週言コーナー  週に一度拓矢先生の生の声が聞ける
4月

 


 4月1日

  読書遍歴、食の好み、趣味・蒐集癖等の披瀝は美術家や文筆人のよくするところだが、私は、 来し方、自分がいかに軽薄であったかを吐露してみたい。

     小学二年、石原裕次郎に憧れ、半ズボンの足を引きずり、肩を揺すって歩いた。〈格好いい男〉に生存の意義を発見した。この歩行癖は現在に至るまで治らない。

     中学のころから、秀才のイメージに憧れ、試験前は徹夜で勉強するようになった。

     足の大きいことを気にして、5ミリ小さい靴を履いた。

     思春期の瞳に、権力の頂点に君臨しているのはヤクザ(半端者)であると慧視し、ヤクザ 者の家系に生まれ、そこを基盤に外界に飛び出し、隠然たる権力を揮ってみたかったと  考えた。

     学校の勉強以外の知識に憧れ、ひたすら本を読み、映画を観、幅広いジャンルの音楽を 聴くようになった。同時に、根源的に優れた知能を秘める〈劣等生〉を実践することに  美を見出し、学業に精出さなくなった。

     東大に憧れるも、東大受験生の自己信頼のない自己顕示に食傷し、劣等生のまま東大合 格の離れ業を成し遂げてみようと決意した。

     芸術家だけが、階級的な栄達ではなく、人間の最終的栄達と思い定めた。

 現在、上記のことは関心の外になった。とりたてて何の青雲の意識もなく、生活の資を得、文章を書き、文章を推敲している。

 4月8日

《私の好きな映画》

 久しぶりに顧い返してみて、本数を絞ることがいかに難しいかを感じた。仕方なく、観返した回数を基準に決めた。

邦画

@私が・棄てた・女 A野菊のごとき君なりき B冷飯とおさんとちゃん C切腹 D浮草 Eなつかしい風来坊 Fひみつの花園(西田尚美) G影の車 H生きる I黄色いカラス J女中っ子 K陸軍 L関の弥太っぺ M血槍富士 N濡れ髪牡丹 O綴方兄弟 P生きない Q海と太陽と子供たち(ドキュメンタリー) R敗れざる者(石原裕次郎) Sどですかでん

【洋画】

@鬼火 Aモスクワは涙を信じない Bドクトル・ジバゴ Cパーティー Dサウンド・オブ・ミュージック Eヘッドライト Fチャンス Gタクシー・ドライバー Hハスラー I狼よさらば J博士の異常な愛情 K怒れる十二人の男 L何がジェーンに起こったか Mラ・マンチャの男 Nバペットの晩餐会 Oアニー Pトミー・ボーイ Q素晴らしき哉人生 R将軍たちの夜 S危険な友情

 

《本》

 基本的に、書物は二度読み返さない。熟読し、心を打った書物を心底に留める。

【和書】

@雪女(和田芳恵) A黄金風景(太宰治) A夢十夜(夏目漱石) B痴人の愛(谷崎潤一郎) C四十一番の少年(井上ひさし) D輪唱(梅崎春生) E風琴と魚の町(林芙美子) F鶴(長谷川四郎) Gすみっこ(尾崎一雄) H闇の絵巻(梶井基次郎) I泥の河(宮本輝) J影法師(遠藤周作) K坑夫(宮嶋資夫)L季節のない街(山本周五郎) M蜜柑(芥川龍之介) N虔十公園林(宮沢賢治) O白痴(坂口安吾) Pサーカスの馬(安岡章太郎) Q宣告(加賀乙彦) Rローマ字日記(石川啄木) Sいのちの初夜(北条民雄)

【外国書】

@フランダースの犬(ヴィーダ) Aメルヒェン(ヘッセ) B道化師(マン) C眠い(チェホフ) Dスチェパンチコボ村(ドストエフスキー) Eクロイツェル・ソナタ(トルストイ) F夜(エリ・ヴィーゼル) Gドン・キホーテ(セルバンテス) H知られざる傑作(バルザック) I赤と黒(スタンダール) J月と六ペンス(モーム) K林檎の樹(ゴールズワーズィ) Lモンテクリスト伯(デュマ) Mガン病棟(ソルジェニツィン) N脂肪の塊(モーパッサン) O若きウェルテルの悩み(ゲーテ) Pアウルクリーク橋の一事件(ビアス) Q読書について(ショーペンハウウェル) R誘惑(モラヴィア) S人間ぎらい(モリエール)

 4月15日


 たいていの大人は人生に“ひねり”を欲しがる。


 4月22日

 
 競馬は人気のない差し馬か追い込み馬を軸にする。血統や実績から軸馬を選定することはない。レースに出る以上、どの馬も勝つチャンスがあると信じている。彼はだいだい八番人気以下である。彼に好きな騎手が乗る場合は、軸どころか、頭に決める。彼が勝っても敗れてもいい。人気のないことと、諸もろの事情が有卦に入れば勝つ力があるという輝かしい希望を与えてくれるだけでいい。基本的には、彼に賭けた勝負に敗れて、気分が沈み込むくらいのほうが、次の行動への着手が早い。

 ときとして彼は私の期待に報いてくれる。彼が気まぐれに私に下賜するボーナスだ。私はそれをありがたくいただき、数時間の上機嫌の源にする。ボーナスの額が多ければ、生活の実利に活用させてもらうこともある。ワープロが壊れて悩んでいたとき、彼はコンピューターを一式買えるだけのボーナスを時宜よく恵んでくれた。いずれ調達しなければならないものではあったが、おかげで決断を早くして機械の仕組みに慣れ、いまこうしてつつがなく文章を書くことができる。

 実力馬と呼ばれる馬は先行癖を持った馬に多いと聞いた。根拠はわからない。ゴール板の意味を知らない馬はそれを通過する順位をおそらく意識したことがないだろうから、彼らは気分の任せるまま、停止命令がかかるまでスタミナのかぎり走るだけだろう。先行して走りっぱなしより、抜き去ろうとする意志に、私は何か人間の美的な意図に応えようとする有機的なもの(馬のよぶんな気兼ね)を感じる。本来野生の状態で同胞を抜き去る必要はないと思われるからだ。彼は自分の本能を忘れ、人間に応えている……。だからこそ実力馬とみなされることが少ないのかもしれない。そう思い至ると、いじらしくなる。励ましてやりたくなる。

4月29日


 私は、時代の表層的な現象を追うことで、余儀なく引きずり回されるたぐいの文章家であってはならないと思っている。たしかに、時代の変遷とともに風俗は移り、人の発想も変化するだろう。あるいは、時代に寄生する人びとの個性の差もかしましく喧伝されるかもしれない。けれども洋の東西を越えて、人間の心の底に流れているものは、けっして変わりはしない。その事実に魅せられるかぎり、私は現代を知り、迎合する必要はないだろう。私だけの体験を噛みしめ、そこにひねもす棲み暮らしながら永遠の思いを集約させてゆけば、私の作品が現代はおろか未来を普遍的に照らさないはずはない。