五十二

 ロッカールームで水原監督が、
「不気味な阪神を叩くことができて弾みがつきました。これでドラゴンズは勢いに乗ったまま優勝するでしょう。きょう巨人が大洋戦に二連勝して四十五勝目を挙げた。三十二敗。うちは七十勝だ。残り四十六試合。巨人は残り四十九試合」
 太田コーチが、
「二十三ゲーム差です」
「十四・五ゲーム差をひっくり返した西鉄の例もあります。二十連敗でもしたりしたら尻に火が点きますよ。あり得ないとは思いますがね。まだまだ気は抜けない。しかし、確実に近づいてきた。一日ゆっくり休んで、東京で優勝前哨戦です。五連勝するよ」
「オー!」
「ウィース!」
 帰りのセドリックで菅野と二人、優勝パレードの話になる。
「二十九年の天知さんのときは、十一月に一時車輌通行止めでパレードをやりました。日本シリーズで西鉄を破って日本一になったときです。十五年前か……。笹島の人混みに揉まれながら眺めました。名駅を出発して、楽隊を先頭に、広小路通を五、六台のオープンカーを連ねて進んでいきましたね。栄のテレビ塔までいくという話でしたが、私は笹島までであきらめた。神宮初詣や熱田祭りなんかメでない人出で、自動車も市電もほとんど進めなかったですよ。花電車が二台列ねてのろのろ走って、それぞれに二十人も選手や関係者が乗ってたなあ」
「今年のパレードの車はどういう順番になるんでしょうね」
「あのときと同じなら、先頭車が小山オーナー、村迫球団代表、球団常務、二号車に水原監督と宇野ヘッドコーチ以下一軍コーチ陣、三号車に神無月さん、江藤さん、中さん、高木さん、木俣さん、後続車は、投手、野手の順になります。そのあとは控え選手、それから部長係長までの細かいフロント、マネージャー、トレーナーなどが乗るでしょう。今年は花電車なしで、オープンカー二十台くらいで行進するはずです。CBCテレビの中継スタジオには板東さんが入るという話です」
「すごい情報だなあ」
「このあいだ下通さんを送っていったときに聞きました。彼女は広報ですから、そういうことには詳しいです」
「入団初年度で優勝なんて、ツキすぎだ」
「神無月さんのお手柄ですよ」
「一人じゃ無理です。打てない試合もだいぶありましたから。ここ六試合でホームラン二本ですよ。さあ一日休んで、川崎の大洋戦だ」
「大瀬子橋から電話があったようですよ。優勝がんばってくださいって」
「……あしたはランニングのあとで朝めし食ったら、雅江のところにいってきます。しばらく逢えなくなりますから」
「やっぱりいきますか」
「めしだけ食ってきます」
「どうしてもやさしい気持ちになってしまうんですね。夜、迎えにいきます」
「お願いします。九時ごろ」
 気の進まないことでも相手の喜びになることなら、気力を振り絞って実行しなければならない。そのときかならず、自分も喜ぼうとすること。そして喜びの姿を十全に相手に示すこと。でなければ、相手が罪の意識を感じて自信を失ってしまう。
         †
 八月十八日月曜日。七時、自分の寝室で起床。快晴。二十五・三度。ジムで二十分の鍛錬のあと、菅野と日赤までランニング。きのうより少し気温の昇り方がゆるやかだ。則武に戻って、ふつうの軟便、シャワー、朝めし。
「アイリスの開店、何時から?」
「九時。あと三十分。きょうから新装開店。遠征から帰ったらコーヒー飲みにきてね」
「うん」
「やっぱり雅江さんのところにいってくるの? キョウちゃん、ほんとは面倒なんじゃないの?」
「もともと面倒くさがりの気質だからね。でも女に逢うことでその気質の矯正になる。全力を尽くすよ。ニューオータニへの荷物の手配はすんでるよね」
 メイ子が、
「だいじょうぶです。きのうの昼、ソテツちゃんが送ってました」
 三人いっしょに出る。百メートルほど先に、アイリスの前に行列ができているのが望見できる。カズちゃんとメイ子は三叉路から裏手に回った。
「商売繁盛、がんばってね」
「がんばる。じゃね」
 駅に出て、名鉄に乗る。名鉄熱田神宮前で降りる。九時二十分。市電が停車している。ロータリーの公衆電話に入る。雅江の家に電話する。母親が出た。
「神無月さん! おひさしぶり」
「とつぜんですが、きょうの五時にそちらへまいります。なかなか時間が取れなくて……」
 とっさにそう言ったのは、ふと旗屋で映画でも観てから船方に寄っていこうと思ったからだった。
「お忙しい中、ありがとうございます。じゃ、お泊りになれませんね」
「はい。あしたの午後から東京で試合がありますので」
「たいへん! 強行軍ですね。ご迷惑でしょう」
「いいえ。九時に車を迎えにこさせます」
「いけません。今度もっとゆっくりなされるときに」
「じゃ、食事だけいただいたら帰ります」
「そうですか? わかりました。ご希望のお料理は?」
「何でも。ふだんの夕食になさってください」
「承知しました。雅江も主人も喜びます。それでは五時にお待ちしてます」
 神宮の杜を左に見ながら、御陵の坂を上り、神宮西の交差点から幡屋町のほうへ曲がっていく。あった、旗屋シネマ。二番館、洋画三本立て。ジュリアーノ・ジェンマの『怒りの荒野』、ほかセックス物二本。ジェンマだけを観ようと思ったが、それは終わったばかりで、エロ映画の一本目にかかったところだったので、ジェンマの二度目の上映開始まで二時間ほど宮中の近辺を回ってみることにした。
 宮中のほうへ下っていく。町並がここしばらくのあいだに変わっている。建物の背が伸びて(と言ってもせいぜい三階建てだが)隙なく並んでいる。
「神無月くん?」
 真横の建物から声をかけられた。表通りに面した三軒長屋の一つのドアが開いていて、見覚えのあるおかっぱの瓜実顔が私を見つめていた。いつか菅野とジョギング中に同朋大学のそばで出会った鬼頭という女だ。あのとき、あとで悦子という名前を思い出した。立ち止まったまま黙っていると、
「神無月くんでしょう?」
「うん。いつか遇ったね。同朋大だったっけ」
「そう。何度もめずらしいとこで遇うね」
 式台に奇妙な格好で横坐りになっている。塀も玄関もなく、歩道から少し奥まったところのドアが開いているだけで、沓脱ぎの奥がすべて見通せる。つまり、道路に面してドアがあるだけの一戸建てだ。
「ほんとに奇遇だね。きょうは大学の授業はないの?」
 私は胸から眼鏡を取り出してかけた。あらためて見ると、二重まぶたのクッキリした美形だ。皮膚が美しい。宮中には鬼頭がもう二人いた。一人は鬼頭倫子、もう一人は小さな男子生徒で、魚のひれみたいな両手が突き出したサリドマイド児だった。
「あのときはあんまりしゃべれんかったね。千年で同じクラスだったでしょう? 宮中のときはぜんぶちがっとったけど」
 同じことを言っている。何も思い出がない証拠だ。
「じゃ、ぼく用事があるから」
 私は先へ歩きだした。鬼頭はサンダルを突っかけて沓脱ぎから出てきて、私と並んで歩きはじめる。
「きょうはどうしたん、超有名人がこんなところ歩いとって、人目についたらヤバいんやない。野球忙しいんやないの」
「中休み。あしたから東京。ひさしぶりに宮中が見たくなってね」
「用事ってそれ? じゃ、いっしょにいこまい」
 渋々宮中の裏門まで歩く。バラック校舎と平屋の木造校舎が図体のでかい鉄筋二階建てに替わり、校庭に張り出している。理科室と音楽室の小さい鉄筋校舎だけがむかしのままだ。鉄門を押すと開いたので、校庭に入りこむ。花壇の空間が削れて均されていた。ライトの鉄筋校舎まで七十メートルくらいしかない。数本の桜の古木の下にベンチが設えられている。下の校庭の二つの木造校舎は鉄筋三階建てに変わり、宙に架け渡された屋根つきのコンクリートの渡り廊下でつながっていた。
「グランドが狭くなった」
「野球部、弱くなっちゃったから。神無月くんのときが全盛時代。中三のとき、急にいなくなったでしょう。どうして? 少しは聞いてるけど」
「じゃ、そういうことだよ。……これは宮中じゃないな。もう見にこないだろう」
 戻りはじめる。三塁側の鉄筋校舎からトレパン姿の男が出てきた。
「お、びっくりした! 神無月じゃないか」
 私は眼鏡を押し上げた。彼も眼鏡を押し上げた。和田先生だった。
「和田先生! おひさしぶりです。なつかしくて、うろつかせてもらいました」
「そうか、阪神三連戦が終わって、中休みなんだね。いやあ、立派になった。いまや日本一の野球選手だものなあ。久住先生がおっしゃってたとおりだった。あいつはかならず偉人になるとね。宮中の誇りなのに、私たちはきみの名前を出して威張れない後ろめたいところがある。きみの人生の転機に、寄ってたかって放り出してしまったからね。宮中の名誉として顕彰碑なんか建てる権利がないよ。そっちは鬼頭か?」
「はい、偶然そこで遇って、いっしょに宮中を見にきました。夏休みなのに、先生はお仕事ですか」
「当直だよ。校舎見回りと、電話番。下の校舎にいってみるか? むかしとは別物だけど」
 下の校庭に降り、地上の渡り廊下から上がって二階へ昇る。新しい塗料のにおいのする廊下を和田の背中について端の教室までいく。あの最後の半年をすごした教室だった。三の四という板がぶら下がっている。教室の中には、緑鮮やかな黒板の前に新品の机が並んでいた。明るい午後の陽が、南に向いた窓いっぱいにあふれている。陽の暖かさは変わらないのに、その容れものは変わっていた。黒板も教壇も、机も椅子も壁も、整然としすぎている。教室の喧騒が聞こえてこない。
「寺田康男やぼくのような生徒はいないんでしょうね」
「……いない。さびしいもんだ。あれから五年か。それっぽっちの歳月なのに、神無月を見てると二十年も経ったような気がするよ」
「浅野先生には高一の夏にお会いしました。ほかの先生では、和田先生が初めてです」
「みんな異動していった。きみが活躍すればするほど、彼らもさびしい思いをしてるだろう。うちの生徒だったと声を大にして言えないんだからね。天才を庇うというのはたいへんな仕事なんだよ。みんな反省をこめて痛感してるはずだ。ところで、寺田はどうしてる」
「松葉会でがんばってます」
「そうか。それぞれの道をしっかり進んだわけだ」
「先生は?」
「相変わらずヒラの教諭だ。飽きもせず因数分解を教えてるよ」
「デブシどうしてます?」
「中村か。そう言えば、あいつ惟信高校で野球やってたな。県大会のベスト三十にも入れない高校だが。……そのあとのことはわからない。高校出て就職したんじゃないかな」
 時間は残酷だ。あふれていた希望が五年前の校庭に封印されている。廊下を戻り、広い階段を下りて校庭に出る。
「ふだんの日にきたら大騒ぎになるところだったぞ。神無月郷が宮中を訪ねたなんてだれにも触れ歩けないから、残念だけど私だけの胸にしまっておくよ。優勝パレードはかならず見にいく。……くれぐれもからだに気をつけてがんばるんだよ」
「はい、ありがとうございます」
 握手をし、深く頭を下げてから、上の校庭への石段を昇る。
 旗屋へ向かうには早すぎる。鬼頭がひょこひょこ横を歩く。昼めしを食わせて別れようと決めた。
「きみはいま、どうしてるの?」
「相変わらずバイオリンやっとる。二年生。……きょうはの予定は?」
 下心が透ける。
「きみは?」
「月曜は授業のない日。両親は勤めに出てる。……うちにくる?」
 好色そうな表情に一変する。
「いかない。予定があるから。……きみは音楽家になるつもり?」
「音楽の先生かな。すごい人ばかりやから、ステージにも立てん。神無月くんみたいになれる人は百万人に一人。それ以上かも。このあいだ神宮前で御手洗くんに遇ったら、神無月は世界一やって言っとった」 
「御手洗か。勉強のできる男だったな。もちろん大学にいったんだろ?」
「うん、愛教大」


         五十三

 白井文具店から本遠寺に向かって立派な信号ができていた。市電道を渡らずに白鳥橋のほうへ歩く。まだ鬼頭がついてくる。
「昼にはちょっと早いけど、めし食おうか」
「わあ、うれしい!」
 眼鏡を押し上げる。松葉会を大通りの向こうに眺め、ヤスコたちと一度きたカニめし屋のドアを押す。時分どきでごったがえしていた。レジの壁に私のサインが貼ってある。会計の女は私に気づかないようだ。鬼頭がサインに気づいて手で口を覆った。窓ぎわの小上がりに空いている席があったので、向かい合って坐る。
「神戸町の友人に会う約束をしてる。昼めしでお別れだ」
「うん。これ以上は迷惑かけん」
 カニまぶしめしを二つ注文する。
「案外気づかれんもんやね」
「人はあまり他人のことに注意してないから」
「松葉会のほう見とったね。寄るん?」
「まさか。寺田康男が世話になっているところだから、心の中で感謝するのが礼儀だ」
「よくわからん気持ちやね。寺田くん、東京にいったみたいやが」
「情報が古いな。もう戻ってきてるよ」
「神無月くんは暴力団と付き合っとるん?」
「プロ野球選手は暴力団と付き合ったらクビだ」
「だよね。……神戸町って、雅江ちゃん?」
 雅江の居所は知っているはずなのに、とぼけて訊く。
「いや、孫ちゃん。いっしょに切手を集めた仲。彼に会ったあと、雅江のところにいく」
「私、千年小学校で、雅江ちゃんとソフトやっとったんよ」
「え! あの中にいたの」
「うん、宮中では同じテニス部。よう神無月くんの話聞かされたわ。神無月くんのお嫁さんになりたいって。寺田くんと神無月くんが親友だって話も、クラブの帰りによう聞かされた。ええ話やった。それから、ときどきスーパーにいくとき、松葉会の家を気にするようになったんよ。中学出てから、雅江ちゃんとは一度、熱田高校の廊下で会ったきり。クラスもちがっとったし、なんだか近づきがたい雰囲気になってまって」
 法子ほどの親友ではないようだ。カニまぶしめしが出てきた。品出しの店員も私に気づかない。鬼頭はすぐ箸を割って食いはじめる。私はゆっくり箸を動かした。
「こんなに長くついてきたのは、ぼくに話したいことがあったからじゃないの。思い出とか、だれかの消息とか」
「別にあれせん。とつぜん遇って、ただ、なつかしいなって。……私も、神無月くんにあこがれとったから。どういう人か、話をしてみたかった。ラッキーやったわ。日本一有名な人とお話できて」 
「日本一、日本一か。評判というのは個人の本質じゃない。人が塗りつけた箔だ。箔と話をしたって味気がない。そんなものと付き合いたがる女は多いけどね。話は相手の本質を気に入ってしなくちゃ。ぼくの本質は中学時代と同じヤサグレだよ。ふつうに会話できる相手じゃない」
 鬼頭が沈黙した。うつむいたまま、箸を動かしている。私は食い終えて箸を置いた。麦茶をすする。
「格好つけとるんでしょ? わかっとる」
「……そうだね。格好つけてるんだ。野球で忙しくて、よそごとに手が回らない」
 鬼頭は食い終わり、光のない目で私を見つめた。徹底して冷めた気持ちが湧いてきた。
「ぼくにあこがれてたって? 千年や宮中のときもそんなソブリはなかったな。あこがれてる人間は、思いを隠しながら遠くから眺めてるものだ。そして心が熟してから打ち明けるものだ。ぼくは偶然通りかかっただけじゃないか。あこがれるもへったくれもない」
 しゃべりながら鬼頭という女が哀れになってきた。
「じゃ、また会えることがあったら、めしぐらいおごるよ」
 金を払い通りへ出る。白井文具店の前の信号で別れた。
「さよなら」
 手は振らなかった。
「……さよなら。応援しとるよ」
 神戸町に向かわずに、信号を渡って松葉会の屋敷の前に近づく。門を斜に眺める。玄関先の竹林の一画に、いつものように若衆が立っている。礼儀正しい人たち。光夫さんとワカに会いたくなった。しかし引き返して、もう一度信号を渡って堀川端を歩き、宮中の裏通りの坂を昇る。巨大な白鳥山法持寺。広大な敷地。どこまでいってもこの寺だ。ようやく旗屋の通りに出る。
 旗屋シネマの切符を買って入る。荒田さんと『殺人鬼登場』を観にきた映画館。暗闇の中でまだ二本目のエロ映画が上映中だった。どぎついのではなく、下品。何を見せたいのか疑問になる。観つづけるのが苦痛だったので、ドアを出てソファベンチに座った。怒りの荒野は一時十分から三時五分までの上映だ。しばらくうたた寝。
 一時間ほど首を折って眠った。オッと目覚め、痛む首をさすりながら場内に戻る。どぎつい色彩のタイトル。イタリア語なので読めない。小さな町の娼婦の子で厩(うまや)の掃除人スコットの出世物語。ふらりと町にやってきた凄腕の拳銃使いタルビーに手ほどきを受け、いっぱしのガンマンになる。お先真っ暗な未来を抱えた少年の前に、救世主が現れるという王道。師が哲学的なハードボイルド男(聖人君子ではない)、弟が純情型の反骨男という構図も王道だ。師弟関係の揺れ具合に飽きがこない。人間的な軋轢が高じて最後に決闘になるのは見えていたが、できればハッピーエンドで終わってほしかった。訣別に不満はないが、殺し合う必要はなかった。
 映画館をあとにする。いい時間潰しになったと思いながら裏道を引き返し、白井文具店を過ぎ、白鳥橋の歩道を渡る。ようやく下腹に燠(おき)が萌した。安心する。これが萌さなければ、どこか喫茶店で時間潰しをして雅江の家に向かうしかなかった。アッと気づいた。ヤスコと小夜子はとっくに買出しに出かけている。
 ―いちおう訪ねてみよう。
 市電がゆらゆら通り過ぎる。雅江一家が働いている愛知時計の塀を左に見て歩く。船方のだだっ広い交差点を右折。二筋目の細道を左折。到着。三時半。玄関ブザーを押す。応答がない。なぜか心の底から安堵した。喫茶店か。ファンにまとわりつかれそうだ。
 舗道にたたずみ、通り過ぎる市電を眺める。熱田高校の生垣に沿って歩きだす。五年間歩き慣れた道。五年前に歩かなくなった道。民家に変わった岩間医院を見やりながら、あてもなく南一番町の交差点を直進する。文字どおり角地にある『かどや』パン。むかしからずっとそこにあったと憶えているだけの店や、戸の閉まりっぱなしの事務所や、人の出入りする気配のない不動産屋などを見やりながら歩く。
 新幹線の高架をくぐり、左折する。変わらない家並。土方(ひじかた)という坊主頭の男の子と、手作りの弓矢で遊んだことを思い出す。畑の外囲いから抜いた細竹にタコ紐で釘の鏃(やじり)をくくりつけた矢を、彼の家の正面の畑に向かって距離を競いながら射った。土に刺さる角度に胸躍った。それだけの遊びだ。土方くんの顔は思い出せない。
 むかし歩いた道をたどると、野球だけではなかった生活の光景が甦ってくる。ジグソーパズルを埋めるピースのような思い出は、どんな人間にもたっぷりある。自叙伝に書きつけるような主立った思い出から外されたカケラだ。しかし、そういう思い出は幼いころにしかない。そんなことをする時間がいつあったのかと訝しい。
 不思議によく夢に出てくる光景がある。竹スキーをゴム長の裏に叩きつけてする雪合戦。農道の傍らで婆さんが着物の裾をまくった裸の尻を高く上げてしていた立小便。チッコの先から覗いた透明な海の深さ。土とコンクリートに二分されていた宮谷小学校の校庭。いつも夢に見る宮谷小学校の裏門―青木小学校の帰り道、三ツ沢の坂の途中から曲がりこんでたどり着いた門だ。あの門で私は毎日校庭をみつめながら、五分ぐらいじっと佇んでいた。校庭に人けはなかった。小学二年生のころで、貸本に目覚める前だった。ドブ水をかけられる前だった。このうえない喜びを与えてくれた貸本と、このうえない苦しみを与えたドブ水が、あの門の記憶につながる。
 このまま真っすぐいけば西松の飯場だ。この道を通って守随くんの家にかよった。新聞店に朝早くいったのもこの道だった。右折。深夜にエロ本を漁った貸本屋はなく、つるりとした駐車場になっている。
 千年小学校の塀沿いに左折。何度訪れても胸が締めつけられる。正門。眼鏡をかけ、プレートの名古屋市立千年小学校という文字を読む。職員室のあった木造校舎は見当たらない。木立のあいだから三棟の鉄筋コンクリートの建物が見える。トコロテンと月刊雑誌の駄菓子屋は、あたりでいちばん古びた民家に変わっている。フランダースの犬。
 右折して裏門。転校した日に母と通り抜けた門だ。バックネットが少し大振りになっている。ライトの校舎前の掲示板を遠く眺める。あの脇に私の名を記した碑が立っているはずだ。夏休みの校庭はガランとしている。マット運動をする子供たちの姿はない。木造の三階校舎はなく、二階建ての鉄筋校舎がでんと建っている。幼いスラッガーの打球を弾ませた傾斜のある屋根は、四角い石のかたまりになって水平な直線を曝している。
 振り返ると、千年公園。遊具が増え、中央に滑り台を備えた砂場が穿たれている。狭くて趣がない。もうここで少年たちはゴムボールと棒切れの野球をできない。右翼のスレート倉庫はそのままだ。
 公園に沿って歩き、浄水場に向かう。右折し、鳥居と社と立木だけの神社を通り過ぎ、キンタマ兄弟の森まで歩く。兄弟の家は殺風景な倉庫に変わっている。戻る。千回も歩いた平畑の道。この家、あの家、ほとんどの家の構えを覚えていない。なぜだろう。子供は家並など見て歩かない。門も庭も瓦も見ない。何を見て歩くのだろう。アスファルト道の表面でも上空でもない。たぶん、幼い頭蓋の中だ。
 あのころ考えていたことは? 野球。それしかなかった。
 駐車場と自販機、二階建ての民家、アパート、マンション、高架、堀酒店。西松建設の事務所と勉強小屋の跡地に、レンガ造りの三階建ての民家が建っている。告げ口屋ホンベヨウコの駄菓子屋は空地に変わっている。
 勉強小屋の通りを新幹線の橋脚に沿って見やる。向かいの下駄屋も、勉強小屋に隣接する草地の資材置き場も消え、下駄屋だった場所にしゃれた民家、草地だった場所には倉庫が建っている。康男と私にシロが飛びついてきた千年二丁目のバス停と、母の御用達だった八百屋は残っている。たしか猪狩か猪飼という名の駄菓子屋は瀟洒なタイル造りの二階家に変わっている。臨時に移転して暮らした飯場は駐車場に、クマさんがよく連れていってくれた喫茶店はクリーニング屋に変わっていた。
 ―たった五、六年で?
 畳屋もガラス屋も消えている。二階建て、三階建て、四階建てのコンクリートの住居に木造の平屋が雑じる。嫌悪感すら覚える中途半端な拵(こしら)えの町並を歩く。親切な鉛筆削り女の錦律子の家へ回る。錦ではなく毛利と表札を埋めこんだ豪壮な住宅になっている。暴れん坊カッちゃんが跳梁していためんこ広場は、どんぐりひろばというかわいらしい名前のただの空地になり、砂場と鉄棒が空しく置き去りにされている。その隣には駐車場を備えた三階建てマンションがそびえていた。
 曇り空だったことに気づく。大瀬子橋に向かって歩く。街路樹は切れ目なく連なっているけれども、夏なのになぜかすべて枯れている。小路の多さに驚く。ポツンと居酒屋があり、民家を数軒隔てたタコ焼屋の幟がはためく。吹く風に秋の気配がある。左手の小路を見やると、熱田高校の鉄筋校舎が重なり合って見えた。
 大瀬子橋へつづくカーブの勾配を昇る。中学一年、野球部の帰り、この坂のふもとの辻で、市電通りに向かってペタペタ地面を叩くように歩く鬼頭倫子の後ろ姿を見かけたことがある。どこへ向かうとも知れないゆっくりした歩き方を哀しく感じた。紺に白襟のだぶついたセーラー服も哀しかった。中村高校の近所で遇ったときの彼女とは別人のように萎れていた。あの背中を思い出すたびに、女は哀しい生きものだという思いが深くなる。
 加藤雅江の家の大楠が見えてきた。約束の五時までまだ四十分ある。小庭の奥の玄関戸を横目に通り過ぎ、大瀬子橋を渡る。堀川がかすかににおう。濃い灰色の雲が白い空に浮かんでいる。五年前の夏の夜、この空に大輪の花が咲いた。地上に母と節子がいた。
 この板木を敷いた歩道で、憂鬱そうに揺れる杉山啓子のスカートを何度か眺めたのはいつのことだったろう。一度も声をかけなかったことが悔やまれる。声をかければ、満面の笑顔で振り向いただろう。……死ぬとは思わなかった。彼女の左頬に一センチほどの目立たない傷跡があったのをふと思い出した。私の鼻の脇の傷跡とよく似ていた。
 橋を渡り切ったふもとの秋葉神社の向かいに木田ッサーの家があったはずだが、三角屋根の新築家屋に変わっていた。表札は木田ではなかった。野球のへたな木田ッサーも死んでしまった。死者を思うとき、生きていることの幸運に胸をえぐられる。
 内田橋へ向かって歩く。石田孫一郎の家。七里の渡し。宮の渡し公園。町並が整い、急に緑が多くなる。もうくるのはやめようと何度思ったことだろう。しかし、どうしてもここにきてしまう。この景色をあの世まで持っていく。
 内田橋の信号を渡る。橋を渡って左折する。商店街が始まる角に書店がある。ここで荒田さんに漫画を買ってもらった。いや、中学一年生の参考書だったかもしれない。表通りには商店がぎっしり並んでいるが、一歩裏手に入ると、堀川沿いのアスファルト道までの空間を背の高い住宅がまばらに埋めている。
 しばらく商店街を進む。通りを挟んで向かい側に水族館の建設予定地を見つけた。細い鉄棒がコンクリートの基盤からヒゲのように生え、太い鉄骨が何本か空に突き立っている。完成した酔族館の姿を想像する。左隣は駐車場、右隣は道を隔てて銀行という立地だ。商店街に面しているのは、食材やもろもろの備品を整えるのに便利だろう。このあたりのミカジメの管轄が松葉会なのも心強い。
 引き返し、七里公園の緑の中へ戻っていく。川に背を向けたベンチに腰を下ろし、孫一郎の家の玄関を眺める。郷愁のようなものが胸を浸す。いっしょに切手を買いにいっただけの男をなつかしがる自分の心理が思いやられる。同じ時代の空気を吸ったやつなど掃いて捨てるほどいる。自転車の荷台の座布団に大事そうに切手帳を括りつけて訪ねてきたから? いっしょにいった切手屋が、たまたま牛巻坂のふもとにあったから? たぶんそうだ。しかしそんなことで、人は人をなつかしがるものだろうか。
 すでにからだに訴えてくる感覚の限界がきているのかもしれない。好みの天然と、好みの人工物は、行き当たりばったりにかなり見た。好みの職業を一つ十全に経験した。好みの人びとを十全に愛した。それらの反復に未練はない。学問、政治―嫌いなものにはハナから関心を持たなかった。
 この充足に抜けはあるか? ない。充足を継続させる是非は? おそらく非だろう。残された年月を、丁寧に選別した好ましいものや、好ましい人間のすべてに捧げ、身動きできないほど極限まで疲労して、斃(たお)れ死ねばいい。疲労と死を願うこの決意はだれにも語らない。カズちゃんにも、山口にも、水原監督にも、江藤にも。
 サーンという耳鳴りが激しい。
 楠木の下で待つ雅江の笑顔に向かって、私は勢いよく立ち上がった。


         五十四

 雅江の父親とビールを飲んだ。私に酒を飲む習慣はない。則武の冷蔵庫にもビールは入っていない。うまいと感じないし、飲むと、世に言う適量でも悪酔いすることが多いからだ。英夫兄さんとサイドさんの晩酌の習慣をいまなお薄気味悪く感じる。
 野辺地のじっちゃは極端な下戸だ。若いころ、友人が飲み残したビール瓶にもう一度王冠をかぶせて台所の納戸にしまっておき、気抜けさせてしまったという逸話をばっちゃから聞いた。彼の血を引いたのだろう。
 母親と雅江は調理の早いすき焼きにした。私の取り鉢は母と娘の手で常に満杯にされた。美味だった。豆腐やシラタキやネギをおかずに、めしを二杯食った。雅江は笑顔を絶やさなかった。私たちのあいだで語られる話題は、いわゆるデキゴトや便利商品やファッションばかりだった。
 父親は、東名高速道路開通、アポロ11号月面着陸、五百円札発行、一等車がグリーン車に二等車が普通車に、クォーツ腕時計発売。母親は、恥ずかしそうに娘の顔を見ながらスキンレスの避妊具、トイレの汚れ落としブルーレット、ビールといっしょに上島の缶コーヒーを冷蔵庫に常備しておくこと。雅江は、超ミニとロングスカート、パンタロン、ブーツ。私は流行語を話題にした。それを言っちゃおしまいよ、断絶の時代、やったぜベイビー、ナンセンス、ワルノリ。さらに父親はベストセラーに言及し、知的生産の技術、水平思考の世界、初歩・自動車工学などを挙げた。ラジオ好きの母親はヒット曲、黒ねこのタンゴ、夜と朝のあいだに、今日でお別れ、などとうれしそうに口にした。雅江は、
「テレビアニメにいいものが多いがや」
 と言い、ムーミン、サザエさん、アタックナンバーワンを挙げた。
「アタックナンバーワンは、ああいう足になろうって励ましてくれたアニメやった」
 父親は、まるで私と娘との房事を勧めるように、コップ二杯のビールしかつがなかった。居心地の悪い気配りだった。
「西日本新聞で、中西太が神無月さんの打撃分析というのをやってるんですよ。いま持ってきます」
 やがて彼は地方紙を持ってきて、
「愛知時計の福岡支社の友人から送ってもらったものです。キワメつきの天才という見出しで、映写機のアイモで高速度撮影したフィルムを分解写真にしたものを十枚の写真にして並べてあります」
「よくある連続写真ですね」
「はい。畏れ多いですが解説させてもらう、と書いてあります」
 父親は記事を読みはじめた。

 ①~③ 獲物を狙う構え。グリップは胸前、近からず遠からず。バットは垂直。体重をわずかに後ろ足に残しながらテークバックをとる。②から③までに素早くヘッドが寝て、バットがボールの軌道に入る。この素早い寝かしを行なうのは球界に神無月一人である。その間、頭の上下動がまったくない。③から前足を上げず摺り足のように踏みこんだ足先が、地面をつかんで着地し、真っすぐ投手を向く。この角度がすばらしい。連動するように起こる独楽に似た爆発的な回転は、分析のかなわない先天的なものなので解説不能である。
 ④回転開始どきのボールを見きわめるための下半身の絞りや開きは自在であり、何ぴともまねができない。異常な高打率はここからきていることだけはわかる。依然としてバットは水平に保たれたままであるのがすごい。
 ⑤と⑥で打ちにいくが、タイミングは常に直球に合わせている。変化球ですかされると、粘り腰でバットを残して腰を高速で回転させ、ヘッドを叩きつける。単に当てにいくことはいっさいない。
 ⑦~⑧ インパクトまでの一瞬、高速度撮影でも捉え難いほど腕と手首が猛烈に速く動く。どの選手も〈目にも留まらない〉と語る一瞬のできごとである。これに腰の強烈な回転が加わって、打球がどこまでも遠く飛んでいく。私の記録など軽く超えてしまうのも当然である。
 ⑨~⑩ 力強いフォロースルー。食いこまれても泳がされても、すべての打席において両手で振り切る。ファールを打つとき以外片手打ちはめったにしない。ストライクゾーンから少々外れたボールも、強く両手で振り切る。それを可能にする粘り腰は、これまた球界に一人である。ヒッティングゾーンの広さは言わずもがなだろう。
 現在千年小学校校長、当時同小学校の野球部監督であった服部保氏に確認したところ、五年生のころからほとんどこのフォームだったというのだから恐ろしい。バットを毎日数百回振りはじめたのは小学校四年からだとも聞き及んだので、中三までの六年間に彼の強靭な腰とバッティングフォームが完成したということになる。高一時代は、試合のときしかバットを振らなかったというのは有名な話である。その後事情があって、高二の夏から東大一年の春までの一年半のあいだ、彼は机に向かいつづけなければならなかった状況にあったため、いっさいバットを振っていない。手首と腰のスタミナが温存され、現在の飛躍に結びついた原因がその休息期間にある。一般のプロ野球選手が経験しなかった休息である。驚くべきは、その一年半のあいだに全身の筋肉の強靭さが失われなかったという事実である。これを要するに、神無月郷はキワメつきの天才であると断じるしかない。
 いまでは数日に一回、百八十本しか振らないとは本人の言である。じゅうぶん信憑性がある。適度の鍛錬で体力が衰えない素質の持ち主であるとすると、この先故障が発生することはまず考えられない。神無月ファンにとってはこの上ない朗報だろう。

 父親は野球の話に終始し、いずれ有給を取って女房といっしょに全国の球場を訪ね、私のプレイを観戦して回ると語った。
「北陸シリーズにもいきますよ」
「何年かにいっぺんですよ。来年は北海道じゃないかな。そう耳に挟んでます」
 雅江が、
「おとうさんの道楽に私は付き合っとるわけにいかんで。おかあさんだってそうやわ」
 女房の顔に心なしか影が差した。雅江の表情は動かなかった。彼女は美しさを増していた。妖精のようだった。胸はキクエに匹敵するほど豊かだった。話題が萎むのを恐れて父親が、
「野球以外のことは考えなくなりましたか? 皿洗いとか、建設労務者とかよく言っとりましたが」
「いつか言ったとおり、土工は候補から消えました。ぼくは持続的な力作業に関しては無能です。野球しかないと思っています」
 母親が、
「来月の十七日から小説の連載開始って、中日新聞が予告宣伝をしてましたよ。雅江の喜ぶこと」
「それが郷さんのほんとうの姿やよ。野球から引退したら、あとは小説家一本でいってほしいわ」
「私は、コーチや監督でいってほしいなあ」
 私の未来のことばかり語る。〈いま〉が物足りないと私が思っていると錯覚するからだろう。私のこれまでの衒いのせいだ。私には〈いま〉の充実こそすべてなのだ。そのことを私はこれから先、口を極めて強調しなければならない。
「野球が楽しいんです。野球をやっているといつも新しい〈いま〉があるので、先のことは考えていません」
「神無月さんらしい言葉ですね。ホットしますよ。今節から菱川選手は背番号4、星野投手は20になりましたが、来年から太田選手は背番号5になるらしいですね」
「はい、菱川さんは、半年間借りてた服部受弘選手の永久欠番10をお返しして、途中退団したフォックス選手の4をもらったんです。太田は来年、たぶん今年で引退する葛城選手の5を引き継ぎます。これで一桁の背番号がぜんぶ揃いました。高木さんが1、一枝さんが2、中さんが3、菱川さんが4、太田が5、伊藤竜彦さんが7、ぼくが8、江藤さんが9。6は日野という控え選手です。いずれほかの有力選手が受け継ぐでしょう」
 父親は身を乗り出し、
「二ケタ台は、木俣捕手23、小川投手13、小野投手18、伊藤久敏投手16、水谷寿伸投手27」
「さすがドラゴンズ通、よく知ってますね。そのほかも憶えてますか」
「徳武選手11、新宅選手19、江藤省三選手28、千原選手43、江島選手37」
「吉沢捕手は?」
「さて、何番だったかな……」
「33です。中日時代の九年間のうち六年間33で三年間は9、近鉄時代七年間も9、今年33に戻りました。三十六歳。今年で引退して二軍コーチになります」
「そうですか……。いいキャッチャーでしたが」
「はい、十六年で千三百五十試合に出場し、ホームランを四十一本打ってます」
「たしか長野の松商学園で、甲子園の常連だったはずですね。昭和三十年代を通して、中日、近鉄と正捕手でした。今年相川というバカでかい内野手と交換トレードで戻ってきたんですが、そう言えば相川は33番でした」
 七時に食事を切り上げ、夫婦の勧めで雅江と内風呂に入った。心づもりのなかったことだったけれども、浴槽ですぐに交わった。雅江は私の口を吸い、押し殺した声を上げながら、狂おしいほどのオーガズムを繰り返した。淫靡なうめき声なので、気配を察した親たちが顔を赤らめているだろうと思った。しかし彼らは、こういうことこそ逢瀬を果たした男と女がかならず行なう儀式だと信じているにちがいなかった。
「出していいの?」
「ええよ、ええよ」
 吐き出し、きつく抱き合った。からだが鎮まると雅江は上気した顔で、
「二人ともこのごろは仲睦まじいんよ。郷さんに刺激されたんやと思う。ときどき、夜遅くおかあさんの声が聞こえてきたりして、思わずうれしくなってまう。それが正常な男と女なんやね」
 父母に関する話だった。雅江に似合わない。
「ふうん、お母さんと雅江と二人で妊娠したら楽しいね」
「おかあさん、もう〈上がってる〉から無理やね。その分、私に期待しとる」
「きょうは?」
「安全日」
 雅江は二人の体液にまみれた風呂の湯を落とし、洗面器で浴槽に水をかけた。
 風呂を上がってから、あらためて一家でビールを飲んだ。小さな居間の中央に縦長のテーブルを置き、私と並んで母親が坐り、向かい合って父と娘が坐る。奇妙な配置だと思った。夫婦とも上機嫌に笑いながら子育ての計画などを語った。雅江は、
「声が聞こえたやろ。恥ずかしいわ」
「あなたが思うほど大きな声じゃないのよ。神無月さんにかわいがられてうれしがっとる感じがとても素直に伝わってきた。聞いていて気分がええわ。神無月さん、ありがとうございます」
 母親に釣られて父親もくすぐったそうに頭を下げた。娘を愛するがゆえの精いっぱいの演技と思うのは私の考えすぎかもしれない。でも、どれほど明るく取り繕っても彼らにかすかな不安がにおうのだ。
 ―娘とセックスをしにくるだけの名高い野球選手。
 まさかそんなことは思っていないだろう。彼らの不安はそういうものではない。いつか娘が捨てられて、悲嘆に暮れるのではないか……。
 雅江は私の隣に坐らないことで、私たちの関係が揺らぐはずがないという安心感を両親に示そうとする。これまでの雅江はもっと私の皮膚に近づきながら、不安に打ちひしがれていた。透き通ったあきらめさえ感じられた。逢瀬ごとに雅江から不安とあきらめが消えていく。過剰に朗らかになっていく。長い間隔を置いて逢っているからこそ、私にはそれがわかる。それは胸苦しい。父親が、
「神無月さんに対する不人気がよく新聞記事で採り上げられますけど、意外ですね」
「ぼく自身はそう思ってません。人気も不人気も生理的なものです。そんなものを問い詰めても埒が明きません。他人の生理と関係なくしっかり保たなければいけないのは、ぼくの心だけです。周りを矯正しようとするのは見当ちがいです」
「郷さん独特の信念やね。矯め直さんとあかんのは、他人でなくて自分やって。いつもそうや」
 気の利いた科白を雅江は苦もなく言う。上べだけに聞こえるのはなぜだろう。雅江にかぎってそんなはずはないと思い直す。雅江との歴史を振り返る。長く、充実した歴史。介助ベルも鳴らさないのに、一方的に私が介助されてきた歴史。
「ぼくはいつ雅江に恩返しできるんだろうね」
「何の? 恩を受けとるのは、私やが。私が返さんとあかんわ」
 母親が、
「そうですよ、神無月さん。私どものわがままで神無月さんにご迷惑をかけないようにすることがいちばんのご恩返しだと思ってます」
 父親がライターで煙草に火を点け、本音を言う。
「神無月さんが雅江を捨てないでさえいてくれれば、私どもはそれ以上何も望むものはないんです。日本一のスターに家を訪ねてもらうなんてこと、だれが望めますか。スターは世間に監視されてるようなものですから、ちょっとしたことが原因で表舞台から蹴落とされます。これからは、ここにくるのも、よくよく警戒してください」
「そうですね、おたがいの利益のためにそうするべきですね」
 渡りに船と私は応える。私には感情だけがあって、口とは裏腹に利益など念頭にない。利益は常に利益を求める人のものだ。



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