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ご注意
2月22日

現在書き継いでいる『続あれあ寂たえ』ノートを、万一人目に触れないまま朽ちさせてしまうのはあたかも口惜しいという、ある種名誉欲の入り混じったわがままから、これまでの分を貯えたフロッピーをHP作成者に預けた。二百近い短文が入っているが、好きにしてくれと伝言した。もとより作成者は私の文章を痛く気に入っているから、大いに喜びはしたけれども、「盗用が恐いし、何かもったいない気がする」と渋った。「かまわない。単品の言葉はともあれ、思索内容までは盗用できるはずがないから」と押した。作成者は了承し、これまた私の文学に常々愛顧と活を与えている強力な援護者と諮り、二人でupにかかることに決定したと知らせてきた。

大脳がへたらないことを希望すれば、あと十年くらいは著作を継続できるとして、五、六百の項目が付け加えられ、やはり一冊目の『あれあ』と同じくらいの分量になるのではないかと思う。最終的に出版が叶うかどうかは、版元に交渉してみないとわからない。そんな不安を抱えたままものを書くことは到底できない。とにかくこのまま書き継いでいけば、HPという限定的な手段であれ、生きているかぎりリアルタイムで自分の短想が他へ伝達されることを確認できる。ものを造る人間にとって、これ以上の喜びはない。

新たな励みができた。わがままを通した以上は、期待を裏切らないよう、気力のあるかぎり頑張って書きつづけよう。

2月18日
 

 百円も百億も交換の幅。交換したい物がそんなにないなら、いくらあっても無駄金にすぎない。金は「多々ますます弁ず」に嵌まらない最たるものである。石油がいくらで、豆腐がいくらと、必要の幅で悩むのは楽しいことだ。余剰の金はその楽しみを奪う。



2月11日

振仮名(ルビ)


 ワープロでは、ルビが打てなかった。手書きで処理していた。そのワープロが長年の酷使がもとで壊れ、藁とすがったメーカーから修理不能と宣告され、余儀なくコンピューターを購入することになった。折に触れ、予備校の諸先生方から「コンピューターなら簡単にルビを打てますよ」と聞いていたので、気が進まないながらも、利便向上に関する別種の期待があった。苦労して慣れる価値があると思った。かの芥川が、「漢字すべてにルビを打つべきだ」と主張し、谷崎も『文章読本』の中で「なるほど読者の誤解を避けるためにはきわめて重宝な方法である」と首肯したがごとく、ルビというのは文章作法にとってまことに大切な役割を担っている。すべての漢字に打つのは目に煩わしいものがあるが、難読漢字や、著者が意図してそう読ませたいと思う場合は、ぜひ打たなければならない。

待望のコンピューターがわが机に据えられた。あいうえお順に打てるナラ・コードのキーボードも接続した。ふむ、ふむ、ワードの使い方はこうか。案外簡単なものだな。さあ、早速ルビを打ってみよう。あれ? おかしいぞ。一行か半行ズレてしまう。何度やり直しても同じだな。こういうものなのか? 仕方がないことなのか? それにしてもひどく間抜けな感じだ。結局ルビというものは手書きしなくてはならないのか。それではせっかくコンピューターを買った意味がない。承知できない。

先生たちに確認し直すと、これまでとちがって心細い笑いを浮かべながら「そうなんですよ。ズレるんですよねェ。だから私はルビを打たないようにしてます」という確信犯的回答。何だ、それは。期待だけふくらましておいて、話がちがうじゃないか。確かにルビそのものは打てるので、前言を翻したことにはならないけれども、コノヤローと思った。

 私がコンピューターを仕入れたと聞いて、福島の阿部が飛んできた。ついに先生も文明人になった、というわけだ。彼は私の要望に心強くうなずき、二時間も格闘して、麗しいルビが打てるようにした。マクロを使って一発でダッシュが引けるようにもし、連続の〈……〉も打てるようにし、その他もろもろの簡便技術を設定した。これでコンピューターはワープロよりもはるかに便利な機械に変貌した。天才に感謝! 二時間のあいだ私は、懸命に努力する阿部の背にわがままな悪口雑言を吐きまくり、激励叱咤のつもりが、威嚇、脅迫、なだめ、すかし、好き放題。阿部は相当へとへとになったはずだ。許してほしい。非文明人は必死だったのです。その間、彼は一言も不満を漏らさず、明るく冗談さえ交えながら貴重な仕事をやりきった。

翌日私は、鼻高々に、予備校の確信犯たちに自慢をした。彼らは目を丸くし、「どうやったらそんなふうにできるんですか」と、垂涎顔でしきりに尋ねたけれども、私は「わかりません。優秀な男がやったことですから」と答えた。実際、たとえ阿部から仕組みを説明されたとしても、私には理解できない技術だからだ。

 いずれにせよ、愛ある天才の恩恵に浴したコンピューターで、毎日私は文章を書いている。便利なので、ワープロよりも打ち込むスピードが増した。彼のしたことは私の残りの人生に対する最大の功績である。阿部よ、ありがとう。


2月5日

 もう少し如才なく人にへりくだることを知っていたら、この名も大いに顕れたかもしれない。富貴などに頓着せず、生計の苦難も人並みに解さず、気随気ままに振舞ったために世間から敬遠され、無用の才のゆえにかえって四方に敵を作り、むなしく埋もれ果てようとしているのは、自業自得ではあるけれども、じつに不幸なことだ。……一夜、虚心に、そんな嘆きに身を浸してみるとき、私は自分の命が生き生きと輝くのを覚える。創作の合間に戻ってくるこの人間的に規模の小さい嘆きが、私に奔放な想像の翼を与えていることを強烈に意識するからだ。名が顕れていたら、私はあれらの作品を書けなかっただろう。