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広角レンズでは焦点を結べない。あくまでも視野は狭く。
                          川田 拓矢

1月21日

昨年は築十二年になんなんとする陋屋のローン、女房の入れ歯、私の義歯、老眼鏡、ジンガロのスピーカー等、いろいろと大きな物入りがあり、金策に倦(う)んじた。正月に七十七万、つづけて六十二万、夏に五十四万馬券を当ててなんとか凌ぎ、秋に三百五十万の車を廃車にするほどのクラッシュ事故を起こして青くなり、それもなんとか八十万馬券を二回つづけて当てて凌いだ。同種の新車を五年間代車として使う頭金を入手できたのである。考えるとゾッとする。もし、馬券を当てていなかったら? もし、持てる資金内で当てられなかったら……。ギャンブルの資金は人に借りられない。つくづく薄氷を踏む思いである。そんなふうにして、どうにか凌ぐことは凌いだが、そのシノギ方があたかも危うい幸運に基づいているので、自身、恥ずかしさのほうが大きく、その薄氷渡渉の成功をあまり人に自慢できない。自分なりに馬券術の理屈は持っているのだが、思い込みの要素が大半を占めるので、本に書けるほど体系だったものではない。その場その場に適用される得体の知れない直観と記憶が基本になっている。したがってこれから先の幸運が保証されているわけでもない。一体これからどうなるのだろう、そもそもこんな人生のシノギ方でいいのか。

そんなとき、ふと、谷崎潤一郎の章句を目にして、ひとり胸を撫で下ろしたことだった。

 ―自分は芸術家になるために生きていくのだから、生きるための手段などは第二の問題で、そんなことに頭を悩ますのは馬鹿な話である。第二の問題での範囲なら、自分は人に卑しまれようと軽蔑されようと差支えはない。どんな方法ででも金が入って飲み食いができさえすればそれでいいのだ。(『鮫人』)

 年末から年明けにかけて、競馬は絶不調である。資金はドンドン減っている。大きな物入りが起こらず、しかも飲み食いに不自由がないせいだろうか。これから2、3、4月と無収入の季節がつづくので、ぜひとも大きな馬券を当てておかなくてはならない。老後の生活や交友にも響く。せっかく数十年の経験則を分析したおかげで、万年借金生活の闇にようやく曙光となる手だてを見出しつつあるのだから、あと一、二年が私の氷の橋をせめてプラスチックの橋にする正念場だろう。そうして、今年、来年と大阪、鳥取へ小説の調査旅行をし、再来年は、後藤といっしょに熊本の親友堤くんに会いにいくのだ。人気薄の差し馬よ、きょうもあしたも、こい!

1月7日

正月一日、年頭講義を終え、控え室で教務の人たちと一杯ひっかける。このときばかりと彼らは心を開き、私も心を開く。およそ十年幅の卒業生の思い出話から始まって、これからの予備校の将来を語り合う。彼らの私に対する信頼は、買いかぶりという言葉に置き換えてもいいほど強く、仕事を越えた愛すら覗え、にこにこ肯いている自分を省みて、結局、人はプライドを食して生きるものかという感慨を深くする。

思えば、若いころからそうして生きてきた。笑われるのを覚悟で言えば、物の実質ではなく、心の本質で生きてきた。霞(かすみ)のプライドというやつ。これがけっこう持ち手があって、生活に不満を抱かないかぎり、ほぼライフ・スパンで長持ちする。あるいは適切な扱いようで長持ちさせてもらえる。私は質実剛健なプライドは元来持っていないので、長持ちさせてもらえたというのが本音である。パチンコ屋から予備校まで。とにかく道端で風に震えているあだ花を拾いに拾われ、美麗な花瓶に移し活けられ、新鮮な水と土壌を与えられてきた。

きょうも講義をしながら、熱心な生徒の顔を見ているうちに、その僥倖の念は彼らの前途への祈りに切り換えられた。ぼんやりと全体に対してではない。私に必死でついてきたこいつと、こいつと、あいつと、あいつには、一年でも早い成功を与えてやりたい。あと一ト月あまりを耐え抜き、つつがなく成功したら、彼らといっしょに美酒を飲み、音楽を聴かせ、映画を観せてやろう。もしも挫折したなら、当然、来年、再来年だって引受けてやる。そのためには私も日々の努力を欠かさない。うんと勉強し、うんと本を読み、原稿を書き、いろいろな音楽を聴き、映画を観るぞ。さあ、われ彼ともに心新たにきょうから出発だ。きみたちにふだんの命を生かそうとする情熱がありさえすれば、結果は僥倖でも何でもいい。猪突猛進!



     



07年1月
notion

高く青く孤独なところ

著者:川田拓矢
出版社:近代文芸社
税込価格:1529円
高く青く表紙