四十九
 
 排泄し、めしを食い、勉強し、運動し、風呂に入り、眠る。だれもみな幼いころからそんなふうにして生きてきた。何も疑問を抱かないし、それが人生というものだと思ってきた。それを繰り返す自分の現在と、繰り返すだろう将来をいちばん愛していた。その次に愛していたものは、それを繰り返して生きるに値する自分に対するプライド、つまり自分はほかの者よりもすぐれていると思いこむ幻想だった。それこそ私の生命を輝かせるものだった。
 いまの私にとって、そうした幻想を抱く時間は道草としか思われないし、それで命を輝かされるとも思えない。十五歳からのわずか数年で、私の思考にすばらしい〈進化〉が現れた。輝いているのは自分ではない少数の人びとだと気づいたのだ。光のない人びとの思惑に取り乱して、つまらないプライドで対抗しなくなった。ただ光ある人びとの光に照らされることに慰められるようになった。自分に光があるという幻想が、光ある人びとの輝きに炙られて蒸発し、光のないおのれの行路で道草を食わなくなった。彼らの光に導かれて歩む未来のことを考えるようになった。
 だれもが光り輝いているわけではない。かつての私のような〈悟り〉を抱えて自得している人びとが大勢いる。しかし、幻想に蹂躙されて生きているそういう人びとの心模様に関心がなくなった。そういう人びとの幻想の光輝にひれ伏す人たちを黙殺できるようになった。似而非(エセ)の光に疑いを抱く誠実さを失った人びとを愛せなくなった。
 いまの私にはただ一つ、人間として〈正しく〉生きているという自己信頼がある。どんなわけでこういう人間になったのか、そもそもの経緯がわかっているし、それが余儀ないものだったとわかっているということ、そして変異した自分は以前と同じ人間だと意識しているということだ。抗いがたい不可思議な魅力を感じさせる人間に対する愛着こそ、幻想や矜持を超えた価値だと意識しているということだ。
         †
 二月十二日水曜日。七時半起床。うがい、ふつうの排便、シャワー、歯磨き。ベッドに腰を下ろし、爪を切り、耳垢を取る。太田もまねる。
 八時。ワイシャツとズボンに着替えて、太田といっしょにロビーの喫茶部に降りる。宿泊客一同の目が私に注がれる。そのための身だしなみだ。記者はそこかしこにいるが近づいてこない。芸能記者でもないかぎり、取材の種など四六時中転がっているものではない。
「早出はやめたの?」
「控えの選手たちに白い眼で見られるんで、窮屈なんです。菱川さんはまじめに出ていました。遅れをとってるような気にはなるんですけどね」
「彼は白い眼では見ないんだろ」
「はい、ただ声をかけられない真剣な雰囲気です。菱川さんが笑顔を作るのは神無月さんにだけですから」
 コーヒーを注文して飲みながら、ホテルの新聞を手に取る。デイリースポーツ。
「神戸新聞が出してるスポーツ新聞ですよ」
「一日のうちの何分の一でも新聞に目を落とす時間はもったいないと感じるんだけど、かならずスポーツ新聞は見るようにしてる」
「一般紙よりスポーツ紙のほうが素朴ですからね。信用できるし、読みやすい」
 ドラゴンズ大躍進への道という記事が載っている。中身を読まずに、新聞掛けに戻す。私が入団した今年の大躍進とは、とりもなおさず私が打ちつづけ、チームが勝ちつづけてついに優勝することだろう。
「大躍進、優勝か。見果てぬ夢にならないよう力を振り絞ろうね。高校野球や大学野球のような試合数の少ないトーナメントなら、躍進と形容できる幸運な現象があるかもしれないけど、天才たちが何十回、何百回とぶつかり合うプロの世界では、破竹の勢いで勝ちつづけるのは至難だ」
「そうですね。山あり谷ありの先に優勝が待っているかもしれないというだけのことですね」
「うん。そんな世界では、天才たちの輝きのまぶしさのせいで、勝敗のゆくえを見つめるのが鬱陶しいものになる。集団の大躍進など、どうでもいいものになる。……久保田さんの記事でも載せればいいのに」
「久保田五十一さんですね。神無月さんを筆頭に、何人かドラゴンズの選手のバット作りを請け負うことになったようです。俺も今月中に頼もうと思ってます」
「久保田さんのインタビュー記事でも載ったら、ぼくはスクラップブックを作ってでも読むな。彼の心がけや、行いや、情熱に興味がある。彼の言葉はすばらしいから、記事に信憑性が出るだろうね」
 空腹が限界まできた。仲間が溜まっている会食場へいく。レギュラーや自主練習から戻ってきた連中やコーチ陣がほとんどいる。大きな柱の陰から水原監督と村迫代表の横顔も見えた。菱川が入口に近い窓ぎわでめしを食っていた。いくつか離れたテーブルで江藤がパンを齧っている。太田と私は彼のテーブルの椅子に寄り添うように座った。私たちに気づいた菱川が隣のテーブルに移ってきた。江藤が、
「ほう、実践派の野球バカが集まると落ち着くのう」
 バイキングでない選手専用の会食場なので一般客はいない。ウエイターやウエイトレスが歩き回っている。食事が運ばれてくる。大盛りのカニチャーハン、エビチリソース、焼き豚、サイコロステーキ、サラダ。フランスパン四切れと丸バターもついている。菱川が、
「理論派の野球バカっているんですか」
「おるばい。のう、金太郎さん」
「はい、確実にいます。野球を心から楽しまずに理屈でやる人たちです。実績も中堅止まりの人たちですね。実績の少ない選手は悲観的な理論派になり、実績のある選手は楽天的な実践派になるでしょう。実践派は知識を蓄えてこなかったせいで野球を理屈で語れないので、野球をやめれば巷の人になりますけど、理論派はこの世界に生き残ります。理論派のほうが圧倒的多数です。彼らは知識を好んで才能を好みません。才ある者を理論で指導することができないからです」
「そらきた、これが金太郎さんたい。スカッとするばい」
 つまらないことをしゃべっているので、箸が進まない。
「金太郎さん、めしだけはきちんきちんと食わんといかんばい」
「はい。気をつけてます。……江藤さんは熊本出身ですね。ぼくも熊本生まれです」
「知っとうよ。省三は熊本市で生まれたばってん、ワシは福岡生まれたい。オヤジが八幡製鉄の社員やったけんな。ばってん実家は熊本の山鹿にある。金太郎さんは?」
「田浦(たのうら)です。同郷のよしみを通じようとしてるんじゃないんです。ぼくは熊本で生まれただけで、すぐに青森の祖父母に預けられて育ちましたから。もちろん親しくしていただければうれしいですが」
「うれしいのはこっちのほうたい。金太郎さんの十九年間は、新聞や週刊誌にほとんど書かれとるけん知っとう。ワシは四人兄弟の長男での、昭和十二年の大東亜戦争の真っ最中に生まれたけん、小さかころから学童疎開でいろいろ渡り歩いたとよ」
「ぼくも似たような人生を送ってきました。ぜひ、そのころのことを聞かせてくれませんか」
「そうやな、ワシも週刊誌ふうに語ってみるか」
 太田が江藤のフランスパンにバターを塗ってやった。江藤はそれをパリパリやりながら、
「ワシが五歳のときに省三が生まれた。そのころオヤジは戦争で駆り出されてシンガポールにいっとった。終戦になっても戻ってこん。生きとるのか死んどるのか心配やった」
 私たちは神妙にスプーンやフォークを動かす。
「二十一年にオヤジがワシらの疎開先を捜し当てて帰ってきよった。次々に子供が生まれてな。いっぺんに家計が苦しくなったとたい。オヤジは安い給料ばもらって八幡製鉄で野球ばしよったノンプロやったけん、カアチャンもいままでどおりせっせと働いた。いくら働いても追っつかんけん、小学校に入るとすぐワシは新聞配達ばしたとたい。毎朝百五十軒、往復十二キロを走った。中学生になってもつづけた。その十年で野球をやる基礎体力がついた」
「野球は高校から始めたんですか」
「いや、オヤジが戦争から帰ってきてから教えこまれた。小学五年から野球部のユニフォームば着た。ばってん、本格的に始めたのは中学校に入ってからたい。いまのからだつきからは想像できんやろが、チビで痩せた子やった。二年生のときに捕手のレギュラーになった。強肩強打で、県下で有名になってな、いろんな高校から勧誘がきた。結局、野球の名門熊商にいった。……金太郎さんのことを週刊誌で読んで泣いたんはそこんところばい。スカウトを母親に追い返されたっちところばい。ワシなら死ぬまで怨む。ここがスムーズにいかんかったプロ野球選手は、たぶん日本にも外国にも一人もおらんやろ。金太郎さんは世界でたった一人の特別な野球選手たい」
 江藤はとつぜん血相を変えて立ち上がると、あたりを見回し、
「よかね、おまえら! 金太郎さんに比べたらおまえらの野球人生は贅沢ばい。何のじゃまもされんと野球選手になれたやつらばかりやけんな。これ以上金太郎さんの野球生活を妨害しよったら、俺がただじゃおかんけんな」
 と声を荒らげた。何ごとかとみんな談笑をやめて顔を振り上げた。二つ、三つ離れたテーブルにいた森下コーチが、
「慎ちゃん、だれも妨害なんかしとらんよ。野球の名門校に誘われた子供の進路を妨害する親がいるなんて、俺だって新聞で読んで驚いたんだよ。妨害しただけやない、島流しにしたうえに、東大いかなきゃ野球をやらせんなんて、刺し殺したも同然や。それを生き抜いてきたのが金太郎さんだ。尊敬こそすれ、いじめることはぜったいない」
「その話、ほんとですか!」
 初めって知ったと言わんばかりの顔で菱川が立ち上がった。話の信憑性を確認するように、そばにいた選手たちの顔を見回す。森下コーチと同じテーブルにいた浜野は目を逸らした。菱川はつかつか私のもとにやってきて、手を差し出した。私も手を差し出すとしっかり握った。太田がまぶたを押さえた。
「神無月さん、尊敬します。こんな俺に打撃指導をしたり、バットまでくれたりして。……俺、甘えてました。一生懸命やります。才能の足りない分は勘弁してください。江藤さん、ありがとうございました。いまの一喝がなければ、俺はただ神無月さんをやっかむだけでこのまま自然消滅するところでした」
 長谷川コーチがどこからかとことこ寄ってきて、
「金太郎さん、みんな才能でプロにくるんだが、野球の競争だけで苦労してきた連中ばかりだ。野球を奪われるようなきびしい試練を課されてプロにきた人間なんてのは、慎ちゃんの言うとおり一人もいない。せいぜい貧乏だったり、ケガや故障をしたり、賭博に巻きこまれたりするくらいのもので、野球選手になろうとするときの進路まで妨害されたやつはいないんだ。―ありがとう。よく戦い抜いて野球選手になってくれた」
 いつのまにか水原監督と村迫代表が食堂の片隅に立って、にこにこうなずいていた。食事を終えて立ち去りかけていたようだ。水原監督が、
「さあ、みんな食べて食べて。食事が基本です。金太郎さんが野球以外の人生を戦い抜いてここにいることは事実だが、それ以上にすごいことは、自分の限界まで努力していることですよ。ときどき一人だけ午後に一時間も早く上がることがあるでしょう。昼めしも食わずにきみたちの三倍の練習をして、くたくたになって帰るんです。……森下くん、長谷川くん、ありがとう。よく言ってくれた。金太郎さんは誤解されることが多い人物だからね。これでみんなの心も一丸になったでしょう。江藤くん、きみに惚れ直しましたよ。私の思ったとおり、情熱の人だったんだね。これからはEK砲でドラゴンズを引っ張っていってください。どんな私的なことでも、いつなりと相談にきたまえ。さあ、食べて食べて」
 江藤は廊下に出ていく二人の男に深く頭を下げた。みんなそれぞれのテーブルに落ち着いて食事を始めた。菱川と太田が皿をぜんぶ空にする勢いで食いはじめた。私もモリモリ食った。
「江藤さん、熊本商業に入ってからどうなったんですか」
「ああ、熊商でも二年からキャッチャーでレギュラーになったとたい。熊本の土地柄なんやが、先輩後輩の上下関係がきびしゅうてなァ、一年のときは球拾いだけ。結局、甲子園には一度もいけんかった。高校出て、飯塚の日鉄二瀬の寮に入った。午前中だけ仕事ばして、午後に野球をするちゅう生活ばい。濃人さんの百本ノックはきつかった。二瀬でも二年目からレギュラーになった。プロからの誘いはいろいろあったばってん、中日に決めたんは、ここならレギュラーば取れると思ったからばい。ドラゴンズに入団してからは、ライバルのようけおるキャッチャーばあきらめて、一塁のポジションば申し出た。前の年に引退した西沢さんの後釜ちゅうことで幸い受け入れられた。入団早々、オープン戦でチームの三冠王になってな、あれは大きかったばい。あとはとんとん拍子たい。入団六年目と七年目に首位打者のタイトルば手に入れた。昭和四十年には、オールスターでMVPば獲った。以上、江藤慎一物語たい。金太郎さんに比べれば単純なもんたい」
 私は感激して、
「板東さんといい、江藤さんといい、ここにいるみなさんは、純粋に野球一筋の人たちばかりなんですね。驚きます。ぼくはもっとフラフラして……」
「不思議な人間やのう。一筋にやってこれんかったんは金太郎さんの罪でなか。引け目ば感じることはなかろうもん。そぎゃんこつで、だれも金太郎さんば憎く思うやつはおらんけん。人一倍努力しとるんはだれでん認めとることやし、おまけに大天才ゆうことで有無を言わさん。みんなの模範になる男たい。ワシはどこまでもついていくけんな」
 太田が、
「俺もです!」
 浜野がやってきた。
「金太郎、おまえさあ、けっこう政治性があるな。押しが弱そうで、人望の取りこみがなかなかうまいんだよ。おまえの人間的な器なんてだれもわからないから、勝手に解釈してもらえる。そりゃいい気になってつけこんでくるやつだっているだろうさ。それが社会というもんだ。悲劇の男を気取って愚痴るな。もっと頭(ず)を高くしろ。江藤さんを見習え」
 江藤が浜野を睨みつけ、
「おまえ、食らわすぞ!」
「励ましてるんですよ。まあ、こいつにつけこんでくるやつがいたら、俺がパンチ食らわしてやりますよ」
「心にもなかことは言わんとけ! 愚痴るな、だと? 愚痴の大家が何ば言うとる。金太郎さんの言うことのどこが愚痴ね。ホームラン打たれて狂ってしもうたんやろう。おまえな、そこまで大口叩いて十勝もできんかったら、半殺しにすっぞ」
「痛いのはいやですから、そのときは坊主にすることで勘弁してください」
「よし、忘れるな。おーい、みんな、浜野は十勝できなければ丸坊主にするそうだ」
「しかと聞いたぞ!」
 遠くで小川が叫んだ。浜野は苦笑いをすると、そそくさと去っていった。私の隣にべったり座りこんでいた菱川が、
「へ! クソタレ野郎が。危うく殴るところだった。神無月さん、押しなんかどうでもいいですよ。黙っているだけでじゅうぶん威圧感があります。それを感じないやつは、ただのバカです。キャンプにきた神無月さんを初めて見たとき、ガーンと打たれて、俺、最近ずっと、隠れてバット振ってたんですよ。俺もついていきます」
 もう一度強く手を握った。気詰まりな思いでじっとしていると、中と高木が寄ってきて、うなずきながら肩を叩いた。小川、小野、一枝もきて、肩を叩いた。小川が、
「ああいうヤッカミの強いやつはめったにいない。柳に風で受け流せ」 
 彼らはユニフォームに着替えるためにぞろぞろ部屋に戻った。


         五十

 ユニフォームに身を固め引き締まった気分で玄関を出る。妙にじめじめした、生暖かい日だ。気温もいつもより五度は高い。いつだったか北村席で聞いたフェーン現象かもしれない。汗をかきそうだ。水原監督が語りかけてくる。
「長嶋が入団した昭和三十三年は、巨人最後の明石キャンプだった。もちろん目玉はゴールデンボーイ長嶋茂雄。大卒の選手はみんなそうだけど、卒業試験の関係で、彼は半月も遅く到着したんだ」
「新幹線のない時代、東京から明石にくるのはたいへんだったでしょうね」
「うん、夜に鹿児島行の寝台夜行〈さつま〉に乗って、昼過ぎに明石に着く。鹿児島まで三十二時間、ちょうど真ん中あたりだね。三等車。学生服にオーバー着て綿パン穿いた長嶋が、ボストンバッグ一つ提げてポツンと一人で明石駅から出てくると、すごい数のファンと取材陣だ。当時はスターを取り囲むということはしないから、ボーッと遠くから眺めてる感じだな。憶えてるよ、二月十七日、日曜日。旅館で荷を解いてもだれもいない。日曜日でみんな出かけてたからね。長嶋は翌日からユニフォーム着てグランドに出てきた。私は彼に一人ひとりの選手を紹介したよ。川上、千葉、与那嶺、宮本。長嶋は感激した顔で握手してた。ランニングしろと言うと、金太郎さんみたいに外野のフェンス沿いに走りだした。馬場正平に遇ってびっくりしてたな。いっしょに走ってた」
「バッティング練習は?」
「やったよ。金太郎さんと同じように強力なピッチャーをぶつけた。堀内庄。ストレートとドロップのすばらしいピッチャーでね、藤尾が捕り損なうくらいのスピードだから、そっと投げて打たせてやれと命令した。長嶋は喜んで打ってたな。洗礼を受けさせておくべきだった。当時練習は一時まで。あとは宿舎で麻雀。長嶋が私の部屋を訪ねてきて、いっちょまえのことを言うんだ。立教の練習はもっときびしかった、プロがこれでいいんですか、時間も短いし中身もないってね。私は怒鳴りつけてやった。初年兵が生意気なことを言うな、プロはこれでいいんだ、みんな自分の責任で鍛えるんだ、とね。オープン戦でも長嶋は好調で、七本もホームランを打った。で、プロは甘いもんだと天狗になった。天狗になってなければ、もっと高い打率を残せたろうし、たくさんホームランも打っただろう」
「二軍も同じ旅館だったんですか」
「そう。基本的なことでくだらない差別はしなかった。ただ、二軍には練習時間が設けられていなかった。自主トレする以外は、ひたすらふんどし担ぎ。大手旅館という変わった名前の旅館だったなあ。一時に一軍の練習が終わると、二軍は後片づけとグランド整備。旅館に戻ってくると、日の暮れかかるまでお手伝いさんだ。お茶ッ! 腰揉め! タバコ買ってこい! てわけさ」
 十時。紅白試合にもまさる大観衆。歓声を浴びながら周回を開始。中が話しかける。
「監督は、金太郎さんには最初から手を抜かなかったと言いたかったんだよ。回りくどい言い方だったけどね。長嶋ほどの極端な騒ぎ方をされなくても、実力は歴代ナンバーワンだとね」
 仲間が三々五々集まり、柔軟、ダッシュ、バック走とつづく。私はレフトポールの下で三種の神器。つづいてフリーバッティング。十二時まで。
 ホテルへの戻り道、いつのまにか第二球場から二軍選手も集まってきて、背広を着た写真屋に促されながら、三層の櫓を背景に記念撮影。全員で五十人余りいた。私は最前列四番目にレギュラーたちに囲まれて右膝を突いた。
 一時間の昼食。喜春で黒毛和牛煮こみハンバーグ、ライス、サラダ、コーヒー。
 二時からシートバッティング。控え選手が守備につき、レギュラー全員ランナーで参加する。十回走り、控えと交代して守備に回る。二時四十五分、ランダウン。三時、ふたたびフリーバッティング。観客が沸き立つ。五本でやめる。ライトへホームラン二本、レフトライナー二本、左中間安打一本。江藤と徳武と葛城の打球が目立った。
 四時から菱川、江藤弟、太田、千原、日野、伊熊の特打。伊藤竜彦、太田、江藤弟、千原の特守。ベンチで見守る。ふたたび二軍選手たちがやってきて後片づけ。五時に引き揚げる。
 道々数十人にサインをする。中高の学生服のファンが多い。セーラー服はいない。監督やコーチ陣も快くサインに応じていた。カメラがうるさい。
 五時過ぎから喜春でめし。神戸牛のビーフシチューに和洋中の料理各種。大盛りライス。コーヒー。食事が終わると水原監督たちはミーティングに去った。
 夜、カズちゃんから電話。山口が今月でグリーンハウスとラビエンを辞めて本格的にギターコンクールの準備に入るとのこと、女たち六人は変わりなし、安心乞う、紅白戦のビデオが夜の特集番組で流れた、みんなで興奮して観た、あと二週間ケガなく乗り切ってください、等々。
 太田と剛ノ池に散歩に出る。遊歩道を一周する。鯉が背中の影を見せる水面が黒い。マガモ、ヒドリガモ、カワウ、アオサギが泳いでいる。大きなユリカモメもいる。ゴミを漁る鳥なので夜に市街地にやってきているのだろう。枝に止まっているのはジョウビタキとカワセミ。
「この公園は、日本の公園百選に選ばれてます。この池は釣り禁止です」
 手に明石公園というパンフレットを持っている。
「太田はいつも勉強家だな。頭が下がる。ぼくはおおよその樹木や草花しかわからない」
「教えてください」
「一周一・五キロなら、歩いて二十分くらいか。夜目にわかるものだけ言ってみよう。まず桜。ほとんどソメイヨシノだな。四月ぐらいは絶景だろう」
 カシ、クスノキ、オダマキ、ケヤキ、ヤマモモ。
「あの大木はユリノキ。明石の街路樹はほとんどユリノキだ。あれは、棚になってないけど、フジ」
 ヤブツバキ、ボタン、ツツジ、クロガネモチ。
「水辺の草花は、暗くてよく見えないな。アヤメ、黄水仙……」
「もういいです、じゅうぶんです。驚きました」
「帰るまでにもう一度、ウォンタナのほうを歩いてみよう」
「はい」
         †
 十三日木曜日。雨で練習が中止になる。朝食のとき、明石にきて二度目のミーティングがあった。水原監督から、あさって十五日土曜日午後一時から、南海ホークスと練習試合を行なうと告げられる。球場は明石第一球場。ドラゴンズのメンバーは当日発表。
「今年就任した飯田監督からぜひにと申し入れがありました。私としても、パリーグの実力を早いうちに知っておくのもいいだろうと考えました。学べる点は多いと思います。あちらのメンバー表は届いています」
 田宮コーチが紙片を広げて、
「一番センター広瀬、二番セカンドブレイザー、三番ファーストトーマス、四番キャッチャー野村、五番レフト柳田、六番サード国貞、七番ライト樋口、八番ショート小池、ピッチャーは三浦、渡辺、西岡、皆川、村上、泉、杉浦、林の八名。金太郎さん対策で、おそらく先発は村上雅則だろう。あとはどうくるかわからない」
 太田に、
「渡辺というのは、一枝さんが〈終わった〉と言ってた渡辺泰輔?」
「そうです」
 私は手を挙げ、
「杉浦さんはたしか、プロ入り四年目の昭和三十六年に百勝達成という偉業を成し遂げたのに、翌年から去年までの七年間に六十八勝しか挙げてません。ほぼ戦線を離脱したようなものですが、なぜですか」
 長谷川コーチが答える。
「右腕の血行障害だ。それでも三十六年に手術して、三十七年から、十四勝、十四勝、二十勝と星をあげて復活の勢いだったんだ。四十年から急速に衰えた。八勝、二勝、五勝、五勝。二百勝にあと十六と迫ってるんだが、無理だろう。腕がボロボロだ」
「……そうですか。残念です。どうやっても三割は打てないと思えるピッチャーは、杉浦さん一人でしたから」
「初耳だな。金田と尾崎はどうなったんだ。対戦したいと言ってただろう」
「はい。全盛を保っていてくれても、努力すればなんとか当てられるピッチャーだと思えたからです。杉浦さんは、全盛のままでいられたら、ぜったい打てないピッチャーだと感じていたので、口に出せませんでした」
「そうだよな、右バッターの背中にぶつかるように曲がってきたカーブが、外角へいっちゃうんだものな。左打者の榎本が外角のカーブを空振りしたら、そのボールが腹に当たったっていうんだから驚きだ」
 南海からきた森下コーチが、
「ストレートは正真正銘のフロートボールだ。まず、かすらん。杉浦が口癖みたいに、そんなに打てないボールなら、今度野球選手になったら、自分のボールを打ってみたいって言ってた」
 座がしんみりとなった。宇野ヘッドコーチが、
「南海はこの二年優勝から遠ざかってるが、常に優勝候補だ。頭のいいキャッチャー野村克也がいるからね。三十四歳。昭和四十年の三冠王。三十二年に初めてホームラン王になり、三十六年から去年まで八年連続の本塁打タイトルを獲ってる。弱肩を筋トレで克服してるらしい。才能、知恵、根性、手がつけられない。これほどのキャッチャーはいないわけだから、彼からよく学び取ってくれ。ピッチャーに関しては長谷川くんからひとこと」
 長谷川コーチが立ち上がり、
「まず三浦からいく。大柄、右のスリークォーターからの速球、カーブ、スライダー、シュート、ナックルとよろず屋だ。次に、鳴り物入りで慶應から南海に入団した渡辺。去年故障してすっかり衰えた。右のオーバースロー。スライダー、シュート、チェンジアップもある。決め球はパームボール。今年からロッテにいった小山の得意ボールだ。これから流行るボールだと思うので、渡辺が出てきたらよく研究するように。次は西岡三四郎。大柄。重いストレート、三種類のスライダー。今年二年目で、非常に期待されてる。次、ご存知皆川。右のアンダースロー、杉浦に比べればサイドスローだな。沈むストレート、シュート、大きく落ちるシンカー、ものすごく小さく曲がるスライダー。とにかく制球力がすごいから、ゴロを打たされる。去年三十勝と二百勝を同時に決めた。優勝できなかったのが不思議だ」
 太田がしきりにノートをとっている。私は天井を向いて頭に入れている。
「次に、村上。大柄、左のスリークォーター。大リーグ留学のついでに、サンフランシスコ・ジャイアンツで正式な大リーガーとして一年プレーしてきた変り種だ。向こうでは一勝しただけだった。もと大リーガーなどと日本人は騒ぎすぎだ。先発でぶつけてきても、すぐ金太郎さんに一発かまされて終わりだろう。去年十八勝もしとるのは、球が遅くて打ちにくいからだ。最後に泉。右のサイドスロー。速球なし。スライダーとカーブのみ。なんで連れてくるのかわからん。六年目の今年に期待しとるのかな。練習試合は一試合きりなので、彼はまず出てこないな。敗戦処理かもしれん」
 浜野が手を挙げた。
「野村の弱点は」
「山内と中西を手本に自己流で完成させた独特のバッティングスタイルだ。内外角に強い広角打法だけど、読みで打つバッターだから、外れると打ち損なう。打率は二割七分から八分。練習試合一試合だけなら、凡打がほとんどになる。ま、野村はオッケーだろう。チャンスに強い広瀬を警戒だ。ブレイザーは守備の人。シンキングベースボールとやら、野村に盛んに高説を垂れてるらしい。トーマスは今年きたばかりだからわからない」
 田宮コーチが、
「あしたは振替え練習日とする。シートバッティングのあと、特打と特守。太田と井手と島谷。特守は江藤兄も参加するように。レギュラーの夜練はなるべく避けること。じゃ解散」
 部屋に戻っても太田は、何やらピッチャー対策を練りながら、こつこつ手帳に書きこんでいた。私はすぐベッドに入った。太田に話しかける。
「フォックスって、どうなってるの。ミーティングのときも、半田コーチと隅でこそこそ話してるけど」
「ああ、フォックスは神無月さんを見ちゃって自信喪失ですね。プロ経験もなく入団テストできたもんだから、戸惑ってるんでしょう。二軍でフリーバッティングや守備練習なんかまじめにやってるそうですよ。キツネくんとかコンちゃんと呼ばれてかわいがられてると聞きました。中日はむかしから純血主義のところがあるから、あまり試合には出してもらえないんじゃないですかね。……南海の杉浦さんですけど、豊田市の出身です。もともとオーバースローの速球ピッチャーだったんですよ。彼と学生時代に対戦した早稲田の森徹さんが、めちゃくちゃ速かったと言ってたそうです。立教の一年生のときから公式戦に出てたんですが、二年のときにアンダースローに替えたんです。眼鏡がぶれないためだったと本人は言ってます。オーバースローは上下動が激しくて、眼鏡が揺れるのでコントロールが悪くなるんだそうです。杉浦さんは義理堅い人で、こんなこと言うと長嶋ファンの神無月さんの機嫌を損ねるかもしれませんが―」
「十年前はファンだったけど、いまは彼の〈野球〉だけを見ようとしてるただの観察者。相変わらずファンなのは、ドラゴンズの選手に対してだけだよ」
「なら安心です。杉浦さんといっしょに南海入りが決まっていた長嶋が、土壇場で裏切って巨人にいったとき、鶴岡監督が心配して杉浦さんのところへ出向くと、ぼくがそんな男に見えますか、と静かに言って笑ったそうです。鶴岡監督は、一度約束したことを破るような男じゃありませんという鉄石の心を感じたと言ってます。すごい人ですよ。一年目から二十七勝で新人賞。二年目に三十八勝、勝率九割。そしてMVP」
「何、MVPって」
「その年リーグで一番活躍した人。セ・パから一人ずつ。九十九パーセント優勝したチームから選ばれまずが、たまにそうでないこともあります。今年からはずっと何年も神無月さんですよ」
「優勝すればの話だね。Aクラスをつづけながら二、三年待ちの可能性のほうが高いんじゃないかな」
「俺は優勝すると思います」


         五十一

 私はふと、
「ねえ太田、恥ずかしいことを打ち明けるけど、じつはぼく、野球の細かいルールを知らないんだよ。いざというときにチームに迷惑をかけないように、危なさそうなルールだけでも教えてくれる?」
 太田はにっこり笑い、
「ホームランを打つことしか考えてこなかったんですから当然ですよ。わかりました。思いつくかぎりしゃべってみます。まず、インフィールドフライ」
「よく聞くけどね。内野にポップフライを打ち上げると、とつぜん審判がアウトって叫ぶやつだよね……詳しくは」
「ノーアウトかワンアウトで、ランナーが一塁、二塁、あるいは満塁の場合、打者のフェアフライを内野手が通常の守備を行なえば簡単に捕球できるというとき、捕球前に審判のコールで打者アウトとなります」
「へえ、知らなかった。わざと落としてダブルプレイにするのを防ぐためだね」
「そうです。次に第四アウト」
「第四?」
「はい。一死一、三塁で、エンドランをかけてセカンドライナーを打ったとします。一塁へ送球してアウト、ゲッツー成立、チェンジと思いきや、その直前に三塁ランナーがホームインしていた。さあ、どうします」
「うーん、スリーアウトになる直前にホームインか。そんなに足の速いやつがいるのかな。でもノーバウンドで捕球したわけだから、進塁義務のないランナーが次の塁に進むにはタッチアップが必要ということで、三塁に送球してもランナーが帰塁できていなければスリーアウトなんだよね。結局、三塁に戻らなくちゃいけないランナーがタッチアップしないでホームインしても無効だろう。時間差で一点と錯覚しちゃうけど、得点は認められないと思う」
「そのとおり! でも守備側が黙ってると、スリーアウトなのに一点認められちゃうんです。アピールして第四アウトを申し立てれば、得点は取り消されます」
「へえ! まったく知らなかった。それどころか、そういうケースに遭遇したことがない」
「俺もです。セカンドライナーを見た時点で、ホームインなんかする気になりませんから、わざわざそんなことをしてルールの盲点を突くのは姑息です。じゃ、次。ピッチャーがボールを投げたあと、審判がストライク、ボールの判定をする前に、審判自身がタイムをかけた場合、そのあいだに行なわれたプレイはすべて無効になる」
「つまり、タイムと言ったとたんにホームランを打っても、サードライナーを打ってもやり直しのわけだ」
「はい。じゃ、次。守備側が塁に入ったりして盗塁を封じる動作を見せなければ、盗塁は成立しません。ただの進塁になります」
「ええェ! 驚きだ」
「グローブを掲げてタッチしたというアピールをしなければ、アウトになりません」
「へえ! そのルールは驚きを越えて呆れるな。何のアピールがなくても審判が自己判断でアウトセーフを宣告するものだと思っていたよ」
「いま言ったようなことはほとんど起こらないでしょう。これ、今年の新聞の折りこみの選手名鑑です。南海のところを見といたらどうですか」
「それ持ってるよ。……太田は野球博士だね。ありがたいよ」
 太田はうれしそうに頭を掻いた。
 昼前に太田が傘を差して揚々と出かけた。その手の場所に出かけていくのではない雰囲気がした。ベッドに横たわり、彼がクズ籠に捨てていった週刊誌をぺらぺらやりながらのんびりする。女の表紙、政治、経済、セックス、流行。
 キャンプが始まってもう二週間が経った。のんびりやっているし、突発的な休みも多いので疲れてはいない。他球団の猛訓練の話題が新聞やテレビで報道されるたびに、どうしても彼らを気の毒に思ってしまう。ああして選手生命を縮めていく。自分がすばらしいチームで生き延びられることを申しわけなく感じる。
 日本料理淡路で刺身定食の昼めしを食ったあと、フロントにいき、時間を潰せる場所はないかと訊く。明石天文科学館を勧められる。
「ここから徒歩で十七、八分です。お車ですと、五、六分。明石市は日本標準子午線上にございまして、それを記念して、十年前、時の記念日の六月十日に開館いたしました。館内にプラネタリウムがございます。ちなみに、今年は明石市誕生五十周年でございます」
 町じゅうにその幟が立っている。
「ありがとう。いってきます」
 プラネタリウムなら時間が潰せそうだ。駅から山の手へ二キロ足らずだと言うが、徒歩だと記者たちがついてきそうなので、道に迷わないことも考えてタクシーを呼んでもらう。傘を借りて玄関を出る。雨なのでファンの姿はまったくない。山陽タクシー。中年の運転手は、オッ、と驚いたきり、無口で自制が利いていたのでストレスがない。入り組んだ坂道を走る。やはり傘で視界を遮られながらこの道をたどってくるのは難しかった。
 灯台の裾脇にお椀をくっつけた奇妙な形の建物に到着する。灯台は時計塔で、お椀はプラネタリウム専用の別館のようだ。降りるときに、運転手から色紙にサインを求められたので、快く楷書で書いた。
 お椀の玄関前で案内をしている従業員に尋ねると、昼のプラネタリウムは一時十分からだと言う。十二時五十分。ちょうどいい時間だ。
「きょうは、お客さんは少なめです」
 そういうのはうれしい。七十円の入場券を購入し、お椀形の建物の中へ入る。プラネタリウム開演までの時間を特別室を見学してすごす。プラネタリウム黎明期の解説文、初期投影機のレプリカなどがガラスケースに展示されている。興味が湧かない。
 アナウンスがあり、二階の上映館へ。投影機器を円形に取り囲む座席に腰を下ろす。少ないと思っていた見学者がいつのまにか増えている。プラネタリウムの時間に合わせてきたのだろう。学生のカップル、親子連れ、単身の好事家ふう。解説が始まる。部分日食や火星の接近といった天体現象の説明を聴いているうちに眠りこんだ。
 四十分間の上映が終わったころに目覚めた。このまま帰るのが惜しく、時計塔に入って十三階、十四階と上がっていくと、見晴らしのよい展望台があった。それぞれの方向に椅子が置いてある。すべて先客に占領されていた。大ガラスの彼方の市街や海を眺めて回った。これといった感興は湧かなかった。
 帰り道は歩いて、いま見下ろした市街へ回り、先日立ち寄った書店でゲーテのウィルヘルム・マイスターの修業時代(上・中・下)を買う。
 部屋に戻ると、まだ太田は帰っていない。ゲーテを開く。十八世紀後半。ドイツのライプツィヒ、小さなパリと呼ばれた街。プチ・フランス主義(フランス気取り)。それを嫌ってゲーテはアルザスのストラスブール大学に入った。そのくらいしかゲーテについては知らない。
 数ページ読んで、極端な雑読に切り替える。つまるところ演劇にあこがれる青年のロードムービー。失恋あり、救済者的活躍あり、サーカスの少女の身請けあり、竪琴弾きの老人との心慰められる出会いあり、舞台の成功あり、間男あり、追い剥ぎあり。人生パノラマ。つまらない。今度外出するときは、遍歴時代のほうを買ってこよう。
 まだ五時にならない。それでも一巻一時間、三巻で三時間もアラアラ読みつづけたのかと、われながら感心する。もう一度フロントで傘を借りて書店に出かける。雑読すべきだったかどうか心もとないが、直観がそう命じたのだからそれでいい。早足で往復、三十分もかからないで戻り、机に向かう。
 読み出したとたん、一転して読み応えのあるものだとわかった。『千一夜物語』やハウフの『冷たい心臓』のような枠物語だとわかる。成長物語の本筋にまったく独立した短編が組みこまれる。
 ウィルヘルムには子供がいて、いっしょに旅回りをしている。それが本筋だ。その途で彼らが出会う人びとから聞いた話や、旅の宿で受け取る手紙から紡ぎ出される話が紛れこむのだ。それが枠物語だ。これは飛ばし読みできない。ひと月はかかる。しばらく遠征先で楽しめそうだ。
 七時を回って太田が帰ってきた。
「岐阜の養老までいってきました。久保田さんに会って、手にしっくりくるバットを製造注文しました」
「そう!」
「今週中に三本送ってくれるそうです。来月、寮のほうへ三十本」
「おめでとう。岐阜は遠かったろう」
「往復五時間弱です。明石から京都まで山陽本線の快速で一時間十分、京都から岐阜羽島まで新幹線で四十分。そこから工場までタクシーで三十分でした。久保田さんに会ってた時間が一時間ぐらい。それを入れると六時間で帰ってこれました」
「それでも長旅だったね。さ、風呂に入って」
「はい。古本屋で、昭和三十五年の週刊ベースボールを買ってきました。大洋が明石でキャンプした年のものです。三月二日号。当時のキャンプのことが対談形式で書かれてるので、参考になると思って」
 彼が風呂から上がるのを待ちながら週刊誌に目を通す。眉の太い笑顔の長嶋の表紙。定価三十円。

 特集 12球団スプリング・キャンプの内幕(本紙特派記者がつづる現地ルポ)
 対談 二年目のジンクスはない(桑田武・張本勲)


 内幕はどうでもいいから、対談にいく。座談会は越智正典の司会で、前年の新人王、東映・張本勲、大洋・桑田武が登場。タイトルは『二年目のジンクスはない』。
 張本の発言がおもしろい。
「そんなものぜんぜん考えてないですね。第一、ジンクスやらそんな言葉知らんですもの。相手投手について知らなかった一年目より二年目のほうが怖くない。(手でホームベースの形を作り)これだけ幅があるわけでしょ。どっか当たると思うんですね。ピッチャーもバットに当てられんようにという気持ちがあると思うんですけど、どっか当てられちゃうと思うんですね」
 次の記事へいく。

 
大洋ホエールズ 明石の魚と神戸牛で優勝だ
 人間というものは食べることに関しては意外に敏感な動物だが、その点、明石にキャンプできたホエールズは恵まれていると言っていいだろう。今年は優勝も狙えると思う―三原監督。


 意味不明。理解しがたい活字を追いかけると意識が散漫になる。
 風呂から上がってきた太田といっしょに晩めしを食いに二階の喜春に降りる。チームメイトたちがすでに大勢いて、和やかな雰囲気で食事している。監督、コーチスタッフはいない。手を挙げて挨拶し合う。グリーンヒルホテルが売りにしているビーフカレーを大盛りにしてもらって食う。江藤が高木に、
「毎年のことやが、大浴場がなかけん、窮屈やな。ばってん、相変わらずめしはうまか」
 と言っている。私は隣のテーブルにいた中に、
「明石というのは、いろんなパンフレットを見ても、十年前から長嶋一色みたいですね」
「じつは長嶋の前からなんだ。巨人の第二期黄金時代、昭和二十六年から二十八年まで三連覇したうち二十六年と二十七年、三十年から三十四年まで四連覇したうち三十年を除いたすべての年、キャンプ地は明石だった。明石でキャンプすれば優勝できるとまで言われた。ま、三十四年からは二次キャンプが宮崎に移ったけど、明石はむかしからゲンのいい土地として有名なんだ。水原さんはそのゲンを担いで明石をキャンプ地に決めた。しばらくつづくと思うよ」
 食後、太田は駐車場に出て、新しいバットで素振り。私は十一時まで遍歴時代。疲れた。太田も日帰りの長旅で疲れ切り、私が寝るころにはとっくに深い寝息を立てていた。
         †
 十四日金曜日。晴。一日しっかり練習。汗みどろになる。ファンが私からきちんと距離を保っている。遠くからの視線がやさしい。マスコミ嫌いという噂が彼らに好意的に浸透し、スターとして振り回さずに、私の野球だけに集中しようという眼差しになっている。彼らに最善を尽くそう。もう曲がりくねった道をいく必要はない。
 夜、遍歴時代。


         五十二

 十五日土曜日。快晴。三・四度。バイキングの朝めしのあと、サインに関するちょっとした会合があった。田宮コーチが、
「ランナーが一人でも溜まったら、五、六カ所、からだのいろんな場所を触る。ブロックサインめいたことをするわけだ。ベルトとか、胸とか、肘とか手の甲なんかを触る。顔のどこか、耳でも鼻でも唇でも、眉毛なんかも触る。つまり、何のサインも出していないということだ。諸君は、あたかも何かのサインが出ているかのように、チラッとこっちを見るふりをすること。基本的にいっさい指示は出さない。サインなんか出してたら、選手の神経がずたずたになってしまう。そのたぐいのことをやりたいなら、自分たちで考え、自分たちで決めてやってくれ。ただヒットエンドランは〈しばらく〉指示する。サインを出していると信じさせるためだ。腕組みしながらベンチ内の左か右の人間に話しかける。あいうえお、と話しかけるだけだ。一、二番と下位打線でしかやらない。クリーンアップにはサインを出さない。クリーンアップはチラッとベンチを見るだけでいい。のべつ幕なしに見ないでよ。サインなんか出してないってバレちゃう。ランナーがいるときだけ。そのサインも公式戦に入ったら出さない。めいめいで勝手に打ち合わせてやってくれ」
 三十人以上の報道陣に囲まれ、球場へ向かう。全国から集まってきた新聞、雑誌、テレビ関係者たちだ。太田と歩く。
「きょうは暖かいなあ。からだが軽い。二本ぐらい打てそうだ」
「俺は出してもらったら、フォアボールでも何でも出塁を狙います」
「いや、ホームランを打つ気じゃないとだめだ。バッターはいつもホームランを打とうと思っていなくちゃ」
「……そうですね」
「もうすぐ九時だ。試合開始は一時。きょうのスタメンがほぼ公式戦のスタメンだね」
「だと思います」
「初めて試合開始前の正式なスケジュールを知ることになるよ。高校や大学よりずっと準備が早いんだね。プロスポーツというのは、時間に追われてやるものじゃないということか。なんだか気持ちが大らかになるなあ」
 中が近づいてきて、
「びっくりしただろ。長時間の拘束はサラリーマン以上だ」
「監督やコーチの人たちが、さあ十五分後に出発だと言うんで驚きました。あわててユニフォームを着ましたよ。試合開始前の正式な時間割を教えてください」
 中はうなずき、
「試合開始三時間前から一時間が、ホームチームレギュラーのバッティング練習。そのあいだにビジターチーム球場入り。だいだい試合開始二時間前だね。同時に一般客に開門。ホームチームのバッティング練習が終わってしばらくしてから、ビジターがバッティング練習に入る。観客はビジターのバッティング練習をたっぷり観られる。一時間後にホームチームの守備練習開始。十五分程度。つづいてビジターチームの守備練習十五分程度。メンバー表交換、両チームの先発バッテリーの発表、ビジターのスタメン発表、ホームチームのスタメン発表、併行してグランド整備。ふつうそんなふうだけど、けっこう変更があるね。始球式やら表彰やらが混じるともっと変わってくる」
 太田が、
「初めて聞きましたよ」
「私も初めてしゃべった。訊かれたことがなかったからね。ただこれはあくまでも通常であって、球場によってまちまちだと思っておいたほうがいい。とにかく監督やコーチの指示するとおりに行動していればいいんだよ」
 十時から始まったフリーバッティングの最中に、南海チームが三塁ベンチに姿を現した。袖周りと肩と襟に緑の線が入った白地のユニフォームが目に涼しい。ドラゴンズの帽章がCにDを重ねているように、南海の帽章もNとHを重ねている。アンダーシャツも、ストッキングも、胸の英語のロゴも、背番号もやはり緑だ。胸番号はない。ズボンの前腰に小さな番号が入っている。私は彼らの前で、三本、軽くレフトフライを打ってやめた。ほかのレギュラーはしっかり打った。当たっている。フォックスも内野フライを三本打ってやめた。やる気なさそうだった。十一時、朝早くから待っていた一万人の観客が開門と同時に雪崩れこんでくる。あっという間にスタンドと芝生席がスシ詰めになる。江藤が、
「明石球場は、ほんとは芝生席に入れてはいけんことになっとる。ばってん、これやと長嶋のときとおんなしたい。ビチビチ二万人入りおるやろ」
 きょうも地元テレビ局の中継カメラがスタンドを睨み回している。
 十一時、南海のバッティング練習開始。ベンチから眺める。ブレイザーとトーマス以外だれもまじめにやっていないので観るべきものがない。野村はショートゴロ、ショートフライ、レフトライナーばかり。主力やベテランは若手を残して早々にベンチに下がってしまった。たとえ控えたちの練習でもホームランは間欠的に出る。客は喜ぶ。十二時バッティング練習終了。
 中日の守備練習開始。私の前にゴロが何本か。パフォーマンスの必要を感じないので、二塁への返球を強めに、バックホームは高すぎない山なりのワンバウンドで。南海の守備練習。ブレイザーのジャンピングスローが華麗だ。めぼしいのはそれのみ。
 きょうは垢抜けた声のウグイス嬢が、スターティングメンバーを順次発表する。両チームの先発バッテリーを先に放送する。中が、
「二、三年前から、先にバッテリーを発表するのが流行りだした。発表しないのがふつうだな」
 中日、浜野―木俣。南海、村上―野村。ふと見回すと、木俣の姿がない。太田に、
「木俣さんはどこ?」
 太田はブルペンの背番号23を指差した。
「いつもピッチャーにピッタリくっついてます。ベンチにいるときは、たいてい小川さんといっしょにいます」
 南海のスタメン発表中に守備練習終了。トンボを持った係員がグランド整備をしはじめる。後ろにトンボをつけたトラクターも走り回る。白線が引き直される。
 一番 センター 広瀬 背番号12
 二番 セカンド ブレイザー 背番号1
 三番 ファースト トーマス 背番号4
 四番 キャッチャー 野村 背番号19
 五番 レフト 柳田 背番号8
 六番 サード 国貞 背番号6
 七番 ライト 樋口 背番号3
 八番 ショート 小池 背番号2
 九番 ピッチャー 村上 背番号15

 六人の背番号が、きれいに一桁だ。
「スタメンで呼ばれなかった5番と7番と9番はだれ?」
「5番は新人の富田」
「ああ、法政の」
「7番も新人の藤原、バッティング練習でバットを短く持って打ってたでしょう。9番はだれだかわかりません。10番は中日からいった島野です」
 江藤が、
「9番は小泉たい。小泉恒美、九年選手。王を真似した一本足打法で知られとる。おととし三番を打っとったが、知らんか?」
「さあ」
 ドラゴンズのスタメン発表。ビジターのスタメン発表の際には、観客はザワともしなかったが、ホームチームのそれのときには一人ひとりに歓声が湧く。
 一番 センター 中 背番号3
 二番 セカンド 高木 背番号1
 三番 ファースト 江藤 背番号9
 四番 レフト 神無月 背番号8
 五番 キャッチャー 木俣 背番号23
 六番 ライト 江島 背番号37
 七番 サード 太田 背番号40
 八番 ショート 一枝 背番号2
 九番 ピッチャー 浜野 背番号22

「菱川さん、出ないの?」
「きょうはピンチヒッター。大きいの打つよ」
 そう言えば江島という選手とは口を利いたことがない。いつもグランドの隅で目立たずにストレッチをしている。顔もからだも四角い筋肉質の男だ。尻ポケットから折り畳んだ選手名鑑を出して見る。去年平安高校からドラ二で入団、超高校級スラッガー、百七十五センチ八十二キロ、新人で三試合連続本塁打を記録。なるほど。
 つづけて審判員の発表。六人もいる。紅白戦の研修生ではない。練習試合にしては本腰を入れている。その中に、いま話題のボクシングアクションで有名なパリーグ審判員露崎元弥がいた。見逃し三振のときだけのアクションだが、雄叫びを上げてジャンプし、着地したあとボクシングのワンツーを繰り出す。元プロボクサーならではのアイデアだと称賛されている。彼が主審であることがうれしい。あとの五人は名前を聞くのも初めての人ばかりだった。一塁塁審、沖、二塁、加藤、三塁、久喜、レフト線審、斎田、ライト、久保山。森下コーチが、
「ぜんぶ一流のパリーグ審判員だよ。金太郎さんが出る試合だから買って出たんやな。露崎さん、いつもより張り切るやろう。ウグイス嬢も大阪球場専属のアナウンサーだ」
 試合開始五分前、スタンドが静まり返っている。プロ野球は静かだ。人びとは応援にくるというよりはむしろ、観戦にくる。選手は落ち着いて野球ができる。背広を着たあたかも会社役員ふうの男たちがネット裏に何列も居並んでいる。南海球団の関係者たちだろうか。小山オーナーや村迫や榊をはじめ、ドラゴンズ球団の首脳らしき人たちも彼らの後方の列にいた。
 審判団が走り出てきて所定の位置につく。露崎の胸が内部プロテクターで大きくふくらんでいる。セパ交流戦ということで、両軍まるで高校野球のようにホームベース前に整列して礼を交わす。指示したのは露崎だ。野村が口もとをニヤつかせながら私を薄目で見ている。
「露崎さん、試合終了の握手は勘弁やで」
 野村が言う。
「それはご自由に」
 ドラゴンズのメンバーが一人ずつ紹介されながら、歓呼に合わせて守備位置に散る。これからは毎試合、この一連の順序になるだろう。浜野が準備投球をする。ふんぞり返りが気になるが、球は走っている。露崎がけたたましい声を張り上げた。
「プレイ!」
 観客が興奮してざわめき立った。アナウンスの柔らかい声が流れる。
「一番、ショート、広瀬、ショート、広瀬、背番号12」
 頬のペッコリ痩せた男がバッターボックスに入る。テレビカメラが静かに動いている。シャッター音が随所でしている。私は爪先立って構えた。
 浜野、振りかぶって初球、胸もとへ速球。ストライク。ナチュラルにシュートした軌道がレフトの守備位置からかすかに見えた。木俣のミットがいい音を立てた。ボールは切れている。ただ、上体を反らせて投げ下ろす格好がみっともなく映る。どうしてもあの格好をやめられないようだ。写真か何かを見て、だれかのフォームをまねしたのだろうか。からだと腕がバラバラなので、このままの投法だと近いうちに確実に肘を壊すだろう。二球目、同じところへ速球。広瀬は左足をちょいと引き、バットをコックして水平に振り抜いた。三塁線へファール。広瀬叔功―忘れられないスイングだ。しつこい記憶。ダフ屋の切符を五百円で買って入った中日球場のオールスター第一戦、四回だったか、広瀬が一塁側スタンドへ打ったライナーのファールボールが、通路に立っていた場内係員の額にまともに当たってするどい音を立てた。青い制服を着た女性がもんどりうって通路へ転がり落ちていった。その直後に広瀬が打ったスリーランでパリーグが三対ゼロで勝った。翌日の新聞に事故のことは載っていなかった。なぜ? 私には大事故に見えた。あの女の係員はどうなっただろう。何かの後遺症が残ったことはまちがいない。
 そう思った瞬間、いまそこに立っている広瀬という野球選手に何か非人間的なものを感じた。あのファールは、懸命に打ったけれどもファールになってしまったという不可避的なものではなく、三振を免れるためにストライクくさいボールをファールにしたという苦し紛れものだった。つんのめったギクシャクしたフォームでバットを出したのだからまちがいない。ひょっとしたらもともとボールだったかもしれない。ファールを打つのも技術の一つという考え方はまちがっている。そんな技術に卓越するよりも、ヒットを打つことのほうが肝心だ。ヒットを打とうと思わないバッティングは意味がない。ツーストライクからきわどいコースへきたら、少なくともフィールド内に弾き飛ばそうとしなければいけない。くさいコースをファールにしただけで褒め讃える解説者がいるが、根拠のないおためごかしだ。
 三球目、インコースから落とすカーブ。掬い上げる。高く舞い上がり、ふらふらとレフトに落ちてきた。ライナー以外はシングルキャッチをする。しっかり捕球し、カバーに走ってきた一枝へ軽く返す。軽くと言っても、送球が美しく見えるようにかならず手首を使う。
 二番、ブレイザー。右投げ左打ち。外人なのに小柄な男だ。構えも尺取虫のように縮こまっている。三塁側へファールを二本打ったあと、真ん中低目のストレートにちょこんと合わせてショートゴロ。三番、トーマス、巨漢。おっさんの雰囲気。右投げ左打ち。そのスックと立った構えから、首のあたりへカーブを投げれば終わりとすぐわかる。浜野はそこに近いところへ二球つづけて投げ、詰まったセカンドフライに打ち取った。ベンチへゆっくり走って戻る。杉浦忠の眼鏡がベンチの奥でひっそり光った。


         五十三

 水原監督がサードのコーチャーズボックスに立った。ユニフォームの尻ポケットに手を突っこむいつものスタイル。村上雅則の投球練習を見つめている。肩を回さないで腕を直線にして振り下ろす投げ方だ。まちがいなく若いころに肩を痛めている。ボールが山なりなのは肩を後ろへ引いて回せないせいだ。百二十キロ半ば。球威がないので、丹念にコースをついてくるピッチングになるだろう。
 中が頭上でバットを回しながら、バッターボックスへ歩いていく。セーフティか? サードはだれだ。国貞。小さい。百六十四、五センチしかない。がっしりしたガタイなので肩は強そうだ。正面にまともに転がればアウトになる。
「ヨ、ホ、さ、利ちゃん、いこ」
「さあ、初球から!」
 セーフティではなかった。初球、どんより曲がる外角のスライダーを流し打って三遊間を痛烈に抜くヒット。中の技術にはいつも感心させられる。
「中さん、ナイスヒット!」
 二番高木。バットをグッと引き、低く構える。大好きな美しい構えだ。田宮コーチがあわただしく手を動かしはじめる。高木といっしょに野村がそちらをキョロキョロ見る。初球、アウトローへストレート。ボール。球速がないせいでボールがお辞儀をするので、ぜんぶ小さいカーブに見える。十八勝するには何か理由があるにちがいない。配球か? 二球目クイックモーションで外角低目へ曲がり落ちる遅いカーブ。ストライク。中に走る気配はない。
「ストーライ!」
「お人形さんかい―」
 野村の声がたしかに聞こえた。高木はわれ関せず。三球目、顔のあたりへストレート。ボール。のろいので簡単によける。野村の考えた配球だとしたら荒すぎる。ワンツー。バッティングカウントになった。あくまでもまともなストライクを投げてこないつもりだ。次はたぶん初球と同じアウトローのカーブ。高木もきっとそう見抜いている。田宮コーチが腕組みをして、横にいた半田コーチに話しかけた。あいうえお。ヒットエンドラン。四球目、外角高目のカーブ。低目を想定していて高目がきたら打ちやすい。中が走る、高木がしっかり叩く。一、二塁間を抜いた。一塁側スタンドの歓声に合わせて、中日ベンチが声を上げながら賑やかに拍手する。中は光速で三塁へ。ノーアウト一、三塁。ベンチの寒暖計は七・五度。あたり損ねが手に響く寒さだ。ネクストバッターズサークルに入る。
 江藤が打席に入った。彼はヘルメットをかぶる。喚声が大きくなる。観客はみんな彼が大打者であることを知っている。野村がマウンドへ走っていく。ひとことふたこと村上に語りかけて戻ってきた。江藤がバットをグリップエンドまでいっぱいに持ち、耳もとに掲げて構えた。高木の美しさに力強さが加わった構えだ。
「さあいらっしゃい、村上くん」
 江藤の明るい声。三球つづけて内角低目のカーブ。すべてボール。三球目はショートバウンドした。瞬間、野村の一塁牽制。難なく足から戻る高木にトーマスがのろのろタッチする。それを見て中がホームへ走った。トーマスはあわててホームベース目がけて全力の送球。ボールは野村の頭上を越え、ネット下のアナウンス席の金網にぶつかりファールグランドに転がった。中が手を拍ちながら生還。高木三塁へ滑りこむ。労せずして一点。ノーアウト三塁。
「これで、ハンデ、オッケーやな」
 野村が言った。江藤は素振りをしながら知らんぷりだ。四球目、野村が立ち上がって敬遠になった。初回から? 交流試合で?
「四番、レフト、神無月、レフト、神無月、背番号8」
 大歓声が上がる。金太郎コールが湧く。私はヘルメットを深くかぶり直し、水原監督を見やりながらゆっくり打席に入った。野村が話しかけてくる。
「どや、金ちゃん、手柄あげたくなるやろ」
「はい」
 素直に答えた。
「ノーアウト一、三塁や。ライト線抜くのがいちばん効率ええな」
「ホームランがいちばんでしょう」
「打てるかい! ぽっと出の新人がプロの球に対応するのは不可能なんじゃ。ちっぽけなプライドでプロをナメたらあかんで」
 初球、胸もとすれすれのカーブがきた。ボール。大仏のような顔をした村上は表情を変えない。
「ぼくも敬遠ですか」
「ふざけんな、イロオトコ」
 野村は押し殺した声で言った。二球目アウトロー、意外なスピードボール! ストライク。百三十五キロは出ている。十八勝できた理由はこれだったか。肘と手首だけで投げる渾身の速球だろう。ワンワン。野村の考えが読めた。もう一度同じアウトローへストライクのカーブを落とし、真ん中高目か内角高目のスピードボールで三振を取る。それを打てばフライになる可能性がわずかにある。次のカーブを打つことに決めた。打ちそこなっても左中間を抜けるだろう。
 野村はわざとインコースに寄って構えた。フェイク。まちがいなくアウトコースにくる。三球目、ボールが手から離れた軌道から、外角低目へ外れるカーブだと見た。
 ―や、曲がらない! ストレートだ。それなら遠慮なく!
 左手首を平らにし、踏みこんでスイングに入る。一瞬ナチュラルに外へ小さくスライドした。しまった! このままだとバットの先に当たってしまう。思い切り左手首を押し伸ばして振り抜いた。ゴンという手応え。先っぽだったが芯はどうにか食った。伸びるはずだ。打球音を頼りにレフトの柳田が前進の姿勢をとる。すぐにあわててバックした。塀に向かって背走する。追いついたと見こんで塀ぎわで振り返った。ジャンプ! 届かない。芝生席の最前部に飛びこむホームラン。捕られると思っていたランナー二人が歓声に押されてようやく走り出す。
「ナイスバッティング!」
 江藤が一塁を回る私を振り返りながら叫ぶ。スリーランホームラン。プロ野球選手になって初めて他チームとの試合、初打席、フェンスぎりぎりのホームラン。私は湧いてくる笑いを押し止められず、生まれて初めて右こぶしを高く差し上げた。大波のような歓声が押し寄せる。水原監督がうれしそうに拍手している。高木ホームイン。三塁を回る江藤を追いながら、監督が拍手する目の前を笑って過ぎる。ホームを踏むとき野村が、
「あんた、怪しいわ。あの手首の返しは手品やろ」
「ありがとうございます」
 露崎が私の足もとにコブシを突き出して、
「ホーム、イン!」
 奇声を上げた。
「ありがとうございます」
 帽子を取った。露崎は驚いたふうにうなずいた。江藤、高木と堅く握手。太田が抱きついてくる。
「プロ入り四本目ですよ。おめでとうございます!」
 ゼロ対四。ネット裏の村迫たちにピースサインを掲げる。三人は恥ずかしそうに周囲を見回しながら手を挙げた。次打者の木俣がマスコットバットのグリップでコンと私のヘルメットを叩いた。
「バケモン!」
 飯田監督が両手をだらりと垂らし、生まれて初めてめずらしいものを見たという表情で私を眺めている。飯田徳治。南海で十年、国鉄で七年活躍した名一塁手。たしか新人長嶋の一塁ベース踏み忘れを指摘して、幻のホームランにしてしまったのは彼ではなかったか。いや、広島の藤井だったかもしれない。なんとなく薄幸なたたずまいだ。半田コーチがバヤリースオレンジを差し出した。
「ナイスバティングね。グッド、トゥイスティング、イン。すばらしいストロングリストよ」
 両手首をひねる格好をする。
「ありがとうございます」
 一気に喉に流しこむオレンジジュースがうまい。
 木俣、強烈なライトライナー。樋口捕球して、ようやくワンアウト。江島、センター前へゴロのヒット。
「ヨッシャー! タクミ!」
 ベンチが盛んに拍手する。ワンアウト一塁。何ほどもしないうちに、カーンという金属音が響いた。七番太田の打球がレフトへ舞い上がった。
「よーし! これはいった!」
 田宮コーチが叫ぶ。豪快な打球がレフト最上部の防御網にぶち当たった。ベンチ全員で飛び出し、どたどた走ってくる太田を迎える。
「ホーム、イン!」
 太田も露崎に帽子を取った。江島に抱き締められ、コーチやレギュラーたちに手荒く頭を叩かれる。潤んだ目で私と握手する。
「めちゃくちゃ低い真ん中でした。掬い上げて絞りこみました!」
 ゼロ対六。学生野球ならコールド勝ちの勢いだ。飯田監督がマウンドに歩いて露崎球審にピッチャー交代を告げた。露崎はネット裏の放送席に走っていって、ピッチャー交代を知らせる。なんと、杉浦が小走りに出てきた。思わず私が拍手をすると、ベンチもこぞって拍手した。球場がどよめいた。あの偉大な背番号21がまだ〈生きていた〉というどよめきだ。水原監督が空を見上げている。感無量の顔だ。
 ―杉浦さんと対決できる。うれしい。
 マウンドに登る杉浦忠の顔に上気した色はなく、少し白っぽいほどだった。眼鏡の黒い縁が目立つ。まるで血を心臓へ集めるために、全身から血の気を退かせたかのようだ。一方の手は帽子の上に、一方の手は緑色のユニフォームのロゴの上にそっと置いて、わずかな気負いも見えない。目は静かに輝いていた。
 彼はひとわたり両軍の選手たちや、スタンドを埋め尽くす観客を眺め渡した。そして野村と、とりわけ一塁ベンチの私にじっと視線を凝らした。やがて顔を伏せ、独特の沈みこむ姿勢で投球練習を始めた。淡々と投げる速球が糸を引いて野村のミットに収まり、するどい音を立てた。変化球はグイと曲がり、ストンと落ちる。
 ―打てそうもないな。下り坂なんて信じられない。
「バッター、アップ!」
 八番一枝がボックスに入った。初球、杉浦はからだを極端に低くし、右腕を高く振り上げ、背番号21の上半身といっしょに力強く前方に投げ出す。ど真ん中高目の速球。凄まじい伸びだ。アッと戸惑ったように小さく空振り。ベンチじゅうが息を呑んだ。一枝が振った高さよりはるかに高い位置で野村が捕球したからだ。
「なんじゃ、ありゃあ!」
 江藤がベンチのパイプを前のめりになってつかんだ。杉浦は足先で踏み出す位置の土を静かに掘った。私はふるえた。
 ―これがプロだ。ついにプロを見た。
 二球目。内角カーブ。一枝が腰を引いた。ストライク。外角遠くへ決まった。ベンチが無言になった。もと同僚だった森下コーチがにやにやしている。
「漫画みたいだろ。次、内角シンカーだ」
 これまた同僚だった半田コーチが、
「一枝さん、見逃します」
 そのとおりだった。内角にシンカーが浮き上がってストンと落ちた。露崎が肘をグイと引き、
「ストラッキー!」
 と叫ぶと、左足を振り上げてジャンプし、正拳突きを交互に三度した。スタンドじゅうが拍手喝采になった。私も激しく拍手した。走り戻ってきた一枝が、
「こら、金太郎さん、拍手するところじゃないだろ」
 ベンチの笑いの中で、江藤も中も拍手していた。次打者の浜野は、ストレートを潔く三度振って三球三振だった。野村が得意げにマウンド向かってポンとボールを放った。ひさしぶりに胸の高鳴りが戻ってきて、レフトの守備位置まで全力でダッシュした。強く腕を振って中とキャッチボール。中が山なりのボールを返しながら、
「金太郎さん、なに張り切ってんの!」
「野村さんの左中間の二塁打を防ぐんです!」
「レフト線抜かれたらどうする!」
「あきらめます!」 
 昭和二十一年から四十一年にかけて二十年ものあいだ、一位か二位にしかならなかったチーム、南海ホークス。ペナント優勝十一回、二度の日本一。四百フィート打線を担った人たち。生き延びて現役でいる選手は数えるほどだ。十年前、広瀬はすでに一番を打ち、半田コーチが二番を打っていた。杉山光平という左バッターが三番にいた。バットを地面にだらりと垂らして構える姿を思い出す。……昭和三十六年の日本シリーズでエラーをした寺田陽介(翌年中日にトレードに出され、その二年後に東映に移り、すぐに引退してしまった)、からだも顔も角々した穴吹(野村の前の四番バッター。さっきその顔がチラッと三塁ベンチの椅子に見えた)、半田コーチの前の二塁手岡本伊三美(彼の眼鏡顔も見えた)、大沢昌芳(杉浦と同期入団の彼は長嶋の裏切りに憤り、いまに至るまで不信の念を抱いている。四十年に東京オリオンズに移り、即引退した)、森下整鎮(南海のファイトマン。三度のアキレス腱断裂、三年連続五十盗塁。現在背番号65をつけてわが軍の一塁コーチャーズボックスにいる。するどくてやさしいタレ目が好きだ)。


         五十四

「四番、キャッチャー野村」
 敵味方の別なく観客席から大歓声が上がる。野村はバッターズサークルで顔の高さの素振りをしている。小学校から目に焼きつけてきた野村克也がいま三次元で立っている。背番号19がはっきり見える。のしのしバッターボックスに入る。バットを一握り短く持ち、バネを内蔵した猫背の自然体で構える。
 浜野がふんぞり返って初球を投げ下ろす。胸の高さのスピードボール。野村はバットを投げ出すように叩き下ろした。左中間。私も中も半歩動いて足を止めた。打球の角度を見たとたんにホームランだとわかったからだ。ちょうど芝生席の切れ目の通路へ一直線に飛びこんだ。かぎりなく低い弾道のホームラン。私は思わず頭の上でグローブを叩いた。太い下半身が大股でダイヤモンドを回る。浜野が地面を蹴っている。みっともない。潔くうなだれるべきだ。一対六。
 五番柳田利夫。ジャイアント馬場面。大毎ミサイル打線のトップバッターだった。榎本の素振りであごを砕かれた男だ。初球、ど真ん中のストレートを豪快な空振り。明らかに長打狙いに見えたが、二球目外角のカーブを軽く流し打って、右中間へ浅いフライ。ワンアウト。プランのない打撃だ。
 六番、ゴリラ顔の国貞がボックスへ。チビでバットを短く持っているが、悠然とした構えを見てスラッガーだと踏み、守備位置を塀ぎわまで下げる。ワンツーからの四球目、強振した打球が中の頭上をギュンと越えていった。悠々二塁打。ワンアウト二塁。バックホームに備えて少し前進する。
 七番、左打者樋口正蔵、中背、内野安打男。試合前に半田コーチが、彼にドラッグバントを教えたと話していた。そのドラッグバント失敗のあと、ワンナッシングから強振してきた。左中間レフト寄りの深いところへ打球が上がり、前進していたせいでぎりぎり捕球できない地点だった。ワンバウンドで処理した。国貞がホームへ向かっている。ツーステップして全力でバックホーム。両膝を突いた木俣の胸へ、低いワンバウンドがストライクで突き刺さった。アウト! 木俣はすぐセカンドへ送球、樋口タッチアウト。チェンジ。
 轟々と上がる歓声の中をベンチへダッシュ。青森高校、東大、中日ドラゴンズ、どこでプレーしているのかわからなくなった。半田コーチに謝る。
「すみません、前進していたせいで面倒くさいことになっちゃって。ふつうの守備位置で捕ってれば、バックホームもなかったのに」
 木俣が、
「偶然スリーアウトになったから、よしとしようや。それにしてもすげえ肩だ。お客さん喜んだぜ」
「すみません」
 浜野は憮然としていた。
 杉浦は二回の裏を三者凡退に切って取った。一、二、三番、全員三振だった。露崎のボクシングスタイルが江藤で出た。手がつけられなくなった。
 三回表、ドラゴンズのピッチャーは百八十五センチの長身小野に代わった。小学時代からテレビで時おり目にした大毎のエースだ。二週間グランドでいっしょにすごして、その静かなたたずまいに心の底から親近感が湧いた。流れるような投球フォーム。意外なノーコンに驚くが、ストレートは三振を取れる速さだ。百四十二、三キロは出ている。三十六歳。そろそろ引退が近いだろう。投げこみ練習のまじめさと熱心さはチーム内でも一、二を争う。昭和三十五年に大毎が優勝した年に、三十三勝をあげている。四十年に大毎から大洋、去年大洋から中日に移ってきた。水原監督の温かい視線には、まじめな小野に最後の一花を咲かせてやろうという気持ちがあふれている。
 小野は、同年輩の杉浦の快投に鼓舞されてやる気満々になっている。ふだんよりスピードが乗っているし、カーブも切れている。南海の選手たちはみな、つい五、六年前までこの小野と戦ってきた連中だ。小野の投球練習を見る眼がやさしい。往年ほどの球速がないことや、カーブの曲がりの少ないことをさびしがっているのかもしれない。
 先頭打者八番小池兼司。九年選手。名ショートで、連続無失策二百十八回という日本記録の保持者。小柄だが長打力がある。去年のオールスターでは、第三戦に江夏からスリーランを打っている。初球、縦に大きく落ちる真ん中のカーブ、ストライク。小池はユニフォームの袖をつまんでたくし上げ、バットを小野に向けて差し出す。よく見かけるプロ野球選手の仕草だ。私には何の癖もない。ただじっとしている。じっとしながら、次のボールを考えることに忙しい。二球目、外角高目ストレート、見逃し。
「ストーライ!」
 露崎が二本指を細かく振る。次は同じところへカーブだ。三球目、外角低目の大きなカーブ、叩いた。右中間へライナーが伸びていく。抜ける寸前、中がダイビングして回転レシーブ。アウト。すばらしい。
「中さん、ナイスプレイ!」
 中はグローブを振って応える。
 九番杉浦。ホームベースから遠く突っ立ったまま、ストレートを見送り三球三振。好みのスタイルではないが、偉大な選手に意見を言う気はない。ただ、金田も稲尾も、バッターボックスに入ると、きちんとバッターに変身する。そしてホームランを打つことさえある。杉浦もそれは知っているだろう。彼はあるとき、ピッチングに徹しようと心に決めたのにちがいない。
 ツーアウト。打順が広瀬に戻った。彼は首位打者を一回獲っている。盗塁王は五回。昭和三十八年まで盗塁王というタイトルはなかったので、正確には二回だ。盗塁王という賞を設けた理由は、広瀬があまりにも盗塁をするので彼を称揚するためだと聞いたことがある。ベース一周十四秒を切る。リードが桁外れに大きい。プロ野球のスピード感を変えた男と言われている。しかも、ホームランも打てるオールラウンドプレイヤーだ。彼のモットーを雑誌で読んだことがある。
「僅差の場面でしか走らない。打者がツーストライクに追こまれたら走らない」
 一対六。僅差ではない。しかし塁に出したらまずい。何か仕掛けてくる。
 広瀬は長く持ったバットを立て、からだをわずかに屈めて構えた。初球、浜野は内角膝上にズバリと速球を投げる。ストライク。広瀬がボックスを外して、手に砂をつける。二球目、内角胸もとへ速球、ボール。次は外角へ落とすだろう。三球目、外角へドロップ気味のカーブが曲がり落ちる。〈あの〉ファールが飛んだ。ハッとして一塁スタンドを見る。人垣が割れてボールが板造りの座席へ嵌まりこんだ。
 ―ん? たしかこのファールのあとは! 
 あわててバックする。中が訝しげにこちらを見た。四球目、膝より低い内角速球。狙っていたようにスムーズに掬い上げた。真芯だ。ラインドライブのライナーが飛んでくる。私は打球を見ないでポールぎわへ一目散に走った。振り向くと真っすぐ伸びてきた。ホームランにはならないと判断した。ジャンプながら捕球し、ラインを越えて着地した。線審の斎田がアウトのジェスチャーをする。彼は思わず、
「グッド!」
 と声を上げた。ウオーという喚声で球場がふるえる。両ベンチが立ち上がって盛んに拍手している。中が私に走り寄りながら、
「ミラクルプレイ! あそこに一直線に走っていくとは思わなかった。見てみろ、水原さんが大喜びしてるぞ」
 ベンチ前で水原監督が両手を頭上に掲げて拍手していた。サードの太田が、
「神さま、仏さま、金太郎さま」
 と肩を叩いた。
「ファールフライを捕っただけだ」
「ちがう、ちがう! フェアでした。あと二十センチグローブの上だったらホームランでした」
 私たちがホームベースを横目にベンチに戻ろうとすると、なぜか露崎が飛び上がって私に正拳突きを繰り出した。水原監督が、
「祝福だ。あんなことは公式戦ではしない。ありがたくいただいておきなさい。さ、一発頼むよ」
 そう言って三塁のコーチャーズボックスへいった。小野が、
「ありがとう、金太郎さん!」
 と言って、私の手をしっかり握った。江藤が、
「金太郎さんの三振が見たか。思い切り振れや。かならずヘルメットをかぶっていけ」
「はい!」
 三回裏。私は打席に入ると、マウンドの杉浦に向かってヘルメットを取り、礼をした。杉浦はまじめな顔で帽子のツバに手をやって応えた。野村が、
「ゴマすっても打たしてもらえへんで」
 振りかぶり、低い姿勢からど真ん中の速球がきた。浮き上がると予測をつけたあたりを強振する。ファールチップ。バックネットが激しい音を立てる。見こんで振った平面よりもっと浮き上がってきた。信じられない。かなりのスピードがある。百四十七、八キロは出ている。とにかくかすったので、もう二度と速球はこない。それでも私はボックスの外に出て、二回、三回、ダウンスイングの素振りをした。球場全体が静まり返った。シャッターの音さえしない。
 二球目、外角に遠く外れるカーブ。いや、急激に曲がって真ん中へ入ってきた。ストライク。呆然と見送る。これなら最初から外角のストライクコースにきたら腹に当たるというのは誇張ではない。彼は私にいろいろな球種を試そうとしている。次はシンカーだ。たぶん、外角へ落ちてボールになる。賭けだ。ピクリともしないで見送ってみよう。そうなると、決め球は外角ぎりぎりに見える〈腹ぶつけ〉のカーブだ。三球目、外角に浮き上がる速球がきた。
「ボー! ハイ!」
 露崎の明るい声。シンカーではなかった。読みが外れて少しホッとする。私に読まれるような彼ではない。ツーワン。
「思いっ切りいけー!」
 江藤の声。ベンチはみんな私の三振を予測している。私はギリギリまでピッチャー寄りのラインへにじり進んだ。それから後ずさりして右角に立つ。野村が、
「何やっとるんや。そんな工夫ではどもならんで」
「はい、悪あがきです。できることはぜんぶやらないと」
「ええことや。何ごとも考えるということをせんとな」
 目の隅で、野村が内角に動いたことを確認した。またこれか。さっきと同じように外角にくるということだ。遠く外から大きく曲がってベース内隅をよぎるカーブ、それとも外に浮き上がるストレートだろう。ストレートなら打てないかもしれない。カーブなら曲がり鼻を叩く。野村の構えたとおり内角にきたら、三振かつデッドボールというおもしろいことになる。もちろん判定は三振だ。そのときは首をひねりながら退散しよう。
 杉浦が振りかぶり、地面にへばりつくほど低くからだを落とした。背中の後ろに手首が立ち、振り下ろしてリリースするときにピチッという音がした。きょうだけの経験からすると、あの音がするときはストレートだ! 私はススッとホームベースに近寄り、左隅に焦点を合わせた。その一点で浮き上がる瞬間に叩く。迫ってくるボールの軌道の五センチほど上を目がけて、両腕を投げ出し手首を絞りこむ。よし、打てた!
 ―ちょっと下をこすりすぎたか?
 左中間へ高く舞い上がる。
「あ!」
 と声を上げ、レフトを見上げる杉浦の眼鏡が光った。広瀬と柳田がじゅうぶん捕球の範囲内という勢いで追いはじめた。抜けることを祈って私は全力で走った。一塁を回るときトーマスが、
「OK, OK, home run!」
 と言った。二人の外野手を見ると、立ち止まって観客席を見やっている。野村が打ちこんだのと同じ通路出入口へ白球が消えていった。球場じゅうのスタンドから子供の叫喚や大人の嘆声が上がった。私はスピードを上げた。歓声が入り混じって一色になる。コーチャーズボックスの水原監督がまた頭上で拍手している。田宮コーチと半田コーチが走り出てきて、私とホームベースまで併走する。江藤たちがホームベース上に寄り集まり手荒い祝福の準備をしている。野村がピッチャースマウンドに向かって歩きだし、杉浦に何やら声をかけた。
「ホーム、イン!」
 露崎が地面をこぶしで突く格好をする。大勢の手でヘルメットをパンパン叩かれる。太田が抱きつき、浜野がヘッドロックをかける。
「コノヤロ、コノヤロ、一人で目立ちやがって」
 何か素直な喜び方ではない。ネクストバッターズサークルでマスコットバットを振っていた木俣が、
「バケモン!」
 さっきと同じ科白を叫んだ。私が村迫たちにピースサインを出すと、今度は彼らもうれしそうにみんなでVサインを返してよこした。テレビカメラが私を追っている。地元の人ばかりでなく、青森や東京や名古屋の知人たちが見ていると感じることで、からだに喜びがあふれる。一対七。つづく木俣は三振して、
「まいった!」
 と頭を掻きながら戻ってきた。
「半田さん、どうすれば打てるの?」
「ヤマ張るのよ、金太郎さんみたいに」
「ヤマ張ったって、天馬みたいにドンピシャではいかねえよ」
「ほら、いった!」
 江島がライト前へボテボテのヒットを打った。ワンアウト、ランナー一塁。
「あいつ、どういうヤマかけたんだ? ただのマグレだろ」



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