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notion
 芳春、芳秋、盛夏厳冬、いつどんなときも私たちは生きていて、そして言葉があります。
                             川田拓矢より 06年秋
10月15日

十月一日に『五百野』の英訳が完成した。五日にTさんに届けた。彼はその日の電話で、

「かならず、イギリスかアメリカから出版します」

と言ってくれた。私は深謝の意を表した。月末にいっしょに飲むことになった。

書き上げるのに七ヶ月余りかかった。それでも日本語の『五百野』本稿を仕上げたときよりはるかに少ない制作時間ですんだ。日本語を外国の言葉で刻みつけながら、言語対応の困難さを、また言語の相違と関わりなく、あらためて小説世界と現実世界とのギャップをよい意味でしみじみと味わった。自分が作り上げた作品でありながら、非現実なドラマの展開と、人間だけが持つ精神世界の深みに感銘して、余儀なく立ち止まり、しばらく目を潤ませているというようなこともしばしばあった。客観的に見て、瑕疵の少ない、高レベルの作品だった。ものを書くことにこだわってきてよかったと思った。ひたすら書いてきたことだけを自賛できた。

それにしても日本語の難しさは何ごとだろう。一語一語に潤いと余白、すなわち connotation( 内包 )がありすぎる。そのせいで、まず一対一対応の翻訳がおそろしく厄介である。とりわけ抒情を写し取ることが至難である。しかし、この複雑で余情纏綿(てんめん)とした言語を日本人として享受しなかったら、私は文学をやっていなかっただろうと確信する。

いや、突然話柄を変えるようだが、日本語にかくもこだわってこなかったら、人生の履歴の中で最も肌に合った教師という職業でさえ、早い時期に放棄していたかもしれないという気がする。たしかに私は授業のあらゆる局面にわたって言語の内包に細心の気配りを欠かさず、活字を意識しながら話す。だから教室にはかならず、私の『言葉』を待っている言語感覚の鋭い学生がいる。そして同じ理由から徹底して拒否する学生もいる。どちらも私の言葉に反応を示したという意味では変わりがない。

 つまり言葉というものは、愛されもし、忌避されもするという意味で、個人の感性の変容と、ときには人生の変容に対して威力絶大なのだ。そして元来、言葉は現実世界とのギャップ、要するに『理想(現実から隔絶した希望)』があって初めて、プラスであれ、マイナスであれ、とにかくいずれかの情動を引き起こすことを、しかも、人間を取り巻く環境に対する理想ではなく人間そのものを慈しむ真性の理想を精確に言葉に載せないかぎり、表現の複雑さもそれにまとわりつく余情も無意味なものとなるということを、私は教師生活をも含めた長い放浪人生の途で知った。この発見は大きかった。なぜ私が言葉を現実定着の記号として愛でる学者を嫌忌して、言葉による理想表現とその責任に日々恐怖する教師でありつづけたかが理解できたからである。

10月8日

 初対面の人に、お仕事は何ですか、と訊かれると私は、

「売れない小説を書いています」

 と答える。無名のせいできっぱり答えるわけにいかないものがあるので、中には職名詐称をしているかのように思う人もいるようだ。実際、作家年鑑にも載っているし、本も十冊以上出版しているので、その返答はけっしてインチキではない。しかし、文章を書くことを天職としていながら、その肝腎の文章が商業雑誌に載ったのをだれも見たことがないということになれば、たとえ私を近所でちらほら見知った人でも、いったい何をして食べているのだろう? という疑問が起こるのも無理はない。

 なるほど私はいま4LDKの一戸建てに十年余り住みつづけてきて、電気代やガス代に毎月青息吐息だし、たえず家や車のローンに悩まされているし、一再ならず他人から借金もするような貧乏生活をしている。しかし、貧乏は貧乏でも、夜逃げをするとか、一家心中の危険が多分にあるというほどヒドイものではない。冷蔵庫も洗濯機もテレビも、豪華なステレオ装置もあるし、猫まで飼っている。つまり、人並に暮らしているのである。

 いったいナニをして人並の金を稼いでいるのか合点がいかないところから、いろいろシマ臆測されるわけで、ついに、

「予備校講師をしています」

 と白状すると、

「エッ」

 と、それがありうべからざることのように首を傾げられたりする。面貌に教師特有の厳しさと教養があふれていないからだ。おまけに私自身が自分を天成の予備校講師と思っていないのだから、なおさら嘘っぽく聞こえるのである。

私はけっして霞を食って生きているわけではないし、泥棒や詐欺などで生活費を稼いでいるわけでもない。では私は何をして生活しているのか? 自嘲をまじえて、予備校講師です、などと心にもない稼ぎの内容を語る真意は、私がいかに文章というものに対して敬意を払い、生活のために芸術を汚さない心意気を底に秘めているかの証しなのである。




            



06年10月




あれあ寂たえ夜の神話


著者:川田拓矢
出版社:近代文芸社
本体価格:2,300円