百

 十日金曜日。朝方、柔らかい胸に顔をぶつけて目を覚ました。思わず乳首を吸う。
「いやん、だめ」
 法子だった。
「いつの間にきてたの」
「夜中の二時」
 脚が絡まり合い、朝勃ちしていたものを勢いで挿入する。
「そのままこすらないで、はああ、気持ちいい……はい、抜いて」
 そっと抜く。うん、と小さく下腹をふるわせ、
「起きぎわは鈍感だから、ちゃんとイケない。神無月くんに悪い。この三日間で半年分はしたわ。三カ月後に名古屋に逢いにいくわね。さ、シャワー浴びて、福田さんを待ちましょう」
 七時半にやってきた福田さんと三人で朝めしを食っていると、御池から電話が入った。
「あしたの飲み会ですが、横山さんから神無月さんは歌がうまかと聞いとったもんで、松尾さんに相談して神無月さんの唄える店がよかちことになりました。牧舎は唄えませんけん、早稲田通りのビンロウジュっちパブにしました。紅蓮(ぐれん)ちゅうラーメン屋の向かいの細道ば入ったところにあります。インド大使館の通りにはラーメン屋は一軒しかありませんけん、すぐわかります」
「了解。六時だね」
「はあ、そうです」
「じゃ、そのときに」
 電話を切ると福田さんが、
「あしたは遅くなりそうですね」
「たぶんね。ぼくに唄ってほしいようだ。唄えるパブに連れてくって言ってたから」
 法子が、
「飲み過ぎたらだめよ。お酒弱いんだから」
「わかってる。松尾って男、知ってるよね」
「ソフトボール大会で心臓発作起こして倒れたとかいう人でしょ?」
 福田さんが驚いて箸を止め、
「そんな人がいたんですか」
「うん。熊本の医者の息子でね、酒の飲み過ぎで心臓を悪くしたんだ。熊本でペースメーカーを入れる手術をするらしい。その前に、酒の飲み納めに一日だけ東京に出てきて、心臓の自力の拍ち納めをしたいんだろう」
「だめですよ、そんな人に飲ませちゃ。死んでしまいますよ」
「御池が見張ってるよ。本人もまだ死にたくないだろう。ぼくはなるべくきょうじゅうに帰ってくるようにするけど、その場の流れで泊まるかもしれない。福田さんは留守番しないで帰ってて」
「はい、そうします」
 法子が、
「じゃ、私は春、夏、秋、三カ月ごとに名古屋にいくけど、逢えなかったら、北村席で一泊して帰ってくる。来年の一月まではその繰り返しね」
「余儀なくみんな、逢瀬に間隔を置いた禁欲的な生活になる」
 福田さんが、
「キャンプにいってしまったら、神無月さんは女断ちになってしまうでしょうけど、キャンプはからだ作りが大事ですから、ちょうどいいですね」
「うん。もともと好きな女がそばにいないと性欲は湧かないほうだ。何の不便もない。十三日から十六日は、東奥日報の浜中さんたちが取材にくる。十八日の土曜日は、早稲田の友人がぼくの知能を測ることになってる」
 法子が、
「知能? そんなもの測ってどうするの? 頭いいに決まってるじゃない」
「卒論の準備のためらしい。ぼくのような気質の人間の頭の構造が、何か卒論の参考資料になるみたいだね」
「ここにきてなんだか急に忙しくなったてきわね。浜中さんたちには一度飲みにきてもらいたいな」
「いけたらね。でも、たぶん無理だろう。取材は強行軍だと思う。……二十五日の午前に名古屋にいくことだけ忘れないようにするよ」
 法子はうなずき、
「二十五日……あと二週間か。あっという間ね。それまで何回かきてみる。いい?」
「うん」
 福田さんが後片づけに立った。
 ジムから戻り、五百野三枚。つづけて牛巻坂の書き継ぎ。
         †
 一月十五日日曜日。早稲田通りに風がある。暮色に染まったケヤキ並木の葉がいい音で鳴っている。ラーメン紅蓮の向かい側のさびしい路地へ入った。四つ目垣の二階家が点在し、青や橙のネオンを灯したスタンド看板がいくつか固まっている。この道から左へくだっていくと、いつか月を見ながら飲んだ甘泉園だ。檳榔樹という緑の看板を見つける。
 眼鏡をかけ、分厚い扉を押して入る。二十帖ほどの広さの、明るいパブというより陰鬱なバーの構えだ。薄暗いカウンターからパチパチ拍手が上がる。松尾が、おめでとう、と手を挙げ、御池たちが、
「おめでとうございます!」
 と和した。神無月という単語を口に出さないように注意している。中尾、宇治田、田中の顔がある。
 カウンターに蝶タイをしたコワ持てのバーテンと、店主らしき目のするどい年増の女が控えている。白いドレスを着たピアノ弾き若い女が、照明を淡くしたステージで耳の保養にならないイージーリスニングを奏でている。高く吹っかける店だと踏んだ。奥の壁灯だけを点したボックス席にしか客の気配がないので、ますます剣呑な気がした。悪い店を選んだ。
 目を凝らすと、その大きなボックスの暗がりで、数人の男たちがホステスを抱き寄せていちゃつきながら飲んでいる。こんな学生街のようなところにヤクザはたむろしないので、地元客だろう。ただホワイトカラーには見えない。
 御池は私がカウンターの丸椅子にきちんと坐るのを確認してから、ビールを三本注文した。宇治田はコーラと言う。御池と田中がみんなのグラスにビールをつぐ。
「まず、乾杯たい」
「松尾さん、あしたは午前の飛行機ですけん、あまり飲めんですよ。水割り二杯くらいにしといてください」
 御池は松尾に念を押した。
「松尾にそんなこと言ってもむだぞ」
 中尾がケケケと笑う。
「乾杯!」
 ボックス席からホステスが一人引き揚げてきて、松尾と中尾のあいだに割りこんで坐った。バーテンが宇治田にコーラを差し出した。
「コーラなんて冗談でしょ」
 宇治田にからみつく。松尾がわずらわしそうに喉を鳴らした。
「あっちへいかんか。うるさか」
 ママが目を光らせた。ホステスは、
「あら、ご挨拶。何か飲んでいい?」
「乞食のごたるまねすな。あっちへいけ」
 女は渋々腰を上げてボックスに戻った。私は御池に、
「高畠がいないようだね」
「誘ったばってん、きませんでした」
「いいなあ、わがままな人間は」
「如月(きさらぎ)さんはそういうのをわがままと定義すっとですか」
 御池が私をキサラギと呼んで訊く。
「義理と人情を無視する人間はわがままだ。友人がペースメーカーを入れるんだよ。励ますのが筋だ」
「秘密があっとですよ。ふだん広げとる大風呂敷とちがって、高畠さんの家は政治家も出しとらんし、在の地主でもなかとです。ただの平百姓ばい。嘘がバレるのがえずかけん、わしらと別行動ばとりよる」
「どうでもいいホラに聞こえるね。友情があるなら、そんなことバレたってだれも軽蔑も揶揄もしない。怖がる必要なんかないんだ」
「ぼくなんかホラも吹いてないのに、毎日地獄の一歩手前で生きてるようなもんだ」
 宇治田が、
「地獄ってどういうことだ。天国のまちがいじゃないのか」
「心ある純粋な人たちを引きずりこみながら、申しわけない気持ちで暮らしてるということだよ。申しわけなさに負けて、彼らを裏切れば地獄へ真っ逆さまだ」
 御池が、
「わかりますよ……女ですね」
 中尾が、
「そぎゃん大勢の女がおるとか」
「……高畠のような罪のない嘘はついてなくても、そういう生き方自体が、恐怖そのものだ。他人の人生を支配してしまってるんだからね」
 なぜそんなことをとつぜん話しだしたのかわからない。九州男児たちを海のように広々とした人間だと思ったのにちがいない。
「その女たちがみんな、おたがいの存在を認め合ってる。しかも、ぼくを支えるために自分なりの生計を立て、ぼくのじゃまにならないようにしてる。彼女たちの将来は、ぼくなどいなくてもじゅうぶん明るい。それなのに、ぼくがいなければ死んでしまうようなことを言う。そうなっちゃいけいないので、ぼくは去るわけにいかない。子供のいる女さえいる」
 田中が、
「まことの話ですか!」
 御池が
「恋愛やら浮気やらのレベルの話ではなかたい。茫洋とバカでかか話たい。……如月さんが何人かの女と空気んごと接しとる現場に遭遇したばってん、如月さんが去ったら、彼女たちは如月さんどころでない煉獄をさまようことになりますよ。女たちの煉獄なんぞどうでんよかいう気持ちになれんのが如月さんたい。幸せにやっとる女たちのもとを去るんは難業ですばい。女どもは離れとうないわけですけんね。このままにしておいたらどげんですか。如月さんが好き勝手に生きとらっしゃれば、いずれ離れる者は離れる、離れん者は離れんで、終局、丸く収まるんでなかですか。……背負っとるものがようわかりました」
 中尾が、
「かん……キサラギ、おまえな、格好いいよ。女が百人いても、だれも不思議に思わん。後楽園で応援しとるからな。たまには映画観ろよ。プロ野球にも休日はあるやろ」
「ある。プロといっても少し忙しくなるくらいで、生活のリズムは変わらない。映画も観るし、本も読む」
 松尾が私の肩を叩き、
「……よう話してくれたのう。ワシが心臓で死にるものと思って、友人と思って、おのれに秘密のなかことにしたんやろ。うれしか! ワシゃ、死なんぞ。かん……キサラギを応援して、自慢して生き延びたか。死ねるもんね」
「九州は西鉄戦と巨人戦しか放送せんけん、松尾さんはたまに巨人中日戦しか観られん」
 田中が言うと、
「それでじゅうぶんたい。ほかの中日戦は新聞を見ればよかろうもん。どうせ半年もしたら東京に戻ってくるんやけん」
 中尾が応える。御池が、
「東京におっても、観らるっのは巨人中日戦だけでっしょ。中日サンケイやら中日大洋やらは放送せん。同じことですばい」
 もう一度、隣の者同士乾杯し、ひとしきり、ペースメーカーを話題に盛り上がった。御池は私にビールをついだ。彼は自分のグラスを飲み干すと、水割りを注文した。甘泉園のときとちがって、松尾のピッチが異様にのろい。ビールの減りも遅い。安心した。みんなで松尾のことを考えている。
「おい、ピアノ、ちゃらちゃら洋物ば弾くな。うんざりたい。ワシが、か、か……キサラギの前座で、演歌を唄うちゃる。城卓矢『骨まで愛して』伴奏せい」
 松尾は上機嫌で立ち上がると、すたすたとピアノへ寄っていき、
「いくばい!」 
 とひとこと叫ぶと、ドスの利いた声で唄いはじめた。渋い、一本調子の声だ。

  生きてるかぎりは どこまでも
  探しつづける 恋ねぐら
  傷つきよごれた わたしでも
  骨まで 骨まで
  骨まで愛して ほしいのよ

 ピアノが伴奏を流暢につける。
 ―伴奏を即座につけることができるのはすごいな、しかも弾き慣れた定番を弾いているときと同じようにスムーズに。山口も林もこういうのはお手の物だが、楽器弾きというのはいったいどういう頭と手足の構造になっているんだろう。
 みんなで手拍子を打つ。奥のボックスで大きなしわぶきが上がった。松尾が唄っているあいだじゅう、わざとらしく繰り返す。松尾は唄いながらときどき目を険しく光らせた。
 歌が終わると気詰まりな静寂が訪れた。松尾がマイクをピアノの上に置き、男たちを睨みつけて一歩踏み出した。
「松尾さん! 手を出したらいかんばい!」
「くどい話はせんぞ。いっちょ好かんやつらたい。おい、おまえら、表へ出んかい!」
 ボックス席の一人が立ち上がった。つづけて立ち上がった男どもの表情が、あまりにも澱みがなさすぎた。イチャモンのつけ方はヤクザ者のそれではないが、喧嘩慣れしているやつらであることはまちがいないようだ。私はひさしぶりに緊張した。ただ転がして顔を蹴りつけるにしても、二人が限度だ。
「松尾さん、河岸を変えましょ。いくらね?」
 御池がカウンターの男に尋いた。
「ボトルが入って、三万円」
 シラッとした顔で言う。
「なんやと! だれがボトル言うた。ビール二本、水割り一杯、コーラ一杯、つまみなし。よういって一万。ボトルいうてからが、二、三千円のもんやろ。どこの相場ね!」
 御池はふだんの丁寧な口調を棄てて大声で怒鳴った。その声は松尾にも届いた。
「うちの相場です。学生さんの相場じゃありませんよ」
 コワ持てが落ち着き払って言う。私はこの先の凄惨な図を予想して胸を轟かせた。少なくとも段持ちの空手家が二人、御池も中尾も喧嘩は強そうだ。私は腕力があるし、そのうえ死にもの狂いで戦うタチだ。お荷物は田中だが、どこかの物陰に追いやっておけばいい。ボックス席の連中を料理したあとは、このバーテンも半殺しにしなくてはいけない。ホステスが警察を呼ばないうちに片付けなくては。
「警察を呼ぶなよ!」
 私はカウンターの片隅に立っている年増女を睨んで言った。
「払わんでよかぞ!」
 松尾の声が飛んできた。
「少し暴れるので、一応、器物代」
 私はカウンターに二枚の一万円紙幣を伸(の)して置いた。松尾のこぶしがだれかに打ちあたる音がした。とっさに御池が私の金を掬い上げて、
「預かっときます。松尾さん、ワシら表へ出ますよ。ダッシュ!」


         百一

 松尾を置いて私たち五人は、雪崩れるようにドアを開けて外へ出た。松尾が出てこない。
「二、三人、打ってからでっしょ」
 田中が私の思惑どおり電信柱の陰に立った。御池は落ち着いたたたずまいで路上に立った。私は眼鏡を外した。やがて出てきた松尾は単身だった。よろよろ二人の男が追うようにつづいた。処理し残したのだろう、振り向いて思い切り顔面に打ちこむ。
「てめえら、生意気しくさって!」
 新しく二人出てきた。打たれ強い男たちだ。宇治田が入口に走った。一人を羽交い絞めし、松尾がその顔を打つ。もう一人に宇治田が横面を殴られたと見えたが、わずかのところで見切って身を低めていた。中尾が早足でいってその男の背中を蹴る。路上から立ち上がろうとする男二人の腹に、御池がこぶしをめりこませた。
「松尾さん、もういいかげんおしまいにせんと、心臓に悪かです!」
 バーテンがバットを持って出てきた。私は、
「ぼく、あのバーテン、やってくるよ。アイスピックさえ握られなければ何とかなる」
 松尾が、
「いけん! 大切なからだたい。あいつはいちばん手強い。宇治田、おまえ、一発できめてこい! きっちり打てよ。わしはこいつらを打っとくけん。御池、手出すな。か、か、キサラギと田中ばかばっとけ!」
 松尾ががなり立てる。私の名前をぜったい出さない。さっと人影が入り乱れ、宇治田がバーテンのバットをかわし、みぞおちに前蹴りを入れた。男は店内に駆けこんだ。路上で松尾のこぶしが素早く動いた。ぞっとするような悲鳴が起こった。瞬間、私はだれかに腹を蹴り上げられた。千年小学校の校庭を思い出した。地面に横たわっていた男の一人にやられたようだ。無言で喉もとにこぶしを叩きこむ。左手を使った。ゲッと転げた相手のからだを追って顔を思い切り蹴る。いやな音がした。革靴で出てきたので、鼻か頬の骨が折れたかもしれない。
「調子こいとるとぶっ殺すぞ!」
 口だけの男が立ち上がり、大きなからだを揺すってよろよろ向かってきた。松尾が摺り足で寄っていき、男の脇腹に手刀(しゅとう)を差し込んだ。ギャッとうめいて男は二つに折れた。彼らはみんな血だらけになっている。
「宇治田、何しとるんや! あいつ刃物持ってくっぞ」
 松尾は倒れている男たちの腹にもう一度念入りに蹴りを入れると、ドアの中に入っていった。私も走った。一人飛び出してきた。私は身をかわし、足払いで転がし、顔面を靴で蹴った。ドアを開けると、女たちがボックスに身を寄せ合い、バーテンが包丁を握って宇治田と対峙していた。私はビール瓶をつかんで男の顔に向かって〈投球〉した。額に当たり、男が昏倒した。私の肩は強い。危ういことになったかもしれない。
「いこう、松尾。いまのスピードで頭に当たると、かなりの衝撃のはずだ。店のものは案外壊れてないね。弁償する必要はないや」
「ほやな、いくか」
 松尾と宇治田について表へ出た。
「いくぞ。こいつらは素人やろ。地回りでなか」
「はあ、お礼参りはなかでしょ。ばってん、この道はもう通れませんよ」
「通らん。あしたから熊本たい」
 中尾が不満を鳴らした。
「いらん立ち回りしてしまった。小料理屋にすればよかったやなかと?」
「神無月さん、からだば大切にしてください。神無月さんは、いつも傍観しとってください。雑用は馬鹿がしますけん」
 御池が安心して神無月と声に出して言う。男は喧嘩が強くなくてはならない。しかしきょう私は、自分に喧嘩の作法のないことを思い知った。康男や、光男さんや、松尾や宇治田の喧嘩には体系立った作法がある。私はものまねだけだ。だから、最終的には控えに回らなければならない。
「また、きよったばい。二人てか。しつこいのう」
 振り返って松尾が言う。
「刃物持っとったらやばかけん、わしら先にいきます」
 御池が高田の馬場駅へ向かう姿勢を見せた。
「おお、まかしとけ。宇治田、起き上がらんよう仕留めてこい」
 宇治田が走り戻って、二人男の前に立ちはだかった。ボックスの中でいちばん貫禄のあった太った男だった。男が、死ねや、と叫んでパンチを繰り出したとたん、
「ソリャ!」
 雄叫びとともに、宇治田のこぶしが一直線に走った。男がもんどりうって倒れた。もう一人が宇治田の背中に組みついて首を絞める。肥った男が立ち上がる。
「やっぱりな。あのデブ、食らわす前に店の裏に逃げよったけん、生き延びとると思うとったばい。ちょっといっちくる」
 松尾もゆったり歩いて戻る。
「仕方なかねえ、松尾さんにまかせるわけにいかん。しばらく待っといてください」
 私たち三人を残して、御池も戻っていった。松尾が宇治田に組みついている男の後頭部に回し蹴りを入れ、あっというまに路上に転がした。胸のあたりを念入りにこぶしで突いている。御池がすでに戦闘態勢をとった男の頬にパンチを食いこませている。
「もうよか!」
 松尾が叫んだ。宇治田と御池と三人で走り戻ってくる。三人の顔に大粒の汗が光っている。美しいと思った。駅に向かってみんなで早足で歩きだす。
「こぶしが痛うなった。喧嘩慣れしとるやつはスタミナがある。打っても打っても、起き上がってくるけんな」
 松尾がかすかに八重歯を見せて笑う。
「心臓は?」
「運動したうちに入らん。ソフトボールよりずっとラクばい。走らんでよかけんな」
 御池が、
「はい、神無月さん、二万円。神無月さんは金をというものを出したらいかん。人前で金のにおいをさせたらいかんです」
 中尾が、
「生きたソラがなかったばい。小便ちびりそうやった」
 と言ってケケケと笑う。田中の顔が夜目に真っ白だった。
「けっこう楽しんでたやなかね」
 松尾に言われて、中尾はまたケケケと笑った。御池が、
「松尾さんには、辛抱という感覚はなかですか?」
「売られた喧嘩は買わんば」
 中尾が、
「どいつもこいつも、松尾を見くびって喧嘩を売ってきよるもんなあ。松尾の恐さを知らんけん」
 ひどくなつかしい感じがした。彼らの精神構造は、松葉会の男たちのそれだ。何人もの康男や光夫さんがいっしょに歩いているようだ。しかし光夫さんたちはプロだが、松尾や宇治田や御池は素人だ。それだけに凄みがある。松尾が、
「神無月の歌を聴けんのが残念やった」
「いま唄うよ。上を向いて歩こう」
 みんなで拍手する。私が一節歌いだすと、彼らはヒョーッと歓声を上げた。早稲田通りをいく人びとが振り返る。
「神無月じゃないか!」
「神無月だ!」
「天馬さーん!」
「怪物ゥ!」
 どこかでフラッシュが光る。新聞記者ではなさそうだ。一番を唄い切る。
「信じられんたい!」
「月か星の光のごたる。声でなか!」
 二番から合唱になった。松尾が叫ぶ。
「天下の神無月と歌を唄っとるんぞ。気持ちよかなあ!」
 道ゆく学生たちが囃し立てる。
「校歌を唄え!」
「よっしゃ、唄ったる!」
 松尾の独壇場になった。自分で口ラッパを吹き、高々と唄い上げる。立ち止まってこぶしを振り下ろす見物もいる。そのまま馬場駅まで歩いていった。御池が苦笑いしながら、
「宇治田さんの下宿にいきませんか。上石神井です」
「うん、いく」
「ワシの三畳は引き払ったけんな」
 松尾が笑った。
「引き払わんでも、あの部屋に六人は寝られませんよ」
 西武新宿線に乗った。車中で松尾の紺碧の空が始まった。中尾と宇治田が和した。乗客たちが歌声を合わせたり拍手したりする。学生と市民が一体になった麗しい図だ。祝福された大学。
 民家ふうの瓦屋根に覆われた上石神井駅で降りる。松尾は駅前で屋台のホルモン焼きをどっさり買った。暗い道をしばらく歩いた。田中が、
「ペースメーカーて、どんなもんですか」
「玉子の大きさで、平べったかものばい。鎖骨の下に埋めるんぞ。二年にいっぺん電池交換せんばいけん。ワシの心臓そんもんは拍動が弱なっとるだけで、止まっとるわけやないんぞ」
「鼓動が一定になる言うんも、味気なか話やな」
「や、ペースメーカーの心臓でも、やっぱりアドレナリンは関係するんやなかね」
 などとしゃべり合っている。
 宇治田の整頓のきいた六畳部屋に落ち着くと、みんないちどきに疲れが出たのか、さすがに談論風発というわけにはいかず、畳に置いたホルモン焼きをむしゃむしゃやりながら、三十分もするときょうの手柄話は先細りになった。
「寝まっしょ、松尾さん。あしたは早いけん。宇治田さん蒲団何組ありますか」
「あるだけ出すよ」
 どやどやと布団を敷いて、明かりを豆燭に落とした。机の前に貼ってある宇治田の父親の当選時の新聞写真が、ぼんやりかすんだ。
「正拳(せいけん)が決まったのう」
 松尾に褒められて、宇治田は薄明かりの中で照れくさそうにこぶしを撫で回した。中尾がしきりに頬骨のあたりをさすっている。
「食らわすときに、相手のパンチがちょっとかすった」
 松尾が闇に透かして腫れ具合を調べた。
「大したことなか。蚊に刺されたようなもんたい」
 中尾は安心した顔で、
「トルコにでもいっときゃよかったい。御池、あしたはトルコにせいよ」
「一人でいってください。俺は興味なか。……神無月さん、驚かれたでしょ。松尾さんといると、しょっちゅうこんな目に遇いますよ」
「うん、別の意味でびっくりした。ものごとが体系立っていると、ほとんどのことを乗り切れるんだね」
「体系……」
「喧嘩にも洗練された技術が必要だとわかった。勇気やヤケっぱちだけでは、どうにもならない。体系のないうちは傍観しているにかぎる」
「なるほど。何にでも感動するのは、神無月さんの美点だとは思いますが、傍観するのは体系のなか人じゃなく、その行動に参加する必要のなか人ですばい。神無月さんの参加するべき世界は別の限定された場所にあります。ワシらのような参加する場所の多い巷間の輩は、参加することに意義があるので、傍観しないのがスジです」
 田中が、ポツリと、
「肝のない巷間の輩はスジ通されんぞ。おまえら腕に覚えのある人間は肝が据わっとる。神無月さんのビール瓶もすごかったァ」
 中尾が、
「おまえ見とったと? 電信柱の陰に隠れとったんとちがうんか」
 足の甲で田中のふくらはぎを打った。
「ドアまで走っていって、しっかり見とりました」
「神無月さんが喧嘩の強かつは、それはそれで悪いもんやなかばってんが、そういうもんから隔絶していてほしいですね。似合わんですよ」
 御池が強い口調で言う。松尾はパンツ一枚になった筋肉質な体軀をみずから惚れぼれと眺めながら、
「こぶしば壊さんでよかったァ」
 と真剣な顔で言った。
「街で、またやつらに遇うことはなかやろな」
 田中が御池に尋いた。
「遇わんとは言い切れんばってん、甘泉園のあたりを歩かにゃよかでしょ。宇治田さんはからだがゴツかけん、目立つ。気をつけてください」
 その宇治田が押入をごそごそやって、硬式ボールを取り出した。サインペンといっしょに私に突き出す。
「サインしてくれ。いずれ後楽園で書いてもらうつもりだったけど、こんなチャンスはもうないだろうから」
 私は豆燭の下で、丁寧な楷書で型どおりに書いた。宇治田は大事そうに押入の奥にしまった。松尾が、
「ワシゃ西鉄ファンやが、セントラルは中日を応援したる。ホームラン王、獲れよ」
「三冠王と新人王を獲る。チーム優勝は総合力だから、ぼく一人の力ではどうにもできない。ところで御池は、政治家の道に進むことはもう決まってるの」
「一度言いませんでしたか。大学出たら、熊本のS先生の秘書をすることになっとります」
「レールがきちんと敷かれてるんだね。末は大臣というわけか」
「いえ、秘書のままです。政界に打って出る気はありませんけん。第三、第二秘書あたりで頭打ち。そこそこの人生です」
 中尾が丸い腹を揺すり上げた。赤い顔をした田中も小心そうに笑いを合わせる。
「きみはどこの県出身?」
 田中に尋くと、
「引越しのとき言ったっしょ。神無月さんは、人の話ば聞かんと、上の空で生きとるんですね。松尾さんや御池と同じ熊本マリスト高校ですたい」
「名門!」
 松尾が叫ぶ。宇治田が、
「和歌山桐蔭高校。名門!」
 と自分で言った。
「……神無月さんの脚、白かねェ。女のごたる」
 御池が豆燭の明かりに浮かんでいる私の脚を眺めながら言った。


         百二

 足りない上掛けを引き合って寝たせいか、目覚めると、鼻の奥がひりひりし、喉の具合もおかしかった。風邪にかかりかけているようだ。
 八時過ぎ、近くの大衆食堂へ出かけるとき、吉祥寺に電話して、昼までには帰ると告げる。風呂に入って寝てしまおう。本格的に風邪をひいたら、しばらく基礎訓練ができなくなる。
 食堂のめしはままこで、味噌汁もまずかった。掻き回してもすぐに味噌が沈殿して水鏡になる。みんなしきりにその薄い汁をすすり、塩鮭を噛みながら、どんぶりめしを食う。私はおかずの目玉焼きだけを腹に入れた。御池はまったく食欲がなく、ぱりぱりと海苔を齧っている。あれから夜中に起きだして、松尾と酒を飲んだと言う。
「たまらんばい。松尾さん、酒が強すぎるけん」
「飲み納めたい。これで思い残すことはなか」
 中尾の頬がてらてらと紫色に腫れている。こぶしがかすっただけでも、こうなる。地面に打ち倒された男たちの顔は、いまごろ化け物になっているだろう。その顔で会社に出ていくのはつらい。自業自得。松尾に手を出した罰だ。
「竹野いう変人が23クラスにおるんやが、知らんやろ」
 松尾が中尾に言う。
「知らん。名前も聞いたことなか」
「山口大ばやめて、麻雀修業のために早稲田にきたとぞ」
「なんで早稲田にくる必要があるんね」
「早稲田は、学生麻雀大会で全国の五本指やけんな。将来はヨーロッパの海外特派員になりたいんやと」
「海外特派員は、麻雀が打てないとヤバイのか」
 宇治田が訊く。
「知らん」
 と松尾は一蹴した。とにかくその竹野と早稲田通りのスナックに入り、ふつうの大きさのコップでアブサンの飲み比べをしたと言う。竹野は二杯目を飲みかけた瞬間ダウンして床に倒れ、松尾は四杯目を飲みきって具合が悪くなった。
「二千円しかなけん、三千円のボトル代が払えん」
 とマスターに言うと、学生証を置いていけばツケでいい、と答えた。松尾は学生証など持ち歩かないので、竹野のふところから抜いて渡し、彼を背負って表に出た。雑巾みたいに背中にへばりついている竹野に、家の方角を聞き出そうと歩いているうちに、インド大使館の前で倒れて二人とも意識がなくなった。何時間か車道の端で寝ていたようだが、やがて両脚を引っ張られる気配がしてどこかへ運ばれていくようだった。からだの自由が利かないのでそのままにしているうちに、また意識がなくなった。朝、俎板を叩く音で目覚めた。脇に竹野が目をパッチリ開けて蒲団から顔を出している。
 あまりにもおもしろい話なので、みんな興味津々の顔で聴いている。
「人さらいに遭ったんやろかと思うたばい」
「学生さらっても、金にならんでしょ」
 御池が言う。松尾が話をつづける。台所の玉すだれから女の顔が覗き、男の顔も並んだ。
「やっと起きたか。もう九時だぞ。おまえら車に轢かれそうになってたから、危ないと思って引きずってきた」
 早稲田商学部出身の夫婦だということだった。うまい朝めしを食わせてくれた。それから竹野のアパートに帰って、もう一度寝た。
「それが早稲田ぞ。いつかあの夫婦に礼をしにいかんといけん」
 と話を締めくくった。
「学生証はどうなったんや。竹野いうやつがツケば払うたんか」
 中尾が尋く。
「知らん。そのあと竹野には会うとらん。アパートが七面倒くさい場所にあるけん、捜しきらん」
 大笑いになった。私もひさしぶりに声をあげて笑った。御池が不意に言った。      
「神無月さん、政治なんて馬鹿のやることですよ。くどいようですが、詩人というのは、人間の中で最高の存在だと思います」
 箸を止めて、眩しそうに私を見た。
「いいものを書けるならね……。いいものを書いても、世間に引き出されないと生活はできない」
「本気で言っとりますか」
「世間の約束ごとをね。ぼく自身は何も考えていない。できるだけいい詩を書き、いい文章を書けば心が安定する。よしのりがぼくの詩を勝手に出版社に持ちこんだけど、その場ではねられた。よしのりを責めるわけじゃないが、ぼくは文学で世間に出ようと思ってないんだ。批評など気にせず、のんびり、じっくり書きたいだけだ。その結果書きあげたもので同好の士を喜ばせることができれば最高だ」
「そうです。食うためでなく書くゆういうことが、重要ですばい。そぎゃん突発的に生まれるあやふやなものに生活ば頼れん。生活のあてにならん突発事に精力ば注ぐっとは見上げた心意気です。詩人が最高の存在である所以です」
 惨めさが私を打ちのめしそうになった。
「精力を注ぐなんて心意気はない。……何のあてもなく、書きたいときに、書きたいから書いてるというだけのことだよ。それでもいまふうの学術理論でもあれば、詩を書くこともあやふやな突発事ではなくなるんだけどね。現代の詩人みたいに」
「あ、なるほど。からくりの知れた〈学問ふう〉の芸術のことですね。ばってん、そぎゃん詩はニセモノたい。自分の中から詩が湧いてこん者がひり出したクソでっしょ。クソしかヒリ出せん者はせいぜい理論を作り出すしかなかとですよ。詩はただ純粋に、書きたいときに、書きたいものば書くのがよかです。生活のあてにならん突発事でよかです」
 御池に対する印象が最初とまったくちがって、濃い眉にも、動きの少ない眼にも、鋭角的な鼻柱にも、強靭な知性と信念のエネルギーを感じた。
「名古屋の住所と電話番号、教えてもらってよかですか」
「もちろん」
 手帳に北村席のそれを書いて破って渡した。
「それは三月まで。四月には引っ越す。そのすぐ近所にね」
「いつか遊びにいきますけん。これ、あらためて渡しときます。ワシの住所です。西武新宿線の中井です。いつでも遊びにきてください。うまか店、お連れします」 
 松尾は眠そうに目をしょぼつかせながら、飯粒を噛み回し、
「神無月、おまえ、神宮のインタビューで、飯場の出身て言うとらんかったか」
「うん、言った。どうして?」
「去年の夏休みに、ワシも飯場を経験した。二週間、武蔵境の飯場に泊まりこんだ」
「武蔵境―」
「飯場でレポートを三つ書いた。夜遅うなってから、でかかテーブルでな。気分のよかったァ」
「金に困ってたわけじゃないんだろう?」
「何ごとも経験やけんな。気の立った土方の溜まり場と思うとったばってん、たまたま機械係とか現場主任の寝泊りするバラックでくさ、めっぽうかわいがられたァ」
 ふと予感がして訊いてみた。
「何建設?」
「それたい、おまえがインタビューで言っとった西松建設たい」
「所長の名前は?」
「それは知らんばってん、バイトを仕切っとったのは、吉冨いう男やったな」
「吉富さん!」
 なんという奇遇だろう。彼がいるなら、小山田さんも西田さんもいるにちがいない。会いたい。今度こそ会いたい。クマさんはいないけれど……。
「知っとるんか」
「知ってるどころじゃない。吉冨さんたちのいる飯場でぼくは育ったんだ」
「ほやったんか! えらい偶然やのう」
「武蔵境のどこだ」
「北口からまっすぐ、十五分ほど歩いたらな、小学校やったか中学校やったか、その近辺で大がかりに浄水場の補修工事をしとる。そこの飯場たい」
「社員は何人くらいいた?」
「事務所に出入りしとるのが五、六人。人夫の棟には何十人もおったで」
「小山田さんか西田さんて人いなかった?」
「ようわからんな。社員寮で飲んどるやつもおったばってん、俺は事務所でしか飲まんかったけん」
「じゃ、事務所に畠中さんという女の人は?」
「おらんかったな」
「そうか」
「卒業したら、うちにこいっち、吉冨さんに言われた。仕事は吐き気するほどキツかったばってん、男の手前にかけてどうしてもキツいち言われんかった。ぎりぎりまで寝て、大急ぎでめしば食って、現場に出るんぞ」
 朝めしを掻っこんだり、猫車を押したり、鉄骨を担いだりする格好をしながら仕方話をする。見つけた! とうとう見つけた。ついに彼らに会えるのだ。
「松尾、ありがとう! 感謝する。ずっと彼らを捜していたんだ」
 御池が、
「よかったですね! 会いたい人間に会えるゆうんは人生最高の喜びでっしょ。松尾さんもたまにはめでたいことば運んでくるばい」
 鼻風邪が吹き飛んでいる。喉のいがらっぽさはそのままだったが、鼻水が止まったので、ことなきを得たと思った。
 宇治田とは上石神井駅で別れた。新宿から松尾たち四人を品川方面の山手線に乗せて帰し、私は中央線で吉祥寺へ帰った。
         †
 玄関戸を開けると、掃除機の音が聞こえた。
「ただいま!」
「はーい」
 福田さんが小走りに出てきた。
「おかえりなさい。楽しかったですか」
「すごく楽しかった」
「松尾さんというかたは、お酒だいじょうぶでした?」
「うん。元気なまま熊本に帰った」
「お風呂入ってます。どうぞ」
「ありがとう。昼めしはトンカツお願い。キャベツたっぷり。昼めし食ったら、しばらく仮眠をとって、五時ぐらいから武蔵境にいってくる」
「節子さんかキクエさんのところですか?」
「いや、じつはね」
 喜び勇んで事情を話す。
「まあ、奇跡! ほんとによかったですね。いま買い物をしてまいります。おいしいカツを揚げましょうね。それと豚汁にお漬物。お風呂から上がったらコーヒーをいれますから、炬燵でゆっくりなさっててください。ちょっとお肉屋さんにいって、トンカツ買ってきます」 
 湯にゆっくり浸かった。歯を磨き、頭を洗い、全身を洗い、しつこくうがいをする。新しい下着をつけ、ジャージを着て炬燵に戻る。ポットのコーヒーが用意してある。
 買い物から戻った福田さんに御池の話をする。雅子は首をかしげ、
「御池さんというのはたしか、ここへ荷物を運んでくださったかたですか」
「そう。彼らとは長い付き合いになると思う」
 昨夜の喧嘩の話を微に入り細に入りしゃべっていると、トシさんがやってきた。濡れた傘を持っている。雨がきたのだ。
「トシさん!」
「キョウちゃん!」
「先週はごめんね。いかなくて」
「いいえェ、そんな約束なんかしてませんでしたよ」
「きょうは休み?」
「いえ、吉祥寺の新しい物件を見るついでに、ちょっと寄ってみたんです。日曜日ぐらいしか物件を見る時間がないんで。キョウちゃんのお顔を見たからもう満足」
 西松の社員たちに会いにいく話をする。
「もう福田さんから電話で聞きました。飯場の人たちを偶然捜し当てたって。よかった! 長年の夢が実現しましたね」
「する?」
「とんでもない! 願叶った再会の日ですよ。神聖な気持ちが穢れます。いずれこちらの家でゆっくり……」
「今夜、福田さんと!」
「はい。とにかく大切なご用をすましてきてください。じゃ、私いきますね」
「うん、わかった。じゃ、夜に」
 雨脚が強くなった。日曜日は、飯場は休みだったろうか。憶えていない。吉冨さんたちは外出していたような気がする。この雨だ。出かけずに娯楽部屋で麻雀でも打っているかもしれない。気もそぞろに、離れの机にいった。落ち着かず、蒲団に入って仮眠をとった。


         百三
 
 一時間ほどで起きて、すぐに軟便、シャワー、きょう初めての歯磨き。
 炬燵でうまいトンカツと豚汁を食った。どんぶり二杯。
「さすがプロの食欲ですね!」
 福田さんが驚き呆れた顔で見つめる。こういうまともな食事をすれば、たちまち体力は戻る。喉のイガラも消え、風邪っ気は完全に消えたようだ。
「―とうとう、飯場の人に会えるんですね。よかった。その吉冨さんという人にしか会えなくてもがっかりしないでくださいね」
「がっかりするどころか、飛び上がるよ」
 雅子は頬を拭っている。
「それじゃ私、夕方まいります。お食事作って、落下傘かけておきます」
「うん、九時か十時ごろまでには帰ると思う。トシさんといっしょにきて、帰らずに待っててね」
「はい」
 福田さんが玄関を出ていくと、私は離れの蒲団に入って二度目の仮眠をとった。
         †
 四時、新しいワイシャツを着、新しいズボンを穿き、薄手のセーターを着こんだ上にブレザーを羽織った。傘を差して吉祥寺駅まで歩く。
 総武線で三鷹に向かう。電車に乗っているうちに日が暮れた。二度と会えないと思っていた人びと。小山田さん、吉冨さん、西田さん、畠中女史……。一人一人の顔が鮮やかに浮かんでくる。みんなそこにいるだろうか、いや、みんなでまとまってその現場に移ってきたはずはない。吉冨さんだけかもしれない。それでもいい。みんなの消息がわかる。クマさん、荒田さん。ひょっとしたら酒井さんの飯場がくっついているかな? リサちゃんに会えるかも……。それはない。リサちゃんは岐阜へいってしまったのだ。
 三鷹で中央線に乗り換え、一駅いく。急にさびれた風景になる。見慣れた家並と灰ずんだ空。ボーリングの大きなピンを載せた遊技場の建物が窓から見える。
 武蔵境駅の北口に出る。このまま進めばキクエの一戸建てと節子のアパート。南口に出れば、もう法子の住んでいない樹海荘だ。雨が降っている。傘を差す。駅前の和菓子店で自家製の饅頭の詰め合わせを買い、紙袋を提げて道なりにまっすぐ歩く。
 中三の秋から四年。もし会えたら、話ははずむだろうか。時間は思い出といっしょに真っすぐ戻ってくるだろうか。戻ってくるだろう。でも、話題は? あの秋からの身の上話はくどくどしたくない。彼らも聞きたくないだろう。彼らの暦日にも、四年間のあいだにたくさんの新しい思い出が雪のように降り積んでいる。語るのはあの秋までのことだ。しかし、思い出の種がなくなり、すぐに話題が尽きてしまったら! それは恐ろしいけれども、恐ろしさに負けて再会の喜びまで捨てることはできない。
 荒田さんの丸焼き、小学校五年生のホームラン新記録、森徹のホームラン、押美さんの去っていく背中、手術の失敗、右投げに変えたこと、カズちゃんのテープレコーダー、母の胆石、康男、炭屋の下宿、そして北帰行―。
 第六中学校の裏手の小橋を渡り、玉川上水沿いの空き地に飯場はすぐ見つかった。なつかしいあの×印のバラックだった。事務所の灯が明るい。裏手に回り、ブロックの石段を重ねた食堂の入口に立つ。しばらくたたずんで中の物音を聴く。仕事が一段落したあとに交わされる気兼ねのない会話で賑わっているようだ。雨の日曜日に仕事があったのだろうか。テレビの音が聞こえる。
 そっと戸を引いて中を覗くと、コークスストーブのそばの飯台で、私服ではなくきちんと作業服を着た七、八人の男たちが酒を飲んでいた。仕事があったのだ。あの日の母のような賄い婦の背中が台所に立っている。いた! 小山田さんと吉冨さんと西田さん、三人ともいた!
「ごめんください!」
「オーイ。なんですか」
 眼鏡の細面の西田さんが立ち上がって戸口まできた。彼の背は私のあごのあたりまでしかない。小さい人だったのだ。見上げるように私を見る。一年ほどしか付き合いのなかった彼は、四年間のあいだに面変わりしている私に気づかない。康男のアパートを初めて訪ねた日に、おいしいラーメンを作ってくれた西田さん!
「西田さん、ぼく、郷です―」
「キョウちゃん!」
「なに、キョウちゃんだと!」
 小山田さんと吉冨さんが同時に立ち上がり、大股で寄ってきた。
「キョウちゃんか! おい、ほんとにキョウちゃんか!」
 私の目から涙が流れ出した。とつぜん二人もポンプのように涙を噴き出した。吉冨さんのがっしりした手が私の両肩をつかんだ。大きい人だったとあらためて知った。その吉冨さんが、
「大きくなったなあ!」
 と言った。小山田さんがしゃくり上げながら、
「キョウちゃんか、キョウちゃんか」
 と言って両手をつかむ。
「はい、ぼくです! 会いたかった!」
 声を放って泣きながら抱き合った。
「いったな、とうとうドラゴンズにいったな、四番でホームラン王だな。おお、ほんとにキョウちゃんだよ! こっちこい、ストーブにあたれ」
 吉冨さんが腕を引いて飯台に連れていき、目を剥いて驚いている満座の人たちの前に坐らせた。三人以外は知らない顔だった。その顔がいっせいに私に注目し、
「あの、中日ドラゴンズの……神無月?」
 吉冨さんが、
「そうだよ、正真正銘、神無月郷だ。怪物、天馬だ! いい男だろ、絶世の美男子だろ。あのころからそうだった。名古屋市熱田区平畑の西松の飯場出身だ。同じ釜のめしを食った仲間だ。キョウちゃん、とうとうこの言葉を言わせてくれたな!」
「はい!」
 賄いの婆さんがあわててスルメをあぶる。私はストーブのそばの長椅子にかしこまり、菓子折りを入れた紙袋をテーブルに載せて差し出した。
「これ、みんなで食べてください。途中で買ってきました」
 だれもそんなものを見ていなかった。吉冨さんは紙袋を脇へ押しやると、私の前に湯呑茶碗を置き、涙にあふれたやさしい目で酒を注いだ。隣に坐った小山田さんが、私の手を握って撫ぜながら、
「キョウちゃん! ほんとにキョウちゃんだよ。ヒー、フー、ミー(指を折りながら)四年ぶりか! どうしてた、あれからどうしてた。青森いってどうなった」
「ぼんやりしてました」
「うん、うん、口惜しかったろうなあ、死にたかったろうなあ!」
「いろんな人に支えてもらって、偶然、もう一度野球をやるチャンスがあって」
「そうか、あたりまえだ、だれだって支える。野球はキョウちゃんの命だったからな。おいみんな、おばさんも坐って、話を聞け」
 西田さんが、
「いやあ、よくきたね。なつかしいなあ。冗談じゃなく、何度かキョウちゃんのことを夢に見たよ」
 吉冨さんが、
「俺なんかしょっちゅうだった。そしたらあのテレビインタビューだろ。泣いた泣いた」
 小山田さんが、
「法政戦で勝ち点をあげた試合だ。おまえらもニュースで観たろう」
「はあ!」
「西松って名前が出たんで驚きました」
「俺と吉冨の名前が出てきたのにも驚いたよ。まあ、飲みながらゆっくり話をしよう。キョウちゃんはな、もともと左利きだったんだ。それが肘壊しちゃってなァ。麻雀部屋にきて、肘が痛いって泣きそうな顔で言うんだよ。さ、飲め飲め。おまえらも飲め」
 私はちびりと含み、
「中一の春でした」
「そうだったな。すわ、一大事、国家の損失だって俺は叫んだよ」
 吉冨さんが、
「ガリガリってへんな音がして、正直、俺は絶望した。何年も連続で名古屋市のホームラン王を獲ってきた男がここで終わるのかってね。結局、即日手術ってことになった」
「畠中さんについてってもらいました。終わった、終わったって思いながら。……畠中さん、どうしてます」
 小山田さんが、
「女史は原田と結婚したよ。岡本所長の仲人でな」
「え! 吉冨さんじゃなく?」
 吉冨さんは頭を掻きながら、
「ハハハハ、俺のはずないだろ」
「だって、畑中さんは吉冨さんが好きだったんですよ」
 座に和やかな笑いが拡がった。
「キョウちゃんはいつまでも純粋だな。俺なんか当て馬ってやつだよ。そんなことはどうでもいい。みんなキョウちゃんの話を聞きたくてウズウズしてるぜ」
 ようやく涙の退きかかった小山田さんたちの顔に、あのころのいたずらっぽい笑いが浮かんだ。賄いのおばさんが、裂いたスルメを皿に載せて持ってきた。西田さんがスルメを噛みながら、
「手術、失敗だったんだよね。骨じゃなく神経をやられる病気で、結局、開けて閉じただけ。絶望のダメ押しだったね」
「はい」
 小山田さんが、
「そこで終わらないのが神無月郷だ。右投げに替えるって言い出したんだよ」
 座がどよめく。
「そんなことできるんですか!」
「できたんだよ。それがあのインタビューだ。あんなに感謝してくれてたとはな……」
 目頭を手の甲で拭う。吉冨さんが、
「ひと月かな、ふた月かな、俺と小山田さんと、熊沢さんもいたな」
「シロもいました」
「そうだった、いたいた。毎日キョウちゃんが学校から帰った夕方、飯も忘れてキャッチボールよ」
「ボールがあっちこっち飛んで、シロまで球拾いして、とんでもない苦労をかけました」
 小山田さんは遠くを見やるように天井を見上げ、
「シロって犬。かわいい犬でな」
「いま、飛島建設の社員寮にいます。よぼよぼです。おふくろについてったんですよ」
 吉冨さんが、
「そうかあ、飛島にいるのか。クマさんとキョウちゃんが犬取りから連れ戻してきて、クソまみれのからだを洗ったっけなあ」
 小山田さんが、
「でな、あるとき、まともに、こう、胸のところに真っすぐボールが飛んできて、スパーンとな、グローブに収まったわけよ。速い、速い、鉄砲肩よ。十三歳だぜ。当時の俺たちなんかよりはるかに速い」
「あれには驚きましたね。シューッてボールがくる。俺、瞬間、絶望が吹き飛んで、泣きそうになった。キョウちゃんの天才の底知れなさを感じた。俺、なんとか泣かないようにして、コントロールをつけなくちゃな、なんて格好つけたこと言っちゃってさ」
「それからはトントン拍子よ。また連続で名古屋市のホームラン王を獲りはじめた」
 小山田さんに合わせてみんなしばらく黙った。賄いの中年女が、
「そこからは何度も聞きました。ひどい話ですよね。スカウトは追い返す、遠い土地へ追い払う。学校の先生までいっしょになって厄介払いをしたんですからね」
「ぼくは彼女にとって厄介なことをしましたから」
 吉冨さんが、
「クマさんから深い話を聞いた。キョウちゃんは十五歳の正義を貫いただけなんだよ。大将の見舞いに毎日かよって、リハビリの手伝いで夜遅くなる、病院の看護婦さんに惚れて、話しこんで夜遅くなる。放っておけばどうということもなかったんだ。学業成績トップクラスのホームラン王だったんだからね。スポーツをヤクザな遊びと言ってスカウトを追い返したぐらいの母親だ。あるべき中学生像ってのが、カチンと頭にできてて、それに合わないから追放ときた。ほんとにひどい話だ」
 私はまた目が熱くなり、ちびりと飲んだ。西田さんが、
「冨さん、怒り狂いましたよね」
 小山田さんが、
「そうだった、熊沢といっしょになって怒り狂った。岡本所長はおふくろさんに加担して、才能があるかどうか疑問だと言いやがった。押美ってスカウトが、おふくろさんと所長に向かってしゃべりだしたときの形相と言葉は忘れられんぜ」
「俺も忘れられませんよ。一言半句憶えてるなあ。名台詞だった。偉大なスポーツ選手というのは、いわゆる博士や大臣などよりもはるかに上位の人間だ、ふつうの人間が能ある人間の天職を妨害しようとしたところでとうてい成功するものじゃない、天職というのは何かふつうの人間には計り知れない大きなものからの誘いだ。……俺たちは何もできなかったな」
 私は目を拭いながら、
「いいえ、してくれました。ぼくは飯場でプロ野球選手に育て上げられたんです」


         百四

 西田さんが泣きだした。
「……よくやったね、キョウちゃん、ほんとによくやった。もうだれもキョウちゃんのじゃまをしない。そこまで自分でもっていったんだ」
 社員の一人が、
「新聞は詳しく書いてくれないものなあ。天才とは書くけど、どうやって天才でありつづけたのかはね」
 また一人が、
「東大へいかなくちゃ野球をやらせてもらえないなんてのも読んだけど、凄絶だね」
「大学野球やプロ野球の規約で、二十歳までは野球部に属することもプロ球団に入ることも、親の同意が必要です。東大以外の大学にいけば、それでオジャンでした」
「鬼だね」
「鬼だ」
 賄いが、
「そんな人に、契約金をぜんぶあげちゃったんですよね」
「半分です。半分は祖父母です。さんざんイヤミを言われました。子供にたかるダメ親の評判を立てるつもりか、びた一文使うつもりはない、叩き返せば無理をしてると世間の口がうるさいから、実家の祖父母にぜんぶ送った、と。ぼくとしては縁切りのつもりでした」
「手がつけられないね」
「どうしたかったのかなあ、キョウちゃんを」
「人生の価値が東大だけって、考えられる?」
「東大出の所長と結託したわけだから、不気味な価値観だけど、そうとしか考えられないんじゃないの」
「そうかもなあ。ノーベル賞獲ったって、東大出じゃないと、ちょっと胡散臭く感じたりね。そういう人には、ベーブ・ルースも長嶋も価値じゃないわけだ」
「それっておかしいぜ。中国なら北京大学か? アメリカならハーバード、イギリスならオックスフォード。それに関係しなけりゃ、どいつもこいつも胡散臭いってのはさ。たとえば、そこに坐ってる××、東大出だぜ。あとのみんなは胡散臭いのか? ××がいちばん胡散臭いぜ」
「やめてくださいよう」
「そんな親に育てられて、よくぞここまでマトモに育った、あっぱれだね」
 みんなで酒をつぎ合う。もうもうとタバコの煙が上がった。とうとう戻ってきた、と思った。うれしくて涙が止まらなくなり、ぐいとあおった。小山田さんが、
「しかし、ここがどうやってわかったんだ?」
「友人が去年の夏にここでアルバイトして、吉冨さんという人に世話になったと言ったんです。もしやと思って訊いたら、西松建設だと言うんで……」
 吉冨さんは、ハア、と口を開け、
「友人て、松尾くんのことか」
「はい」
「じゃキョウちゃんは、早稲田の学生とも友だちなのか」
「はい。ひょんなことで」
「早稲田の野球部にいきゃ、もっとラクに野球できたろうにな」
 小山田さんが歯を剥き出して笑いながら、
「スマートな英雄にはなれたろうが、東大を優勝させるなんていう大豪傑にはなれなかっただろう。これでよかったんだ」
 私は両手で涙を拭い、
「……みんな元気そうで、よかった。じつは会いにくるのが少し怖かったんです。あまりにもみなさんとは親しく暮らしたので、その思い出に押しつぶされて、いざ会ったら話すことがないんじゃないかって」
 再会を果たした者の突出した思い出が、現実の時間に均(なら)されていくのが恐ろしかった。だんだん胸が冷たくなって、さびしい心に浸されるのが恐ろしかった。人情の温かみにすがって生きられた幸福な時代だけを思い返したかった。杞憂だった。小山田さんは洟をすすり、
「一晩でも話していたいくらいだ。……クマは西松辞めて、いま、長野の千曲観光でバスに乗ってる。もとの仕事に戻ったわけだ。息子はもう幼稚園を卒わるころだろう。キョウちゃんのような子に育てるというのが口癖だったけど、キョウちゃんのような子になんかできっこないやな。千万人に一人の器だもんな」
 小山田さんは私の湯呑みに酒をついだ。
「畠中女史と原田さんはショックです……」
「おお、キョウちゃんをつぶそうとした岡本所長の腰巾着だ。結婚してから所長といっしょに東京の本社に異動して、二人ともいい地位についてる。所長はもう重役だ。カズちゃんは離婚してしまった。いま、どこにいるんだろうな」
 その消息だけは口にできなかった。吉冨さんが、
「英さんは、単身で札幌にいるよ。街作りの現場で、五年ぐらいの予定だ。俺たちもここの補修工事が終わったら札幌にいくんだ。キョウちゃんに会ったことは、いずれクマさんにも英さんにも伝えておくよ」
 ほかの社員たちはコップや湯呑みを傾けながら、興味深げに聞き耳を立てていた。点けっ放しのテレビの画面で、大橋巨泉が万年筆片手に意味不明の地口を言いながら笑っている。小山田さんが煙草に火を点けた。私にケースを差し出した。吉冨さんが止めた。
「スポーツ選手に煙草は厳禁ですよ」
 そう言って、自分も一本取り出して唇にくわえた。小山田さんがマッチを擦った。
「酒井さんの頭領はどうしてますか」
 知っていることをあえて訊いた。ここにいる時間を引き延ばしたかった。
「さあ、どうしてるかなあ。何年か前に岐阜のほうへ移っていったからなあ」
「リサちゃんて娘さん、いましたよね」
 吉冨さんがにっこり笑って、
「ああ、あの子、キョウちゃんのこと好きだったみたいだね。あの秋、何度かおばさんに話を聞きにきてた。高校生になってからすっかり美人になっちゃってね。妹とちがってケンのない、ほんものの美人だったな」
「脚は治ったんですか」
「脚? 彼女、脚が悪かったの? ふつうに歩いてたけど。そういえば、脚の悪い子がよく訪ねてきてたな」
「加藤雅江ですね。いま、愛知時計にいるそうです。あのう……宮本さんは、どうなりました?」
 小山田さんが、
「ああ、宮ちゃんな。宮ちゃんは青森のほうで自首したらしくてな。そのことは岡本所長が知っていてあとで教えてくれたんだが、一年半ほどの刑期を終えて、本社に挨拶にいったそうだ」
「自首したんですか……」
 あのとき京都駅で見かけた一家は、きっと青森ではない土地で再出発するのだと思っていた。流れていった土地で慎ましい生活を送りながら、やがてあの女の子たちは立派な大人になり、宮本さんは隠れ蓑にしてきた仕事を(たぶんタクシー運転手か何かを)引退する。逃亡罪はそのころには時効になっている。なんとドラマチックな物語だろう! そう思っていた。再会した人びととの思い出の中に、自分だけの思い出が混じる。それはだれとも共有できない。
「野球用品、何でもかんでも買っていただいて、ありがとうございました。中日球場にもしょっちゅう連れていってもらいました。森徹のホームランは一生忘れられません。母がスカウトと対決したときも、こぞって味方をしていただき、いまさらですが、なんとお礼を申し上げてよいか―」
「ぜんぶ、はっきり思い出すよ。荒田なんか、鳶が鷹を産んだってことがわからないのかって怒鳴ったっけなあ」
 小山田さんと吉冨さんは新しい涙を搾り出す。
「いっしょに映画にいったっけね」
「森繁久彌の社長シリーズでしたね。ぼく、寝てしまって」
「そんなものに連れてったのか。ゴジラとかモスラとかあっただろう」
「いやあ、キョウちゃんは大人びていましたからね」
「……荒田さんの焼き鳥、絶品でした」
「荒田は相変わらず、年に何回か大分から鶏肉をさばいて送ってよこすよ。あんなに上手に焼けないから、おばさんも苦労してる。なあ、××さん」
「はい、唐揚にするぐらいしかできなくて」
 年増が腰を折って、ホホホと笑う。社員の一人が、
「ちょっと、小便」
 申しわけなさそうに立ち上がった。三人のほかの社員たちの記憶にない話をして、せっかくの団欒のじゃまをしていると感じだした。私が小山田さんたちに伝えようとしているのは、一つひとつの事柄ではなく、あのとき、あの瞬間の心持ちなのだ。小山田さんたちにはわかっていても、初対面の社員たちにはわからない。話したい話題は同心円を描いたり、滞ったり、尽きたりする。沈黙を挟みながらでも、一晩じゅうその同心円を巡ることができる。顔を見て、声を聞き、四年間の消息を知りたいのだ。しかし、私との思い出のないほかの社員には、私との過去はなく、彼ら同志のあしたがある。
「すみませんでした、とつぜん押しかけてきて。あんまりなつかしかったもので。きょうはこれで帰ります」
「もう帰るのか!」
 小山田さんが大声を上げた。私につられて吉冨さんが立ち上がり、
「キャンプ前の自主トレの時期だものな。毎日たいへんだろう。キョウちゃん、野球を引退したら、西松こないか。そのころはまだキョウちゃんは四十前だろうから、それからだって二十年以上働ける。社内勤務でキョウちゃんがどんどん出世していく姿が目に浮かぶんだよ」
「飯場に入れてくれるなら、喜んで」
 予想外に大きな笑いが湧いた。小山田さんが、
「こういう男なんだよ、キョウちゃんは。惚れ甲斐のある男なんだ。吉冨! キョウちゃんが会社勤めなんかするはずがないだろ」
「仰せのとおり」
「建設労務者がぼくの理想です。残念ながら、エリートのデスクワークや、監督業じゃないんです。小山田さんや吉冨さんたちに使われる側です。使われてるだけなら、ぼんやり静かに生きられますからね。そういう理想は、千年の飯場にいたころ心の奥に植えつけられました。財産だと思っています」
 吉冨さんが、
「やあ、むかしからキョウちゃんの変人ぶりは、ほんとに極めつけだな。こんなにひさしぶりに会っても、おもしろい人間のままだ」
 私は自分の未来が、水に文字を書くようにはかなく感じられた。
「おもしろい人間だなんて……。ぼくはいつまでも中途半端な人間です。おそらくこの先、野球もやめて、すっからかんの人生を送ることになると思います。そのときには、いつか土方としてお世話になるかもしれません。いっしょに笑い合いながら、酒でも飲んでください。みなさんのことは、この四年間、一度も忘れたことはありませんでした。これからも同じです。住所がわかりさえすれば、何度でも会いにきます」
 食堂の全員が目頭を拭いはじめた。小便から戻ってきた男も、賄いも泣いている。
「おお、待ってるぞ。テレビ観て、新聞読んで、待ってる。キョウちゃんは遠くへいっちまった。待つしかないんだ」
 小山田さんの声がふるえた。また新しい涙が湧いている。吉冨さんがもう一度私の肩に手を置いた。彼の目にも涙があふれていた。もう彼らとは会えないだろう。もし、あの日のまま朝がきて、夕暮れが訪れ、人が変わらず同じ場所にいるなら、何度でも会って笑い合いたい。あらためて大切に思い出の筺(はこ)にしまい直さなければならない人たちと、そういう新しい生活を開始することはできない。彼らは私の人生そのものだった。あの感動を新しくするためには、時間を巻き戻して、もう一度いっしょに暮らし直すしかない。吉冨さんが、
「ねえ、キョウちゃん、理想か何か知らないけど、土方になんかなるんじゃない。自分の最盛期に、野球が簡単に自分から離れていくのを見たのは、とてもつらい経験だったろう。なまやさしい絶望じゃなかったと思う。でも、もうだいじょうぶなんだよ。野球といっしょにこうして生きられるんだ。野球をやめたら土方になるというのは、いくらなんでも短絡的すぎる。そのまま野球の仕事をすればいいじゃないか。さっき言ったことは冗談だ。いつもキョウちゃんにそばにいたいという願望が、あんなふうに口に出ちゃったんだよ。キョウちゃんがいろいろ苦労したことは、俺たちの目にしっかり焼きついてる。とんでもなく不運だったこともね。だから、キョウちゃんがそれをしっかり乗り越えて、身に合った出世をしてくれないと、俺たちは同じ釜のめしを食った甲斐がないんだよ。ヤケをおこしちゃいけない。力が衰えるまでプロ野球選手でいてほしい。いいかい、企業の社員なんてエリートじゃない。半端者ばかりだ。エリートというのは、キョウちゃんみたいな人間のことを言うんだぞ。われ尊からずして、かく尊き知己あるは、何にも増して肩身は広し。キョウちゃんは俺たちの誇りなんだ」
 温かい拍手が上がった。
「そうだ、一生の自慢の種だ」
 小山田さんが歯を出したまま鼻をすすった。寡黙な西田さんも眼鏡の奥の不等辺三角形の目をしばたたいている。彼らはいまもなおやさしいままだった。いまなおたっぷりと人間らしい愛情を湛えていた。
「西田さんは、相変わらずラーメン作りの名人ですか?」
「え?」
「いつか、正月に作ってもらいました」
「ああ、あれね。憶えていてくれたんだ。うれしいな。いまでも休みのときなんか、寮部屋でこっそり作って食ってるよ。チキンラーメンだけど」
 あの日、私は牛巻病院まで走ったのだった。小山田さんが手のひらで鼻をこすりながら、
「札幌いっちゃったら遠くなるな。円山球場で遠征試合でもすることがあったら、ふらりと寄ってくれるか?」
「はい。万難を排してお訪ねします」
「二月からキャンプ?」
「はい。明石です」
「いよいよか。キョウちゃん、もう一度握手してよ!」
 吉冨さんが手を差し出す。しっかりと握った。三つ、五つの掌がつづいた。慟哭が押し上げてきた。
 引戸口で見送る全員に深く頭を下げ、傘を振って別れた。もし早稲田の松尾と知り合わなければ、そして喧嘩の大立ち回りの興奮を引きずりながら御池に誘われて宇治田の下宿に立ち寄っていなかったら、きょう、小山田さんや吉冨さんに会えなかった。しみじみと人生の風向きを奇異なものに感じた。


         百五

 夜道を武蔵境駅に向かって歩きながら、なぜここまで自分がやさしく喝采されるのかを考えた。母との角逐を早い時期に経験して以来、私は、人びとのおおよその気持ちを感じ取ることができるようになった。しかしその感覚は、行動の枷になる苦悩を背負うという意味では社会的な能なしであることと同義で、一般の軽蔑に値するものだった。だから私は、その無能に基づいた〈感得能力〉に微笑んだことはなかった。その能力に対する私の判断は生まじめなほど謙虚で、自分を見かぎる悲哀に満ち、悲哀のせいでつぐんだ口もとは毅然としていた。苦しみが深すぎるからといって、自得することが許されるとは夢にも考えなかったからだ。まったく逆だった。世の中には、この揺るぎない、自分に対する忠実な自制でも律しきれない、悲しみと苦しみの大海が広がっていることを忘れたことはなかったからだ。
 私がそんなふうに〈視線を伏せて〉姿勢正しく歩いていくとき、その気取りのないリズムに乗って運ばれていく思いの中に、矜持があるのか、丸めこんだ自負心があるのか、それとも永遠に私を支配している倦怠があるのか、私自身にもわからなかった。悲しみがあることだけは確かだった。そういう私の自制は〈病気〉と悼まれて愛された。それが一つの喝采の原因だった。
 しかしいったん立ち止まり、自制を忘れ、〈視線を真っすぐ上げて〉人やものを見つめるとき、私はたちどころに鋭角的な批評家になった。自負も矜持もないするどい視線はきびしく、正確だった。きびしく正確であるために社会的な経験の未熟さは少しも妨げにならず、どんな人事の秘密もたちまち見抜いた。私の慧眼は、世俗に冒された母の七変化の精神に長く苦しんだ果ての英知だったから、批評の言葉を口にする私の苦悩に満ちた両目にはきっと魅惑的な疲労の隈が立ち、瞳は涙に濡れた情熱をたたえていて、人びとに実際以上の容量を感じさせたにちがいなかった。それがもう一つの喝采の原因だった。
 悲しみを秘めるにせよ発露するにせよ、私の受ける喝采は、無能ゆえの感得力がもたらした僥倖だった。僥倖を与えない人びとがいる。私を無能者にした母と、まだ見ぬ無慮数千万の彼女の支援者だ。私は彼らの川の流れに浮かんでただよい、ときおり、喝采してくれる人のいる岸辺の草をつかむ。
 薄暮の千年小学校の校庭を浮かべ、涙が流れてきた。傘に落ちる雨の音にまぎれて、小山田さんや吉冨さんの声が聞こえる。
 ―キョウちゃん! ボールがいやに速いぞ。ふつうの大人より速い。
 ―肩じゃなく、手首を意識して! コントロール第一。
         †
 福田さんとトシさんが待っていた。トシさんが、
「あら、少し酔ってる」
「うん、二合ほど飲んだ」
 福田さんが、
「たいへん! はいお水お水」
 私にコップ一杯の水を飲ませると、二人は大喜びですぐにめしの仕度をする。私はキッチンテーブルに座るなり、きょうのことを細かく語りはじめた。福田さんは魚を焼きながら、ボロボロ泣いた。
「センチメンタルジャーニーの名古屋の部がほぼ完結した。結局、思い出の人たちに会いたくて、何度もジャーニーをしたんだからね。こんどはいつか、信州や岐阜にいって完結を目指す。クマさんとリサちゃんだ」
 トシさんは布巾でまぶたを拭い、
「どれほどやさしくできてるんでしょうね。ほんとに―」
「愛してくれた人だけね。ぼくはエゴイストだから」
 福田さんも指でまぶたをこそぎながら、
「愛してくれない人を愛するのは、適当なところで終わりにできるでしょうけど、愛してくれる人を愛するのは相当の労力がいります。百人いたら百人ですものね。よほど心の広い、怪力のエゴイストでないと」
 私はシンクに立つトシさんと福田さんを後ろから抱き締めた。
「異常に愛してくれた人だけだよ。男も女も生涯に何人もいない。大した労力じゃない。ただのエゴイストでじゅうぶん」
 トシさんが、
「きょうは帰ります。抱いてもらったら、きょう一日の感動が汚れます」
「そうですね。ごはんを食べたら、きょうは帰って休みましょう」
 福田さんもうなずく。
「汚れごとじゃないよ」
「それでも、女のあんな声を聞いたらいけません」
 私もそんな気がした。二人のおさんどんが始まる。ツブ貝の煮物、ヒラメの焼き魚、ホウレンソウのお浸し、ウミブドウのサラダ、炒めナスの味噌汁、白菜の浅漬け、やさしさに満ちた夕食。
「札幌は遠いですね。もうなかなか会えないでしょう」
「……そうだね。きょうが最後だったかもしれない。生活圏から去ってしまった人とはますます疎遠になるばかりだ。思い出という悲しさの中に取りこまれる。……野球をやめたとき、もう一度、一人ひとりに会いにいく」
「私たちは一生懸命、思い出にならないようにしないと」
 トシさんが言う。福田さんが赤い頬でうなずく。二人が洗い物に立つ。私はジャージに着替えた。
「駅まで送ってくよ」
 いつのまにか本降りでなくなっている。それでも傘を差し、靴を下駄に替えて送っていった。
「福田さんに会うと、青木小学校の福田雅子ちゃんに会える。横浜さんに会える」
「思い出の輪の一人にしないでくださいね。神無月さんの生活圏の中で会いにいきたい女の一人でいたいんです」
「私もよ、キョウちゃん。東京さんに会うためにきたらいやよ」
「当然だ」
 トシさんが、
「春から生活圏が広がります。女も増えますね」
 福田さんが、
「お友だちになれない女の人たちですね。会えないでしょうから」
「美しくいるよう心がける」
 トシさんが、
「どういても、キョウちゃんは美しいですよ」
 改札で手を振り、御殿山へ引き返す。霧雨になっている。下駄を履いているので足もとが冷たい。鼻緒が濡れている。感情が満杯になっている。
 ―中日球場の帰りの赤提灯。よくタクシーに一人乗せられて帰された。
 熱燗でも飲んでからだの冷えを和らげてから帰ろうと思い、駅前の小路の赤提灯を探した。居酒屋ふうの店は見つからなかった。日曜日だからかもしれない。吉祥寺通りに出て見ても、灯りはほとんど消えている。おのずと足があの退屈なアドロの店に向かった。もし店が開いていなかったら、夜の井之頭公園でも散歩して帰ろう。
 セドラの前で、あの女がちょうど置き看板のコードを外そうとしている背中に出会った。ゆったりしたズボンを穿き、ゆったりしたシャツを着ている。生気がない。
「もうおしまいですか」
 しゃがんでいた女が無表情に振り返り、パッと笑顔になった。
「あら、有名人、三度目。雨だから早じまいしようと思ってたとこ。どうぞ入って。お客さん一人もいないから、ゆっくりしてって」
 思っていたよりも大きな目だ。濃い化粧をし、つけ睫毛をしている。頬のたるんだ顔はこの前見たとおりだが、齢のわりに口もとが愛らしい。女は地味な臙脂色のズボンの尻を揺らしながら店内へ導いた。壁の灯りが絞られている。
「きょうもギター弾かないんですか?」
「いつも弾いてるわけじゃないのよ。いまテープレコーダーかけると、お客が入ってきちゃうから、音楽はなしね。水割り飲む?」
「できれば燗酒を。飲んだら失礼します」
 カウンターのスツールに腰を下した。女はドアの軒灯を消し、カウンターに入った。
「いいのよ、急がなくて。店を閉めてすぐ寝るわけじゃないから。お燗ね。……ほんとにきれいな人ね。野球選手だなんて信じられないわ」
「よく言われます。でも自分ではそう思っていません。ゴツゴツのブ男」
「ふうん、でも私の好みよ。うれしそうな顔してる。いいことがあったの?」
「……すごい幸運があって、むかしかわいがってくれた人たちとすばらしい再会を果たせました。胸がいっぱいです。ぼくの野球人生を精いっぱい応援してくれた人たちです」
「あ、お客さんから聞いたことがあるわ。飯場の人たちね」
「はい、武蔵境までいってきました。驚くほどのラッキーが重なって、とうとう会えたんです」
 再会の経緯を話した。
「すてきな話ね。きれいな男の世界」
 手際よく燗酒をつけ、酌をする。自分も水割りを作ってグラスを傾ける。私は盃を含んだ。
「どうしてもあの声が聴きたいな」
「いいわよ。一曲だけね。少し飲んだら」
「ありがとう」
「やだわ、ジロジロ見てる。何か言いたそうな顔ね」
「スカートのポケットに手を入れることが多いですけど、手が見えないとさびしげな印象を与えますよ。孤独、無力感、倦怠。それを隠してラクになろうとする。だからゆったりしたシャツを着、ゆったりしたズボンを履く。ラクになろうとする人間は不誠実な印象が強くなるんです。流行やしきたりに従おうとする人間も同じです。そのほうがラクですからね。あんな緊張した歌声を持ってるあなたが不誠実なはずがない。孤独や怠惰を排除しようとして懸命に生きてるはずです。ラクに生きないようにするためにね。ぼくもそうです。野球のユニフォームで身を引き締めるのもその一つの表現です。―せっかくきれいなんだから、もっとピッチリした、柔らかい生地の服を着たほうがいいです。美を保つのも緊張感の一種です」
「あんた、変わってる。でもお節介ね。私を分析しようとしてるの?」
「たぶん。人の行動の動機を理解することは、自分を理解することになる。理解すれば自分から逃げる必要はなくなる。突発的な憂鬱からも、過去からもね」
「……ほんとに変わってる。年上に見えてきたわ」
「あなたは四十そこそこでしょう」
「当たり。唄う前に、してほしいことがあるわ。ギブ・アンド・テイク」
「何ですか」
「私を抱くこと」
「じゃなきゃ唄ってくれませんか」
「唄わない。あんたの顔を見てるだけで、ひさしぶりにあそこがジンとしたの。いやならいいのよ、ごめんなさいね、図々しいこと言っちゃって」
「いやじゃないです。ぼくは、迫ってくれた女とはかならず寝ます。ただ、きょうは、長いあいだ探していた思い出の人たちととうとう会えたという、じつに感動的なできごとのあとなので、そういう気持ちに積極的になれないんです。きれいな思い出とは正反対の行為ですから。……でも、セックスが汚い行為だとはこれっぽっちも思いません。タイミングの問題で……一度きりでいいですか」
「もちろんよ。腐れ縁はいやだから」
「旦那さんは?」
「独身よ。結婚したこともない。たくさん男と寝たけど」
 たくさんという言葉から、黒ずんだ小陰唇を思い浮かべた。
「わかりました。妊娠しても知りませんよ」
「……あんたサックは嫌いなのね」
「ぜったいね。セックスを人工的なものにしたくない」
「いいこと言う。何年ぶりかなあ、ナマでするの。……賭けだけど、中出ししてもいいわ」
「なんで賭けをする必要があるんです? いきずりの男と。ぼくは賭けはきらいです。くだらないことに頭を悩ませることになる。外に出したほうがいい」
「中に出して……」
「じゃ、帰ります」
「いいわ、外でも。でも、そんなことできるの?」
「だいじょうぶです。慣れてますから。一つ、約束してください」
「何?」
「あとでかならず歌を聴かせてください」
 女はうなずいた。



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