【立場】 私は茫漠とした変わり者で、大物(それが私への社交辞令である)らしくおっとりとしていて、だれのじゃまにもならないし、予備校の緊張した印象全体を損なわないばかりか、かえって新進講師連の活気と機転に対する好対照として、彼らを引き立てる役を務めている。この二十年のあいだ、私は一途に創作に没頭し、そのほかのほとんどのものを無視してきたために、自分の興味を惹かない外界では、無関心と放任と寛容の調子がおのずと身についてしまったが、これが技巧的に身につけたものでないだけに、かえって学生やほかの講師たちの胸にぼんやりと尊敬の気持ちを起こさせるようだ。 私はまるで劇場へでも入るように講師室や教室へ入っていくし、みんなが顔見知りだから、だれにでも同じように笑いかけ、そしてだれにでも同じように無関心である。同僚たちの中で私は興味ある話題にぶつかると、ときには話に加わることもあるけれども、そうなるとその場の空気にはまったくふさわしくないようなことを、ぼそぼそと言い出すのである。しかし、予備校界でも名うての変わり者という定説がすっかり固まってしまっているので、だれも私の突飛な言動をまともに受け取る者はいない。
ペンクラブの会合に、私は一度きりで出なくなった。推薦者の遠藤周作氏が亡くなって、参会する意味がなくなったということもあったけれども、会合の質があまりにも粗悪で同席に耐えないというのがその原因だった。 立食宴のホールにたむろしている人びとを見ると、まだデビューしたばかりの者の顔には羞恥と恭順の気持ちが書かれていたし、比較的高名な者の顔には、一様に、いかにも磊落ぶった仮面の下に隠された、この世界での辣腕ぶりと、自分の立場を待ち遠しげにしている後進をあざける気持ちが現れていた。 もの思わしげに歩き回っているノンフィクション作家もいたし、こそこそ話し合いながらニヤけている歴史評論家もいたし、また、自嘲気味のひとり笑いを浮かべながら、ホールの隅でカレーライスをかき込んでいるテレビの脚本家もいた。出版社の人間となぜか熱烈な握手を交わし、ぺこぺこしている新進作家もいた。私は彼らのいじけ切った様子に、驚きの目を瞠らずにはいられなかった。たしかに彼らは私に欠けている実務上の粘り強さをあり余るほど持ち合わせていた。しかし身を立てるための実務という知的活動は、人の心を恐怖にまみれた潤いのないもにしてしまう。 私は臆病な彼らが嫌いである。彼らの恐怖と権力欲が嫌いである。好き嫌いというやつは、自分でもどうにもならない。私は冷やかな突き放すような目で彼らを見納めると、急いでホールを出た。もう二度とこの種の場所に近づくまいと決意して。
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