四

 田宮コーチは、
「俺、優勝したらおいおい泣くよ。大毎以来、九年ぶりの優勝だもんな。中日は十五年ぶりだよな。あの時代の生き残りの本多さんとか、後進の中とか、江藤とか、高木とか、ドラゴンズ生え抜きの連中はもっと胸にくるだろう。俺の野球人生の手柄なんて、阪神時代に、三割二分程度の打率で首位打者獲って、新人長嶋の三冠王を阻止したくらいのものだぜ。これで二度の優勝経験か……墓石に刻むに値する。―しかしな、そんなことが俺に感動を与えるわけじゃないんだ。そんなのは試合の積み重ねの結果だろ。いちばん感動するのは、一ゲームごとに、一瞬一瞬、野球そのものを楽しませてもらっているということなんだ。いままでこれほど野球に興奮したことはなかった。そのことこそ墓石に刻みたいが、どう書けばいいのかわからない。……とにかくありがとう、金太郎さん」
 応えるすべがなく、私は涙を落としながらうなだれた。それを見て太田が、
「オス!」
 ひと声叫ぶと、選手全員が、
「オース!」
 と唱和した。ロッカールームの壁がふるえた。涙が次から次へとあふれてくる。星野秀孝が、
「俺、神無月さんが泣くと、泣けます。みなさんも神無月さんが泣くとかならず泣きますけど、それはきっと自分がどれほど野球を好きか痛いほどわかるからだと思うんです」
「そのとおりたい! ヒヨッコだったころの気持ちに戻れるけん」
 葛城が江藤の顔を見ながら、
「そうなんだ。それで、もっともっと野球をやりつづけようというファイトが湧いてくる」
 肩を氷袋で縛っている小野も大きくうなずき、
「四の五の言わずに、ヒヨッコの気持ちで真剣にやってしまう。そこでくたばってもいいと思っちゃう」
 水原監督が、
「いやはや、金太郎さんの影響は計り知れないなあ。本人にその自覚のないのが麗しいけどね。ま、自覚があったら鼻持ちならない天草四郎だ。そんなやつには惚れられない。よし、金太郎讃歌は、きょうはここまで。金太郎さんを褒めると気分がいいから、止まらなくなってしまう。―小野くん、くたばっちゃだめだよ。いっしょに野球ができなくなっちゃう。きょうの長丁場はつらかっただろう。肘にきてないかね」
「肘はだいじょうぶです」
「投げこみをしばらく休んで、肩を回復させなさい。二敗もさせちゃってすまない。来月の五日の巨人戦に先発してもらおう。それまで静養だ」
「はい、しばらく福島の両親のもとでのんびりしてきます」
「ああ、いいね。あさっての先発は山中くん、控えは門岡くん、星野くん、土屋くん、水谷則博くん」
「はい!」
「はい!」
 長谷川コーチが全員を見回し、
「きのうの敗因は平松の絶好調にやられた、と。それはよし、と。しかしきょうの敗因がわからない。速くもないし曲がりもしない平岡が打てなかった理由は? どうだ、金太郎さん」
 私は、
「ぼくの場合、これまで平岡とは四回対戦してフォアボール三つ、セカンドゴロ一つでした。もともと彼の変則フォームからくる遅いボールが苦手で、フォアボールで遠慮してもらって助かった感じがしてたんですけど、きょういざ勝負されると、やっぱり変則フォームとノロい球にやられて、結局レフトフライ二つしか打てませんでした。島田源太郎は担ぎ投げの本格派のくせに遅い。きのうの平松と比べてスピードの落差に戸惑ってしまって……。フォームの素直な池田はどうにか打てました。正直なところ、きのうきょうと、ボールの見切りの集中力が落ちてました。すみません」
 江藤が、
「きのう平松と対戦しとらん徳さんたち四人が、きょう代打で出て、全員三振喰らったろう。とすると、ワシらはスピードの落差に戸惑ったんやない。金太郎さんも含めてみんな軟投派に弱いちゅうことばい。大洋に三敗しとる原因はそこやろ」
 私は長谷川コーチに、
「変化球だとかえって球筋の見切りをやらずに、ボールの軌道の一点を見据えるようにすればいいんです。たとえば、阪神の権藤のドロップや、巨人の堀内のカーブなんかそうやって打ちます。ベースの一点を見据えることもあります。でも、ゆるいだけのピッチャーだと、辛抱がきかずについ目を切ってしまいます。これからは目を切らずに遅いボールを追いかけるようにします」
 江藤もうなずき、
「それしかなかなァ」
 菱川が、
「はい、きょうは出番がなかったですが、見ていて打てそうもないなと思いました。俺もゆるいボールが課題です」
 水原監督が、
「よし、一件落着だね。じゃきょうはこれで解散にしよう。池藤くん、何か言いたいことがありそうだが」
「はい。きっちりマッサージを受けてくれる人は、いまのところ高木さん、中さん、小野さん、ときどき江藤さんの四人きりです。ほかのみなさんも疲れが溜まっているはずですから、遠慮なくトレーナー室にいらしてください。試合開始前の十分でもいいんです。長保ちさせたいなら、強がってちゃだめですよ」
「ほいほい、わかった。しょっちゅういくようにするばい」
 俺もいくよ、俺もいくわと、ほうぼうで声が上がった。
         †
 食事会のあと、部屋に戻って、荻窪のトシさんに電話を入れた。トシさんは優勝を心待ちにしていると明るい声で言った。
「サッちゃんにおめでとうと言っといて。そのうちチャンスをみて尋ねるからって」
「ぜひ暇を作ってそうしてあげてください」
「うん。二年後は名古屋の外資系の企業を狙うらしいけど、その合格も祈ってるって」
「わかりました」
 酔族館の法子にも短い電話を入れ、在京の残りの日々をがんばるよう励ました。
「ドラゴンズが優勝したら、吉祥寺の家でパーティをします。詩織さんと河野さんも呼ぶつもり。とにかくあと五カ月。がんばります」
 山口には電話をしなかった。一秒でも彼の練習時間を奪いたくなかった。九月の二十日にイタリアへ出発の予定だから、その直前に連絡をとろうと思った。
 宮本又次の『関西と関東』を開く。ザッと読んで、食文化と衣料文化と装飾文化の二地域の比較論だとわかった。とつぜん舞台芸能の比較に話が移り、浄瑠璃と歌舞伎のちがいとか、その二つを理解するには三味線の知識がないと問題外である、などと言われて、それこそ何のことやらさっぱりわからなくなった。そして、またもやとつぜん大阪人と江戸人の気質のちがいの説明に移ると、ますますわけがわからなくなった。私は、羅列を旨とする学問にとことん向いていない。寝る。
         †
 七月二十八日月曜日。八時起床。曇。二十八・五度。水原監督はじめ東京在住組や、福島の実家に帰った小野の姿は昨夜から消えている。
 すべての荷物を送り、朝食を終えたあと、ロビーでコーヒーをすすりながらホテルの新聞を読む。どの新聞にも、大活字で中日二連敗の見出しが躍っている。平岡のコメントが載っていた。

 先発は試合前のランニング中に言われました。あまり急だったので、かえって落ち着きました。巨人より中日のほうが怖い。とくに神無月はいやだ。平松を見習って、きょうは思い切って勝負しましたが、初回に右中間へ、四回に左中間へホームラン性の当たりを飛ばされたときは、心臓が縮みました。江藤さんは怖くない。
 こんな平岡のことを江藤はこう言っている。四年前に初対決した。球種が多いので最初は面食らったが、スピードがないのですぐ慣れた。彼はその日によって変化の仕方がちがうクセ球を投げるので、慣れてはいてもきょうのように打てないこともある。神無月くんにはいずれ痛い目を見るだろう。

「いつのまにインタビューを受けてるんですか」
「金太郎さんが逃げたあとばい。なだ万弁当頼むね?」
「昼めしは浜松のうなぎ弁当にします」
 中日ドラゴンズ完全優勝確実、という記事もあった。完全優勝とはどういうものかと江藤に尋くと、全球団に勝ち越したうえ、優勝まで首位で走り抜くこと、と教えた。
 セリーグ歴代優勝勝率一覧が載っていて、七割を超えたことは過去に四回しかなく、一位は昭和二十五年小西得郎監督の松竹で、0・737、二、三、四位は二十六年、二十八年、三十年の水原茂監督の巨人で、それぞれ、0・731、0・702、0・713というものだった。三十六年から八年間で六回優勝している川上でさえ、一度も七割を達成していなかった。水原監督は聞きしに勝る名将だったと知る。昭和三十年の九十二勝三十七敗一分けという数字を記憶した。その年の全試合数がたまたま百三十だったからだ。九十一勝三十九敗がちょうど七割の勝率になる。水原監督が四十敗してもいいと言っていたのは、実際自分が達成した優勝勝率のことを言っていたのだった。九十六勝すれば0・738で、プロ野球史上の新記録となる。いま五十九勝。九十六勝まであと三十七勝。その勝率を水原監督にプレゼントしたいと思った。そのことを江藤に言った。江藤はすぐに、周囲の仲間たちに告げた。高木が、
「あと六十一試合だな。三十七勝二十四敗か。いけるだろう」
 中が、
「優勝はそのはるか前に決まるね。ここに、《水原監督与那嶺ヘッドコーチ入閣招聘案拒否》とあるよ」
 宇野ヘッドコーチが通りかかり、立ったまま、
「複雑な問題だな。十年前、川上がジャイアンツ監督に就任するのと同時に、長年巨人軍に貢献してきた水原さんと与那嶺が追い出された。水原さんは青空のように抜け上がった人だから遺恨は残さないが、与那嶺は川上に対して根深い遺恨を残してしまった。球界でも有名だ。それが先々コーチングに響くと考えたんだろう。われわれの敵は巨人軍だけじゃないからね。与那嶺自身は非常に温厚な人なんだけど、川上に対する遺恨だけは激しいものがあるんだ。プレイ自体もその温厚さと似合わず荒々しくて、こすいところもあるから、ドラゴンズのカラーに合わないと判断したのかもしれないな」
 高木が、
「巨人を出てから、中日でプレイしてますよね」
「二年間ね。さっぱりだった。そのときも巨人戦だけには異様なファイトを燃やしてたと聞いた。当時俺は大毎のコーチをやってたんだけど、噂は聞こえてきた。哲のヤロー、チクショー! と叫んだりしたらしい。現役引退後は中日で一軍の打撃コーチを四年間やったんだろ。三年前までかな。選手が川上さんと口に出そうものなら、哲と呼べ! と一喝してたって近藤さんから聞いた。首位打者三回、大選手中の大選手なんだがね。遺恨は恐ろしい。そういう雰囲気はチームに暗い雲をかぶせる。水原さんの判断もそんなところだろう」
 足木マネージャーが飛行機組と新幹線組に切符を配っている。私と江藤たちは新幹線の切符を受け取った。江藤が、
「招聘の案を立てたのはだれね」
「白井社主じゃないの。小山オーナーは水原さん一辺倒だから。遺恨、荒っぽさ、こすさってのは、金太郎さんに合わない。案外そこがポイントだったかも」
 菱川が、
「俺、与那嶺さんの走塁のコーチがいやだったな。セカンドのグローブを足の甲で撥ね上げるように滑りこめって言うんすよ。三塁へいったらホームスチール狙えとかね。バッティングの指導は、基本、ダウンスイングで、目新しくなかった。中日のアッパースイング見たら、いちゃもんつけますよ。ぜったい神無月さんとぶつかるな。俺たちだって、年間十本ぐらいしかホームラン打てなかった人の話は聞きたくないすよ。首位打者って言ったって、ホームラン打てなきゃ、グランドで目立たないただの人でしょ」
「ほんなこつ、ワシもそう思うばい。水原さん、正解やったな」
 ホテルのスタッフたちに見送られ玄関に出る。人が群がる。中、江藤、高木、小川、一枝、私、太田、菱川、葛城、江島は、それぞれ十人ほどのファンにサインした。組員たちもそれを止めずに見ている。品川行と羽田行のバスに分乗して出発。
「三日間ありがとうございました」
 時田に礼をする。時田と配下はからだを直角にして辞儀をした。
         †
 新幹線には寮組が十人ばかり乗っていた。葛城が訊いた。
「あの人たち、企業舎弟か何か? それとも警備会社?」
「いえ、ホンモノのヤクザです。陰に日に、ぼくたちを護るよう松葉会の組長から仰せつかっています。ミカジメ集金の手先になるような細かい企業舎弟といった者も、たぶんかなりいるんでしょうが、ぼくは知りませんし、知りたいとも思いません」
 私より半年若い、入団が一年先輩の江島が、
「黒い付き合いなんて言われたら、シャクですね」
「言われないでしょう。そんな付き合いをいっさいしてませんし、彼らが正体を曝すようなことは、まかりまちがってもありませんから」
 小川が高木とうなずき合いながら、
「事情は俺たちみんな知ってるんだよ。葛城さんと江島は知らなかったな」
 葛城が、
「でも、マスコミはへんに憶測して、あることないこと言うから」
 江藤が、
「ふつうの選手にはな。ばってん、美空ひばりもそうやが、国民的な英雄には何も言わんし、何を言われてもびくともせん。もともと松葉会いうんが、ふつうのヤクザみたいにタニマチ気取ってしゃしゃり出てこんけん、マスコミが騒ぐことはなか」
 中が、
「金太郎さんを支配しているんじゃなくて、金太郎さんを崇拝している友人のような防衛軍団だ。これまでの芸能人との関係とはまったく別物だよ。政治家や右翼と結びついてギッチリ組の基盤を固めてる。むかしながらの任俠ヤクザだね」
 一枝が、
「ときどき金太郎さんが組長に見えることがあるよ。彼らもそうなんじゃない? お辞儀を見ればわかるでしょ」


         五

 浜松付近の車内販売でうなぎ弁当を買う。十人ほどで買い占めた。江島が、
「衣笠さんは肉とうなぎに目がないんですよ。高校時代は焼肉屋とうなぎ屋の食い歩きをしてました」
「江島さんは平安高校ですか」
「はい。衣笠さんの二年後輩です」
「京都にもうなぎ屋があるんですね」
「名店揃いです。明治時代からやってる『かねよ』、おととし創業した『廣川』、どちらもゼツです。うなぎの産地は京都府内にはほとんどなくて、静岡や愛知や鹿児島から取り寄せてます」
 蒲焼は口に含んで柔らかく、甘辛のタレが過不足なく滲みている。白めしも、冷めてもうまい駅弁の味だ。追加ダレと山椒とワサビ漬けしか添えていないところに、この弁当の歴史を感じた。
 一時半。名古屋駅のコンコースでみんなと握手して別れ、北村席に帰り着いた。大きな屋根つきのガレージに、マークⅡとクラウンに寄り添うように新車のローバーミニが二台並んでいる。赤と白。その隣には紺の日産セドリック。端っこにチョコンと睦子の自転車が立ててある。千佳子と合同勉強でもしにきたのだろう。今夜帰る予定なら、強く望んではいないにしても、慎ましい気持ちで期待しているはずだ。主人と菅野が飛び出してきて、
「お帰りなさい! やあ、メリハリ、メリハリ。よう負けてくれました。おかげで名古屋は盛り上がっとりますよ」
 居間からよたよたトモヨさんが出てきて、
「お帰りなさい。気持ちよく負けましたね。負けっぷりがいいっていう新聞記事、いまみんなで読んでたんですよ」
 女将と並んで、月曜定休の優子と、ピチピチした睦子と千佳子がいる。
「学期試験の具合はどう」
 睦子が、
「どうってことありません。ほとんど一般教養の科目だし、教授押し売りの教科書に書いてあるとおり。独自の意見なんて求めてきませんから」
「一般教養の試験はもちろんそうだけど、法律の試験もそう。出回ってる過去問どおりに出るの。青森高校の定期試験のほうがずっと難しかった」
「ほんとね。青高は先生たちの作るオリジナルだったから。数学や物理なんか、五十点取れば学年のトップだったもの」
 私は、
「そうだったね。一、二度数学のトップを取ったことがあって、とてもうれしかったのを憶えてる。西沢先生は、解法に切れがないってきびしく言ったけど、あれはぼくをつけ上がらせないようにするための親切だったんだ。ぼくはどんなこともマグレと思うタチだから、先生の杞憂だったんだけどね。直人は?」
「二時半になったら菅野さんにいってもらいます」
「ぼくもいっしょにいってくる」
「私たちもいきます」
 睦子が千佳子とうなずき合う。天童もうなずいた。菅野が、
「ドラゴンズの強さの秘密という記事で、江藤さんと神無月さんの気持ちが推測で書かれてますよ」 
 中日スポーツの紙面を示す。

 並び立たずと言われる両雄が並び立ち、中日打線の核を担っている。三番江藤慎一内野手(32)と四番神無月郷外野手(20)である。二人がたがいをどのように捉えてこれほどの結果を積み重ねてきたのか、僭越ながら推測してみた。
 まず二人に共通しているのは、犠打や進塁打を決めて後続に責任を預けようと思わず、キッチリ走者を還して点を挙げてしまおうとする積極性だ。チャンスがなければ自分でチャンスメーカーになろうとする。江藤の開幕時のインタビューは次のとおり。
「基本的に、金太郎さんに回すことより、自分で返すことを考える。金太郎さんが歩かされたり、倒れたりしたら、きちんと打っておけばよかったと後悔することになるからね。自分が打つと腹をくくり、仕留めにいく」
 とは言え、打点を挙げることではなく出塁することがチャンスメイクになると思ったときは、なんとかして神無月に回そうと努力する、とも答えている。けっしてわがままな個人主義ではないのである。いっぽう、神無月郷は仙人とも言える飄然とした男である。たぶん、
「江藤さんが打ったあと、〈つづきまして〉自分もいきましょう」
 と思っているだけのことだろう。彼は状況によってはテキサス狙いの流し打ちや悪球打ちもいとわない。アウトになることを極力減らして、打線の連続性を断たないようにしているのである。俺が、という意地はほとんどなく、あるとしてもその意地にフォア・ザ・チームがまぶされる。
 江藤がなぜそういう意識になったかを考えてみる。おそらくチームプレイより個人プレイを打ち出すほうがチームの勝率が上がる―という事実を神無月から学び取り、実際にその方向でみずから好ましい結果を積み重ねることによって、個人プレイの効率を肌に滲みこませたからにちがいない。同じように目覚めたいくつもの個性的な歯車がその二人に強力に噛み合う。
 これが胸躍る本来のプロ野球の姿だと、野球人もファンも理解しつつある。天から降りてきた革命児が、革命を成し遂げたというところか。ドラゴンズの快進撃は数年にわたるスパンでつづきそうだ。

「ふうん、いろいろ分析するんだなあ。みんな何も考えずにバットを振ってるだけですよ。ピッチャーが怖がるバッターは、失投を待ったり犠打で死んだりするバッターより、とにかく〈振る〉バッターに決まってます。野球でいちばん効果的なのは、ピッチャーを怖がらせることですからね。おとといの平松のように、ビビらないピッチャーのボールは威力があるうえに、微妙に変化します」
「きのうの平岡や島田も?」
「はい、ビビッてませんでした。平松に景気づけされたんだと思います」
 優子が耳掻きを持ってきたので、膝に頭を預ける。
「わあ、溜まってる!」
 楽しそうにほじくりはじめる。ほら、と私に示しながら、ティシューにカスを取り出していく。太腿がふるえている。懸命に耐えている。私も黙って目をつぶっていた。睦子と千佳子がいつものようにクスクス笑う。菅野が苦笑いして、
「神無月さん、そろそろ二時ですよ。ほかにも溜まってるものがあるでしょう。早く出すものを出してきてください」
 女将が、
「そうや、遠征から帰ってきたときは、目いっぱい溜まっとるに決まっとるで。早よ片づけてきて」
 私は千佳子と睦子に、
「いっしょにしてしまおう。かまわないだろ?」
「はい!」
 二階の優子の部屋へいく。ほかの二人にはすまないが、睦子だけを関心事にして十分ですます。
         †
 女三人とクラウンに乗って直人を迎えにいった。まばゆいばかりの青空。小森の端の空地に車を止める。私たちを園前の路上に待たせ、慣れたふうに菅野が鉄門を開けて土の庭に入っていく。小さい滑り台があり、ブランコがあり、砂場がある。どれもこれもが大公園のミニチュアで、お伽の国のようだ。遊具で遊んでいる園児服の子供たちを三人の女がやさしい目で眺める。菅野が直人を連れた保母といっしょに出てきた。
「おとうちゃん!」
 直人が鉄格子門まで駆けてくる。優子が、
「かわいいこと!」
 エプロン服の保母が丁寧に頭を下げ、門を開ける。
「またあした、直ちゃん、さよなら」
「さよなら!」
 腰に飛びつく直人を抱き上げる。頬にキスをする。千佳子が抱き下ろし、睦子と両側から手をつないで駐車場まで歩く。菅野と優子と三人、彼らの後ろを歩く。睦子が直人に語りかける。
「きょうは楽しかった?」
「うん!」
「何をして遊んだの?」
「ボールなげ。いちばんつよくなげたよ」
 千佳子が、
「親友コウキより?」
「コウキはおやすみ」
 私は彼らの背中から、
「さすが野球選手の子だ。おとうちゃん、うれしいぞ。もう少し大きくなったら、野球場に連れてってやるぞ」
「うん!」
 振り向いた直人を抱き、後部座席に乗せる。睦子のひざを求める。睦子と二人の会話が始まる。
「給食は何だったの?」
「チョコパン」
「おいしかった?」
「うん」
 私は菅野に、
「保育園の給食はそんなものなの」
 千佳子が、
「十一時半にちゃんとした給食を食べてます。チョコパンは午後のおやつでしょう」
 菅野が、
「水原さんたちがいらっしゃるなら、八月十日は盛大な誕生会になりますな」
「十五日はどうするの。ぼくは中日球場で阪神戦だけど」
 優子が、
「私たちだけでやります。塙席さんがくるし、芸者さんも入るし、けっこう賑やかになります。直ちゃんには、二回誕生会をやるって言ってあります」
 直人は大して理解できない言葉の群れの中で、みんなの顔を見回す。
「直人、わかったね。誕生日おめでとうを二回やるからね。二回目は、おとうちゃんお仕事にいっちゃってるから、じいじばあば、菅ちゃん、お姉ちゃんやおばちゃんたちと楽しみなさい」
「うん、おとうちゃん、おしごとがんばってね」
 睦子が、
「わあ、お利口さんね」
 頬ずりをする。
「直人はお話好きか?」
「すき」
「そうか。じゃ、だれかがお話してるときはじっと聴いてるようにしなさい。そのうち、何を話してるかわかってくるからね」
「うん。ほいくしょのせんせいのおはなし、よくきいてるよ。みんなといっしょにおひるねしてるときも、とおくではなしてるのがきこえる」
「眠くならないの?」
「うん、ならないの。ばんごはんのあとねむくなるから」
「お昼寝のときもちゃんと寝なさい。よく寝ないと、おとうちゃんみたいにからだが大きくならないよ。いいね」
「うん」
 急速に言葉を使えるようになっている。言葉の記憶はいつから始まったか。言葉の理解が始まったのはいつ? 戸山のころにはない。いや、ある。三輪車!
 ―ここに置いたの。
 私は言葉を話していた。二歳。言葉の蓄積はそれよりも前だ。闇の中の蓄積。探り出せない記憶を探る。三輪車をなくしたのは東京の戸山という町で、二歳のときだ。……母の話はほんとうだろうか。闇の中の伝聞は、それだけが寄る辺なので信じるしかない。周囲の大人や子供の言葉の種類を憶えている。野辺地の人びとの言葉とちがう種類だった。
「やめなさい」
 何度も言われた。
「おとこおんな」
 私がいつも女物の服を着せられていたからだ。それも母からの伝聞だ。事実かどうかわからない。
「ほんとに、しょうがないねえ」
「まってなさい」
 一日じゅう母はいなかった。毎日独り、三輪車で夕暮れの坂道を下った。友だちはいなかった。あらゆる人びとの不在をさびしいと思わなかった。不在に涙を流したことはなかった。
 母が熊本を追い出され、戸山でヨイトマケを引いて、青森への旅費を作ったという話はほんとうだろうか。プラットフォームで父から渡された餞別をそっくり祖父母に奪い取られ、東京までの旅費はへそくりから出したという話はほんとうだろうか。熊本からどういうツテを頼って、戸山の坂のいただきの家にたどり着いたのだろうか。


         六

 映像の記憶と言葉は結びついている。直人はいま、言語のない闇を抜けて、自分の経験や周囲の人びとを言葉とともに記憶しようとしている。だから環境や人びとは、いずれ記憶された言葉とともに思い出される。しかし、そのほとんどの言語記憶は時間が経つにつれて消え去り、原始的な映像の記憶のほかは、四、五歳ごろから聞かされつづけてきたむかし語りが記憶の大半になる。思い出すのは環境と人びとの映像だけで、言語はリアルタイムに生み出されるものになる。
「直人、ぼくはおとうちゃんだ。じゃ、ここにいる人たちは?」
「すがちゃん、むっちゃん、ちかちゃん、ゆうこ」
「そうだ。ぜんぶ、しっかり憶えておきなさい。きょう保育所でしたこともね。自分が話したことや人が話したことは、きっと憶えていられない。あとで自分やだれかが創り出すしかなくなるだろう。言葉はあいまいだから。それでも、言葉もしっかり憶えているようにしてね」
「アイマイって?」
「ぜんぶがぜんぶほんとうじゃないってこと」
「うそなの?」
「嘘はわざとつくものだ。わざとじゃなく、人は思いこみでしゃべる。自分で憶えておかないと、あとで人から聞かなくちゃいけなくなる。人の思いこみを自分の過去の経験だと信じるようになる。悲しいことだ。あとで作られた言葉に、ほんとうでないかもしれない経験がくっついてくるからだよ。その逆でないといけない。ほんとうの経験にあとで作られた言葉がくっつく」
 直人はまったくわけがわからないという顔で私を見つめる。千佳子が、
「神無月くん、直ちゃんに話すには言葉が難しすぎるわ。直ちゃん、おとうちゃんは直ちゃんに、しっかりいま見たり聞いたりしたことを憶えていてほしいって言ってるの。自分で憶えていないと、人の言葉で教えてもらわなくちゃいけなくなるからって」
「ぼく、しっかりおぼえてるよ、おとうちゃん」
「そうか、それなら人生が豊かになるぞ」
 菅野が、
「やあ、神無月さんは大人の言葉で子供に話すから、子供のほうはたいへんだ」
「雰囲気が伝わればいいんです。雰囲気を憶えていてくれれば……」
 睦子が、
「いちばん大切なことですね。実体験は言葉でデフォルメされて多少姿を変えてしまうけれど、雰囲気はぜったい変形しない。感覚の記憶ですから」
「ムッちゃんも難しいや」
 笈瀬本通商店街を走っているとき、仙石すしと須佐之男社に挟まれた道のあたりで、オルガンの音が聞こえてきた。
「菅野さん、ちょっと停まって。オルガンが……」
 オルガンの聞こえる細道へ曲がって車を停めると、小さな教会があった。玄関の戸も建物の窓も締まっているが、唄いだしたばかりの澄明な讃美歌がくっきりと響いてきた。車のウィンドーを開けて耳を傾けた。

  いつくしみ深き 友なるイエスは
  罪 とが うれいを 取り去りたもう

 城内幼稚園で何度か唄った讃美歌三百十二番だったことを鮮やかに思い出した。これまで一度も思い出したことがなかった。いちどきに涙が流れ出した。睦子が、
「星の界(よ)……」
「讃美歌三百十二番、いつくしみ深き」
 私は建物の内の声といっしょに歌いだした。

  心の嘆きを 包まず述べて
  などかは下ろさぬ 負える重荷を 

 菅野が、ウッと嗚咽した。
 
  いつくしみ深き 友なるイエスは
  われらの弱きを 知りて憐れむ
  悩み 悲しみに 沈めるときも
  祈りに応えて 慰めたまわん

 千佳子と睦子が直人をしっかり抱き締めてすすり泣いた。
「おねえちゃん……」
 と直人がか細い声を上げた。私は涙を押し留めることができない。

  いつくしみ深き 友なるイエスは
  変わらぬ愛もて 導きたもう
  世の友 われらを捨て去るときも
  祈りに応えて いたわりたまわん


「おとうちゃんのこえ、きれい」
 直人も涙を流していた。
「直ちゃんはすてきな子ねェ」
 睦子はさらに強く直人を抱いた。教会の中の音楽がやんだ。菅野がハンカチで涙を拭き終え、洟をすすり、
「ああ、すばらしかった! 胸がえぐられました。神無月さんはとつぜんですから、まいってしまいますよ。さあ帰りましょう」 
 笈瀬通の電停を左折し、すぐ右折して竹橋町へ曲がりこむ。完成したアヤメの外観を車の窓から見る。壁の細かい部分に大工たちがせっせと手を入れている。二階家の建物全体は豪農の屋敷のように大きく、一階全面ガラス張りの明るいたたずまいだった。庭仕立てをした緑の中を貫く敷石に導かれる入口は、二枚の大ぶりな民家ふうの引き戸だった。開放的な感じがした。庭の片端は二十台ほど停車できる駐車スペースになっていた。
「八月七日木曜日、朝七時開店です。中日球場の巨人三連戦の最終日です」
「早起きして、一番客でいく」
「ランニングの前にいっしょにいきましょう」
「カウンターの惣菜以外に食いたいものがあったら注文だね」
 十二時からの中番のチーフをまかされている優子が、
「はい。麺類やスパゲティ、ドンブリものですね」
「料理人とか従業員は揃ったの?」
「はい、はじめの予定どおり。人手はじゅうぶんです。食材調達も、へたな小売業者が入りこまないように、松葉会さんにあいだに立ってもらって、枇杷島市場とか柳橋の食品センターなどから直接入れることになりました。ついでに北村席と、寮二棟にも入れてもらえます。八月から、アイリスは土日が休日になります。アヤメは市場が休日になる日曜を休みにします」
「ちょっとした企業だね。いつ、野球をやめてもいいな」
「はい。……やめてほしくないですけど」
 車内に和やかな笑いが満ちた。
 厨房が夕食間近の賑やかさになっている。トモヨさんの上機嫌な声が聞こえる。幣原とソテツがケラケラ笑っている。試験期間中の千佳子と睦子はすぐに部屋に引っこんだ。直人は座敷へ飛んでいった。おとうちゃんのうた、おとうちゃんのうた、と宣伝し回っている。式台に腰を下ろし、ニューオータニから届いたグローブとスパイクの手入れをする。
 先日、カズちゃんの書棚に岩波の『ギリシャ・ローマ神話事典』を見つけ、天馬の項を読んだ。
 ―オリンポスの鍛冶神ヴァルカンは、天馬の足に青銅の蹄鉄を打った。天馬は神々の戦車を牽いて天空や地上を疾駆した。
 もし私が天馬で、このスパイクが天馬の蹄鉄だとすると、戦車に乗った神々は水原監督とドラゴンズチームになるわけだ。
 バットの表面のささくれと、三和土に打ちつけたときの音を確認する。すべて異常なし。菅野が、
「オールスターの賞状と、記念トロフィー、楯が球団から送られてきましたので、新築中のファインホースの事務所のほうに陳列しておきました。陳列棚は建具屋を呼んで、十帖の板の間のぐるりに造らせました。これからどんどん増えますから」
 主人が、
「壁には、額に入れた写真を本宅から移して飾っときましたよ」
「ありがとうございます。照れくさいですね」
「何が照れくさいもんですか」
 菅野が、
「いらなくなったバットも飾っておきました。驚いたのは、川崎球場の時計に当てたのに、何の賞金も景品も出なかったことですよ」
「川崎球場は貧乏だからね。仕方ない」
 主人が、
「ああ、あれね、セイコーから最高級防水腕時計が送られてきた。三十万ぐらいするやつや。忘れとった」
「お父さん、使ってください。ぼくは時計なんかしたことがありませんから」
「ワシはスイス製のええ時計をしとります。いりません」
「じゃ、菅野さん、どうぞ。ふだんの直人の送迎のお礼です。断らないでね」
「あ、はい。家宝にして、将来息子に譲ろうかな」
「そうしてください。ちょっとミズノのグローブを持って、牧野公園へいきましょう。もう一度キャッチングの具合を確かめてみたい」
「はい、お付き合いします。軽く投げてくださいよ。硬球ですから」
「もちろん」
 座敷で走り回っている直人を置いて、菅野と牧野公園へ出かける。日中の暑さが和らぎ、涼しい風が吹いている。
「ぼくの胸を狙って、ふつうに投げてください」
 菅野に私のこれまで使ってきたグローブを持たせ、私はミズノのグローブを持つ。まったく同じ形と素材のグローブをおたがいにはめ、キャッチボールを始める。網の先や、土手の近くや、捕球スポットなどで受けてみる。やっぱりいいグローブだ。いま使っているカズちゃんのグローブとほとんど変わらない。開け閉じの硬さだけが気にかかるが、使っているうちにほぐれるだろう。五十球ほど往復して、終了。
「ありがとう。いいグローブでした」
「神無月さんのグローブ、ボールが吸いつきますね。驚いた」
「もう一度ミズノを中日球場で使ってみます。守備練習が楽しみだ」
 カズちゃんたちが帰ってきたばかりだった。居間に脱ぎ散らかしてあったお仕着せをソテツとイネが拾い集め、洗濯籠に入れて運んでいった。女将が、
「女くさい。早くお風呂いきなさい」
「はい、はい。夏は仕方ないわよ。あ、キョウちゃん、お帰りなさい。お風呂入ってくるね」 
 シュミーズ姿で素子たちと風呂に向かう。私たちもいっしょに、と言って千佳子と睦子が降りてきた。私は睦子に、
「今夜帰るの」
「はい、夕食をいただいてから帰ります。千佳ちゃんと共通科目は、あさってからありませんから。きょうはありがとうございました。うれしかった。来月三日に試験が終わったら、また遊びにきます」
 千佳子が、
「三日はトモヨさんが日赤に入院よ。夕方にいっしょにお見舞にいきましょ。四日に神無月くんが広島から帰ってくるから、次の日も一日ここでゆっくりしてってね」
「うん。千佳ちゃんと素子さんが中津川へ教習にいってくるのは、十日から二十四日まででしょ。十日と十五日の直ちゃんの誕生祝いは無理ね」
「うん、九日に中津川に出発しちゃうから。私たちの代わりにお祝いしてあげて」
「二週間の特訓か。がんばってきてね」
「モチのロン。車が届いちゃってるんだもの、がんばらないわけにいかないわ」
 二人で風呂へいった。
 賄いたちが食卓を整えていく。ビーフカツレツ、トマトスパゲティ、ピーマン肉詰め、筑前煮、キンピラゴボウ、チクワのカレー風味炒め、ゴマ油を垂らした塩そうめん、明太子、胡椒をたっぷり効かしたモヤシ炒め、クリームシチュー、アサリの味噌汁、きのこの炊きこみごはん。トモヨさんが女将に、
「ほんとにかわいらしい子たちね。大らかで、やさしくて」
「頭もええし、美人やし、言うことなしやわ」
 主人が、
「神無月さんは頓着なしやけどな」
「や、美しさにはこだわってますよ。心の美しさと顔のそれは比例します。心のない赤ちゃんの顔には、美が定着してません。直人の顔が美しくなったのは、一歳ごろに心が芽生えてからでしょう。自分の心に自信があるときは、顔にも自信が滲み出ます。それが美しさです。カズちゃんもトモヨさんも幼いころから美しかったのは、心に自信があったからです。芸能人は美しい人がなるとは言いますが、どう見ても美しくないのは、心に自信がないからでしょう。ホリの深さか何だか知らないけど、デコボコして、まるで粘土の細工物です」
 アハハハと主人が笑った。菅野が、私と主人のコップにビールをつぐ。主人は菅野についだ。別テーブルの女たちもつぎ合った。主人が、
「芸能界の美男美女も、神無月さんにかかったら形なしや。たしかに、鼻が高くて目が引っこんどるだけで、味がないわな。和子もトモヨも、千佳ちゃんもムッちゃんも、デコボコしとらんのに極めつきの美人やし、味がある。なるほどね、自分の心に対する自信か」




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