迷妄の狭霧 ― 箴言はるかなり ―
私の唯一の弱みは次のような精神構造だ。そして多分、私の賛助者が常々、歯がゆく、悔しく思っている弱みであるにちがいない。 「私はもちろん自分の芸術に関してしっかりした信念を持っている。しかし、こうまで世間から疎外されると、間歇的に自分の力を疑わずにいられなくなる。いくら自信のある作品を発表しても、いっこう世間が認めず、まるで無きかのように沈黙しているのは、必ずしも私の作風や信念に対する反感からではなく、私の芸術にそれだけの価値がないからではないのか。いや、自分には世間のまっとうな人たちにすぐった、彼らの夢にも知らない、とても理解のできない高い境地がある。この世の中のすべてのものにも換えがたいほどの価値を持った、芸術の天地がある。その天地こそ永遠の存在であって、この世の中は幻であるような気がしてならない。その慰めと囁きとがあればこそ、私はこの不愉快な、矛盾と懊悩だらけの世の中で、自殺もしないで生きていかれるのだ」 そういう堂々巡りのヒガミが、ありありと自分の魂を訪れる。 けれども、一握りの理解者たちが、この僻みを一笑してくれる。あなたは天才だ、天才の評価が遅れるのは世の常だと。およそすべての人びとが、私を振り捨てて顧みようとしないのに、彼らだけが私の天分を認めていてくれることは、私にとってどれほどの恩恵だかわからない。彼らのおかげで、私はきょうも机に向かうことができる。たとえ自分は、社会の公人として立っていけない、生まれついての片輪者であるにもせよ、こうして創作に熱中しているときの自分だけはそんなに偏向した片輪者ではないことを、どうか世間の人びとに、それがだめならばせめて神さまに認めてもらいたい、と思いながら。
私たちは長く西洋流の教育を受けてきた結果、科学的に証明された真理でなければ真理でないように考える癖があるけれども、しかし私はいまだに芸術家の言説のほうが正しくはないかと思うことが度々ある。 「私たちは物質の世界を支配する法則だけを科学に教わるが、精神の秘密を知っているのはただ芸術家だけである。物質と物質の関係は科学の手で説明されるかもわからないが、物質と精神との交渉は芸術家でなければ説明できない」
私は、いちばん危険なときにも、自分の心をじっと見つめ、その危険に打ち克つ力を持っていた。
幼いころのできごとは、ある日、脈絡もなく遠くから強烈な彩りで迫ってきて、あれからいままでに見たり聞いたりしたありとあらゆることよりも、不思議と胸騒ぎするような香りで全身を包みこむ。それは生と生者の香りにちがいない。その香りを描こうとして、私は筆を執る。
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