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8月26日

高田馬場の『芳林堂』という大きな書店に、もう十五年にわたって、いつも私の本が全巻十一冊たて置きしてある。売れると必ず補填される。年に一、二度出かけてそれを確認するが、うれしいような、一方、恐ろしいような気もする。大雑誌だったとはいえ、たった一度新人賞の候補になったきりの無名の作家を見捨てないでこれほど長く支持しつづける姿勢の裏に、根気強い期待の心だけでなく、欲得を考えない純一で温かい人間味が垣間見えるからだ。私がいつの日か大飛躍するにちがいないと思っているのだろう。私が講師をしている予備校のそばにその書店はあるのだが、一部の熱狂的なファンを除けば、予備校生のほとんどが私の本を買わないということを、実質的な目撃と風評で知っている。私が小説を書いていることを知らない生徒も多い。それどころか、「予備校講師のくせに(つまり、メジャーデビューしていない素人のくせに)くだらないオナニーじみたものを書きやがって」という反撥の言葉を仄聞したことすらある。要するに、彼らからの実入りは期待できないということだ。だから、私の本を置いておく理由はそこにない。

私の本は一年間にせいぜい二、三百冊しか売れない。そのことは出版社から毎年きっちり連絡がくる。印税も三万円を越えることは滅多にない。売れない作家なのだ。無名の売れない作家を支持する心持ちの背後にあるものを考えるとき、私は感謝の混じった哀切な気持ちとあわせて、底のない恐怖に満たされる。―私はけっして期待に応えられない。それは運命と言っていいくらい確実に思われる。私は社会の趨勢を描かず、そこから逸れようとする人間を描くから―そういう哀しみと恐怖である。

文化の囚人は社会の中の自分のありように興味があり、自分を据える社会のありように興味がある。翻って言えば、器の中への自己の収まり方や位置づけに興味がある。ほとんどの作家は、彼らの興味に応えるべく、資料と学識と知的な文体とを駆使して両者の関係性を精力的に描く。私の本能は、そのスケールの大きな作業を嫌う。私の本能は、その学習可能なスケールに芸術の本姿を見ることはなく、学習可能な社会学の範疇へ追いやる。

社会という無記名の他人に左右されない〈自己〉という人格があるとすれば、それを持って生まれた私とは何か、という、学習不可能な〈閉じられた個〉に関心の矛先を持っていく人はまずいない。私はそこにしか興味の的がない。歴史や他人の作った制度・枠組みに関心が薄いのだ。日々が私に始まり、私に終わる。したがって、勉強したがっている十把ひとからげの〈私〉に応えることはできず、その意味で、将来学問に採りこまれるような、社会的に大きく飛躍した業績など期待すべくもない。

あんたの本は『芳林堂』にしか売っていないね、とよく言われる。私のような学のない小粒な作家と、大書店である『芳林堂』が申し合わせて販路を得ているかのごとくだ。隠れて善行を為している親切な書店の格が貶められたようで、気分が悪くなる。なぜだかわからないが、おそらく書店主は私の未来の飛躍に期待しているのではなく、私の現在の小規模な作品に滋味を感じてくれているのだろう。そう思い至ると、ますます恐怖が高まる。

 ―この作風を死守しなければならない。この作風を維持するための鍛錬を怠ることができない。いま以上にすぐれた本を読み、すぐれた映画を観、すぐれた音楽に聴き耳を立て、人と独自な会話をしなければならない。そして、いつまでも、個に熱く収斂する作品を書かなければならない。でなければ、私の本は置いてもらえなくなる。

 いずれにせよ、たまさかの幸運を悲しんだり、恐がったりなどしていられない。巷間の一小詩人に好奇の視線を注いでくれた書店主に衷心より感謝を捧げながら、きょうも寸暇を惜しんで机に向かわなければならない。

8月19日

私が子供時代から憎んでやまない人種は、自分が効率のいい事務家であることをばかばかしく気取っている人だ。たいていは頭に白いものが混じり、いやらしいほどきれいに剃り上げた、ひどく平ったい感じのする、冷笑的で意地悪そうな顔をしている。いわゆる、利口な様子をしている。その利口さを言葉の投げ合いによって確認するのが、小さいころから私の自らに強いた危険な趣味だった。確認の結果、彼らは偏見とまちがった思想は数知れぬほど持っていながら、本物の思想はからっきし持ち合わせがなかった。

白髪と剃り痕がないだけで、それに似たような人種は、子供のころからいた。いまもなお、いろいろな場所でめぐり会う。彼らとの角逐に、いや、彼らの信じるものとの角逐に、私は一生を費やしてきたと言っていい。その戦いはいつ終わるとも知れない。―そうして、案の定、私は敗北しつづけている。


8月12日

学生のころ、麻雀は私の生活を魔するものだった。麻雀という勝負ごとに生活を賭けている人たちの集まる場所にいくと、私はどうしても威容を作ることができなかった。じっと坐って、あまりに慇懃で丁寧すぎるのは場にそぐわないと自分に言い聞かせながら、高ぶる緊張に負けて無作法な態度をとってしまうのだ。その心の根に、

「欲の張ったことをしているのに、おまえたちは何を沈着に気取っているのだ」

という気持ちがあった。

彼らの態度は一定していた。私に比べてまるでしょうのないヤクザ者でも、驚くほど巧みに威儀と理知をつくろうのである。これが何よりもシャクにさわって、私はますます落ち着きを失うのだった。私はその当時から、そうした世間を縮小したような集まりのルールを守って得られる勝負のもうけそのものさえ、忌まわしく思い、苦しく感じていた。まったく苦しいのだった。何をこいつらはそんなに勝ちたがっているのか。自分が勝てばもちろん、並々ならぬ快感を覚えはしたけれども、その快感さえも、

「俺だって、金に目がないのだ」

という自己韜晦の苦痛を通して得られるものだった。だからすべてのものが、つまり、そうした人間どもや勝負や、彼らといっしょにいる私自身(あえて無作法に振舞っている私自身)までが、欲の皮を『気取り』でつくろう汚らわしい仲間に思われた。

 ―勝って、一儲けしたら、後ろ足で砂をかけて帰ろう。勝ち金は競馬に使おう。ただし、美的に勝たなければ。

 勝負卓でひっきりなしにそう頭の中に繰り返した。夜の勝負が終わって、明け方、自分の布団に就くとき、私はいつもその気分を思い出した。ところが、その「もうけ」というやつだが、私はまるきり金など欲しがっていなかった。私が勝負をしたのは、勝負そのもののためであり、感覚のためだった。冒険と興奮のためだった。決して金もうけや競馬資金のためではなかった。とにかく、『試み』という意味でこの途を踏んでみようと決心していた。ひとつの美的な力強い想念が、学生生活という本道から私を逸らしたのである。

 生活を賭けた勝負師たちは、極度に冷静な性格を持っていて、かつ精緻な理知と打算を長く保つ能力に長けていた。だから、私の盲目的な偶然の美しい暴力が時おり彼らをなぎ倒すことはあっても、結局それをつましい理知の力で征服して、最終的な勝ちを収めることが多かった。これがまたシャクだった。そこで私は意地になって、欲望の確率を高くはじき出す理知的な言動をしないようにした。あくまでも明るく、間抜けで、頭の回転のにぶい男をてらってみせた。たまたま勝ったときも、それをフロックに見せかけた。自分はおまえたちと対極にいる高級な人間だと知らせたかったのである。つまり、そんな場所でも、常に大きな世界が私を取り巻いていた。私の唯一の生の泉、私の誇り、私の武器、私の慰め―自分がどれほど滑稽で、知恵が足りなく見えようとも、この自分の中には尊い力が潜んでいて、いつかすべての世間の人間の意見を変えさせるときがくる、という大きな世界が。

 しかし、いざ勝負の卓に向かい、てらいではなく実際に、自分がどんなに並外れて理知の足りない人間になるかを知るたびに、私は安らぐどころか、底知れない憤懣を覚えた。私は美的な勝利の仕方という幻(ヤクマン)に取りつかれて幾度も素晴らしい機会を逃し、明るくおどけながら気を紛らし、この自分の優れた頭脳が、こんな哲学の薄い欲まみれのやつらに劣っているわけがないと思い直し、癇癪を起こさず、無作法なしかも自信のある態度で、最後の勝利を得ようと努めたのである。そうして、高い頻度で負けつづけた。いよいよ私の浅はかな自尊心は傷ついた。私は勝負に敗北したという理由だけで、その場の人間ばかりでなく、すべての人びとに対してさえ、屈辱を感ぜざるを得なかった。そんなわけで、私はどうしても勝負ごとをやめるわけにいかなくなった。

 自分を罵ることに飽き、経済が逼迫したことも手伝って、私は鉄火場から遠ざかった。そして、家庭マージャンというものをするようになった。私の勝率は安定した。それは相手が弱いからではなく(鉄火場よりも強い人間はいくらでもいる)、単に、美的な勝利の仕方を考えなくなったからである。本来、雀荘でやるべきことを真面目にやっているからである。要するに、憤懣を覚えない品のいい人間に美を示す必要がないということなのである。ヤクマンの回数はめっきり減ったけれども、その美を達成することは、競馬の万馬券と同様、常に念頭にある。そうして、達成した人間は壁にその名を貼って、心から表彰の意を捧げることにしている。最近、一巡りした表彰状を取り外して、新しく一から出発した。まだ数枚の賞状がエアコンの風に揺れているだけである。





06年8月




あれあ寂たえ夜の神話


著者:川田拓矢
出版社:近代文芸社
本体価格:2,300円