四

 滑りの悪い戸を開けて玄関に入る。傘立てに濡れた傘を入れる。婆さんが帳場の小窓を開け、
「あら、ひさしぶり、イロ男。元気にしとった? なんやの、かわいらしい子二人も連れて」
 笑いかけながら言う。睦子と千佳子はこわごわお辞儀をする。私は、
「急に〈やり〉たくなって」
「ほうほう、若い男と女は、すぐ勃つし、すぐ濡れるし、しょうがないわな」
 五千円札を渡す。
「オツリはいりません」
「ええのに、こんな。前も気前よかったな」
「また当分これないから。オマンコ終わったらすぐ帰ります」
「がんばりや。はい、おしぼり、役に立つやろ。私が新しいタオルを洗濯してきれいにしたものや。オシボリ屋のペラペラみたいに汚くないで」
 五、六本のおしぼりを受け取り、部屋に入る。三人すぐ全裸になり、口づけをし合い、薄い敷蒲団に横たわる。女のふくよかな胸と腹。思い切りからだを伸ばせる草原。私の屹立したものを握りながら千佳子が、
「会話が自然すぎて、現実か夢かわからなくなったわ」
 睦子が、
「郷さんといると、どんな場所でも、ほんとに夢か現実かわからなくなります。だから何もかも受け入れられる」
 二人の乳首に舌で愛撫を加えながら、しとどに濡れた二つのクリトリスを交互に押し回す。二つのからだがふるえだす。睦子が、
「ごめんなさい、郷さん、もうイッちゃう」
 と忍び泣くように言って、下半身を痙攣させた。千佳子もうめいて、二本の脚を硬直させる。二対の脚を開き、じゅうぶんすぎるほど濡れている膣に交互に押し入る。二つのぬめって柔らかい襞が私を歓迎して吸いこみ、すぐに脈動を始め、たちまち昇りつめて固く包む。動きを止めると、草原に憩う感覚が局部から全身を浸してくる。
 二つの胸を交互に吸いながら、ふたたび抜いては入れ、入れては抜き、数回ずつゆっくり腰を動かし、温度のわずかにちがう、同じように熱い空間を往復する。時間差で、二つの洞(ほら)に波が立ち、しっかりと働く陰茎を心地よく刺激する。やがてどちらの波も細かいひきつれに変わり、絶え間ない収縮の波になる。呼吸が乱れ、反応が切迫したものになる。私の呼吸も荒くなる。繰り返し達する千佳子の膣から射精の迫った陰茎を引き抜き、痙攣の真っただ中の睦子の膣へ吐き出す。睦子がいっそう声を高める。律動を数回に留めて引き抜き、痙攣する千佳子の膣の中に残りの律動をしながら精を搾り出す。
 どんなに世界が健全でいても、自分が不健全でいられる時間。私はまるで乳飲み子が無節操に排泄するように、射精以外何もすることがない。ふるえながら包みこんでくる女のからだの上で、乳飲み子でいられる時間は短い。
 二人の陰部にこびりついた精液をティシューで拭いてやりながら、
「たくさんイッた?」
 千佳子が、
「はい、とってもたくさん。ありがとう、神無月くん。一生離れないから覚悟してね」
「望むところだ」
「私もよ。郷さんが死んだら、私、生きてない」
 睦子が唇を求める。千佳子がおしぼりで丁寧に私の性器を拭う。雨の音が戻ってくる。旅館の庭の木の葉が鳴る。
         †
 ソテツがトモヨさんや幣原たちと夕食の皿を並べながら、
「あと三勝すれば優勝です。きょうから二晩、優勝を迎える料理を作ります。今夜はエビの春巻き、豚肉のバジル炒め、蟹のカレー風味チャーハン、トムヤンクン、最後にココナッツミルク、その順番で出します。生ビールは神無月さんのホームラン賞のおかげで捨てるほどあるので、好きなだけ飲んでください」
 トルコ嬢たちがパチパチ手を叩いた。
「何、トムヤンクンって」
「タイ料理です。瘤ミカンの葉と、レモングラス、青唐辛子、ショウガ、それからエビの殻をまるごと入れたものをチキンスープで煮て、ナンプラーなどの調味料で味つけした辛いスープです。直ちゃんは食べられません。トムヤンクン以外のものはぜんぶだいじょうぶです」
 しゃべっていることがほとんどわからない。ま、食って味わえればそれでいい。台所からトモヨさんといっしょに出てきた直人が、トムヤンクンちょうだいとぐずる。
「あれ? 直人、寝てたんじゃないのか」
「ぼくおきてた」
 女将が、
「だめだめ、トムヤンクンなんか食べたら死んでまうよ」
 私はソテツに、
「小指の先にちょっとつけて、舐めさしてあげて」
 ソテツは厨房にいき、大事そうに小指を立てて帰ってきた。直人に舐めさせる。
「イタア!」
 女将が、
「な、ばあばの言ったことはほんとやろ。死んでしまうよ」
 直人はコックリする。トモヨさんが愉快そうに笑う。直人の分を最初に食卓がどんどん整っていく。菅野が、
「二十三日の火曜日、午後一時から、CBCのスタジオで優勝インタビューがあるそうですが、出ますか」
「監督も出るので、もちろん出ます。ほかの出席者は?」
「レギュラーと控え全員だそうです」
「CBCってどこにあるんですか」
「栄です。広小路通りを中日ビルからもう少し先へいったところに、CBC会館があります。ここから車で十五分かかりません。百五十人収容のスタジオで録画するらしいですよ。司会は朝の歳時記の川久保潔で、ゲストはあの板東さんだそうです」
「板東さん! もうデビューなんだ。でも、まだ登録抹消扱いで、ドラゴンズの選手なんだけどな」
 千佳子が、
「朝の歳時記って、昭和何年のきょう何があったって、毎朝七時半から三分ぐらい放送してる番組ですよね」
「そうです、CBCラジオ。川久保はその名物アナウンサー」
 女将が、
「テレビ出演用のブレザーの上下二着、小森テーラーさんからできてきたわ」
「小森テーラー?」
「椿商店街の老舗の仕立て屋さんやが」
 カズちゃんが、
「キョウちゃんのサイズ知ってたから、七月に小森のおじいちゃんに教えておいたんだけど、彼、ひと月間テレビで試合を見てて、細かく体格を割り出したの。キョウちゃんの胸囲は?」
「東大のころ九十八ぐらいじゃなかったかな」
「百四、五センチですって。太ももは六十二、三センチ、お尻は百八から百十センチ」
「うーん、そうかもしれないな。プロにきて筋肉ついたから」
「股下は八十四よね」
「たしか」
「それでも長いほうだけど、八十五の男性モデル並ですって。ウエストも八十六。オチンチンは左寄り」
「当たり! 機械みたいな目だね」
「濃いグレーの上着と、淡いグレーのズボン。似合うわよ。ワイシャツも三着作ってもらったから、ちょっといま着てみて」
 トモヨさんが持ってくる。ズボンとワイシャツを脱いで着てみると、みごとにピッタリだ。動きに余裕が出るようにゆるく仕立ててある。睦子と千佳子が拍手した。千鶴が、
「すてき! 映画スターやが」
 素子が心底うれしそうに、
「怖いぐらいやわ」
「すごい衣装持ちになっちゃったな。ジャケット、背広、浴衣、着物」
 主人が、
「それでふつうだがね。奥ゆかしいな、神無月さんは」
 カズちゃんが、
「冬ものの着物、近いうちに京都から届くわ。おかあさんと相談して、模様は青海波(せいがいは)にしたの。福田さんからも一枚届くでしょう。多々ますます弁ず。身を飾る消耗品なんかいくらあっても困らないのよ。才能はありすぎるとわが身を窮屈にさせるけど」
 主人が、
「器用貧乏ということかな?」
 菅野が、
「それは適度の才能のことでしょ。一つにまとまって爆発するような才能は、貧乏とは言いませんよ。器の知れた才能なら、頭角を現せずに窮屈になるかもしれないけど、器の無限な大天才なら、世界は広々としてるでしょう。おまけに能天気というのも、不気味なほど無限な人間的素質ですよ」
「キョウちゃんは能天気じゃないのよ。するどすぎるから、自分を平気で無能者扱いして周囲に媚びちゃう。世間が狭くなる窮屈な生き方ね。能天気に、一本気に生きてほしいんだけど、そうしないようにしてる。才能のある人は、ふつうは能天気に一本気に生きて、どんなもんだって自分を誇示するものよ。キョウちゃんは誇示しない。それどころか自分を無能だと信じてるから、そこから第一歩を始めるの。たった一つ、自分の有能を誇示したのは野球。あとの才能はぜんぶ否定しちゃった。窮屈にならないためにね。私の目にはかえって窮屈な生き方に見えるけど、キョウちゃんにとっては、それがノンビリした生き方なのよ。つくづく不思議な性格ね。キョウちゃんが煙たがるからこれ以上言わないけど、不思議な人間的素質というものを目の当たりにしたければ、キョウちゃんを見ればいいってこと」
 女将が、
「どっこも不思議でにゃあ、かわいい人やがな。あ、この手紙、きょうの午後、お母さんから転送されてきとったよ」
 古山からだった。主人が、
「だれですか」
「青高の友人で、買い集めた詩集をぜんぶくれてやった男です。青森港の売春宿で鉢合わせをしました。ぼくが熱にうかされたとき、一晩枕もとにいたのは山口と彼だったかな?」
 千佳子が、
「山口さんと私です。和子さんが様子を見にきて、だいぶ長いこといました。古山くんはチラッと顔を出しただけ」
「その後、西高の二年生のとき、名古屋駅のホームで、修学旅行列車のデッキに並んだ中にいたのを見たきりだな。去年帰省したとき、青森のイリマス亭という居酒屋でたまたま遇った藤田という同級生から、明治の夜間にいったと聞いた」
 封を切って一枚だけの便箋を取り出す。

 久闊を叙す。東大からプロ野球へいったとのこと。東大も驚きだったが、プロ野球選手とは腰が抜ける。高校時代の活躍を考えれば納得できることだが、プロというのはもっと次元の高いものだと思っていた。
 おまえからもらった詩集は、いまも大事に持っている。あの色町はつぶれた。思い出すなあ。会って、積もる話をしたい。転送されるものと信じて、この手紙を書いた。お茶ノ水駅前『田園』、九月六日(土)午後二時。待っている。不尽。

 菅野が憤る。
「失礼な手紙だな。何様だと思ってるんですかね。だいたい六日なんて、神無月さんが甲子園にいってた日じゃないですか。そんなことも調べてなかったわけだ。同級生が、ポッと幸運にもプロ野球選手になったと思ってるんですね」
「プロ野球選手ってどういうものかを知らないんでしょう。土曜半ドン、日曜休日のサラリーマンだと思ったんですね」
 たしかに無礼な手紙だ。自分の住所すら書いていない。私とのあいだに積もる話などあるわけがない。カズちゃんが眉根にシワを寄せながら笑って話す。
「プロ野球選手とは腰が抜ける、ですって。こういうふうに小馬鹿にされてしまうのがキョウちゃんの奥深いところね。青森で北の怪物と言われてたことや、世界一の記録保持者だということは知ってるはずよ。新聞があるんだから。青森高校には顕彰碑まで建ったんでしょう? ふざけてると言うより、キョウちゃんと気安い関係だということを周りに自慢するきっかけを作りたかったんでしょう。へりくだった気持ちがありながら、こういうふうに思わず甘えて小馬鹿にしてしまう。それで許してもらえるってわかってるんだからすごいわ。これが庶民の考え方。この古山さんは庶民の代表ね」
「ぼくは野球の名門高校にも甲子園にもいかなかったから―。それも庶民には重要なことでしょ」
 菅野が、
「またまた、そうやって無意味な卑下をする。東大も驚きだったが? ―アッタマくるなあ」
「それこそ青高には勉強の怪物がゴロゴロいましたから。彼もその一人です」
 私は自嘲気味に笑う。睦子が、
「でも、少し本気出したら、郷さんや山口さんに敵う人はいなかったわ。ね、千佳ちゃん」
「そうよ、イヤな男!」
 菅野や睦子たちと私との間に感情のズレが生じている。私は彼らのようには感情が昂ぶらない。女将までが、
「西高でも、模擬テストは全国ナンバーワンだったしな」
 カズちゃんが、
「とにかく庶民はたいていのことは許されるし、それに輪をかけてキョウちゃんは何でも許す。ね、わかったでしょう? 才能がありすぎると窮屈になるの。お母さんや岡本所長のように無理に軽んじようとする人が出てくるから。キョウちゃんはどんなに軽んじられても、野球の才能だけは否定しない。でも、ほかのぜんぶは喜んで否定してあげる。自分が窮屈にならないようにね。とにかく、だれが見てもふざけた手紙。無視、無視」
 無視するのにも意志の力が要るけれども、それ以前にこういう無礼に関心がない。ただ野球の才能を揶揄されたのだけは腹立たしい。彼はおそらく母や所長と同様、私のプロの現場での野球は一度も見たことがないのにちがいない。女将が、
「プロ野球選手になっといてよかったわ。なっとらんかったら……ゾッとするわ」
 まだ大学野球をやっていたら、まだ受験浪人をしていたら、もっと揶揄されていただろう。たしかにゾッとする。


         五 

 アイリス組全員、アヤメの遅番も戻って、賑やかな食卓になった。私は菅野につがれたビールを飲みながら、直人が眼鏡をかけてものを食う姿に目を細める。
「きょうミカドで、菅野さんに名古屋の古今をざっと語ってもらったけど、知らないことばかりでうなりました。こんなに長く名古屋にいるのに、名古屋の歴史どころか、身の周りのことも猫の行動範囲の程度しか知らない」
 主人が、
「小学校から野球と勉強ばっかで、ほとんど出歩かなかったからやろ。地元暮らしというのはそういうものです。ワシらも五十歩百歩ですよ。ところで神無月さん、九月二十一日の神宮のアトムズ最終戦から帰ったあと、二十七日の中日球場の阪神戦まで試合がないんですわ。名古屋競馬場にいくのは二十四日の水曜日にしましょう。二十三日はCBCだし、二十五日はこの家で優勝会ですから」
「はい、そうしましょう」
「十一時から第一レースなので、十時ぐらいに着くようにいきましょうや」
「はい。楽しみです」
 辻さんはどうしているだろうかと思った。菅野が、
「神無月さん、名古屋物語のつづきじゃないですが、ここには明治、大正、昭和と三代にわたって語り部が揃ってますから、それぞれの思い出をしゃべってもらったらどうでしょうかね。出歩いて名古屋を知るチャンスなんて、めったにないわけだし」
「はい。ぜひ、聞きたいですね」
 女将が、
「明治は私しかおらんがね。耕三さんは大正生まれやし。……明治ゆうても六歳ぐらいまでやから、ほとんど憶えとらんのよ。大正はよう憶えとる。ま、思い出せる分だけでもしゃべってみようかいの。……もの心ついたころは、名古屋城の敷地に軍司令部やら、幼年学校やらがあって、天守閣に金の鯱は載っとらんかった。城を取り壊す予定で下ろしたらしくてな、それをウィーンの万博に出して評判がよかったゆうことやった。結局城は取り壊さんかって、金鯱も戻ってきた」
 千佳子が、
「当然よ、名古屋城を取り壊すなんて、ひどい」
「ほんとにな、おえらいさんは何を考えるかわからん。……そうそう、四歳か五歳のころやったが、枇杷島を流れる庄内川に大きな石橋の枇杷島橋が架かっとった。枇杷島青果市場からまっすぐ北へいったところやよ。明治の初めに洪水で流されるまでは檜の橋やったらしくて、両岸に萩と桜が植えられて、橋の両方のたもとには市場があったんやと。きれいな橋で、尾張名所として絵に残っとる。その石橋も大正に入ってすぐ鉄骨の橋に替わって、昭和に入ったとたんにコンクリートの橋になってまった。味も素っ気もないわ」
 主人が腕組みをして、
「明治とか大正とか区切って説明するのは難しいわな。猫の行動範囲ゆうやつをコツコツ探っていったらどうや。たとえばこの近くなら大須観音やろ」
「このあいだ落語を聴きにいったところですね。派手な社殿だった」
 女将は、
「……大須観音ゆうんは、鎌倉時代に岐阜の羽島から移されたものなんや。木曽川と長良川の中洲にあったものを持ってきたんよ。大きな洲にあったものやから大洲観音。城の代わりに寺を建てて、基地にしたんやそうな」
「基地?」
「名古屋城の門番代わりにしたゆうことやろ。いまの大須の建物は、ぜんぶ太平洋戦争のあとに再建したもんや。戦争で焼けた五重塔はそれっきり建てられんかった」
 主人が、
「家康は名古屋城下をこしらえたとき、南の区域を碁盤割にしてな、堀切筋ゆうて、四メートルぐらいの狭い道幅やったらしい。開幕してすぐに大火事があって、それを機会に道幅が四倍にもなって広小路が造られた」
「へえ! 広小路って江戸時代からあるんですね」
「ほうよ、名古屋一賑やかな通りや。広小路通には朝日神社ぐらいしかあれせんけど、白川公園から若宮大通りあたりは寺も多いで、歴史散策にはもってこいや。四つ五つ固まっとる」
 女将が、
「神社言ったら、熱田神宮やろ」
「ほやな。熱田神宮は、もともと熱田神社と呼ばれとったが、明治になって熱田神宮と言われるようになった。……七里の渡しゆうんは、宮から桑名まで海路が七里あったからや。……久屋町あたりは魚を売る店が多かったんで、魚の棚と呼ばれとった。東照宮祭りのときは、うちの芸妓も出張って弁当を売った。うちの厨房の腕がええんはむかしからや」
 あれこれ脈絡なくしゃべる。障りのないバックグラウンドミュージックみたいに淡々と語るので、みんなの箸はスムーズに動き、食事を終えた直人は好きなように走り回る。
「御器所の名工大は古いで。明治の終わりに、東京、京都、大阪の次に創立された官立の高等工業学校やと聞いとる。そのころ名古屋港が開港し、則武に陶器会社ができ、栄に松坂屋ができた。御園座で、名古屋で初めての活動写真が上映されたのもそのころらしいわ。日露戦争の凱旋歓迎式があったのもな」
 女将が、
「私が生まれたのは明治四十二年ですわ」
「太宰治と同い年ですね。一九○九年。彼はいま生きてれば六十歳か」
「ほうなの? その人のことは知らんけど、えらい人なんやろね。私が生まれたころの話は親からよう聞いた。東邦瓦斯ができたでしょ、八高が開校したでしょ、市電はちんちん電車と呼ばれとったでしょ」
 あのころそのころとやる収拾のつかない話は楽しい。みんな箸を止めたり動かしたりしながら聞き耳を立てている。主人が、
「神無月さんが生まれたのは昭和の二十四年やろ。そのころに県立高女と明倫中学が合併して明和高校ができた。古い学校や。なんせ明倫の初代校長が徳川氏やからな。……明治の二十年ころに名古屋駅ができた。開業当時の名古屋駅は、じめじめした土地に建てられた平屋で、ホームの屋根がなくて、東海道線が全通したあとも、五両編成の列車が日に四本しか通らんかったそうや。いまの名古屋駅ができたのは昭和十二年。ワシが二十四、五のころやで、はっきり憶えとる。……うーん、大正の話が出んなあ。ここで大正の話をできるのは、ワシとトクぐらいしかおらんのやが、十四、五年しかなかった時代のことはポツポツしか憶えとらんのよ。お城の上空を陸軍の演習の複葉機が飛んどったな」
 文江さんがここにいないので、大正生まれは女将のほかに百江一人だ。百江を見つめると、頬を赤らめ、
「私は大正八年生まれで、それから五、六年で終わった大正のことはほとんど憶えてないんです。すみません」
 女将が、
「乃木将軍が東京で切腹したでしょう。そりゃだれでも知っとる有名な話やわな。名古屋の話をせんと。……納屋橋ができ上がって渡り初めがあって……これも大したことなしと。そうや……大須にあった遊郭を稲永に移転させる計画が持ち上がって、知事や市長がその土地を買い漁って金儲けしようとしたゆうことがばれて、結局無罪になったんやけど、そのまま力がのうなってまった。そのあとの名古屋の財界を牛耳ったのが、堀川の木挽町の材木商人鈴木摠兵衛(そうべえ)さん。愛知時計を創った人や。これも大した話やなかったな? ほかには豊田佐吉やろ、ええと、浄心出身女義太夫日本一の豊竹呂昇やろ、ゼロ戦を開発した港区の大西組」
「おまえ、よう知っとるやないか」
「十六、七までのころやから、どんどん思い出してきたんよ。熱田駅と熱田神宮のあいだに大きな運河があったな。熱田駅裏は日本最大の兵器工廠やった。堀川の愛知時計はいまの四倍の大きさで、熱田高校の正門近くまであった。いまの大きさからは信じられんわ。名古屋には池もたくさんあって、コウジガ池、それが埋め立てられて中警察署が建ち、マムシガ池が埋め立てられて千種警察署が建ち、ウマ池が埋め立てられて今池中学校が建った」
「今池はほんとに池の名前だったんですね」
「ほうよ。名古屋駅前の桜通は小さな路地でな、名古屋の最高の繁華街は広小路でも栄でもなくて、大須やった。映画館が二十軒もあった。私の生まれる一年前に大須にできた文明館が名古屋で最初の映画館や。太陽館、敷島館、世界館、電気館、ニコニコ館。……大正時代に名古屋で起きたいちばん大きな事件は、米騒動やろな。大正七年に米の値段が二倍に上がったもんで、鶴舞公園に三万人の人たちが集まって、怒り狂って焼き討ちしながら栄の交差点まで歩いたんよ。警察で鎮められんかったから、陸軍第三師団が出動して鎮めたんよ。さっき言った遊郭の移転が大正十二年にあって、大須の旭遊郭が中村に移転して、うちも耕三さんもここに移ってきた」
 百江が、
「憶えてます。大正の末、私が四歳か五歳のころ、大須の旭遊郭が中村に移されました。旦那さん夫婦は中村にくるまでは、旭遊郭で育ったんですね」
 主人が、
「そうや。十五歳のときに移ってきた」
「私は十九」
 百江が、
「昭和の初期のころのことならたいてい憶えてます。そのころの名古屋駅はまだ笹島にあって、笹島ステンションと呼ばれてました」
「おお、そうやった」
「それでも明治に駅ができた当初よりはだいぶ大きくなってましたから、駅前に人力車がずらっと並んでました。私が小学校に入るころには、一年間に四百万人が乗り降りすると言われてました。市電も、家の屋根みたいなものがかぶさったちんちん電車じゃなくて、いまのものに近いみどり色の路面電車が走ってましたよ。ビルの看板は右から書いたり左から書いたり、カタカナが多かったですね。西洋の聖堂みたいな建物が建っていて、あれは松坂屋だったのかしら」
「いや、栄屋百貨店ですわ。いとう呉服店の後身」
「辰野金吾という人の設計した日本一と言われる名古屋国技館が建ちましたけど、経営していけなくて、十年ほどで閉じました。名古屋の人口がたった四十万でしたから。あの建物にも、聖堂の先っぽみたいなものが載ってましたよ。神無月さんが生まれたころ、明和高校ができただけじゃなく、愛知一中と第三高女も合併して旭丘高校になりました。私が二十歳くらいのころ、新愛知新聞と名古屋新聞が合併して、中日新聞ができました。同じころに、いまの六階建ての名古屋駅が新築されました。東洋一の駅ビルと言われました。いまの市電道を旧路線の蒸気機関車が走ってたのを憶えてます。変われば変わるものですね。話がいったりきたりしますけど、中学生のころ名古屋観光ホテルが建ちました。もう三十五年以上も前です。いまの駅前のビルが立ち並んだのは昭和三十二年です」
「その二年後に、ぼくは名古屋にきた」
「そうですか、名古屋駅の近代化のアケボノにいらっしゃったんですね。名古屋大映、グランド劇場、ロキシー劇場の並びも同じまま。この街並がいつまで変わらないでいられるんでしょうね。駅西もすっかり変わってしまいましたし」
 主人が、
「どこもかしこも変わった。これからも変わっていくんやろな。神無月さんが中学校にかよっとった大瀬子橋のあたりだってそうや。大瀬子橋いうのは、堀川のいちばん南の端に架かっとる橋でな、平畑のほうへ渡ると、むかしは大瀬子の魚市があった。信長の時代からや。清洲に魚を運んどったんやな。それから熱田魚市場になり、昭和二十四年に日比野に名古屋市中央卸売市場が完成して、熱田魚市場は廃止された。あのくさい堀川の岸には何艘も漁船が着岸しとった」
「あのウンコ川に!」
 主人は顔の前で手を振り、
「江戸時代まで堀川はきれいやったんですよ。江戸時代から、城下町の排水も集めて流れとったけど、ウンコやオシッコは流しとらんかった。糞尿は田畑の肥料にするから貴重品で、排水と言っても、野菜クズや石鹸を使わん洗濯水程度のもので、イワシもフナも取れたし、水泳もできたそうです。明治の初めごろは、風呂水や洗濯水といったものは堀川に流し、屎尿はこれまでどおり肥料にしとったが、殖産興業のせいで産業排水というものが出るようになりましてね。明治の半ばには石鹸が売り出され、たちまち普及した。大正に入ると、堀川に流す風呂水や洗濯水は人口増のせいでとてつもないものになり、泳げる川でなくなっていったんですわ。地下水も汚染されて、井戸水は不衛生やと槍玉に上がり、水道に取って代わられました。それと同時に下水溝が作られて―と言うと、下水を浄水場へ持っていくんだろうと思うでしょう? 下水処理場がなかったんですよ。下水をそのまま堀川に流したんです。これじゃ下水溝を作った意味がないと、昭和の初期に続々処理場が建設されるようになりました。で、処理したまではよかったんやが、後処理がいいかげんやったんです。処理したあとの滓(かす)の水を雨水といっしょに堀川へ流したんですよ。昭和三十年代になって水俣病が騒がれるようになると、名古屋市は庄内川の水を堀川へ流しこんで薄めるようになりました」
「そのころ、ぼくは名古屋にきたんですね。くさかったはずだ」
「そういうことになりますな。いませっせと浚渫作業中です。ごみ、動物の死骸、ヘドロなど膨大な量です。生活排水、工業排水をどうやって処理するかの対策をしっかり立てないかぎり、イタチごっこになるやろう」
 手に取るようにこの十年の堀川の状況がわかってきた。私はふと、太閤通や中村公園のことがまったく語られていないのに気づいて、
「中村公園て、いつごろできたんですか? あそこの図書館にはよくかよったけど」
 青森人の睦子が主人に代わり、
「明治十八年です。秀吉の誕生を記念して建てられた豊国神社を中心に整備された公園です。中村公園記念館は、加藤清正没後三百年を記念して、明治四十三年に迎賓館として建てられました。大正天皇が皇太子のころ休憩したということです。そのとき皇太子が植えた松が、大正天皇お手植えの松で、いまは大きく育ってます」
「なんで清正? 秀吉じゃなく」
「秀吉も清正も中村区の生れです。豊国神社の東側に立つ豊公生誕の石碑は神社建設の翌年に建てられたもので、あのあたりが秀吉の生まれた土地だと言われてます。ほかに、中村公園は約二十株の藤が垂れている藤棚で有名です」
 そんなことをカズちゃんに聞いたような気がしてきた。
「よく出歩いてるね」
「はい、暇人ですから」
 ウフフと明るく笑った。
「しかし、みんな名古屋に詳しいや。畏れ入った」
 菅野が、
「じゃ私は、ちょっと西区について」
「や、菅野さん、今度にしましょう」
 ワハハ、ホホホと笑いが座敷じゅうに広がった。


         六

 やっと直人がトモヨさんとイネに連れられて風呂へいった。主人夫婦は菅野と帳場へ去り、天童たちもお休みなさいを言った。千佳子が睦子に、
「きょうは?」
「帰る。洗濯があるから」
「降ってるわよ。送ってく。このごろ運転楽しくて」
「ありがとう。助かるわ。じゃ、みなさん、お休みなさい」
 私に愛情深い顔で微笑みかける。
「お休み」
 二人が出て何ほどもしないうちに、庭の雨音がやんだ。穏やかな静寂がやってきた。だれにともなく語りかける。
「あと二十九試合で一年が終わります。十歳で軟式野球を始めて……野球だけでもブツ切れの人生だ。よくいまここにいられるものだな」
 メイ子が、
「お嬢さんはいつもそばにいたでしょう? 神無月さんの〈人生そのもの〉をブツ切れにしないように。……私はいつも、神無月さんがここにこうして生きてるのは、お嬢さんの深い愛情のおかげだと思ってます。そのおこぼれをもらって私たちも生きてます」
 カズちゃんが、
「どんな人の人生もおこぼれなんかじゃないのよ。立派にまとまった人生よ。だれが死んだらもう生きていられないかを考えてね。おかげという言葉が使えるのは、その人に対してだけ。その人といっしょのまとまった人生よ。その人以外だれも褒める必要はないのよ」
 メイ子が小さくうなずいた。
「よく言うでしょう、女房のおかげで成功したとか、先生のおかげで立ち直ったとか。ぜんぶ社交辞令。成功したり、立ち直ったりするのは、その人に能力があったからよ。その人のおかげで、女房も先生もまとまった人生にしてもらえたの」
 素子が、
「話ちょっと変わるけど、うち、雅江さんみたいなもったいない生き方できんわ。ほとんど家族といっしょにキョウちゃんと会うやろ」
 カズちゃんは軽くため息をついて、
「雅江さんは、ほんとにキョウちゃんともったいない逢い方をしてる。キョウちゃんを疲れさせてしまう逢い方。生まれ育った家からけっして離れないで恋人と逢っても、胸なんか躍らない。家族に愛する人を見てもらうというのは、まちがってない伝統的な作法だけど、キョウちゃんは雅江さんの家族に気を使って、くたくたになるわ。キョウちゃんは私たちを進んで身内に会わせないでしょう? 人生の道で遇えたことだけが重要で、それだけに感謝すべきで、それ以前やそれ以後の条件なんかどうでもいいことだと思ってるからよ。雅江さんはキョウちゃんにめったに逢いにこない。逢いにくるときも、家族の許可を得て逢いにくる。せっかく逢っても、セックスをするだけ。雅江さんて、キョウちゃんを包みこむすばらしい人だと信じてるけど、かなり負担をかける存在のようね」
 ソテツが卓上のポットで茶をいれてみんなに出した。そして、深く考えこんだ。
「私たち、雅江さんにとても感動したことがありましたよね。お嬢さんや節子さんに手紙を出したり、神無月さんのお母さんによくしてあげてるとか、神無月さんの写真を送ってあげたりとか―」
「そう、親切で、心の澄んだ人なの。人間として非の打ちどころがないわ。……最終的にキョウちゃんの判断にまかせるけど、遠くなりそうな人にはときどき近づきなさい。ただし本人にだけ。それが許されないなら、近づかないことね。私の両親みたいなこだわりのない人たちにさえ、頻繁に会ってたら気が滅入ってしまうわ」
「自由に生きてくれって、彼女も手紙をくれたことがあるし、親たちもそう言うんだけどね」
「実際そうしてる? 何か約束させられなかった?」
「……子供ができたら、生ませてやってくれって」
「本人同士の約束以外、守る必要なんかないのよ。キョウちゃんという人はその場の雰囲気を気遣って、思わず親切な言葉を口走ってしまう人だから、みんな浮かれちゃうんだと思う。トモヨさんには、ほんとうにいいことをしてあげたと思う。さびしかった人生にすてきな希望をあげたんだから。たしかに、ふだん、かわいい直ちゃんやカンナちゃんを見てると、私もと思うことはあるわ。キョウちゃんの精神的負担を忘れて、女同士の連帯感みたいなものが芽生えるのよね。でも基本は、キョウちゃんがいるだけでさびしくないということなの。子供ができたら、キョウちゃんばかりじゃなく、自分の負担にもなるわ。はっきり言うわね、私は子供はいらない。今後、キョウちゃんは、だれにも気を使っちゃだめ。みんな和子だと思って、好きなことを言って。それで別れることになってしまったら、その女はそれだけの思いしかキョウちゃんに向けてなかったってこと」
 百江が、
「そうやって生きてこれたらどんなによかったでしょうね。子供を産まないのは不道徳だと思ってたんです。産まないのは人間としてまちがったことだって」
「シキタリと無理やりさせられた約束が個人の信念に外れてたら、破ったってまちがいとは言えないんじゃない?」
「はい、いまは、そういう約束事もなくなり、だれにも縛られずに愛することだけに没頭できるのがどれほど幸せなことか……しみじみ味わってます」
「そのとおりよ。法子さんや秀子さんや美代子さんが東京や青森でがんばってるのも、その幸せを手に入れるためなの。秀子さんや美代子さんにはそのうち会えるでしょう。逃げていく人や、待ち受けてる人に、キョウちゃんを愛する幸福は得られない。火にあたりたければ、火のそばにいくでしょう? 火がやってくるのをじっと待つなんて、ものぐさすぎるわ。心を大事にすることと肌を求めることは、別のことじゃないの。どちらも付録じゃないのよ。さ、帰りましょ」
 イネが濡れ髪に赤い頬をして戻ってきた。
「トモヨさんたち、寝た?」
「はい。お帰りですか?」
「そ、あなたもくる?」
「うんにゃ、今晩はカッチャに送ってやる荷物まとめるすけ」
「孝行娘ね。えらいわ」
「そんなこともねよ。もうワにはカッチャ一人しかいねすけ」
「そうね、お母さんの頼りはイネちゃんだけ。大事にしなくちゃね」
 ソテツが、
「イネちゃん、いっしょに整理しよ。私も家に送ろうと思ってたものがあるから」
「ういろ、ないろだべ」
「そう。そのあとで、『時間ですよ』観よ。九時半から」
「うん。幣原さん、おめも観るが」
「いえ、きょうは休みます」
 私はカズちゃんに、
「ういろ、買って帰ろうよ。食いたくなった」
「正面口にういろ売ってる店を知ってるから、そこへいきましょ。なぜか唐揚げも売ってるのよ」
 帳場にお休みなさいの声をかけて玄関に出る。ソテツとイネが式台で見送る。帳場から菅野が出てきて、
「あしたは、晴れてたら八時に迎えにいきます。日赤まで走りましょう」
「ほい」
「じゃ、お休みなさい」
「お休み!」
 みんなで明るく言って玄関を出た。傘を差して歩く。駅西の太閤口で百江と別れた。
 カズちゃんと素子とメイ子と四人でコンコースを抜ける。桜通口から名駅通りを渡ったところに、大須ういろとないろをショーケースに並べて売っている店があった。えび天が二本載ったきしめんのレプリカと、バケット入り唐揚げのレプリカも並んでいる。片隅に三卓ほど来客用のテーブルがあり、注文してそこで食べるようだ。ここでも外人顔のカズちゃんはジロジロ見られた。店内の光に照らされたカズちゃんは、目もくらむような美人だった。彼女とよく似たトモヨさんがあまり人から見つめられないのは、どこか顔立ちの深部に根本的にちがったところがあるからだろう。
 ういろうを二本買った。チョコレートと抹茶。
「いい風が吹きだしたから、栄までぶらぶら夜のお散歩しましょう」
 錦通のビル街をテレビ塔のほうへ、素子と手を握り合って歩く。カズちゃんとメイ子は一歩前を歩く。なつかしくなさそうでいて、なつかしい街並。ミッちゃんや郁子や法子と初めてきた街。クマさんと『雨上がりの土方』を確かめにきた街。
「クマさんが松坂屋に連れてきてくれた」
「金賞をとったときね」
「憶えてるの」
「はっきり。万能の子だと思ったわ」
「クマさんは、あまり喜んでなかった」
「知ってる。何でもできると、何もしなくなっちゃうって」
「予言どおりじゃなかった。そもそも何でもできるというのが錯覚だったからだよ」
「そうじゃないわ。それは錯覚じゃなくて、そのとおりだったのよ。たとえ何でもできても興味のあることだけをする、それが熊沢さんの願いだったの」
「野球?」
「そう。もう一つは、熊沢さんの知らなかったものよ。―言葉。人は興味があって、追い求める甲斐のあるものに全力を傾けるものよ。才能を褒められることがうれしいだけなら、ほんとうの興味は湧かないわ。言葉は人間を描くものでしょう? キョウちゃんは生まれつき、人間に興味があったのね。でも描くことは難しいわ。だから全力を傾ける。そういうキョウちゃんを、私は心から尊敬してる。キョウちゃんの詩を読んで、私、自分の愛情に確信を持ったし、キョウちゃんに出会ったことに感謝したの」
 カズちゃんはさりげなく頬を拭った。素子がカズちゃんの腕にしがみつき、
「……お姉さんは、キョウちゃんの心臓やからね。死なんでね。死んだら、キョウちゃんも死ぬしかないで」
「死なないわ。私だけじゃない。キョウちゃんを愛してる人間はぜったい死なない。キョウちゃんが死ぬまではね。キョウちゃんが最後の目をつぶるのを見届けないで死ねるもんですか。キョウちゃんのそばにいる人は、みんなそう思ってるわ」
 ビル街が展け、栄の百メートル道路に出た。意外に通行人のだれにも気づかれずにここまで歩けた。青黒い空にオレンジのテレビ塔がそびえている。眼鏡をかけて見上げる。背の高い樹木を風が気持ちよく吹き抜けていく。
「私が二十歳のとき竣工して、もう十五年になるのね。開館のときにきたっきり」
「文江が展望台の売店で手相占いをしてたね。殺風景な展望台」
「そうだったわね。何もないのに、見物人がうろうろして」
「節子親子との不道徳な経験も、ひどくさびしいような気もするけど、平坦な人生よりはましだったな。みんな幸せになったし」
「そうね、文江さんも節子さんも、順調な人生になったわ」
 一曲がり、二曲がり、二百メートルほど歩いて、スコンターというタイ料理店の前にきた。
「ただ歩いても、いいお店にはぶつからないものよ。ここは以前に二度ほどきたけど、日本人向けの味でいけるわ。軽く食べていきましょ」
 愛想のいいタイ人らしき店員に奥のテーブルへ案内される。やはりだれにも気づかれない。これがあたりまえだ。有名人とやらがキョロキョロ周囲の目をはばかって真っ黒いサングラスなどかけたりしているのは、じつは自分の正体を知ってほしいというみっともない自意識があるからだ。よほどのファンにでもぶつからないかぎり、知ってほしい正体も知れるはずがないのだ。
 ゆったり椅子に構える。壁とテーブルの上だけに照明を灯したきれいな店だ。テーブルの間隔も大きく開いていて、落ち着く。彼女はメニューに指を当てながら、
「これと、これと、これと、これ、一人前ずつ。それと生ビール、中ジョッキで」
「かしこまりました。ごゆっくりどうぞ」
 少し訛りのある日本語で言う。
「食べきれるかな」
「おいしいから、ペロリよ」
 ジョッキがきて、四人打ち合わせる。
「爾今(じこん)、よろしく」
 私が言うと素子が、
「わあ、古くさい言葉、人がしゃべるの初めてきいたわ。こちらこそ爾今よろしく」
 続々と料理と取り皿が出てきた。大きなエビの春巻き五本、レタスを添えた豚の挽肉炒め、ココナッツミルクで野菜を煮こんだスープ、蟹の甲羅を載せた山盛りのチャーハン。一人前が三人前もありそうな量だ。手づかみで春巻きを頬ばる。パリパリとしたコロモを噛むと、すぐに歯ごたえのいいエビが口に飛びこんできた。噛みしめる。
「おいしいでしょ」
「うまい!」
 スープを掬って飲む。牛乳で甘口になっているかと思ったが、しっかり辛かった。豚の挽肉炒め。
「うーん、これは……」
「ね。ここの名物」
 炒めた挽肉をレタスに包んで食う。濃い味つけが気に入った。
「何でもかんでも、うまいね」
「このチャーハンも食べてみて」
 カズちゃんは蟹肉の多いところを小皿に盛って三人の目の前に置く。レンゲで掬って食う。複雑な味がする。メイ子がはしゃいだ。
「おいしい! 北村席の厨房も敵わない」
 素子が、
「香辛料がちがうんよ」
 ユリさんのチャーハンよりうまい。カズちゃんが満足そうに私の顔を見ている。



十章 優勝 その2へ進む

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