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11月17日



《西鶴の箴言》


自分に具合の悪いことは、自分でもよく心得ているものだ。賭博で負ければ、決して負けたような顔はしない。女を買って、金を巻き上げられると、かえって賢そうな顔をするものだし、喧嘩好きの男は、負けた喧嘩はひた隠しに押し隠すものだ。思惑買いで損をした商人はその損失を隠す。こんなことはみな、暗がりの犬の糞のたとえ、人の見ていないところのしくじりは、知らぬ顔ですますということなのだ。 

           

「好色五人女・暦屋のおさん」 (川田訳)


11月10日
 
 通勤が苦痛だ。外に出さえしなければ触れずにすんだ風俗に曝される。染髪、ピアス、ジーパン、シャツ出し尻下げズボン、ヘッドフォンウォークマン、垂れ下げリュックサック、携帯電話、携帯コンピューター……。この男女の中で生きつづけなければならないという覚悟を、日々強いられる。
 外に出さえしなければ、する必要のなかった覚悟だ。 「彼らは孤独だ。馬鹿にしてはいけない。彼らを救わなければならない」と先日の同窓会で言っていた友がいた。どう救おうというのだろう。彼らは経済を支える優位者として自得している。彼らの購買力がなければ、日本国の繁栄はありえない。企業のターゲットは彼らであり、吟味して物を買う私たちではない。彼らは馬鹿に撤しなければいけない孤高の窮地にいるわけではなく、国家規模の存在価値を賦与されて自得の円環が完成し、比類のない強固さで人格を閉じているのだ。 しかも、彼らの挙動や思考力や性向は低レベルでも何でもなく、識者や文化人の垂涎の模範でもある。
 日本のジーパン文化は大学から発祥したことを思い出せばいい。だから私にとって〈この男女〉は愚かな選民では決してなく、老若幼熟を問わず、身の回りのあらゆる人びとである。彼らの知性とプライドは見上げるほど高く、ゆえに国家から保護されており、疑念なく自得しており、最強の多数派でもある。 私は毎日その堅固な人たちの中へ出ていくのが、身を熔かすばかりの苦痛なのだ。机という真綿でできた貝殻へ戻ってくるまで。

11月3日

 まだ利己主義にも陥らず、理性も持たない、おそらくは生まれたばかりで何の汚れも帯びていない感情というのは、不思議なものだ。その感情が、子供に教える。自分が独占的に心を懸けられているかどうか、人が進んで世話を焼いてくれるかどうか。幼児特有の純真な正義は、愛されることに過剰に感謝する。その感謝は青年に至ってからも継続する。 悪い人間がいるとすれば、それはかつて愛されなかったせいだ。彼がいま感じる嫌悪は、彼がかつて受けた粗悪な世話、耳にした情の薄い言葉、彼がかつて愛と命を求めた視線に応えなかった悪意、そうしたむかし心に味わった情愛の不足と常に相応じるからだ。そのときに享(う)けた愛の深浅によって、後年、すべてが魅惑となるか、さもなければすべてが嫌悪となる。