなった」
「ぎくしゃくすると、倦怠に陥るからね」
「野球やギターは倦怠の特効薬ということになるか」
「まちがいなく特効薬だ。森へいったのも、詰まるところ、野球を失う恐怖のせいだったからね。死にたくならないための特効薬は、自分を満足させるものへの一徹な入れこみだと思う。野球をすることと、人を愛することしか自分を満足させるものはないと思いこめば、倦怠なんて起こりっこない。それをするのに自分の頭の中なんか振り返っていられないからね。ぼくは野球が好きで、その才能を見せると喜ぶ人がいる、ぼくは人を愛することが好きで、その愛を感じて喜ぶ人がいる、ってね」
「そうだな! 常に満足することに向かって突き進み、入れこんでいれば、人間はくだらない思考だけに停滞しなくなる。倦怠というのは思考への没入だろうな」
 山口はこの上なく私にやさしく笑いかけた。
         †
 五月二十八日土曜日に油川へ遠征した青森北高校戦は十四対四で五回コールド勝ち、六月四日土曜日の十和田工業との遠征試合は、十一対七で勝った。ホームランは二本ずつ打った。
 青森北高校への遠征は、去年龍飛へいった国道40号線を青森湾沿いに油川まで三十分ほど走っただけで、とりたてて見るべきものはなかったけれども、十和田工業への車窓の景色には印象深いものがあった。40号線をひたすら南下し、田舎路に飽きたころ、周りを牧場に囲まれた水清らかな細い沼に至った。なだらかな丘の道から見下ろしながら過ぎる。沼周辺に咲き誇るレンゲツツジが目に鮮やかだった。相馬が、
「グダリ沼だ。沼と名がついていても、湧水池だから川に近い景観だね。きれいだなあ」
 そこからバスは十和田市の北端を舐める県道へ曲がりこみ、緑濃い森と畑と草原と、遠く山景を眺めながら走り、しっとりと趣のある七戸町に入った。
「七戸さん、この町の出身というわけじゃないですよね」
「関係ね。オラは純粋に青森市内だ」
 銀行と郵便局が目立つ閑静な街並を走る。右遠方に七戸高校を見やる辻から幾曲がりかして十分ほど走り、二階建て木造の十和田工業高校に到着した。一時間半ほどの絶景の旅だった。十和田工業高校のグランドは小中学校の校庭のような造りで、百メートル先の外野ネットの高さが十メートルもなく、ネットの向こうは住宅が迫る幅狭の緑地だったので、ホームランボールの飛距離を心配したが、運よく二本とも緑地に落ちた。記録に残らないホームランが、記憶の中に溜まっていくのがうれしかった。
 帰りの旅は、みんな寝ていた。知ってか知らずか、相馬は私に何も話しかけなかった。
         †
 六月十一日土曜日に青森商業に六対一で勝ち、カズちゃんの家から戻った翌朝、そのままアパートに帰らず散歩に出て、これまで好んだ場所や、自分だけに意味を持つようになった堤川沿いの岸辺を歩いた。歩きながら、この一年余りのあいだに印象に残った人びとを思い返した。すると、別離が惜しまれる顔がいかに多いかに気づいて驚いた。
 いままでたまにしか意識に上(のぼ)せなかった彼らも、もうすぐ別れるとなると妙に気がかりになった。木谷千佳子、古山、佐久間、松岡、鈴木睦子、小田切、藤田、奥田……。いよいよそのときが近づいてくると、未練というのではなく、淡い感傷から、この地にいつまでも留まりたい気がしてきた。
 部屋に戻り、トモヨさんに宛てて便箋一枚の手紙を書いた。

 すでにカズちゃんから連絡がいっていると思いますが、八月の上旬に、名古屋西高校という西区の高校を受験することになりました。受験前にカズちゃんが前もって名古屋に引き揚げ、新居を見つけるまでのあいだ北村席でぼくを待つことになります。名古屋西高の募集は一名ですが、きっと受かると思います。落ちたら、その先の予定は母まかせです。
 健児荘の庭は手入れのいい草花に囲まれていて、去年ここにきたばかりのころには百日紅が咲き、晩秋には楓が赤く色づきました。霜の降りた朝に山茶花が淡くおぼろな桃色に咲き、そして、寒空の下に桐の花があざやかな紫に開きました。それをもう一度見ることなく、この土地を去ります。あれこれ思い出し、去りがたい気持ちになっています。トモヨさま。郷。

         †
 五月の下旬から六月の上旬にかけて、青高チームは、メインにバッティング練習を据えて精を出した。山内と金にかなりの長打力があるのはわかっていたが、それに磨きをかけた。ときどき大きいのを飛ばすのは室井と柴田だ。めぼしいのはその四人だが、集中的な特訓のおかげで、全員が伸びのびと大きくバットを振れるようになった。
 六月十八日土曜日。曇のち晴。弘前へ遠征する予定だったが、弘前高校がわざわざ青高にやってくることになった。有名な白亜の校舎を見たいのだと言う。県下有数の受験校同士の戦いということで、葉桜の並木に沿って、頑丈な五段のスタンドの設置が始まり、きっちり十一日と十二日の土日二日間で組み上がった。レフト側にしか見物の空間がないので、センターからレフトにかけて長い外野スタンドができあがった格好だ。ここ数日はそのスタンドで、応援団とブラバンがリハーサルをしていた。
 弘高の監督の申し入れで、この試合にかぎり、五回コールドではなく、七回コールドの取り決めになった。勝敗以上の興味をどちら側の観客も抱いていた。私のホームランを見ることだった。それは彼らが向けるカメラのひっきりなしのシャッター音でわかった。
 両校の醵金で、高校野球連盟から四人の公式審判員が雇われた。白長袖シャツに紺色ズボンの立派な服装をしていた。トーナメントには県の高野連に所属する公式審判員が配置されるが、練習試合に関わることはまずない。伝統の一戦ということで特別に出てきてもらったと相馬が言う。
「伝統なんだっけが?」
 一年生の四方が目を丸くして訊く。
「きょうからね」
 相馬が涼しい顔で言う。線審は両校の一年生が務めることになった。
 先発は小笠原。七回以上の長丁場なので、リリーフに沼宮内、三田、佐藤の三人を待機させた。三、二、二に割り振ったイニングを投げさせる予定だ。ベンチ前で相馬がマネージャーに、
「長田、どうなんだ、弘前の打線は」
「大砲はいません。バットを短く持ってコツコツ当ててきます。出塁するとかならず盗塁します。下手投げのエースピッチャーは曲者です。百二十キロ後半のボールが下から浮いてきます。ストライクからボールへ逃げていくボールもあります。みんな打ちにくいんじゃないでしょうか。神無月さんも手こずると思います」
 しっかりした標準語をしゃべることから考えると、山口と同じように、転勤する父親にくっついてきた都会からの移住組かもしれない。
「コールドはなさそんだな」
 柴田が言った。長田が、
「浮いたところへうまく出会いがしらで、というのがありますよ」
「叩きつけていぐか。野村克也の打ち方よ。どんだ、神無月」
 一塁手の木下が言う。
「引きつけるとスカを食うと思います。スピードのあるソフトボールだと思って、ふだんの自分のスイングをすればいいんじゃないかなあ。掬っても、叩いても、芯を食えばホームランになる確率は高いですよ」
 センターからレフトにかけて、五段のスタンドが学生と教師たちでぎっしりだった。カズちゃんと山口がスタンドの脇に立っているのが見える。応援にはかならず赤い服を着ていくと言っていたから一目でわかる。
 きょうもしかつめらしく、日焼け顔の連中がネット裏に詰めている。
 吉岡のバッティングの調子が上がってきたと室井が相馬に告げたので、七戸の代わりにセカンドの守備につくことになった。三周り打てなかったら交代させると釘を刺され、
「一本は打ぢます!」
 と張り切って応える。スタメンを外されて以来の吉岡は、これといって目に留まるほどの進歩を見せていたわけではないので、室井がキャプテンらしく気を使ったのにちがいない。吉岡がヒットを打てば、この二戦でめでたくチーム全員安打になる。その吉岡が切実な声で言った。
「オラも七戸も今年しかねすけ、必死こがねばな」
「ぼくもですよ」
 私が言うと、吉岡はやさしい顔で、
「神無月は来年もあるべ」
「野球をやらせてもらえれば―」
「だあ、おめにやらせねもんだってが。ひょっとしたら来年がらプロだんで」
 そんだ、そんだ、と部員たちが言った。相馬がじっと私を見つめていた。
「みんなにお願いがあるんですが」
 みんなこちらを見た。
「ぼく、中学校で金太郎と呼ばれていたんです。漫画のスポーツマン金太郎です。きょうから神無月でなく、金太郎と呼んでくれませんか。当時を思い出しながら野球をやりたいんです」
 金太郎さん、と四方があこがれの目で言った。金太郎、金太郎、と何人か声を上げた。
「よしわがった。金太郎、きょうは何本いぐ?」
 イガグリくん室井がおどけた顔で訊く。
「第一打席でいけたら、二本か、三本。いけなかったら、一本だと思います。ヒットは打ちますよ」
 大拍手になった。何だという感じで、弘前高校の選手やチームスタッフが三塁側のテントからこちらを眺めた。視線に敬意がこめられている。相馬が弘前の監督とうなずき合って、主審にメンバー表を渡しにいった。双方、二枚ずつ渡している。主審は双方の一枚を交換して二人の監督に渡し、残りの二枚を畳んで自分の胸ポケットに収めた。去年から気になっていたが、メンバー表交換と言うものらしい。
「小学校や中学校のころからあんなことやってましたか?」
 山内ベン・ケーシーに訊く。
「中学校までは、練習試合では省略する。本試合ではやる」
 まったく知らなかった。審判員四名と両チーム監督がホームベース前で一列になり、バックネットを向いた。新聞カメラマンの要請で写真を撮るようだ。パシャ。
 相馬は受け取った紙をマネージャーの長田に渡した。長田はスコアブックに何やら書きこんでいる。
「何してるんですか」
「相手チームの名前、背番号、ポジションを書き写すんです。大学野球以上になると、ちゃんとしたスコアラーがやります」
 ジャンケンに勝って先攻になり、弘前高校が守備についた。場内放送がないので選手の名前はわからない。
 サブマリンの腕がしっかり振れている。速い。まずその印象がきた。長田の報告とちがって、百三十キロは確実に出ている。変化球も速い。ストレートは浮き上がってくる。浮き上がる前に打たなければならない。叩きつけても芯を外れる。掬い上げたらなおさらだ。このチームはバッティングさえよければ勝ち進めかもしれない。きょうはコールドを狙うのは難しい。狙うには先頭打者吉岡の役割が重要になる。彼がヒットを打つか否かでサブマリンに与える印象が決まる。ピッチャーの心理しだいで、苦戦か楽勝かも決まる。
 荘重なエール交換が始まった。青高校歌の演奏に女子学生の歌声が混じる。盛んにフラッシュが光る。


(次へ)