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9月30日

早稲田予備校に勤めはじめたころ、和田アキ子という名の、なかなかできのいい生徒がいた。名前が名前なので、強く印象に残り、こちらから親しく話しかけ、またあちらから親しく質問を受けた。ある日の授業中、私は鮨ネタについて素直な感想を漏らした。

「マグロは、やはり、赤身だね。トロはゲテモノだ。脂っこくて、白米といっしょに食べられやしない。かつては、あんなものは捨てるか、お店の人たちの食べる味噌汁の具にしていたんだ」

 和田さんはめでたく合格し、喜びを報告にきた。

「うちは西川口で鮨屋をやってます。お父さんに先生のことを話したら、そりゃ本物だ、職人は「赤身を」って注文されると緊張するんだ、ぜひご馳走したいから連れてこいって言うんです。合格祝いだと思って食べにきてくれませんか」

「ご馳走されたら、合格祝いにならないよ」

「いいんです。かならずきてください」

 彼女は手書きの地図を渡して去った。私はお調子者なので、かくかくしかじかと人に話し、仲のいい同僚の先生一人と友人を連れ、総勢六名で押しかけた。座敷に通されたとたん、前掛けした和田さんが赤身の刺身をどっさり運んできた。新鮮でとろけるように美味い。握り、カマ焼き、サラダ、吸い物まで赤身尽くしだ。同僚が、

「七、八万はいってるな。少しでも払わないと、お店は大赤字だぜ」

 と言った。私はなるほどと思い、和田さんにその旨伝えると、

「お父さんは、美味しく食べてもらうのが職人冥利だ、一円もいらない、って言ってます」

 私たちはその言葉に甘えず、他にいくつか赤身以外に再注文し、全額払った。いま思えば傲慢だった。人に思い切り甘えられない心は卑しい。カウンターのある店とは別棟の奥座敷だったので、お父さんに対面することは叶わなかった。いや、会いたいと言ったのだが、恥ずかしがりだということで遠慮された。それは口実で、ほんとうは怒ったのだと思う。

 それっきり十数年、和田さんのお店にはいっていない。お金を無理やり払ってしまったことが心残りだ。いまは和田さんのお店の繁栄と、一家の健康を祈るばかりである。和田さんはもう、三十代も半ばになっているはずだ。名前が強烈だったので、顔を覚えていない。道で会ったらぜひ声をかけてほしい。遅ればせながら、常連になって大いに甘えたいと思う。

それから五年ほどたったある夏、一人の男子生徒が職員室にやってきて、

「うちは長崎市で鮨屋をやってます。来年かならず遊びにきてください。父もぜひきてほしいと言ってました」

 と言った。やはり私が授業中に、赤身と貝類が大好きだ、と語った直後だった。

「来年の三月にちょうど熊本の友人を訪ねることになってるから、かならずいくよ。五、六人でいくからね」

あの苦い経験を思い出し、今度はキッチリ甘えるぞと決意した。それからも学生は、折に触れ二度、三度と誘いの確認にきた。

男子学生はめでたく合格し、歓びを報告にきた。そして手書きの地図を渡して去った。

三月下旬。女房、早大生二人を連れての車旅になった。

到着先の親友夫婦二人に事情を話し、翌日の午後予約を入れると、「わかりました、お待ちしてます」と快い返事だった。車二台に分乗して熊本から長崎に向かった。とっぷり暮れてようやく市内に着いたが、学生の書いた地図があまりに不正確だったので目当ての店を見つけられなかった。寒風の中をあてどもなく歩き、結局車を停めてあるガソリンスタンドから電話すると、「満員なので入れません」と断られた。待ってほしいとも言わない。女房が納得せず電話口で「せっかく三時間もかけてきたのに」と言いかけたので、私は無言で彼女を思い切り蹴ってその言葉を制した。心の中で、『三時間じゃない。一日かけてきたんだ。約束を破った人間をいくら責めても徒労だ』と叫んでいた。仕方なく、近くの中華料理店に入り、みんなで食事をし、引き返した。

「こんなに苦労して報われずか。おまえ、だれに会いにきたんだ。俺に会いたかったんじゃないのか」

 と親友が車中で言った。彼もかんかんだった。

「約束というものは、だれとしようと重要だよ」

と私は答えた。奥さんがその通りだと合意した。彼はそれを境に風邪で体調を崩し、予定していた指宿旅行に同道できなくなった。奥さんも残るというので、指宿には親友夫婦を除いたメンバーでいった。そこで私も激しい風邪に倒れ、みんなの看病を受けた(一人の早大生は徹夜までしてくれた)。温泉にも浸からなかった。

 あの生徒からあれ以後いっさい連絡はない。申し訳なく思っているのだろう。以来、学生に誘われるとグリハマな結果になる、という恐怖心が染みついた。しかし、めげてはいない。好意から接近する学生との約束は拒まずに結んで、どしどし果たそうと思う。何せ、生徒との交流を全面的に禁じるこのセチガライ予備校業界の中で、「学生と隔てなく付き合うのは川田先生だけだ」と言われているからには、たとえ禁を犯してでもその期待を裏切るわけにはいかない。


9月25日

 経験のないものがある。少なくとも一、二週間は同宿して食う同じ釜の飯である。飯場では土工と食事は別刻(べつどき)だった。クラブ活動はしたことがあるが、キャンプ合宿はない。むろん林間学校、子供会旅行、町内会旅行、社員旅行も、短期のもので言えば、七五三、父兄参観、学芸会、初詣、神輿担ぎ、山車(だし)引き、墓参り、成人式、芋煮会、盆帰り、クリスマス会、忘年会、おせち料理、誕生会すら経験がない。私の前には常に一人、二人の人間しか存在しなかった。それで十分だった。私は徒党の喜びを知らない。知りたいとも思わない。私が集団の一員として参加したことのあるのは、入学式、卒業式、修学旅行、他人の結婚式ぐらいのものだ。世界が狭いと言われる所以である。

 私にとって架空の世界がブラウン管に展開される。親、子、兄弟姉妹、その家庭生活、入社式、葬式、団体旅行、祭、商店会、教員会、教授会、芸能界、文壇、医師会、官界、法曹界、政界。その他もろもろの彩り豊かな結束の場が。彼らは結束し、愛し合う。その正体は私には永遠に知れない。私の前には机だけがある。私は孤独で名高い現代の子供たちよりも、はるかに孤独である。だから小説には、ことごとく嘘八百を書く。


9月17日

 

 私は友に対していくらか遠慮を持っている。心の奥底では互いに信じ合っているのにかかわらず、面と向かうと、話に興が乗ってくるまでは一種のぎこちなさに圧迫される。このぎこちない感じがあればこそ、私は自分とまったく反対の極にいる友人を、友として愛しもすれば同情することもしてこられたのである。遠慮のない友達そんなものは決してほんとうの友達でありえない。遠慮がちに回す福引き器から、友情という思わぬ景品がポロリと落ちた、そんなふうに私は自分の来し方を捉えている。


9月10日

 文明に対して愛を失ったわけでもないのに年齢相応に円熟している人を見ると、羨望の気持ちが湧き上がると同時に、不思議な気もする。私は文明に対して愛よりも憎のほうが強く、進歩的な世の中の意を迎えることはない。文明のあごの先でこき使われるのを無上の光栄として喜び、流行にそわそわ追い立てられることに愛想を尽かしてしまったのだ。

 つまり、私はいつのころからか文明人として落ちぶれてしまったが、落ちぶれたためにかえって、趣味の標準を一層高くするという反動に陥っているところがある。負け惜しみからではない。そのくせ小才の悲しみ、現実に目を閉じたからといって、永劫不変の観念境へ飛躍できるわけでもない。『文明の一員として生きてきた自分の姿なぞも、やっと余裕を持って観察できるような、ある見晴らしに立った感じがする』―なんて円満の境地に達する幸福を、私は永遠に味わえないのである。


9月2日

 あのころのオレはなんてバカだったんだろうという考え方、その考え方をしながら生きる生き方が嫌いだ。



06年9月




あれあ寂たえ夜の神話


著者:川田拓矢
出版社:近代文芸社
本体価格:2,300円